「映像作品」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 映像作品とは

2015-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20150321073758

しろ何故分からないのかが分からない。

今までの広告とこれが同じに見えるのも分からない。

こういう層があのCM作ったんだろうか。

とりあえず

映像作品として、多くの人の共感を呼べる素晴らしい作品だったってこと?

真逆だよ。「何故あんなクソセクハラ上司の為にルミネで服買わなきゃいけねーんだよボケ」って思われたんだよ。あちこちで言われてるだろ。

あれで共感を呼べると思えるのが謎。

「女はセクハラされれば喜ぶはず」と考える人の心境ってこんなんだろうか。

ルミネCMを見て激怒している人は、何に対して怒ってるの?

当方、男。

ルミネCM反響をあちこちで見てて、激怒している人が多いと思ってて。

動画セクハラな内容だし、決して良いものじゃないのはわかっている。

ただ、そこまで激怒しているのは、何に対してなのかわからずにいる。

純粋に内容に?

でも全く同じ内容がドラマ映画の1シーンで流れたらここまで怒っただろうか?

「あの上司ムカつく」みたいな反響はあっただろうけど、ここまで炎上しなかったと思う。

宣伝から

でもルミネは以前から直接的・間接的に可愛くなろうというメッセージを発信していたし、

それも自分のためにではなく、どちらかというと異性のためにという内容だったと思う。

でもって、そのコピーが割と賞賛されていた方だと思っていた。少なくとも炎上はしてなかった。

それが今回、根本メッセージは変わらないけど露骨すぎたってこと?

それともメッセージからして違った?

そもそも宣伝なんて大なり小なり煽ってくる部分はあると思う。

深夜のダイエットマシーンCMだって「痩せてモテモテに」みたいなことを言ってたりする。

それが今回、具体的すぎたってこと?

映像作品として、多くの人の共感を呼べる素晴らしい作品だったってこと?

普段からもやもやしてたところに、ちょうどいいネタがあって便乗して怒ってるの?

これだったらわかる。

わかるけど、ルミネ叩く前に、自分の前のもやもや原因をどうにかしたらと思う。

ルミネファンだったから?

こんなにいるのか。

2015-01-12

日本映画欧米には勝てない。未来永劫だ。

原因は予算のではなく映像を作る能力問題

海外映像作品に敏感な人はわかると思うが、日本の物は総じて演出稚拙

これは実は消費者側にも問題があって、視聴者が幼稚なせいもある。

こんな環境でまともな映像作品映像作家が育つわけがないのである

2015-01-02

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰4

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

原稿

原稿の段階においてはこれまでより表面的な文章それ自体に関する事柄が重要となる。冲方はこの段階を「肉書き」「皮書き」の2段階に分けるが、原稿執筆推敲をそれぞれ意味しているに過ぎない。本稿では表現上の混乱を招くだけであるため、特に冲方の分類には従わない。

さて、西谷のように本一冊を使ってこれを解説したているもの存在するが、その内容は全て基礎的な日本語文法の復習であり、独自の知見は少なく、例えばうなぎ文などを交えた日本語文法それ自体に関する細やかな議論があるわけではなく、また修辞技法に関する詳細な分類と効果について言及しているわけでもない。会話文の閉じカッコの前に句点は付けない、中黒ではなく三点リーダ偶数個使う、といった些末な作法をめぐるこれらの内容について本稿では特に言及しない。

文法、作法上の間違いではないが避けた方が好ましい表現についても、断片的ながらそれぞれの作家ごとに主張されている。例えば水島の「同じ語尾を連続して使わない」「台詞以外で「である」「なのだ」という語尾を使わない」「三点リーダ感嘆符の多用を避ける」、榎本の「三行以上にわたる一文は避ける」「会話の順番を固定し、誰がしゃべっているのかフォローの文なしでも理解できる方が良い」、西谷の「物事が起こった順番に書く」などである

はいえこれらは絶対に避けねばならないものではない。例えば同じ語尾を重ねることは畳語法として効果的に機能しうる一つの技術である。会話の順番を固定する、というのも、例えば5人の登場人物の会話順が完全に固定されて順に発言しているような状態が自然な会話文として望ましいとは思えない。それぞれ場合によって使い分けられるべきであろう。

よって本項では各作家によって提案されたいくつかの修辞技法についてを断片的ながら俯瞰するにとどめる。

水島の「ラノベ文体」と榎本の「ガイド

水島は「明るい文」「ラノベ文体」として、「難しい表現を使わず、何が起こったのか一目でわかる」こと、「読者がハイスピードかつリズミカルに読める」ことが望ましいとする。

具体例として次の例を挙げている。

「すごい美少女だ!」

俺は驚き、つい声を上げた。と、同時に……、

――ドカーン

背後で、謎の爆発が!

