はてなキーワード: 映像作品とは
Kindleのコミック版エヴァ、全巻700円で買った。読んだ。
90年代チックな作画はオジサンの涙腺をバシバシ刺激するし、話も面白い。
だけど、アニメ版観る時の衝撃は感じない。
後頭部を鈍器で殴られるような、あのショックがない。
東浩紀も「エヴァを最初に観たのは、テレビ放映時の第24話。途中から観たわけだからストーリーなんか分からない。だけど純粋に映像作品としてよく出来ていると思って最後まで観た」って言っている。
シナリオは滅茶苦茶だよね。人類補完計画がシンジ補完計画にすり替わって『おめでとう』
何がおめでとうじゃい。わけわからんわ。
http://anond.hatelabo.jp/20151118225408
まず、本当にどうしようもない(不可抗力ではなくしょうもないという意味)理由として、その作者さんと編集者さんのアクセスできるラインに制約があります。文庫しかアクセス出来なければ文庫で出しますし、文芸書的な編集部ならその判型で出すというのはあります。作家や編集者は、どんな装幀の本でも自由に出せるかと言えばそんな事もなく、編集部の主戦場にしてる判型や書店の本棚というものがあるのです。営業が影響力を発揮できる範囲は書店全域ではありません。まあ、これは後付けのところのしょうもない理由ですね。
より本質的な理由としては、「想定読者数(≒初版部数)」の問題があります。もし、新書、四六判、文庫など自由な判型が選びうる編集部で企画が進んだ場合、問題になるのは、この本を何人くらいの読者が求めてくれるか? という点です。本を作る編集やデザインの作業というのは、どんな装幀でも実はさして大きくコストが変わるわけではありません(紙代や印刷費は変わります。部数が増えれば安くなるので、文庫本で部数が多いものは負担少ないです)。つまり、書籍の値段の本質は「(作者が著述に要したコスト+編集やデザインにかかったコスト+必要な利益)を初期読者がシェアして負担する。」ということなのです。
たとえば「5000人しかかってくれそうにない」「だったら3000円にしないとまずいな」「じゃあ判型は文芸で表紙もハードカバーにするか」というような展開で判型は決まります。この段階で幾つか疑問が発生すると思います。
Q.3000円の文庫本じゃだめなの?
A.読者の皆さんは3000円の文庫は買ってくれないです。読書体験は文庫でも四六判でも(内容という意味で)大差はありませんが、物質商品としては購入してもらえなくなります。出版人として自分が関わった3000円の本がソーシャルゲームのガチャ6回に劣るとは思っていませんが、やはり売れない物は売れません。
Q.値段を下げて、つまり判型を最初から文庫にして薄利多売を狙う企業努力はしないの?
A.もちろんそういう戦略判断をする場合もあります。ベストセラー著者が最初から文庫に殴り込みなどと言うのはそう言ったパターンです。しかし大多数の著者において「値段を下げる」というのは部数増加には結びつきません。たとえば作家Aさんの本が欲しい人というのは値段に関係なく買ってくれる傾向があり、逆にこのAさんに興味がない人や知らない人は、値段を下げても買ってくれません。
以上のような条件から、出版ビジネスの値付けは「初期読者(=おおよそ初版部数に相関)で製作費用と最低限の売り上げを確保する」という方向性になっています。増刷や文庫化というのは収益のボーナスステージであって、その段階になると利益がどんどん出て黒字になるわけです。しかし、おそらく読者の皆さんが思っているほど、このステージに行ける本は多くはありません。多くの本は、最初の売り上げ確保のステージに失敗して赤字になるか、もしくはなんとかトントン程度の収益になります。文芸畑ではより顕著ですが、ライトノベルなどの文庫でも、一部の売れっ子作家さんの書籍とそうでない多数の作家さんの書籍の二極化が深刻です。
こういう状況に問題を感じないのか? といえば個人的には感じています。本をもっと安くすべきだという問題意識ではありません(日本の本は世界的に見ても安価だと思います)。どちらかというと、初期読者の人に十分報いていないと思うからです。ある作家を(ひいては編集部や出版社を)支えているのは初期読者(=初版で買ってくれるような読者)です。彼らの数が予想部数を通して本の値段や判型を決める基礎材料になっているのです。しかし、実際には彼らは文庫化ではなくその前の段階の大きな判型で購入するなど、経済的な負担を大きく受け持つ構造になっています。映像作品などには「初回限定特典」のような概念がありますが、出版では一般的ではありません。その点は不公平で歪だと考えています。元増田氏の言及したコメントは、この不公平感にたいして「初期読者はいち早く読める」という点を解説したかったのだと思いますが、それに対してどこまで価値を感じるかという点は読者次第だとも思っています。このへんは個人的な感想なので、出版業界の中にもいろんな意見があると考えて下さい。
読書にたいしてお金を使う習慣のある方、書店を日常行動の経路に含んでいる方、読書家という人種はある意味非常に高尚で「紙の書籍を手にとる楽しみ」「装幀を愛でる楽しみ」という点に価値を感じて下さっています。それはすごく嬉しいしありがたいことです。そういう文化があるおかげで命脈を保てる出版社が存在することも事実です。しかし一方でそれに甘えてこなかったか? といわれればたぶんそういう部分もあると思います。こういった読者の方は、読者であると同時にパトロン的な性格さえ持っているのです。
今後十年から二十年かけて、その文化も徐々に変わっていくと思います。どうなるかはまだ判らないのですが、そういうアーリー読者&パトロン的な文化を完全否定する方向ではなくて、リスペクトやコミュニティに対する利益還元出来る方向の出版方式や企画などが(もちろん試行錯誤の残骸の中からの芽生えとして)産まれてくることを願っています。
そのブログは適当なことをよく言うから参考にするのはすすめない。
画面が安く見えるかどうかで一番の問題は色調の補正だ。映画のブルーレイやDVDの特典映像で未公開シーンとかNGが入ってたりするけど、たまにポスプロしてなくて本編映像と全然違うザラザラの画面のものがあるでしょ。あれを見たときにうわっ安っとか思うわけじゃん。同じレンズ・役者・構図等々のハズなのに。
だから、日本の映像作品のライティングや構図が悪くないとは言わないけどそこをやっても画面の補正をしっかりしてないと安く見える。
参考
http://mattscottvisuals.com/blog/2013/10/8/mastering-low-light-contrast-detail-and-noise
はっきり言ってしまえば、虐殺器官のトリックもハーモニーのアイディアも、SF的観点からするとさして目新しいものではない凡庸なものだ。
にも関わらず、「夭逝の天才作家」として祭り上げられる以前から○○おじさんを含むめんどくさい連中に評価されている理由は何かと考えると、ディティールの積み上げる圧倒的なリアリティにあるのだと思う。
虐殺器官に出てくる心理的マスキング処理、ハーモニーに出てくるアマゾンめいた個人評価のスター、これらは今現在からの延長線上の未来として演算される現実的なもので、一部の組織や企業内では既に現実のものとして実装されているものであろう。
彼の死から早6年、彼の最後の作品である屍者の帝国が、Project itohの最初の映像作品として公開される、それも彼が最も愛した映画という形をとってだ。
6年間、それはあまりにも長い時間でした。僕らの好きだった計劃さんは、どうしようもなくめんどくさい(そして愛すべき)はてダの映画おじさんという存在から、いつの間にかに「夭逝の天才作家」という世間を騒がすアイドルになっていてProject itohなるものが始動してしまう始末。
それでも、それでも、Projectに苦虫を噛み潰したような表情で立ちすくむ○○おじさんたちも、御大の小説が映像化されることには公開される前は素直に喜んで胸のときめきを抑えきれなかったはず、そう公開される前は。なんなんですか、いざ公開されたとなればハダリーたんのおっぱいとか階差機関に対する言及はあれども映画そのものに対しては皆口をつぐみ、挙句の果てに「地獄はここにあるんですよ」と指差す始末。
はっきり言おう、○○おじさんたちは生前の計劃さんから何も学んでいないと。
映画批評っていうのはレビューではない。もっと体系的だし、少なくともウェブに溢れる「面白い」「つまらない」といった感想程度のゴシップではない。
批評とはそんなくだらないおしゃべりではなく、もっと体系的で、ボリュームのある読みものだ。もっと厳密にいえば「〜が描写できていない」「キャラクターが弱い」「人間が描けていない」とかいった印象批評と規範批評の粗雑な合体であってはいけない。厳密な意味での「批評」は、その映画から思いもよらなかったヴィジョンをひねり出すことができる、面白い読み物だ。
だから、こいつは映画批評じゃない。まさに印象批評的で、規範批評的で、それはすべて、ぼくが紹介する映画を魅力的に見せるためにとった戦略だ。
このページでいろいろ書いていることは、結局そういうことだ。
「おかえり、フライデー」
人間は死亡すると、生前に比べて21g体重が減少することが確認されている。それが霊素の重さ、いわば魂の重さだ。我々は魂が抜けた肉体に擬似霊素をインストールすることによって死者を蘇らせる。
原作は我らが伊藤計劃、そして円城塔。といってもたった30枚の遺稿は映画化にあたってオミットされている。メディアミックスなるものは今日当たり前のものになりつつあるのに、なぜかこと映画化に関しては地雷であるという評価が当然のものになりつつある、特にマンガやアニメの原作付きのものに関しては顕著だ。本作もその類に漏れず、○○おじさん達から大変な不評を買ってしまっているが、伊藤作品の映像化という観点からすれば私は十二分に楽しむことができる傑作だと思った。
原作付き映画に何を期待するかは人によってそれぞれ違うが、原作のストーリー通りに話が展開するだとか、セリフを忠実に再現するだとか、冒頭の30枚を残すだとか、少なくとも私はそういったことには重みを置かない。小説には文字の、映画には映像の文法がそれぞれあるのだから、単に忠実に再現するだけでは翻訳として成り立たないし、少なくともメディアミックスとしての価値はない。それは原作ファンを称するクラスタに向けた言い訳に過ぎず、怠惰な姿勢だと思う。
文字とはすなわち情報であり、映像もすなわち情報である。その違いがどこにあるかというとtxtファイルとwmvファイルの容量を比べるまでもなく、圧倒的な情報量にある。つまり同じシーンを描写するにあっても、映像化のためには不足する情報を画面に徹底的に描き込まなければならない。では不足する情報をどこから補ってくるかといえばやはり原作であるのだが、単に帰納的演算に基づいて情報を付加すると、あたかもjpeg画像を拡大したように荒く違和感を感じるものになってしまう。そこで映像化にあたっては、原作を入念に読み込み世界観を理解したうえで、原作に存在しなかった情報を加えることでディティールを明確にする。一方でその情報量が過剰であるが故に、人は文字を3時間追うことができても、映像を3時間観ることは困難なのもまた事実(現実的には予算だとか尺の問題だが)。そこで行われるのは物語の圧縮である。先に述べた情報の付加と異なり、如何に情報量を減らさずに短い時間に収めるか、如何にディティールを残したまま圧縮できるかが肝になる。
