はてなキーワード: キャラクターデザインとは
総括するとオタクめんどくせえな!辞められてよかったねおめでとう!で終わることだと思ったけど、自分もここ1年くらいアイマスを辞めたいと思っていながら切る勇気が出なかったクチで、明日にはsideMのライブに行くことになるので、改めて最近の考えをまとめてみようと思った。
『9.18の騒動でアフィブログやランキングを騒がせてる「アイドルマスター」ってなに?』
深夜アニメを見始めてネットに慣れてきた2011年、当時興味を持って見ていたことといえばやらおんとニコニコ動画だった。調べたらかわいいキャラクターがアニソンに合わせて歌って踊っている。それはもう追いかける要因になりえた。なんとなく見た目が好きだった竜宮小町がプレイアブルキャラクターから外されたことや、765アイドルと961男アイドルの絡みコラが面白おかしくアフィブログに載るのを目の当たりにして、ショックだったし怒りを覚えた。でもキャラクターは可愛かったし、曲もキャッチーで、ゲームのプレイ動画を見たりして毎日を過ごしていた。
当時程なくして始まった「アニメのアイドルマスター」がとても面白く、またオタクになりたての私には全てで、後発で始まった某スクールアイドルに変に対立意識を持ってしまったりしたせいで対抗意識を燃やすようにアイドルマスターにのめり込んだ。
そしてシンデレラガールズにたどり着いたのだ。
売り出し中でポチポチゲーがモバゲーのランキングを占める中、アイマスといえば信号機!メインキャラクターとして冠を置かれていたのになかなか出番を貰えないキャラがいた。Mだった。
この時点で、RとSにビジュアルでタメを張れるとは言えないキャラクターデザインの時点であまり雲行きは良くなかったのかもしれないと今なら思う。
CDリリースが決まり、当時人気のあるキャラ順ともいえよう数名に声優がつき、作品の冠ラジオが始まった。この時に属性ごとのパーソナリティがキャスティングされたが、信号機の順でいくとMだったはずのものが既に声が付いているJになったのを当時の私はわだかまりに思った。Mはまだ声優もいないしメインなのに前に出て来ない扱いにくいキャラクターだったし、あまりに新カードが来ないと記事にされているのをネタにされるのをたまに見ていた。そんな中訪れたアニバーサリーでついに声優が決まり、CDデビューが決まり、ガチャSRで登場した。好きになってしまった。声優も当時見ていた女児アニメの出演者と知り余計に親近感が湧いた。
そこから、Mを中心に漠然と信号機が好きになった。今でこそ歴史の積み重ねで声なしのキャラクターでも「担当」と名乗ることに不安はないかもしれないが、設定も小出しの当時は有名だったAやYに比べるとほぼモブみたいな扱いが多かったし、ピクシブもRとSだけが扱われたような2次創作も珍しくなかった。好きなキャラが仲間はずれにされて傷心しながらも、毎日のように更新される美少女のイラスト、テキスト、ボイスに夢中だった。
主題歌のシングルを買い、噴水公園のイベントやゲリラライブ、SSA、念願の1stライブ、雪辱の総選挙、そしてアニメ化が決定し、We’re the friends!のリリイベで初めて現地の観覧に参加して2ndライブの発表を聞いたり、とにかく楽しくて仕方なかった。
アイマスを辞めたいと思ったのは、『TVアニメ アイドルマスターシンデレラガールズ』で”アイマスに地雷ができた”からだ。事象の説明で長くなってしまうのでサクッと済ませるが、「自分の思い描いていたM」と「アニメで描かれた情緒不安定さ」・「Pやシンデレラガールズの200人近くと接するM」のギャップが受け入れられなかった。いわばMの夢女になってしまっていた。(夢Pとも言えるかもしれない。当時は夢理解がなかったので最近気持ちの整理がついてから名前をつけた)
アニメの展開をなぞるライブのセトリに3rdライブ以降あまり気持ちが乗らなくなった。その時点で辞めればよかったのだろうが、デレステが始まり、平面の世界にいたシンデレラガールズのアイドルが3Dの新しいステージにいるという、765シリーズを彷彿とさせるような”アイドルマスターらしさ”に目が眩んでしまった。
デレステオリジナル曲〜後発声帯実装キャラの飛躍により序盤のキャラクターや声優は出番が減り、私はラジオメインに以降していった。声優の活動を追うしかなくなった。
本格的に声優の個人ラジオを聴くようになり、イベントに通い出したところで気がついた。
結局今の今まで見ていたのは”M”なのか”Mを通した声優”なのかを見失っていた。
まあアイマスはその辺りの次元をぼかすのが上手だったと今なら思う。普通の声優はキャラクターにビジュアルを寄せたりしないからだ。その辺りは自分が型に当てはめたがりなせいと、2.5次元俳優を知った今だからこう思うのかもしれない。
「アニメが全てというわけではない、でも与える影響があまりに大きすぎる」
結局は自分が「キャラの解釈はこう思ってる!」って芯があればいいことだと思うけれど(リアルにギャルゲーに理解のある女オタがおらずみんなもれなく腐女子になっていったので)1人でオタクをしていた私にとって「ネットなら同じことを喋れる仲間がいる」ことは唯一無二の趣味だった。
アニメになると、自ジャンルが腐の友達でもみんな見てくれた。更にとっつきやすいソシャゲが出ればイチコロだった。そんな友達でも在学中は関係を損ねたくなかったし、アイマスの良さを分かってほしかった。宣伝したら見てくれて、話を理解してくれる友達も増えた。
ネットでは、解釈不一致の人と関わらないようにするのは容易だった。例をあげればコスプレイヤーだ。「Mというキャラクター」が好きだったので、コスプレイヤーはみんな顔やスタイルというオフラインの部分をちやほやされたい承認欲求がダダモレな奴らだと思い込み、ブロックしまくった。レイヤーがオタクの中で目立ち、オタクの種類の中で世間に例として挙げられることが多くなった現在ではこれは偏った考えだという認識もあるのだが、今後もレイヤーとは分かり合えることはないと思う。
一方自分はファンアートを描いたりしてそこそこツイッターの人間関係を築き上げることに成功した。作り上げるプロセスや褒められることで得られる承認欲求や快感はレイヤーとさほど変わりはないけれど、オタクはネットで顔をあわせることなく楽しむものと型にはめたがっていたところがあった。そうとは言いながら実際ライブや即売会ではフォロワーと会ってご飯などしていたので、なんだかんだネットの友達と会うことは楽しかった。容姿をオタクとしての楽しみに持ち込みたくなかった。
あまりに遅いが、私とシンデレラの最後は結局5thでMの声優が出る回をライブビューイングで合計2回見て終わった。千秋楽であまりの辛さに途中で席を立って、そこでやっと辞められた。もうMに対してもMを演じる声優に対してもお金を払おうと思わなくなった。それに伴ってツイッターのアカウントも消し、本格的に2次元の美少女と女性声優を好きになることを辞めた。
その後、イケメンが出てくる女性向けにハマってみたりもして声優ライブにも足を運んだ。平均30代くらいだと思うが、女性声優みたくかわいいとか見てて癒されたりは一切しなかった。ただ『顔の良いキャラクターの声をしている』と漠然と感じ、当たり前だがあざとかわいい系のキャラをゴリゴリのおじさんの顔が声出してるのを見て、悪い意味でも良い意味でも裏切られたと感じた。その中で一番若かった20代の男性声優は推せる!と思ったが、正直また若手かと正直自分に辟易した。(オタクめんどくさいな)
そこから初めて2.5次元という世界に触れて、舞台を見て、そこで初めて「推しは生きてる」と感じた。でも、どれだけ見た目と行動が完璧でもやっぱり2.5の俳優はキャラクターの声では喋らないのだ。そこから、声は声優に求めて、演技は俳優、キャラクターの成長は公式に、という考えが自分の中でちゃんと整理できた。