なぜ難しい表現を避けるのかといえば、「読者は気合いを入れて読んではくれない」「メインターゲットとなる読者である中高生学校の登下校、勉強の合間などに読むので、集中して読んでくれない」からだとする。「ラノベは読み飛ばされるのが宿命」だと水島は言う。これに近しい意図を持つ指摘としては、榎本による「ガイド」の提案がある。ガイドとは榎本独特の表現であるが、「シーン冒頭に「これがどういうシーンなのか」がわかる描写を書き込む」もので、つまりそのあとの文を読み飛ばされても何が起きたのかざっくりとは理解してもらえる、という効果が期待されているものである

何が起こったのかわからないような文章を避けるべきなのは当然だろうし、テンポ悪くだらだらと薀蓄を書き連ねたようなものは(それをウリにしている作家もいることは事実だが)大体の場合避けるべき、というのはさほど違和感のない話である

はい学校の登下校、勉強の合間などに遊ぶテレビゲーム携帯ゲームは集中されないのか、といえばそうではないだろう。読者が集中してくれないのではなく、読者の集中を誘うだけの内容が無いからではないのか。

読者はバカからバカでもわかるように書きましょう、というのは、逆に言えば中身の無さ、文才の無さを読者に責任転嫁しているに過ぎないとも考えられる。筒井は様々な実験小説を書いてきたが、それは「読者の理解力に対する理解があってこそであった」と自分の読者ならわかってくれるという確固たる自負が見て取れる。もちろんそれは既に作家としての名声を確立した後だからこそ、という面は否定できないが、作家から読者をバカにしていく、という水島姿勢はいささか理解に苦しむところである

第一文と冒頭からの3ページ

クーンツ作家に与えられたチャンスは最初の3ページだという。第一文から始まる3ページで面白いと思わなければ読者はそこで読むのをやめる。そして読者を3ページで魅了するための技術として、過激なアクションに始まること、ユーモアを含ませ、一度冷静に状況説明をしてから再度緊迫した場面展開に話を戻す、という手順を紹介している。

一方で西谷は望ましい書き出しについて、いくつかのラノベの冒頭を並べてその傾向を述べており、主人公描写自己紹介、考え方から始まるタイプと、主人公の目に映るもの描写する書き出すタイプの2通りのいずれかが望ましいとしている。

また忌避すべき典型例として「壮大な書き出し」を挙げている。例えば人類の9割が滅んだ世界であることを厳かに説明するような文章は避けるべきと言い、それくらいなら他愛もない会話からはじめ、その途中で人類の9割が滅んだことを明かす方が望ましいとしている。

人類の9割が滅んだ、とは物語背景となる情報であり、重大だが具体的な動作を連想させる情報ではない。それに比べると会話文は動作とひもづくものであり、その意味ではクーンツの「アクションに始まる」という内容と大きく矛盾するものではない。

しかしながら、これも絶対的忌避されるべきかといえば難しい。

例えば名作と名高い「猫の地球儀」は

あれから七百年と半分が過ぎた。

朧はもちろん猫で、牡で、おいぼれで、最後スカイウォーカーだった。

と、まさしく壮大な書き出しで始まる。「同じ語尾を連続して使わない」に余裕で違反する3連続接続助詞「で」に加え、何の説明もなく独自専門用語を第二文目で出すなど言語道断である

しかし筆者は、上述の水島のドカーンはるか凌駕する圧倒的な魅力をこの書き出しに感じる(もちろんそうは思わない人もいるだろうし、それを否定する意図はない)。

作家に与えられたチャンスは最初の3ページだ、というクーンツの主張には、一読者としての経験則的に筆者も同意できるところではある。しかしではどういった書き出しが望ましいのか、といえば一概にこうでなければダメだ、というのは難しいように思われ、筒井による「いい書き出しかどうかは結局のところ作品全体の出来に左右される」という指摘がもっと妥当であるように思われる。

