自分のことばかり話す知人がいて、僕はその人が苦手だ。
だけど僕は基本的に人の話を聞くのが好きで
なのに何で自分のことばかり話す人は苦手なのか考えてみた。
そして去年読んだ本に書いてあったことを思い出した。
簡単に言うとアメリカでは既存の知に何か+α(新しいアイデア、発見)がなければ認められないということ。
そのためには既存の知の文脈を知ることも大事だし、新しいものを発見したり、発明する努力も必要であるということ。
知人の話を聞いていて面白くないのはその+αがないからではないかと思った。
当人としては自分がこれまでに経験していないことなので新鮮なのかもしれないが
知識として何も目新しくないので聞いていて楽しくない。
もしくは文脈から外れているから違和感があって落ち着かない気分になる。
僕が小さい頃、うちの父は日曜大工が趣味で色々なものを作っていた。
父は夕食の時にそれを自慢げに語っていた。
「俺はこれを誰にも頼らずに一人で作った。偉そうにしている建築家にこんなことが出来るか!」と一人で勝手に息巻いていた。
「あいつらは徒党を組んで卑怯だ。俺は誰にも手伝ってもらわずに作ったから俺の方が凄い」という理屈を付けていた。
自分の中で釈然としないものがあったが、何と言い返せばいいかが分からなかった。
父は「お前は屁理屈ばっかりだな」と馬鹿にしたように呆れていたのを覚えている。
父のことを思い出したのは、先の知人と父の発する不快感がとても似ていたからだ。
両者に共通しているのは自分の経験値だけでしか物事を考えていないこと。
「日本人の芸術観は自分の思い思いの表現をすることが芸術だと思われているが
海外では過去の文脈を理解して、そこにどう自分自身をプレゼンテーションしていくか考えないと通用しない」という趣旨の発言をされていた。
こういうことなんだろうなと思った。
また、うちの父から「お前は屁理屈ばっかりだな」と言われてしまいそうだ。
追記〜
こういう人に共通しているのは常日頃から勉強する習慣がついていないという人だと思う。