はてなキーワード: セーラー戦士とは
そら知らんわな
1996年3月9日 - 1997年2月8日まで、全34話(167 - 200話)が放送された。最初の6話はアニメオリジナルストーリーの「ネヘレニア復活編」を放送。外部太陽系のセーラー戦士も再集結し、初めてレギュラー陣が揃い踏みした。
7話から放送された原作第5期相当の「シャドウ・ギャラクティカ編」では、星野光/セーラースターファイター、大気光/セーラースターメイカー、夜天光/セーラースターヒーラー、ちびちび/セーラーちびちびが登場。
うさぎたちは高校生に進級し、うさぎと衛と星野光の三角関係を軸に、特別な人間が持つ「真のスターシード」を探すシャドウ・ギャラクティカとの戦いが描かれた。
屋根裏を整理してたら古いパソコン(といっても2006年頃)が出てきたのでブラウザの検索履歴をサルベージしてみた。
当時自分が何にハマっていたのか思い出されていろいろ懐かしい…
パラ様 生え際
ホケマクイ
ブッチーン 灯花
ぶっこぉすぞー
るくしおん しびれるぜ、鋼の
ティプトリー・ショック
「デストロイがいいね」と君が言ったから六月二十四日はUFOの日
わたるが死んじゃう
琵琶湖タワー
猫いらず 口の周り 光る
尸条書
立方晶窒化炭素
ドーマン法
ひだまりスケッホ
空飛ぶ冷し中華
セーラー戦士が全員ブルマーだったら、アニメ史を変えていたと思うね
34歳児
実はまだ2階に
アリオク
緑はいらない子
そうです。あのコが僕の畏敬する天使様なのです
おかしとか食べる
T-34が倒せない
さあ牛だ
セノバイト
omegaの視界
ぽこにゃん
だぞなもし
倒福マーク
ボッキアウト
フムン
ユープケッチャ
目なき顔のジールバ
やったー+1 シヴィライゼーション
ルロス ロルス
玉音盤奪取
ハレとケ
もえたん 06話
路肩のピクニック
白楽電の詩
ガッシボカ
聖なんとか女学園
クートニアン
お脱ぎなさい
グンニョキ
強さ激しく変動
南斗聖拳108派一覧
みなぎる力がみなぎるぜ
力こそパワー
重い生理が来たみたい
4ひえた
ムーミンパパ海へいく
チャンパーノウン定数
見知らぬ国のデイトリッパー
紫暗号
いざり
比留間 京之介
この娘、最後死んじゃうんだよね
旧神なんていないよ
棒シムーン
S級だけどめどいんでB
オレモダビール
"オナホさん"
アントノフ 積載量
黄金の真昼
Let's Beginning to Look Alot Like Fishmen
けいせい出版
共生るんです
ガネッコ
莫迦め 死んだわ
スコープドッグ 装甲厚
かみそり半蔵地獄攻め
クンデラ 不滅
如意棒 重さ
ちびくろサンボ 枚数
俺のケツをなめろ
大胖女人
大司令症候群
gunyoki
グンニョキ
おしつおされつ
どうしてエレクチオンしないのよぉぉぉぉ
こぐにっしょん
虹作戦
燕山夜話
ドラ28
中国人の部屋
エロ イッカイヅツ
菊屋橋101号
システムショック
ゲバルト・ローザ
完全黙秘
唸るコカトリス亭
みずずちん
なんてこった 死の宣告
アンダーダーク
ロンゴ・ロンゴ
ゲオルギウス
毒薬仁
まじかるぴゅあソング
だいす☆くえすと
つめたく冷えた月
フンカーリート
Shang-Du
水エタノール噴射
願望機
舟に棲む
rom ヘッダ 削る
長靴いっぱい食べたいよ
陣形技 閃き
ハリマオ
ぺちんぺちん
カタリナ おそるべし
野月まひる
マライア 多摩
素敵医師
相沢 祐一 最強
みなみおねいさん
あまぞn
夢のクレヨン王国 SONGBOX
振武刀
クリントワン
ロイさーん
レムコレクション
カードゲーム テケリ・リ
グレゴール・ザザ虫
きみはホエホエむすめ
東方夢終劇
ファミソン8BIT