こうして完成した映像作品は、個々人の頭の中に存在する「原作」とは違ったものとなっているので、ほぼ確実に違和感を与えることになる、場合によってはそれが不評の原因になるかもしれない。だが、ここであえて言わせてもらえば、その違和感こそがメディアミックスとしての醍醐味であって、映画を見る楽しみの観点であろうと。
私はかつて植民地だった地域によくある上海の租界のような場所が好きだ。それは現実の宗主国の建築物を現地にある材料で模したまがい物に過ぎないのだけれども、望郷の念からか過剰に演出されたそれらの建物は本物のフランスやイギリスの建物より本物らしく見える。例えるなら歌舞伎の女形が女性より女らしいようなものだ。
映像化された屍者の帝国に、私は原作より原作らしいもの、あるいは書かれることがなかった、この世界線には存在しない真の原作の面影を感じることができたと思う。
ボンベイにたむろする屍者の労働者、○○おじさんにも大好評だった圧倒的なディティールの階差機関、白く荒涼としたカザフスタン、目黒雅叙園に相撲の浮世絵ジャパン、映像化に際して付加された情報量についてだけでも映画として申し分ない。かつて彼が愛していた世界観型の映画のように、産業革命の時代に屍者技術なるものが存在した場合どんな世の中になるかというSF的観点なif、たったひとつの嘘による世界構築がなされている。
「あなたにもう一度逢いたかった、聞かせて欲しかった、あなたの言葉の続きを。」
原作ではフライデーが円城塔で、ワトソンが伊藤計劃にあたる。彼が残したテキストを読み足りない情報を補って、作家伊藤計劃を脳内にエミュレートして続編を書くという行為を考えれば当然の配役である。小説のエピローグで、彼岸に渡ったワトソンを思ってフライデーは自らの意思を持ち動き出す。一方、映画ではその立場が逆転して、ワトソンが円城塔でフライデーが伊藤計劃にあたり、旅の目的は伊藤計劃の復活である。映画の文法としては旅の目的の明確化だが、○○おじさんにとっての不評の元凶となる改変だ。BLだノイタミナだとdisる気持ちもわからなくはないけど、ヴィクターの書記を手に入れて伊藤計劃を復活させるという話が映像化第一弾として公開されることに意味を感じる。
冒頭にも書いたが伊藤計劃の小説は言ってしまえばそんなでもないし、同じようなものを書ける人は出てくる。けど、彼の映画批評のような愛と薀蓄に溢れた文書を書ける人はもう出てこないような気がする。それでも彼がもし生きていればこの映画をどう評論しただろうか、死んだ彼がこの映画を見たらどう評論しただろうか。
いまさらながら思い出のマーニーの録画を消化したので不満点を書く
すんげーいい話過ぎて気分が悪くなる。
逆に言えば普段みてるアニメは殺伐としていて、ラッキーエッチなる受動セクハラにみちみちている、毒みたいなものだということなのかもしれない。
でもなんかしっくりこないのは、宮崎の爺さんが得意とするファンタジー風味の中に、高畑のオッサンの身上とする社会性のある話題を映像作品に必ずつっこむジャーナリズム魂、んでもって鈴木Pの売れるの作らないと寝せないよ~の三者からの圧力みたいなのが混ざって、いろいろ濁っちゃってる印象があるからなのかもしれない。
ついに最近、淫夢ミームを批評した淫夢論なるものが参加評論集というかたちで出版されたらしい。読んでないけど…。
今のところ自分の基本的な立場としては、ゲイポルノビデオの二次創作とかいう時点で正気の沙汰じゃないし、根底に同性愛者への「嘲笑」があることは、まぁ否定できないだろう。全く褒められたコンテンツじゃない。
でもある時期から、なにか「嘲笑」以上の原動力が、淫夢というネットミームにはあるような気がし始めていた。意味不明なBBは日々量産され続け、多分今後もずっと見ることもないであろう野獣先輩に執着し、その正体を暴く新説が懲りずに唱え続けられている。なぜ淫夢に固執するか、何か理由付けをしたいと思った。
いろいろ考えた結果として、なんとなく自分はこう思っている。
淫夢民はおそらく、男特有の"うんこやちんこ"で友達同士笑い合っていた「ガキのころの感覚」を回顧して共有したがっている。
そのため、"ゲイポルノビデオに特有のシチュエーションと素人じみた演技"は、そんな「社会人になってからは決して築くことのできない男同士の交友」の姿を、歪んだ形であれ投影する対象として都合が良かったんじゃないかと。
成長とともに学生時代みたいな友達ができなくなる嘆きはサイゾーのいつかの記事で目にした。
で、嘲笑だけが目的なら「単純に性行為をする作品」でも良いはずで、そうでなく「学生・部活が背景となるストーリー仕立ての作品」が淫夢の土台として絶大な人気を誇るのは、性行為そのものの描写以上に、主に行為以外のシーンに漂う「男子学生同士の生々しい空気感」が映像作品として図らずも世に現れてしまったことがあまりに斬新だったからじゃないのか。
単純に言い換えりゃ、淫夢民は「男友達同士で楽しかった幼いころ」に退行するために淫夢というコンテンツを耕し続けている、そんなところか…?
まぁ最初に言ったけど淫夢ってのは下らないコンテンツで、エア本や恒心教と同じみたいに、結局のところ"社会のタブーをかすめてやったぜ"なドヤ感を内輪で楽しんでるだけなのかもしれない。でも、淫夢に特有な社会への切り口があるとすれば、画面越しの"非"同性愛者が望む「男同士の交友や友情」ってなんだ?って論点じゃないかと自分は思う。
嫌々洗っていた事にショックを受けるMUR大先輩.rnp4 ‐ ニコニコ動画:GINZA
原作アリの映像作品、特に漫画を原作とした実写映像は批判されることが多い。
現実に即した改変や尺の都合での改変(髪形や服装、キャラ付け、舞台設定)が原因となる場合も多いし、原作ファンがキモだと感じている部分を削除したり変にいじったりすることでも叩かれる。
一方で原作漫画に忠実にやろうとするあまり、姿が似てるということ第一で演技のできない役者が配役されたり、現実にはありえない髪の色をしていたりするキャラが批判されることもある。
上記の問題は「じゃあどうしたらいいんだよ?」って話でもあるし、ファン全員満足させつつ実写版での新規客を魅了することなど不可能なのである程度はしょうがないと思う。
どうしても気に入らないのが実写版監督とかが「自分なりに再構築した」とか「新しい解釈」とか言うやつだ。
原作の要素を分解して自分なりに解釈して再構築するのは結構なことだけど、それならいっそのことタイトルを変えればいいだろといつも思う。
洋画なんかにはそういう作品も多いはず。(邦画にも多いのかどうかは知らない)
原作のアイディアの一部を参考にしてまったく別の題名の映画を作り、クレジットには「原作 ○○」ってやりかた。
原作レイプだなんだとかって叩かれる作品の制作陣は、結局のところ原作のネームバリューにたかるしかできないくせに芸術家ぶって再構築だ解釈だとか言うから嫌われるのではないか。
原作と、それをもとにした実写作品の題名をちゃんと分けるようにすれば制作側は叩かれず、見る側も多少不満があっても別作品だという事でそれほど気にならないどころか新しい一作品として素直に楽しめるかもしれない。実写から入る新参にとっても心理的ハードルが下がる。いいことずくめに思える。
http://anond.hatelabo.jp/20151017161356
"最近のラノベ" site:twitter.com -rt 約 3,500 件 (0.39 秒) "最近の純文学" site:twitter.com -rt 約 72 件 (0.48 秒) "最近のケータイ小説" site:twitter.com -rt 約 43 件 (0.46 秒) "最近のSF" site:twitter.com -rt 約 530 件 (0.38 秒) "最近のミステリ" site:twitter.com -rt 約 208 件 (0.36 秒) "最近の大衆小説" site:twitter.com -rt "最近の大衆小説" site:twitter.com -rtとの一致はありません。
ハッシュタグとかも含まれるし、元増田がいうような使い方だけではないかもしれないけど
「最近のラノベ」が突出してるのは間違いないもののSFやミステリは無視できるほどでもなさそう。
いちおうマンガも。
"最近の漫画" site:twitter.com -rt 約 11,000 件 (0.33 秒) "最近のマンガ" site:twitter.com -rt 約 1,930 件 (0.47 秒) "最近のまんが" site:twitter.com -rt 約 878 件 (0.46 秒)
ラノベより多い。
映像作品も。
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ゃあ死ぬかなーそろそろまあもうそろそろ終わっていいでしょって感じで死にたい。事故死とか病気とか嫌すぎる。だkら、ツラいだろうなと思う。遺族もそうだけど、何より。本人が一番つらいだろう。死んでからつらいという観念を持てるかhは甚だ疑問だが。もし魂が会ったら、俺ならあの世でめっちゃ文句言ってると思うしめちゃめちゃ悔しがってると思うし、殺したいくらい自分を殺したやつを呪っていると思う。当然だ。そういう観点から見ても罪深いなー。死にたくない。死んだらおしまいだからすべてがおしまいだkら。嫌だな怖いなそんなの嫌だな。何でだよ。俺は不老不死になりたい。ずっと生きていた。人類の終焉まで見届けたい。そして太陽に飲まれて灰になるまで生きていたい。あー、人類ってこういう風に終わっちゃうんだってあーなるほどって納得したい。親兄弟友人馴染みのある人物みんなが死んでもいいから生きていたい。そう考えると100歳を超える人はやっぱり身内がいないとダメだな。次ブンと同世代のひとがみんな死んで当然親兄弟も死ぬ年令になって、そんな時に孤独とか、人間は耐えられなさそう。100歳を超える人は凄いな。自分と同世代の日は軒並みしんで、自分だけが次の世界を見ていられるって、素敵なことじゃないか。同世代は皆知らずに死んでいったことを、自分は知ることが出来る。100歳って素敵じゃないか。自分だけが見た景色。でも、次世代の人は普通に見てるわけで、ソレはムカつくなwやっぱり不老不死だ。自分と同世代のつながりがあった人たちを全員看取って、それで次の世代を生きていくって、素敵じゃないか。でも、そうだな、次世代とつながりを持てるのだろうかと考えると難しいな。さすがに身を隠すしか無いか、世間はパニックになるから、で、いつまでも自分と同世代を生きていた人物たちを思い浮かべながら生きていくのか。うん。うーん。不老不死もツラいな。ああ、でも、そうか世界中の地を訪れたいな。海底も良いな、海底を散歩したい。不老不死になって大海の真ん中で浮かんでいたい。海の生物たちをふれあいたい。深海を遊歩したい。うーっm、不老不死いいな。ああ、でも宇宙も行きたいなあ。なんだっけ、惑星タイタン?もうあれの存在もすげーし、絶対生きたいね。世界を冒険するには遅すぎて、宇宙を冒険するには早過ぎる時代だって誰かが言ってたけど、宇宙の冒険って可能なんだろうか。それこそ不老不死にならなければいけないような気がする。あー、いいな火星もいいな。でもやっっぱり太陽系以外に行きたいな。NHKのBSの宇宙家の番組もなかなかロマンにあふれていてよかった。冒険したさを書き立てていた。あー、死にたくねーな。