2018-02-26

卒業

明後日卒業式に向けて、みんなは浮き足立っていた。仲のいい子とわあわあ騒ぎながら、下足箱へ向かっていく。私は一人、ポツンと空き教室先生を待っていた。

明日卒業式の予行練習がある。体育館紅白幕やらパイプ椅子の準備やらで人が溢れて、慌ただしくなる。答辞を任されている私は、全体練習後にも個別作法指導がある。きっと忙しい一日になるだろう。

そんなことを考えながら、答辞担当してくれる先生が来るのを待っていた。ふと奉書紙を手に取る。ところどころ掠れた字で、私の考えた、私だけの答辞の文が綴られてあった。

何だったのだろう。私の三年間は。

分厚い奉書紙を何度もめくりかえす。それは確かに年末から一生懸命に考えた内容であった。どこを開いてもいい加減に考えた部分などなく、私が持てる力を出し切って書いたはずの、答辞。それが今になって、どうも疑わしいものに見えてくる。

私は本当に、この学校が好きだったんだろうか。

3年間、ずっと頑張り続けてきた。

生徒会立候補したり、部活部長を務めたり、プレゼンテーション大会に出たり、文化祭実行委員担当したり。人と何かを一緒につくりあげるのが大好きで、生きがいだった。組織の一員でいることが好きだった。だからクラスメイト学校も、「みんな好きだった。」

はずだ。

夕日がガラスから柔らかく差し込み、机の上を滑る。日が暮れるのもだんだん遅くなり、春はそう遠くない。別れの時が近づく。なのに。


待ち遠しさでも寂しさでもない。この感情は、なんだろう。

ガラス戸の向こうに、先生の影が写った。先生が待った?と優しく聞いてくれたので、私は笑って、いいえと答えた。先生手際よく奉書紙をまとめ上げ、糊付けをし再び私の手に返す。いよいよね。緊張する?

私はまた笑って、いいえ、と返事した。


帰りの電車に揺られて、私は遠くの方を見つめていた。なんとなく持ち歩いていた友達SF小説も、今は読む気になれなかった。

長く連ねた奉書紙を思い出す。「何度も挫けそうになったけど」「先生友達のおかげで」「乗り越えることができました。」「お父さんお母さん」「いつもありがとう。」「そしてみんな」「辛いことも笑い合える仲で」「本当によかった。」「ありがとう。」「これからもよろしく。」「私たちは」「未来を見据えて」






そんなもんじゃない。


私の高校生活はそんな綺麗事じゃなかった。




声の大きなあの子にいらいらして、些細な先生の注意にひどく傷ついて、話の合わない同級生ばかりでも寂しさを我慢するより何倍もましだって言い聞かせて、寂しさの埋め合わせをするようにいろんなことに挑戦して、本音誰にも言えないまま、心はいだって孤独なまま、ここまでやってきてしまったんだ。


それでも私はあの学校が好きだったと言えるんだろうか?

しかった時間は嘘じゃない。

つくりあげるまでの過程も、結果も、無駄にはならない。

でもそれは、この学校じゃなくたって、できたことなんじゃないかと思えてしまう。

私が好きだったのは結局、この学校の人たちじゃなくて、「他人ひとつ目的を達成すること」だったんだ。




虚しいな。

電車が最寄駅でゆっくりと止まる。

明後日卒業式である

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