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はてなキーワード: 博論とは

2018-02-19

anond:20180218204936

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。

文系でも同じですが。研究という営みの本質文系理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているか相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラル上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)

もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。

いや、レビューオリジナル研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナル研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナル研究成果だ。博士論文書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチオリジナル研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナル研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。

ひょっとして文系研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。

から、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者彼女学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田最初和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わずレビューしか書いてないなんて研究者はいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。

いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。

そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PD東大講師、あるいはテレビ出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビ問題言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者リテラシー問題でしょ。理系学位肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由開放的性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。

文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。

うんだから文系研究者が色んな外国語勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語ドイツ語研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。

これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語地位を高めていくべきだ派と、日本アカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本文系研究者多様性は、アメリカイギリスほどじゃないにせよフランスドイツロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史英文学からアフリカ人類学オセアニアの少数言語中央アジア歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人フランス人ドイツ人がそうできるように、自分たち言語でそれらの分野の最先端研究成果を手にすることができる。東アジア中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語博論を書いて自国教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。

もちろん、日本研究を専門としていない欧米人日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたもの翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。

こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文アメリカ人日本語翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀フランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別にからずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産動物種の研究だと英語論文和文論文引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。

いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田感覚はわかるんだよ。というかそれは文系研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端研究成果を自分たち言語で読めて、どんな地域研究だって自分たち言語遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマ研究ホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史研究する上で西洋史探究されてきた研究モデル概念意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国政治についてなんの情報もなしに、自国政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツール必要なんじゃないか? ジャーナリスト政治家欧州統合アフリカ経済アメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本EU研究者アフリカ研究者アメリカ政治研究者がみんな英語論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。

2018-02-18

そもそも文系アカデミズムの泊付けを批判している

理系元増田博士)より

https://anond.hatelabo.jp/20180217012945

個人攻撃で人を撃ってるんじゃない。自分問題点に感じたところを撃っているのだから、流れ弾上等。

結果として大学ポストで過剰な印象付けを与えている例として三浦瑠麗批判になっているわけでもあるが(メディア・読者・視聴者の過度な期待が悪いという説もあり)。

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。海外には教育専門の人もいるらしいがそれはまた別の評価軸になる。

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。DC2は博論として完成を見ているのだろうが、学振PD研究論文にならなければその研究費はどうなったのかという話になる(まだ気の早い話かもしれないし、研究には失敗がつきものなのでちゃんと取り組んだ上で成果なしであればそれは責められない)。いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。


最先端研究をしたならそれは世界に向けて発表すべきだ。発表しないのは論外。研究者仕事個人修養ではない。理系では一部の例外分野を除き発表のための言語統一されていてそれは英語になる。中東研究ではフランス語も標準になっているというならそれもいいだろう。もちろん国文学日本史日本法学では日本語が標準だろうから日本語論文だけで構わないし、海外研究者日本語論文を書くべきだ。

国際政治学日本語でもレベルが高い研究はあるという反論の何が駄目かというとそれが国際的研究分野であろうと考えられるのに世界からまれない点。読まれないのであれば例えばアメリカ学者に全く同じアイディア研究されてそれを新規研究として英語発表されても責められない。日本学者がそれに文句を言ってそれが認められる力があればいいんだがどうもそうは見えない。日本語論文はその「レベルの高さ」に関わらず学問の潮流からすれば全くの無駄になるだろう。辛辣になるがそんな研究には国から研究費を交付すべきではない。


文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。英語圏に勢い負けてることが確定した分野では英語論文を書け。自分で書けないなら金払ってでも誰かに訳してもらえ。雑誌国内研究者交流用じゃなくて世界トップジャーナルなりたければさっさと丸ごと英語に移行しろ欧米学者には必要ない手間に研究費が使われるのは悔しいだろうが、国際的学問の流れの中で研究した一切合切無駄になるのと比べればよほどいい。世界から孤立して「日本式国際政治学」や「国際政治学者(日本国内向け)」を名乗るのなら構わんが、それを正直に言わないなら国民を騙していると言われても仕方がない。

2018-02-17

特定研究者を叩くのはいいけど他の研究者への流れ弾はやめてほしい

当方文系若手研究者

https://anond.hatelabo.jp/20180215032409

英語論文出してない「国際政治学者」って大丈夫か?

それとも日本で言うところの国際政治学ってやつはあくま国内政治の一研究分野なのか?

国際分野なのに英語論文発表してないことが最大の違和感。必ずしも三浦瑠麗を叩きたいわけじゃなくて、日本国際政治学全体のレベルが低い?あるいは政治学者仕事世界に向けた学術研究発表よりも国内政治ご意見番をすることのほうが重要っていう認識業界一般的になってるならそれも受け入れる。

著書「シビリアンの戦争」は博論出版したものって理解でよいか文系博論は分厚くて書くのが大変とは聞く。でもグローバルな表題なのに世界では通用しない研究(少なくとも英語でないので読んでもらえない)って考えると悲しい。


こういうの勘弁してほしい。三浦瑠麗を叩くならどんどんやればいいと思うしやってほしいけど、叩く対象限定してくれ。

文系では和文でも立派な研究業績になる。最近の若手研究者積極的外国語論文書くようになってるし、私だって欧文論文の1本や2本あるけど、仮に査読論文和文しかなくても質が高いものを書いていて博士号もらってれば立派な西洋史研究者英文学者/アメリカ政治研究者etc.だよ。そういう世界なんだ……。

「ちゃんとした雑誌に載せてる論文が3つしかない」っていうのもどうかと思う。業績リスト見たら、まあ新書2冊はおいといて、それなりに専門的っぽい本を分担執筆してるよね。その本を読んでないから何ともいえないけど、雑誌じゃなくて本(アカデミック論文集)の1章として学術論文を発表することはあるし、それはふつう業績としてカウントするよな。繰り返すけど中身は見てない。中身はメチャクチャレベルが低いのかもしれないし、その場合「この程度の論文しか書いてないじゃないか!」っていう批判は正当だと思う。けど共著を業績にカウントせずに「業績が3本しかない!」っていうのはやめてあげて。

私も、さすがに学振PD持ってて日本Ph.D.獲ってるのにこの業績数はショボいだろ……と思うけど、博士号取得に際して論文数の要件がなければ(少なくとも私の出身大学院では存在しない)、とりあえず雑誌投稿とかしないでひたすら博論執筆するっていう研究スタイルもアリだと思うし、一概にそれが駄目とはいえない(単に茨の道ってだけで、制度不可能ではない)。あと一部の国では「博論に既発表論文を大幅に組み込むのは禁止(=博論は書き下ろせ。既発表論文切り貼りは不可)」っていうルールがあったりするから、そういう国に留学してた人は博士課程のあいだに出した論文数がどうしても少なくなっちゃう。

和文で書いてればレベルが低いっていうのは誤解。そりゃレベル低い和文論文もたくさんあるだろうけど、質の高い研究はたくさんある。もう15年以上前のことだけど、日本西洋史研究者研究対象の国のひとたちと論文集を出した時は、日本参加者レベルの高さが評価されたりしてたし(https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/39022/1/50-013.pdf)、それらは「外国研究者から読んでもらえない」かもしれないけど「レベルが低い」わけじゃない。

何が言いたいかっていうと、三浦瑠麗の言説の酷さは都度指摘すればいいし、彼女研究問題があるなら存分に批判すればいいと思うんだけど、業績リストだけを見て和文しかないとか批判しだすのは他の文系研究者に流れ弾あたってるからやめやがれください。ていうかやめて(自分の業績リストを泣きながら握りしめる)

『シビリアンの戦争』は、彼女博論タイトルそのまんまだから博論書籍化という理解でいいと思う(https://ci.nii.ac.jp/naid/500000550395)。私はどちらも読んでないので違ってたらごめん。博論書いてそれを本として出版するのは、文系研究者としてはよくあること。

せっかく質が高い研究してても読んでもらえないのは悲しいってのはその通りで、日本語文献が読むべき先行研究として通用してる分野は日本東アジアにかかわる研究くらいかアメリカ人でも前近代中国史やってたら日本語読むことを要求されると思う。中東研究する日本人フランス語要求されるみたいな感じで)。これの解決は難しいけど、欧文で和文文献のレビューをするとか、欧文で良い論文書いてその中で和文文献引用しまくるとかして、「日本では面白そうな研究をやってるんだなぁ」と認知してもらうことがまず必要なんじゃないかと思ってるんだけどこれは三浦瑠麗とは関係ないので措いておく。