生きなさいキキ
dwarvish mattock
蟹工船 光線
パラシュート部隊 突然に
ゴクイリイミオオイ
アウト・オブ・眼中
モルディギアン
納骨堂の神
ヴェクナ
パラシュート部隊 突然に
情無用ファイア
末期 少女病
唸るコカトリス亭
アカディネの泉
ショスタコーヴィ
ジャック ケッチャム
シャノン 情報理論
ガロアの郡論
ルルスの術
ラヴォアジエ
宇津田さんの死
レムコレクション
佐保姫 信太の森
ころがる石のような俺の生き様
はしれぐずども
紫暗号
白い神兵
火のバプテスマ
清家理論
サールクラフト
lycanthropy
某研究者
アナ姫さま おげんきですか
オナホ 2番目
宇宙麻雀
電戦トリオ
乳ロマンサー
私は痛みだ
くやしい、でも ビルケナウ
グレゴール・ザザ虫
新藤幸司 CV
Chante キミの歌がとどいたら 先生
開路に時限のある リレー
Drizzt
ちんぽ生やして出直して来い
男根 恐ろしいまでに
コロラド撃ち
HEARTWORK
誠ぉっ そこにいるんでしょ
ずっとオレのターン
ぼくはぼくであること
おれがあいつで
アラバハキ
幻影都市
わたしこそ しんの ゆうしゃだ
クトゥル スペースジョッキー
フラッシャー付自転車
神よりも弱いただのオセロ
おがわみめい
水無神知宏
CARNIVAL 小説
じゃこつばばあ
生と死の境界 安置
うぉ、まぶしっ
ゼロで割る
ココロン
有尾人 フィリピン
子供達を責めないで
圧力計 連成計 BV
エドガー ダケェ
おびんずる
にこにこ商事
ひろ
子供の頃からサワムラーが人に蹴りを入れてるところとか、セーラー戦士たちが磔にされてるところだけを読み返してたくらいに暴力的な描写が好きなんだけど、大人になってもやっぱり好き。なんなら殴られたいなって気持ちもある。
家族や会社の人にはもちろん言えないし、アウトプットが得意じゃないのでSNSとかも壁打ちで全然交流がない。
もう当たり障りのない会話をするのがしんどい。
しかも隠してるつもりなのに言動から滲み出てるみたいで、飲み会とかで酔っ払いに実はMでしょ?とか性癖やばそう笑とか言われて、愛想笑いで適当にごまかすの本当に辛い。自分のいないところで何か言われてそうで恥ずかしい。会社辞めたい。消えたい。いっそ開き直れたら楽なのに。なんで普通になれないのか。
「方程式」で歌詞検索して出てきたなかからアニソンの歌詞をいくつかピックアップしてみよう。
どの方程式も当てはまらないこの問は解こうとするたび溶ける まるで魔法にかかったマリオネット
離れたほうがいい 繰り返す呪文のように唱えるほどに落ちてゆくの
「好きだという気持ちを認めたくない」「離れたほうがいいけど近づきたい」といった恋心のジレンマが歌われている。
そもそも「どの方程式も当てはまらない」すなわち「問題の定式化」ができていないのだから元増田の批判には当たらない。
幼き頃の寂しさがまだ絡む方程式 例え明瞭な数式でさえ導けない
この歌は後半では
一人きりじゃないわ 共に行く仲間ができたの
となる。
彼女はセーラー戦士になったことで孤独から抜け出せたのである。
Mathsをうめても解けないTEST
嘘で炎上(もや)してHORRIBLE FEST
社会を変革するために犯罪にも手を染める主人公を描いたアニメ本編を見ればわかるように、
たとえテストの正解が出せなくても「明日を変えてく方程式」を推測でも実行していくことを歌うものである。
元増田の言うとおり近似解を出しているのだから批判には当たらない。
歌詞の後半では「恋はイコールじゃ括れないわ」とも歌っており、「問題の定式化」が不可能であることを示唆している。
Can not? Can not? できないの?
