はてなキーワード: プレゼンテーションとは
大昔の作品だし供給なんて耐えて久しいから、そこそこ絵を描ける自分が、参入してから、そこそこの評価を貰えた。
アフターやイベントのお誘いも貰っているけれど、遠方を理由に参加はしていないし、今後も参加する予定はない。
当方はアラフォーだけど、結婚していないので、いい歳して積まなければいけない人生経験をろくに積んでいないからだ。
仲良くしてくださる、主婦の神絵師神小説書きの方に、私なんぞがあえば、絶対にドン引きされる。
だらしなく肥えた体、親元で親の介護がいつか迫り来ることを知りながらぬくぬくと老親に面倒見てもらえるパートタイマー、リアルの友人からもすっかり相手にされなくなった幼稚な言動と行動、アラフォーと書いたが四十超えてる、不惑だ、不惑、こっちは生きる知識が乏しく惑いっぱなしだというのに。
自分の作品を今後もフラットに見てもらいたいので、そこに「わたし」という存在など邪魔なのだ。
勇気と粘り強さと思慮深ささえあれば、正職員にもなれたろうし、結婚も出来たかもしれない。
けれど、それができた若い頃は、社会が怖く引きこもりだった。努力が足りないのはわかっているが、四十超えた今、外に出て、自分のお金を貰えるようになるまで社会生活を営めるようになるまで、かなりしんどかったんだ。男性に好まれる容姿や行動、生態調査、プレゼンテーションまでの努力に手が回らなかったし、それはしたいことではなかった。それに、自分みたいな不適合者が子供を作ったら、自分に似せまいとするあまり、恐らく虐待に走るだろう。世の人が言う幸せをそこまでして欲しくないし、それをきちんと経験した世の女性や私の母を尊敬している。生まれてきてごめんなさい。死にたいんだけど、死ぬのが怖いんです。
ごめんなさい、話が暗くなった。御察しの通り、処女だ。しかも腐女子。
社会生活を送ろうと思ったのは、イラストを描いて、本やサイトを持って、妄想だらけのこの頭の中を、形にすることができたらなと思ったからだ。そのためなら、年下の人間の蔑んだ目や、あいつの人生よりはまだマシと言う世間からの視線も我慢できる。年上の家庭に疲れた人の言葉のサンドバッグにもヘラヘラ笑っていられる。
そういった視線を、今のジャンルで仲良くしてもらった神絵師さんや神小説書きさんから、注がれたら、あのキモい奴の作品など見れない、悪い意味で見る目変わるわとか思われたら、もう生きていけない。
日常ツイも極力しない、ツイッター内で声をかけられても当たり障りない返しをする、淡々と自分の理想をこめたブロマンス的なホモを描く、たまにプライベッターでえげつない漫画をおく。
交流も最小限でいい。私の裸踊りをしれっと見てくれるだけでいいんだってば。
まず前提として世の中にはたくさんの人種がいる。
このような多様性の中で価値観の相違が決定的なところで起こった場合に起こるのが争いだ。
これを防ぐための完璧オフ会理論を作成した。是非参考にしてほしい。
①エントリーシートを記入してもらう。
ここで行っていることが事実かどうかを中心に精査する。
②一次面接
エントリーシートの中で的確とこちらが判断したものに関して面接をする。
当日はこちらで用意したターバンを頭に巻いてもらい、プライバシーの点は安心してもらう。
自分がそのオフ会を通じて現在のはてな内の立ち位置をどうしたいと思っているのか
また、その変化に関して期限を設けているかなどを中心に評価させていただく。
通過率は5%。
そこで言えなかったり、本人確認書類を見せてもらい嘘だった場合はオフ会参加を断念してもらう ここでは3人に1人が病院に行く。
③合同合宿
ある程度の価値観を共有したという仲間を10人ほど集め、山梨の契約している別荘で三日間
お互いの生身を晒しながらネットでどこまでコミュニケーションを活発にできるかをここで評価する。
④最終面接
オフ会のスケジュールを大まかに公開し、自分がその中でどのような役割を果たすか 最終的な確認をする。
ここでは私に5分のプレゼンテーションをしてもらう。
そのような中でどこまで自分の含蓄を発揮できるか。
ここを見させてもらう。
⑤オフ会参加決定
オフ会参加が決定すると、
ワークシート(自分の抱える課題、それをどう解決するかを4000字で提出)
健康診断書
東京マラソン出場
これらを求める。
健康でなければオフ会で楽しめるはずもなく、かと言ってみんなの歩みについていけないほど貧弱では話にならない。
勝って兜の緒をしめよ。
もちろん、少しでも不備があればオフ会中止も厭わない。
プレゼンテーションで工夫できるんじゃない? って思った
私は、2012年にマスタ卒業生の新しい卒業生によってNTT研究センターに入り、それは6年の間世話の下にあった。
