「三浦氏」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 三浦氏とは

2021-07-04

anond:20210704113859

元増田スレッドにも湧いている通り、未だに三浦氏を黒認定している奴がいる

渡辺氏のファンはこぞって「既に謝罪した」「もう終わった話」と言うが、被害者が未だに風評被害に遭っているのに何が「終わった」のか?

こびりついた誤解を積極的に解いて回る動きを見せるならまだしも、その素振りすら見せずに済んだことだのしつこいだの眉をひそめるばかり

そんなんじゃ別のファンに蒸し返されようと文句は言えまいよ。いったいどっちが渡辺氏の足を引っ張っているのか分からん

2021-05-23

anond:20210523013710

なにがしの結末を握ってる人間三浦氏以外にいるようだ。

そのうち粗筋で語られることもあるだろうから元増田は待っててくれよ。

2021-03-27

anond:20210323110939

横かつ大元増田消えちゃってるんだけど、そもそも「見た目の雰囲気で選んでる」って事実はあるの? 単なる邪推じゃないの? Amazon意志決定内部告発で判明した、とかなければAmazon名誉三浦氏名誉毀損してね?

2021-03-22

anond:20210321142720

でもさあ、この辺りのsaebou氏のツイート(2020.8.18)を見ると、性別容姿ネタにした第三者への揶揄はかなりどっちもどっちかなと思うんだよね。

https://megalodon.jp/2021-0322-2145-24/https://twitter.com:443/cristoforou/status/1295674472129630208

アマゾンプライムCM差別扇動にかかわる論点を別として私ひどく不愉快なとこがあった。

あれ、本業はともかく三浦瑠麗芸術について何の知識もないのは明らかで、それなのにアマゾンCMに出したってことは、アマゾン学者の頭の中身に何の興味もないってことでしょ。

まではいいが、それに続く

アマゾン研究内容とか見識じゃなく見た目の雰囲気だけで学者を選んでるってことだと思うから、もしこれからアマゾンプライムから何か調査協力依頼とか来たら学者はみんな断っていいと思うよ。

三浦氏に限っては、「研究内容とか見識じゃなく見た目の雰囲気だけで学者を選んでるってことだと思う」のね。なるほど。

普通は、実力でないとしても、それ以外にさまざまな要因が考えうる中で、

なぜ三浦氏に限っては、「見た目や雰囲気で選ばれた」と考えるのだろう?美人黒髪ロングは、親父殺しなのは明らかであると?

これって、呉座氏が川上未映子氏へ向けた、

自分若い頃さんざんミニスカートを売り物にして、(略)

芥川賞でしばしば見られる「話題作りのために異業種の人に授賞しました」の典型ですからね。(略)

という、川上氏が実力でなくルックスで賞を取ったんだろうというツイート(2020.12.5)と、何も変わらんよね。

三浦氏(の黒髪ロング)も、川上氏(のミニスカート)も、本人の自由だ。そこに差はない。

「実力がない」と見た人物に対し、根拠なく「どうせルックスだろう」に飛躍するのは、全く同じ思考回路じゃない?

川上氏は呉座氏のツイートについてはっきりと性差別であると言い切っている。

そうすると、saebou氏のツイートは何に当たるんだろうか?

2019-10-18

表現行為をやめろというのは批判範疇を逸脱しているのか?

赤十字宇崎ちゃん案件と、三浦義隆氏のツイートを見てモヤモヤしてる。

三浦氏のツイートは以下。

https://twitter.com/lawkus/status/1184609284975284224

ystk@lawkus

こんなツイートが何千RTもされてるの本当にどうかしてる。被災して苦しんでてもタワマン民なら嘲笑していいという風潮よくない。あとエレベーターはともかく火災リスクはタワマンしろ低いでしょ。一室で火が出ても延焼しにくい造りになってるはず。

