はてなキーワード: ソーシャルとは
初めて付き合った彼氏に3ヶ月で振られて、ちょうど3年が経った。
彼の名前をAとしよう。
1年めは、まるでAが私の過失による事故や災害で亡くなってしまったかのように、
日々喪に服していた。
「そんなこと言って、連絡くらいきたんじゃないの?」と思うかもしれないが、
Aが私の家に置いていた荷物を郵送してからはLINEもブロックされたし、
Aは私と会う前にすでにTwitterやFacebookを退会し、ソーシャルのまじわりを断っている人間だったし、
SNSでふと流れてくるつぶやきを目にする……ということもなく、
本当に、死んだか失踪したかと信じ込むこともできなくはなかった。
そもそもAと私は、共通のコミュニティに所属していたわけではなく、共通の友人もいなかった。
当時私が働いていた会社の後輩の女の子が主催した合コンに行ったところ、
男性側の数合わせで連れてこられていたのが、合コンに一切興味がなく、
さすがにびっくりしたのだが、その本の著者は私も名前を聞いたことのある人だったので、
Aのことは気にせず盛り上がっているメンツをよそに、私はAにあれこれ質問し、
合コン後のグループLINEに参加しようとしなかった彼のLINE IDを手に入れたのだ。
合コンの間は気難しそうに見えた彼は、28歳だというのに、「本当に合コンが初めてで、どうしていいかわからなかった……」
とのちに明かし、2人きりで会ったときには、不器用ながらも気さくに自分のことを話してくれた。
物言いはぶっきらぼうで露悪的だけど、根はいい人なんだなというのがすぐにわかり、
あっという間に好きになっていた。Aも、すぐにそれに応えてくれた。
そうして、交際期間がとても短かったのもあり、私はAとお互いの友人を紹介しあうことはなく、
そして彼の家の場所や電話番号、LINE以外の連絡先を知ることなく別れることになった。
合コン中から私はAにだけ関心があって、他のメンバーに連絡することもなかったので、
もはや彼とのつながりは一切存在しなかったのだが……
彼と別れて1ヶ月後、偶然彼の親しい友人の一人と知り合うこととなる。
それがBだ。
彼に以前写真を見せられたことのある男性にそっくりの女性が、やってきたのだ。
私が「えっBさん?」と小さな声をあげると、なんとその人も「あれっ」と声をあげた。
後から聞けば、彼女は彼女で、私といっしょに遊びに行ったときの写真や、
2人がペアリングをしている写真などを見せられていたのだという。
書店で会釈して終わりかと思ったが、彼女は私を喫茶店に誘ってくれ、
あれやこれやと話してくれた。
「◯◯がさぁ……恋人ができたっていうだけでも驚いたけど、まさか彼女とペアリング買うとは思ってなくて。本当にびっくりしたよ」
「それまでは彼女いなかったんですか?」
「過去に1人いたとは聞いてるんだけどね。彼女の家庭の事情が大変で、別れることになったみたい。私もその子とは会ったことはないから、具体的なことはしれないけど。
だから、増田さんと付き合い始めた話を聞いて、すごくうれしかったんだよ。最後のほうは、いろいろ悩んでいるのも聞いていたけど……」
Bは、見せられた写真の印象だけでも、育ちが良くて笑顔のかわいい上品な人だなあという印象だったけれど、
会って話せすと想像以上に気さくで、「この人に気に入ってもらいたいなあ」と思ってしまうタイプだった。
正直、仲のいい男友達の元カノというよくわからない存在に書店で声をかけられても、けげんな顔をして立ち去る人が大半だろうに、
その日は喫茶店に誘ってくれたばかりではなく、その後2人で飲み、連絡先も交換することになったのだ。
「この前もAと会って……」や「Aは昔からそういうところがあって……」というように、Aとの仲良しエピソードを披露してくるので、
「もしかして……本当はAのことが好きなのかな?」「というかむしろ今つきあってるのかな?」と邪推もしたが、
聞けば、すでに3年つきあっている彼氏がいるという。
たしかに、これだけかわいくて素敵なお嫁さんになりそうな人はもっと社会性のある男性を選ぶだろう。
彼が「いずれ紹介するよ」と言いながらも、結局紹介されずじまいだった相手と、
こうして偶然出会ったことにはきっと何か意味があるだろうと私は思い(思い込もうとし)、
さらに純粋に彼との話をとにかく吐き出せる人がほしくて、私はその後彼女を定期的に飲みに誘った。
最初は遠慮して月1〜2度にしていたのだが、彼女が本当にお酒を美味しそうに飲むし、実際ものすごくお酒が好きで、
毎日一人でもバーに行くことがわかってからは遠慮せずに誘いまくるようになり、
彼に振られて1年めには、私が彼女と飲む頻度は、週に1〜2度に増え、
さらに2年めには、土日のどちらかはかならず私の家に遊びに来るようになり、
そうして3年めを迎えようとしている。
合コン中に小説を読み出すほど読書家だったAと友人なだけあって、
1日あけて会えばその間に読み終えたSFの話をしてくれるし、
私が仕事で悩んでいるときには、適した分野の新書を紹介もしてくれる。
映画や展覧会にもよく足を運んでいて、おもしろかったものの感想を教えてくれる。
「次は一緒に行かない?」と誘っても、「一人で行きたいから」と断られるので、
一緒に映画や展覧会を鑑賞したことはないが、それぞれ見たものの感想を言い合ったりもする。
Aが引っ越したとか、最近はこういう本を読んでたとか、いっしょにあの映画を観に行ったとか。
頻繁に飲むようになってからは、私もそのあたりを正面からイジったりしてみて彼女の反応を見てみたが、
「え〜〜、たしかにAくんはかわいいしかっこいいけど……ほっとけない弟みたいな感じなんだよ」
と毎度否定され、そこには一切のやましさの感情がないのが見て取れる。
というか、どうやら彼女には「誰かと誰かが仲良くしていて、負の感情を感じる」
ということが、生まれてこの方ないらしい。
だから、「自分の行動で、周りが負の感情を感じる」ということも全く理解できないそうだ。
たしかに、もし私が彼女だったら「こんなに元カノと仲良くしていたら、Aに対して気まずいかも」と思うし、
私がAで、この状況を知ったら、こころよくは思わないだろう。