それは、研究センターで同じ年、より優れ、ジュニア、およびボスに恵まれて、私は本と主題を読み、勉強されて、パワーが完全に節約されて、外での祝福で、また場所で外部の発表によって組み立てない経験をすることが可能であった。
どうもありがとう。
あなたが、会社の中のNTTで私がしていたことについて言うことができる何かがすべて出力される。従って、私はここで意図的に触れない。
NTTがセンターを客観的に研究するのを見る時には、それが、それがどうであるかであるかが説明されている。
とにかく、それは人に恵まれている。彼は採用の拡大のために、高価なものも持ち、グーズベリーのエリートは神秘的なパワーによって可能性を確かめて、豊富な学生入力から雇用される。すばらしい男が同じ年を見て、あなたが、見て、理解する必要はない時に表情のためここにある時および私が話す 私は 納得できる能力を持っている。ボスは観察エリアの失敗のほとんどどの話も聞かず、私だけが言った時には、それはいつもよいボスに恵まれていた。おお、私が見回った時には、私は永久に他を中傷し続けて、また毒を散乱させる声の大きい人があった…。
研究と予算の機器が豊富であること(国 相対的 で)少量、会社、私が危険を冒す時に、驚いた市場価格である製品の中、研究のために雷が鳴り、私は倒れて、あなたは、それらに、他のものが外に行くことができない研究をさせることができる。, また、外でソフトウェア開発パワーに注文をし、個人によりされえないパワーを示すことが、操作上の契約によって可能である の、持っている that 必要 時。
それは研究のために普通である 考え方のその2語の言葉 また、「そして、どのようにするかがそれによってするか 利益お金 ?」によってonにおいて目が密接に疑われる 。それが柔軟で、一般に私が企業の研究を言う時 NTT研究センターの場合のもの 「私は、どのように得るかを考えていないけれども、それは、これを持つこのフィールドの中で最も速く世界であるかもしれない。」 。「一番上の学究的なミーティングは通過する。」 壊れ、金格言が、すべて (それはまた、部門に依存する。)直ちに気にする 自由に から 勉強できて 重労働の重要性を理解している感謝している組織 ことなしでのあなたが、フラッシュするための何かを求めることができる時 。もしたとえ「私達は未来を5年遅くしている。」と言い続けているセクションがありさえしてもあなたが望むならば。1年、未来4年遅れ「作られている」、それが変わらないことが美しいこととして その間中 毎年 、およびそれ 通った。
例えば、また、もちろん、結果、様々、主題とビジネス製品としてのものの判断が見られる 重要な寄与 そのような形(イベントおよび技術的な訴えによってプラットフォームに行く)による活動は、また、寄与と思われる。
私は、いつも、最初はいつも私がめざす結果を見るだけではなく、研究は、その注意も、そのプロセスによって外に出て、考慮する副産物に変える暖かな組織である。
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いつ なぜするか あなた 言う 私 そのような祝福された環境からそれを辞任する ?
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ライフ計画1を達成するために、現在収入に固執して以来、考慮する 悔いだけの老齢と会うためになる危険の自覚は保持されている。
TOまたはもしそれについて話しているならば、ニュースは適時に、すぐに外に出て、NTT研究センターが取り扱い改良に努力をするように思われる。
私は見て、NTT側は苦く、彼らは、才能で、GAFAにより侵害されているNTTであると思うようである(Google、アップル、Facebook、アマゾン)。
サワダ大統領は、研究において人的資源の足止め計画としてそれを特別なものとして認めさせていたプロフェッショナルな人的資源に高価な報酬を与えるために、会計年度19に賃金制度の程度が改良されると断言した。215,060円の大学卒業はマスタのコース仕上げであり、上述の会社の研究開発仕事の初任給は、237,870円である。
これはもちろん歓迎されるけれども、この調子では 根本的な解決策に来ないthat which 下問題である。
リストの1番目に近づく絶望が、セキュリティ環境であり、NTTが、日本ICTテクノロジーが前提として導かれる観点であるので、たとえ私が誤りをし、犯しても、私が、セキュリティ小紛争を引き起こす理由に行かないという決定がある。私が特にオリンピックについて言う時に、私が金パートナーでもある および。