死にたくねーな。地球全てを見て、宇宙全部を見てから死にたい。駄目だ。100年ちょっとの人生でも無理だ。悲しい。後そうだな。世界中の、書物も読みたいし、世界中tの映像作品も見たいし、世界中の娯楽作品w楽しみたい。あーあ、人生ってつくづく足りないな。今世の意識があるまま転生したい。ああーあ、死にたくねーな、一日は長いけど、一生って短いな。頭で考えるとそうだなあ。やだなー死にたくないなー。そういう意味で行くと、事故や事件で生命を絶たれたひとは、とんでもないな。人一人の命を奪って正直、取り返しのつかないとんでもない悪行だろ。その人の今後の可能性すべてを奪うわけだろ。遺族がうんぬんより、それが第一にとんでもないことだろ。自分の身に置き換えて考えてみると、絶対嫌だわ。そんな他人に自分の人生を強制終了させられたくねえなあー。許せねーだろ。殺人ってッ罪が重いなー。どんだけ償いしてもそれはもう取り返すのは不可能だし。ほんと遺族も悲しいんだろうけど、何より本人だろ。怪我とかはまあ、時間を金で補えばいいけdp、死ってもうどうしようもないしな^。どうすんだよ。これ。正直俺が殺されたら、殺した奴は絶対に殺したいし。人を殺めた人間はどうしても償うことあh不可能だよなあ。教習所で事故で人を殺めたヴィデオをみたけおd、アレもクルものがあったなあ。そうだ、この場合は、どうなるんだろ。俺が偶然人を殺めてしまったらどうなってしまうんだろう。いやあー。。。それは考えても考え尽くしてもどうしようもねえなー。死んで償うってことも出来ないし。何よりそうか、遺族の心はもうどうしようもないわけで。俺が何しようがどうしようが、もう壊れたものは元に戻せないのか。。。うーん、そうなるとなあ、うーん、やだなー怖いなー。死ぬのの死なせるのも怖いなー、どうしようもないなー。やだなー怖いなー。心ってのは厄介だなー。どう償いをしようともう心に受けた傷ってのはどうしようもないわkで。そうだな。もっと心の傷ってのは重要視されてもいいかものなあ。いいだろ減るもんじゃないしって心は減ってるって何かで見たけど、まさにその通りだあなあ。心がすり減った場合ってどうしようもないもんなあ。いじめも学校にいけなくなるとか暴行とか器物破損とかよりもまず第一に心の傷がもんだいだよなな。心の傷ってヘタしたら一生涯引きずるわけで、いくら償いしても取り返せるものではないしなああ。そう考えるtp、いじめの加害者ってのはとんでもないなあ。人の心を壊しておいて、どう落とし前つけるんだろ。ああ大半の場合、落とし前をつけることはないのか。そういうやそうか、いじめはいじめたガワは覚えてないっていうしなあ。それもあれか。事実と罪深さを自覚したら、人は耐えられなくなるからかな?いやそもそも、耐えられなくなる人はいじめなんてしねーかあ。うーん、やだなー怖いなー人間社会怖いなー、心の傷って知らんうちに出来るもんだからなー;知らんうちに加害者になってるからなあ^・どうしようもない場合もあるかー。そういえば俺が、学生時代にクラスメイトをある一人を面白半分に罵倒しちゃったことがあったなああ。。。あああ、あれも何でそんなこと言うの?的な顔されたなあ。アレもとんでもなく悲しい顔してたなあ。・・すげえ謝り倒したけど、ほんと申し訳なかったなあ。正直あの出来事でももう償いきれないのではと、オレの中でh思ってるし。ほんtの後悔してもしきれないなああの出来後お手ゃ。ましてや、人をいじめてたり、人を殺めてしまったら、俺はどうなってしまうんだろう。罪の重さに耐え切れる自信がない。まあ、自重していこう自嘲が大切だコレ。^^^・・。。。うーん。。。っておいwこいつカップラーメン食った後コンビニの袋に入れて縛ってやがるよwワロチwろwゴホホホw。ダハハwうわー、wはあ、コンビニでよく売ってるやつだなこれ、、ってwおいおい袋w!袋にコンビニの名前書いてある!wダハハwコレ常識上s気wぬほおおあwはあ、いい年してお前ww。。。自炊しwりwろwバカやろwっw自炊ってお前生きる力に直結だからなw直腸にも直結だけおwどw我はっデっぃwダサい出しあwスキルになるんだよな自炊ってのはwあー、説教してえ、こいつに説教してえ、・・・人生を舐めるなってw舐め腐ってんんあよw人生厳しんだぞwって説教してーあー説教してえ、くっっそー。説教してえせっきょうしたさが高まってるよーー。。wせっっくすより説教だ!w説教ってきもちえーもんなー。俺もよく近所のガキどもに説教してたなー。説教きもちえ^からなー。へたな風俗嬢とせっっくすすうるよりきもちえええーわw打破っwダハアハwむっっほwあー、石鋸してwどほっっぅふw室町、室伏wッッッwロンゴバルディwはははあああw嗚呼wそういえば近所のあのガキは元気かな、ちょっと勉強できなさそうだったし、顔もあんまりよろしくなさそうだったけおd、どっかで元気にやってんのかなあ。あいつも、俺でさえ苦労してんだから、あいつもきっと苦労してんだろうなあ。ブホっw親切だ俺!wあいつを案ずる俺w杏を案ずるwブホリォイwなアパtゥwハー、懐かしい。。。夏かしい。。。b歩ッィイイwツッ!wゴロツキッwああーワロかせるワロかせる出来事が多すぎるwわろかせるわー。うーん、、、、、っここにあったのかなあwおいおいおいおい、通帳あるよwブホルミンwッォタwくろわすwどれどれどれー、ヲジサンにミセテチョーーダイw無ホイッwwwwおっwwゴホロwぅwwww全然ねえええ。ww笑かすわw人の通帳おもしれえええ。wこいつ、駄目すぎだろw所得低すぎw非正規かこりゃwおいひおいひwどう人生をさぼってたらこ^ーなんねんwなんでやねん1wお前の貯蓄何でねん!wアホちゃいまんねんパーでんねん!w所得がパーでんねん!wクホッw笑かすなあwこりゃ、もしかしてアレは・・・自業自得だああああああああ!!!!wwwwwwwwkyほw人生をサボってたつけだあわw説教ポイントまた貯まるwうほーーーwこいつの貯蓄はたまらないのにw俺のなかの説教ポイントはうおお積立預金wwダハリlいwはーー。真面目にアレだ、むしろアレだ心配だわ・・・wこいつの将来がwおおおーいw大丈夫かw?食ってるか?うまいもん食ってるかーw?インスタント?おおぉおおおい!!!突っ込みどころ多凄いw馬鹿yラオwクエッw食えっwうまいもんを自炊して食えwあっ・・・酷か・・この金で食料にきをつかうのは濃くk。。ゴメンなきつい説教して・・・ってバカやろwお前、あまえんな!あまえんな!お前が低い給料で怠けてる間に高所得者達はお前の何十倍も稼いでんだぞ!wあまえんなw再就職しろw高所得層にジョブチェンジしろwハローワークへ行け!wあっ、逝けだったw逝けハローワークで、年収を50倍にしろw見下せw人類を見下せる職にジョブチェンジしろ!wあまえるなw頑張れwあまえるなwがんばれW見せろ根性!!!wはあー、わろかせてもらいましたわ、人の通帳でこんなに笑ったは初めてだ・・ごっつええ感じのDVD全巻より笑えますわ。。。こんな薄っぺらい通帳でごっつええ感じのDVD全巻より笑えるとはコスパええわ・・・wしかも値段もそんなに変わらないこともない・・・wリーズナブルプライスwwnebadleiwオボwムヒltいwはー、はらたいらと世界のオルゴールの館・・w腹痛いはw写メ撮っとこwそりゃーwパシャwパシャwどははwうほー、boketeに投稿しとくわwいや、この画像自体すでにボケかwぬホイファls;樹www狂おし良いwはー、わろ化したくれたわ。w引きずるwこれ数週間引きずりますわw思い出し笑い確定wぬほんでぃわwl;っほwwwwがあhぃwwはああー、、、、しかしこうしてみると、他人の家ってのは安心感がないなあ。やっぱ家主がいなくてもくつろぐことはできねええなあ。そこがアレか出世出来る人間と出来ない人間の差的な。おいおおい、俺はなんだかんだ言ってお行儀の良い人間だからなあ。やっぱり相手の気持にたって色々と考えちまう。相手の気持ちに立って考え続けた結果、あれだ人間関係も希薄になってるからああなあ。人を傷つけずに生きるには人と接しないのが一番ってか!wノハハw自嘲しるww逆説的w逆説的w愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないって覚悟をもってればなあ。あれもだいぶ自分勝手な歌だと思ってたもんだが、今思えば、なかなか人の業をとらえたいい歌詞だ。あれぐらい身勝手に生きないと、人間なh心を縛り続けて生きてしまうのかもしれない。なあ。愛されるよりも愛したいマジでっていう姿勢も大切だな。なかなかいいこといってんじゃねーか、1000両役者シンガー共も。確かにもっと、オフェンシブにな。愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないっていう姿勢をもって、愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないっていう心持ちをもって愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないっていう姿勢を実践することで逆説的に愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないって言う事にはならずに、同時に愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない状態を実現できることこそ、愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないから学ぶべきことであって、自分も愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないっていうことを実践すればよかったな嗚呼。または、愛されるよりも愛したいマジで、っていう姿勢をもって愛されるよりも愛したいマジでっていう信念をもって行動にしておけば、逆説的に愛されるよりも愛したいマジでっていうことを実現できるのではないかtという気もするなあ。愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないことを信念に、愛されるよりも愛したいマジでって姿勢を持って、愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけないってことを行動に移すことで、おそらく大多数の人が悩みから開放され、愛されるよりも愛したいマジでって状態をテーゼへと消化できるんだろうなあ。ああーあ、後悔ばっかだアタシ。。。アタシって弱い人間だわ。。。って、そうこうしてる間にお前、こんな時間かよ、はあ、時が経つのって早いなあ。時間が立て!時間よすぎる!ってうちは時間が過ぎず、時間よすぎるな!時間よ立つな!って時に限って時間がすぎるのはアレか、これも人の業なのかなあ。許せねえな。神様が許せねえな。下手くそだよ人の作り方が。バカやろ。許せねえ。。・どうすえれば復讐できるんdな。これ、許せねえ。神が許せねね。神は死んだってなんかだれかが叫んでたけど、まさにそのとおりだオワコンだ、オワコンなんだ、人間を作った時ぐらいにオワコン化していたんだ、神は。あーあ、俺も黎明期に生まれたかったよ。神の全盛期に生まれたかったよ。オワコン化する前にこのジャンルに関わりたかったよ。オワコン化してから飛びついちまったよ。人間を一週間で作るあたりから迷走が始まってたね。贔屓目に言ってもあそこからがオワコン化始まってるね。