そのことを指摘したら、「あーーーーそういうものなの!」と目をパチクリしていて、
それも彼女の育ちの良さであり、育ちの良さゆえの鈍感さであり、美徳でもあるのだなあと、
なんだかおかしいやら腹立たしいやら、不思議な気分になってしまった。
それで気づいたのだ。
いつの間にかAの生死とか、振られたことなんてどうでもよくなっていて、
彼女はとっても育ちがよくて、鈍感で、きっと私が彼女をいつのまにか好きになっていたことに気づいておらず、
しかし一方で、彼女自身もかなり私のことが好きなのだと、最近は確信できてきた。
私の感情は間違いなく友情じゃなくて、彼女の裸を見たいなと思うときすらある。
でも、一体どうしたらいいんだろう。
TwitterやらFacebookで声を掛けて転職する方法です。
また転職することになった。
そこそこ転職回数の多いおっさんなので、いつもとやり方を変えてみた。(いつもはエージェントとかだった。)
具体的には、SNSを使って公開範囲を絞って知り合い向けに募集してみた。(現職の会社には秘密。)
あまり関わったことのない人からも声を掛けてもらった。(「実は前から一緒に働きたかったんですよ」的な感じ。)
声を掛けてくれた皆様、本当にありがとうございます。
ざっくばらんに聞いてみたいことを聞けて良かった。
面接だけだとなかなか難しい。(取り繕ったりしちゃうし、負の面を聞くと印象悪くなりそうだし。)
結構「えっ?この会社、こんな感じなんだ」みたいな発見も多かった。そしてその情報の確度がエージェントとかよりも高いので、とても良かったです。
体感ですが。やはり「知り合いのツテ」は相手の会社からしても良いことらしい。(身元保証人的な効果がある気がする。)
最初にも書いたけど自分は転職回数が多いので、普通に応募すると書類で足切りされたりして困ったことがある。
あまり関わったことのない人だと得意領域を誤解されたりしていた。
知人の紹介とは言え、最初に得意な技術などを公開してから声を掛けるべきだった。
声を掛けてもらったのに話が噛み合わず…、といった感じで、事前にちゃんと伝えれいれば回避できたことなので、相手に無駄な時間を取らせて悪いことをしてしまった。
当たり前と言えば当たり前だけど。
複数の方から声を掛けてもらったけど、最終的に行く会社は一社。残りの会社はお断りしないといけない。
面接で落ちればお互いに「申し訳ないけど縁がなかった」で済むけど、寧ろ良い感じに話しが進んだ時に心苦しい。
内定をいただいた後に、「申し訳ないですが他社に行きます」というのは結構辛い。(幸い、みんな「残念ですが分かりました」と優しく言ってくれました。)
公開範囲を絞ったのに、何故か社内の数人にバレていた。巡り巡って話が回ったんだと思うけど。
まあSNSの公開範囲をあまり信用しない方が良い。(今回のことに限らず。)
ということで、バレたら本当にヤバイ会社の人には、あまりオススメはしないです。
そもそも論にはなるけど、SNSで繋がっている同業界の知り合いが多かったのが良かったのかもしれない。
結果的には、やってとても良かった。状況にも寄りますが、オススメではあります。
同じようなことを考えている人の参考になれば。
学校というのは大きく二つに分かれる。受験を意識して合格率のために勉強させる学校と、受験後を意識して勉強させてたらそれに合わせた偏差値になって合格率が決まる学校だ。
いやいや、教員ごとにスタンス変わるでしょ、という指摘もごもっともだが、みんなが思ってる以上に経営層の立場や影響力は強い。外面では自分で学ぶ姿勢を、とか、世界に通じる教養を、と言いながら、内側には合格率や有名大学合格者数をあげてほしい、と圧力をかけくる。その結果、ないがしろにされるのは教養科目と呼ばれる受験外教科だ。
特に受験に使われる英語と数学の時間を増やすためにいろんな受験外教科が弾圧にあっているという話を聞く。学校の授業数のページには指導要領と同等の時間と書いてあるのに蓋を開けてみると音楽の時間が少ないとか家庭科の時間が少ないとかという話はままある。
音楽は歴史を知るために必要だし、音楽の素養はソーシャルクラスの高い人たちと話すための大事なコードとなる。
家庭科も化学と社会を融合したような教科なので、生活知と科学知を結ぶ大事な科目であるはずだ。体育や情報もそうだけど、体育は部活の指導なんかと関連して部活の実績は広報に使われるので待遇が悪くなることはあまりないだろう。
これらの授業時間を削ったり、教員を非常勤講師で補うと、当然授業外でのケアや環境整備などが十分行き届かず、教員も短絡的な実践しかできない。
当然教師の雇用をないがしろにしているような学校は、生徒の面倒も教師の善意に任されるし、学年が上がるにつれてだんだんないがしろにされていく。
手のかかる子を放置するような話ならいいのだけれど、受験前なのに手の施しようのない生徒は、人件費の問題からがっつり切り捨てるという選択をせざるをえない。
私立に行かせている保護者友達も、私立に通わせることができる親同士子供同士の友達を作る以外にメリットがない、という話をよくするし、大学入学率が高い私学でも、合格率のための学校であれば、勉強嫌いに育つ確率が高いので大学に入った後ろくに勉強もせず、仕事を始めても指示待ち人間の使えない大人になってしまい、うまく会社と折り合わず鬱になる可能性も高い。というかそういう人間もたくさん見てきた。
そういった事実や状況が教育業界や痛い目を見た保護者の一部でしか共有されていないことに恐怖を感じる。
では具体的にそうしたネグレクトする学校をどうやって見抜けば良いか。教養科目の時間や内容が充実していることをホームページに掲載している学校はよい。
教養科目をないがしろにしている学校は教員をないがしろにしているので離職率や非常勤教師の回転率が高い。
例えばここ。
http://www.shigaku.or.jp/employ/recruit.html
もちろん募集人数の規模の違いもあるが、見ての通り受験教科と受験外教科の教員募集ががっつり差別されて掲載されている。
今年はちょうど非正規雇用5年ルールの4年目で、2018年4月から無期雇用の申し込みができるとのことで、非常勤講師の雇い止めも多く発生しており、代わりを募集している学校も多いはずだ。