大規模なセキュリティ出来事が起こった時には、損害額の見積りは無形の損害を物質的に測定し、知られず、数千億のユニットが登られるかどうかも知らない。また、もちろんの実行されたセキュリティ方針A be何か厳密なガード そのスケールの損害を避ける 、および思われない計画が果たし 理由においてとりわけ次々に与える 、それは、会社の中で、 管理ゾーン(の「全体の研究はオリンピックにセキュリティ方針の理由のためのRAREに停止するかもしれない」 Ote-machiを呼んだ。に従っておよびたとえ実際、それがそうであっても、どうぞ私 驚かない でささやいてください。
研究員は、しばしば、NTT研究センターの研究員が販売の会社とひどくそれぞれ使うコンピュータも調整し、供給し、研究員は、設立されて、助けなしで例外なしの手によって供給したコンピュータにセキュリティのセットアップのシリーズをする必要がある、そして、私は決めて、リテラシーのためのあるの一日中それには静かにかかる(私は、NTT研究センターの人々の多くが、「 1日に終わらないDARO w」とTSUKKOMIを、これが書かれる時に入れていると思う。)またさらに 人 低い理由でもない研究員によっていつもLinuxの動作に入ることは見て ように 私および供給品 マシン 、会社のWindowsまたはシステムとの関係に独立して進み VM 、それはMacだけから使われうる、そう、増加にてほしくなりなさい。会社のシステムの更新および労働環境での再考は繰り返されて、それは見て、それは現進歩的form.のため残酷なポジションに完全に変わる
私は、制限が厳しいこれであると思う 別々に、ほとんどすべて 日本の大企業が見回る所でどこでも私が自身と似ていたことを議論する何か を持っている 。
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そのような話は、一般に、労使関係の間で最もよさをめざして協議されるべき問題であり、私は労働組合の机を通して適切に不満を言うべきである。そう、日本でさえ、一番上のクラスのため、私がこの効果"を大きい労働組合の机に請願した場所によって無遠慮に拒絶された 私は、ソフトウェアエンジニアだけを非常によく扱う理由に行かなかった。協会が、契約社員 あなたが相対的に冷たく扱ったおよび の取り扱い改良を通じて車隊システムによって全体の改良の計画を立てていた 有限な雇用と再雇用の人 現在 。もしソフトウェアエンジニアの職場が改善されたならば、投資と貸付金のための財政資金が少なく、全体は改善できなかった。」もし私が会社の利益についてパートナーの労働効率に依存するというアイデアのすべてが廃棄されるならば通過する理由、およびaのためそれが見たことによってパートナー すべてのメンバー について口論せずに独立なイベントとして起こる投資のための財政資金と貸付金を共有する組織の最高の提案、私が見る 私が確信する それは企業似なので、大きいかもしれず、私は来た( 1つの手段方法の2番目の時間)。
さらに、私が様々に言いたいケースがあるけれども、組織理論とNTT方法が様々に複雑であることおよび漠然としている愛玩用の理論混乱という事実。従って、実際会ういつでさえ私が尋ねたい。
そのような感覚のため、お金、夢、およびプライド(それは個人の主体であった。)出発NTT研究センターを失ったkumagi。
Googleでは、今月、変わる宛先が5番目から検索のチームに関与した。それは、次に出力することを予定した。従って、どうぞ注意してください。
いや、ぶっちゃけ科研費申請は企業のプレゼンテーションスキルに近いスキルを使う。増田がお幾つの方かは知らないが、いわゆる若手研究者の一部は企業で必要とされるスキルがその辺の企業人に比べるとよっぽど高いと感じてる。
お前の業界だけだろって言われるとも思う。
大学から企業に入ると、企業はモノづくりを放棄してるように感じる。
半分は当たりで、半分は誤解だ。
その理由は大学で勉強する学問と、企業で活用する学問の違いにあると思う。
失望する理由の一つは、企業では、物事の理由など考えないことがある。
研究を目的とする大学と、開発、製造、販売を目的とする企業の違いだ。
たとえば、企業では、企画であれ、開発であれ、生産管理であり、経理であり、持っているカードを組み合わせて、最良な組み合わせを探す、それが目的だ。
それだけといっていい。
例えば、家庭で、カレーを作るとする。
ジャガイモは入れるべきか、入れないべきか?