ああ^あ、くそったれ、オワコン化はえーよ。ダボハゼッ!オワコン化してから色々てをくわえてもおせーよ、もっとはやくきづけよ、無茶してからとりかえしはつかねえよ、ユーザーの心は離れてんだよ、あーあ。オワコンだわ、悲惨だわー、オワコンだわー、クソッタレ、、、、生ごみ野郎め。。。いいや、やめよう、オワコン化なんて単語をつかっちゃあいけない、オワコン化なんてただの一方的なレッテル張りのクソみたいなワードでしか無いんだ。終わったコンテンツって、、、何基準だ!コラ!馬鹿やろう!てめえの勝手な物差しで図って好き放題喚いてんじゃねえぞ!あー、許せねえ、すげえムカついてきた。。何がオワコン化だよ、最初にこの言葉考えた奴誰だ。すげえ悪意の塊みたいな言葉だから、相当、多分、おそらく、推測するに性格が悪いだろうな。見た瞬間、あっ、こいつがオワコンって言葉考えたなってレベルで性格の悪そうな顔してんだろうなあ。そういうやつの顔ってやっぱり見ただけでわかるからなあ・・・会っ、こいつ駄目だ、ネットで暴れてるわ、あっ、こいつだ駄目だ、Twitterではしゃいでそうだ、って顔を見ただけで一発でわかる奴ってゴロゴロいるからなあ、、、ああ、やべっ、あいつらの顔おもだしたら、原立ってきtあ、あはらたいらと世界のオルゴールの館だコレ、あ^。腹立ってきた。ムカついてきたー。なんで俺はあの時、あのスマホを見ながらダラダラ歩くアイツをはりたおさなかったんだろう。何で俺はあの時、横に広がってダラダラあるく女子大生の集団にスクラムかまさなかったんだろう。何で俺はあのとき、下品な笑い声ではしゃいでる大学生っぽい集団を一発ずつ殴らなかったんだろう。何で俺はあのとき。調子に乗ってる風のでかい顔してるチャラいアイツを6発殴らなかったんdなろう。何で俺はあの時、繁華街ででかい顔して闊歩してる、腹立つほどでかい態度のあのやからやチンピラやいい年こいた大人をなんとか、地獄に送ることをしなかったのだろうか。はあ、街を一歩歩くだけで、腹立つことが5個位ある世の中だわ、特に夜の繁華街で歩いてる奴の9割9部はムカつくわ。あいつら態度デカすぎだわ。・・・おとなしく家で待機しとれや、ボケカスがって一人一人にいってまわりたくなるね。まあそんなことしたら100ぱーせんと殺されるだろうけどね。あー、そういうところも許せねえな。。法が及ばない範囲でやりたい方だ、ダボが。。。糞野郎、、、あー。ムカついてきた。夜の街を歩いてる人間がムカついてきた。教育の無力さを感じる。どんだけ道徳でいいこと教えても、結果、あんな人間g量産されるとか、教育の敗北だ、排斥してくれ、排斥運動してくれ、ああいうヤカラやチンピラやプチチンピラみたいな男女、でかい態度のおっさん、全員排斥してくれ頼む!!!!暴力団排斥運動もいいけど、あいつらも排斥してくれ!!頼む!排斥運動してくれ!全人類、自宅でぼーっとして一日過ごす人間になるように、小学生のうちに脳をいじってくれ!義務化してくれ!小学一年生の入学式直後に脳をいじってくれ!尊大な態度と野蛮な行動が出来ないように脳をいじってくれ!たのむ厚生労働省1?いや文部科学省!脳をいじるか脳にチップを埋めてくれ!周りの人間に不快感の与えたら脳がはじけるチップを埋め込んでくれ!頼む!あいつら、ムダに態度と体だけはでかいんだ!俺達の人権を平気で蹂躙してくるんだ!!頼むあいつらをなんとかしてくれ!あいつらを排斥できるなら徴兵制が復活しても良い!あいつらをなんとかしてくれ!!!頼む!脳にチップか強制的に!ポルポトのように!ポルポトのようにあいつらをなんとかしくれ!あの粗暴で下品な人間たちをなんとかしてくr!!!頼む、ぜんざいさん叩いても良い!!!頼むあいつらをなんとかしてくれ!!!!ああああムカついてきたWWW!!!あー、どうしようもねえ、、、これはまさに月に向かって石を投げるような行為だ。石に向かって石を投げるような?おそnfj。はあ、落ち込んだ、なんか世の中の理不尽さを改めて実感して、落ち込んだ、あいつらをどうにかして欲しい、こんど、投書しよう新聞の意見欄に、市役所にも言いに行こう。行政の仕事だ、市民の義務だ。あああ、。。。はあ、、相変わらず切ったねえな。この部屋はよ。あー。やっぱ、モテねーのかw?恋人はいなさそうだぞっwいやいやいたらこんな汚くなんない!w気遣いが出来ないってことはモテない、モテナイから気遣いしてない。!wこれが真実だ多分!wああはf;wwダサ坊だnダサ坊団wwぼほljだjw説教してえええwまあ、うん、そうじってのは面倒くさいあら、気持ちも分からんでもないよ、俺も誰かやってくんねーかなーって常日頃おもてるよ。。。ぶほうっw常日頃は思ってねええwたまにたまにえwたまにwおもうくらいだコレwwnyぎやwえじゃおふぁほw打破あhwダハウぁwwぐほティパズリアjw受けるwはあ、正味な話、あれだ、うーmn、こういうときあは、やっぱ、人ってのは誰かの存在を欲するね、マジで、。おっさんもそうおもうね。。。。誰かアガ近くにいるって存在感はやっぱ全然やっぱ全然やっぱ全然やっぱ全然やっパッ前違うわけだからね。え。例えば、それが生まれた頃や幼少期は親であり、っていうか親というか家族の存在ってのはそういう意味でとても大切なモノだね。。。誰かがいる安心感と後、家?家も大切ね。かえるところがある安心、大切ね。異国の地で一人になった時の不安ってのはハンパない、ハンパないわけだし、それを自国で味わいたくはないね。まあ、そうはいても、親はやっぱり毒にも薬にもなるわけでい、子供の将来を決定づけるのは、なんだかんだ言ってがっこうって よりは家庭環境が8割9割占めてんじゃねーかと俺は睨んでるね。家庭で教わることってのは、学校や世の中で教わることの基礎にしかれるだろうし、そもそも、学校や社会で学ぶことは応用であるわけで割。。。家庭が良ければ、そういう意味では、良い人生に歩めるのかね。そういう意味で、俺は微妙だったのかもしれない。、それは今でもよくわからないけど、。ネグレクトや虐待が子供に及ぼす影響ってやっぱ絶大だえね。あんまり大層なことは俺hわかんないわけだけどさ。。。うーんあ、世の中の大きなズレってのはひとつひとつの家庭の小さなズレから来てんのかもしれないねええ。。。また、まあ恋人ってのも違うわけだコレあ、家庭の安心感ってのは母なる大地だとしたら、恋人はまああ。なんだ、美味い例えが見つからないわけだが、船着き場のような?世知辛い世の中を渡っていくための。?まあ、そんな感じだなあ。俺もなあ、もうちょっと上手くやればなあ、と後悔のれんぞくなわけd、こう、需要と供給があってなかったというか、あれは一概に、俺の気持ち悪さのせいではないね。。まあひとつ大人になってないかっていったら嘘になるね。めんどくさい子との法が多いけど、まあ、アレが、家庭になるわけでい、ーん、おれは家庭を作れなかったってわけで、うーm、後悔しかないわけであってって感じっで。心が離れてってるのを感じるってのはツラいもんだね、、、つれーn、人間関係つれー、心の機微めんどくせー、こえー、。。はあー、落ち込んだ、落ち込んだ、落ち込むことのほうが多い、そもそも俺は、モテナイわけであるから、恋愛市場mの勝者ではない。うーん、つらい、社会でも勝者ではないわけで、つらい、。あー、ヤバイ、死にたくなってきた。唐突に、。過去のことを思い出すと死にたくなることしかない、なんでだろう、おそらく、何かを乗り越えてきた体験がないからだおるか。。…何かを大きく乗り越えたり、何かに大きく挫折したりした経験がない。だから、確固たる自我が構築できていない。フニャチンなのだ俺のの精神は。経験は。死にたくなる。死にたくなるけど、つまり現実逃避したくなる。小さい成功より小さい失敗のほうが、人生は多いわkで、そうなると必然的に、心に傷は細かくつくわけで、そうなると必然的に、思い出も後悔しかないわけで、そうすると、自分がフニャチンのだせー存在だということから逃避したくなるわけで、でそうなると死にてー死にてーって言いたくなるわkで、大した成功体験も当然このままでは積み重ねられないわけで、そうなるとどうなるか、もう何かを、自分のなかで、何かを築こうとする意識も、意欲も失せてしまうわけで、デフレスパイラルみたいに、袋小路にはまるわけで、すると、ますます、過去は色あせたものばかりになるわけで、すると数年後、また自分の人生を思い出すと、後悔しか、思い出せないわけで、するとどうなるかというと、数年後の俺は、また、しょぼいださい自分から現実逃避したくなるわけで、すると、俺は何をその時するかというと予想はついていて、また意欲ややる気が減退して、うだうだ過去の自分を恨み、今の自分を慰めるっていう無限回廊を歩むわけで、結局は、過去を思い出し、現実で後悔し、過去の自分の過ちを現在何となく反省して、その現状をなあなあで生きていって、ダラダラ、積み重ねるものも積み重ねず、積み重なるのは歳ばかりであって、で、また過去の自分を呪い、現状を慰める、現状を慰める言い訳のために、ダメな過去の自分を作っているのではないかと疑ってしまうくらい、自分は同じことばかりを繰り返して、同じ後悔をしている。つまり、現状をかえることは未来をかえることに直結しており、そして引いては過去をかえることにもつながっていると俺は十二分に分かっているつもりだ。でも、何故か行動に移していない。何故行動に移さないのか。それは簡単なことで、俺は人間である限り、感情がある、怠惰が俺の性格の大部分を占めていると分かってる、。生来備わっているこの怠惰という感情こそ、現状を停滞せいしめている、現況であり、当然、今後も自分の中で大きくもたれかかってくる存在なのだ。克己という言葉があるがまさに自分に必要なのはそれだろう、、克己、己に克つことの必要性は人間誰もが分かっている。でも、容易には打ち勝てない。何故か、ソレは人間は怠惰だからだ。。怠惰だから、現状を慰める、そのために過去を持ち出す。過去を持ち出すために、現状をないがしろにする。人間は無意識のうちに自身を殺しているのだ。この現象からさ、導かれることって何嗚呼る
