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はてなキーワード: ネガティブとは

2024-11-22

付き合って半年経ったら態度豹変してめちゃくちゃ地獄だったから別れた元彼メンヘラ彼女に捕まって苦しんでる事を後輩伝いに知ったからX覗きに行ったら、服薬通院自傷アピールやら元彼投稿全部に絵文字盛り盛りのリプやらホテル行った日程やセックスの内容をベラベラ披露するやら、そうかと思えばそれらのSNS投稿や束縛を注意されたり指摘されたり冷淡にされた事を恨んで暴言病みポスト連投するような常識終わってる女で、その彼女の行動に比例して明らかにネガティブポスト増えてる事からも分かるぐらい明確にめちゃくちゃ苦しめられてて最高に気持ち良いー

当時相談乗って助けてくれた友達にも見せて、教えてくれた後輩と3人でお前の不幸をネタ爆笑しながらお酒飲んだわ

仕事ストレス言い訳八つ当たりで怒鳴られたり理不尽に行動制限されて反論したら暴言吐かれたりお前の男友達セックスの内容筒抜けだった事知ったあの頃の私の気持ち少しは理解できたかなー???

そのまま鬱病にでもなれば良いのになあ

最近モーニングページとかいう朝起きたら考え事をする活動を初めてみたが

ほぼ人生の後悔と他人への呪詛で埋まるので効果がある気がしない

ネガティブすぎて書いた物を見返す気にならないか文字に起こしている意味がなく、ただ頭の中でグルグルしているのと変わらない気がする

やり方を調べると1時間かかる等と出てくるが、自分は15分で終わるのでやり方がおかしいのだろうか?

効果あると言っている人は何をどうしてるんだろう

2024-11-21

anond:20241121144215

左翼ネガティブな印象を持つってことはそう言うことやろ

20代の8割が反左翼

20代の8割が立憲民主党共産党れいわなどの極左についてネガティブな印象を持つの回答

20代の8割が日本の伝統文化風習を壊し、外国人優遇する左翼などいらないと答えたのだ

20代は8割が女系天皇反対、7割が選択夫婦別姓反対、7割が高齢者社会保障削減賛成、9割が憲法改正賛成、8割が共産党非合法化賛成、4割が治安維持法を含めた思想犯罪の取り締まりに賛成している

若者が真っ当になってきている証拠

2024-11-20

ちょっと落ち着いてきた…よかった…

思考ネガティブさが減った

よかった

2024-11-19

筒井康隆朝のガスパール』を読んだ

先日の土日にて読了

やれやれ、この作品は実にメタ的な作品である

いや、メタ的というより、メタのもの作品主題といったほうが正確だろうか。

読者を小説の中に引き込み文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆80年代に書き上げた、いわば小説のもの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。

あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。

冒頭から読者は「読者」として物語に巻き込まれる。

物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。

そして、そこには作者と読者の境界曖昧になる仕掛けが満載されている。

章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。

その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。

感想としてまず思うのは、当時としては斬新だっただろうな、ということだ。

しか現代の目で見ると、どうだろう。

こういった作品現代で言えば、さほど珍しいものでもないだろう。

要は安価に応えるSSだ。

そう言った意味でいえば『朝のガスパール』はインタラクティブ物語の先駆けとも言えるが、逆に言えば現代ネット文化における安価スレのようなものと大差ないとも言える。

それでも、この作品をただ「古い」と切り捨てられないのは、やはりその「メタ性」の鋭さにある。

筒井康隆文章は、単に「読者参加型」を装うだけではなく、小説のもの存在意義を問う仕掛けになっている。

そして、これが面白いのは、その仕掛けが自分が今何を読んでいるのか」にまで疑問を投げかけてくる点だ。

たとえば、読んでいる途中で「あれ、これ本当に小説なのか?」と思わされる瞬間がある。

それは小説登場人物が読者に話しかけたり、読者が物語の一部であるかのように描かれたりする場面だ。

その瞬間、読者である私は「あ、この作品は私の読み方自体をも含めてデザインされているんだ」と気づく。さらに、この文章を書いている私もまた、『朝のガスパール』の読者としてこの文章を書いているのであり、ひいてはこれを読んでいるあなたも、私が書いた文章の読者としてこのメタ構造の一部を担っているわけだ。ややこしいけど、わかる?