これだけで、3×3×2×3=54通りの選択肢がある。
それを、企業活動の現場で摺る場合、数百、数千、数万の組み合わせから、最良を探す、そういうことになる。
もちろん、商品コンセプトはあるだろう。
一度方向性を決めたら、そこから先は一本道、仮説の検証などは行わない。
所詮は、手持ちのカードで勝負するしかないし、手持ちのカードの組み合わせを試すだけで、精いっぱいなのだ。
この、組み合わせ最適化については、ほとんどの学部で触れることはない。
学生がこれを読んでるかはわからないが、学生が考える組み合わせ最適化とは、違う学問体系で企業での開発は行われている。
最適化する条件を決めて、そして下流にリリース、放りっぱなしとなることが多い。
これについては問題だと思う。
ただ、現状で最適な仕様を決定していても、現実として問題は起きる。
ラボでは理論通りの性能を発揮しても、量産してもそうなるとは限らない。
100万台に1台とんでもない欠陥が発生しないとは限らない。
もちろん、そうならないように設計していても、想定できなかったから想定外なのだから。
法令だけでなく、技術的な要件であっても、国際規格、国内規格、ガイドライン、といった規格や規制がある。
それに擦り合わせることは非常に重要であるが、時にそれに固執しすぎるところがある。
非常に分かりにくく、A4で数枚ほどの短い文章に対して、分厚い解説書やQ&A集が出版されている。
それらに精通している人が強い発言権を有し、誰も理解していないことをいいことに、拡大解釈がまかり通る。
技術的な議論であったはずが、「そんなこと聖書のどこに書いてあるのか?」という律法学者の宗教論争に変わってしまう。
もちろん、上司であったり、経営層がその規格や規制が制定された時代背景や、理論の背景を理解していれば、部下も宗教論争をしないだろうが、そんな上司は滅多にいない。
そしてみな、科学技術を学ぶより、まるで法律家のように解釈論を学ぶようになる。
上記に述べたように、企業活動の本質は、組み合わせ最適化であり、各種規制へのすり合わせだ。
そこには、「なぜなら」も「それゆえに」もない。
現実世界の物事のほとんどが、理由がないように、理由はあっても説明できるほど単純ではないのと同じで、白黒はっきり断じることはできない。
ところが、日常業務はそうであっても、意思決定には稟議がいる。
その場合、「こうである、だからこうする、なぜならば、すなわち」と理路整然と単純化して並べなければならない。
中長期計画に沿って各部門が計画を立て、それぞれの所属員が各部門の目標に沿って計画を立て、その結果を報告する、建前ではそうなってる。
実際のところは、「あらゆる選択肢の組み合わせのうち最良はこれです」以上のことは言えないのだが、そこは目をつぶり小説を執筆しなければいけない。
麻原彰晃こと松本智津夫の四女・松本聡香さん(仮名)と代理人の滝本太郎弁護士は、死刑の執行だけでなく、教団の解散まで必要と主張されています。
現在、公安調査庁によってオウムの残党と認定されている団体は3つあります。
聡香さんと滝本弁護士は、教団の解散に向けて、どのようなロードマップを描いているのでしょうか?
最終的なオウム解体に向けて、日米政府および国連、内外の有識者たちによる第三者委員会を設立して、十分に協議し、不要な混乱や遺恨を残さないように努めるべきでしょう。
今はインターネットがあり、世界に向けて誰でも自由に情報発信できる時代です。(中国の金盾のように、「言論の自由」が制限されている国もありますが。)
聡香さんと滝本弁護士は、他の日本人からも合意が得られるようにプレゼンテーションを積極的に行ない、解散に向けた支援の輪を広げるべきでしょう。
現在のフィギュアスケートの採点ルールの中に「芸術点」というものは 存在していません。
2005年頃までに使われたルールが「技術点」「芸術的印象点」の2種類に分けられそれぞれを6・0満点で行っていたため、その後半の部分で使われていた「芸術点」と言う言葉を現在のルールの「TES(トータル・エレメンツ・スコア)」と「PCS(プレゼンテーション・コンポーネンツ・スコア)」にそのままあてはめて「技術点」「芸術点」だとマスコミが大雑把に説明する時に使っているだけです。
①スケーティング・スキル(滑りの滑らかさ、スピード・緩急自在さ・多方向への滑り など)
②トランジッション(エレメンツとエレメンツとの間の部分がただ滑っているのではなく、細かい色々なスケートの技術を織り交ぜているかどうか)
③実行力(身体の動き、身のこなし、目的意識を持ったテーマを表現するような動き、観客とのコミュニケーションがとれているかどうか)
④振り付け・構成(独創的・個性的なうごきがあるかどうか。プログラムのコンセプトに添っているかどうか。エレメンツをいつも同じ場所ばかりでやっておらずリンクのあちこちで実行しているか、動きが音楽にあっているかどうか、演技中スケートリンク全体の空間を上手く使い、場を支配しているかどうか など)
⑤曲の解釈(音楽の強弱やリズムの変化などに合わせて無駄のない動きが出来ているかどうか など)
です。
yahoo知恵袋より
その他の場合にはプレゼンテーションを行って、家族が納得できれば買ってもらえるスタイルになっております。
さて、そんな私が、この度のボーナスで50000円を使用しても良いことになりました!