って誰もいねーかハハ、さあてと靴を脱いでよっこいしょwっと。はあー、最近靴下洗ってねーからくっせーな。なんていうかアレだ難しいな言葉で表現するのは。例えるならアレだ。って例えよーがないわなw靴下ってのは靴下のニオイっていう表現でしか洗わせませんわこれ。しいていうなら?靴下のニオイに近い・・・・・・ってそりゃ靴下のニオイだから靴下の匂いは靴下の匂いだわwこりゃ一本取られたw自分一本背負い!巴投げ!ってなもんだこれwさあーてと、見回してみると、これはアレだ、うーん、端的に言って、おそらく一人暮らしなのではないかね。まず部屋が狭い。こりゃこりゃ2人以上で暮らすことは不可能デッサ。wもし可能なら、多分アレだね、おそらくアレだね、不法滞在者か不納入国者の外人さんだろうね。ベトナム?フィリピン?ミャンマー?行ったことねーけどあっついんだろーなー東南アジア。東南アジアは赤道に近いから熱いんだよね。ってこれは常識かw失礼。でも小学生の頃の俺だったらわかんなかったローな。「なんでなんで?なんで赤道あついっちゃね?」なんつってさw馬鹿野郎だよこのやろうwはあー、数日前の己でさえ馬鹿に見えるんだから、小学生の頃の俺なんてとんでもなく大馬鹿だね。大場めぐみってなもんだこれwさあーてと、で、住んでる人はおそらく男だね。理由?そりゃいいニオイがしないからだよwバカヤロッwってなてなもんだ。女性だったらもっとこう・・・・・こういう部屋の感じにはなんないね。だって俺の部屋にそっくりだもんwこの部屋wダハハwわかるわかる、勘ってやつだな、男の勘。女の勘があるなら男の勘もあってしかるべきだよなあwそりゃ当然だよだよ。男女差別っ!女尊男卑!ってなもんだこれwで次に見たところ、これ、きったねえなーシンクがよ。汚れてやがる。きたねーな。おそらくアレだ、数日前の食器類も溜まってやがるwきったねーwまあしょうがないしょうがない。一人暮らしなら誰でも通る道さw.さあーてと、数歩歩いてみるとコレ、結構広いところなんだなあー。風呂もあるし、シンクもあるし、トイレもついてやがる!って今時当たり前か!?w俺が若いころはな~、トイレも風呂も共用だったんだぞ!テレビも当然無いしラジオしかなかったんだぞ!wってのは俺のオヤジの定番の文句かこれはw今思い返せば親父もなかなかアレだな。若いころも合ったんだろーな。今やすっかり、しょぼくれたおっさんでしかないけどw若いころはどんな趣味に打ち込んでたんだろう。どんな人間関係を育んでたんだろう。どんな葛藤があったのだろうか。多分アレだ。あの風貌からして・・・難しいな。今で言うとアレか?リア充よりだったんじゃないかなあ。友達ともあそんでそー。でも今はそんな友達もいなさそうだし、やっぱ非リアよりか!?うーん、でもサブカルチックなニオイはしないしなあ。あっ、そういえば幼いころ書いてもらった絵は結構美味かったな・・。今思うとちょっとアニメよりだったかもしれない。うーん、謎だ。親の若いころはどんなアレだったんだろうかってのは謎だ。今のガキは親と仲が良くて、何でも包み隠さず話すらしいから、親の若いころの人となりも、知ったりするんだろうか。でもそんな関係性はきもちわりーw馬鹿野郎って感じしかしねーwバカヤロッwコノヤロッwうーん、そう考えると、俺のおふくろはどうだったんだろう。これは簡単だ。多分今時の若い大学生とほとんど同じだったろうって感じだ。思想とか熱中する趣味も特になさそうだし。ダハハw切りがね~。あんんまり考えるのも気持ちわりーよw家族と仲がいいとかきもちわりーwバカヤロッwはあー気持ちを切り替えよう。他人の家ってのは違和感しか無いなあ。なんていうかニオイが他人の家って感じだ。えっ。他人の家の匂いがどんなニオイかって?そりゃアレだ・・・・他人の家のニオイはアレのニオイに似てるなあ。他人の家のニオイに似てる。ダハハw他人の家のニオイが他人の家のニオイに似てて他人の家のニオイっぽいニオイだなんて当たり前だろこのやろwしかしアレだ数日前に、どこからともなく弁当のニオイがしたけどありゃ最悪だったな。他人の家の弁当の匂いほど気持ち悪ものはなかなかないぜwおかげで俺の体臭が臭いのか?って小一時間そわそわしちまったじゃねーかこのやろwくせーくせーw殺意を覚えたね。どこのどいつが弁当のニオイ漂わせてんだってwそれともあれは体臭だったのか誰かの?うわー。そうだとしたらご愁傷様だわ。ありゃ加齢臭とか風呂入ってないニオイとかよりヘタしたら不快だぜwなんていいうかマイナーな臭さだから。ダメな人はダメだろうなwったくくせーくせーwあの弁当独特のニオイってのはどうやって出来るもんなのかね。おそらくアレだ。うーん。。。よくわからんなwどっかの大学が研究してくれwたのむwあのスメルは多分戦地でも有効だぞwダハハwこりゃまいったwってなもんで、もう一歩踏み入れてみると、うーんリビングがきたねーな。服とか本とかなんかチラシとかが雑然と積まれてるわ。きたねーwきたねーwまあ寒いからな最近。。。ってそりゃ全然言い訳になんねーよwダハハwでも寒いと行動する意欲?意識?が激しく減退するからな。布団にくるまって眠ってたいんだコレが(泣)ダハハwバカヤロwそんなんだからこんなんなんだ俺wバカヤロwダハハwで、おいおい床を見たらなんか誇りとかゴミとか髪の毛とかがまあまあ落ちてんじゃねーかwバカヤロwきたねーよwでも、俺も抜け毛が最近激しいからわかるわwダハハwフケとかも出て最悪だよw俺の家来る?きったねーぞwダハハw他人に厳しく自分にも厳しいwダハハw嫌われる人間だコレw他人に甘く自分にも甘い。ダハハw世界平和だこりゃwでも、他人に厳しく自分にも厳しい奴は俺はなんだかんだ好きだなwいたいた学生時代そういうやつがいたいたwで、案の定煙たがられてたわw世渡り下手かwでも、なんだかんだ芯があって立派なやつなんだこれw俺は今思うとふにゃちんやろうだったなw精神的、人間的インポ人間、ソレが俺wダハハwダハハwもっと・・・・こう・・・うーっm学生時代を思い出すと、自嘲したくなるなwダハハ、wダハハwとりあえずわろとけwwダハハwダハハwでだ、服を見てみると、、うーんwこりゃあんまりおしゃれじゃないなw典型的な無難に攻めてみましたwって感じだwってせめてねーよw無難はせめてねーよwダハはw無難に攻める・・・・・ダハハはwwwワロケルワロケルダハハw多分これはモテねーんじゃねーのかこいつはw壁にかかってるアウターとかを見てもあれだwださいださいwこれをまあデカプリをとかキムタくが着てたらかっこいいんだろうけどよーー・・・wってきねーきねーwあいつらは来ねーよwこんなやすもんwダハhwあいつらはスタイリストとかいるし、金もあるから来ねーよwこんなやすそーなダサ服きねーよw打破はwバカヤロ!wでもそう考えると不公平だ。かっこいいやつはかっこいいからかっこよくなっていってかっこよくなってしまう。ダサい奴はダサいからダサいままダサい奴に成り果てる。不公平だコレ。デフレとインフレが局地的に同時進行中だ。無限回廊に誰もが無限回廊に、無限回廊に誰もが無限回廊に無限に回廊してしまっている。許せねえ。搾取されている・・おしゃれ剰余価値説だこれ。。。許せねえ革命だ・・革命だ・・・。とりあえず同士を募って、銀座のショーウィンドある系の店を打ち壊しだ。。。駄目だ恐ろしい。。・・・ダハハwバカヤロwそれはしょうがねえことなんだよw搾取なんてされてねえw前世での悪行がこんなダサ坊を生み出してしまったんだよw前世が悪いからこんなしょぼいアパートの一室にしょぼいダサい臭いアウターぶら下げてんだよwせめて今世は善行を積んどけw徳を積んどけwブッダ読んで徳の積み方学んどけwこれがほんとのライフハックじゃ!wダハハwバカヤロw徳の積み方はそうだな・・・とりあえずダサい服を全部アフリカに寄付しときなwあっでも、アフリカは輪廻転生のシステムが違うから、善行ポイントには加算されないかもなw残念wダサいアウターの使いみちはw燃やして暖を取れwソレか売れwそれかホームレスたちにくばれwダハハw前世が悪いと今世もつらいのお・・wまるで親が悪いと子も悪いみたいじゃわいwダハハwかわいそっw俺もお前もかわいそっつw打破はw狂おしいほどに同情、させていただくwで、どうだ、んんー?本や漫画がいっぱいあんなー、でも一山いくらにもならねーからなw本なんて一山いくらにもならねーwダハhwその金で株でも金でも買っといたほうがよかったなwダハhwほーん?へー?ッぶッwwwおいおいおいおいww最近のやつw最近のはやりのやつばっかじゃねーかwダサいダサいw服もダサい上に自分の図書館もダサいのかいwお前は自分のライブラリをCCCに民間委託してんのかいwダサいダサいうすいうすいw本屋の店頭でプッシュされてるやつばっかじゃねーか漫画も小説もwダサいダサいwこりゃ、アニメ見てるwアニメ見て何かよく分からんが癒やされてるやつだわw一昔前ならメロドラマ見てたタイプだわwでも、そうだな、CCCに民間委託ってみんなそうだな、みんなテレビなりネットなりの意見を見て、自分の趣味趣向を決定づけてるわけだから、そういう意味ではみんな、メディアに民間委託してんだな・・・・かわいそすwくーw国民総一億民間委託だwCCCに文句言う前に自分のライブラリを見直すべきっwダサ坊ださぼうwCCCのフリ見て我が心のなかのCCC直さずwダハハw白痴じゃあ、白痴じゃあ、白痴じゃあ・・・・国民葬白痴じゃあああwくほっwダハハwはー一息ついたわwほー、テレビもあんのか、まああ今時珍しくもなんともないな。テレビが家庭に会ってテレビを見ることを選択して、テレビを自宅においてテレビを見てる人はそんなにテレビが珍しくないテレビが普通に一家に一台以上ありそうなテレビがある家庭を考えても、テレビがしょぼくれたアパートにあってそこの住人がテレビを使ってテレビを見てることはめずらしくないなあ。テレビを見てたらばかになるっていうけど、さあ、馬鹿がテレビを見てるが正解だよなw馬鹿が自分が馬鹿であることを棚に上げて、テレビを見てたら馬鹿になる、馬鹿はテレビを見てるって言ってんだwテレビを馬鹿が見てるだけで、馬鹿がテレビを見なくなっただけなのにw馬鹿がテレビを見てようが見てまいがばかは馬鹿だw馬鹿が馬鹿なりに馬鹿はテレビを見てるって馬鹿なりの理屈をこねてテレビを馬鹿なりに馬鹿にしてんだw馬鹿はテレビを見なくなっても馬鹿なのにw馬鹿がテレビを見なくなっても馬鹿は馬鹿だよw賢くなんねーよw馬鹿は馬鹿で馬鹿は馬鹿のまんま馬鹿であり続けるんだからw馬鹿をばかにするのも馬鹿馬鹿しいけど、馬鹿馬鹿しい馬鹿ばっかなんだから馬鹿馬鹿しいけど馬鹿を馬鹿にすることは必要だw国民の命題だw一億総白痴、いや日本っていうそんな狭く小さいビジョンじゃねえ俺は・・・70億総白痴だこうなったらw一億総白痴なんてのは小さい視点だwビジョンだw狭い視野だw70億総白痴こそ真の姿っ!wうおおw進め70億火の玉だw来るべき宇宙戦争の時が贅沢するなw勝つまではw70億総白痴社会では70億が火の玉になるしか高度な文明に勝つすべはないっwその時は経験が深い一億火の玉国家が指揮をとろうwうはっ、初めて外交で勝利w我が国が70億総白痴社会の指揮をとるのだw宇宙戦争、はやくきてくれー!!w俺らの天下がくるっ!w一億総火の玉は来るべき世界国家のための布石っ!はあっ!進め70億総火の玉で高度知的生命体を打ち破れ!wうーん、ユートピア、バチンッ!おはっ、ゴムが痛いwダハハwダハハwほー、よくよく見てみると、アレだな。なんか専門書みたいなのがいっぱいあるぞwほー、理系なのか?理系だなwなるほどw社会人なのか?wそれは分からないwでゃははw室伏っ!wダハハw那覇はwへー、寝床もある。。。ってそりゃ当たり前だw寝床がなくてどこを寝床に寝てんだよっw寝床は寝床なんだから寝床があるところには寝床があるんだよ確実にっ!wはあー、その思想意味がわかんねえw学がないんじゃないの!!?俺っ!!?って俺かよwダハハwメランコリーだなん釣ってw俺は俺であるから俺の中の俺である部分のことは俺が一番良く知ってるんだこれがwダハhw当たり前だのクラッカーw当たり前だのクラッカ^wクラッカーw当たり前だのハッカーwダハハwネット世代の新CMw当たり前だのハッカーwクラッカーwあのハッカー・クラッカー論争もきもちわりーなw正しくはクラッカーだろっ!怒怒怒って・・・w馬鹿かwここにも馬鹿が馬鹿らしく馬鹿馬鹿しいことをしている事例が発見されリw馬鹿がいくら用語を知ってようとw結局ハッカーじゃなくてクラッカーだろ怒怒怒としかいうことが出来ないwダハハwここにも70億総白痴社会の痕跡がwダハハwハッカーだろって怒りのタイピングwダハハw馬鹿がタイプwカタカタッ「ハッカーじゃなくてクラッカーだろ」カタカタックソリプッwバカヤロw馬鹿が馬鹿ゆえに馬鹿馬鹿しい行動を取る事例がまた一つwうおおおwハッカーじゃなくクラッカーとよべええええ。・・・・wバカヤロwお前が怒りのタイピングをし続ける限り俺はハッカーって呼び続けるわw打破はあw当たり前だの・・・ハッカーwダハハw当たり前だのハッカーwダアはw当たり前だの・・・馬鹿「クラッカー!」