「これから知らない世界に飛び出していく君たちがどんな夢を選んでもきっと叶う」ということを歌っており、受験勉強を描いたアニメ本編に合わせた歌詞となっている。
後半の歌詞では「全てが正解な答えはどこにある? 満点の未来じゃなくてもやりとげるんだ」とも歌われており、
元増田の言うとおり近似解を出そうとしているのだから批判には当たらない。
もうヤ・メ・テ
らしさの押しつけとかヤ・メ・テ
方程式で縛るのはヤ・メ・テ
ここでの「方程式」とは未来の可能性に溢れた若者に対する「こうしたほうがいい」という押し付けの喩えであり、
むしろ「定式化」を拒否して自由に生きていこう、ということが歌われている。
解けない方程式どころか「僕たちにしか解けない」と断言されている。
その他の作品も眺めているとほとんど二つのパターンに当てはまることが見て取れる。
「解けない方程式」として扱われるのは多くこのパターンである。
しかし恋愛における「近似解」となると「彼女とは友達で我慢する」とか「他の似た女性と付き合う」といった話になってしまう。
そうではなく「君じゃなきゃダメ」だから「恋の方程式を解きたい」のであり、近似解ではダメな理由が十分に示されていると言える。
だいたい「きっと解ける=将来は上手くいく」となるか、「方程式なんていらない=自由に生きろ」となることが多い。
以上から「アニソンの歌詞は解けない方程式に固執し、有効な近似解を求めようとしない」とする元増田の批判はまったくの的外れである。
「セーラームーン側は、再び【セーラームーンというコンテンツ】を流行らそうなんて、思ってないんだな」と思った。
前編を見た時、「まぁ90分でまとめなきゃいけなかったし、多少の説明不足は仕方ないよね」って気持ちだったけど、後編がここまでとは思わなかった。
たくさんの「セーラームーンを愛している大人達」がたくさんの愛をもって作ったんだなって、前編のエンディングでしみじみと感じたし、後編もそれは変わらなかった。
「ここは泣くだろう、グッとくるだろう」って意図をもって作られたであろう所はおそらく漏れなくグッときてた。
変身シーンも技のシーンも、「あの頃のセーラームーン」に寄り添ってくれていて、とても嬉しかった。
説明してても、駆け足すぎた。
「あの頃」の感情で見ている私はグッときて泣きそうになっているのに、頭の片隅で30歳を超えた私が「これ、初見の人、意味分かんないよね?大丈夫?」とか「シーンが飛びすぎて混乱するな・・・」って思ってしまった。
ある程度は仕方ないと思うし、原作でいうと後半の話だから全てを説明できないのはわかる。
「前の戦い」って?
なんで外部系4戦士だけ「戦いは終わってる」の?
ネオクイーンセレニティとプリンセスセレニティとレディセレニティって別物なんだっけ、あれ?
結局セーラー戦士全員プリンセスなの?え?なんで?セーラームーンだけじゃなくて?
「私」は分かる。
でも、久しぶりにセーラームーン見た人って、分からない人、多かったんじゃないかな。
私も正直「・・・あ、そっかそっか、そうだったね!」みたいな箇所あったし。
もちろん「あの頃」、感覚的に理解していただけだからっていうのはあると思う。
気持ちは「あの頃」に戻ってても、30歳超えた私は「理論的に」理解したい、「そんなもんだよね」で飲み込めなくなってしまった。
だから、私のせいでもある。
でも、この映画は少なくとも「元々のファンの人も、初めてセーラームーン見る人にも楽しんでもらおう!またセーラームーンを流行らせていこう!」ではないと思う。
「あの頃」、セーラームーンが大好きで、「今でも」セーラームーンが大好きな人「だけ」に向けて作られた作品だった。
それが、私はすごく、悲しかった。
鬼滅の刃までは行かなくても、ちょっとでも新規の人が増えたらいいなって思ってたのに。
25周年を迎えても尚、コラボ商品のオンライン通販でサーバーダウンさせるほどのコンテンツって、本当にすごいと思うの。
でもやっぱり、コンテンツの継続には新規獲得が欠かせないから、この映画でそれができたら嬉しいなって思ってた。
予算とか時間制限とか、そりゃ大変なことはいっぱいあったと思うけど、もう少し、万人向けにしてくれたら良かったのにな、って思いました。
おっぱいというパーツの意味がいまいちわからぬまま、アラサー(オーバー)を迎えた喪女である。