こんなツイートとはこれのこと

https://twitter.com/rikorikosanyade/status/1184247071957585920

りこりこさん(離婚離婚さん)@rikorikosanyade

武蔵小杉のタワマンの件を見てると、私が子供の頃母親がタワマン広告だかを見て「バカと煙は高い所に行くって覚えておきなさい。停電してエレベーターが止まったらどうなると思う?火事が起きたらどうやって逃げるの?アンタはそういう所まで想像できる大人になりなさい」って言ったの思い出す。

https://twitter.com/lawkus/status/1184612137462718464 以下、本題の関連ツイート

ところで俺は要するにタワマン被災者を嘲笑する言動をすべきでない、やめろと言ってるわけだが、これは表現の自由侵害なのかな?んなわけないよね?

このように、「批判はよいけど表現をやめろと主張するのは表現の自由侵害」というたまに見かける主張は明らかに無理筋なんですよ。

国家権力による表現規制は原則的にすべきでない」

国家権力によるものでなくても言論暴力で対抗することは表現の自由に対する脅威であり許されない」

批判OK

以上は概ね合意が取れるはずなので、問題批判暴力境界線付近行為なんすよ。集団的電凸とかね。

それを「表現行為をやめろというのは批判範疇を逸脱している」とか、明らかに一般的妥当性のない雑な議論ちゃう人がいるのは嘆かわしいことだと思う。

ところで俺の用いた「一般的妥当性」という言葉は、日常語的用法だと「世間一般妥当と認められる」みたいな意味に誤解されそうなので補足。ここにいう一般的妥当性は、要するに「あなたが言ってる主張は、他の事例に押し広げても本当に当てはまる?というテストに耐え得る性質」のことですよ。



一方で、自由主義者増田氏の800ブクマ以上ついたエントリ(https://anond.hatelabo.jp/20191016163058)での記述で言えば、「タワマン被災者を嘲笑する言動」は消極的自由なので、個人責任に置いてなんら妨げられるものではなく、三浦氏に「タワマン被災者を嘲笑する言動をするな」という資格は無いという事になるの?

法律にも自由主義にも詳しくないからよくわからんのだが、個人的には三浦氏のいうことのほうに筋が通ってると思う。三浦氏は弁護士であるだけで、公権力は持っていないので。少なくとも自由主義者増田エントリを見ていて、自由主義原則世界が丸く回るようにはとても思えない。明確な原理原則に従って物事判断して行動するというのは個人的に苦手な事であり、またあこがれるところでもあるので、そういう意味自由主義者増田尊敬もするのだが。

発端の太田弁護士がやったことは、以下三つ。(ざっとリプを除く表示で該当ツイートまでさかのぼってみたけども、見つかったのは上2つ。RTは大量にあったが)

  1. 赤十字の宇崎ちゃんポスターについてセクハラしてるようなもんだと発言
  2. 日本赤十字社のお問い合わせ に意見を送りましたと発言
  3. (公共的な団体掲示する内容ではないですね。内部で異議や懸念を述べる人が誰もいなかったのだろうかという人に対して)類似の事例で批判を受けて撤回するような騒動は近年いくつもあったのに、どうして学ばないのでしょうね、と発言

3つ目からして宇崎ちゃんポスター撤回させたい(表現行為をやめさせたい)という意思はあるように見える。アカウントをみるとフォロワ数は3万弱。多いけどめちゃくちゃ多いという程でもない。赤十字電話して長時間文句つけたり、それをフォロワに促すような発言もしていなさそう。赤十字という準公共機関(正確な表現じゃないかもだけど)が、公共の場に張るポスターがセクシズムだ、やめてくれと意見を送る行為問題があるとは、俺には思えない。批判範疇だとおもうから

自由主義者増田も、https://anond.hatelabo.jp/20191017201230 で、以下のように書いている

場合によっては、比較衡量のうえで、大きな積極的自由を獲得するためにささやか消極的自由犠牲にすることもありえるだろう

場合によっては、比較衡量」にあたるかという議論をしているだけじゃないの?議論余地もないほど、積極的自由が小さいのが自明なのかな?TPOが本件語る上で論外だと考えてるみたいだけど、理由がよくわからないので解説してほしい。