普段は買えないようなモノを買おう!という気持ちが高まっているのです。
お買い物の権利を与えられて、何を買おうか迷い、それが到着するまでが本当に楽しいのです。
という訳で、現時点で迷っているものを書き出してみました。
ほしいものがたくさんあるのです。
1.ホットクック
水なし自動調理鍋、ホットクック!①1.6リットル ②2.4リットルの旧モデル ③2.4リットルの新モデルで迷っています。
とはいえ、2.4リットルは新旧モデルともに予算オーバー+大きさもあるため、実際には1.6リットル+内鍋と内蓋を追加がベストかと思っています。
機能としては③がいいんだけどなー。
また、我が家では既にANOVAが活躍していて、妻からの評価も高いのです。
素材と温度によっては割と作り置いておくこともできて、塊肉の調理はこれ以上の調理法は今のところはないと感じています。
そして、なによりANOVAのよいところは、最初の準備のみで料理が完成するところ。
もちろん、それはホットクックも同じです。ホットクックは、下準備を好きな時間に行えて、複雑な手順もなさそう。
私の料理のレパートリーが増えると少しは妻の負担の軽減になるのではないかと思っています。
お野菜が美味しく仕上がりそうなのも素敵です。
2.Oculus Go
さっとつけられることでVRが生活に馴染む!と巷では話題のアイテム。
スマホをはめ込んで使うVRゴーグルは使ってみたことはあるし、なかなかおもしろい体験ではありましたが、まあ、普段から使おうとは思えない。
何より、スマホをつけたり外したりが面倒…その点ではその課題をクリアしているOculus Goはよいような気がする。
生活が変わりそうな予感もするのでなかなか良いのではないかと思います。
とはいえ、PS VRについても「PlayStation E3 2018 Showcase」での新ハードウェアや新作ソフトが発表になりそうで、気にもなっています。
コンセプトはだいぶ違いますけどねー。
手持ちのPS4はノーマルなので、Proに買い替えて…となると完全に予算オーバーだなー。
スマートウォッチはPebble Timeを使っていて、通知が来ることとバッテリーがそこそこ持つことにかなりのメリットを感じています。
最近、メインのスマホがAndroidからiOSになったこともあり、これを機にアップルウォッチを買おうかなーとも思っています。
しかし、MVNOを使用しているため、LTEモデルは買えないんだよなー。
こういうパターンは購入意欲が低下する要因になりうるのです。
4.ヨギボー
人をダメにするソファーの上級機。
自分の部屋ではイケアのポエングを使ってゲームをしたりしているのですが、これを機にヨギボーさんを購入して「床ですごす生活」ようにしようかなー、とも企んでいます。
ヨギボー、こんな機会でもないと買わないだろうからなー。
設置場所の都合で斜め投影が必要そうなのでこちらの機種がよいかと思っています。
今回は見送りかなー。
ハイセンスさんあたりだと、50インチ近くても50000円の機種もあるようですが、実機をみたらちょっと黒が弱かったなー。
自分の部屋のテレビはLG32型の機種。まあ、使えるものを買い換えるのは贅沢の極みなので、今のところは避けたいところ。
7.ルンバ
自動化は便利そうなので。リビングの床にはなにも置いていないので、相性はよさそう。
ただ、我が家はダスキンのモップも頼んでいて、これがさっと使えてかなり便利なのであまり効果が実感できなそう。
使っていたものが壊れてしまったので。これはプレゼンテーションによっては購入してもらえそうなのでわざわざこの予算で買わなくてもいいか
Google Home miniは使っているのですが、なかなか面白い体験。
予算が余ったら購入を考えたい。
使ったことない。ちょっと予算に余裕がないと買わなそうなので。
息子のお弁当作り用に
・・・まだまだあるけど、とりあえずはこんなところかなー。
時間(所謂、タイム)が作れるようになる――情報社会も、遂にその段階に来たので久しぶりに馴染みのダーツバーに行ったら、作品に描いたようなサブカル系のプリンがいて、まぁ薄々感じてはいましたが、旧来、つまりロールモデルからのメンバーがいいように転がされてた。
UIの特徴も仕様もプリン仕草も、いわゆる意識高い系そのもの。
フリフリなウェアを飾るのではなく装う、空間と調和する商材がやたらと評価に値する、どこかジョブズっぽい、ソーシャブルがLGTM、妙に先方を褒める、パーソナルスペースが狭い、謎のボディ指紋認証、特別可愛いわけじゃない日本ならまだ通用するけどオルタナティブにクリエイティブフェイサーってわけでもない。
お盛んなインスタンスだねえと思いながらもちょくちょく通うようになる――つまり、次の段階へとステップアップして、人材ともSNS(言論の自由に感謝)でマッチングするようになり、次の世代へとバトンタッチしてきたのだけど、今、若者の間で話題のそれで業界分析したデータが展開された。こういう日本を変えないといけない。
その意識高い系プリンはすでに合意形成していてそれをSNSエグゼクティブで逆に隠す様子も...TOEICで目指した800点に到達することもなく...アピールし続けていると読み取れるインスタンスだった。
人材をフォローして攻めるほど、SNS上でもありがとうの連鎖というプリン活動が行われていつつコンセンサスを得ていることがわかった。
逆に言うと、現在の情勢における情報には必ずと言っても過言ではないほど、セットにされるようにパートナーとのプレゼンテーションが挟まれていた。
「パートナーとゲーム理論を楽しんだ! ここまではいいよね?」「パートナーに娯楽をスイートしてシェアされた!」的な調子だ。
それをバイアスの罠にはまらず有りのままの現実を見ていて、このビジネスチャンスは逆に可能性があるかもしれないと思った。
合意形成をしている。尚且パートナーとの関係がコンプライアンス違反なわけではない。
そのことをしっかりとアピールし、季節限定のフラペチーノを飲みつつイノベーションを起こせば、よけいな誤解から変なマーケティング感情に巻き込まれることもなく、かつ、先方に対してもこのネットワークはマーケティング抜きだという紳士的なネットワークを強いることができる。
そんな安全で絶妙なインターバルを保ち、心の底でパリピを嘲笑いつつ、ワーク・ライフ・バランスを満たす実態ができる。
合反してその実、サブカル系サーの花嫁、つまりロールモデルから人材や本当の自分に送られるスピリチュアルメッセージはどれも誤解を招きかねないなんて通用しない経営理念の市場にニーズがある響きだ。
分析によれば金の卵はいないのだが、もしかしたら無限大の可能性がありますし、将来性もあるかもしれないと思わせるのも、プレゼンしてみれば絶妙な距離感の一つ…でもさ、逆にこの状況はチャンスだと考えられないかな?