公立学校の非正規雇用が都道府県にもよるがだいたい10〜14パーセント(過去の数値なので今はちょっとズレてるかも)なのに対して私立は2〜30%にも及ぶと聞く。
教員を雇用的にネグレクトしている学校が生徒をネグレクトしない確率は多分いたって低い。学校を偏差値で決めるのも良いが、あなたが受験させようとしている学校のホームページや採用情報ページで、非常勤をたくさん募集している学校は、受験を控えたほうがいいかもしれない。
学校の指導が悪いと、落ちこぼれる必要がなかった児童生徒もどんどん腐っていってしまう。それなら公立校のほうが手厚くケアしてもらえたんじゃないか、活躍できたんじゃないかと転校させて成功した保護者もたくさんいる。私立で成績が落ちこぼれでも公立だとできる方、という相対的な評価はよくある。相対的に低いだけなのに劣等感にさいなまれ続けた若い子がどうなるか想像してほしい。
18・19歳、自民に4割傾く 立憲民主は高齢層支持多く:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22561000S7A021C1EA2000/
日経の記事が話題になっていて思い出した選挙前のラジオですが、若者の保守化論に関して是非とも紹介したい内容なので途中からですが文字に起こしました。
https://youtu.be/l7_mlqvCB8s?t=15m11s
北田「安倍内閣の支持率が東大生で高いっていう記事が流れてきて、実際そうなんですけど。上がってるんですよ昔より。東大生は強いものに巻かれるんだなって左派的な人から批判があったんだけど、同時に他の大学と比べてみて一般的にどうかっていうと若者全般がそうである。どっかの調査でもありましたけど若者自身が保守化していると言えるのか、現状の閉塞感みたいなものに関して安倍さんの方を革新と見ている可能性がある」
宮崎「読売新聞に早稲田大学の研究所と一緒にやった世論調査があって、50代まで(50代以上の意)は共産党を革新だリベラルだと評価するんだけど50代を境にして(下の世代は)一転して保守的だと共産党を。じゃあ(下の世代にとって)一体何がリベラルかって言うと維新が1番リベラル」
北田「そうなんですよー」
宮崎「維新のイメージって50代を境にして(50代以上からは)保守だと見なされてしまうと。これが典型的に表れているようにリベラルと保守っていう言い方っていうのが世代で違っている。特に50代を境にして全然違っているということになるんですね」
北田「50代までは恐らく冷戦までは通用したような右左とかタカ派ハト派の論理で政党名と繋ぎ止めているんですけど、40代から怪しくなり始めてもう20代30代になると大きく変わってきてしまっている。この状況を踏まえないと従来型の左右というかリベラル、保守という分け方もそろそろ賞味期限というか少し組み替えないといけないんじゃないかと思うんですが、少なくとも左右の対立項が大きくイメージが変わってるのは確かなんですよね」
宮崎「うん」
北田「宮崎さんがおっしゃって頂いたやつは今の中央公論の最新号で高知大学の遠藤先生たちによる『世論調査にみる世代間断絶』っていうのがあるんですけど、今みたいなお話がでています。19歳から29歳は日本維新の会を1番リベラルだと思っていると。先行世代からはなかなか不思議な構図に見える。そのあとも面白い研究をされていて本来であれば社会学者がちゃんとやるべきことなんですが、安全保障、社会的平等、ジェンダーの質問項目を元にどういう軸が区別の指標になっているか因子分析っていう手法でやってるんですけど、そこに3つ出てて安全保障の軸、社会的価値観(女性の社会進出、差別)、第3に税金負担の軽減とか自国利益の強調とか経済的な側面というか自国のあり方のような・・・」
北田「この3つの軸を出されて研究されているんですが、これが綺麗に当てはまらないんですよね。民進党なら民進党とか自民党なら自民党とかパッケージに対応してなくて。経済とか社会的なところで凄く我々から見ればリベラルな態度をとっている若者が、安全保障では我々から見るとタカ派的なことを言っている。どちらも共通してたぶん現状を変えていくというような意識では一貫しているんだと思うんですね。これ分析する側が旧来型の軸に頼っているようではおそらく民意をつかめないのではないか」
宮崎「遠藤さんが取り上げているか分からないけれど、同じ調査の中で50代以下の人に政党イメージについて改革に積極的か消極的か問うているわけよ。1番改革に積極的だと評価されたのがなんと自民党。次が維新。あとの政党っていうのは改革に対して消極的であるという評価。つまり私より下の世代、50代より下の人たちが何に着目してリベラルと保守と言ってるかというと経済体制の改革っていうのが積極的かどうかが鍵になっていると思うのよ。それがなぜそうなるのかというと、20年も続いたデフレ。先輩たちが就職難で就職氷河期で喘いできたのを見てやっと自民党が変えてくれたという実感に根ざしたものではないかという気がするんですけどね。どうですか」
北田「間違いないと思います。民主党の岡田代表だった時代にリベラル懇話会という形で・・・」
北田「今でもです。勉強会みたいなものを何度かやらせて頂いたんですが、その時に簡単な世論調査をしても安保法制で盛り上がる前くらいから分析してても民意は明らかに経済を重視していて、政党支持率と経済政策の推進というのは関係が強いんですよね。一貫してそうなのに何で今ここでアベノミクスを超えるアベノミクスをやるって言わないの?っていう」
宮崎「アベノミクス内部で考えても消費増税はマイナスだったし2013年以降は第2の矢っていうのはちゃんとやってないわけ。GDP比で財政を考えても明らかに緊縮財政になってる。ここを突いてこんなんじゃ駄目だって言うのこそがリベラルだろって私はずーっと言っていて。リベラル懇話会の経済政策提言の中にもそのことが書かれているのに何でリベラルはこれを受け入れないの?」
北田「そこが本当に私も分からないというか。安倍政権のパッケージングとか安保法制とか・・・」