ちょっと前まではこれを声優に求めていたんだな、とも反省した。
結果的に、声優に無理やり2.5次元性を求めるのはやめて3次元アイドルを推すようになった。アイマスの現場でたまにいる”厄介オタ”の行動原理もなんとなく分かった。(当時は現地で近い席になるとペンラでぶん殴ろうかと思うほど憎しみを抱えていた)
3次元アイドルは生きているし、アイマス2みたく中途半端に成長しない。曲が良くて、歌が上手くてかわいい。現場も行きやすいし、会いに行ける。同性として可愛い子は見ていると元気が出る。(疑似恋愛にはやっぱり賛同しかねる部分があるけれど)
「推し」を推している時の感情は、Mを「担当」していた時と近いと思う。
「推し」って言葉はPから嫌われてるけど、ライトで使い勝手が良くて、追いかければ追いかけるほど熱が入っていって、今では「好きだ・応援できる」という時自分の常套句だ。
アイドルマスター、キャラクターの「担当」って言葉はやっぱり呪縛であり麻薬だと思う。自分がいなくちゃダメという錯覚。
Mに対しても、「ソシャゲに課金をして強くなりたい、カードを入手したい」という気持ちではなくて「声を聴きたい、新しい絵が見たい、この子がどんな行動をするのか知りたい」という気持ちのほうが強かったので、課金はあまりしてこなかった。時間をかけることもお金をかけることも、モバゲーのシステムには投資したいとあまり思えなかった。今思うと、この行動は「担当」ではなく「推し」だったのかなと思う。
デレステで限定が来た時に、それはもう当時持っていたお金を財布の中身以上に費やして、何が何でも72時間で入手しようとした。結果的には入手できず、ただ財布の中身以上のお金を擦ったという現実だけが残った。なんとも後味が悪く、シンデレラガールズを辞めるという感情に駄目押しをされた気分だった。
今でも「推し」と「担当」のファン行為としての境目は見つけられていない。
ミリオンの「担当」でSSRが来ても同じことにならないといいなと漠然と思っている。
765とミリオンライブを辞められずにいる理由。それは、声優の2.5次元性とキャラクターの設定の深さ、デザインの可愛さ、そして3Dモデルでキャラの実在性を感じられるという点だ。完成度の高さだ。
sideMの今後はどうなるんだろうと、まだどこか「アイドルマスターに」期待している自分がいる。
今度の新作発表会には、既存コンテンツの展開やアイマスの4つのシマの合同ライブなどを期待している。
アイマス2とアニメ以降、当時中途半端に存在をなかったことにされていた彼らがどこか気がかりだったので、2014年のSSAでsideMの告知された当時を知っていると復活することは喜ばしかったし、現にアニメ関連のプロジェクトが公開される2ndライブまでは嬉々として現場に通ってきた。
アニメ化は嬉しかったが、放送中も『Mの時みたいになってしまうんじゃ』と不安が拭いきれず、冷えながらもなんとかアニメを見切った。
そこからモチベーションや熱は戻っていないが、アイドルマスターを辞められなかったので明日からsideMのライブビューイングに行く。アニメ以降、sideM出演者のうち特定の声優を推すようになった友人と連番するつもりだ。リアル友達とアイマスの話をするのは楽しい。さらに言えば今後現地に行く予定もある。行くのはライブ後半なので、それまでにあわよくば熱が戻ればいいなと思う。
こう分かっていても、セカライで私は確実に声優を通してもふもふえんを見た。ある意味声まで備えた2.5次元俳優のようで、もふもふえんは無敵で完璧だったと今でも思う。かわいいし、カッコよかった。
他ユニットは「〇〇キャラ役の声優が歌っている」止まりで、それが普通だ。
でも、もふもふえんはそれを飛び越えた何かだった。実名を出してしまうと、男声優の歌とダンスを見て「あゆむらせかわいい」でなく「かのんさんぎゃわいい!!」になった。女性声優のアイマスには、この現象が全編に渡って効いている。一種の魔法だ。
サライ見に行くのためらってるのは、声優が見に行きたい訳じゃなくて315プロのキャラクターが見に行きたいからだ。
アイドルマスターは増えすぎた。キャラクターも、声優も。正直シンデレラガールズで徐々に増えていくのを追ってたけどもう完全にお腹いっぱいだ。
有名な「このマンガがすごい!」とか何アレ。オトコ編とオンナ編でしか分かれていない。ただの書店員のオススメ漫画見本市でしかない。
アメリカ見てみ?映画産業や音楽産業が文化だって誇り持ってるからアカデミー賞だってゴールデングローブ賞だってグラミー賞だって事細かにさまざまな部門に分けて賞を作って選考している。尖った感性の作り手もちゃんと正面から拾い上げて審査しているのだ。
Wikipedia参考にアカデミー賞にどんな部門があるか見ていこう。
録音賞
衣裳デザイン賞
特別賞
このように総合的に一番良かった作品を決める「作品賞」の他に、ちゃんと映画の技術を評価する賞がいくつも存在しているのだ。
しかし、日本の漫画賞には漫画の技術を評価する賞がいまだにない!
だから「この描写方法は誰々が発祥」など起源議論がネットで耐えない現状もある。
アカデミー賞に当てはめて、日本漫画アカデミー賞を作るとしたら、各賞はこんな部門になる。
美術賞…優れた背景・小道具・大道具・機械美術、デザインに贈られる賞
短編漫画賞…20ページ以下で完結する優れた短編漫画に贈られる賞
衣裳デザイン賞…優れたキャラクターの衣装デザインに贈られる賞
長編ドキュメンタリー賞…50ページを超える実録・ドキュメンタリー漫画に贈られる賞
短編ドキュメンタリー賞…50ページ以下の実録・ドキュメンタリー漫画に贈られる賞
キャラクターデザイン賞…優れたキャラクターのデザインに贈られる賞。
ノミネートされる作品はその年に発表された回、その年に終わった漫画。ただし長期連載漫画の場合は「○○編」といった形でのノミネートや、「ちょうど○○が告白して区切りがついたから第○話から第○話までのエピソード」という形での年またぎノミネートも認める。よって前年までに候補になった回は落とされる。
もちろん本家アカデミー賞と同じく、一つの作品が複数の部門でノミネートされて五冠、六冠取ることも想定している。
漫画は立派な日本文化なんだから漫画技術を評価するために、漫画出版社は漫画アカデミーを立ち上げて今すぐにアカデミー賞の選考を始めるべき。
はじめから3部作だって分かってたら、これほど「物足りない感」がなくて済んだだろうか。
「何かを注射してやっつける」という筋書が、「シン・ゴジラ」も大体同じだけれども、
パンフレットに、植民がもとの目的の移民団だから、武器も最低限しか持ってない、という
設定が書いてあったけれども、そこが上手に描写されてないし、活かされてない。
少なくとも、「在来線爆弾」みたいなギミックまで持って行けていない。
キャラクターデザインがコザキ・ユースケさんらしいけれど、弐瓶先生の間違いじゃないの、
というくらい、絵面に違いが出ていない。百年単位で航行してるシドニアと、20年のゴジラ植民団なら、
宇宙船の構造も人々の様子も、もっと違いがあっていいんじゃないか。比較しても仕方ないけど。
あと、2種類の外星人に、もうちょっと描写があるべきじゃないの。
これからヒールターンするから、第二部に説明を回したのかもしれないが、それぞれの立場が
よくわからないままに、ストーリーに入っていくから十分盛り上がらない。
きゅうべえ、みたいに謎のまま行くにしても、もうちょっとやりようがあったんでは。
でも、メカゴジラが楽しみなので、たぶん弐作目も初日に見に行きます!