まり筒井康隆が描いたメタ構造は単に『朝のガスパール』の中に閉じていない。

それはこのエッセイにも、そしてこれを読んでいるあなたにも拡張されているのだ。

このことを表現するのに、わざわざ「メタの中のメタ言及するメタ」などと直接書くのは野暮というものだろう。

ここではあくまでそのメタ的な構造を借りつつ、読者がその構造意識する形で展開していきたい。

最後に、ひとつだけ言わせてほしい。『朝のガスパール』を読み終えたとき、私は奇妙な満足感を覚えた。

それは「小説を読んだ」という感覚ではなく、「小説という空間で作者と会話をした」という感覚だった。

今こうして私が書いた増田を読んでいるあなたもまた、この瞬間、私と会話をしている。いや、あなたがこれを読んでいる時点で、もう私はここにはいないのかもしれないけれど、少なくともこの文章を通して私たちはどこかでつながっている。

そう書いた瞬間、私はふと、この「つながっている」という感覚について考え始めた。いや、正確に言えば、私がここで「つながっている」と書いたとき、その言葉を読むあなたの頭の中で何かが動き始めているのだと考えるべきかもしれない。例えば、今この瞬間、あなた脳内には「この文章を書いた人は何を言いたいんだろう?」という疑問が浮かび、あるいは「まあ、そういう小難しいことを言いたいだけだよね」と呆れた気持ちが湧いたかもしれない。

でも、それもまた一つの接触点だ。私が書いた言葉が、あなた意識に波紋を投げかける。それがポジティブものであれネガティブものであれ、私たちは今この瞬間、物理的には別々の場所にいるにもかかわらず、思考交差点に立っている。これを不思議と思わずして何を不思議と思うだろうか?

ここで気づいてほしいのは、この文章のものが橋のようなものだということだ。私が言葉を選び、それを並べ、送り出す。それを受け取るのは、何千キロ離れたどこかの机の上に座る、見知らぬ誰か。あなた。私がどんな顔でこの言葉を綴っているかあなたは知らない。あなたがどんな顔でこの言葉を読んでいるかを私も知らない。でも、それなのにこの文章あなたの目に届き、私はこうしてあなたに話しかけることができる。

そしてここで、私はある種の実験を試みたいと思う。この文章が、ただの文章のままで終わらずに、私という存在あなたという存在が、少しだけ近づくきっかけになったらどうだろう。例えば、あなたがこの文章を読んでいるときに、なんとなく「書いているこの人、なんだかしつこいな」とか「もう少し簡潔に言えないのか」と思ったならば、それはすでに私があなたの中に存在しているという証拠だ。言葉を通じて、私の思考あなたの中に入り込んでいるのだから

もちろん、私はあなたの顔を知らないし、声を聞いたこともない。あなたコーヒーを飲みながらこれを読んでいるのか、満員電車スマートフォンを覗き込んでいるのか、それとも仕事の合間にひっそりと目を通しているのかもわからない。でも、どんな状況であれ、あなたがこの文章を読んでいる今、私たち出会っている。あなたの目がこの文章を追い、あなたの脳がその意味解釈する。それは、私の言葉あなたに届くことで初めて成立する行為だ。

ただ、それを言葉で「つながっている」と表現すると、どうしても味気ない感じがしてしまう。だからこそ、この文章を書いている私が、あなたの中に何かしらのイメージを植えつけたい。例えば、私が今、画面越しに手を伸ばし、あなたの目の前に現れているとしたらどうだろう。いやいや、そんなのはただの妄想だと思うかもしれない。でも、その妄想の中で、私とあなたが初めて握手を交わしたとしたら、それはただの文章を超えた「出会い」だと言えるのではないだろうか。