あと、一部ブクマカが太田氏をサンドバッグ扱いしてるのも解せない。

2018-02-18

三浦瑠麗が突然「迫撃砲記事を持ち出してきた理由

サイゾーネットメディアLITERAが、三浦瑠麗の「阪神大震災工作員迫撃砲が見つかった」発言について、『噂の真相』つながりなのか、元神戸新聞記者西岡研介松本創に話を聞いて記事にしている(LITERAは『噂の真相スタッフが立ち上げたWeb媒体)。

 

三浦瑠麗の再反論“大震災時に北朝鮮工作員迫撃砲発見”に阪神大震災取材した記者たちが「聞いたことない」|LITERAリテラ

http://lite-ra.com/2018/02/post-3808.html

 

記事では、三浦は何故、阪神大震災迫撃砲発見の「根拠」を最初から出さずに、炎上後しばらく経過した後で突然に持ち出してきたのか、という疑問を投げかけている。

 いや、実は三浦氏はこの読売新聞記事存在を知っていたかどうかすら疑わしい。三浦氏がこの〈大震災時の迫撃砲発見などの事後的な未遂案件〉を根拠とするのなら、なぜ最初反論の際にこれを出さず、実話誌レベルの「デイリースター」とネッシースクープの「デイリーメール」を根拠提示するという恥ずかしい行動に出たのか、意味がわからいからだ。

 

 反論を出したところさらなる反論が返ってきたがために、あわてて新聞データベースで「北朝鮮 スリーパー 工作員」などと検索をかけたところ、読売記事けが見つかったので、もち出した……あまり杜撰発言反論を見てきた側としては、そんな想像さえしてしまう。

 

記事では、返ってきた反論に慌ててネットで調べて提示たからだと推測しているが、三浦がこのタイミングで持ち出した理由はほぼ明らかで、それは前日にWebメディアアゴラにてアゴラ編集長新田哲史が、2007年読売記事引用し、三浦ワイド発言肯定する記事を発表していたかである

 

スリーパーセル読売10年前に阪神被災地から武器発見報道アゴラ

http://agora-web.jp/archives/2031078.html

 

この記事を読んだ三浦は、こんな記事過去に出ていたんだ・やっぱりスリーパーセルテロ危険ははっきりしている、と思い、さっそくツイートしたのだろう。

2018-02-16

anond:20180215032409

学術的な著作が一本(博士論文)あって、形式的には論文3本あるので、非常勤(常勤?)講師になるには不足とは言えない。ただ留学もしてないし、研究者としての王道には乗ってないのかな。

受賞は論壇系のものばかり。博士論文が「特別優秀賞」とあるのが唯一学術受賞っぽいけど、この年の博士号取得者17人中15人が受賞してる。

http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400064210.pdf

この資料だと、優秀な博論修論学会誌採録されるとのことだが、そのリスト三浦氏名前はない。(20頁以降参照)

私見だが「優秀な若手研究者」というより「博士号を持ってる保守論客」くらいの立ち位置では。

anond:20180215032409

[追記2]

国内論文3つについてブコメで指摘があったので確認した。自分研究発表メインの論文は1本もなくて全部レビューなのか?

著書「シビリアンの戦争」は博論出版したものって理解でよいか文系博論は分厚くて書くのが大変とは聞く。でもグローバルな表題なのに世界では通用しない研究(少なくとも英語でないので読んでもらえない)って考えると悲しい。

そのブコメを書いた者です。

おっしゃるとおり、論文業績として挙げられている3点は全部レビューです。

著書は博論https://ci.nii.ac.jp/naid/500000550395)です。

ちなみに指導教授藤原帰一氏は、東大法学部で長年国際政治学を教えていた坂本義和氏の弟子ではありますが専攻は比較政治学で、国際政治の講座を継ぐことになった経緯は不明です。