ポリゴン・ピクチュアズにはとても期待しているので、非弐瓶テイストの作品をやってもらいたい。
宝石の国は、ポリゴン・ピクチュアズ版も見てみたかった。
以下を読んだので意見を述べたい
https://togetter.com/li/1172284
https://togetter.com/li/1172310
この記事を書く目的はクリエイターに関する理解を深めて欲しいからである。
①発議者は業界の賃金問題の話なのに「お前は下手、私は上手い」とクソリプとばしている森次は論旨を理解してない
②しかし森次の絵は実際上手い。ポケモンのメインキャラクターもデザインしているようだ。絵描きとしては天才だけど性格が壊滅的に悪い人なのだろう
①については特に異論はない。しかし②について、つまり森次氏の実力については意見を挟ませて欲しい。
私の結論として森次氏の表面的な作画能力は天才的なレベルとはいえず、業界内基準でいうなら凡庸程度。過去の仕事をいくつか検索させてもらったがカードイラストに関しては良くて「まあまあ」、絵画作品は「少し下手」という評価をしている。絵が上手いか、下手か、という話は抽象的な議論に聞こえるが、プロの作家や編集からみると顕著に評価がわかれる。もちろん理由セットで。プログラミングが分からない人に “Hello World” を表示させるコードを見せたら、さも難解なことをしているのだと思われるのと同じことだと思う。要するに無理解から来る尊敬だ。
特に話題になってたのが高校生の時に描いたというエビの絵だ。10代でここまで描けるなんて天才だろうという意見が多く出ていた。これは本人も言っているが模写である。「模写だったとしてもすごい」という人もいるかもしれないが、美大受験レベルの高校生であればざらにいるレベルである。上位20-30%には入っているかもしれない。ただ模写はやってみるとわかるが想像以上に上手にかけるので、あの絵を正しく評価するには現物をみるしかない。多摩美や芸大の油絵科の学生に、この絵を見せても「天才」と思う人はおろか「なんで学生時代の課題を公の場に晒しちゃったのかな…^^;」という反応が来ると予想する。ただ素人目にみるとすごく見えちゃうので、そこを堂々と出してくるのが逆にすごいというか、まともな神経なら恥ずかしくてできないんだけど。
これはゲーフリの開発体制を知らないから想像でしかないのだけど、恐らく一人のスタッフがキャラクターデザインをピンからキリまでやらされることはないし、何を持ってして「デザイン」と呼ぶかにもよる。大げさにいうなら「髪は緑」というコメントを出してそれが採用されるだけでも「デザインをした」という実績といえる。さすがにそのレベルの実績をプロフィールに書かないだろ!と思いもしたがエビの件をみるとあり得るのではと勘ぐってしまう。
気になった言葉なのでプロフィールから抜粋した。そもそも予備校で飛び級の意味がわからないが、言い方の問題で、浪人生のクラスに混じって高校の頃から授業を受けていた、ということなのではないか。これは本人が希望して時間の折り合いがつけば普通にできる。私も美大浪人したがクラスに1〜2人は高校生がいた。
「自分もアニメーションに関わってるから適当に発言しているんじゃないよ?」アピールが入っている。映像の仕事はアニメと3DCGで技能もツールも全く異なる。自分の仕事領域を明確にしてないので色々謎。発議者は「自分の仕事は動画」だと明言しているのでこの話はフェアじゃない。この件がどうだかわからないが、大して重要なポジションにコミットしているわけでもないのに「私は〇〇の仕事をした!(実際にはデバッグをやっただけ)」というクリエイターは珍しくない。
〜
細かく突っ込むと他もいくつかあるがとりあえずはこんな感じでしょうか。なにか質問あれば追記します。
普通、美大やゲーム会社で育つとまわりに上手い人いっぱいいるので「いや〜私なんてまだまだですよ…」となるのだが。本当にものっっっそい上手な人でも謙遜するくらい化け物クリエイターばかりの世界なのだが。彼女の場合、そういうのをみじんも感じないので素で自分の実力がわかってないのかもしれないし、そういうロールなのかもしれない。しかし周りもその自信に怖じ気づいて「天才なんだな」って同調しているのがわりとつらい。
twitterを見ていると美少女イラストに対してのリテラシー(可愛いor可愛くない)はとても高くて私も嬉しいのだけど、少しジャンルはずれると(特にリアル描写系)「よくわからないけどすごい」のような評価になってしまうのが少し残念に感じる。あと森次氏の比較対象としてあきまん氏が挙げられてたけどあきまん氏の方が性格の悪さも技術力も万倍は上だろう。それくらい差がある。
歌以外のものを制作したいって言うわりには制作物に関する詳細がない。
なぜ、歌で自分たちの思いを伝えようと思わないのか。
(ブログや投資アピールページに思いを載せていたが、本当にそう思っているならばもうやめた方が良いと思う)
特典見るとアイドル活動でとても痛々しいし、本人たちも「やりたいこと」ではないのだろうけど、そういうのこそ仲間内だけではなくもっと外部の人を巻き込んで相談すべきことだろう。
発案者が誰にせよナンセンスだ。そもそも自分たちの客層(学生)を考えるとかなり危険な行為である。
社会人経験者もいるはずなのに、この浅い企画書を提示している時点でお察しなのだが。
バンドマンなら自分たちの思いを歌で伝えろ。100%伝わってないなら自分たちの実力不足なだけ。
それをファンのせいにしたり、環境のせいにするのは間違ってる。
特典で開催されるイベントの経費はクラウドファンディングで集めた金で開催されるのだろうか。
制作はどこが行うのか、制作会社は、キャラクターデザインは誰が行うのか。
お金を集めるというのはそういった情報の開示も必要だと思うが。
全然アニメ見なかった自分が去年からアニメを見始めたんだけど、見た作品の7割以上が面白かった。てかアニメどんだけあるの。
※長いので、「どうして面白いのか」のとこだけ読んで下さい。
きっかけは去年の5月、ニコニコ動画で西尾維新の〈物語〉シリーズを時系列に配信する企画があって、初めて最近?の深夜アニメ?を見てから。それが本当に面白くて、当時のちょっとした楽しみになっていた。
これまではジブリ作品とかポケットモンスターとかワンピースとか観たりして育ったんだけど、高校生になる頃には殆ど観なくなった。大学生→社会人の頃見たアニメはAKIRA、攻殻機動隊くらいしか覚えていない。
でも去年の10月頃、ひょんなことから精神病院に入院したついでに無職になって、時間を持て余すようになった。今までできたことが、全くできなくなったからだ。それでも〈物語〉シリーズ視聴だけは続けていた。そのうち「他のアニメってどうなんだろう、もしかして面白いものもあるんだろうか?」とか思い始め、今に至る(ちなみに今は職業訓練中)。あとアラサー。
1.作品当たりの情報量多すぎ説
アニメは、世界観があってシナリオがあってキャラクターデザインがあって背景美術があって声があって音響があって音楽があって場面ごとの演出があってキャラの動きがあって…云々、とてもじゃないがその作品を構成する要素すべてを理解するのは難しい。どれだけの人が作品のすべてを理解したうえで、あっちが面白い、こっちが面白い等評しているんだろうか。
私が作品を観ていて面白さを感じるとき、「あ、このシーンの音楽最高だな」とか「このシーンの美術やべえ、どうなってるんだこれ」とか「ここの演出しゅごい」等、作品の中のごく一部分だけを切り取って考える場合が多かった。それはつまり、切り取り方(主観)が面白さの大事な要素っていうことじゃないんだろうか。たとえその作品が長い歴史の中で使い古された手法で再生産された焼き増しの類だったとしても、他の作品と全く同じという事はないわけで、見方を変えればいくらでも個性は見つかる。新しいアニメが既存の作品と似ているからと言って、どちらかが劣っていることにはならないんじゃないだろうか。
これまでアニメは1度観たら終わりだったのだけれど、今は同じアニメを見返すたびに新しい発見があったりして、マジで錬金術じみている。なんせアニメは総合芸術ゆえ、多種多様な、千差万別な主観を受け入れられる器がある以上同じ作品でも多様な評価があるはずで、もしどの作品もおもんないというの事実がだとしたら、観てる人たちの切り取り方がどんどん似てきている、つまり視聴者側の多様性が失われているっていうことなんじゃない?