ていうか、欧米日本学だって英語仏語独語日本についての博論書いてるんだから日本人イギリスフランスドイツに関する研究日本語で発表してもいいよね。日本だけじゃなくて、ある程度歴史と規模のあるアカデミアがある国では、文系博論論文自分らの言葉で書くことは結構あると思うんだ。

あとこれな。

https://twitter.com/chutoislam/status/963834829723729920

https://twitter.com/chutoislam/status/963834833360248832

これも、一般人デイリーメールを端から信用しないのは処世術としてはいいんだろうけど、時にはそういうソース依拠することが必要なこともある研究者もいるんだから、「デイリーメール引用してる」って理由だけで叩くのはやめて、って話だと私は理解した。余計なところに流れ弾を飛ばされると「それは違うでしょ」と三浦瑠麗弁護みたいな立ち位置にならざるを得なくなるというか。私だってこんな記事書いたけど三浦瑠麗学者としての資質は相当疑っている。ただ流れ弾を撒き散らさないでほしいだけなんだ……

追記

vkgofboston 査読の有無は和文英文に関わらず業績として見なす上で肝だと思うが、それに関しての考えを聞きたいね

三浦瑠麗が書いた雑誌のうち、『レヴァイアサン』は知らないけど『年報戦略研究』は査読あるよ→http://jsss.sakura.ne.jp/PDF/jsss-1507-tokokiteiyoko.pdf(当時もあったのかは知らん。『国家学会雑誌』はどうなんだろ。あってもなくても不思議じゃない。でもあそこ連載論文とか載せるからないのかなぁ)。ていうか和文の主要な研究雑誌にもそりゃ査読はあるし、だれも査読重要性は否定してないんですけど……(ただ、査読がなくても良い論文なら業績として扱っていいんじゃない、とは思う。査読つきの良い業績を積み上げてる人が一番評価されるべきなのは当然として、いちおう査読はされてるけどクソつまら研究と、査読されてないけど面白い研究だったら、一概に前者の方が業績として立派とはいえないんじゃない? 当たり前だけど公募では業績を提出させるわけで。まあわたし査読無しの媒体にはあまり書きたくないけどね)。

anond:20180216101648

学術受賞も箔つけるためみたいなものはあるけれど17人中15人って多すぎる。正直に公開してるからまだいいのか。

憶測だが、受賞できなかった2人は博論の中身が駄目だったからとかではなく民間企業就職決めたからみたいな話がありそう。

文系博士取るのが大変なのは事実だし、結局は視聴者側が、期待の若手研究者じゃなくて、大学に籍だけ置いてる博士号持ちの文筆家くらいの目線で見ればいいという話かもしれない。

はいえこのご時世さっさとアカポスは空けて欲しいし、テレビにはもっと議論だけじゃなくて基本の考え方の解説をできる学者タイプの人を出して欲しい。忙しいから受けてくれないというのもありそうだけど。あとワイドショーじゃ意味いか

2018-02-16

anond:20180215032409

学術的な著作が一本(博士論文)あって、形式的には論文3本あるので、非常勤(常勤?)講師になるには不足とは言えない。ただ留学もしてないし、研究者としての王道には乗ってないのかな。

受賞は論壇系のものばかり。博士論文が「特別優秀賞」とあるのが唯一学術受賞っぽいけど、この年の博士号取得者17人中15人が受賞してる。

http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400064210.pdf

この資料だと、優秀な博論修論学会誌採録されるとのことだが、そのリスト三浦氏名前はない。(20頁以降参照)

私見だが「優秀な若手研究者」というより「博士号を持ってる保守論客」くらいの立ち位置では。

anond:20180215032409

[追記2]

国内論文3つについてブコメで指摘があったので確認した。自分研究発表メインの論文は1本もなくて全部レビューなのか?

著書「シビリアンの戦争」は博論出版したものって理解でよいか文系博論は分厚くて書くのが大変とは聞く。でもグローバルな表題なのに世界では通用しない研究(少なくとも英語でないので読んでもらえない)って考えると悲しい。

そのブコメを書いた者です。

おっしゃるとおり、論文業績として挙げられている3点は全部レビューです。

著書は博論https://ci.nii.ac.jp/naid/500000550395)です。

ちなみに指導教授藤原帰一氏は、東大法学部で長年国際政治学を教えていた坂本義和氏の弟子ではありますが専攻は比較政治学で、国際政治の講座を継ぐことになった経緯は不明です。

国際政治教科書啓蒙書的な本は書いていますが、国際政治学の分野で世界通用する研究はしていない筈です。

専門が違う人間が有力大学の講座を占めていることで、適切な研究指導がされないまま政治力アカポスに送り込まれしまったのが三浦氏であると言えなくもありません。

マスコミや論壇で利用するために三浦氏アカポスに就けるよう藤原氏サジェスチョンした(藤原氏より上の立場の)誰かがいるのかどうかは不明です。)

2018-02-15

三浦瑠麗の業績が思った以上にショボい

山猫日記」これまで割りと楽しく読んでたんだが、最近炎上してる例の発言の釈明に使った引用デイリーメールだった件が気になって調べてみた。発言のものについてはここでは議論しない。

http://pari.u-tokyo.ac.jp/people/596/Lully_Miura/

東京大学政策ビジョン研究センター講師肩書政治学者を名乗っているんだが、ちゃんとした雑誌に載せてる論文が3つしかない。しか英語論文ゼロ

英語論文出してない「国際政治学者」って大丈夫か?

それとも日本で言うところの国際政治学ってやつはあくま国内政治の一研究分野なのか?

それから今の政策ビジョン研究センターセンター長が三浦大学院指導教授藤原帰一

アカデミック界でのコネが必ずしも悪いとは言わんが、こういう場合肩書がそのまま実力を意味しないって見られても仕方ないと思う。

もし同じ分野に所属してる増田がいたら、学会での評判なんかを教えてほしい。



[追記]

前提として増田理系

国際分野なのに英語論文発表してないことが最大の違和感。必ずしも三浦瑠麗を叩きたいわけじゃなくて、日本国際政治学全体のレベルが低い?あるいは政治学者仕事世界に向けた学術研究発表よりも国内政治ご意見番をすることのほうが重要っていう認識業界一般的になってるならそれも受け入れる。

ブコメにいくつか反応しておく。

学振DC2とPDは強力な教授の推薦状があるとかなり通りやすいらしいからな。これは審査員全員が顔見知りみたいな狭い領域一般で言われることだけど。藤原帰一教授から信頼されてるってことはわかるが。PD2015年まででここでの成果を論文にしなきゃいかんと思うんだが文系論文通るの遅いらしいからまだってことなのか。

講義はキレッキレだったのか。教員としては悪くないのか?そもそも講師地位がどの程度なのかわからん

[追記2]

国内論文3つについてブコメで指摘があったので確認した。自分研究発表メインの論文は1本もなくて全部レビューなのか?