従って、アクションから入ろうが主人公身の回りから入ろうが壮大な書き出しで始まろうが、3ページで読者を作品世界に没頭させる内容が実現できればそれで問題は無いと言えるだろう。

情景描写臨場感

頭に浮かんだ順に適当に書いていくと散漫な記述になりがちであるとして、西谷は「自分が描こうとする場面を実際に図に書いて、どういう順番で描写するかを決める」のが効果的だとする。この主張はその場に存在する様々なものを具体的に詳細に想定しているかどうかの事前確認という意味合いが強い。

また、「目に見えるものだけを書いていると、リアリティーのない文章になってしまう」として五感への意識を促す。嗅覚については言及されることが少ないが、特に音については場所、方向、登場人物存在を示す役割を果たす効果的なものだとする。また西谷独特の主張として、足下の変化は触覚という点で効果であると主張する。

こうした西谷の指摘に加えて榎本による「静止したものだけでなく動作する物を混ぜる」という指摘を考慮すると、情景描写臨場感とはその情景における時間経過ではないか、と筆者は考えている。

止まった絵ではなく、音や匂いを含めた一定時間の流れを含めた「図」が望ましいという意味では、作家西谷の言うような「図」ではなく「絵コンテ」を書くべきだと言ってもいいだろう。

仮に作家自分想像を完全に文章化でき、そこから読者が作家想像通りに完全に場面を想像できるとした場合、静止画が再生されるよりも動画再生された方が臨場感が高いのは言うまでもないし、そこにに音や匂い付与されているのであれば、臨場感さらに高くなるだろう。

絵コンテという考え方はまたカメラワークへも影響すると考えられるが、映像作品におけるカメラワークセオリーとこうした娯楽小説における情景描写の順序や方法類似点、相違点については十分な調査検討必要と思われ、本項では今後の検討課題として割愛したい。

場面の切り替え

より良い場面の切り替えについて、クーンツによる指摘に触れておきたい。クーンツは「ひとつの場面が終わったら、すぐさま読者を次の場面へ案内しなければならない」こと、そして簡潔さを重視する。例えば主人公は一人自室でテスト勉強をしている場面Aと、学校テストを受けている場面Bを連結させるとする。この間にはもちろんさまざまな出来事、例えば寝て起きて朝ごはんを食べて家を出て電車に乗って学校に到着する、といった過程があるはずだが、それらをだらだら書くべきではなく、場面Aが終わった次の文ではテスト中の主人公を描くべき、という。

これは場面の切り替えにやっつけ仕事めいた過程を描く必要は無い、という単純な指摘に留まらず、各場面はプロット必要不可欠な要素であるべきで、必要のない場面を含めるべきではない、とも理解できる。例えば場面Aのあと電車ヒロインと遭遇させる必要があるのであればそれを場面Cとして独立させ、プロット上場面AとBの間に配置すべきである

会話文

クーンツは会話は全体の20~30パーセント必要だとする。一方で30ページ以上続く会話文も問題であるとしており、当然であるバランス必要である

その場に登場人物が2人しかいないときに、いちいちどちらの発言か説明しないと読者が理解できないようならその会話が悪い、という指摘や、「「言った」という動詞が連発しないよう、表現を工夫する、などというのは過ちである」というのはなかなか面白い指摘と言えるだろう。クーンツ発言内容が重要なのであれば、それ以外の「言った」という表現を「尋ねた」「口を開いた」「聞いた」など必死に工夫する価値はないとする。一方でアクションシーンでは動詞の選択は重要だとしており、その場で強調すべき要素とそうでない要素を区別することを要求している。英語日本語の違いはあれど、これは文章のメリハリを付ける上では面白い指摘と言いうるだろう。

ヒックスは会話の機能として、「ストーリー前進させること」と「登場人物を明らかにすること」を挙げるが、特に後者については人物の性格を読者に理解させる重要な要素だ、と換言できるだろう。

このようにクーンツヒックスはともに会話文を重要な位置づけにあるとみなすが、一方でラノベ作家からの指摘として、榎本は「キャラクターの会話ばかりで「そのシーンはどういう状況なのか」「今どうなっているのか」が全く書かれていない作品」を批判する。