2.作品の多様化説
まだじぇんじぇん作品を観れていないのだけれど、思った以上に表現方法が多種多様で驚いた。最近はキャラクターがCGオンリーのアニメなんかもあったりして、すごいよねあれ。表現方法が増えるってことはつまり「何か」を伝える方法が増えるわけで、より多様な人たち、それこそアニメとは無縁の人たちにも新たに「何か」を伝えるアニメが作られることで、面白いと感じた人の絶対数は増えてるんじゃないだろうか。
また、私が沢山の作品を好きになれたのは専ら作品の多様性のおかげだ。今まで見たこともないような表現に出会って感動するたび、これまでなんとも思わなかった作品が突然面白く感じるようになるという経験を沢山した。自分の「アニメを見る目」どころじゃない、心そのものが多面化していく、豊かになっていく感覚だ。こうしてアニメが多様化するたび、受け手側もどんどん変化していくのだと思う。
3.視聴方法の多様化説
あくまでライフスタイルを優先しながらアニメは観るべきで、放送側の都合で観てたら、やっぱり疲れると思う。あれはあれで楽しいこともあるけど…。
ちなみに私はこれまでアニメを見る=TVを録画するか円盤を買うか?しか無いと思ってたので、こんなにも視聴方法を選べるとは思わなかった(ただしひまわり動画、テメーはダメだ)。なんせ私の兄弟たちは皆テレビ・レコーダーが大好きで、今もなお空き容量と戦争している。とりわけアニメは熾烈で、「とりあえず一通り録画→早いうちに1話を見比べる→ピンときた作品を残し、それ以外の作品の録画をやめる→CMを削り、ディスクに焼く」と言った具合だ。一方円盤はくっそ高いし、そういうのが嫌でアニメを今まで見なかった。
ところが、先のニコニコ動画では無料配信があるし、amazonPRIMEでは年間3000円そこらで一部のアニメが見放題だし、abemaTVではアニメが垂れ流しだ。すごない?これ(ちなみにアマプラとd'アニメとabemaTVプレ垢契約しました。ネトフリは検討中)。
そんなわけで、最新作の最新話をリアルタイムで追いかけるのがアニメ視聴のすべてじゃなくて、疲れてるときにはアニメを見なくていいし、1話が微妙だったら観るのを止めて、また気が向いたら見始めれば良いし、見たことないアニメも他のアニメを観るついでに、試聴してみればいい。いっそ5年位寝かせてみてもいい。楽しむためにはこれが必要だと思う。今年の最新作も、2025年頃には「昔のアニメは良かったリスト」に加わってるかもしれないぜ。
4.アニメ視聴以外の楽しみ
アニメのイベントがこんなに盛んだとは思わなかった。1作品でも2回3回とトークイベントとかあるのね。あと驚いたのが、ラジオ。大抵の作品に広報のためのラジオ番組(あるいはニコ生とか)があるという。何かしら作品を深く理解したいと思ったとき、こういう催しはとてもありがたい。作り手の考えや苦悩が作品をより立体的に、奥行きのあるものへ変化させていくし、作る人を好きになるきっかけを与えてくれる。作り手への興味はその人が作る他作品への興味に繋がるので、よりアニメへの造詣が深くなる好循環を生む。マジでトークショー行って良かった。
すこし脱線するけど、声優ファンって最初はこんな感じだったんだろうか。彼らはよく広報担当として公の場に出てくるから顔と名前を嫌でも覚えるし、その割にはあくまで作品づくりのごく一部を担当する外注の技術者?(クリエイターと言えば良いのだろうか?)みたいなもんなので、作品に対してはなんというか、他のスタッフよりも「ただの作品ファン」側に近い存在のような印象を受けることがある。実際、放送されるまでどんな絵になってるか一度も見てないとかあるみたいだし、作品作りの中核を担っていない場合が多い。すると、アニメ視聴者からすれば声優は「そのアニメに思い入れのある同士」みたいな、変な親近感を覚えてしまう。ほれてまうやろー
いろんなアニメを観ていると、悪魔みたいな作品に出会うことがある。それはとても不快で、心がざわざわして、二度と観たくないと思わせるような。観たら最後、寝ても覚めても脳裏に焼き付いたシーンがフラッシュバックして、頭のなかであの音楽が流れ続け、胃痛で眉をしかめ、何も手につかなくなってしまう。
しかも、そういう作品に限って評価することが出来ない。悪夢みたいに思い出すシーンや音楽は美しく、登場人物の瞳は深淵みたいに深く、あの声優の演技は恐怖さえ覚える。そういう作品のどこまでが演出で、どこからが自分の感情なのかわからない。作品のことを一生懸命考えてるつもりが、気づいたら自分の過去の記憶で胸が一杯になってしまう。もはや作品の面白さがどうとか考えられないくらいに、心をかき乱されて頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。
ああいう悪魔みたいな作品を観ることのできる幸せを、今日も噛み締めています。
最後に、ここ1年位で見た作品を(覚えてる限り)載せときます。検索妨害になりそうだったら消します。長文駄文失礼しました。
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<2017-10-22追記>
こんな与太話に付き合ってくださりかありがとうございます(汗)幾つか気になったコメントがあったので…
・なんの分野にせよ自分がハマり始めた頃を最盛期と思う人が多いから仕方ないね
書きながら全く同じことを思ってた。例えば私の場合、新作ゲームの評価がまさにそうなっていたりする。恐らく10年前よりも面白い新作ゲームがたくさんあるはずなのに、買う前にやたら躊躇するようになった。そのくせ「面白いゲームないかな-」とか言っちゃってたりするわけで。これに対する答えはきっと無いんだろうけど、強いて言うなら「作品を作る人達への尊敬の念を忘れない」ということなんじゃないだろうか。それを忘れない限り、70歳位になってもアニメやゲームを楽しめると信じてる。
・BACCANO!見ようぜ!ヒャッハー!