国際政治教科書啓蒙書的な本は書いていますが、国際政治学の分野で世界通用する研究はしていない筈です。

専門が違う人間が有力大学の講座を占めていることで、適切な研究指導がされないまま政治力アカポスに送り込まれしまったのが三浦氏であると言えなくもありません。

マスコミや論壇で利用するために三浦氏アカポスに就けるよう藤原氏サジェスチョンした(藤原氏より上の立場の)誰かがいるのかどうかは不明です。)

2018-02-15

anond:20180214105849

リベラルってヤマベン氏のような人を指すと思うんだけど、三浦氏大学での籍を各方面から圧力かけて奪おうとするような政治丸出しの人がリベラルと呼ばれがちなのは、本当にワケワカラン。全然リベラルと違うのに。

2018-02-14

スリーパーセル

もう1点の保留はスリーパーセル活動の主眼は、テロよりも国連制裁を逃れて核ミサイル開発を推進するための資金獲得や部品調達だろう。つまり日本に潜む北朝鮮スリーパーセル三浦氏が「テロリスト分子」として想定するほど直接的に危険存在でもないだろう。

三浦瑠麗氏の「スリーパーセル発言をめぐって: 極東ブログ

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2018/02/post-af50.html

finalvent爺はスリーパーセル工作員を同じ意味だと思ってるのではないか

スリーパーセル工作員だが工作員スリーパーセルではない

スリーパー (sleeper) とは眠る者。

任務地で長期間普通生活をしながら指令を待つスパイ」(大辞泉

博識なるはてなブックマーカーのみなさんが誰もツッコミ入れてないか不安なっちゃうけど爺は勘違いしてるよね

anond:20180214105403

右左に限らず、政治的な人は利用出来るところだけを問題にして、都合の悪い所は黙っている事が多い。

山口弁護士は、三浦氏意見自体には賛成はしていないが、大学の職を解け!とか発言場所を奪うように運動をしている左系の政治利用ばりばり東大教授批判していて、本当に立派だ。こういう態度はなかなか取れない。

2018-02-13

そもそも三浦瑠麗氏の発言

朝鮮人差別文脈で捉えられているが、本当の主旨は

アメリカ北朝鮮を核攻撃してはいけないということ

これは北朝鮮にとって都合の良い発言

三浦氏自身北朝鮮工作員にあれこれ吹き込まれ

そのような考えに誘導された可能性がある

三浦瑠麗氏はユナイテッド航空93便テロ事件を知らない?

三浦瑠麗氏の炎上についてなのだが以下の記事に対する氏の反論ツッコミどころがあったので書く。

http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/12/ruri-miura_a_23359021/

以下リンクバズフィードより引用

一般的に、テロリスト都市部にこそ潜伏しやすものです。また、アメリカ9.11テロのように第2の都市攻撃対象として狙う可能性があります。いきなり首都への攻撃だと全面戦争を招きかねないからです。つまり、そうした条件を考え合わせると、日本では大阪危険ということになるわけです。

しか大阪1980年代に、北朝鮮工作員による拉致事件が起きたことがあります。こうしたことから東京けが狙われていると安心しきってはいけない、むしろ大阪のような大都市こそが危ないということを伝えようとした発言でした。番組MCの皆さんも大阪に縁のある人ですしね。仮にこのレベル発言が難しいのであれば、この国で安全保障について議論をするのは正直、不可能です。

また、在日コリアンに対する差別偏見助長するというTwitterの反応についても、私は番組中、在日コリアンテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います

いずれにしろ発言趣旨は、アメリカNPR(核態勢の見直し)を公表し、小型化した核兵器の先制使用を辞さない方向にかじを切ったけども、スリーパーセル危険性があるので北朝鮮に先制使用してはならない、ということです。それなのに、こうした反応になるのは、番組をよく見ていなかったか、よほど、うがった見方をしたのか。理解できません。』