この点については筒井が「描写や展開が面倒なのですべて会話で片付けようとする」ことを批判しており、何のために会話文を書いているのか、という目的意識に違いがあるように考えられる。すなわち情景描写が苦手だから、間が持たないから、といった問題を正面から解決するのではなく、会話文で埋めることでごまかすようなことが榎本筒井批判するところと言いうるだろう。

人称の効果と神の視点

説明するまでもないが、小説では一人称体、もしくは三人称体が多く用いられる。この人称に関しては、どの創作技術本でもありがちなミスとして、一人称体にも関わらず語り手の知り得ない情報記述してしまう、という点がよく指摘されるところである

一方で三人称体は登場人物の知りえない情報記述することができるという利点があるが、一人称体がその語り手が同化する先の人物への感情移入を惹起しやすいのに対し、三人称体はその点で劣ると言えるだろう。

このことから水島は、「楽しさ重視のコメディ一人称」が望ましく、「複雑なストーリー三人称が向いている」としている。では一人称体と三人称体を組み合わせて書けばいいのではないか、という意見については、それは読者の理解の混乱を招く手法として否定し、また三人称体においても実質的には「主人公が今どうなっているか」を中心に描くことが望ましいとしている。

一方で飯田三人称体をとるメリットは「キャラクターそれぞれの内面が描ける」点にあるとしている。実際「インフィニット・ストラトス」を例に、飯田一人称体と三人称体の混濁を否定せず、それどころか「主人公一人称視点と、ヒロイン寄りの三人称視点を使い分けて全ヒロインからの愛され感をもたらしている」と高く評価している。

はい三人称体として振る舞いつつ登場人物それぞれの視点に入ったり、といった視点を「神の視点」と表現し、これは避けるべきものだとする論調は少なくない。

一切言及されていないが、現実には三人称体に一人称表現が入り込む技法自由間接話法と呼ばれて存在し、主人公の知る由もない情報を描けるという三人称メリットと、感情移入を容易にする一人称メリットを同時に享受できる極めて強力な技法である

なぜ言及がないのかといえば、これを多用する作家はさほど多くなく、むしろ全く使わない作家の方が多いことから、おそらくはプロ作家自身、これを人に説明できるほどうまく扱える自信が無い、ということが原因ではないかと思われる。

他方、これと似て非なる技法に「神の視点」があり、これについて触れたものとして、クーンツは「ストーリーの途中で作家登場人物批評したり意見を述べるのは19世紀時代遅れ手法」としており、もはや使うべきではない技法だとしている。

端的に言えば「あぁ、神よこの男を憐れみたまえ」といった大仰なそれに対する指摘であるが、例えばH.P.ラヴクラフトなどは意図的かつ効果的にこの神の視点を用いていたように筆者は考えているし、町田康の有名な「あかんではないか」などは見事にこれを活用した好例と言いうるだろう。

筒井はこれを「劇化された語り手」であるとしているが、これについてはまた詳細かつ精密な議論必要であることから本稿では割愛する。

過去の回想/夢

水島は夢や過去の回想について、これらは今誰が何をしているのかがわかりにくくなる、述べており、またこの点についてはヒックスも同様の指摘をしている。「バック・ストーリー情報提示するのに最も効率が悪く気の効かない方法が、フラッシュバックである」と、フラッシュバックドラマの勢いを失わせるものだと注意を促している。

一方で、筒井による「遅延・妨害」に関する記述ある意味でこのフラッシュバック効果を逆用したものとも言いうるだろう。具体的内容としては、「読者の疑問を宙づりにしたまま進行させる」ものである特にクライマックスの直前など、いよいよ事態が緊迫し抜き差しならない状況であることを描いたところで、突如穏やかな場面に切り替えて「あれはどうなっているんだ」と読者の不満をあえて買い、じらした上で緊迫した事態の展開に再度移る、ということでより大きな満足感を読者に与える効果があるとする。

クーンツもその冒頭において、過激なアクションの次に一度冷静な場面を挟み、再度戻る、という手法を提案しているが、効果としては似たようなものだろう。

推敲

推敲重要性を否定するものは一つとしてない。しかしどう推敲するか、という点について具体的に述べているものはそれほど多くは無い。例えばキングによる6週間空け、そして1割削減する。ワナビにとっては6週間も余裕がないことの方が多いだろうが、一定時間を空けて自分自身で読み直すことの効果は少なくないだろう。