著書「シビリアンの戦争」は博論出版したものって理解でよいか文系博論は分厚くて書くのが大変とは聞く。でもグローバルな表題なのに世界では通用しない研究(少なくとも英語でないので読んでもらえない)って考えると悲しい。

2018-01-22

anond:20180119232021

お疲れさまです。

わたし博論最終提出を控えています

わたしは怠けた上に、3本全くまとまりの無い論文を束ねて、博論としようとしています

これから頑張りましょう。お互いに。

2018-01-19

博論審査を終えて(所感、長文)

周囲の誰にも話せないので、誰も見ていないかもしれないが、ここにツラツラと書く。

出来の悪い駆け出し研究者の戯言だが、誰かが聞いていてくれたら嬉しい。

身バレは怖いので、専門分野は伏せさせていただく。


先日、博士論文審査を通過して、学位取得がほぼ確定した。

正確には、まだ微修正製本作業があるので、学位授与は2ヶ月ほど先だが。

博論審査が終われば、いろいろと解放されると思っていた。

ブラック気味の所属研究室からも抜け出せるし、次のポスト任期付きだが決まっている。

結婚、の予定は無いし恋人も居ないが、ずっと放置していたプライベートも少しは充実できるだろう。

しかし、実際に終わってみて、期待したような達成感や開放感は全く無い。

それどころか、非常に後味の悪い悔しさばかりに捕われている。

まりに虚しく、情けなくて、もう3日ほど布団から起き上がれない。

私の博士論文は、とても酷い代物だった。

「3年(あるいは5年)間の研究集大成」ではなく、「研究者としての第一歩」にもならず、

博論審査を通過するためだけの博論」にしてしまった。

非常にせこく、下品で、信念が無かった。

こうなったのは当然で、自業自得だ。一貫した研究をやって来なかったのだから

博士課程の研究とは、(人によっては修士課程からかもしれないが)

「1つの大きな研究プロジェクトを立て、試行錯誤しながら遂行する」

プロセスを初めて自力で行うものだ、と思う。

私は、この最初から躓いていた。

博士課程において(おそらく)一番重要な、「1つの大きな研究プロジェクトの構築」が出来ていなかった。

長期的なゴール設定も無いまま、目の前の課題盲目的に取り組み、とりあえず日々忙しいからと慢心していた。

なまじ、目の前の課題は山ほどあったので、散発的にでも小さな成果が出れば、研究したつもりになれた。

本当は「個々の課題が、より大きな研究計画の中で、どう位置づけられるか」こそが重要だったのに。

私は問題本質から目を逸らし続け、そのまま博士3年の後期まで至ってしまった。

10月後半、いよいよ問題から目を逸らせなくなった時、私の目の前にあったのは

複数の、脈絡ない研究課題の、小さな成果の寄せ集め」だけだった。

個別の成果だけでは小さすぎて博論にならないし、全体を包括するストーリー存在しない。

私には、博士3年間でこれをやりました、と言えるものが無い。

そして、この愚か者がどうしたか

分かりやすい業績(論文等)が出ている話を掻き集めて、後付けでゴールを作った。

つぎはぎだらけの代物に、博士論文タイトルをつけて提出したのだ。

元々興味があった話題は、切り捨てた。十分な成果が出ていなかったから。

私のこれを博士論文と認めて良いのか、自信が無い。

少なくとも、「3年間の研究集大成」では決して無い。

なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。

恥ずかしくて、情けなくて、泣きたいのに涙も出ない。

それでも、博論の提出条件(論文数など)に適っていたから、私は合格を頂いた。

私のこの学位は、半分以上「お情け」で与えられたものだと思う。

これを誇れるだろうか。

博士号とは何だろうか?

私は博士号に値する人間になれただろうか?

博士号とは、先を行く先輩研究者たちに

自分が一人前の研究者であり、1つの研究プロジェクトを完遂させられる人物である

と納得させて、自力で掴み取るものじゃないのか。

お情けで頂いて良いはずがない。

恥ずかしい。悔しい。

それでも、頂いた博士号を返却する気はない。(もっとも、取り消し以外でそんな制度は無いが)

今のラボで、オーバードクターする気もない。

見切り発車で学位を頂いてしまったのなら、これから博士号」に見合う人物になるしかない。

しかし、なれるだろうか?

私なんかが、3年かけて1つの研究プロジェクトも成し遂げられなかった人間が、この先一人前の研究者になれるだろうか。

いっそ、怠けていたら幸せだったと思う。

少なくとも、怠けた故の失敗なら言い訳ができた。本気を出せば良かったのだ、と。

私は、方向性の正誤はともかく、言い訳余地が無いくらいには必死に頑張ってきた。

その結果がつまらないものだったのだ。一体どう受け止めれば良い?

努力たからえらい、結果よりプロセス大事だ、なんて言えるだろうか?

私は言えない。

大人世界では、結果が全てだ。プロセスじゃない。当然だ。

覚悟していた以上に、自分は出来損ないの期待外れだった。

どんなに頑張っても、理想ハードルは超えられない。

自分の期待も、他者からの期待も、簡単に裏切ってしまう。

私は非常に、信用できない奴だ。

でも私には、こんなに信用できない自分くらいしか味方が居ない。

今後も、この胡散臭い研究者もどきを信じて、地道に努力を重ねるしか無い。

そうして度々、期待を裏切られては失望して、潰れて、また立ち上がるしか無い。

他に、私に選べる選択肢など無いんだと思う。

酷い博士論文を提出して、博士号を頂いてしまった分、

自分失望した分、他者失望させてしまった分、この先結果を出していくしかない。

一人前の研究者に、なれるか自信はないが、なろうと努力するしかない。

結果はすぐには出ないから、きっとまた暫くは、挫折感や敗北感とのにらめっこだ。

失った期待や信頼は、一朝一夕には取り戻せないし、そう簡単に一発逆転は起きない。

また1つ、恥を上塗りしてしまった。

また1つ、今後の課題を増やしてしまった。

しかし、挫折や敗北から這い上がることだけは、幸か不幸か慣れている。

博士号に見合う研究者たるべく、今回の反省点を、今後に繋げていこう。

私はきっと自分に甘いし、世界は私に甘くないから、今後もっと苦しいだろう。

それでも、頑張る。

頑張る以外の選択肢が、最初から存在しない。


3日も泣いて寝込んだ。

明日こそは早起きして、やるべき事を地道にやっていこう。

2017-10-23

放置ブラック研究室に配属を希望される方々への助言

なぜか古いエントリが流れてきた.

放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶

内容を読んでみると自分が置かれた境遇に似ている.

私はこともあろうか博士課程まで進学してしまった.

今までこの研究室では,これが研究だという指針があったものの,いか井の中の蛙だったことを思い知った.

どれだけ頑張っても指導できる先生がいないので,論文を書いてもリジェクトされるのである

まりにも不運な大学院生を減らしたいので筆を取りたい.

放置ブラック研究室とは

先のエントリでも説明されているが補足もしたい.

放置ブラック研究室の特徴は,先生が口先だけで何もやらないのである

酷いところでは,院生学生自身の学務に関する仕事を代わりにやらせるケースもある.

先生が何ら自発的アクションを起こさないため,院生必死アクションを起こさないと卒業できない.

配属されるとどんな事態になるかは以下のとおりである

卒研生の状況


だいたい察しが付くと思うが,卒研生の面倒は院生が見ている.

院生が面倒を見ないと,卒業研究限界までやらない.

これには院生にも原因があり,卒研生は誰ひとりとして院生研究を把握していない.

院生研究の仕方がわからないので,卒研生にプレッシャーをかけることができないのである

院生の状況

挙げるだけできりがなく,私が受けたハラスメントになってしまうので一旦止める.

共通している特徴がいくらかあるだろう.

要するに,口先だけで何もやらないタイプ先生危険だ.

甘い蜜で誘い出すが如く,

言っている先生はかなり怪しい.

水素水には2倍の水素が含まれているのと同じで,言い方は間違っていないが真実ではない.

これの何が問題なのか?

まず院生が育たない.

学部生の延長線上で教育を受けた院生が,果たして院生になれるのだろうか?

学部生に対する世間の期待はそこまで高くないが,院生はそうも行かない.

ましてや,先生が先頭立って「これが研究である」と言ったら悲劇である

学生簡単に騙されてしまうので,先生が言ったことは掛け値なしに信じてしまう.

先生は「院生になると学部よりも成長する」とか言って院進を誘い,その結果がこれである

騙された私が悪いと言えばそれまでで,正直なところ生活が苦しくてもJAISTNAISTに行きたかった.

なまじ成績が優秀だったので慢心したか,同じ研究室に院進してしまった.

間違いに気がついたのは副査の先生修論を見せてからだった.

先輩よりも良い研究にしたい気持ち研究したが,副査の先生に壮大にディスられた.

既に博士課程進学は決まっている時期で,研究室の間違いに気がついても遅かった.

結果的に私は博士課程に卒業し,とあるツテで某大学助教になれた.

しかし,卒業には6年かかったし,助教が決まったのは4年の時で学費を払いながら仕事をした.

外部の先生論文添削指導をお願いして,共同研究という体で何人か先生名前論文に載っている.

一応,指導教員から名前を載せているが,何もやっていない.

卒業申請書類自分で探して自分で書いた.

どれほどのデメリットが生じるのか?

他の一般的レベル院生コンテクストを持ち合わせないので,だいたい話が通じない.

学会発表つれーとか,実験が忙しくてやべーとか,言われてもわからない.