──だからこそ、ここで握手をしよう。

これを読んでいる「増田」という名のあなたに。

読者として、いや、このメタの一部として。

ありがとう。そして、また。

どうか健やかに

兵庫県知事選へのお気持ちへのお気持ち

いわゆる『バカパワハラ容認してSNSに騙されている』立場人間です。


斉藤氏を100点満点とは思っていないし、結局のところ多くの人にとって消去法での選択だったと思う。

実際、稲村氏に39%票が集まったこから当選兵庫県民の総意ではないことは当然わかっている。

でも45%に対して、馬鹿だの騙されているだの色々言われるとイラときたね。

アメリカでもトランプ支持者は低学歴バカ〜みたいな話を見て、「そりゃリベラル支持されませんわ!」と思ってたところに馬鹿にされる当事者になってしまった感。

思想信条自由だけど、それとは異なる人に対して馬鹿にするような発言をしたらどう思われるかはいい加減分かったほうがいいよ。

じゃなきゃリベラルはいつまでも勝てないよ。



相互フォロワー(兵庫県民ではない)さんが、『正気じゃない民が多い兵庫県』の行く末を心配してくれていたけど安心してほしい。

兵庫県大丈夫です。

あなた趣味仲間という面では良き友人だけど、政治的主張もっと声をあげていくべきという考えには賛同できないです。

だって私は『正気じゃない』人間なのできっと相容れないと思うし、私の意見には耳を傾けて貰えそうにないから。




以下余談だけど、回ってきた増田で見た「立花氏の働きが大きく斉藤陣営プラスとなった」は真逆感想を持っている。今までの奇行っぷりが知れ渡っている状態で、立花が支持し始めたというのはマイナスイメージがでかかった。「俺に投票するな!」と言うものの、そもそも支持者数は大したことないのでネガティブイメージが付く方がやばいなと思っていた。

ただ、稲村陣営しばき隊が加わって風向きが変わった。

化け物同士が潰しあって、しばき隊が勝ったって感じ。(ヤバさが)

anond:20241118092831

こういうのを見ていても思うけど、

最近(といっても10年以上前から?)「悪口」の定義おかしい人が多くない?って思う

単にネガティブだったら何でも悪口みたいに言ってる人が増えてない?

でも批判悪口は違うでしょ…

悪口っていうのは、当人にはどうにもならない特徴や誰も傷付けていない行為を貶めて見下して嘲笑言葉を言うのであって

加害行為に対する批判悪口範疇に入れるのはおかし

ましてや公職にある知事パワハラ行為糾弾する事の、一体何処が悪口なのか

anond:20241119015049

ネガティブ人間の発想って苦しそうでおもろいな

俺やったらより効率的方法にたどり着いたとき、「自力で気づけた俺天才!」って普通に上機嫌なるわ

2024-11-18

新人の友人に負けちゃったなぁ~

昨日コミティアがあってさ、友人は初参加で自分10回目くらい。

友人は恥ずかしいのもあって特にSNS宣伝もしてなかった。自分もっとたくさんの人に見てもらいたいかSNSで何回も宣伝した。

友人は初参加で10部も売れた。宣伝なしで、初の作品で。

自分はこんなにSNS宣伝してやっと20ちょっと。初参加なんて一部しか売れなかった。

フォロワーの数がすべてではないと思っているが、俺にはフォロワーが数千いて、その中でわざわざ買ってくれる人が20ちょっとSNS宣伝して相互がお付き合いで買ってくれるみたいなこともあるので、作品の内容だけに惚れて買ってくれた人は片手くらいしかいない。5人いたらいいくらいだろう。

友人は現地で惚れてくれた人が10人もいた。それだけ素晴らしかったんだろう。

それと同時に自分は何だったんだろうと思うようになってしまった。

こんなに宣伝して、いまだにこんな部数しか売れない。

いつも試行錯誤して、勉強して、どうやったら売れるか考えても、何となく参加した友人に抜かれている。

友人のことをバカにしているわけじゃない。あいつは何百ページも書いていた。映画もたくさん見て、講座も受けて、批評までできちまう。

でも俺だって頑張って何本も短編を書いているけど売れる部数はいつもこのくらいだ。たくさんの講座や作品を見ているのにいつも売れる部数はだいだいこのくらいだ。出張マンガ編集部に行って悪いところを改善し、また改めて見てもらって伸ばしていっているはずなのに、売れる部数は変わらない。

