いやいやいや、確かに映像としての情報量は多いよ。でもセリフとして陽に語られる情報は小説に比べてはるかに少ないだろ(良い作品の多くは)。映像的な情報、つまり場面がどこで、そこには誰がいて、どういう恰好をしていて、といった情報は見ればわかるんだから想像力は必要でないけれど、描写されない場面で何が起きてたかを知るのは想像力必要だろ。うまい映像作品っていうのは何を写すか以上に何を写さないか=どこを想像力に委ねるか、がうまいわけで。
小説原作の映像化の場合、小説では想像力に委ねられていた部分が映像で明示されるのと、小説で明示されてた心情やエピソードが映像では想像力に委ねられるのと、両方起きる。しかし小説既読者にとって後者は既知の情報なので、前者の効果だけ見えてトータルで想像部分が減ってるように思える、ってことじゃないかなあ。それでもうまい映像化は、後者の部分で原作小説の解釈にも新しい見方を与えてくれたりすると思うけどね。
小説が読めない人がいるように、映像作品の「描かれない部分」を解釈できない人も、わりとたくさんいる。セリフで全部説明するドラマが氾濫してるのはそのせいだろう。それでも、エンターテインメントの良作は、裏の意味が読めない人にも適度に視覚的な楽しみを与えつつ、理解できる人にはさらに大きな物語を見せるってことをやってるよ。
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