冲方推敲の要点として、「冒頭とラストインパクトと引きを作る」「事件とはあまり関係のない人間の登場を減らす」「専門用語は前半は少なく、後半は多くする」という推敲の指針を挙げる。最初の2点はプロットレベルでの書き直しが要求される内容でもあるだろうし、そもそも事件物語)に関係ない人物を登場させる意味はなにか、という疑問もあるが、専門用語の配分などは参考になるだろう。

最後に、推敲は一度で終わるものではない。アイディアプロット原稿まで順に進めるとこれまで述べてきたが、推敲によって再度プロットへ、またはアイディアまで戻ることはいずれの説においても当然のこととして主張される。

投稿文字数上限により、下記へ続く

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰5

2014-12-01

希望原理

 

大分県国東市周辺で開催されていた国東半島芸術祭で「希望原理」という展示を見た。

使われなくなった町役場を会場に複数作家作品が展示されていた。

 

面白かった。

廃校になった学校や町中の施設で展示を行う、というのはよくあるが、たいていは面白く無い。

美術館ギャラリーで見た方がまだましなんじゃないかという展示だったり、

会場との関係性に媚びすぎて作品自体がどうでも良くなっているものだったり。

見ているうちにこちらが白けてしまう。

 

良い作品出会った時、面白いものを見た時に共通することがある。

 

その前に、もう一段階前の話。

美術館ギャラリーちょっと面白かったり、楽しめたりする展示に出会うことある

学芸員キュレーターの熱意や愛情が伝わってきたり、

作品作家の態度がきちんと反映されていたり。

見た後に「面白かったな」と思える展覧会

ただ、それは「見て損しなかった」という感覚にも近い。

録り忘れたなら見なくてもいいけど、なんとなく毎週見てしま寡作テレビドラマアニメ

単行本は買わないけど、雑誌立ち読みでは読んでしまマンガ。みたいな。

 

そんな展示を見ている時、実は作品をあまり見ていない。

この作品はこういう仕組みで動いているな、この作品の素材は何々かな、

誰それの影響を受けてるっぽいな、ここのとこ仕上げは手抜いてるな、

設営は大変だっただろうな、低予算ぽいのに工夫してがんばってるな、

などなど、ついつい作品の外側の部分に思考が行ってしまう。

作品や展示だけでは弱いから。物足りないから

 

 

良い作品出会った時、面白いものを見た時、

そういう余計な思考はいつの間にか消えてしまう。

鑑賞を終えたあとで振り返ってみれば、何か日常と切り離されて異空間にでも居たかのように感じる。

その感覚は、作品自体の詳細は忘れてしまっても記憶として長く残るように思う。

なにか良いものを見た、という記憶として。

 

本展では、個々の作品が全体の要素として上手く機能していたように思う。

個々の作品が、自我を主張しあうのではなく、溶け合おうとしているわけでもなく

なにか塩梅良く存在していた。

悪く言えば、何か強烈に印象的な作品があったわけではなかった。

(いや、会議室で展示されていた映像作品は、それだけでとても印象的ではあったが、

それでも会場全体の中の一つとしても機能していた。)

にもかかわらず、小品まで記憶に残っているのは

余計なことをあまり考えずに鑑賞できていたからかもしれない。

 

町役場廃墟が非日常的であり、日常から切り離されるのに一役買っていたかというと

そうではなく、作品現実と非現実の間を縫うように展示され

少しずつ「本当にあった景色」を「どこにもなかった景色」へと空間を歪ませていく。

観覧者はその歪(ひずみ)へとしらないあいだに踏み込み

現実と非現実を横断し、自分自身記憶思考を巡らすことになる。(なった)

 

展示の中に虫の標本のようなものがあった。

町役場内の元々あったとは思えない場所に虫を置いた瓶が並べられていた。

それとは別に赤いブロックで囲まれ植木のような作品の縁に一匹

死んだコオロギ(?)があきらかに意図して置かれていた。

会場内(廃墟)の別の場所、「保健室」と入り口にある部屋の流しにも

さなコオロギの死骸があった。

それは意図して置いたようにも思われるし、会場が田舎であることも相まって

そこで死んでしまっていたようにも思える。

そこで、空間が歪む思いがした。

本当にあった景色」と「意図して作られた景色」が

擦り合わされ混濁し、見るものの足場をぐらつかせる。

 

 

虫の死骸一つで、見える世界が変わる。

 

そんな印象を持って、会場を出た。

 

 

 

http://theprincipleof.org/

2014-11-01

このアニメのこの話が面白い! ベスト5

○はじめに

ただ紹介しても何なので、ある1人のスタッフさんに拘って紹介します。

ですが、そのスタッフが誰かは伏せます、ググれば一発でわかりますが、あえてググらずに考えてみてください。

あなたアニメ力が問われるクイズです!