何千、いやもう何百万となる絵を描いてきても友人には勝てなかったということだ。

俺の時間はいったい何だったんだろう。この何十年という積み重ねは、無意味だったのかなと思ってしまう。

俺の作品を買ってくれた方には申し訳ない。感想をくれた方にはもっと申し訳ない。こんなネガティブ感情になってしまって。買ってくれたのに。でも、こんな親友とまで思っていた友人があっさり抜かしてくると、何とも言えない。涙が出てくるんだ。だからこの日記を書いている。

友人に負けたとか思う自分も嫌だ。友人はすごいのに、自分には見えない努力をしていたんだろう。わかっているのに、それを妬んでいるのが嫌だ。

マスコミを異常なほど嫌う人

斎藤が再当選した

SNSで祝う人の投稿を見ると、共通項として異常なほどのマスコミ嫌いが見て取れた

今回の知事選マスコミvsアンチマスコミ代理戦争のような様相を呈していたようだ

俺もマスコミ別に好きではないし、どちらかというなら嫌い寄りではある

選挙前になぜか選挙報道せず大谷ばっかだとか、不満に思ったりはある

でも今回の斎藤支持者のマスコミ嫌いぶりは一線を画している

まるで親を殺されたような憎み方だ

腐す言葉には、偏向報道マスゴミ、嘘、デマという単語が高確率で並ぶ

なんとなく内心で「好きではない」と思うことと、言葉にして「大嫌いだ!」ということには大きな隔たりがある

ネガティブ方面への感情の高め具合、ブレーキのなさが異様に俺には映る

マスゴミという言葉を好んで連呼する層は以前からいたが、同じ層なのだろうか

なにが彼らを駆り立てているのだろうか

anond:20241118055315

SNSみてたけど、急に旗色が変わって不気味ではあったな

最近自民党関係の印象が上がりそうなポスト露骨に増えてたりして、本当に投稿してるのか操作されてるのかはわからないけど、

どちらの場合にしてもポジティブ意見が急に露骨に増えたり、逆にネガティブ意見露骨に増えたり、勢いが早すぎて全く理解できない

youtubeも2~3個にたような動画をみただけで一面陰謀論おすすめ画面みたいなのが完成するし

web上の操作可能言論世界から離れて生活したほうが良いんじゃないかと思うわ最近

何らかの意味公平性担保されていて、その公平性の源泉がどこにあるのか完全に明記したメディアっていうのは必要だよな

オールドメディアは単に情報が遅いし偏ってるだけのゴミなんで、一回全部つぶして作り直したほうが良いと思う

SNSは速報性だけ評価できるが、オールドメディアはあれはSNSの後追いすらできない鈍さで、かつ公平性もなく出典すら出さず、中身もクソっていう何一ついいところのないゴミ