年に1回温泉入るだけの学会は楽ちんで楽しいし,アンケート取るだけの実験は忙しいとも思えない.

そのギャップ不安がる気持ち放置ブラックあるあるの話だ.

もちろん,修士研究のお作法もわからないので,修論発表会でボコボコにされる.

意味不明な発表で凄く高度に見せかけるテクニックを使った院生は無事卒業できた.

卒研の内容をそのまま修論で出した院生もいたが,受け答えが物凄くしっかりしていて卒業できた.

果たして,このような研究をやって社会に放り出されるのは良いのだろうか?

学生にとっても良くないし,大学にとっても良くないし,社会にとっても良くない.

修士ヤバイなら博士ヤバイ

先生指導できないので,論文誌に通るような作法を知らない.

もちろん,研究もわかってないので,ハチャメチャな論文を書かざるを得ない.

博論審査必要論文数を達成できなくなるので,自動的卒業が決まらないのである

私は学会発表で知り合った外部の先生に頼ったが,そうしないと論文を書くための初歩的なテクすら身につかない.

対策はあるのか?

同じ研究室所属している限り対策は極めて難しい.

Google検索は最良の教師にはならず,論文を書くためのノウハウは誰も公開していない.

よそに移るのが望ましいが,転学は学会発表をたくさんやって先生と知り合いになるしかない.



冒頭で提示したエントリは,そもそも放置されてるので自由にやることを提案している.

優秀な学生自由やらせるほど技術的なスキルの向上は見られるが,研究者として致命的である

研究者になりたいなら大学先生に教えを請うべき(おや?).

私も修論自由にやったが,副査の先生ボコボコにされるまで何が悪いのか気づかなかった.

技術必要な分野であれば,修論なんて提出するだけなので就職にはほぼ影響ない.

自由にやってメキメキスキルを伸ばした人もいる.

博士進学を考慮しているならば,自由にやることはおすすめできない.

すぐにでも他の先生に教えを請わなければ学費無駄になる.

結論

よく2ちゃんねる寿司屋蛇口が手を洗う場所と言って憚らない人がいる.

指導教員が昔からそこで手を洗う人で,学生にもそこで手を洗うと教える.

みんなで寿司屋へ行くと「熱い! 熱い!」とか言いながら大真面目に手を洗っているのである

不幸なことにその寿司屋は個室だから誰も注意してくれない.

大学研究室寿司屋蛇口で手を洗う事態になりやすいところで,よその様子を見るまで気が付かないのである

冒頭のエントリでは,何を目的として何をするか,自分恥知らずだったことを気付いた学生視点で展開している.

しかし,自分でやるということは,1年間で論文20本読んだ偉い! という気持ちになりやすく,「論文は週5本読むのが普通」とか言われてしまうとアイデンティティが非常に揺らぐ.

経験者として言えるのは,寿司屋蛇口で手を洗ってないか,それとなく確認すること.

正しい寿司屋でのメシの食い方を他の先生から習うこと.

自分は優秀だからって一人で研究ごっこやってたらうつ病になる.

人間って面白くて,週に1回しか人間と面会しない状態が続くとうつ病になるらしい)

(お前が悪いと非難されたこともあるが,大学に週1しか来なくて年収1500万超えてて毎日遊んだ報告をFBに上げるお前には言われたくない)

大学もこんなお荷物教員を多数抱えてクビにできないもんだからランクを下げる)

2017-02-18

夫の言ってることが全然からない。宇宙人としゃべってるみたい。

(末尾に追記しました)

ちょっと聞いてほしい。

わたし専業主婦なので家事100%わたし

理系夫は帰る時間がけっこうわちゃくちゃ(午後7時~12時のどこか)。

普段晩御飯は一通り作っておいて、夫が帰ってきたらあっためて出してる。ここまでが前提。

近所でライブがあって行きたかたから、夫に「ライブ行ってくる、晩ご飯は机に上に出してる。ライブは19時~21時半くらいに終わる」ってLINEして出かけた(「うん」と返事は来た)。

で、9時45分くらいに帰ってきた。家の明かりはついてるけど「ただいま」って言っても反応なし。

リビングを見ると料理そのまま(全く手をつけてない)。夫は自分の部屋でビール飲んでた。デスクの上には4本ビール瓶がおいてあった。

おなかへると不機嫌になる人なので、どうしたのかなあと思って顔を覗き込むと、不機嫌な顔で「はやく料理あっためろ!」とな。

手を洗ったりしてたら「早くしろ!」って怒鳴る。うるさいなー。

それで料理レンジフライパンであっため直しながら「ビールどれにする?」って言ったら、突然切れた。

「お前は違うことしてるのになんで俺に対して同じことを強要するんだ!!!」って。

どういうこっちゃ。

意味がわからなかった。

あっためた料理出して、切れた夫をなだめるの大変だった。

夫の言い分はこう。

「なんでお前に合わせないといけないのか」

「お前はコンサートに行き料理を机の上に置くという普段と違う行動をとった。なのになぜ俺には、「ビールどれにする?」といういつもの夕食時と変わらないセリフを言ったんだ」

「『ビールまだ残ってる?(ないなら冷蔵庫からとるけど)』ではなくなぜ『ビールどれにする?』という、決めつけによるセリフなのか。全然違う意味なのに。そしてなぜ逆なでするほうのせりふを選ぶのか」

等々。

ビール残ってる?」も「ビールどれにする?」もわたしから見ると一緒なんだけど、もちろん違いは分かるけど、そんなに切れること??

正直同じだと思っているので、なぜ? と聞かれてもわからん。答えられない。で、わからないっていうと怒りに火を注ぐけど考えるために黙っていても火を注ぐ。どうすりゃいいのだ。

ほんとにわかんないわたしのために夫が1時間くらい説得(という名の説教)してくるんだけど夫の言葉だとわかんない。宇宙人としゃべってるみたいでなんか言ったセリフとか覚えられない。

夫の気持ちがわかる人教えてください。わたしセリフの何が悪かったのか? ほんとにわかんなくて困ってる。

めっちゃストレスなんだけど、夫もなんでわたしが夫の言ってることわからいか理解できないようでたぶん違うベクトルで同じストレスかかってるんだろうな。ごめん夫。

「出かけるのが気に食わなかった?」「(出かけたことで夫を)ないがしろにされてるようで嫌だった?」「仕事疲れてるの?」と聞いても、「そんなこと聞きたいんじゃない!」と言う。

「一体何を言ってほしいの?」ときくと、「俺の考えてることを言ってほしい、ごまかしの言葉じゃなくて正解を考えてほしい」。お前は西野カナか?

すっごい察してちゃん(しかもなんか言ってることがわかりにくい)なんだけど、男って声も女より大きくて力も強いから女よりもタチが悪いな。怒鳴られると怖いんだよ慣れてても。

こういうことがけっこう多くてすごく疲れる。

夫の言ってることが理解できなくて、いつも「え? え??」ってなって、そのたびに怒らせてしまう。

ただ夫は怒らせてしばらくすると「さみしい、かまってほしい」って言ってくる。これハネムーン期かな。

食の好みがほぼ正反対から夫の好きなご飯を出したり、マッサージしたり、仕事から帰ってきたら「お仕事お疲れ様ありがとう」ってほぼ毎日言ってるんだけどな。

まだ思いやりが足りないのかな?