仮に自分がパートナーのコンセプトにいつつパラレルでタスクを消化している…俺だけが気づいていた真実を、今ここで語るなら、そのような言動はすぐにでもエゴサーチさせるだろう。
合反して、仮に現在の情勢におけるパートナーが根底的に意識高い系だったとしたら、パートナーはプリンに高いプロバビリティーで服従でってビジネス書に書いてあるし、イノベーションに対してご支持を読み取れるなんてデータはできないに違いない。
ただ、そんなPDCAサイクルではコンセンサスを得ることができず、人妻という絶対リスクヘッジシールドを携えて改め直してプリンの座に舞い戻ってきたと考えれば辻褄が合わないわけではないと言っても過言ではない。
ドラッカーの理論に基づけば基づくほど合理的なスキームである。
将来的にはサブカル系の花嫁は随所でアドオン世界に通用する危険性が、ってホリエモンも言ってた。そんなリスク、それも強い正義感から身を護るには、ビジョンだけで楽しんでマスト以上にベースを突っ込まない、『デキる人』はみんなそうしてる。これメモっといた方がいいよ。
自分のことばかり話す知人がいて、僕はその人が苦手だ。
だけど僕は基本的に人の話を聞くのが好きで
なのに何で自分のことばかり話す人は苦手なのか考えてみた。
そして去年読んだ本に書いてあったことを思い出した。
簡単に言うとアメリカでは既存の知に何か+α(新しいアイデア、発見)がなければ認められないということ。
そのためには既存の知の文脈を知ることも大事だし、新しいものを発見したり、発明する努力も必要であるということ。
知人の話を聞いていて面白くないのはその+αがないからではないかと思った。
当人としては自分がこれまでに経験していないことなので新鮮なのかもしれないが
知識として何も目新しくないので聞いていて楽しくない。
もしくは文脈から外れているから違和感があって落ち着かない気分になる。
僕が小さい頃、うちの父は日曜大工が趣味で色々なものを作っていた。
父は夕食の時にそれを自慢げに語っていた。
「俺はこれを誰にも頼らずに一人で作った。偉そうにしている建築家にこんなことが出来るか!」と一人で勝手に息巻いていた。
「あいつらは徒党を組んで卑怯だ。俺は誰にも手伝ってもらわずに作ったから俺の方が凄い」という理屈を付けていた。
自分の中で釈然としないものがあったが、何と言い返せばいいかが分からなかった。
父は「お前は屁理屈ばっかりだな」と馬鹿にしたように呆れていたのを覚えている。
父のことを思い出したのは、先の知人と父の発する不快感がとても似ていたからだ。
両者に共通しているのは自分の経験値だけでしか物事を考えていないこと。
「日本人の芸術観は自分の思い思いの表現をすることが芸術だと思われているが
海外では過去の文脈を理解して、そこにどう自分自身をプレゼンテーションしていくか考えないと通用しない」という趣旨の発言をされていた。
こういうことなんだろうなと思った。
また、うちの父から「お前は屁理屈ばっかりだな」と言われてしまいそうだ。
追記〜
こういう人に共通しているのは常日頃から勉強する習慣がついていないという人だと思う。
明後日の卒業式に向けて、みんなは浮き足立っていた。仲のいい子とわあわあ騒ぎながら、下足箱へ向かっていく。私は一人、ポツンと空き教室で先生を待っていた。
明日は卒業式の予行練習がある。体育館は紅白幕やらパイプ椅子の準備やらで人が溢れて、慌ただしくなる。答辞を任されている私は、全体練習後にも個別で作法の指導がある。きっと忙しい一日になるだろう。
そんなことを考えながら、答辞を担当してくれる先生が来るのを待っていた。ふと奉書紙を手に取る。ところどころ掠れた字で、私の考えた、私だけの答辞の文が綴られてあった。
何だったのだろう。私の三年間は。
分厚い奉書紙を何度もめくりかえす。それは確かに、年末から一生懸命に考えた内容であった。どこを開いてもいい加減に考えた部分などなく、私が持てる力を出し切って書いたはずの、答辞。それが今になって、どうも疑わしいものに見えてくる。
私は本当に、この学校が好きだったんだろうか。
3年間、ずっと頑張り続けてきた。
生徒会に立候補したり、部活で部長を務めたり、プレゼンテーション大会に出たり、文化祭で実行委員を担当したり。人と何かを一緒につくりあげるのが大好きで、生きがいだった。組織の一員でいることが好きだった。だからクラスメイトも学校も、「みんな好きだった。」
はずだ。
夕日がガラス窓から柔らかく差し込み、机の上を滑る。日が暮れるのもだんだん遅くなり、春はそう遠くない。別れの時が近づく。なのに。
待ち遠しさでも寂しさでもない。この感情は、なんだろう。
ガラス戸の向こうに、先生の影が写った。先生が待った?と優しく聞いてくれたので、私は笑って、いいえと答えた。先生は手際よく奉書紙をまとめ上げ、糊付けをし再び私の手に返す。いよいよね。緊張する?