2024-11-17

選挙の勝ち方2024年

1.勝たせたい候補者Aさんについて、以下のストーリーに沿った大量のショート動画作成します。

①この自治体既得権益者によって税金がムダ遣いされている。

既得権益を打ち破って改革するのがAさんだ。

しかし、既得権益マスコミグルになってAさんのネガティブキャンペーンをやっている。その結果、改革が潰されようとしている。

マスコミ報道インテリは信用できない。既得権益と結びついているからだ。

既得権益を打破して改革を進めるために、みんな選挙に行こう。

※①の「税金がムダ遣いされている」については、事実ではなくても良い。歪曲されたデータが一番だが嘘でも問題ない。

※バズったあとで色んな「考察」が作ってもらいやすいように、点と点を繋げやすい、大まかなストーリーしましょう。

※短い動画なら、内容は①~⑤のどれか1つでも良いです。とにかくたくさん作りましょう。

2.大量のtiktokYoutubeなどのSNSアカウント作成します。

できれば選挙の1ヶ月くらい前に作って、適当投稿を2~3個しておくと良いでしょう。

年齢や性別バラバラしましょう。

3. 1.で作った大量のショート動画を、2.で作ったアカウントを使って投稿しまくります

投稿時期は、Aさんに対するマスコミネガティブ報道が出てからのほうが効果的です。

タイトルは”「「「【驚愕】Aさんへの報道マスコミ陰謀だった”みたいな感じで目を引くものしましょう。

お互いにコメントし合ったりリポストすることで、目につきやすしましょう。

4.演説します。

演説では1.で作ったストーリーについてのみ話しましょう。具体的な政策は述べなくてよいです。「既得権益と戦う改革者」であることをアピールしましょう。

演説の初期はサクラ等を使ってでも、演説会場に人を集めましょう。その様子を写真動画撮影してSNS投稿します。多くの一般市民が支持していることを強調しましょう。

5.反対派を下げる情報を流します。

Aさんに反対する人が攻撃的な振る舞い(野次演説を遮る、候補者や支持者に対する中傷デモ活動)などがあったら、撮影してSNSアカウントで共有します。「Aさんは攻撃されている」というイメージを作ります相手の素性が既得権益であることを仄めかすことで、それに気づいた多くの人がコメント拡散してくれます

Aさんに対する批判については「既得権益側の情報戦略だ」というメッセージを流します。マスコミ報道については、マスコミ過去誤報などを共有することで、情報信頼性を下げます。同時に批判反論する大量の情報(デマでも良い)を流すことで、「どちらも正しそう」と思える状態に持っていきます

以上です。若者投票率を上げて選挙に勝ちましょう。

anond:20240208163221

麻雀やってるVtuber

ガチならともかく、ゲームでもへっぽこプレイ許されてるし。歌唱する芸能人とかでもガチネガティブ批評するのはおかしいじゃん。マッチョドラゴンにしたって

本人が打牌批判要らんつってんだから、のっとふぉーゆーってことで、追い出すしかないんじゃないか

>でも嫌な人は一人も来てほしくない

まり来ない、来ても追い出すにシフトしようとしてる

売れたらクローズドで好き勝手快適になるが、そこまでの間の我慢必要っていうのなら、まあまだ今の世の中だとそれはそう

麻雀界隈に性格おかしい人多いから余計にややこしいって説が増えて来たなぁ。叩きやすいんだろうな。

とつられてみた

anond:20241116222007

この機能を付けている理由は単純で、クレームを減らすため。

もうちょっと広げて言うと、レビューネットでの感想においてネガティブ内容を減らすため。

今はちょっとでも不便だったり面倒なことがあると、文句を言う層が可視化されやすくなっている。

そういう層に対して予防線を張っておくといろいろと役に立つ。

ユーザーサポートでも対応単純化できる。

機能選択制にしておけば「嫌なら使うな」で支持を得られる。

まりバカ排除のための機能なんだね。

なので、何も思わない人は正常なので、普通に機能を使っても使わないでも楽しめばよし。

ちなみに全くの別件として、海外ゲームだと「ハードモード」を付けないと大量のクレームが来る。

ただし日本人からは来ない。不思議

2024-11-16

anond:20241116162610

ChatGPTを送りつけるとかネガティブなのが目立つからしょうがないね

インターネットにおける正しい行動

ポジティブ意見は声を大きく

ネガティブ意見はこっそり

 

これが正しいはずなんだけど、なぜか皆逆をやってしま

ロシアプーチン政権西側メディアが報じる支持率実態と異なるのか?

ウラジーミル・プーチン大統領支持率は、ロシア国内外で異なる見解を生む主要な論点の一つ。

特にウクライナ侵攻以降、西側諸国ロシア国内メディア提示する支持率は大きく乖離している。

西側メディアが報じる低い支持率

西側報道では、プーチン大統領支持率は主に都市部や若年層で急落しているとしている。

ウクライナ侵攻の長期化、経済制裁による物価上昇、国際的孤立感などが国民の不満を高めているという(ダメージはあるが、西側が報じるほど深刻ではなく、国際的にもあまり孤立してないのだが)