以上引用終わり。

明らかに三浦氏在日朝鮮韓国人が多いか大阪は気をつけろという意図発言していたのだろう、首都ではなく第二の都市が危ないから注意を喚起したなどと言っているがユナイテッド航空93便テロ事件首都ワシントンを狙ったものだった。

国際政治評論家がそれを知らないはずはなかろう、見苦しい言い訳だ。

三浦瑠麗氏に対するバッシングをする人は今すぐ古川勝久氏の活動を調べたほうがいい

国連において、北朝鮮に対する調査に関するが著書も出ている。

三浦氏の言うように今この議論が出来ないことこそ、災害有事の際にクライムヘイトが起こる

クライムヘイト無知からまれものである

2017-08-27

その脱力は本物か

脱力系、自然派、そういう人がネットで活発に発信をしていることに違和感がある。もう語り尽くされてるかもしれないが。

例えば三浦氏https://note.mu/miuranozomu

他にもこういった人はごまんといるのだが、今回は申し訳ないが例として上げさせてもらう。

先に言っておくが彼の文章から垣間見える雰囲気や人柄は非常に好感がもてる。

ありのままでいよう、がんばりすぎるのはやめよう。こういったスタンスは魅力的だし、自分もそうあれたらいいなとも思う。別に一般化するつもりもないと彼は言っていた。

ただこういった「脱力」を主体的に、積極的に発信することは自己矛盾を伴うのではないのかというのが私の意見である。本当に脱力している人は、本当に承認に対して無関心な人は、本当に一般化するつもりがない人は、ネットで発信などしないのではないか

その発信のモチベーションはなんなのか。日々かっこつけながら、見栄を張りながら生きている人に対する見下しだとしたら、嫌だなと思った次第である。むしろ虚勢を張り、賢いふりをして必死に生きている方がよほど人間らしく自然なのではないのか。

きっと彼はそんなつもりはない。しかしどうしてもモヤモヤした気持ちがついて回ってしまうのである。その脱力は本物なのかと。

これもきっと私の彼に対する羨望と嫉妬の結果なのだろう。嫌な人間になってしまった。

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍の教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線を張っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学理系に進みました。教科書を読んだのは興味本位にすぎません。

はじめに書いたとおり、最新版教科書を持ってません。今回はてブでバズっていてびっくりしましたが、筆者は歴史学の専門家でも何でもないことをお断りしておきます

追記id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝です。)

  

  

  

追記

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかたことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍『日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-05-29

弁護士三浦義隆氏の出自について

痴漢関連のエントリ書いて懐疑的なリプが来たら怒って「ネトウヨ」とか言い出したり

個人的印象ではちょいキナ臭い人だなーって感じ


けれどもそんなんどうでもいい

実は彼は一目見たときから少し気になる存在なのだ

っていうのもね!

この名字名前この方は三浦氏嫡流に近い後裔なのではないだろうか?


この方ぐらいの若さで義隆はちょっと古めかしい名前だし

通字である義のチョイスと合わせて偶然でない意図を感じてしま

桓武平氏良文流マニアとしてはこのフルネームだけで脳裏に少し引っ掛かってたんだけど

今日このエントリhttp://anond.hatelabo.jp/20170528232611と合わせて

三浦弁護士のお住まい流山市http://miurayoshitaka.hatenablog.com/だと気付いて

あ、いよいよ坂東平氏っぽいなと


全然関係なかったらすみません

2015-11-08

朝生を見て

少子化回の朝生感想

1.結局この番組は個々人の意見の是非云々より、何故それを今話に出すのだ、どういう話の流れにしたいんだ?という事の方が目に付いてしまう。たとえば、三浦氏は「何故そういう現象が起きるのか」というのをちょっと引いた視点から説明するという意味バックグラウンドがしっかりしていると思うし(アカデミアだから当然だろうが)、逆に自民民主政治家は主張を繰り返して非難合戦しているばかりだし、荻原って人はむやみやたらにどれだけ重要意味があるのか分からない話を広げて闇雲にしゃべっている印象を感じるし、駒崎氏は自分活動に関してプロフェッショナルだという自負があるからか専門外のことには進んで発言機会を適切な人に譲る。古市氏はまた三浦氏と違ってアカデミアではかなり発言ライト寄な気がする。というかバックグラウンドが余り見えてこないタイプ発言をする。総じて感じたのは、人の言っていることをちゃんと理解しようとしている人は発言自体も筋が通っているし(今日で言えば学者系、実務系)、そうではない人は自分自身意見も訳が分からない(政治家系、"文化人"系)、ということかもしれない。

2.