宮崎「そういうのを全部評価するとかまったくなくて、少なくとも第1の矢と第2の矢を評価して第3の矢に成長戦略ではなくて再分配政策をもっと多様化政策を持ってくるべきだ」
北田「アベノミクスを超える財政出動をするぞっていうような、金融緩和についてはあるジゲン(次元?)を設けて消費税についても上げるなんて問答無用な話でそういうジゲン(次元?)をつけて考えていく。再分配の仕方を再考していくっていうのがイギリスでいうとねコービンとか、ポデモスとか世界標準的な左派の普通になってるハズなんですよ」
宮崎「金の問題も重要なんだけどそれは単純に金の問題じゃなくて、そうやって人々の所得が増えていくことによって貧困率だって下がっていくし人間の生き方の多様性、可能性、ケイパビリティ・アプローチですよ。アマルティア・センが言う。それを増やしていくことがリベラルの理念に適っているんだっていう。何でコレが日本では通用しないの」
北田「それを私も聞きたいっていう。あまりにも安倍さんとの対抗軸を立てたいっていうのか強いのか、民進党のDNAの中に刻み込まれているのかどうか知りませんけど、少なくともやるべきことというのは緊縮の話ではないし、アベノミクス全批判ではないハズですよね。政治家だけだったら敵味方の論理で話が分からないでもないんですが、論壇とかに出てるような左派とかリベラルっていう人たちが経済っていう問題を軽く見ている感じというか、経済の問題をを考えなくても他の部分こそが大切なんだっていう。もちろん大切なんですけど、経済の問題が宮崎さんがおっしゃったように人々の可能性とか潜在能力みたいなものの平等を図っていく上で重要な要素であることは間違いない」
宮崎「あなたがね『現代ニッポン論壇事情』の緒言の部分で言ってることがさ、経世済民は思想にして卑しい事柄でも何でもなく自由権と社会権という基本的な人権に関わる重要な社会的行為なのだと。これは本当にリベラルと自認していらっしゃる政治家や言論人に拳拳服膺してもらいたい」
アナウンサー「リベラルの偉い学者さんとかそういう方々は武士は食わねど高楊枝じゃないですけど・・・」
宮崎「食えてるんですよ。あの世代の人たちは食えちゃってるんだよ。豊かさは限界だろうとかさ」
宮崎「そう江戸時代に戻れとかさ。ほんっとに無責任なこと方言するわけ」
北田「でも若い人は絶望してなくて経済指標がよくなったら嬉しいし雇用状況が良くなれば満足度があがっていっていて、それなりに彼らなりに合理的に見ているわけですよ。成熟してこんな成長いらないとか思ってるのは正直な話、若者じゃないんですよね」
北田「バブルでおいしい思いをしてバブルへの絶望みたいのが過度な形で出てるような気はしますけどね」
宮崎「それもあるでしょうね。でも彼らはバブルの受益者だったわけじゃん」
北田「そうそう受益者で、だからこそ割れた時の記憶が強烈なんでしょうけど、だけど、それを20年間散々下の世代が味わってきたわけだから逃げ切りは私は許されないと思います。それと団塊の中でも逃げ切れるの一部ですよ。だから社会保障の問題が重要になってきて財源論だって色んなところで議論が出てるわけ。逃げ切れる成熟しましょうなんていうことは正直申し訳ないけども呑気な話だと僕は思います」
北田「だーれも言ってない」
宮崎「でも2~3%のパイを増やす政策を取らなければだんだん縮小均衡になって1番割を食うのは若い世代。弱者。この人達ですよ」
北田「だから僕は成熟社会論というのは冷たい冷徹な思考だと思いますよ」
宮崎「でもこれがイギリスのギデンズが唱えた第3の道とかさ・・・」
宮崎「だから左派版、新自由主義でしょ。そういうのと一緒に上の世代の人たちの・・・固有名上げるなら民進党の前原さんの頭にね固着しちゃってるんだよ」
北田「前原さん聞いてるなら経済だけどうにか考え直して頂けないでしょうかっていう気持ちが。僕は枝野さんに心配していたんですが、枝野さんがこういうこと言うんだって。ブレイディみかこさんと松尾匡さんと対談している時にニュースが入ってきて、枝野さんがこんなこと言っている!って衝撃を受けて」
宮崎「賃金を上げるために赤字国債発行するとかさ、ここでは私は枝野支持です」
北田「僕もびっくりしましたよ。それが一番求められていることであり、簡単な思考で言うと経済を椅子の数が決まったゲームと考えずに成長していくことによって維持できるっていう、そういうシステムだってことを考えないと公正性とか格差の問題も広がっていくだけと思いますね。だからこれはリベラルというよりソーシャルと言った方がいいかもしれませんね。ヨーロッパ型のソーシャル」
宮崎「ソーシャルって話をすると、もう少し先の話。フォワード・ルッキングしないといけないと思うので言うと、井上智洋って知ってる?マクロ経済学者。汎用AIが開発されて簡単に言うと色んな産業分野に汎用AIと汎用ロボットが広がっていって失業がどんどん増えていくと。そのとき何が必要かというと、経済構造っていうのは消費の部分がなければ成り立たないでしょう。消費っていうものを担保するためには所得を与えないといけない。でも失業してしまったりどんどん賃金が下がっていけば当然消費も縮退していくわけ。それを補填するためにベーシックインカムは必要だと。汎用AIができるかは別にして産業部門で色々使われることによって人減らしがどんどん起こっていくということはほぼ間違いないですよ。その時にどう対処すべきかっていうことを、今この経済政策で、生物学の前適応じゃないけどもやってるような気がするの。今の長期停滞に対処するのならその政策の延長線上でその状況にも対処できる。その観点から言うと消費税って駄目だと思うんだけどな」
北田「だめだめだめだめだめだめ。少なくとも今は駄目で、経済を社会の中でどう位置づけるのかっていうのを考えないといけなくて。公正かどうかっていう比較分析は社会学は得意なんですけど、財源どこかとか国債どうする金融政策どうとかそこがないんですよね。不平等を見つけるのは上手いんだけど、それをどうやったら直せるかって言うと財政を均衡させるしかないって話になっちゃう」
ついにあのメンヘラネトウヨかまってちゃん芸人がはてなからいなくなってくれるらしいぜ!!!!