思えば「グッドモーニング・コール」でななこが「Cカップやでうちは!」とゆりりんのパッド盛りを暴露したときも、何を言うてんやお前は、と首をかしげていた。12歳にしちゃでかいと思うけど、Cカップで胸を張れるななこ、今思うとかわいい。
のちに女体の素晴らしさと乳房の役割を知っていき、なんて素晴らしきものなのかと感動しても、自分についてるのか、くらいにしか思っていなかった。なぜなら喪女だから。
カップ数がちょいデカ(安心してくれ、アンダーもデカい)なもので、実はセブンティーンなどで「モテる子がつけている代名詞」と言われていたおピーチジョンにあまり縁のない人生だった。
お若い方がご存知ないだろうが、おピーチジョンの社長は00年代あたりか、巨乳になんか恨みでもあるのか?というくらいDカップ以上を展開しなかった。「サーキット」「デコルタン」などというモリモリ盛りブラ一辺倒、ブラ界の小悪魔ageha道をひた走っていた。
当然それは男性の目が常にあり……
なぜか当時、目ン玉や耳のように「自分の体に2つついているパーツ」であるにも関わらず、おっぱいなるものは「人のためのもの」のように吹聴されていたのである。
喪女、腐った意味以外で男性にあまり興味がなかったので、自分の体にぶらさがったこのパーツに対し、自分のためだけにそれなりの愛情を持ち、かわいがり生きてきたのである。
そんな、年始にしか合わない年下の親戚(遠縁)みたいな存在だったおっぱいに対し、真剣かつ深刻に向き合わねばならぬ時が来た。
加齢である。
なんや知らんが、「クーパー靭帯は伸びればもう戻らない」ちゅう、ホラーな言説を聞いたことがあるだろうか。そんなカイジの鉄骨渡りみてえなもの、アキレス腱くらいわかりやすいフォルムで外部につけといてほしい。なんで人体模型に記載されていないのにそんな恐ろしいポテンシャルを秘めているのだ。
そして我々はセーラー戦士と違い、月に住んでいない。重力みっしりの地球(テラ)に住んでいるのである。クイン・ベリルあのおっぱい、地球にいたまままもちゃんに好かれたい一心でキープしてたんだろうか。頭が下がる。
話を戻そう。実際に下がっているのは喪女のむね肉である。時を戻してくれ、ぺこぱ。
せめてこれ以上垂れるのはやめてほしい。このままだとツイッターで前触れ無く出てくると怖い漫☆画太郎先生のババアになってしまうではないか。
喪女は、震えた。こうなったらおもしろ友人G子に頼るしかない。この世大体のものを手に入れた現代に生きるゴールドロジャー、もとい楊貴妃なのだが、なぜか喪女と気が合う。
Gカップ(推定)のおっぱいのケアを聞いてみたところ「PJのナイトブラとバストケアクリーム❤」という返事が返ってきた。
こちとら在宅勤務で会議がない日はブラに人権を与えてないのに?夜もブラ???????
しかし漫☆画太郎ババアになりたくない一心で、「確かに普段から人権、もといブラ権を与えていないから下がるのだろう。株と一緒だ。ケアすることで下げは食い止められるはず」
なんかパジャマとか色々展開してるし、デザインかわいいし、サイズ展開も前より豊富~!雑誌のみな実が眩しい!
キラッキラのお姉さんにアドバイスをもらい、なんとか購入。なお2%オフになるとはいえ、「ピーチジョンのアプリが自分のスマホにある」という気恥ずかしさに耐えられずアプリDLはできなかった。2%でも消費税8%の時代に戻れるから、できる人はDLしとこう。
おっぱい「ぽよよん」
これは!!すごい!
一回だけでなんだかハリとツヤが増した気がする。皇潤ヒアルロン酸ファンデか?
そしてナイトブラ
結構苦しいような……まあスポブラ程度といった感じ。寝れないほどじゃないし、肉の流れを防いでくれそうである。
そしてこれ、盛れる。普通のブラみたいにしっかりホールドしてくれる。お店のお姉さんが「在宅勤務のときにこれ使われている方が多いですよ」という言葉を鵜呑みにしてよかった。喪女的にはブラ権復古の大号令である。
寝心地……悪くない。なんかこう桃井かおりになった気分。もっと若い例えないかって?朝ドラじゃない二階堂ふみ。わかりにくいな。喪女だから許してくれ。
翌朝
いけるかも。なんとかなる気がする。円錐にならずに済むかもしれない。フランス書院表紙の熟女乳くらいでおさまってくれないだろうか!?ただでさえベイ◎◎クスボディなのに、これ以上ボリューミーに見られたくない。円錐は嫌だ。円錐は。
何より、ちゃんとケアをしている自分というのが気持ちいい。今まで薄目でしかケアしていなかったところに手をかけてやる自分。これが……ていねいな暮らし……!?