5.THE IDOLM@STER16話「ひとりぼっちの気持ち」

ひたすらに絵作りの面白さだけを楽しむアニメ

頭を空っぽにして動物たちの可愛さを楽しむだけで、十分面白い

特に挿入歌をバックにハムスターが駆け抜けるシーンはただただ見るだけで十分面白い

アニメ脚本などいらないのだよ! という気分になる作品

4.しにがみのバラッド6話「こころのたび。」

単品としての面白さ、というよりはシリーズを通してのオチに、あえてこのエピソードを作ったという構成の妙が面白い作品

「死」を書くということは、対比的に「生」を描く、というしにがみのバラッド面白さと真っ向から対立するようなオチなんですが、

そういう甘さみたいなのが、何ともらしい作品です。

短い作品で、これが最終話なので是非通してみて欲しいですね。

3.ここはグリーンウッド3話「学園祭出品作“ここは魔王の森”」

学園祭ものといえばアニメ面白い話の王道なんですが、数ある中でも僕はこれが一番好きですね。

男子寮のごちゃごちゃした雰囲気を上手くアニメに落とし込んでいて、かつ高校文化祭空気感を奇麗にアニメ化しています

作中劇のここは魔王の森も原作のものをそのままアニメにするのではなく、高校文化祭というエッセンスを加えることで映像作品としての楽しみが増えています

2.ポルフィの長い旅34話「天使へのプレゼント

圧倒的な脚本力と、それをがっちり華麗に画に仕上げる構成力が見事に混ざった作品

不条理」をテーマに様々な伏線が張られ、オーラスオチに繋がって行くこの構成は、生で見ていたときに寒気がした。

ちなみに脚本BL作家としても活動している声優山本麻里安さんなんですが、彼女普通に脚本家できそうですね(能登と違ってな! という意味ではないよ)

単品で見るより遠してイキナリこれに遭遇したときのオドロキ面白いので、是非ここまで通して見て欲しいですね。

1.魔法の天使クリィミーマミ46話「私のすてきなピアニスト

俺がアニメオタクになったキッカケ。

挿入歌の使い方、シリーズ全体からみると浮いているぐらいに濃い個性カメラがぐるぐる回る演出

俺の好きなあるスタッフの特徴がイヤってほど出ている、素晴らしい話。

これ単体で見ても十分面白いので是非。

2014-08-20

[]8月19日

○朝食:味噌煮込みうどん

○昼食:ナポリタン(粉チーズを久々に買ったので山ほどかけた、美味)

○夕食:なし

睡眠時間:7時間

調子

普通

チーズが長らく無かったので、久々に買ってきた。

これでナポリタン人生がよりよいものになるね!

Halo: Reach

じっくりゆっくりプレイしたいとか言いながら、

滾る気持ちを抑えられず、一気にプレイしてしまった。

「ONI:ソード基地」を攻略

ついに登場、マッドサイエンティストハルゼイ博士が登場。

この人怪しいよなあ、Halo4の序盤にも出てきたけど、今後何か絡んできそうな気がぷんぷんするぜ。

ナイトフォール」も攻略

こちらは、特に言う事はないかな、Halo1のときもあったようなスナイパー大活躍ステージだった。

フロントライン」も攻略

わかってはいたけど、絶望的な状況だなあ。

どうしようもない状況だよ><

アウタースペース」も攻略

ヘイローシリーズ初の宇宙戦をこなし、ついにノーブル5ジョージの死。

リーチは俺の故郷だ恩返ししないとな」うわぁぁぁぁぁぁぁ、もう涙涙涙ですよ!

スパルタン一人の命をもってしもて、覆せない絶望的な状況。

これはキツい、苦しい!