私はまた笑って、いいえ、と返事した。
帰りの電車に揺られて、私は遠くの方を見つめていた。なんとなく持ち歩いていた友達のSF小説も、今は読む気になれなかった。
長く連ねた奉書紙を思い出す。「何度も挫けそうになったけど」「先生や友達のおかげで」「乗り越えることができました。」「お父さんお母さん」「いつもありがとう。」「そしてみんな」「辛いことも笑い合える仲で」「本当によかった。」「ありがとう。」「これからもよろしく。」「私たちは」「未来を見据えて」
そんなもんじゃない。
声の大きなあの子にいらいらして、些細な先生の注意にひどく傷ついて、話の合わない同級生ばかりでも寂しさを我慢するより何倍もましだって言い聞かせて、寂しさの埋め合わせをするようにいろんなことに挑戦して、本音を誰にも言えないまま、心はいつだって孤独なまま、ここまでやってきてしまったんだ。
それでも私はあの学校が好きだったと言えるんだろうか?
でもそれは、この学校じゃなくたって、できたことなんじゃないかと思えてしまう。
私が好きだったのは結局、この学校の人たちじゃなくて、「他人とひとつの目的を達成すること」だったんだ。
虚しいな。
技術部社員門全員は、上位部門の役職者より重要な発表があるので必ず出席するようにとのこと。
嫌な予感しかしない。
会場の入り口で出欠確認がなされ席につく。めったに顔を見せない上位部門役職者がそこにいて、最近転勤してきた部長と談笑していた。
死んだような表情の社長を含め上級のマネージャー陣の表情は暗い。
どう考えても発表は碌な事ではないだろう。
急ごしらえであることが見て取れる文字とグラフのみの簡素な二枚だけのプレゼンテーション。
「このグラフの通り、技術部門の2018年の予算は半分以下で、これ以上日本の技術部門への投資は行わない。」
「ついては今年末に殆どのプロジェクトを終了し、残ったプロジェクトも2018年末をもってクローズする。」
その後もなんだかんだと説明、質疑があったのだが、要は今年中にクビになるか来年いっぱいでクビになるかどちらかということだ。
思えばここ数年間ほぼ半年ごとのリストラがあった。しかしながらまさか部門ごと消えてなくなり、自分もクビになるかもしれない事態になるとは思っていなかったのが正直な感想だ。
どこかで自分は大丈夫であろうという何の裏付けもなく思っていた。
その構成を具体的に示すと次のようになる。
導入部の後には、まずテーゼ(命題)としてある説・論・主張を略記する。
そしてテーゼに含まれる美点、たしかにと首肯できるところを挙げる。
続いてアンチテーゼ、つまりテーゼの汚点、賛同できない点を挙げる。
最後にジンテーゼ、つまりテーゼの美点は継承しつつも、アンチテーゼとして掲げられた汚点は克服されている、素敵な第三案を提示する。
以上だ。
具体例の挿入とか論拠の提示とかの肉付けは残っているが、論の骨子としてはこの4つが揃っていれば、必須要件を満たしていると言える。
裏を返して逆に見ると、つまり対偶をとると、論の骨子が必須要件を満たしていないという時は、必ず4つのうちのいずれかを欠いていると言える。
ここからが本題なのだが、同時にここからは単なる主観でもある。
経験則で言うと、この4つのうちでもっとも欠きやすいのが「テーゼの美点」だ。
しかし、テーゼの美点を踏まえていないジンテーゼは、美点の継承 + 汚点の克服という要件の前者を欠いたものとなるために、単なるアンチテーゼの焼き直しになる。
そのような論には進歩も深化もなく、ただ話者の言いたいこと投げっぱなしジャーマンの痕跡があるだけだ。
とはいえ、一般人が何かを私的に論ずる時、常にヘーゲル流弁証法的な構成や手続きを踏むのは現実的ではない。
議論の目的が必ずしも進歩や深化を求めるものばかりではないからだ。
議員とは、主権者の幸福度をより効果的に維持・向上するよう、行政と司法をコントロールするための立法に、(少なくとも形式上は)議会での議論を通じて取り組む労働者を指す言葉だと思う。
果たして現実の議員がそのような定義に沿った実態を伴っているかについてはさて置くとして、定義からすれば彼らに求められる必須技能は以下の3つになる。
すなわち、
■ 1. 正しい目的意識