・もう見てるかもしれないけど、攻殻機動隊好きなら「PSYCHO-PASS サイコパス」おすすめする
「○○お勧め!」的なコメントはとても嬉しいです。ただ、本文にもある通り「どんな切り取り方をすると」面白いのか、に興味がある。バッカーノは、原作が成田良悟(電撃文庫)、監督が大森貴弘(デュラララ!や夏目友人帳の監督、音響演出兼任)、構成、脚本が高木登(デュラララ!のシリーズ構成、地獄少女シリーズの一部脚本)、キャラデザが岸田隆宏(デュラララ!やボールルームへようこそのキャラデザ)、音楽が良守信(デュラララ!や夏目友人帳の音楽)みたいな感じなんだけど、夏目友人帳やデュラララ!も好きだったりするんだろうか?とか思う。もしそうなら、上記の中の誰かがグッとくる何かを持っているクリエイターということになるはずだし、そういうのを知りたい。
・最近見たアニメの中で特に面白かったの3つ位あげて欲しい。どういうの好きなのか知ると皆無責任に自分のおすすめアニメ教えてくれるぞ(酷
アニメを観てると、やっぱり「面白い」作品の中に「劇的に面白い」作品があるなぁ、と感じる。根拠はもちろん主観なので、これは「一般的に比較できる面白さの差」ではないのだけれど。
一つ目:アリスと蔵六
2017年の作品。原作は今井哲也(月刊COMICリュウ)、監督は桜美かつし(ふらいんぐうぃっちの監督)、シリーズ構成は高山文彦(超時空要塞マクロスの演出、機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争の監督)、音響監督は岩浪美和(ふらいんぐうぃっち、プリンセス・プリンシパル、ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けないの音響監督)制作はJ.C.STAFF。
去年見たふらいんぐうぃっちで、桜美かつしと岩浪美和すげえ!ってなって、同作のスタッフを見て「これは観るしかない!」と思ったのがきっかけ。脚本と演出と音とBGMと背景美術とキャラデザと声優の演技とが優れた作品だった。難点は見放題方式の配信しているサイトが少ないので、見る機会が少ない点。
2009年に始まった作品。原作は西尾維新(講談社BOX)、監督・シリーズ構成は新房昭之(さよなら絶望先生、3月のライオンの監督)、セカンドシーズンや憑物語などの監督は板村智幸(さよなら絶望先生の絵コンテ、3月のライオンの演出)、キャラデザは渡辺明夫(神のみぞ知るセカイ、グリザイアの果実のキャラデザ)、音楽は神前暁(らき☆すた、かんなぎなど多すぎて書けないくらいアニソンやBGMを作ってる人)、制作はシャフト。
同作は作品の章毎にOPやEDが違うという演出がされているのだけれど、それらが全部極めて良い。楽曲もそうだし、アニメーションも。自分の中ではこの作品の魅力は半分くらいOP、EDが占めていて、本編を観るほどにOPEDが輝く。今のところ、すべての作品の中でOPEDが最も優れていると感じる。難点は話数が非情に多く、どの順で観ればいいかわからない点。
2002年に始まった作品。原作は士郎正宗(ヤングマガジン)、監督・シリーズ構成は神山健治(東のエデン、ひるね姫などの監督)、メカニックデザインは寺岡賢司(スレイヤーズのモンスターデザインやってたらしい)と常木志伸(PSYCHO-PASSのメカ監修)、音響監督は若林和弘(東のエデン、各ジブリ作品の音響監督)、音楽は菅野よう子(マクロスシリーズ、カウボーイビバップの音楽)。
世界観がずば抜けて優れてる。しかもこの作品はほとんどオリジナルストーリーらしい(原作未読です、すみません)ので、このアニメ作品の世界観やストーリーの良さ≠原作の良さと言っていいと思う。軽く「もう一つの地球」が想像できるくらいの深さがあるので、アニメを観ずに考えているだけで楽しい。加えてメカニックデザインもすごく良い。セブロとかマテバとか外骨格フレームとかタチコマとか大好き。菅野よう子の音楽も非常に良いし、ベテラン声優たちの演技もヤバイ。近々新作が作られるようだけれど、世界観と脚本とメカニックデザインと音楽と声優演技が優れているのだからきっと自分好みの優れた作品になるだろうと思っている。
難点は難しい点。兄弟に勧めてみたけど、「よくわかんない」って言われた。
・好きなモチーフが描かれてないと心が震えないのよな。そのとき作品の巧拙を判断する回路が走る。そうなるとよくできた作品にはなっても面白い作品になることはない。
よく出来てるなぁ、すごいなぁ。という感覚にエクスタシーじみた何かを感じる事はないだろうか。それは例えば神前暁の音楽だったり、岩浪美和の作る音だったり、江畑諒真のアクションだったり、ムーン・フラワーの美術だったり、悠木碧の演技だったり。ぶっちゃけそういう技巧的な魅力を感じたシーンの前後の文脈とか全然覚えてないし、どうでも良かったりする。ただあの瞬間をまた観たくて、何度も再生したりする作品を「面白い作品」と評してもいいとおもうけど。
人によってはなにを今さらという内容だろうけど。このゲームの第一印象は「理解力たけぇなおい」だった。
本家と言っていい艦これーー艦船擬人化はその前からあるけど、ゲーム的にーーのデザインをなぞりながらも、上手くアレンジしている、という感心だ。アメリカの航空母艦が野球のピッチャー風だったり、旗のような飛行甲板だったり(これは戦艦少女のほうが先ぽいけど一度もやったことがないのでちょっと脇に置いておく。好きな人ごめんよ)、あるいはミリオタ的こだわりより見栄えのするデフォルメを優先したんだろうなぁというアレンジもある。正直ドイツ艦の艤装とかかなりツボだ。
日本のアニメや漫画のパロディ、ネタがあちこち唐突に散りばめられているなど、良くも悪くも同人的な節操のなさは、人によっては面白く感じるだろう。
他にも、プレイヤーの分身たる指揮官が、はっきり「年少の男」「少年」と描写されているなど、間口を広く取るという点ではかえって壁になりそうなとこもさらっと飛び越えてくる。お前らそんなおねショタ好きか。
睦月・如月のデザインなんていろいろアウトである。なんだあれ。少年指揮官だけど画面の向こうの日本人はロリペド野郎ってか。その通りだよ!