>僕にとって、はてなでブログ書かなくなるってことは、日本的で保守的な世界に抵抗しないで、そこから逃げながら生きていくことを決めるってことだから…戦って死なない代わりに、逃げられなくなったらいつでも自殺するってことだからなぁ…。
https://twitter.com/tm2501/status/921778252066078721
いやあ彼の批判逃れのために捻じ込まれてる建て前と言い訳ばかりの文章にイライラしてたんだよね
でもこれで目にしなくて済むと思うと非常に心穏やかな気持ちになれるわ
最近ブクマ取れないのも全部はてなのせいで自分の記事の質は落ちてないとのことらしいので
彼にはよそのところで遺憾無く実力を発揮して頑張っていってほしいものだすね
>最近の記事も(質はそんな落ちてないどころか、上がってるはずなのに)あんまブクマ取れてなくて、ソーシャル的な強さをFBやTwitterに移転してるから多分、ブクマ分を失ってSEO取りに行った方がプラスになると思う。
一応ソーシャルうたってるわけだし、今のはあってもいいけど、それとは別に無言ブクマのみを対象にしたホットエントリが欲しい。
というのも、今のホットエントリに入るのはコメントがあるのばかりで、そのコメントはたいてい記事に愚痴ってるのとか価値のないものばかり。
役に立つ情報は本来の意味でのブクマとしてタグはついててもコメントはなしのものが多い。
コメントに「良かった」「役立つ」みたいのポジティブな意味が含まれる場合があるけど、コメントの意味まで解析して、なんて複雑なことしなくても価値のあるページだと無言ブクマ数も増えるから困らないと思う。
ここ数年の価値のないコメントの多さでホットエントリがろくな物じゃなくなってるので、ブックマークする価値のあるページを見つけるページがほしい。
左派リベラル(ソーシャル)=政府の介入によってこそ自由は達成される
で、多くの人が勘違いしてるのが、ネオリベラルは弱者を見捨てる思想だということ。
そうではなくて「民間による福祉」という前提があってこその政府による福祉の否定だということ。
それに対して、左派は政府の介入なくして平等で自由な社会は達成できないという意味でネオリベラルを批判しているってこと。
ネオリベラルの論者当人は「弱者を見捨てる思想」だとは考えていないということ。
すなわち、ネオリベラルは政府がやらなくても人々は自発的に弱者を助けるものだという性善説に立っているということ。
左派から見れば右派のリベラルの主張は右派リベラルの言うようには上手く機能せず
結果的に弱者を見捨てることになってしまうから、「弱者を見捨てる思想」だと批判するのだということ。
よって「弱者がどうなっても構わない」と考える思想はネオリベラルではないということ。
どうもジェネレーションYの者です。
ジェネレーションYとは2000年代に成人を迎えた世代。1980年から1990年までの生まれの人間です。
ゆとり世代ではないですが、半ドンから週休二日に移行するころに生きていたのが私です。
そんなちょっと上の世代から、1990年以降生まれのジェネレーションZ世代に向けて悪態をつきたい気分なので書きます。
ジェネレーションZ世代とは、完全なるインターネットネイティブである。それゆえ現代では、ソーシャルネットワークを使って連絡する世代だと言われています。
他にも、小学校時代にflash全盛期、中学校でニコニコ全盛期、高校でアニメ最盛期。そしてソシャゲの全盛期を迎えて、インターネットを謳歌している世代だと言われています。
非正規雇用も前の世代同様多いんだろうな。俺はこいつらが嫌いだ。
なぜ一方的に敵視するのか?それはこいつらは金を回さない糞野郎だと俺は知っているからだ。
インターネット最盛期を生きた。それはいい事なんだろう。テクノロジーの進歩とともに生きている。それはいいことだ。
まず、学校裏サイト。このニュースが出始めたのは2007年ころだろうか?ちょうどジェネレーションZが小学校の頃だ。
こいつらはソーシャルネットを駆使しているというが、結局の所は学校裏サイトで培った性根の卑しいコミュニケーションが基礎になっているんだろう。
サブ垢、裏垢なんてのを使いこなしていそうだ。まったくもってかわいげのない糞野郎だ。インターネットネイティブが聞いてあきれる。
インターネットネイティブを名乗るなら。匿名もしくはペンネームのアカウント一本で男らしくいくべきだ。
裏垢、サブ垢なんてズルズルベッタンコ!女みたいな卑しい根性をした野郎共だ。
この頃社会問題になったニュースをもう一つ憶えているだろうか?そう、マジコンだ。
小学生にマジコンが大ブームになり、親が子供にマジコンを買い与えることが問題にもなった。
もうジェネレーションZは趣味にお金を使う世代ではないのだ。きっと、漫画だってフリーブックスで読んでいるんだろう。
なぜならソシャゲ以外の娯楽にお金を使うということを憶えてこなかった世代である。まったくもって貧しい世代だ。
最近問題になっている焼き肉屋で晩御飯。居酒屋で晩御飯という非常識な真似をするのもこの世代なんだろう。
まったく。浪費と消費の違いも分かっていない貧乏ったらしい、糞みたいなやつらだ。
やあ。通りがかりの名探偵だ。なぜけものフレンズは死ななければならなかったのか?誰が殺したのか?動機は?君たちにもわかるように解説してあげよう。
まず、前提を整理しよう。
これだけだ。2点目は、要するに吉崎観音逆恨み説や、カドカワ内部対立説は除外する、ということだ。公開情報からは、常識外れの愚か者の存在はうかがわれないしね。これを崩せばどのような荒唐無稽なストーリーも成立するが、今回はその可能性は考慮しない。オッカムの剃刀、というやつだね。
ということだ。この場合の「情報共有」ということの内容は曖昧だが、よく言われている、3Dモデルの共有説については除外してよいだろう。3Dモデルの共有というのは、要するにヤオヨロズの関与を減らす、ということだが、たつき監督の重要性はプロジェクトに共有されていたはずで、カドカワ/制作委員会にも、ヤオヨロズにも、ヤオヨロズの関与を減らすことに合理的な理由は見いだせない。
では、たつき監督にとって降板を考慮するほどに共有したくない情報、というのは何だろうか?殺害前にも、制作委員会とたつき監督の不和を示唆する事件はあった。テレビ東京関係者が不快感を示していた、12.1話の作成と承認に関する情報共有だ。ここ増田にも、監督が勝手に公開することで、プロモーション全体の計画に悪影響が出ると怒っている記事もあったね。
さて、いよいよ核心に近づいてきた。なぜ、たつき監督は、情報共有を拒んだのか?ここで、たつき監督が成し遂げたことを改めて評価する必要がある。彼は「声優以外のすべて」を担いアニメを成功させた、と言われているが、それは彼の成し遂げたことの本質とは何も関係がない。けものフレンズアニメが特別なのは、一人で作ったからではない。アニメの質が高かったからでもない。作画、宣伝予算、原作、声優等の標準的なアニメの評価軸で評価すれば、けものフレンズはせいぜい中の下だ。けものフレンズは、ソーシャルで盛り上がり、社会現象になったから、特別なのだ。たつき監督や福原Pとファンとのコミュニケーションが奇跡的にうまくいったから、特別なのだ。