目が充血すれば目薬を指すし、耳がモッタリすれば掃除する。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 104 | 10246 | 98.5 | 35 |
01 | 64 | 6367 | 99.5 | 35 |
02 | 56 | 8249 | 147.3 | 41.5 |
03 | 49 | 3689 | 75.3 | 33 |
04 | 17 | 1196 | 70.4 | 22 |
05 | 22 | 2028 | 92.2 | 36 |
06 | 79 | 8362 | 105.8 | 46 |
07 | 85 | 4732 | 55.7 | 39 |
08 | 138 | 10055 | 72.9 | 42 |
09 | 148 | 11482 | 77.6 | 36 |
10 | 203 | 14883 | 73.3 | 35 |
11 | 222 | 17680 | 79.6 | 47 |
12 | 160 | 9839 | 61.5 | 32 |
13 | 191 | 14018 | 73.4 | 38 |
14 | 123 | 8106 | 65.9 | 31 |
15 | 114 | 10061 | 88.3 | 46.5 |
16 | 78 | 10595 | 135.8 | 29 |
17 | 108 | 9519 | 88.1 | 45 |
18 | 129 | 14436 | 111.9 | 36 |
19 | 114 | 7474 | 65.6 | 32.5 |
20 | 102 | 7864 | 77.1 | 31.5 |
21 | 79 | 7569 | 95.8 | 41 |
22 | 105 | 6742 | 64.2 | 34 |
23 | 111 | 8350 | 75.2 | 41 |
1日 | 2601 | 213542 | 82.1 | 38 |
髄膜炎(8), センバツ(9), 都道府県知事(3), セーラー戦士(4), 結膜炎(4), 熱帯魚(4), 良縁(3), 終息宣言(3), ロリィタ(3), 季節性(4), スーパースプレッダー(6), 認知療法(3), WHO(15), 感染者(39), コロナ(139), 東日本大震災(10), イタリア(17), 自粛(20), 検査(64), 重症(14), 感染(76), インフル(13), 新型(24), 肺炎(14), 症状(35), ウイルス(22), 医療(26), ブサイク(23), モテる(17), 中止(17), 患者(24)
■こんな惨めな思いをするくらいなら生まれなければよかった /20200310225709(35), ■素人童貞の32歳が彼女を作ろうとマッチングアプリを使ってみた結果 /20200310073258(17), ■私は広告制作の現場を辞めて、広告を屠殺する現場に転職をした /20200311165317(13), ■写真を撮るのが楽しいですか /20200310231607(11), ■堕胎した過去を忘れたがってる元カノが分からない /20200311094036(10), ■どうしてだろう /20200311092256(8), ■婚活の思い出:某大手相談所のアドバイザーとの会話 /20200311170006(8), ■子供のいとこの教育・大学進学に対する意識を変えるには? /20200311183339(7), ■25歳無職だけど上京して就職したい /20200311143704(7), ■大仏の中に入れたいもの /20200310004128(6), ■アスクレピオスの杖も知らないのか… /20200311003840(6), ■なんか各国のコロナ対応見てたら /20200311104831(6), ■発達障害がつらすぎるから聞いてほしい /20200311014205(6), ■世界に面白そうな謎はもう残っていないの? /20200311201100(5), ■なんでコロナが流行ると働かなくてもお金もらえるの? /20200311225148(5), ■勝ち組になりたかった、女子高生時代の私へ。 /20200311025515(5), ■今日って3月11日じゃん /20200311095018(5), ■anond:20200311100546 /20200311100922(5), ■ /20200311102606(5), ■やつぱりりんごはうまし♡ /20200311124426(5), ■日本が潜在的感染者数をカウントできてないだけ、というのは事実だと思う /20200311131329(5), ■息子と将棋を指したい /20200311132405(5), ■中学二年の頃から、私が毎晩父の相手をしていました 。 /20200311134141(5), ■https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/dot/2020030600086.html /20200311142611(5), ■ /20200311154839(5), ■コミケやる気なんだ /20200311175528(5), ■センバツ中止を肯定するのはおかしい /20200311192605(5)
えっすごい人現れた。
先生、代わってお仕置きとは私刑だと思うのですが、誤りで無かった場合でもセーラー戦士はただの傷害罪被疑者ではないでしょうか。
でも刑を執行すべき存在(月)の代わりだと何になるんだろう。警察とかも刑を執行する立場では無いのに有形力を行使するしな…。
セーラームーンの漫画連載は1992年2月号から1997年3月号
アニメも1992年3月7日から1997年2月8日でほぼ同時期
ひょっとしたらゲンドウはノストラダムスの予言を信じてたかもしれないし
世間じゃセカンドインパクトがこの予言と関連付けられたかもしれない
まあそれはともかく、ミサトさんがちょうど小学生の時にセーラームーンをやっていたので、
確実に見ていただろう、見ていないはずがない
だからきっと子供の頃にセーラー戦士にあこがれていた時代があったはずなのだ
ちなみにGEAR戦士電童は2000年10月からなので、セカンドインパクトの影響で放送されていないだろう
いやそもそも、1995年にはエヴァのアニメが放送されていたのでは・・・?