正直、人の気持ちを察するのが苦手なので、できれば行動ベースで言ってほしい(たとえば「夜出かけられるとさみしいから〇時までに帰ってきてほしい」とか)んだけど、そう言うと「そんなんじゃ応用できないか意味がない」っていうし。

もう夫に合わせるの疲れたよ。でも夫もわたしに合わせてくれてるのかな。

生活に何一つ不自由はないし、仕事をする重圧とか大変だと思うから働いてくれてありがとうと思うし、恵まれ環境にいるのに、なんかすごく息苦しい。

子どもはいない(どっちが原因かわからないけどたぶん不妊)。子どもかわいいけど夫の子どもは全くほしくなくなっちゃった





◆以下、追記

二丁目のバー増田さんによる完璧で秀逸なトラバ解説のおかげとはいえ、まさかこんなにホッテントリ入りするとは思わなくてめちゃくちゃびっくりしてる。

元増田を書いたときは、わたし自身が頭に血が上って、勢いでわーっと書いてしまった。だから今読み返すとけっこう思ったよりずっと主観的だし、「旦那ムカつく―! ムキーッ! わたしかわいそうシクシク!(チラッ」みたいな文面になっちゃって反省している。

いくつか補足する。ブコメなどで疑問に思われているだろうことをできるだけ書いたつもりなので長くなってしま申し訳ない。冗長または盛大な後出しと思われる個所もあると思う。

夫婦ともに30代前半。

海外在住の駐在妻(ヨーロッパ圏の超絶田舎)なので離婚選択肢にない(まあ殴られるとかされれば何があっても離婚するけど)。バイトのようなことはやってるがガッツリ働くのは物理的に無理。

元増田文章だとまるで毎日苛烈に怒られてるみたいだが実際はここまで激しいのは月に1度くらい(前はもっとあったが海外生活に慣れてくるに従って減ってきてる)。それ以外は仲良く楽しく暮らしてる。間歇泉みたいな怒り方をするので翌日にはケロッとしてる。怒られてるときは怖いしカサンドラ症候群みたいになってるけど翌日になるとわたしもケロッとしてしまう。ただ専業主婦ゆえに一人の時間が多いため、そういうときに一人で情緒不安定になるときはある。

・夫とは幼馴染。違う大学に行ったことで遠距離恋愛に→結婚(この時点では夫はまだ学生だったのでわたし扶養してた。その後ポスドクになり出張とか研究会とかで週末婚状態に)→夫今の仕事ゲットしてわたし仕事を辞めて一緒に海外移住同棲しとけばよかったなとは思うけど状況的に無理だった。

・付き合いは長いけど、結婚後の出張が多くて日本での最長同居期間が1か月くらいしかない。言ってることがわからないなあ、前より怒りっぽくなったなあと思うようになったのは海外移住してから。近所にバーみたいな一息つけるところもないし、現地の知り合いや気心の知れた友達がいない(日本友達観光ついでに来ることはたまーにあるしSkypeなどでいろいろ電話したりとかはしてるけど)のでかなりストレスだろうとは思う。

理系夫と明記したのは、夫は怒ると「これだから文系は」と雑なdisりをしてくるのでそれを書こうとしたがそれはいらないなと思って消した。そして「理系」の文字を消し忘れた。理系dis意図はない。すみません

結婚を決めたのは、わたし性格難なブスなので「これを逃したら後がない」と思ってた3割と、別れる理由特にない1割と、夫と一緒にいると面白そうだな6割という理由からわたし自分の夢に早くから見切りをつけ好きなことは趣味でやっていこうと思っていたのに対し、夫は好きなことや趣味仕事にしたタイプなので、夢を叶える過程を見届けたいというのもあった。わたし文系なので夫のやってることはさっぱりかっぱり(夫の博論読んでも数式まみれで1行もわからないし家でいろいろ実験してるのを手伝うこともあるが常にちんぷんかんぷん)だけど、性格や専攻が同じタイプよりは違うタイプ結婚したほうが視野が広がるかも、とも思ったので。内容はわからなくても夫がるんるんしながらいまやってる実験ことなどを話してるのは聞いてて楽しい。金目当てではないつもりだが将来性目当てと言われると否定できない。

・夫は一人暮らし歴が長いので、料理洗濯掃除その他すべてできる。ミシンとかわたしよりうまい日本にいたとき折半して家事してた。今は全然やらないけど、家事リソース割くより仕事趣味に注力してほしい。

冠婚葬祭などでわたしが1人で帰国することはあるし、習い事もしている。だから外を出歩くこと自体が許せないわけではないと思う。むしろいろいろ自由やらせてもらってるのですごくありがたい。

ライブについては事前に、「この日にライブがあって、開始は19時終了21時半くらい」と何度か言っている(元増田の文面だとそう読めないと思うけど、終了が19時~21時半ではなく、開始19時~終了21時半ということは伝わってる)。そういうイレギュラーな単発のスケジュールは頭に入れにくいらしいのでけっこう前から何度か言うようにしている。

・事前に言ってはいものの、「行くことは決定事項」な雰囲気を醸し出していたのでその点はよくなかったと思う。これは改めたい。

・「ビールどれにする?」の意図は、ふだんご飯食べるときはいつも「ビールどれにする?」「ヒューガルデンとって」みたいなやりとりするので、つい何も考えず反射的に同じセリフを言ってしまった。(ビールは常に何種類かストックしてある)

ビールのくだりで、「お前は違うことしてるのになんで俺に対して同じことを強要するんだ!!!」というセリフが当初は本気で理解できなかったので元増田を書いた。今は、ブコメトラバを読み、当時の状況を振り返って考えると確かに不用意で、相手を逆なでさせる発言だったなということはわかる。ビール4本(夫の許容量ちょい前)飲んでるのに「ビールどれにする?」はないな。ライブで浮かれてたのは確かにあるのでこの対応はよくなかった。男女逆で言ったら病気の妻に「きょうの俺のごはんは?」って言うレベルのひどさだ。まあだからといって親の仇レベルで切れていいわけじゃないんだが。

・渦中にいたとき元増田を書いたとき全然気づかなかったが「相手ビール4本飲んだ酔っ払い」という認識が抜けてた(こういう、認識が抜けてるところが夫の怒りを助長するんだと思う)。そりゃまあ支離滅裂な会話になっても仕方ない。

・今回は仕事ストレス7割&イレギュラー事態エラー1割&温めるのめんどくてビール飲んでたら仕事イライラからやけ酒になってさらに温めるのがめんどくさくなり空腹でもっとイライラ1割&その他今までの不満とか1割、かなと思う。

・夫は外ではこんな性格ではない。まじめでリーダーシップがあり細かいことにも気づけるいいやつというような感じみたい。ただ内と外の差が激しい。夫との付き合いが長くない人からは「ものすごく優しそうな人だね」と言われる。いろんな人から愛妻家だと思われてる。

・付き合ってる間に「気難しい人だな」とは思ったがここまで察してちゃんだとは思わなかった。が、自分が甘やかして助長させてるのだということがよく分かった。元いじめられっ子でつい卑屈になりがちなんだけど、もっともっと自分の主張をはっきり言わないといけない(元増田には書いてないけど実際は黙ったりなだめたりしつつ「細かいよー」「言ってることわけわかんない!」くらいのことは言い返している)。

わたし自身、人の話を聞かないというか、会話しててもずれたことを言ってしまったり、ビールのくだりみたいなデリカシーのない対応不用意で余計な発言をしてしまうことも多い。会話は苦手でキャッチボールがうまくできないし口頭だと誤認することがよくある。あとすごく人の気持ちに鈍感で人の考えてることを読み取るのが苦手。だから夫が100%悪いとは思わない(100%自分が悪いとも思ってない)。割れ鍋に綴じ蓋だとは思ってる。

・夫よりも実家族のほうがやっかいなので夫と一緒にいるほうが快適……というのはある。

最近アサーティブアンガコントロールに関する文章を読んでいる。けっこうためになる。読ませたいが夫は怒っているときに怒っているという自覚がないようなので(ってさっき言ってた)たぶん読んでくれない。

・猫を飼っている。扱いは夫のほうがうまい。飼い主に似たのか超甘えっこ。愛い。

配偶者愚痴を書く奴になりたくないってブコメあったけど、確かにその通りだと思う。夫に悪いことしたと思っている(といいつつ追記までしてしまったので説得力ないな)。ただ友達などに愚痴相談をしても二丁目のバー増田さんや夫さんの気持ちがわかる30代後半男さんのような回答はなかなか返ってこなかっただろう。今回いろんな人の意見を(文章ベースで)読めて本当にありがたいなあと思った。はてなってすごい。どうもありがとう

2017-01-17

修論を終えた感想

 無事に修士論文を提出し、諮問の日程も決まった。

 大学によると思うが、ウチの場合修論を提出した段階で、博士後期課程への進学と学位発行がほぼ決まる。逆に提出した段階での差し戻しを食らう場合は、修士論文撤回の憂き目となる。教授も出せるように指導するし、学生も間に合うようについて行かなくてはならない。とりあえず提出できたので問題がなければ、このまま無事に修了、進学となる。良かった。