これで、情報共有を拒み、降板に至ったたつき監督の動機が見えてくる。彼が作りたかったのは、けものフレンズアニメによって作られるファンとフレンズのやさしい空間なのだ。ファンとのコミュニケーションをとるために製作委員会に確認するような組織では、その空間は作れない。制作委員会は、彼らなりにたつき監督に残ってもらうよう交渉をしたに違いない。でも、たつき監督が求めるような、フリーハンドのファンとの直接コミュニケーションは、どうしても認められなかったんだろう。原案吉崎観音である、けものフレンズプロジェクトには、たつき監督の希望するやさしい空間を作る余地はなかったのかもしれない。
まとめよう。けものフレンズは、制作委員会との見解の相違から、よいものを作れないと判断したたつき監督により、殺された。監督のツイッターにより引導を渡される、というのは、実に本事件の本質を表しているではないか。
丁寧に反応していただいて恐縮です。
わたしは「神の見えざる手がこの世の多くを解決するはず」という立場です。やや急進的なのは自覚しています。
ただ、ソーシャルでの言及数も、タイトルへの好感度も、たつき氏への好感度も、市場の神の視点では最終的にお金に換算されます。
また、お金を得る主体はシンプルに「けものフレンズプロジェクトA」(KFPA)と考えてもいいとは思うのですが、本質的には「人類にとっての経済効果」を想定しています。なので、KFPAが利益を取りこぼして、そのぶんファンに利益が偏っても、一事例としてはかまわないと考えています。もちろん巨視的には、KFPAの企業努力によってうまくファンと利益を分かち合えるようになるのが理想ですし、そのように努力すべきだとも思いますし、市場の神はその努力に報いてくれるはずです。
『製作委員会、KADOKAWA側には、「もっと交渉を続けたい」意思があったのでは』というのは、合理的には、当然そうだろうと思います。わたしのような考えに立てば、交渉を妥結させた方が、ファンもKFPAもヤオヨロズも共に利益を得るからです。
KFPAは、最大限の譲歩である「(制作を辞退されるという最悪の事態を避けるためなら)12.1話でもなんでも自由にしていいよ」という切り札を当然持っていたにもかかわらず、それを切らなかったことが、シンプルに罪だと言えます。
この譲歩は、「2度目の期待値が差し引きマイナス」であってもなお、たつき監督に制作を下りられるよりはずっとマシな切り札だったはずですが、差し引きプラスだと考えていたファンにとっては、なおのこと切って当然の切り札だったと言えるでしょう。
この切り札を切った上で、ヤオヨロズがそれ以上の要求(制作費を10倍にしろなど)をしたのであれば、そこで初めて、ヤオヨロズの要求が妥当かどうかが問われるべきですが、ヤオヨロズ側が現状以上のものを要求したという話は聞こえてきませんね。
また実際には、「完全になんでも自由」よりは、ほんのわずかでもKFPAに有利な交渉の妥協点もあったはずです。
2度目の期待値をマイナスにさせうる要因のひとつとしての「進行中の企画を修正したり、といった調整」についてですが、調整を軽減する余地はあったかもしれません。
それこそ12.1話がたつき監督の不意打ちだったとしても、思いついたのが最終12話の放送終了後なんてことはないでしょうから、十分かどうかはさておき、より早い時期に「相談」ならぬ「予告」するくらいのことはできたでしょう。その予告相手も、より幅広く選ぶ余地があったかもしれません。予告の言い方や態度も、腰を低くする余地があった可能性もあります。もちろん、予告ではなく相談であればなおよいでしょうが、そこは失われるスピード(=価値)と冷静に天秤にかけられるべきです。
それでもなお残った調整作業によるマイナスは、12.1話の生み出す大きな価値の前には、甘んじて受け入れるべし、なのだと思います。
読みました。
「2度目の期待値」ですが、これは何を指標に計ろうとされているものですか?
お金?ソーシャルでの言及数?タイトルへの好感度?たつき氏への好感度?
それから、当然予想された「たつき降板によって被るマイナス」ですが、
製作委員会側も、それを予想できないほど、彼らは無能ではないです。
できる限りたつき氏に自由にやらせてあげたい、、、とはいえ権利が絡むので、
「内容」ではなく「発信のタイミング」で調整しようとヤオヨロズ側と交渉していたつもりが、
不用意にたつき氏に「制作をオリる」話が伝わってしまい、発信されてしまった印象です。
(あくまで印象なので、だから、ヤオヨロズからのリリースを待ちたいと書いています)
製作委員会、KADOKAWA側には、「もっと交渉を続けたい」意思があったのではと思えますが、
いかがでしょうか?
蛇足に関して。
二次創作はグレーゾーンどころではなく作品にとってプラスのものである、と仰られていますが、
これは缶バッジやアクキーなどのグッズなどを除き、基本的にはその通りでしょう。
けれど、それはあくまでファンからの受け止められ方が「二次創作」だった場合です。
たつき氏が作ってしまうと、それは「二次創作作品」としての受け止められ方はされず、
「公式が出した物」としての受け止められ方をするため、
たった3000円でレス乞食できるんだぜ?
たとえばツイッターで爆死ガチャ画像アップすれば普段は0~10いいね程度の奴でも20いいねとか簡単に入ってる。
凄いよ。
なんだこれ。
月に一回遭遇できるかどうかの面白風景を目ざとく見つけて写真を取ってもウケが悪けりゃ5いいねとかで終わる。
それなのに爆死ガチャや大成功ガチャはあっさり20いいねとか稼いでくる。
化物じみてるぜ。
ソーシャルに特化したゲームの最大の課金要素ってだけの事はあるな。
そりゃ皆ガチャ回すよ。
キャラが欲しいからって理由よりも、キャラを手に入れる過程をネタにして皆に注目されてる錯覚を味わうためにガチャを回すだろう。
フェイスブックやテレビが勝ち組や友情を連呼し続けて飢えに飢えさせた承認を安易に満たすためのジャンクフードの販売、そりゃ儲かるぜ。
まじな話をすると、N予備校のプログラミング入門コースやるのがオススメ。
一日8時間勉強時間があるなら、だいたい一ヶ月で終わる内容。
月額1000円だけどしっかり勉強すれば一ヶ月の無料期間中に終わると思う。
もともとN高等学校のノンプログラマーの生徒をWebエンジニアとして就職させるために作られたカリキュラムで講師曰く去年はこれで二人エンジニア就職を決めたらしい。
内容も相当親切に説明していて、プログラミングで何か作るだけじゃなくて、就職に必要な環境構築やセキュリティまでみっちりやる。
で講師が書いてる入門コースで習うことがまとめ。テキスト教材もあるけど授業も1項目を2時間で説明している。授業は週2の生放送とそのアーカイブがある。
↓みたいなことが学べる
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Web ブラウザとは (Chrome, デベロッパーコンソール, alert)
はじめてのHTML (VSCode, HTML, Emmet)
さまざまなHTMLタグ (h, p, a, img, ul, tableタグ)
HTMLで作る自己紹介ページ (HTMLタグ組み合わせ, コンテンツ埋め込み)
はじめてのJavaScript (JS, ES6, エラー)
JavaScriptでの計算 (値, 算術演算子, 変数, 代入)
JavaScriptで論理を扱う (論理値, 論理積, 論理和, 否定, 比較演算子, if)
JavaScriptのループ (ループ, for)
JavaScriptのコレクション (コレクション, 配列, 添字, undefined)
JavaScriptの関数 (関数, 関数宣言, 引数, 戻り値, 関数呼び出し, 再帰)