ケモミミ・妖怪化も、まことしやかに「お上に配慮した結果」と語られているのを見るけど、理由はなんにせよ、こっち方面のオタクなら「ミリ方面でケモミミ……あぁスト魔女か。空と海とはいえ被ってるかな」ってなると思うし(なるよね? ならない?)、艦船擬人化で一国家まるまるケモミミ・妖怪化という発想は、むしろ難易度が高いのではないか。
なんというか、キャラクターデザインやその配置にも、文法とか文脈みたいのがあってある程度共有されているのだと思うけど、そこから外れたものを出されたとき、「異国感」みたいのを感じるわけで。しかしこのゲームでは、ガワは完璧日本の二次元キャラしているせいで(むしろウケる画風という点では非常にハイレベル)、「なにこの、なに?」みたいになる。世界観やキャラデザだけを見る限り、戦艦少女が越えていなかったラインをあっさり越えてきた、という印象だ。
原爆ネタなんて爆弾仕込みながらこれを堂々と日本で出してくるというのは、一種の強みではないかとすら思う。しかもメチャシコエロい。林檎仕事しろ。
今さらなに言ってんだ、艦これが出てから何年経ってると思ってんだ、という話でもある。
これまで、海外のオタクたちの「もう日本人じゃねーか!」という言動を楽しんできたし、絵描きのひとりとして、ピクシブなどで海外ユーザーの実力は毎日のように目にしている。同人ゲーム・フリーゲームあさりのなかで、向こうの人たちが作るモノのすごさも理解しているつもりだった。
が、どれも同人止まりだったのだ。あるいはSteamや戦艦少女や鋼鉄のワルツ(これは戦車だけど)とかぐらいだったのだ。日本のアプリストアでセールスランキング5位に入るものなんて初めて見たのだ。上記の大陸産ゲームが艦これフォロワー的に人類共通の敵と戦う内容で知る人ぞ知るポジションだったのに対し、連合国側で日本の艦船ボコるゲームが大ブレイク。これは読めねえ。
艦これ最初期プレイヤーのひとりでもあるけど(だいぶ放置してるので胸張って提督とは言いづらいが)、このゲームに対してはいまのとこ肯定的だ。
世界観や内容だって、そりゃ向こうで日本中心の艦船ゲームなんて出せないでしょと思えば、そして深海棲艦的な黒幕がいて、最終的には連合国と枢軸国側が手を取り合って黒幕に挑む的流れになるんだろうなという予想を持てる限り、ある程度の納得もある。3-4掘りで飛龍ちゃんボコボコにしてると、ふと「……うん?」と我に帰る瞬間はあるものの、いつだって日本中心の世界観に浸っていたいというほどナショナリズムのなかで生きてはいない。
そもそも自国だろうが他国だろうが現実に存在し数多の命が関わったものを美少女化して半裸にひん剥いてる時点で、あまり偉そうに言えたもんでもない。
……が。それでも言い表せないもやっとした印象もたしかにあると、言っておかなきゃいけない。
まだ言葉にできないのでこれには書かないけれど、このゲームに触れて、咀嚼しきれない何かが芽生えたとだけは記しておきたい。それがこのゲーム固有のものなのか、それとも違うのか、いまはそれすら判然としないけれど、いつかそれを言葉にできるまで考え続ける、という決意とともにここまでとする。
……と思ったら、『Dies irae』って新作アニメだった。
「アニメ化に向けたクラウドファンディングが史上最速で最高額達成!」とかなんとか騒ぎになってたエロゲのやつか。
その割に一昔前によくあった量産型エロゲアニメみたいな微妙な画面のクオリティやね。
キャラクターデザインが動かしにくそうで、事実、動かせてない。
典型的なエロゲの原作元が小うるさく口出ししまくって、絵や話のアニメ向けアレンジを認めなかった作品感。
もしそうだとしたら、エロゲって本格的に終わりつつあるのかなって気がするね。
とても参考になります!
>基本的にコラボ先は、「人気のあるキャラクターを使いたい」だけです。
>作品のためにお金を出すのではないからです。あくまで商品を売ったり、
なるほど…
コラボ先はどちらかと言うと、人気が出てからコラボする、という形になるんですかね。
>※権利元の側は違う場合も多いです。「作品を盛り上げるための展開の一つ」としての実施、も全然ありえます。
> だから、当事者同士でやらせると絶対うまくいかないというわけですね。
となると、制作委員会内部の場合は事情が違ってくるかもしれない、ということですね…
>ストーリーの内容とかはそんなに気にしないです。(暗すぎるグロすぎる、とかは別ですが…)
>あと、消費者の目を引くために、華やかな色を使いたい、というのはありますね。
>黒基調のイメージのキャラクターとかは、あんまり使いたがらないです。
>「新キャラ」を企画に起用することに関しては、「絶対これから人気が出るんです!」と論理的に説明できれば、採用されます。
ほうほう。
このあたりについては、アニメ制作側よりキャラクターデザインなどの方の問題になりそうですね。
あくまで臆説で、何かこの方向で根拠が見つからないかと模索している所でしたので、少しの意見でもとてもありがたいです!
ありがとうございました!
前々からずいぶんはいふりを推してくれているな!と思っていましたが、
ボークス秋葉原ホビー天国さんにて8/19~「ここみーなの“仁義なき”夏祭りじゃけぇ!!」が開かれます!
みなさん参加してみてくださいね~。
キャラクターが可愛いことや、ミケちゃんとシロちゃんの設定については以前言及しました。
でも、他のキャラクターにも細かい設定が作りこまれているのもはいふりの魅力!
公式ページのキャラクターデザインを見てみましょう。
なんと制服、スカート丈、ソックス、靴に至るまで各キャラの特徴があることがわかります!
制服は分かりやすいですね。みんなスカート履いてますが、なんとヒメちゃんはスパッツです。
スカート丈を見るとまゆちゃんとモモちゃんが特別長いことがわかります。
ソックスはミミちゃんが晴風クラスで唯一ニーソックス。絶対領域が拝めるのはミミちゃんだけ!
(まあ、ミーちゃんもニーソックスなんですがね)
靴は、リンちゃんとヒメちゃんがスニーカーです。両者とも同じデザインなので、このスニーカーも学校指定っぽいですね。
そのほか、本編を見てみると3話でのジャージの着こなしにも個性を見ることができます!
さあ、本日はここまでです!それではまた次の機会に!