犬の王を描くにあたって、犬界では一番アニメを監督するのが上手な押井守に教えを請わないわけがない。
そんな密接な関係にある二人はもはや、月野うさぎとまもちゃんの関係といっても過言ではないに決まっている。
マーキュリーは頭がいいとなれないが、東大出身で頭がいいから絶対なれる。
以上です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/koshian/status/1144789684687499264
このツイートとブクマ読んでセーラームーンのこと思い出していた
放映当時小学校低学年の女児だったのでリアルタイムで観ていて(漫画の方は後年思春期になってから読んで色々びっくりした)
服のかわいさとか髪型やその他の表現のおしゃれさなんてまだ実生活ですらぼんやりとしかわからなくて
そういうものに関する感情や感覚の言語化も全然できない頃だから「どこがおしゃれか」みたいなことはハッキリわかっていたわけではないけど
子ども心にときめいたのはセーラー戦士の「足元」がキャラクターによってそれぞれ違っているところだった
みんな学校が違うので制服が違うのは当たり前なんだけど、それよりももっと個性が出てるのが靴だった
制服のカラーリングやデザインに合わせてみんな違うものを履いていて、どれもそのキャラクターの性格に合っているような気がした
変身前の制服姿でもそうだし、変身後のコスチュームの足元の方がより顕著で
今ちょっと検索してみたんだけどこの画像見てもらうとわかりやすいんだけど
ほんとにそれぞれ違いがあってでもそれぞれそのキャラクターの外見や性格にぴったりな靴が選ばれているな!と思っていた
そこのところをとにかく女児の私は「めちゃくちゃおしゃれ!」だと思っていて「おしゃれ」ってつまり
「それぞれ一人一人違う事」と「その人にぴったり合う事」なんだなあってセーラームーン見てすごく思ったの覚えている
この辺の女の子の心のくすぐり方というかそうそうそうなんだよな!ってところの表現が
当時からしてもとてもよくできていたんじゃないかなって気がする
とりわけレイちゃんの素足にハイ(ピン)ヒールとまこちゃんのきりっと結びあげた編み上げのショートブーツが好きで
ここで「かっこいい女の子」という姿に対する理想を思いっきり叩き込まれた気がする
そんな二人の「かっこよさの質」が靴に象徴されるみたいに違ってるとこもすごく好きだった
セーラーヴィーナスこと美奈子もハイヒールなんだけど、レイちゃんよりはちょっと甘さがあって
それで足首にストラップがあるんだなあと思わせるこの絶妙さが私の小さい女の子の心をすごく楽しませてくれていたと思う
こういうの分析してみたり言語化してみたりはもう相当あとのことなんだけど、
小さい子が目で見て一発でそのキャラクターのことがわかるようなアイコンとしてのコスチュームの表現なんかみるとやっぱり
セーラームーンは「おしゃれ」なアニメーションだったんだなあと今更ながら思う
7.4追記
当時カードダスも流行っていてたくさんの女の子が集めていたけれどまこちゃん人気のない扱いで寂しく思っていました
私はまこちゃんが出るとうわー当たりだ!と思っていた子供だったのですごく嬉しい バラのピアスも本当にすてきだった
両端が切れてない画像を貼って下さった方ありがとうございます
ほたるのブーツもこんなにかわいかったっけ!と思ってどきどきしました
あと「みんな学校が違う」はちょっと雑なまとめ方すぎたなって思いました、すみません
>そして、#KuTooと正反対の解放された感覚をも多くの女性に持たせたということか。
カッコイイおしゃれとカッコよくない強制を、外から見た人が判断できるのかね。できるなら超能力者じゃね。
今現在大人の私はどんな種類の靴であろうとそれらを選ぶことがどんな理由からであろうと
その人自身が選んで望んでおしゃれに履く自由、またラクに履くことの自由と#KuTooの運動は全く相反しないと思っていますが
これはヒールもパンプスもまだ一度も履いたことのない小学生女子の頃の、個人的な楽しい鮮烈な気持ちの思い出話で、それだけです
本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合」ジャンルの確立・歴史と、その現状について考察する。
はじめに、「百合」というマンガ・アニメにおけるジャンルを示す言葉の概要を説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品のジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源はゲイ雑誌「薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。
まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも、大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛をテーマにした創作物としては、性描写の過激な男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係「エス」をテーマにした少女小説の金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代に少女文化として流行した「エス」の概念は現代の「百合」概念とは違い、上田は「自覚的に女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)
マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品は1970年代ごろから、山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子「おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルとロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛をテーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として
①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人と可憐な少女のイメージ)
③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品と対照的な同性愛による葛藤の描写)
を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代の女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧からの解放として、性的に未分化な存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法や舞台設定は耽美で幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代の百合マンガは少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。