JavaScriptのオブジェクト (オブジェクト, モデリング, プロパティ, 要件定義)
はじめてのCSS (CSS, セレクタ, background-color, border)
CSSを使ったプログラミング (transform, id, class)
Webページの企画とデザイン (企画, 要件定義, モックアップ, 16進数カラーコード)
診断機能の開発 (const, let, JSDoc, インタフェース, 正規表現, テストコード)
診断機能の組込み (div, 無名関数, アロー関数, ガード句, truthy, falsy)
ツイート機能の開発 (リバースエンジニアリング, URI, URL, URIエンコード)
LinuxというOS (VirtualBox, Vagrant, Ubuntuのインストール, OS, CUIの大切さ)
コンピューターの構成要素 (ノイマン型コンピューター, プロセス, lshw, man, ps, dfの使い方)
ファイル操作 (pwd, ls, cd, mkdir, rm, cp, mv, find, ホストマシンとの共有ディレクトリ)
標準出力 (標準入力、標準出力、標準エラー出力、パイプ、grep)
vi (vimtutor)
シェルプログラミング (シバン, echo, read, 変数, if)
通信とネットワーク (パケット, tcpdump, IPアドレス, TCP, ルーター, ping)
サーバーとクライアント (tmux, nc, telnet)
HTTP通信 (http, https, DNS, hostsファイル, ポートフォワーディング)
GitHubでウェブサイトの公開 (GitHub, リポジトリ, fork, commit, 情報モラル)
イシュー管理とWikiによるドキュメント作成 (Issues, Wiki)
GitとGitHubと連携 (git, ssh, clone, pull)
GitHubへのpush (init, add, status, インデックス, commit, push, tag)
Gitのブランチ (branch, checkout, merge, gh-pages)
Node.js (Node.js, nodebrew, Linux, REPL, コマンドライン引数, プルリク課題)
集計処理を行うプログラム (集計, 人口動態CSV, Stream, for-of, 連想配列Map, map関数)
アルゴリズムの改善 (アルゴリズム, フィボナッチ数列, 再帰, time, プロファイル, nodegrind, O記法, メモ化)
ライブラリ (ライブラリ, パッケージマネージャー, npm)
Slackのボット開発 (slack, mention, bot)
HubotとSlackアダプタ (hubot, yo)
モジュール化された処理 CRUD, オブジェクトライフサイクル, filter)
ボットインタフェースとの連携 (モジュールのつなぎ込み, trim, join)
同期I/Oと非同期I/O (同期I/O, 非同期I/O, ブロッキング)
例外処理 (try, catch, finally, throw)
HTTPサーバー (Web, TCPとUDP, Webサーバーの仕組み, Node.jsのイベントループ, リスナー)
HTTPのメソッド (メソッド, GET, POST, PUT, DELETE, CRUDとの対応)
HTMLのフォーム (フォームの仕組み, form, input)
HerokuでWebサービスを公開 (Webサービスの公開, heroku, dyno, toolbelt, login, create, logs)
認証で利用者を制限する (認証, Basic認証, Authorizationヘッダ, ステータスコード)
Cookie を使った秘密の匿名掲示板 (Cookie, Set-Cookie, expire)
UI、URI、モジュールの設計 (モジュール設計, フォームのメソッド制限, リダイレクト, 302)
フォームによる投稿機能の実装 (モジュール性, textarea, 303)
認証された投稿の一覧表示機能 (パスワードの平文管理の問題, 404, テンプレートのeach-in)
データベースへの保存機能の実装 (データベース, PostgreSQL, 主キー)
トラッキングCookieの実装 (トラッキング Cookie, IDの偽装, Cookie の削除)
削除機能の実装 (データベースを利用した削除処理, 認可, サーバーサイドでの認可)
管理者機能の実装 (Web サービスの管理責任, 管理者機能の重要性)
デザインの改善 (Bootstrap, レスポンシブデザイン, セキュリティの問題があるサイトを公開しない)
脆弱性 (脆弱性, 脆弱性で生まれる損失, 個人情報保護法, OS コマンド・インジェクション)
XSS脆弱性の対策 (XSS, 適切なエスケープ処理, リグレッション)
パスワードの脆弱性の対策(ハッシュ関数, メッセージダイジェスト, 不正アクセス禁止法, パスワードジェネレーター, 辞書攻撃)
セッション固定化攻撃脆弱性の対策 (セッション, セッション固定化攻撃, ハッシュ値による正当性チェック)
より強固なセッション管理 (推測しづらいセッション識別子, 秘密鍵)
安全なHerokuへの公開 (脆弱性に対する考え方, HTTPの廃止)
Webフレームワーク (Express.js, フレームワーク導入, 簡単なAPI, セキュリティアップデート, Cookie パーサー, ミドルウェア, 外部認証, ロガー)
ExpressのAPI (app, Properties, Request, Response, Router)
GitHubを使った外部認証 (Passport, OAuth)
テスティングフレームワーク (Mocha, レッド, グリーン, リファクタリング)
継続的インテグレーション (CircleCI)
クライアントのフレームワーク (Webpack, Chrome 以外のブラウザでもES6)
DOM操作のフレームワーク (jQuery, jQueryアニメーション, this)
AJAX (jQuery.ajax, クロスドメイン, 同一生成元ポリシー, x-requested-by, CORS)
WebSocket (WebSocket, WebSocketの状態遷移, Socket.io)
RDBとSQL (DDL, DCL, CREATE, DROP, INSERT, DELETE, UPDATE, WHERE)
テーブルの結合 (外部結合, 内部結合, 片側外部結合, JOIN ON)
インデックス (インデックス, 複合インデックス, Bツリー)
集計とソート (SUM, COUNT, ORDER BY, GROUP BY)
「予定調整くん」の設計 (要件定義、用語集、データモデル、URL設計、モジュール設計、MVC)
認証とRouterモジュールの実装 (Mocha, supertest, passport-stub, モックテスト)
予定とユーザーの保存 (セキュリティ要件, UUID, 複合主キー)
予定とユーザーの一覧の表示 (非同期処理, Promise, then)
出欠とコメントの表示 (入れ子の連想配列, Promise.all, 子どもからデータを消す)