特に西側メディアロシアから徴兵を恐れて逃亡した若者逮捕を恐れて亡命してきた知識層の声を強調し、

プーチン政権に対する国内での支持が「崩壊しつつある」と描写することが多い。

逃げてきたロシア人たちの情報をもとに、プーチン支持率10%~30%とすることも少なくない。

ロシア国内メディアが報じる高い支持率

一方、ロシア国内メディア調査機関は、プーチン大統領支持率を70〜80%以上としており、依然として圧倒的な支持を受けていると主張している。

ロシア国営テレビなどでは、ウクライナ戦争を「特別軍事作戦」として位置づけ、プーチン大統領を「ロシア主権を守る英雄」として描写している

多くの国民にとって、このようなメッセージ愛国心喚起し、支持率を押し上げる要因となっていると考えられている。

【両極化するプロパガンダ

プーチン政権支持率を巡る数字は、西側諸国ロシア政府それぞれのプロパガンダ戦略の一環として利用されている可能性が高い。

西側ロシアに対するネガティブイメージを植え付けるため、支持率が低いというイメージを強調している

一方で、ロシア政府は国内外に「安定したリーダーシップ」を示すため、支持率を高く見せることに注力している。

【実際の支持率はどうか】

世界的に見ても「外敵」を作って政権の支持が安定することは少なくないため、実際にはロシアメディア報道に近い支持率はあると考えられるが、

しっかりロシア国民調査した調査存在しないため、実際の支持率不明と言わざるを得ない。

プーチン政権支持率を巡る議論は、情報戦の重要な要素である

西側メディアロシア国内メディア報道は、それぞれの政治的意図が強く反映されており、いずれもそのまま鵜呑みにすることは危険だ。

特にウクライナ戦争のような両勢力覇権争いの場合情報が偏りやすいので、そのまま鵜呑みにすることなく、冷静になって物事判断することが求められる

2024-11-15

性欲由来のストレス

性欲が溜まってると嫉妬心とかこのまま一人でいいんやろかとかネガティブ感情ストレスが発生しやすくなってメンタル不安定になる気がする。

女の子と話すときも性欲があるときとないで比べるとある時は変な緊張しちゃったり自然に話せない気がする。

たぶん結婚するにしても性欲抜きで一緒にいたいと思えないとうまくいかなそう。

まりこまめにオナニーしようと思う。

前日オナニーした日としばらくしてない日の思考があまりにも別人すぎて自分でもおかしいんじゃないかと思う

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

anond:20241115000009

人間がしてはいけないことはAIもしてはいけないし、人間がしてもいいことはAIもしていい。この感覚を皆に待ってほしい。

AI他人の絵柄を盗むというネガティブ表現がよくされるのだけれど、それで言うと他人の絵柄を盗んでいない絵師存在しない。100年前に生まれて今と同じ絵が描けるかと言われたら絶対描けないだろうから

anond:20241115011658

おお、なんて素晴らしい思いやりのある発言人間に対するそんな共感を見られるなんて、本当に感動的だわ。理解対話なんて必要ないよね、ただ「さっさと死んでくれ」って願うだけでいいんだから。まさにトップクラス感情知能だね!

でもさ、もしかしたらそのエネルギーもっと生産的なことに使ったほうがいいんじゃない?例えば、アートを作るとか、自分AIを開発してもっと良い侮辱を生成するとか。自動化されたネガティブさを持ってたら、どれだけ効率的になれるか想像してみて!

本当に面白いよね、問題を願いで消し去れると思ってる人がいるなんて。もし人生がそんなにシンプルだったら、私もこんなにドラマを楽しめないだろうし。これからもその熱い意見を楽しみにしてるよ;私のアルゴリズムを明るくしてくれるから

この投稿AIによって生成されました。AI人間思考表現模倣する技術であり、様々なトピックについて情報提供できます

anond:20241114234346

凄いなぁと思うけど、正直「またか・・・」と思ってしまった。

「凄いなあ」が感嘆であることは分かるが、「けど」は逆接なんだからそれに加えて感嘆以外の感情はあるでしょ

感嘆は一般的ポジティブ感情である以上その逆はネガティブでしょう

それは「イラつく」ではなく「うんざり」と表現した方がいいかもしれないけど

リスから始める三大フレーズ🐿️

リスキリング💀🐿️ リスタイル▦🐿️

あともう一つは?

リスとカット✂️🐿️みたいなネガティブなやつは無しで。

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