はてなキーワード: シズイザとは
され竜は、創作を読むことでは人は救われないということを繰り返し言っている。
よく言われるリョナ描写とか人が死にまくる展開とか鬱世界観とかよりも、この、本やアニメやその他創作では、人生がうまくいったりするようなことはいっさいないという主張がされ竜の核だなって私は思っている。
され竜の登場人物に
素晴らしい人格の人間なんてほぼいなくて(いるんですが、死んでるか、その巻あるいは章で、死にます)
誰もがどうしようもなく腐った害虫みたいな思考回路でどうしようもなく無様な生き恥をさらし
それでも、ときどき、たったひとつの善をなし、その一瞬を胸に抱えて、死んでいきます。死ぬんかい
大学時代に鬱をやって薬を飲んで治した。
その頃の詳細なんだけど、
ひがな一日、手の甲に塗ったアイシャドウのラメを眺めながらpentatonixとhome freeとgleeの動画を見ていた。
小学校くらいから、人はどうせ死ぬからなーという考えが頭にあって、
どうせ死ぬ→いつでも死ぬ時期を選べる→トリマもうちょっと生きてみようという式にしたがって生きてきた。
どうしようもなく生きていることそのものがつらいなという認識になった瞬間から朝起きることができなくなり、
気がついたら5PMになっているのを半年やった。
お医者さんに行って、「自殺したいと思うことは?」と聞かれて「ありません、自殺したらどうなるかなと考えることはあるんですが、考えた結果するべきではないとなるので、自殺したいというのは、ありません」と答えたらその数分後には鬱病診断出た。
薬でなんとか大好きなされ竜を読めるくらいまで回復して、
され竜の登場人物の、クソ溜のなかでもオレァ善いことをするぜみたいな描写を何度も読んで、
善でありたいなあとぼんやり思った。
正しいみたいなのはその物差しが時代でバコバコ変わるのでもういいけど、それでも、善でありたいな。
され竜に救われた話かというとそうでもなくて
そもそも、人はどうせ死ぬみたいなのが自分の原点になっちゃったのもちょい、され竜の影響じゃあねえかなというのが正直
あるので
(どうせ死ぬ、認識としてはこれ以上なく合ってるんですけど、私は対人関係で嫌なことが起こる度呟いていたので、あんまりやり過ぎるとダメよね)
まあされ竜がなかっても私はどうせ同じことで悩み同じ痛みを感じ同じように復帰していたんだろう
中学生時代わたしが何回誘ってもデュラの原作本を読んでくれなかった女どもがアニメ化してすぐにシズイザだかイザシズだかのケータイ小説サイト作ってたのがマジでトラウマだから、
され竜アニメ化に一瞬アレ反応出掛けたけど、
でも
できるだけ多くの人が
され竜を読んでくれて、楽しんでくれたらいいよね
アニメ作るのは、総監督:錦織 博 監督:花井宏和 シリーズ構成:伊神貴世 キャラクターデザイン:北尾 勝
といった人たちで
同級生にサリンの日に生まれた友達がいる1995年生まれにはピンドラはドンピシャで私たちの物語だったから…
錦織さんは寡聞にしてぜんぜんなんですがwikiの「幾原邦彦に一方的に好かれている」で信頼ゲージ満タンになった
示してくれたされ竜が