され竜は、創作を読むことでは人は救われないということを繰り返し言っている。
よく言われるリョナ描写とか人が死にまくる展開とか鬱世界観とかよりも、この、本やアニメやその他創作では、人生がうまくいったりするようなことはいっさいないという主張がされ竜の核だなって私は思っている。
され竜の登場人物に
素晴らしい人格の人間なんてほぼいなくて(いるんですが、死んでるか、その巻あるいは章で、死にます)
誰もがどうしようもなく腐った害虫みたいな思考回路でどうしようもなく無様な生き恥をさらし
それでも、ときどき、たったひとつの善をなし、その一瞬を胸に抱えて、死んでいきます。死ぬんかい
大学時代に鬱をやって薬を飲んで治した。
その頃の詳細なんだけど、
ひがな一日、手の甲に塗ったアイシャドウのラメを眺めながらpentatonixとhome freeとgleeの動画を見ていた。
小学校くらいから、人はどうせ死ぬからなーという考えが頭にあって、
どうせ死ぬ→いつでも死ぬ時期を選べる→トリマもうちょっと生きてみようという式にしたがって生きてきた。
どうしようもなく生きていることそのものがつらいなという認識になった瞬間から朝起きることができなくなり、
気がついたら5PMになっているのを半年やった。
お医者さんに行って、「自殺したいと思うことは?」と聞かれて「ありません、自殺したらどうなるかなと考えることはあるんですが、考えた結果するべきではないとなるので、自殺したいというのは、ありません」と答えたらその数分後には鬱病診断出た。
薬でなんとか大好きなされ竜を読めるくらいまで回復して、
され竜の登場人物の、クソ溜のなかでもオレァ善いことをするぜみたいな描写を何度も読んで、
善でありたいなあとぼんやり思った。
正しいみたいなのはその物差しが時代でバコバコ変わるのでもういいけど、それでも、善でありたいな。
され竜に救われた話かというとそうでもなくて
そもそも、人はどうせ死ぬみたいなのが自分の原点になっちゃったのもちょい、され竜の影響じゃあねえかなというのが正直
あるので
(どうせ死ぬ、認識としてはこれ以上なく合ってるんですけど、私は対人関係で嫌なことが起こる度呟いていたので、あんまりやり過ぎるとダメよね)
まあされ竜がなかっても私はどうせ同じことで悩み同じ痛みを感じ同じように復帰していたんだろう
中学生時代わたしが何回誘ってもデュラの原作本を読んでくれなかった女どもがアニメ化してすぐにシズイザだかイザシズだかのケータイ小説サイト作ってたのがマジでトラウマだから、
され竜アニメ化に一瞬アレ反応出掛けたけど、
でも
できるだけ多くの人が
され竜を読んでくれて、楽しんでくれたらいいよね
アニメ作るのは、総監督:錦織 博 監督:花井宏和 シリーズ構成:伊神貴世 キャラクターデザイン:北尾 勝
といった人たちで
同級生にサリンの日に生まれた友達がいる1995年生まれにはピンドラはドンピシャで私たちの物語だったから…
錦織さんは寡聞にしてぜんぜんなんですがwikiの「幾原邦彦に一方的に好かれている」で信頼ゲージ満タンになった
示してくれたされ竜が
いろいろな雑誌やウェブサイトによって優れたPC・コンシューマーゲームに与えられる賞。
昨年に引き続いて一覧ののち、ざっくり感想を。
・Uncharted 4: A Thief's End - 165
The Critics' Picks - 89
The Readers' Picks - 76
The Critics' Picks - 90
The Readers' Picks - 12
・DOOM - 29
The Critics' Picks - 26
The Readers' Picks - 3
・Battlefield 1 - 16
The Critics' Picks - 6
The Readers' Picks - 10
・The Last Guardian - 15
The Critics' Picks - 15
The Readers' Picks -
The Critics' Picks - 12
The Readers' Picks -
・Dark Souls III - 12
The Critics' Picks - 9
The Readers' Picks - 3
Final Fantasy XV - 9
The Witcher 3: Wild Hunt - Blood and Wine - 9
Dishonored 2 - 8
The Witness - 7
Titanfall 2 - 5
Hitman - 3
Pokemon GO - 3
XCOM 2 - 3
SUPERHOT - 2
Call of Duty: Infinite Warfare - 1
Firewatch - 1
Forza Horizon 3 - 1
Monster Hunter Generations - 1
Owlboy - 1
Sid Meier's Civilization VI - 1
Thumper - 1
Tom Clancy's Rainbow Six Siege - 1
※
The Critics' Picksは批評家賞
さて、今年も賞を獲得したのは例によって例の如くアンチャーテッドシリーズ最新作アンチャーテッド4になります。
これでアンチャーテッドは3と続けてその年のGOTYを総なめということになりました。
ゲームとしての完成度についてはどのナンバリングも図抜けた出来であるのは認めるので
個人的には何か不満があるわけではありません。
グラフィックやプレイング、ストーリー、演出、キャラクター描写など
圧倒的に完成されたシリーズなのは誰もが認めるところでしょう。
とはいえあまりにも完成されすぎていて面白みが無いので今回はそれ以外のゲームについて言及します(笑)
個人的に注目を引いた点を上げると変化球的なFPSゲームが多数受賞した点にあります。
・バトルフィールド1
・DOOM
上記3つのゲームはGOTYの数的には2,3,4位のゲームですが、そのどれもが一人称視点シューティングというジャンルです。
オーバーウォッチはMOBAの要素をふんだんに取り入れたゲーム性とPOPなキャラクターデザイン
バトルフィールド1はFPSで日の目の当たることがなかった第一次世界大戦をテーマに
ドゥームに関しては強烈なゴア描写と異常なまでのハイスピードさが売りになっている
こういった、「現状に対して変化球的なゲーム」が多数受賞したのは欧米のコアゲーマー界隈でも
COD的なゲームだけが注目されるのにいい加減飽きてきたのかもしれません。
ゲームシステム的に革新的というよりコアゲーマーの市場自体がそういう停滞打破的なゲームを求めてる感じがあります。
「今までどおりのゲームを高い完成度で」
という今までどおりの要望以外に
「少し違ったゲームがやりたい」
という点が目立ちつつあるような気もします(まぁこの辺は歴史の繰り返しのようなものですが
あれだけ問題の多かったFFXVが多数受賞している点からも、完成度以外に革新性を重視する人が増えているのがわかります。
2017年初頭からの日本製ゲームの異様な高評価もその延長線上にあると見てよいと思います。
そういった市場の要望とPS3/360時代にできていなかった和ゲー界隈のHDゲームへの対応不足にようやく目処が立ち始めた時期が合致したということでしょう。
PCをベースに製作しコンソール機にアジャストするという製作手法や大規模開発ゲームへどうのように挑戦するか?
という点をようやっとクリアできるようになりはじめたように見えます。
(Yakuza 0, バイオハザード7, Gravity Daze2, 仁王, Nier:Automata, Persona 5, ゼルダの伝説BoTW etc...)
Steamへの和ゲーの販売タイトルも急速に増加しており、PCへの対応が和ゲーでも当たり前になる日が来るかもしれません。
また、オープンワールドタイトルも停滞の時期に差しかかり始めています。
Mafia3やマスエフェクト:アンドロメダの散々な評価を見るにSkyrimとGTAから伸びてきたオープンワールドゲームの線が若干止まってしまっているようにも見えます。
ゼルダBoTWが大絶賛と共に迎えられた理由はそういった背景も存在するでしょう。
ベセスダがエルダースクロールズの続編を一向に露出させない点も、次世代型のRPGをどのように作るべきなのか悩んでいるのかもしれません。これ以上に欧米型RPGが進化するにはAIやプロシージャルな作り方など技術的な観点を一気にレベルアップさせる必要を感じています。(その点ではXboxのAnthemが気になっています。
一方で現在は目新しさから比較的好調な日本産ゲームも(ゲーム全体の出来ではなくメカニズム的に)完成されすぎていて発展性に欠けているようにも見えます。
次作辺りまでは比較的好意的に受け止められるような気もしていますが、次々作も同じようであれば現在の欧米系ゲームと同じパターンに陥る可能性もあります。
e-Sports関連やwitcherやゼルダなど和洋問わず発展の芽を感じさせるゲームから如何にヒントを得られるかが次世代ゲームにおいては重要かもしれませんね。
ではまた来年。
こう書くと面白い5分アニメがどんどん出てくるってマジですか?