しかし、1990年代、同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。
まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念がジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写も70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。
そして、物語の中の関係性から百合の文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合そのものを主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的な少女マンガのシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代の百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装の美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造を少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様」構造を破壊し、自身を覚醒させ歩き出すことで、社会的な女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界を革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性の解放運動や日本女性のウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的なメッセージだった。
これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来のターゲット層は10代の少女を対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニックな少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈に解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作のオリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛を主題にした作品がみられるようになる。
そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在も刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品のアニメ化や二次創作の流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合、百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である。
また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写や性的な表現が強く押し出されていた。ここから、現代の男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代の百合マンガの形態が確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社から「コミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもり「ゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写は忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写を掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。
ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり、現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。
女性購読層において基本的には、社会的な比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛、ジェンダーロールによる苦痛」から隔絶された「非現実的な同性間による越境の快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおい/BL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論が適用できる層が存在すると思われる。
百合というジャンルの性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンやバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである。彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティックラブ」を夢見るのと同じように、自身の性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティックラブ」を享受していると考えられる。
百合を自分の投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。
百合マンガの登場人物に自己投影する男性は、ジェンダーロールからの解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツ(NL)ではなく百合(GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情にルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性(MtFとは区別する)や、同性愛男性が共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。
特に男性向けの性的描写の含まれる百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的な欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクターの存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性は百合ジャンルのファンからは忌避される傾向にあり、特に近年の百合を主題とした作品においては減少している。