 よくある適当私大阿呆学部卒業したので、司法試験を受けるでもないのに卒論は書かなかった。留年もかました典型的マジメ系クズ学部時代の禊ぎをすませることができ、うれしく思っている。ウェーイでもDQNでもオタクでもなかったあの頃の残念さ、大学卒業してから放浪にも似た十年を、期せずして総決算する機会となって良かった。

 文系修士博士無意味だと騒がれて久しいが、そんなことないと思う。そもそも社会的無意味無効な誤差として処理される人間にとって何かしら一つをやり遂げた記念が、社会的認証されることは自信を得る機会になる。もともと無意味人間には、意味のあるものだ。

 幼少期から思春期青年期にかけて自信を育む機会を生かせなかった人間には辛いことが多い。自信の無さが生活態度、言動に現われるし、結果、多少の理不尽なり違和感を周囲に与えて暮らすことになるからだ。その齟齬が対人関係軋轢となる。

 もちろん修士号をもらったところで、身に染みついた挙動の滑稽さ、可笑しさが拭えるわけではない。聖痕のように残るものだろう。それでも、何かをやり遂げたという実感が、ありふれて大したことではない修士論文の提出という事柄に込められていて、少しだけ自信を得ることができた。

 4月から博士課程に進む。同時に研究分野の珍しさと新しさもあり、ある企業研究員として雇ってくれることにもなった。学振は落ちたけれど、博論を書きながら、研究員という願ってもない形だ。

 もう若者ではない。朝、鏡をみると、残念なおっさんが寝ぼけてくたびれている。老いつつある両親に会った際、母に結婚について聞かれたが、それはあきらめている。でも、覗いてみたい世界があり、その世界研究員という形で足をつっこんで暮らしていけるのだ。悪くない。

 21世紀も後半になる頃には、僕はこの世界からログアウトしているだろう。それでも、自分が残した浅薄で僅かな研究や記録が、後継の偉大な天才と俊英たちのいくらかの踏み台になり、また諸俗凡人の皆さんに少しでも益するならば、それでいいじゃないかと思っている。百年後に一度、次の誰かが少しだけショートカットできるための一行を書く仕事、それが僕の務めだ。

 修士論文を書くということは、最低限、その分野の歴史の全体が見えており、研究史の中で自分立ち位置を把握した上で、浅彫りの僅かながらも確実な成果を置いていくことを意味する。そうすることで、今までぼんやりと見えていた世界がくっきりと鮮明に見えてくる。ザルだった視点が、精細さをもってくる。それが世界他者自己の精彩さに変わってくる。分野によるし一概にも言えないかもしれないが、僕はそういう経験をした。

 修論を出し終えて、本当にやって良かったと思っている。

2016-02-28

死霊術師井上

死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。

大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。

ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。

テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭意志21世紀でも保っている。

死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。

腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。

祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史辞典』にかぶりついた。

その頃の近江一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。

私は大学研究室院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室国文学研究室に行って、室町時代言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母アドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてもの時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母明治4年に死んだ男の死体蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。


春休み近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだオリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。

山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから

ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代言語常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成研究をしに理学部農学部へ行きたかった。

洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚近江出陣の際には公家近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。

これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ

精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。

太平記』の文法で私は語りかける。

「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉あなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ国文学研究室富田先輩ありがとう

…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージ五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家女性が見える。平安時代のオカメ十二単イメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生素体になってくれるよう語りかけよう。

「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しまたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。

「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなた時代言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日あなたお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。

あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなた精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」

「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。

「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルール現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。

「私は京都六角富小路邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから武家奉公人生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」

彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。

「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家生活。今まで見知った知識や噂話全てからひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女21世紀平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。

好奇心イマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽マンションにやってきた。

2016-02-27

記念日

初めて論文リジェクトされた日

初めて国際会議で発表した日

学会に加入した日

博論発表日

学位取得日

初めてセンター試験監督をして、新聞ミスを指摘された日

初めて査読をしてやや厳しいことを書きながらも修正すれば掲載可とした日

初めて査読を断った日

こういう日を覚えていてその度に祝ったり慰めてくれたりする彼女特にいらない

2016-01-30

小保方氏の手記が理系人間にも効力を持っていることに脱力する

[本]【読書感想】あの日 ☆☆☆ - 琥珀色の戯言

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20160129#p1

こういう書評が出てくるのを見ると、今回の手記の出版効果的な一手だったのだなあと思う。私は小保方氏と同じような分野の大学院生なのだけど、研究室の先輩にも、この本の出版を受けて「やはり若山先生悪者だったのでは?」というようなことを言いだす人がいて驚いた。まあ、感情に流されやすいかどうかは、文系理系とか関係ないことなので仕方がない。

私は、件の手記は未読だが、上のブログ引用されている部分だけを読んでも腹が立った。

しかし、なにより不安に思っていたことは、若山先生実験にはコントロール実験と呼ばれる対比のための実験が行なわれていなかったことだった。」

勘弁してほしい。それを不安に思うのならば、自分博論とか実験ノートとか、見ていて不安にならなかったのだろうか。私の記憶では、STAP論文にとどめを刺したのは、博論から画像コピペだったはずである。そして、その博論も中身がめちゃくちゃだったということで、さらに騒ぎが大きくなった。その不正に関しては誰に責任があるかは明白である。未読ではあるが手記ではスルーされているのだろう。

それからコントロール実験が行われていない件については、そもそも発端となったOct4-GFPマウス細胞を使った最初実験でも、野生型マウスコントロールはとっていない。この実験主体的に行ったのは小保方氏ではなかったのか。この実験にすら責任が無いならば、むしろ件の論文の中で一体どんなコントリビューションがあったのだという話でもある。

ただ、もちろんすべてを小保方氏の責任にして周りが逃げるのは許されないことだ。論文の中身だけの問題に関して言えば、責任はコレスポが負うべきである。その意味ではもちろん笹井先生、若山先生事実を明らかにする責任がある。ただ、アーティクルとレターの両方でコレスポだった小保方氏の責任が一番重い(彼女がコレスポになるにあたっていろいろな政治的判断はあっただろうけど)。それから、今再燃している議論の中で、アーティクルの方のラストレスポは存在を忘れられすぎではないだろうか。

2015-12-01

研究室の選び方(CS系編)

対象

コンピュータサイエンス研究室配属を控えた人 or 他大院進学を検討してる人で、ちゃんと研究をしたい人

研究

研究費はかなり重要です。

予算が足りなかったことで、やりたかった研究がやれなかったという話ならまだかわいい方です。

予算不足が原因で、学会に行く費用や、研究必要参考書を購入する費用の大半を自己負担しなければならない研究室もあります

したがって、国から研究費をコンスタント調達できている研究室に入るべきでしょう。

研究費は分野や予算元や期間(大体は3年か5年)によってまちまちで、100万程度のものから億の単位が動くものまであります

予算元は様々ですが、科研費というもの国内では一番メジャーで手軽とされています

科研費情報は全て https://kaken.nii.ac.jp/ で公開されていますので、教員名前検索しましょう。

また、億の単位で動く大型予算存在も覚えておきましょう。国内だと科学技術振興機構(JST)のものが一番有力でしょうか。

JSTプロジェクトプロジェクト代表者(や主要な共同研究者)は公開情報となっておりますので、志望教員名前でぐぐった時にひっかかると思います

企業との共同研究では、あまり予算の額が大きくなかったり(下手すると10ちょっととか)する上に、情報が公開されていない場合が多いのであてになりません。

研究室スタッフ

助教研究員ドクターの誰もいない研究室は控えた方が無難でしょう。

教員は授業や会議などで忙しいため、実際に研究室を動かすのは助教研究員ドクターだったりします。

そういう人がいない研究室ではM2が下級生の面倒を見たりしますが、修士の時点で下級生の面倒を見きれるほどの実力者は相当少ないです。

周囲に頼らずに研究を進めるというやり方もあるにはあるのですが、学部生、修士の段階ではかなり危険です。

確かに成長はするでしょうが、成長する前に(あるいは成長の途中で)大きなミスを犯していて、

それに気付くくらいに成長した時にはかなり手遅れで卒論(修論)が大変なことになったという話を時々耳にします。

(ドクターでもよくある話ですが、さすがにドクターでは自己責任でしょう)

しかし、彼らがいれば安心かというとそうとは言い切れないところがあることには留意しましょう。

特にドクターについては注意が必要です。やる気をなくしてしまった人はもちろん、社会人Dや博論を書くためだけに在籍していて実際は他の研究機関研究している人、というように、