全部は主語がでかいって言われそうだけど、以下の理由からつまらない物が多い印象。
見終わった後に残るのは物足りなさ。5分の中に詰め込もうとして崩壊している。テンポの良さを重視し過ぎる深夜アニメの悪習。
5分アニメってだけ辟易とする自分だが、中には面白かった作品もあったので一部例を挙げてみる。
男性視聴者目線に特化したシンプルな萌えアニメ。本当に主人公の目線を楽しめる。カントク原案のキャラクターデザインも素晴らしく作画も良い。ストーリーもシンプルながら3人分×4話で起承転結がちゃんと有り楽しめた。女性向けのRoom Mateも宜しく
いつものテンポの早いギャグアニメかと思いきや意外にもしっかり史実を再現し、それでいてギャグも面白い。このキャラデザでもちゃんと人が死ぬんだなと驚いた
正直本家の30分アニメより面白かった。同系統のSHOW BY ROCK!! しょ~と!!も好き
正確には8分アニメ×3本だけど。当たり外れも大きかったが「わかば*ガール」「ハッカドール THE あにめ~しょん」は良かった。影鰐は……闇芝居でお腹一杯だった。
一番好きだったのは石膏ボーイズ。有名な石膏像達がアイドルをやっているという訳の分からない世界観だが、自分では動けない実写の石膏を使ったギャグが絶妙に面白くて良かった。ごちゃごちゃ動かして笑いを取ろうとする物が多い中異色の作品だが、ショートアニメゆえの実験が成功した例。
男性向け漫画の主人公については、「設定上は普通の容姿」は多いが、それでもキャラデザインとしては整った顔立ちになるし、
またそれは女性向け漫画の女主人公における「設定上は普通の容姿」とそう変わらない。
メインヒロインに美少女が多いのも、女性向け漫画でヒーローに美少年が多いのと同じことで、男女差などは感じられない。
考えられるのはキャラクターデザインのバリエーションの問題だ。
基本的に漫画家は、男女問わず美形を描くのが好きだし、また美形のデザインは規格化されていて描きやすくもある。
むしろ、ブサイクなキャラをまともに描ける漫画家というのは、それだけで実力があると思っていい。
老人は美形の口元にシワを描くだけ、デブは美形の頬を膨らませるだけ、みたいな漫画家はプロでも山ほどいる。
まあそれはともかく。
女キャラであれば、髪型やアクセサリーなどの種類が豊富なので描き分けをすることは容易だが、
年齢を表す記号には乏しいので、設定上は30代40代という女キャラでも、美形キャラとして描くと10代20代に見えてしまう傾向にある。
男キャラの場合は逆に、髪型などでの描き分けは難しいが、加齢を表すのに「ヒゲ」という記号が存在する。
たとえば普通のイケメンを描いて顎ヒゲを生やせば「30代の美形キャラ」を簡単に演出できる。
こうしたファクターが、増田をして「若くないけどかっこいい男キャラは多いがヒロインは若い美人」と言わしめている可能性はあると思う。
きちんとけじめをつけたくて、吐き出しの見苦しい文章ですが記録します。
ツイッター上では色んな情報が飛び交っていて、どこまでが真実なのか判断が難しかった。
本当なのだろうか。誰かが、悪評を広めようとわざとやっているのではないだろうか。
そんな疑心暗鬼もあって、あまりどちらにも寄らないよう経過を見ていた。
少しして、公式から謝罪があった。外部の弁護士も呼び、権利上問題があることが発覚したと。
よって該当するものに対しては差し替える。という内容だった。私の中でその問題は、一度終わったことになった。
だって対応したから。他の盗用ジャンルよりはマシだと思っていた。
公式からなんのアナウンスもされず差し替えを行ったりしていなかった。
少しして、何がきっかけだったか、まだ盗用問題に言及している人がたくさんいることを知った。
驚いた。公式が対応しているのに、まだ引きずっている人がいるのかと。
けれどwikiを見て、関連した問題がひどく増えていることに驚いた。
普通はまず、作品名と盗用で検索をかけても個人の感想程度しかひっかからない。
キャラクターの雰囲気が似てるだとか、見た目が似てるだとか、その程度の話題だ。
作品名と問題で検索をかけて、色んな炎上騒ぎがひっかかってくることもおかしい。
確かに信者のやらかしはどこにおいても起こりうることだ。人気があるから、そういうものなのだろうか?
けれど他に人気のある作品と問題で検索をかけてみると、様子が全然違う。
有志が作ったのであろう、作品に関する問題を掲載して、いかにその作品を読み込んでいるかを競うようなサイトがひっかかったりするのだ。
じゃあ、どうして。
改めて問題を振り返ってみた時に、いくつか引っかかる点があった。
だから、アンチと呼ばれてしまう方々の意見をもう一度、自分なりに考えてみたのだ。
・UIについて。
実用的なデザインを追及すれば、ある程度被ってしまうことはあるのだろうが、判断が難しいようだ。
ただし、ソースコードが丸々同じだとか、流用であれば問題になるらしいが。
アンチの方々が引用している元の開発者の方の発言だけではソースまで丸々同じなのかどうか事情がわからない。
あいにく私はソースコードを検証できるだけの能力がないので、白黒を決めることはできない。
・キャラクターデザインについて。
写真のポーズを参考にして(ほぼトレス?)いるだろう件について。
これもあくまで参考といえる範囲で行われていることだと、弁護士は判断したのだろう。
写真が表現するものの独創性を認めるかどうかは難しいところに感じる。
ただ、カタログなどに掲載されている商品を撮影した写真や、被写体が自然物であってもそこに独創性が認められるとした判例も存在している。
よって写真の権利元が、写真によって表現したものを悪用されたと判断し主張するのならまた事情は変わってくるのかもしれない。
けれど恐らく写真の権利元はそうは主張していないのだろうし、争う様子もないのであれば白黒つけがたい。
ご友人のキャラクターデザインを流用しているのではないか、という疑惑も浮上しているが、
謝罪文にも法的な判断は済ませ対処したが、創作倫理に関しては判断しかねるとしているのだから。
つまり問題が収束しないのは、倫理的な部分のけじめがついていないからだ。
ある意味で私刑に近いものではあるのかもしれない。だから、アンチと呼ばれてしまう方々の意見に反発する人もいる。
倫理的な部分を問い詰めることは、相手の人格を攻撃することに似ているから、賛同しづらいのだ。
最近改めて最初から最後まで謝罪文を読んで驚いたのは、確かに権利元への謝罪がきちんとされていないことだった。
関係者とひとくくりにし、心配させて、不安にさせて、報告に時間がかかって、ご迷惑をおかけしたことにお詫びを、と。
あげく、謝罪文の最後には、他にも関係者でご迷惑が発生している方は、こちらまで問い合わせください、と。
これは権利元への謝罪をしていると、そういう行動をしていると判断できることなのだろうか?
あげく盗用問題を起こし、今後改めていくとしたはずなのに、敬意を払うべき使用しているモチーフのデザインを取り違える。
それを差し替える時には、旧デザインに思い入れがある方やプレイヤーに謝罪するだけ。
虚しくなってしまったのだ。私はこんな企業に加担していたのかと。
退会した。関連グッズなどは処分した。自分が公開した二次創作を削除した。
ブックマークやお気に入りも全て整理した。そうして少しずつ、後始末をしている。
自分の名前で、意見を発信することもしたつもりだ。感情的になったり言葉を選んだりで、うまく伝わっていないかもしれないが。
最後にこのブログを残そうと思う。私の罪滅ぼしだ。加担してしまった自分を許すための言い訳。
そして、創作者のはしくれとして二度とこういうったことに加担しないよう、決意を込めて。
単純に国内のユーザーはキャラクターに敏感で特にライトなビジュアルを求めている人口が多いのではないか、という個人的な意見です。
スプラトゥーンはキャラクターデザインがカジュアルでありながらゲーム性も素晴らしかったので国内でも売れ続けました。まさにあなたの言う通りです。