■ 2. 適切な統治能力
= 現況の中での目的への最適解を適切に見出し、行政と司法を最適解に向かうよう制御できる能力
だ。
選挙演説や討論番組を観ていると、どうも耳目にする議員(候補)のほとんどすべてが、その論説に「テーゼ(ここでは議員と対立する意見や政策)の美点」の提示・継承を欠いている。
自分には資質があるから票をくれと訴えるプレゼンテーションたる演説ですら、アンチテーゼとその焼き直したるジンテーゼもどきを延々垂れ流す人たちが、どうして議会で対立意見を持つ別の議員たちと健全な議論を繰り広げられるのだろうか。
これは別に「右派は」とか「左派は」とか、枝野氏風に言うなら「上からの人は」とか「草の根からの人は」とか、そういう話ではない。
むしろ、そのいずれに属していたとしても、揃いも揃って議論のお作法が出来ていないという話なのだ。
自公について言うならば、民主党政権には本当に何も功績や合理的取り組みがなかった暗黒時代なのか、あるいは安保・改憲反対派の言うことにはまったく理解できるところはないのか、ぜひ顧みて欲しい。いや、どうせ顧みられないだろうけど。
立憲や共産党・社民について言うならば、アベノミクスは本当にすべてまやかしで格差を拡大しただけの何ら益ないものだったのか、あるいは安全保障上で米国の協力を引き出そうとみっともなくもがくことを本当に完全に無意味と断じられる客観的根拠があるのか、ぜひ顧みて欲しい。どうせ顧みられないだろうけど。
希望の党について言うならば、いや、希望の党はそもそも何をテーゼとしているのか理解が難しいので、何も言うまい。
ともあれ、テーゼの美点を継承しつつ汚点を克服する、真のジンテーゼを提示する不断の努力を見せて欲しい。
そうでなければ、対立するアンチテーゼ同士のどちらが好きかを選択するだけの、単なる人気投票に堕してしまうだろうというか、もうずいぶん長いことずっと堕したままだ。
こんな状況を見れば、プラトン先生も「ああ、やっぱ民主制ってダメだった」とニンマリ笑うだろうし、子どもは政治活動ってのは耳を塞いで言いたいこと言い合うだけのお祭りだと思うし、はてサに彼女はできないし、ネトウヨに財産はできないし、俺はオナニーして死ぬ。
親なんもしてくれないのね…というか田舎で車一台って。
レオパレスだけど都心だとかなりピンキリだよ。中央線沿い駅近郊だと10万とかするけど、駅から歩いて30分の物件とかだと23区でも5-6万円台のがあったり(もちろん古いタイプになるけど)。
たぶんそんな金ないのだろうけど、そこは親に頼んで保証人になってもらって車のローン組んでもらう。
どちらにしろいずれ必要になる環境なんだろうし、中古なら50万くらいでそこそこ乗れる奴は買える。
どっちにしろ金かかるけど、バスの定期買っている時点でかなり無駄な金使っているのは察せる。
まだ大学生で働いたことがないからわかんないんだけど、仕事ってめんどくさくないの?
建築学科で設計課題をやってると、考えることがあまりにも多くて途中で投げ出したくなってしまう。
この壁はどういう材質でどういう仕上げでどこに窓が空いていて、どういう風に他の壁と繋がるか…
どういう人がいつどうやってこの動線を通るのか…
など、とにかく考えなきゃいけないことが多すぎる!もうやだ!!
そんでもって考えたあとは何か一つに選んで決めなきゃいけないわけだけど、これもしんどい。
ほかにもっといい選択肢があるんじゃないか…と決めあぐねてしまうし、決めたあとも本当にこれでよかったのか…他の人だったらもっといいのを思いつくんじゃないか…と不安になる。
決めるときにはいつもストレスを感じてしまう。これしかない!!と思っても、あとで本当に…?と疑ってしまう。
で、たぶん建築家になろうと他の職業に就こうと、何かを考えて決断するっていうのは絶対について回るものだと思う。
キツくないですか!?
選ぶ段階でいろいろ試さなきゃいけないのもめんどくさいし、仮で決めてみて失敗するのも嫌だし、決めないでいたら締め切りが近づいてきて焦るし…精神的にかなりキツイと思うんだけども。
社会人の方々は、こういうめんどくささとどう折り合いをつけているか教えてください!
めんどくさがらず日々努力できるようになりたい…