ほとんど研究室に来ないドクターというのは結構ます

秘書(事務員)が研究室いるかどうかもポイントです。特に国公立大学ありがちな面倒な書類作業をある程度任せられるので、研究に集中することができます

秘書研究費で雇うことが多いので、秘書がいるということはそれなりに大きな研究費を獲得していると考えて良いでしょう。

研究室空気

多くの場合、その研究室を出願するとき教員と直接面談をすることになると思います

ただし、研究室空気を作るのは学生です。教員面談をする時に学生居室やミーティングなどを見学したいと教員側に要求してみましょう。

日中ならば、最低でも1人は学生がいる(いない場合は考えなおした方が良いでしょう)はずですので、会話してみると良いと思います

ミーティング雰囲気重要です。学生自主的発言する雰囲気のある研究室を選ぶべきでしょう。

また、「レッドブルモンスターが大量に捨てられている研究室ブラック」という説は、コンピュータサイエンスに限って言えば成立しにくいと思います

エナジードリンクを愛飲する人、というのがコンピュータサイエンスにはそれなりにいるので。

業績

業績(論文)リスト研究室のページや教員個人のページに載せてることはよくありますが、この記事対象としている学生が読んでも「海外発表が多いな」「この時賞を取ったのか」程度の情報しか得られないと思います

国内(電子情報通信学会情報処理学会など)で発表された論文は、ほとんど価値がないとみなされる傾向にあるので、この記事では国際的ものに絞ってお話します。

コンピュータサイエンスの業績は大きく分けて、ジャーナルプロシーディングス、ポスターの3つに分類されます

(一部を除いて)ポスターほとんど価値がないとみなされていますので、ここでは更にジャーナルプロシーディングスに焦点をあてます

ジャーナルプロシーディングスは、出すジャーナル名はカンファレンス名で掲載されるまでの難易度が大きく変わります。もちろん難易度が高ければ高いほど凄いとされています

研究室選びという観点でだけでならば、次の2つの観点を持っておけば問題無いでしょう。

では、ジャーナルプロシーディングスはどっちの方が偉いかというと、簡単には優劣が付きません。

他の分野ではジャーナルが第一なのですが、コンピュータサイエンス特有(?)の大きな特徴として「そこらのジャーナルよりも、トップレベルプロシーディングスの方が上」ということが挙げられます

ですので、ジャーナルが多いからこの先生は凄いとか、ジャーナルが少ないからこの先生ヤバイ、と考えるのはコンピュータサイエンスに限っては違うと考えましょう。

また一部の教員には、COREランクに載ってないような学会での発表は業績リストに入れない、という人がいます

このように主要な業績のみからなる業績リストをSelective Publicationといいます

Selective Publicationのみを公開してる人と、単純に学会論文を出してない人は区別する必要があります

最後

色々挙げてきましたが、「結局どれを優先して見るべきか」というのは難しいところがあります

しかし間違いなく言えることがあって、業績を全く挙げてない人が大型予算を確保できることはありえませんし、優秀な教員の下には優秀なスタッフがついてくるものです。

まり、これらの要素はお互いに作用しあっているので、今まで挙げたうちの1つでも「あ、この研究室凄そうだ」というのがあれば、少なくとも地雷を踏むことはないと思います

せっかく個人としての能力は優秀なのに、研究室選びで失敗してしまい、折れてしまった人を今まで何人か見てきました。この記事でそういう人が1人でも減ってくれることを祈ってます

2015-11-06

博論が書けない

書いて,読み直して,捨てた。私の論文はこの世に何の貢献もできていない。

この歳まで何して生きてきたのだろうと考え,後悔しているうちにまた1日が終わった。

あれだけ好きだった漫画アニメも,輝かしい青春時代は過ぎ去ったという現実を突きつけているように感じられ,もはや苦痛しかない。

年度終了も物理的に無理だ。どうすればいいのだろう

2014-12-17

なぜSTAP細胞問題は悪い方向に向かったのか

私は生命系ではないが一研究者の卵として学問に携わっており、一連のSTAP細胞問題がなぜ起きてしてまったのかずっと疑問に思っていたが、ようやく私の中で結論が出た。

アカデミックは金儲けには向かないため、ごく一部の例外を除き、真剣学問への貢献を考えている人間ばかりが寄り集まった社会だ。そのため、STAP細胞のような社会問題になる事件は起きにくい。たしかに、シェーン事件など今回と類似した事件過去にもあるが、STAP問題と比べ幕引きはずっと早く、結果的にもシェーン氏個人の罪だと結論付けられた。一方、STAP問題では幕引きも遅く、論文以外にも多くの問題が噴出している。例えば、検証実験理研対応、笹井氏の自殺バカンティ氏など指導教官問題早稲田博論特定法人化など、挙げればキリがない。陰謀論結論付ける意見も多い。しかし、今回の一件で総じて得をした人間などいないのが実情だろう。また、当時の下村文部科学大臣がSTAP問題について言及したため政府の関与を疑う声もある。たしか理研産総研特定法人化が先送りされるなど実害はあっただろうが、だからといって政府関係者責任を取らされるわけではないので、政府はSTAP問題に干渉する必要性がない。

では、何がSTAP問題を悪い方向に向かわせたのか。この疑問は、[1]の記事きっかけに氷解した。補完したい部分はあるが、その前に重要な部分を引用しよう。

「現段階で小保方さんの処分を決定すれば懲戒解雇は避けられない。そうすると処分を不服として訴訟を起こされたり、理研内部の問題を外部に漏らされる可能性がある。(中略)その点、3月まで雇用を引き延ばせば、懲戒解雇ではなく来期の契約更新しない形で穏便に小保方さんを切れる」

しかにこのような説が正しければ、理研STAP細胞に関する問題3月まで先延ばししている理由は説明できる。理研時間を稼ぐ中でメディアへの露出が多かった笹井氏は社会的に追い込まれ、結果として自殺してしまったのも納得がいく。理研STAP細胞特許を取り消さなかったのも、小保方氏側が裁判の種にするのを理研が嫌ったのだろう。

さて、裁判になれば忙しい研究者時間さらに取られることになるため、避けたいのは分かる。しかし、現在問題裁判になっても小保方氏を懲戒解雇すべきだと考えるのは私だけではないだろう。もっと大きい問題は、理研内部の問題を外部に漏らされる可能性にある。というのも、これには研究者特有事情が絡んでいるのだ。研究者は、管理職になると研究室雇用予算獲得などをしなければならない。これはある意味中小企業社長のようなものだ。そしてその過程の中で、小保方氏に限らず多くの研究者は、権力と金にまみれた泥臭い世界を渡らなければならない。予算基本的に使い道や期間がかなり制限されており、うまく考えて使う必要がある。そのような制度上の問題から、素晴らしい研究においても、グレーゾーン違反した行為をせざるを得ないことはままあるのだ。例えば、購入したものを前の年度で購入したことにする、などである。一方で、管理職になると問題指導してくれるような「先生はいなくなる。研究者個人の独立性が高いと評判のCDBではなおさらだうから、小保方氏の予算管理問題があっても指導できる立場の人がいなかっただろう。(外部に公開する論文問題すら精査できなかったのに、予算問題など他の研究者が精査できたはずがない)このような状況では、あの小保方氏だから予算管理問題を抱えていてもなんらおかしくはない。

また、CDB特有制度によって小保方氏は若さにもかかわらず小規模な研究室を持っていた。理研の会見でも指摘されているように、アカデミックにおいて小保方氏は完全に責任を追うような年齢ではない。小保方氏が予算の流れを暴露すれば、理研自体にも問題点が指摘され、さら裁判となれば理研側も責任を取らされることも考えられる。このようなことから理研は穏便にすませるという方向の解決を図ったのだろう。研究者からすれば、とにかく手間を取られずに問題をすませたいという考えしかないのだ。時間を稼ごうとした結果、結果的に笹井氏は自殺し、CDBは崩壊するという最悪の結末になってしまったが、現在理研が未だに検証実験を続けているのは、記事のように小保方氏との雇用契約シナリオで進んでいるとしか考えられないのだ。