正規vs非正規かという議論は、そもそも何故非正規に付く人が増えたのか、というところの検証を広くしないと意味が無いのにそこを避けてばかり。企業としては正規にしても非正規にしても、利益がある方を選ぶだけの話で、じゃあ企業にとって正規という投資をする人材労働市場にいないのか、もしくはそういう人材のリターンが技術市場の変化で減ってきたのか、など色々外的要因があるのにもかかわらず企業倫理問題ばかりにしている。

ちなみに1と関連するが、ここでも三浦氏ユニクロローソンの話で業種によって外的要因が異なるという話をしていて(ロジック的に正しかったのかよく分からないことは留保しつつも)重要ポイントだと思ったが、執拗ローソンの話をする荻原氏は若干滑稽に映った。また介護士の話の時にも、介護士の賃金をどうやって上げるか、税金をどれだけ突っ込むか、財源はどうするかと言った話に場は終始していたが、三浦氏は現状の競争が抑えられたスキームのせいで労働市場がゆがんでおりそのせいで賃金を上がっていないのかもしれないので、もう一回規制緩和などで業界ルールを設定しなおして自然賃金が上がるようにしていくことを検討すべきだ、という傾聴に値する、少しメタ的な話をしてたが、荻原氏は規制緩和という言葉だけを捉えてか何を言っているの?という態度で、意見の是非の前に全く話が通じていなかったようだ。荻原氏はテレビに良く出る人ではあるらしいが、今回の番組を見る限り個人的には知的能力に疑問を持たざるを得なかったし、そういう人が出演し続ける番組にもあまり良いイメージは持てない。

3

こういう不毛プロレス合戦はもう良いし、田原氏もそうは長くないと思われるので、そろそろ荻上チキ氏が仕切る大型討論番組を見てみたい。

2013-08-22

田都専業主婦は、旦那に「痛勤」させることを希望している!

http://anond.hatelabo.jp/20130822113352

因みに郊外評論家三浦展氏の著書によると、

三浦氏首都圏民に住まいアンケート実施したところ、

首都圏痛勤ナンバーワン路線で、かつ高年収ゾーンでもある田都沿線住民が、

 職住近接に否定的」という皮肉な結果が出ている。

田都住民は、

年収的には、都心タワーマンションを買える経済力があるにもかかわらず、

 『敢えて』痛勤路線である田都沿線を選んでいる」という人種で、

「勤務先が丸の内港区から二子玉川ライズとかに近づくことを、有りがたがらない」人種らしい。

また、三浦展氏は

田都沿線学歴大卒以上の男性比率首都圏一」だが、

女性大卒比率はかなり低い(=短大卒、高卒専業主婦が多い)」として

ジェンダー論者が嫌がる街」と分析している。

(因みに、男女ともに大卒者が多いのは武蔵野市

なので、田都沿線は、

ダンナ丸の内港区などの「ブランドエリア」に勤務していることをステイタスに感じていて、

 勤務先が「二子玉川ライズ」なんかに「都落ち」して欲しくない

ダンナが「痛勤」していることについては、「大変ね」とも思ってない、

 むしろダンナの『家族への自己犠牲』を確認できるモノサシ、象徴」とすら感じている

 都心居住でダンナが楽になってしまうことには「家族への奉仕心を確かめられない」から反対。

という「サディスト専業主婦マゾヒスト旦那」の街になっている。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん