大昔の作品だし供給なんて耐えて久しいから、そこそこ絵を描ける自分が、参入してから、そこそこの評価を貰えた。
アフターやイベントのお誘いも貰っているけれど、遠方を理由に参加はしていないし、今後も参加する予定はない。
当方はアラフォーだけど、結婚していないので、いい歳して積まなければいけない人生経験をろくに積んでいないからだ。
仲良くしてくださる、主婦の神絵師神小説書きの方に、私なんぞがあえば、絶対にドン引きされる。
だらしなく肥えた体、親元で親の介護がいつか迫り来ることを知りながらぬくぬくと老親に面倒見てもらえるパートタイマー、リアルの友人からもすっかり相手にされなくなった幼稚な言動と行動、アラフォーと書いたが四十超えてる、不惑だ、不惑、こっちは生きる知識が乏しく惑いっぱなしだというのに。
自分の作品を今後もフラットに見てもらいたいので、そこに「わたし」という存在など邪魔なのだ。
勇気と粘り強さと思慮深ささえあれば、正職員にもなれたろうし、結婚も出来たかもしれない。
けれど、それができた若い頃は、社会が怖く引きこもりだった。努力が足りないのはわかっているが、四十超えた今、外に出て、自分のお金を貰えるようになるまで社会生活を営めるようになるまで、かなりしんどかったんだ。男性に好まれる容姿や行動、生態調査、プレゼンテーションまでの努力に手が回らなかったし、それはしたいことではなかった。それに、自分みたいな不適合者が子供を作ったら、自分に似せまいとするあまり、恐らく虐待に走るだろう。世の人が言う幸せをそこまでして欲しくないし、それをきちんと経験した世の女性や私の母を尊敬している。生まれてきてごめんなさい。死にたいんだけど、死ぬのが怖いんです。
ごめんなさい、話が暗くなった。御察しの通り、処女だ。しかも腐女子。
社会生活を送ろうと思ったのは、イラストを描いて、本やサイトを持って、妄想だらけのこの頭の中を、形にすることができたらなと思ったからだ。そのためなら、年下の人間の蔑んだ目や、あいつの人生よりはまだマシと言う世間からの視線も我慢できる。年上の家庭に疲れた人の言葉のサンドバッグにもヘラヘラ笑っていられる。
そういった視線を、今のジャンルで仲良くしてもらった神絵師さんや神小説書きさんから、注がれたら、あのキモい奴の作品など見れない、悪い意味で見る目変わるわとか思われたら、もう生きていけない。
日常ツイも極力しない、ツイッター内で声をかけられても当たり障りない返しをする、淡々と自分の理想をこめたブロマンス的なホモを描く、たまにプライベッターでえげつない漫画をおく。
交流も最小限でいい。私の裸踊りをしれっと見てくれるだけでいいんだってば。
行間から「本当は交流してえええよおおおお」って声が聞こえる 本当にそう思ってると、それが当たり前で書き出すことはないんだぜ 別に自分を出さなくても交流はできるよ