笹井氏はCDBについて「若手が実力を発揮できる研究所を作りたかった」と語っている。実際、日本研究機関年功序列が基本だから、どれだけ実力があっても研究室を手にいれるまでにはとても時間がかかるという問題がある。CDBでは、小保方氏のような比較若い研究者自分研究室を持てていたように、この目的は達成されていたと言えるだろう。しかし、日本では年功序列が当たり前であるため、上司(の立場人間)が小保方氏の責任をとる必要が出てしまった。結果的にこれが笹井氏を自殺まで追い込んでしまったのだ。また、日本においては予算について制度上の制約が多いにもかかわらず、資金運用方法研究者裁量に任されている。

日本アカデミックは、欧米から輸入してきた制度日本式制度が交わった社会である研究では特に、体力と発想力のある若手が実力通りに評価されなければ立ち行かなくなるが、年功序列予算管理の壁は厚く、今回の問題大惨事になってしまった。この問題論文切り貼りだけでなく、日本アカデミックに横たわる深い問題が表面化したに過ぎないのだ。

[1] http://www.news-postseven.com/archives/20141216_292561.html

2014-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20141210180154

修論なんざ既往研究があろうと、それ何が違うのかを強引にでもそれっぽく説明出来りゃ十分でしょ

博論だと話にならんけど

2014-03-19

英語論文日本語論文剽窃もある。ぜったい。

「オボる」=「剽窃する」と定着しそうな勢いの昨今ですが,

英語論文英語論文への剽窃コピペ)はかなり発覚しやすものです。

特に隠す意図がない場合は,いま多くの人が暴かれているように簡単にわかます

自分日本語博論を書いているからOK」と思っている博士号取得者もいるはずですが,

他者英語論文の序論を丸ごと日本語訳して序論としている博論はぜったいにあります

正直なところ,その論文引用していれば,「剽窃かどうか」はけっこう微妙な問題となると思いますが,

悪質な場合(悪意を持って行った場合)は,剽窃元の論文引用されていないでしょう。

私自身,研究者のはしくれなので,論文を書く際にレビュー論文(まとめ記事の様に,これまでの研究の流れをまとめた論文)を大いに参考にします。

だいたいは,「Aはこういう結果で,Bはこういう結果である。したがって,○○は〜である(詳しくはレビューとしてXXを参照)。」と書きます

A,Bについても大抵はレビュー論文(XX)に書いてあります

面倒ですが,レビュー論文にも間違いがあるので,自分でもA,Bに一応目を通します。

結果的には,XXと似た様なニュアンス記述することになってしまますが…。

しかし,上記の書き方であれば,剽窃には当たらないと思います。まぁ,「XXをコピペして改変した」ように見えるんですけどね。

このように,剽窃する意図がない場合レビュー論文と文章が似てしまうのは許容しつつも,レビュー論文を”ふつうは”引用します。

一方で,意図的剽窃した(英語論文をまるまる日本語訳した)人がいるとすれば,元の論文引用することはないでしょう。ばれたら困るから

日本語論文英語論文剽窃=元論文引用しないにもかからず,内容が酷似している」と言えます

ただ残念なことに,この種類の剽窃行為ってほとんどわからないんですよね。

博論を書ける人は英語が読める人なので,そのまま日本語訳されるとよっぽどのことがない限りはバレようがないです。

世の中には,博論要件査読論文数本)を満たせずに,なくなく学籍を残す人や,

苦労して,査読論文を書き,ちゃんと博論を書いて,博士号を取った人もいるのにかかわらず,

剽窃をして博士号を取得している人がいると思うと非常に悲しく,腹立たしいです。

ばれるばれないに関わらず,恥を知ってほしい。できれば,学位を返上してほしいですね。

不適切博論博士号を取ってアカデミックポストについてる人がいるのはありえない状況だと思います

2014-03-17

小保方問題雑感

現場教育方法に問題?

一理ある。何故コピペD論が有り得るのか甚だ疑問。修論博論は何度もボス教授なりメンター(助教とか)に修正されまくって、最初自分で書いた原型は留めない、というのはある意味研究者に共通のネタでもある。程度の違いはあるにせよ。

コピペ多用とデータ使い回しは全く別問題

仮に論文本体内でのコピペや嘘っぱちリファレンスリストを許容したとする。しかデータの使い回しは有り得ない。例えばPCR画像使い回しなんて完全に黒。余談だが、修論提出締切に間に合わなくて先輩のリファレンスリストコピペして審査員に提出する"裏技"というのは聞いたことがある。しかし当然減点対象になりうるし正本では直すのが普通

データ取り違え?

三年前のデータと?そんなん有り得るか。理論科学と違って実験の面倒なことは再現性をとるためとか綺麗なデータをとるために何度も同じ実験を繰り返さなきゃいけないこと。投稿論文への掲載に値するデータを取るのにいくつもパイロット実験があったりする。で、そうゆう膨大な下積みデータってフォルダファイル名に日付を入れて管理する。細かな作法は人それぞれだけど、日付の他に、実験名前とか、株の名前対象遺伝子タンパク名前データ管理に使う情報。どうやって数年前のデータと取り違えるのか理解し難い。

http://anond.hatelabo.jp/20140317015734

実験は大得意だけどそれをまとめるのは好きじゃないっていう人、実際に結構いる

わからんでもないが。実験詰め込み過ぎてノート書くの一週間放置とかデータ整理二週間さぼるとか。でも最低限どの条件で実験したとかはメモ書きしておく(そうじゃなきゃ後で困るのは自分)。しかしそれ以前に、自分データしかもうまくいったデータって覚えてないもんか?というのが本質的に疑問。まして顕微鏡写真なんか、DNAの泳動写真に比べたら憶えやすいのは。視野内の細胞の配置とかで。顕微鏡に関しては確かに膨大な数の写真を撮るけれど、「これ!」というデータはそのあと研究室内での発表とか学会発表で繰り返し見ることになるから自分どころか教授が憶えてたりするぐらい。

作為的じゃなかったらそれこそ狂気

コピペや泳動写真の切り貼りがいけないことだとは知らなかった、は理研ユニットリーダーとしては有り得ない発言だと思うが、これまでの研究教育環境が悪かったことも否めなくはない。しかし既に書いた通り一つのデータを「異なる実験」と言って使い回すのは単なる嘘偽り。研究教育以前の人としての問題。二月中旬だか下旬頃に「いま必至に追試・再現性の確認を行っている」と発表されていた気がするが、そもそもきちんと実験されていないもの存在しないかもしれない現象に再現性もくそもあるかい。いったい真実は何なんだ、おぼちゃんよ。

2014-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20140316102741

もともと公開されてる論文なんだから勝手に調べてみれば?私は大丈夫から」で終わる話だろ

そうやって博論を出そうとしているのに、今回の件で博論すべてが疑われる感じがものすごく悔しい、腹が立つ。

2014-03-15

コピペ論文

私は早稲田法学系の出身だ。

まあ当たり前だが、論文コピペなんて許されるわけがなく、修論孫引き引用引用)をしただけでも教員に叱られた。

しかし当時を思い返してみれば、理系学生の話を聞いていたら、論文だとか研究だとかの感覚が、自分身の回りと違っていたな。早稲田理系っていうと、理工か教育か、あと人科とスポ科だったけどね。よく覚えてないけど、理工か教育学生がしていた話だったと思う。

そもそも、いわゆる理系文系では、研究論文のやりかたが根本的に違う気がする。法律学論文では、自分で書くのは当たり前で、コピペなんてしたらぶん殴られるかもしれないな。卒論レポートだとばれない可能性があるし、レポートときだと基本書からコピペする奴はいるだろうけど。

いわゆるコピペは、倫理違反だし、多くは著作権侵害だ。引用はしてよいし、論文なら引用を基礎にして成り立つものだといって過言ではない。だが、引用元を明示して、区別して記載しないといけない。

まして博論は、修論に比べても、独自性が高くないといけない。そうでないと学位が出ない。私の感覚からすると、博論コピペというのは信じがたい。

2014-03-14

http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304730304579438263049340856.html

この件、確かに今ネットで出回ってる小保方の博論がどこソースなのか気になる。

正本は早稲田図書館でPublicになってるんだろうけど。

2014-03-12

朝起きたらSTAP細胞の人の博論剽窃とかなっててなにがなんや

どうすんの早稲田、これ博士号取り上げたほうがいいレベルだよ……

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