中学生の頃、というか、昔から変わったことと言えば外見だけだと思っていて、それでも、周りには中身も変わったなんて言われたりする。
丸くなっただとか、話しやすくなっただとか…。
けれど、自分はそう思ってなんてなくて、これからどこに進むのかわからない、秋の入口。
夜空を見上げると、夏の星座はとっくに姿を消していて、こうやって季節は巡るのかと実感させられていく。
焦りもありつつ、でもどこか変わることを恐れて、踏み出せないままじたばたと足踏みをしている。
私の季節は、まだ夏の中だ。
夜の秋の風は、確かに私を包んでいく。
少し遠くに聞こえる電車の音は季節が変わっても相変わらずで、少しホッとする。あの電車の向かう先は何となく分かっているけれど、私は分からないふりをしている。
ぼうっと、温かなオレンジ色に変えられたデスクライトに照らされる白い壁は時間を忘れさせる雰囲気を持っている。この時間がこのまま続けば、迷うことも悩むことも落ち込むことも、いつまでも立ち止まっていることさえも、罪悪感に苛まれることなんてないのに。
そんな淡い願いを、携帯や録画機の時計表示が消し去っていく。今日ももうこんな時間で、そろそろ大半の人がまた明日のために眠りにつく時間。そんな時間にも関わらず、毎日毎日寝るわけでもなく、私はネットの海を徘徊していく。
…別に、こんなこと、心の底から楽しいと思ってやっているわけではない。
真夏に比べて涼しくなった外の空気を開けた窓から吸い込みながら、遠くで聞こえるパトカーのサイレンに耳を傾ける。
私がこうやって、なんの生産性もない時間を進めている最中でも、世界では生産的な行動を繰り返す人々で溢れている。この、私がどうしようもない時間を生きている間にも、ああやって仕事をして世界を回す人達がいる。
かつては、私もあちら側の人間だったかのように思う。少なくとも、高校を卒業するまでは勉学とアルバイトの両立でまあまあ忙しく、今より人間らしい生活をしていたように思う。
私は、今でも私自身に少しというか、かなり期待をしている。
もしかしたら、何かのきっかけがあれば、その過去の私よりも輝けるようになるのではないか…とか。
私はあまり好きなものを作れない。何にもハマれない事が多い。ハマったとしてもまあ、1年、2年くらいですぐに投げ出してしまう。だから何かを好きだと思っても、それは一時の感情にすぎないのだと思う。
でも、そんなことを言うと、私の周りの人は決まって言うことがある。
『でも、絵を描いているじゃない』
…絵なんて、ただ物心付いた頃から知らず知らずに描いていた、ただの習慣に過ぎない。別に暇だったら描くし、やれと言われればやるものだ。
働くことや勉強することと、絵を比べたら、絵のほうが百万倍マシだと私は思っている。
まあ確かに、働くことも勉強することも大切だし、それによって自分の視野が広がるなんて、ありきたりだがままあることだ。
だからといってそれを進んでやるのかと言われればまたそれは違う。
第一、私は自分が絵が得意だとか思ってもいないし、こうして文章を頭のなかで組み立てるのも人より長けているかと問われればそれはまた違うと思っている。上には上がいるのが世の中だ。
その世の中で戦おうなんて考えるほど、私は野蛮な人間ではない。競争社会なんて、生きづらくて息が詰まる。まるで、水の中というか、宇宙空間に何も装備せずに放り出された気分だ。宇宙なんて行ったことあるわけないけど。
普段の私が、何をして過ごしているかなんて結構たかが知れていて、午前中に起床することは最近はほぼないに等しい。気づいたらもう夕方に差し掛かる15時っていうパターンが多い。
起床してからPCに向かうか、スマホを覗き込んでいつも通りソーシャルネットの海に飛び込むか、そんなもんだ。
PCを起動させてからは、当たり前のようにここでもネットを開き、アニメを見るか、ある言語を勉強する。それか、絵描きソフトを立ち上げる。そして時々、PCのメモ帳を立ち上げて物語を文字に起こす。
そんなことをしながら過ごしているとあっという間に夜に差し掛かる。
ほとんど外に出ることのない私は、実は夜や夜中、散歩がてら涼しくなった外を歩くことが好きだ。しかし、最近はそんなことをしていない。心配性の人が心配してしまうから。
別に心配されることをウザイだとか、面倒だとかは特に思わない。むしろ母親にそんな感情を向けられたことがないに等しい私はそれが心地よかったりもする。
世界中の人が表面上、幸せに暮らしているように思わせていても、その中には必ず陰があると私は思っている。
道行く、笑いあっている家族や友人同士、夫婦、カップルでさえも、自分の人生全てを相手に伝えることは困難だろうし、自分がこんなことで辛かったことがあるだとか、今こんなことで少し悩んでるんだ、なんて素直に言えるのはきっとごく僅かだから。
陰が強ければ強いほど、光はその分、陰からは眩しく見える。
本当はわかっていることだ。内に篭っているばかりではなく、何らかの形で外に出る勇気を持つことだとか、人と心の底から笑い合うだとか…。
普通はみんな、そんなこととうの昔にやっていて、子供の頃になんの違和感もなくやっていて、私はそれに遅れているだけ。
別に恨んだりはしていない。今は。そりゃ昔は誰に対してかもわからない怒りを持つことは多かったと思う。それでもなかなか表立って何かアクションを起こすこともなかったかのように思う。
世の中には、こんな空っぽの私を素敵だと言ってくれる人もいる。その全てがお世辞だと分かっていながらも、私はちゃんと笑顔でありがとうを伝える。このやり取りに一体どんな生産性があるのだろうとか考えながら。
私は生産性というものにこだわりを持ちすぎているようにも思う。それは多分確信だ。思い過ごしなんかじゃない。
消費するだけの人間はいつか必ず淘汰される。この世から淘汰されることを望みながら、なのにその淘汰を恐れているのが紛れもなく私なのだ。
私は決して頭がいい方でもないし、かといってスポーツ万能ってわけでも、芸術に特化しているわけでもない。
平凡から外れた単なる落ちこぼれだと思っている。こんなことを言っていても、周りはやっぱり、そんなことないよ、と笑う。私はまたそれに、そうかな。ありがとう。と笑う。また、これに意味があるのかと考えながら。
ふと、頭のなかで文章が浮かんでくる瞬間がある。なんとなくスマホのメモ帳に書き留めて、それをどこに発表するでもなく、結局はメモ帳を埋めていくだけのただの文字列と化す。
勿体無い。
そんな言葉が頭の端っこで揺れながら、同じように何にも代わり栄えしない、消費しかしない日々を過ごす。
いっその事、みんな私のことをこの能無しだとか、ゴミだとか、罵ってくれたら楽なんじゃないかとも考える。それでも、実際にそんな場面になったらと思うと、また怖くなってそういった淘汰を恐れる。
結局のところ、私は何になりたいのかわからずに蹲ったまま、また今日を迎える。
何者にもなれない私は、何者かになれている人々を羨むだけなのだ。
コンサートなどのチケットを注文するためにローソンHMVやイープラスを見た。
上記のサイトはクレジットカード情報を取り扱っているため、TLS(HTTPS通信)を適用しているのだが、
DINOSは素晴らしい。EV証明書を使っている。それに加えて、常時HTTPS通信を行っている。
それに比べて、ローソンHMVやイープラスは通常の証明書を使っているし、
ローソンHMVはそれとなくシステム利用料をチケット1枚当たり108円課金してくるので許せないし、
イープラスはソーシャルログインに対応しているにもかかわらず、