俺「ハッカーw」ダハハw完全勝利wダハハwこりゃ腹痛いw心のなかの腹が痛いwはらたいらと世界のオルゴールの館wダハハwはらたいらと世界のオルゴールの館wダハハwはー、茶番茶番n、茶番茶番。ほー、よくよく見てみると、この季節に布団一枚で寝てやがるwさみーよwさみよーwバカヤロだこいつw馬鹿は風を惹かないw裏付ける証拠ww倉持明日香w裏付ける証拠倉持明日香wダハハw語呂語呂wダハハwはー、よく見りゃお前、布団が黄ばんでんじゃねーかwきたねーきたねーwあっ・・・・・もしかしてせっっくすをしたのかなここで、、、せっっくすをこんなダサ坊がせっっくすを・・・。まあでもよく考えりゃ当たり前か、大の大人が一人暮らししてたら女連れ込んでせっっくすの一つでもしねーとかっこがつかねーからな。せっっくすがそんなお前、せっっくすにアドバンテージを感じるような精神年齢でもねーよw俺はwせっっくすなんてお前w常識だw人類の歴史wせっっくすは当たり前だwせっっくすなくしてこのダサ坊も俺も生まれなかったわけだからなwww身近身近wせっっくすは水や空気と同じくらい身近wはー。んなわけねえは、せっっくすが身近なんてのはお前、原始の頃くらいだよ、せっっくすがそんな当たり前な時代じゃねえええんだよ。せっっくすが当たり前な世の中だったらあんな生産業が栄えてるわけがねえ。。あんなに女を買うことが高いはずがねねえ。。。せっっくすが当たり前ではないからこそ、せっっくすの需要に対して、供給がひとりひとりに及んでないからこそせっっくすは勝ちがあるんだ。現代ではさ、、、、。もしこいつがせっっくす勝者だったら。おれは泣くかもしれん。。。ダサ坊がせっっくす勝者なんて、そんあ世の中は狂ってる。せっっくすは、それなら、もっと全人類に平等に供給されれうべきだ。せっっくすに価値を持たすな。せっっくすを資本家に搾取させるな。せっっくすこそ我々を搾取している。せっっくす。。。あーダメd、許せねえことが多すぎる。。娑婆は地獄だ。逆説的に裏社会は天国だ。・・・ブハッwんなわけねえw娑婆は地獄、裏社会も地獄wこの世は地獄w地獄が地獄である所以は地獄が地獄であるからに他ならず、地獄でないところは逆説的にまたそこもある観点から見れば地獄なのだ。地獄を地獄と思わずに生きているものは罪深い。地獄なら地獄で生きるもの、生きとし生けるものすべてへ、地獄で生きることへの心遣いをする。しかし、地獄を地獄と思わないものは地獄を地獄ではなく天国であると考えている。馬鹿げている。実にこの考えは馬鹿げているのだ。この世を地獄だと思うからこそ、人は人への慈しみなり、思いやりを育めるのだ。地獄であると自覚するからこそ、地獄を地獄でなくしようと、地獄を地獄であることを緩和しようと、地獄を生きていくために地獄で生きるものへの思いやりが持てる。しかし、地獄を地獄と思わず、さながら天国だと思っているような人物。具体的には、この世の春を謳歌いしているものどもは、地獄を生き抜くすべを知らない。地獄を生きていくためには地獄を生きていくための身の振り方があるのだが、地獄を天国と勘違いしているものは地獄に生きる者達に、まるで天国での振る舞いを要求している。人の性根は性悪説的なものだ。天国だと知ると、天国の天使たちをこき使うだろう。天使たちに気遣いなど微塵足りとも見せないだろう。天使たちに気遣いを出来る人間はむしろ地獄に生きる者たちなのだ。地獄に生きる者タチ。それすなわち、天国に行く権利があるべきなのだ。しかし、この世では本来地獄で生きるべきものたちが、この世を天国だと誤認し、地獄をさらに地獄たら占めている。一方、地獄だと自覚しているものは天国を味わうことが出来ず、さらに地獄を憎み、天国だと誤認している者達の振る舞いを見て、さらに地獄で生きているということへの確信を深め、地獄の辛さを噛みしめて生きている。この世を天国だと誤認する者達、それこそもっともこの世で罪深い種類の人間だ。地獄を生きるためには地獄を生きるすべを知るべきであり、ソレが我々、人類のあるべき姿だ。性悪説的な人間が、人間の集合体が構成しているこの世を生き抜くためには、まず人間の存在を憎まなければならない。人間の存在を憎むことで、逆説的に人間は人間に優しくなれるのだ。イエスに罪を着せている場合ではないのだ。人間が恒久的平和を勝ち取るためには、人を憎むべきであり、この世を地獄だと思うべきなのだ。人間は罪深い人間だということを目一杯自覚するべきなのだ。親が子に教えるべき、慈愛の心や希望、自身の可能性ではない。親が子に、人間は罪深い存在だと教えるべきなのだ。お前は人間だ。だから罪深い。罪深いからこそ、慎ましく暮らせ。人間だということを悪め。と親は子に教えるべきなのだ。人間という罪深い存在がこの世を生き抜くためには、罪深さを自覚し、地獄を地獄だとしっかり認識するべきなのだ。罪深いから主に許しを請うなどは、間違っている。罪深い人間が罪深さを隠していきていくことは不可能だ。人間は2人以上存在した時点で軋轢を起こす。軋轢が起こるのは当然だ。人間は罪深いからだ。ましてや70億も人間が存在するこの世で、軋轢はより一層。罪深さを自覚しろ。罪深さから逃げるな。人間に希望を感じるな。可能性を感じるな。夢を持つな。ここは天国ではなく、地獄なのだ。人間が群れをなして暮らしている時点で、そこは地獄なのだ。地獄だからこそ、罪深さを認識しろ。罪深さを認識してから、初めて人は会話したり行動したりする権利を与えられるといっても過言ではない。開き直るんじゃない。お前も業が深い、人間という存在なのだ。親は子にまずこのことを教えるべきだ。親が罪深さから目を逸らしては子供も、目をそらすに決まっている。自覚することを放棄するに決まっている。人間という罪深い存在をこの世に産み落としてしまった責任をとれ。自分の子供に過ちを繰り返させるな。人間は罪深い、だからお前はこの地獄を生きる、罪深い人間の一人なのだと教えろ。いっそ、草や虫、他の動物に生まれてきたほうが良かったのだと説け。当たり前だ。人間というこの世を汚し、同族でさえも簡単に殺めてしまう、罪深い人間が、そもそも輪廻転生の最高位なわけがない。お前は草花に生まれてこれなかった。虫になれなかった。鳥や犬猫になれなかった。可哀想に。お前はまた罪深い人間が他人との軋轢を気にせずに生きる地獄を、生きてしまうのか。嗚呼可哀想に。と親は子を哀れんでやれ。いかに自分が罪深い存在か、深く深く子供に焼き付けろ。これが地獄を生き抜くための必要条件なのだ。人間は汚らわしい、馬鹿馬鹿しい、罪深い存在だ。そもそもこの世で生を受けることも許されるべきではないのだ。虫や草花、他の動物こそ、生のあるべき姿。人間は罪深いと自覚しろ。そして懺悔しろ。他の誰でもない。自分に懺悔して自分を責め続けろ。そうして初めて人は、恒久的平和を勝ち取ることが出来るのだ。この世が天国か何かだと勘違いしている人間を即刻断罪せよ。そのための法だ。そのための理性だ。天国だと勘違いして生きている人間がこの地獄にもたらすものはさらなる苦しみ、さらなる誤認、さらなる軋轢、さらなる人類への罪だ。街を歩くこの世が天国だと誤認している人間を責続けろ。お前は罪深い。お前は罪深いと。当たり前の話なのだ。この世は地獄だと嘆く人間を白い目で見るような奴らはただの怠慢だ。傲慢だ。白痴だ。自分の罪深さを認識し、この世を地獄だとしっかり認識しているものこそ、真の賢者なのだ。奴らを天国から追放しろ。等しく我々は地獄に生きている。そこは地獄だとしっかり自認させろ。理性はそのためにあるのだ。等しく人間は罪深い。そしてそれは誰にも許されることではない。自分を責め、他人は自分を写す鏡だ。慈しみや思いやりは、自分を責めてはじめて恒久的に手に入れられる。自分を責める知識も教養も覚悟もない人間を断罪しろ。それが人間の唯一の生きる道だ。・・・・。・・・・。・・・・・。コーヒーの空き缶があるwあーあのアレかwあのCMwまあまあ好きだぜwあのしーえむwダハハwまあまあ外人がいい演技してんじゃねーかw外タレやるじゃんw外タレwエノケンロッパwメリケン粉wダハハwCMCMw重労働ジュード・ロウwブラックブラックうるさい奴らは、労働環境を憂う前にジュード・ロウを批判しとけw日本のブラック体質はジュード・ロウが作ったのだ!!!!ダハハwこれほんとw打破はwうそうそwジュード・ロウは外タレだからwでも労基には一応ジュード・ロウのことは相談しとけwジュード・ロウって外タレが我々を苦しめていrます!ジュードロウを逮捕してください!ってw打破あhwそういや逮捕してください!とか訴えてやる!って騒ぐやつほど馬鹿だなWW法律知識はないけど・・・法学部はでてないけど・・・コネもツテもないけど・・・逮捕してください!訴えてやる!・・・w打破あhwダハハwばかやろッwお前がサボってきたつけだこれwしかもこういつやつほどいつもは公的機関を批判してんだよなwダハhw馬鹿w都合良すぎだwwダハハw腹痛いw心の原が痛いwうお~けいさつう、べんごしいぼくをまもってくれっ!・・・ダハハwバカヤロ馬鹿やらろwお前金もなさそうだろw友達もいなさそうだろw交友関係も狭そうwFacebookを薄っぺらい交友関係とか馬鹿にしてそうだけど、お前交友関係ないじゃんw恋人と写った写真をアップする素材もないじゃんw美味い店も知らないじゃんw女友達も男友達もいないじゃんwせいぜいネットのハンドルネームで身を隠してる会ったこともないやつしか知り合いにいないじゃんwちょwwwそれってそもそも知り合いなのか?wおいおいおいおいおい、もしかして、、ネットが自分のREALだとお持ってるクチかw?ダハhwんなわけねえwFacebookにアップ出来るほどのミのある生活もしてなさそうじゃねーーかwwだはあhw残念w拙者、リアルの生活がしょぼすぎたナリ~w切腹wダハハwお笑い種だこれwwはー。。。おっ、こいつゴミ箱にゴミが捨ててある。。・・・って当たり前だwゴミ箱にゴミが入ってるのはアタリマエだwこれw当たり前だコレwゴミを捨てる箱ゴミ箱にゴミを箱に入れることをしてゴミをちゃんとゴミ箱に捨ててゴミ箱もゴミが入っていることはゴミ箱って言う時点で当たり前だコレwダハハwゴミ箱w失礼w疑ってすまんwゴミ箱にはゴミが入ってて当たり前だゴミ箱なんだからwゴミを捨てる箱なんだからwゴミを捨ててあるのは当たり前だwそのための箱なんだかkらwゴミ・箱なんだからww打破はあはあw簿へええっwダハハwくほおwッッ!!w室伏tっw室伏ロっwダハハwwはあー、何が捨ててあるかなあー、んんんんんn1?おいおい、切ったねえなー、もっとキレイにしとけよ・・・ブホっwゴミ箱をキレイにしとけ!ってw逆説的すぎるwゴミ箱はゴミを捨てるところななおにキレイにしとけってw逆説的wゴミはキレイではないkらら逆説的wトイレはキレイにも逆説的wトイレは糞尿を垂れ流すところwつまり汚いwでもキレイにしとけ!えw逆説的wおいおいおいおいおいk,これはヤバイ発見dな、やばいやばい、やばすぎtえ脳がオーバーヒートを起こすwやばいから俺のちっちゃい脳の機能がつま先から頭までフルスペック稼働しているwヤバイの逆説なのwトイレは汚いのにキレイにしとけってwおいおいおい、オーバースペックwファンがw脳のファンが熱気をすげええ出してるwその命令は実行できませんwダハハwオーバースペックw俺の脳wダハハw逆説的wクレイジーソルトwダハハクレイジーソルtおwとにかくクレイジーソルトのことを考えておこうwクレイジーソルトwぶほっwなんだそのネーミングwクレイジーソルトってwはあああ。。。