負け戦だってことは分かってたし、スパルタンが生き残らないのも分かってたけど、

それだけに本当に苦しい、キツい、でも面白い

エクソダス」も攻略

スパルタンは自分一人で戦うお話

絶望的な中、なんとか民間人だけは救出に成功

負け戦をやらなきゃいけないのは本当にツラいなあ。

「ニューアレクサンドリア」も攻略

「ですがジョージが」「チームの誇りだ」とか言葉少なめでも格好いいなあ。

ゲームの方は再び救助ミッション

「俺もあいつを忘れない」とかもう台詞回しが格好よすぎる。

そしてあっけなさすぎるキャットの死。

パッケージ」も攻略

ついに登場した我らがヒロイン「コルタナ」!滾る! 滾る! 滾る!

戦艦オータム」も攻略

リーダー特攻

エミールの死。

それらを見ていたシックス(=プレイヤーキャラ)は「私は、残ります」と言い残し、戦場に残る。

そして……

「ロンリーウルフ

救援もない、仲間も死んだ中、一人で戦い続けるシックス

ボロボロになりながらも、戦い続ける。

こんなもん泣くに決まっとるやないか!

ああ、もうHalo最高や!

これは自分で動かせるキャラクタからこそここまで感情移入できて、

Halo1〜3を知っているからこそ涙できる。

完璧ゲームだよ、大感動!

Halo最高! Halo万歳! Halo5超楽しみ! マスターチーフコレクション絶対買う!

小説とか映像作品も買いあさろうかなあ、フィギュアとかも欲しいよお。

うおおおおお、滾ってきたあああああああ!!!

2014-07-25

読むと満足できるタイトル10

元増田http://anond.hatelabo.jp/20140723114202

↑とブコメリスペクトしてアレンジ

1. ノーパン始球式

バ(BA) ではなく パ(PA)ね。これなら満足必至 。

2. (女性グラドル名)とかいう××ボディwww

いいよね。「わがままボディ」という表現を考えた人を讃えたい。

ほぼ100%、同系統ボディの新旧グラドル写真も載っているのもいい。

俺は特に旧がいいと思っている。熟女が好きというわけではなく、熟女が若かった頃が好きなんだ。

3. サムネソフマップ

「5回に1回はノーチェンジから侮れない」らしいが、俺ほどのストライクゾーンの持ち主なら9割ほどはヒット打てる。

4~9. お前らが無理やり埋めろください


10. もみじ

誰か文集持ってないか?

またはお前らが、濁りきった大人の心と小賢しい小手先文章術で再現してくれ。


大学院の時、論文が上手な晴子ちゃんという女の子がいた。

コツを聞いたら、良い論文引用すると言っていた。でも引用先を明記しないので、それは俺には無理だなと思った。

あと彼女ではないが、とあるジャンル映像作品では、

タイトルは人気の映画テレビドラマの一部を変えているようだ。これなら俺にもできそうだったので、真似している。

2014-05-30

xvideosを観てる人は、AV女優申し訳ないと思わないの?

はてぶのホッテントリを見たら、こんな記事があった。

妻がXVIDEOSの真実を知ってしまった。 - Everything you've ever Dreamed

この記事って、自分xvideosAV観てるって公言しているわけだけど、それが当然のことだと思われていることに違和感

AVって女優さんをはじめとして、いろんな人が関わって素晴らしい映像作品を作り出してくれているのに、それをこっそりタダで見ていることをネタにするのってどうなの?

自分だけ気持ちよくなって、いい仕事をしてくれている製作者には全くお金を払わないって、労働へのタダ乗りだよね。某ブラック企業論理と全く同じ。

お金がないけど、性欲だけはある学生とかなら仕方ないかもしれないけど、定収のある社会人xvideosで抜くのは論外。

本来はエロ本エロビデオに正当な対価を払って、そういう映像を作ってくれた製作陣に感謝の気持ちを持って真摯に抜くべき。

俺も昔はxvideos見てたけど、今は反省して近くのエロビデオ屋かDMM動画を買って抜いてる。

AVを買うのが恥ずかしいっていうやつもいるけど、こっそりタダで見ていることの方がよっぽど恥ずかしい。

今は貧乏故にxvideosで抜いている人は、いつかお金持ちになって、ちゃんとAVを買うという志をもらって欲しい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん