2015-11-06

淫夢で"非"同性愛者を語れるか

ついに最近淫夢ミーム批評した淫夢論なるものが参加評論集というかたちで出版されたらしい。読んでないけど…。

今のところ自分基本的立場としては、ゲイポルノビデオ二次創作かいう時点で正気の沙汰じゃないし、根底同性愛者への「嘲笑」があることは、まぁ否定できないだろう。全く褒められたコンテンツじゃない。

でもある時期から、なにか「嘲笑」以上の原動力が、淫夢というネットミームにはあるような気がし始めていた。意味不明BBは日々量産され続け、多分今後もずっと見ることもないであろう野獣先輩に執着し、その正体を暴く新説が懲りずに唱え続けられている。なぜ淫夢に固執するか、何か理由付けをしたいと思った。

いろいろ考えた結果として、なんとなく自分はこう思っている。

淫夢民はおそらく、男特有の"うんこちんこ"で友達同士笑い合っていた「ガキのころの感覚」を回顧して共有したがっている。

そのため、"ゲイポルノビデオ特有シチュエーション素人じみた演技"は、そんな「社会人になってからは決して築くことのできない男同士の交友」の姿を、歪んだ形であれ投影する対象として都合が良かったんじゃないかと。

成長とともに学生時代みたいな友達ができなくなる嘆きはサイゾーのいつかの記事で目にした。

で、嘲笑けが目的なら「単純に性行為をする作品」でも良いはずで、そうでなく「学生部活が背景となるストーリー仕立ての作品」が淫夢の土台として絶大な人気を誇るのは、性行為のもの描写以上に、主に行為以外のシーンに漂う「男子学生同士の生々しい空気感」が映像作品として図らずも世に現れてしまったことがあまりに斬新だったからじゃないのか。

単純に言い換えりゃ、淫夢民は「男友達同士で楽しかった幼いころ」に退行するために淫夢というコンテンツを耕し続けている、そんなところか…?

まぁ最初に言ったけど淫夢ってのは下らないコンテンツで、エア本や恒心教と同じみたいに、結局のところ"社会タブーをかすめてやったぜ"なドヤ感を内輪で楽しんでるだけなのかもしれない。でも、淫夢特有社会への切り口があるとすれば、画面越しの"非"同性愛者が望む「男同士の交友や友情」ってなんだ?って論点じゃないかと自分は思う。

ってまぁ下のMAD動画見て思っただけだけど…

嫌々洗っていた事にショックを受けるMUR大先輩.rnp4 ‐ ニコニコ動画:GINZA

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