これらのファンがそれぞれ百合というジャンルの定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物を制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。
次に、2010年代の百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツをもつ戦闘美少女の系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合を意識して構成された作品のひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。
また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代の少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュと解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である。
▼前段
・ネトフェミ=ここでは「学問として体系的にフェミニズムを学んではいないが、フェミニズム的言説に親和的でネットで発言することがある」人。つまり私
・過去のオタク絵騒動についてのスタンスでいけば、のうりんとラノベ表紙については「いやおっぱいしまいなよ」と思う。
明らかに性的な魅力を著しく誇張する狙いのイラストなので、TPOや販売レーベルを考えるべきだと思う。
・碧志摩メグについては絵自体の性的強調よりは海女さんたち本人に嫌われたことが大きいと思う。
たとえば自分が教師だとして、「黒スーツミニスカハイヒール(ちょっと乳首が浮いてるようにも見える)」ないかにも二次元女教師なイラストを職場のPRに使われたら嫌だし、納得するだけの理由が説明されなければ反対すると思う
▼キズナアイについて
・正直Vtuberという文化をよく知らないので絵だけの評価になるが、個人的にはそこまでエロ要素が強いと思わない
・ただ、同時に萌え絵っていうのはそもそも女性への性的視線をはらんで育ってきていることは否定できない
・それゆえ、「萌え絵であること」それ自体に「女性への性的蔑視」と批判されやすい文脈があるとは思う
・なんというか、「刺青を入れてる人は、反社会的であると疑われ怖がられても仕方ない」みたいなことで、「萌え絵を用いる人は女性蔑視を疑われても仕方ない」みたいな。
その感覚が正しいと私は決して思わないが、バイアスのかかりやすい表現形態であり、そこに近年の医大受験をはじめとしたマジモンの女性蔑視案件が絡んで批判が吹き出したのではないか
・おそらく女性だからというよりは「若者よりの(オタク)カルチャー」のアイコンとして選ばれていると思う
・ではなぜキズナアイが女性の形でなければいけなかったのか?と考えるとそれってオタク向けカルチャー全体の構造の話ではないか
・初音ミクもそうだけど、オタク向けカルチャーでメインを張るのは常に少女の姿だ。Vtuberもほとんどは美少女キャラだ。
・もちろん女性向けのオタクカルチャーもあり男性表象もあるけど、それは常に傍流だ
・これは、「ネット上で声が大きいのは男性オタクである」ことと同時に、「少女の表象を好むのは男性オタクだけではない」ことも影響していると思う
・萌え絵は女性への性的視線をはらんでいると書いたが、同時に萌え絵のルーツには少女漫画の絵があり、また萌え絵師には女性の描き手もすごく多い
・これはなにも矛盾することではなく、単純に、多くの女性は「性的魅力がある女性」を「美しい」と感じると思う
・ようちえんのころ読む絵本のお姫様は金髪碧眼で胸元の空いたドレスを着ていたし、男性好みだろう制服に似せたミニスカートのアイドルはかわいらしい
・それはもしかしたら「社会からの男性的価値観の刷り込み」の結果かもしれないけど、ともかく感覚として、それらを美しいと感じる人は多い
・セーラームーンはなかよしで連載された女児向けの漫画だけど、明らかに男性向けのモチーフに満ちている。彼女たちがセーラー服である必然性もあんなにもミニスカートである必然性もまったくない
(何十万年も前の前世から続く戦いでなんでセーラー服着てんねんて話である)
・確か単行本のあとがきで、この企画は男性担当者が作者に「セーラー服の女の子のヒーローものかこうよ、ぐふふ」的な持ちかけ方をしたと描いてあったと思う。あの作品の萌芽には「男性による女性への性的視線」があったし、実際にそういう消費の仕方をされまくった
・それでもセーラームーンを批判する声が少ないのは、もちろん「フェミニズム的な考え方より先に作品が浸透した」「現在の論壇の人たちが子供時代に楽しんでみていた」こともあるだろうが、セーラームーンの作品内において男性がまったく支配的でないこと(むしろ彼らは客体にしかなれなかった)、少女たちのある種ホモソーシャルな関係性が描かれていたこともおおきいだろう
・女性作家が、流麗な「女性的な」筆致で、誇りをもった存在としてセーラー戦士を描いたからあの作品は批判対象にはなりにくかったのではないか
・今、「萌え絵」と「少女漫画絵」の区別はつけにくい。もちろんどちらにも傾向はあるがネット社会において文化は常に交雑している
・萌え絵は「女性蔑視のアイコン」とされやすい文脈を持っているとかいたが、萌え絵を用いて描かれる作品の多様性にしたがって、その文脈は変化していくだろう、そうだといいな、と思う
・同時に、「男性から見た性的魅力」以外の「美しさ」も、次第に私たちの意識に浸透してきているんじゃないか
・そういう時代の変遷に希望を託しながら、なりゆきを見守っているのがいちネトフェミの現在である。
----------------
気が付いたらブコメたくさんついてて驚いた。
1点だけ。
かき消してない、全然かき消してない。
その前段で多くの女性は「性的魅力がある女性」を「美しい」と感じる、と言ってる。
その一例としてセーラームーンの話をしている。
女性が魅力を感じる女性の表象と、男性が性的魅力を感じる表象が一致していることが現実としてある。
そして、仮に「セーラー服の女の子が戦う漫画描こうよ、ぐふふ」が萌芽にあったとしても、
現実に多くの男性に性的に消費されるキャラクターデザインであったとしても、
セーラームーンの中で確かに誇り高い女性キャラは描写され、広く女性に受け入れられた。
それは同時に起こりえることだった。
そういう話がしたかった。
セーラームーンを平気で「男の性欲が無ければ無かった存在」として扱うの、当時女児で純粋に好きだった自分としてはかなりショックなんだが。萌え絵否定のためなら女性作家や少女ファンを蔑ろにしても平気なんだね。
扱 っ て ね え よ
だめだ謝ろうかと思ったけど謝れない
もともとの文章が悪かったのかと思ったけど追記してもなおそう書くのってどういうことなんだ
ブコメだけ読まないで本文読んでください