ん?おいおいアイス食ってるよこいつw棒に残った茶色からしてチョコ系だこいつwチョコ系のアイス食ってるよwこの寒い季節にw馬鹿なのかw?どはっw馬鹿だwアイスに金使ってるwこの季節ににwアイス、食ってうr。wはー、笑えた、笑いの刺客が潜んでるwそこらじゅう。wん?おいおいレシート捨ててあるよw破いてるwバカヤロうwお前の買い物の内容にだれも興味ねえよw俺以外ww!ダハハwいたわここにwダハハwレシート見てえwお前のレシートの買い物の内容が見てええーwくっそー悔しいwwこいつが何買ったか興味あるう~wレジに並んでる時他人のレジのかごを見るくらい興味あるうーwくぅーw悔しいwwんんぅ?んんm^後は何だ鼻をかんだティッシュくらいかwきったねーwっておいゴミ箱は汚いw逆説的にwダハハwはーゴミ箱でこんなに笑ったノのは人生で初めてだかもwくごほおwバカやろw!のほーwはあはああ、こいつビールのロング缶もあるじゃんw旭スーパー度らいだコレwうえw酒飲んでるよwダハハwぐほっちwビールって言えばあれだ、親父もよく家で飲んでたなあ。親父はロング缶じゃなかったけどw酒飲んでつまみ食ってテレビ見て新聞読んでwおいおいおいおい良い人生かよ・・・。労働して酒のんでお気楽に暮らすって良い人生かy・・・。決してそんな生活を手に入れられない人間もいるのに。。。家族もいて平日ものんびり酒飲んで、さらに仕事も会って。。。おいおい良い人生すぎかよ。。そんなのもう手に入んないんじゃねーか。このご時世。やべーよ。今から新卒で社会に入っていくガキたちが数十年後そんな生活が出来るのかよ。。わかんねえ。こええ。将来を考えるのがこええ。どうなるんだ俺は、世の中hあ。世界情勢はどうなるんだ。第3次世界大戦が勃発しそう、そんな予感、ここ50年以内くらいに、やだよおれー。やだよーやだおy-つらよーつらいよー。yだよー。怖いよ。yだよー。仕事なくなったらどうしよ。どうすりゃいいんだよまじで。公園で暮らせば良いのか?そんな度胸もないよー。根性ないよー。知恵もないよー。体力もないよー。一度失職すれば、アレか、もうむりじゃん、どうすんよ。スキルあるの俺?オレって誰かの代わりになれるの?誰かに勝てるほど優秀なの?存在意義はあるの?誰にでもできる仕事やってるじゃん今。yだよーやだよー。俺なんで・・・無能なの??やだよー。こわいよー。オレのやってることってつまんないいし、誰にでもできるし、どうすんの?存在意義がないの?実質無いの?実質オレは無能なの?価値はあるの?内の?なさそう?なさそうだなー。どうすんの。怖いよーつらいよーyだよーどうすんのy-お^どうすんだろ将来。オレは数十年生きてきて、やれることが誰にでも出来ることって悲しすぎない?オレ数十年間何してたの?オレなりに精一杯やってきたつもりよ。でも世の中の情勢次第でオレなんて一発で消し飛ぶわけ。で。生きていく知恵もなんにもないまま。、放り出されるわけ。だって学んでこなかったから。準備してこなかったから。数順延んも生きてきて、何やってんだ?何もやってない。ただなあなあで生きてきただけ。レールの上で、社会に敷かれたレールの上の歩いてきたダけ、社会に最適化されてるだけ、コマの一つ。歩兵にも満たすかわからない。何をやってんだ。?親に敷かれたレールの上を走ってる奴はダサいと思ってたけど、オレも何のことはない、社会に敷かれたレールの上でただ歩いてただけ、ダラダラあるいてただけ、何の努力らしい努力もしていない。努力だと思ってたコとはじつは努力ジャなくて誰でもやってることだった、オレが努力だと思ってたことあh努力でもなんでもなくて、ただの義務だった、あーあ、馬鹿だ、アホだ、カスだ、自分を呪っているけど、それはムダ、あーあー、存在意義ってなにかね?ないね。馬鹿は俺dで人間社会の趨勢に振り回されてゴミのようにカスのようにただただ摩耗されれるだえkのショッボイ存在。ショッボイショッボイただのつまんない人間。あーあ、怖い。恐ろしい。恐怖だ。将来を考えるのが怖い。どうなるんだろう、孤独死ってやつ?長生きしたらアパートrの一室でボケたもうろうとした頭のまま、何も考えられなくなって死んじゃうの?結婚も出来なさそうだけど、そうなっちゃうのの?孤独死するの?毎日ヨタヨタ歩いて夜になってスーパ^で惣菜でも買って、それくって寝るの?で、何をするの?生きがいみたいなのある?交友関係もないの?今のままだとなさそう。親も死ぬけど?どうすんの?孤独ってつらいよー。怖い将来を考えいるのが怖い。じゃあ、老人になる前に死ねば?やだよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー死にたくないよー、死ぬのは怖いよーどうなんの死んだら。信仰心もないから、死ぬ際の心の拠り所もない、現代人は大体そうだけど、死ぬための心の拠り所もない。どうすればいいんだ。死ぬためには。死ぬための心の拠り所がほしい。ていうか死にたくない。不老不死になりたいいっそ。死にたくないよー。よくニュースで見る事故で死ぬ人は可哀想だ、同情するよ。人生を強制終了なんて最悪だよ。しかも見知らぬムカつく奴に強制的に人生を終了させられるとか嫌すぎる。死ぬときはじ
例のCMを見た後の感じが「ミノタウロスの皿」読んだ後の感じに似てるなーと思ったんだけど、別にストーリーとか設定が似てるってわけではなくて、何かこう…「自分たち(今この現実)から見て明らかに歪んでる状況を嬉々として受け入れている自分たちに似ている何かがいる」ってとこがグサッときたのかなーと。
SF的な怖さって「あれ?よく考えたらこういうことも起こりうるんじゃ?」っていう怖さだと個人的に思っていて、でもSFではそれが架空であることが一種の救いになっているというか。
ただ例のCMだと最後に現実の企業の製品を宣伝してくるわけじゃないですか。そこで「うわっこれ現実とリンクしてたの?気持ちわるっ!」みたいになるというか。単なる映像作品ならまだよかったと思うんですよ。何とかコンテストに出した学生の作品とかならまだセーフ感あったというか。
ただ、最後に実際の企業のCMですよっていうのが明らかになったことで、フィクション的世界で描かれていたものと企業の宣伝っていう意図がうまくつながらなくて、結果「何これ気持わるっ」っていう感想になったのかなー。
まあそもそも内容がエグすぎるというか。ゆとりには皮肉よりも尖ったナイフぐらいの切れ味になってると思うんですよね。ギャグのつもりでも生々しいというか、笑い飛ばせない要素が多いんですよね。これでバッドエンドならそういう皮肉なのねーって受け取れるけど、これを「良い世界」としてる描き方も気持ち悪く思う要因なんだろうなあ。実写じゃなくてカートゥーンだったら笑えたのかな。下手に現実世界に近づけてる分、胸糞悪さがあるのかもしれない。
あとおっぱい描写。まあサービスだっていうのは分かるけど食べ物扱う会社がやったら炎上するの分かってたと思うけどなあ。狙ったものはギャグだったとしても、全方位に適度に攻撃を加えてる感じが最高にロックだと思います。
ブレンディはともかく製作者が炎上させる目的でCM作ってたら爆撃大成功ですよ!おめでとうございます!って感じだし、まさか炎上するとはって思ってたら、偶然の産物スゲー神は実在するんだ!って感じ。
だからと言ってその流れがブレンディ叩きに移行するのもおかしいなあという感じ。別にこのCMが間違ってるとは思わないし、むしろ映像作品として見る分にはかなり出来がいいと思ってる。ただ、CMっていう形をとったからには、ストレートに商品の宣伝にしなきゃいけなかったのでは?と思う。
元々企業側が狙っていた所とは全く逆方向に飛距離を伸ばしてしまい爆発炎上、更にこの映像が実在企業のCMであるからこそ可燃物の山で燃え盛ってるみたいなややこしさになってんだろうなっていう話。
今回は受け関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
作り手の意図をメタ的に読み込む観方は、間違ってはいないが本質を見失うぞ。
もう少し別の視点で観てみよう。
物語の何で笑い、どこで泣くか、仮に正解があるとすればそれを決めるのは作り手だろう。
みんながみんな、生まれてからすぐに物語の受け手として自己を確立しているわけじゃない。
そういう人たちに物語を感じてもらう場合、それを導いてくれるものがあればありがたい側面もあるんじゃないかな。
そういう意図をもろもろに、「演出」というんだと私は解釈している。
受け手として成長し、舌が肥えた君のような客には粗末に映るかもしれないが。
君だってそういうもので受け手として成長させられてきただろう。
世界で話題になった名作が、過剰な売り込みでウザがられたり、作品そのものは変わらないのに印象は変わる。
同じ受け手でもね。
一緒に笑ったり泣いたりする観客が近くにいれば、自分も安心して笑ったり泣いたりできる。
そういうのが気になったりした経験はあるだろう。
そして、周りの影響を一切受けずに作品を享受できる自信が本当にあるのかい?
善悪の話をしているわけじゃあない。
皆が皆、受け手として確固たる自己を確立できるわけではないのだよ。
番組だってそうだ。スタジオに観客がいる撮影方法がいまだ健在なのはそのためさ。
それら演出がなくなるときがあるとすれば、全ての人間がそれぞれ受け手として自己を確立することを要求されるときだろうね。
まあ、もちろんそういう演出のゴリ押しが酷くて、台無しになることもあるだろう。
よってそういう「演出」は有益ではあるだろうけれど、不公平でもあるわけだ。
それらの選別は私が決めることじゃあないがね。
物語をメタから見たとき、登場人物たちの行動には何らかの意味がないといけない。
もしそれらが他の演出や描写で分かるのなら、それを登場人物が喋るのは蛇足になるのさ。
学ぶべき教訓はこうだ。
「蛇足と駄作は紙一重」
一応擁護しておくが、言語化してそれをアウトプットするということ自体はとても大事なことだ。
細田守氏の作品以外だと、クリストファー・ノーラン作の「インターステラー」が最近の映画の中ではいい例かな。
「ウルフに再会できるかもしれない。その小さな可能性が私をかき立てる」とかを筆頭に、登場人物が心情描写を正確に語りすぎていて逆に笑ってしまうかもしれないな。
クリストファー・ノーランは、こういう心情描写を登場人物に細かく語らせたがる癖がある。
そこに着目しながら、彼の他の映像作品も色々と観てみることをオススメするよ。
良作と駄作両方を評論していて、かつ良作判定にした作品の評論文がいかに巧みかだ。
私がいうのもなんだが、駄作がなぜダメかを説明することは、良作で何が良いかを説明することより遥かに簡単だからな。
駄作の評論はダメな要素の共通イメージを持ちやすいため、後はそれを如何に面白くディスるかに注力できる。
それ自体は、そういうものを期待している読み手もいるわけだから構わない。
だが、そうやって面白い駄作の評論を書いている人が、いざ良作判定のものを評論すると、途端に稚拙になるというケースは非常に多い。
なので、私は良作の評論も巧みな人こそ「いい映画評論家」だと思うね。
良いものを良い、悪いものを悪いと言うだけで評論が成立するなら一般人が各々でやればいいのであって、評論家なんていらないのだから。
一応、釘を刺しておくが、映画評論家はもちろん映画を観ているが、読み手の君だって観る(観た)こと前提で語っているからな。
私の言った意味は、クリスファー・ノーラン作品みたく正確に語らなくても分かるよな?
まあ、もし君が他人の評価で作品への印象がコロコロ変わったり、シンパシーの合う評論だけを読んで喜々する人間でなければ、の話だが。
……おっと、仮にそうだとしても責めているわけではないからな。
大多数は、外から何らかの影響を受けている。
「市民ケーン」が放映当時は酷いバッシングを受けていたというのは有名だな。
私としては評論もまた「コンテンツの楽しみ方の一環」だと考えているが、それで個人が本質を見失うようなら勿体無いとは思うよ。
いやいやいや、確かに映像としての情報量は多いよ。でもセリフとして陽に語られる情報は小説に比べてはるかに少ないだろ(良い作品の多くは)。映像的な情報、つまり場面がどこで、そこには誰がいて、どういう恰好をしていて、といった情報は見ればわかるんだから想像力は必要でないけれど、描写されない場面で何が起きてたかを知るのは想像力必要だろ。うまい映像作品っていうのは何を写すか以上に何を写さないか=どこを想像力に委ねるか、がうまいわけで。
小説原作の映像化の場合、小説では想像力に委ねられていた部分が映像で明示されるのと、小説で明示されてた心情やエピソードが映像では想像力に委ねられるのと、両方起きる。しかし小説既読者にとって後者は既知の情報なので、前者の効果だけ見えてトータルで想像部分が減ってるように思える、ってことじゃないかなあ。それでもうまい映像化は、後者の部分で原作小説の解釈にも新しい見方を与えてくれたりすると思うけどね。
小説が読めない人がいるように、映像作品の「描かれない部分」を解釈できない人も、わりとたくさんいる。セリフで全部説明するドラマが氾濫してるのはそのせいだろう。それでも、エンターテインメントの良作は、裏の意味が読めない人にも適度に視覚的な楽しみを与えつつ、理解できる人にはさらに大きな物語を見せるってことをやってるよ。
マンガやアニメが、実写化されると否定的な意見が多く出るが、実写化どころかアニメ化だって基本的には、僕は、イメージと異なる場合が多いと思っている。
まず「スレイヤーズ」。
テレビアニメ第1話が放送された翌日に友人からその時出ていた全ての原作を借り一週間で全部読み、翌週の第2話を見た時、「こんなのスレイヤーズじゃない」と思って見るの辞めた。
アニメとしても人気の高い「CLANNAD」や「ひぐらしのなく頃に」も、原作のゲームは大好きだが、アニメはやっぱり「これは違うものだ」と思って第1話で切ったし、「CLANNAD」や「ひぐらしのなく頃に」をアニメ見ただけで語ってほしくないと思ってる。
最近だと「俺物語!! 」というアニメを第1話から第3話くらいまでは楽しく見ていたが、Kindleで原作第1巻が0円だった時にダウンロードして読んだら、原作は凄くテンポがよくて楽しくて、アニメは、原作の短いエピソードを毎回引き伸ばしていて、展開遅すぎてつまらなくてそれ以降見なくなった。
という風に、アニメだって原作を超えているものなど少ない、故に僕は基本的にアニメの原作は見ないようにしている。見ちゃうとアニメが見れなくなっちゃうから。
ゲームは好きだったのでアニメ化されることが分かっててもプレイしてたけど、漫画や小説はほとんどアニメを楽しむために読まなくなってた次期があったけど、最近Kindle使うようになってから、また漫画や小説も読むようになった。原作は原作、アニメはアニメで割り切って見ていくしかないだろうと思う。切ってしまった作品も多いが。
まあ、せっかく、アニメや、実写でやるなら、その媒体ならではの表現方法にそったアレンジがあってもいいと思うし、原作と映像作品でそれぞれ違いを愉しめばいいんじゃないかと思う。
原作のイメージは、読み手それぞれにあって、万人受けするものはなかなかないだろうが、監督とかのセンスや才能で大きく変わるのかもしれないね。
0.まえがき
おそらく表現規制の最前線にいる人しか分かってないと思うので書く。
自主規制団体が必要とされる理由は大きく分けて3つ存在する。1つには、販売店を安心させるため。2つ目は、条例上あった方が有利だから。3つ目は、世論との妥協のためだ。
1.販売店にとっての意味
(太字強調は筆者による)
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]
児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
つまり、わいせつな文書・図画や、児童ポルノに関する罪を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、数年に1度程度の割合で『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があるが、そのAVを置いていたツタヤの店員が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
上で書いたような『わいせつな文書・図画』や『児童ポルノ』は世間で広義で用いられるような意味ではなく、たとえ18歳以上にしか売っていないとしても、売った人は逮捕されるような物の話である。
では、一般的に「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で売っているか。それが条例上の理由だ。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁の作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
そもそもこのような自主規制団体が生まれたのは1950~60年代に『低俗な本・雑誌が溢れた』ことに対する世論の批判とそれを受けての条例(2で書いたのは東京都の条例だが、同様の条例は全ての都道府県に存在する)制定の動きに対してであり、
ビデオやゲームが出た後も法規制の動き(もしくは実際の逮捕事件)を受けてから出版の団体を参考にして自主規制団体が生まれている。
もっとも、出版と映像では少なからず差がある。最大の違いは、出版は成年マークのついていない書籍については一切の表示がないのに対し映像やゲームでは(ほぼ)全ての作品について「審査の結果、年齢区分はこうなりました」という表示があるということだ。
世の中において『私の考えるこれこれの思想・道徳に反する本は全て排除せよ』という日本国憲法ガン無視の全体主義者は少数だが、
「たとえ低俗な出版物であっても、他者の権利を侵害していないならば全て認められるべきだ」というガチの一元的内在制約説原理主義者もまた少数であり、
「低俗な本に対する一定の倫理的歯止めをする制度は必要だよね」という中庸な人がおそらく最大多数だ。
(酒鬼薔薇の本など典型例だ。私の倫理観はあの本が出ることを嫌悪するが、あのような本の出版をどうやって規制するのか、というと非常に難しいよなと思う部分はある)
そういう人たちに対して「いや、一定の倫理的歯止めはかけていますよ」というアピールをして、ひいては条例・法律上の規制をするような世論に持っていかせないという存在としても自主規制団体は役立っており、
民主主義の世の中においてそのような団体の存在意義は一概に否定するものでもない。
アニメの声優の演技が特殊なのは分かる。プラスのイメージを持っている人もマイナスのイメージを持っている人もそれは納得だろう。
でも、その声優の代わりがキムタクのようなジャニーズとかお笑い芸人とかになるのは、どういうこと??
お金がありません!
→じゃあ有名人を使おう!
これを言えば別に問題にならない。なのに、それを隠してアニメ声優の演技は気持ち悪いと言うから反発が起きるんだろ?馬鹿か?
お金の節約のために、作品の質を落としました!お笑い芸人を使いました!って言えよ。
別にもののけ姫でのモロをやった美輪明宏みたいのが声優をやるってんなら納得するけどな。下手のほうが多かっただろ、あのアニメ。俳優でも下手だったし。
最近じゃお笑い芸人やAKBが映画の吹き替えやって、駄作にする風潮まで出来上がってしまっている。昔所ジョージのやつとかかなり揉めたろ。
つーか、ちゃんと演技上手い俳優でさえ下手くそな場合があるからな。そりゃそうだろう、発声の仕方も違うだろうしな。
なら、声優をその気持ち悪くない演技にするよう指導すればいいだろ?そんなことも出来ないのか?嘘だろ?
正直声優の演技が気持ち悪いと思ってようが、そう失言しようがどうでもいいんだよ。その代わりがなんで俳優でもない下手くそに演技させることになるんだよって話。
冒涜だぞ?映画という作品に対して、映像作品に対して演者の演技なんてどうでもいいって言ってるようなもんだぞ?
マジでクソだ。知名度優先だしな、舞台で演技を磨いてきたやつを重用することさえ無し。客寄せパンダが。クソッタレ。
追記
えーっと、twitterとかはてなとかでキムタクや所ジョージは演技下手じゃないって人がそこそこいてびっくりなんだが、名作とされる映画とか見たことないの?凄いな。凄い可哀想。舞台での俳優の演技も見たことなさそうね。幼稚園のお遊戯でも見てたら?キムタクより上手い子いると思うぞ。
つーか、下手くそな声優使えとは言ってないから。下手くそなら声優も俳優も素人も使うなよと思ってるわけ。わかる?
キムタクの演技等を悪くないと思う可哀想な人たちはまあいい。しょうがないからな。物の良さが分からない、判断できない、哀れなだけだ。
はてぶコメントのこれ「お前が推してるアイドル声優は本当に芝居が出来ているのか1度考えた方が良いと思う。」やべえよ。文章理解しないで、思い込みでコメント書いて、煽ってきたわ。発達障害の可能性があるので、医者への通院をおすすめしますわ。星が二番目に多いしな。
賛同してるのもやばいぞ。この文章に関係ないことに賛同って。アイドル声優の話なんかしてねえ!アンチなのか知らないが、とりあえず本文読んでからコメントしてくれな?文章読んでも理解できない方ならしょうがないな。
というか!キムタクの話とは関係ないけど、好きな声優は千葉繁なんだよ!最近やったアンチャーテッドってゲームで声優やってるが、良かったぜー。まあ、千葉さんだって声優の演技は特殊、大げさってのに当てはまってるけどな。
私自身はガチヘッズで、ニンジャスレイヤーの何が面白いか、答えることは難しい。
お前はいつも呼吸をしているが、呼吸はそんなに楽しいのかと聞かれても、それは生命活動の重要な一部であり、止めたら死ぬからだとしか答えられない。
それと同じだ。
原作小説の1エピは結構長く、それを10分くらいのアニメ圧縮するのは相当な無理があって、実はアニメイシヨンでは原作の面白さの7割以上はスポイルされている。
でもまあ、よく知っている原作のエピソードがどう料理されて出てくるか、それが楽しみで毎回見ている。
あれはプロが作ったアニメとしては確かにひどいシロモノだが、ニコニコユーザーはもともと素人が作った完成度の低いアニメを見慣れている。
一方で、アニメイシヨンの声の演技は一流のプロによる熱演により、非常に聴き応えがあるものに仕上がっている。
アマチュアの作った動画は映像のレベルが高くても、演技が残念な仕上がりになっていることが実際多いのだ。
結果として、一見素人動画みたいなのに、妙に見応えがあるミスマッチ感が生まれ、そこに新鮮味を感じる。
というのがまず一点。
我々ヘッズは日々ツイッターで投下される原作小説を読みながら、同時に感想や考察やツッコミをツイートすることで生きながらえている。
常にツッコミ待ち状態の原作に対して、ヘッズたちのツッコミが補完されることで、ニンジャスレイヤーという完全なる芸術はその真の姿を垣間見せることになる。
まあ、そんなヘッズたちが手慣れた調子で動画にコメントをつけていくと、あのクソ動画もなんか面白おかしくなってくるって寸法よ。
そこへ何も知らない中高生あたりがやってきて、アッなんかこいつら楽しそうにしてやがる、アタイも混ざりたいって感じで一緒にコメントをつけ始める。
そんなふうなので、通常の映像作品みたいに完成した映像をかしこまって鑑賞するというスタイルでは特に面白く感じないんでは?
ライブハウスみたいなもので、観客席が盛り上がってこそショーは熱くなるのだ。
あるいは、みんなでツッコミを入れて楽しむパーティーグッズみたいなものと捉えてもいい。
じゃあニコニコ以外の動画配信とか、ブルーレイとかTV放映とかはどうなのかというと、それは知らん。
以上です。
1度デートした後、2度目のデートに誘ってみたのだけど「忙しい時期だからごめんなさい」という返事を頂いたり、ライン等のメッセージのやりとりで「今度どっか行きましょうよ〜」と投げてはラリーがストップしたりしていたので、もう諦めるかと決心したのだけど、未だに彼女のことが忘れられない。駅前でカップルを見るにつけ「彼女とああなれたらいいなあ」と思ってしまうし、何かの映像作品を見たときも登場人物を彼女にすり替えて鑑賞してしまったりと、気持ちのうえでは諦めたはずなのに、どうしても彼女の姿が浮かんできてしまう。
正直もう一度デートしたいし、もっと話をしたいし、ゆくゆくはちゃんと交際したいと思うし、早計かもしれないが、結婚を前提に付き合っていけたらなと思っている。だけどこういう恋愛沙汰は学問とかと違って、いくら自分が彼女を愛したいという願望を抱いていても、相手が振り向かない限り進展しないからどうしようもない。振り向かせる努力とも言うけれど、これ以上押していってもただ単にしつこい気がするし、自分が女だったら「こんな奴嫌だなあ」と思うのも事実だ。それに彼女は現在就活生だし、変に負担もかけたくない。
今回は映像作品関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
私個人の評価でいいのならば答えよう。確かに名作だが最高でもない。登場人物が多く、色々な人間に焦点があたり、その場その場で抱える問題も複数ある。君が聡明な人間でなければ、この物語を楽しむのは困難だろう。また、この作品は今のご時世には珍しく飲酒の描写がとても多いが、視聴者はシラフであることが推奨される。
だが、それでもこの作品は、今後も語り継がれるという点でとても有意義だ(その場その場で消費されるコンテンツが劣るというつもりはない)。今後、似たようなテーマでこれより優れた作品を出すことは難しいだろうし、確実に比較される。
私個人の評価でいいならば答えよう。確かに駄作だが最悪でもない。一部、唸らされる部分もあったが、後は良くも悪くも没個性な「女子バトルもの」と化している。君が愚鈍な人間でなければ、この物語を楽しむことは困難だろう。また、この作品は飲酒の描写がこれといってないが、視聴者は泥酔していることが推奨される。君たちは今回に限らず、不必要に期待しすぎてしまう機雷がある。
とはいえ、君のその意見は周りがあんまりにも「クソだクソだ」というから、逆説を衝動的に唱えたいだけともいえるぞ。私はこれを「逆レリゴー現象」と呼んでいるが、残念ながら元の作品のようには流行らなかったね(苦笑)。
しかし、「キャラクターが動いているだけで満足」という人は、これまでの慎ましい生活が伺えて涙が出てくるな。それはアニメーションの大前提のはずなのだが、彼らの世界では動かないアニメばかりなのだろうか。あるいは、元のゲームがそうだったのかな。