はてなキーワード: 部活とは
家族にも先生にも不登校になった理由を何度も何度も聞かれました。
でも答えることは出来ませんでした。
小さな事の積み重なりでした。
私は自分で笑いをとりに行くことが好きで
結構体も張る方でした笑
すると周りもいじっていいみたいな空気になるので
いじられることが多かったのですが
そこそこいたのが嫌だった事
休む日が増えてしまった時にサークル(30分くらいの畑仕事でたまに食べ物が食べれる)で
(休んでない時以外は絶対行ってた)
部活がキツかったけど休めなかった事
(陸上部)
笑って流された事
何があったは聞かないからって先生に言われて行ったのに何時間も聞き出そうとした事
そんなイジメとはとれない小さな小さな出来事の積み重なりで私は学校に行かなくなりました。
不登校になっただけ
正直そのまま行ってたら爆発してとんでもないことに
なってた気がするから
今少しでも辛いと感じているのなら
休めばいいと思う
周りの理解を得れない人も居ると思う
そんな人はこっちから切った方が良いと思うけど
切れないのもすごく分かる
でも自分が少しでも楽になる方に動いて欲しい
それでいい
世間的には田舎と呼ばれる小さな地方都市で、長男として生まれた。
両親に加え、祖父母も一緒に住んでいて、広い庭のある家で、それが当たり前のようにして育った。
立派な庭だから、自分が手入れしてでも守りたいと、小学生の頃は思っていた。
だが中学、高校と上がるに連れ、部活だ勉強だと時間に追われ、いつしかそう思ったことを忘れるしかない自分がいた。
年に一度の、地元の祭もそうだ。この地に残って大人になったらあの場所に居るのだろうと、おっちゃん達を眺めながら思っていたのに。
中学の部活は、俺の地区の事情なんて知ったこっちゃない。高校じゃ尚更だった。
それでも合間を縫って参加してたのに、いつからか人が足りないからって他所の地区から来た奴らが多数派になってて、この土地に生まれたときから住んでるはずの俺のほうが疎外されてて、そして数年後にはその祭も無くなった。
変わらないでいてほしいと願った世界は脆くも崩れ去る、それを何度も感じながら、気づいたら大人になった。
しょせん、自分にはそれを守る力なんてなかったのだ。
中学高校の頃、都会に出ていきたがる奴らを、チャラい奴だと馬鹿にしてたくせに、結局自分も、仕事を理由に町を離れた。
そんな自分が悲しいと思う反面、子供の頃に思い描いた未来なんてないのだという諦めを受け入れないと、生きていけないと悟った。
創作されたものは、なんであんなに気持ちよいものと書いてあるのか謎
性行為がいつから創作物に登場したのか知らないけど、誰かが書き始めたということは気持ちが良い行為だと知った上で書いたんだよな
なんで現代では偏見なく性行為に対して知る機会が少ないんだろう
避妊や病気についてはもちろんだけど、男女お互いの生態なんかも知っておいた方がいいと思う
あと男女以外のLGBTも
派生してレスや浮気や子育てなど、学校で教えろとまでは思わないけどそれまで勉強や部活やバイトやそれ以外の活動してきた子供達が
18歳で成人を迎えて就職して働きだしてからエンカウントするイベントとしては重すぎるんじゃと思う
ここまで思ったけど仮に教えてもらったとして、実際に直面して耐えられるかどうかはわからん
それより、小さい頃から他人をいじめたり馬鹿にするようなことをしないでお互いを尊重するような思考ができるように教育するほうがいいんじゃないか
知識としてはもちろん覚えておくとして
学生のとき、高飛車で周囲から嫌われてる女が居たが特に気にせず普通に接していたら
俺がそいつのことを好きだと思い込んだのか私のこと好きだもんねと言ってきたり地味な女の告白させてくっ付けようとしてきて高飛車な女と地味な女と俺の三角関係を作ってみたりしててそいつの言動の意味がわからなかった
俺はその他にも接する女全員に同じ対応をしてたし誰も優先にしてなくて友好的な振る舞いをしてただけで何度か告白されたりしてた
背は平均より高く運動は出来て勉強も95-100点は毎回取れてて良くできていて学生生活は男とより女と話す回数の方が多かった
大体は休み時間にやることがないので前の授業の復習とその授業で出た宿題をしたりで勉強していると2、3人が机に寄ってきて話しかけられるから会話をしていたら窓際に立ってる男らはじっと見つめてくるだけで話しかけてこずコミュニケーションは取ることはなく、また別の時には他のクラスの男が乗り込んできて俺の女に手を出してきてんじゃねえぞと体育館裏に呼び出されたり(話しかけてきてたのは女の方からにも関わらずだ)部活の女の先輩らには「かわいー」と言われ時々隠して持ってきたお菓子をもらったりしていたり、修学旅行の罰ゲームで俺一人で夜に女らの部屋に行って1時間ほど布団でゴロゴロしながら雑談をしたり班の活動は一人だったので俺以外女だけの班で行動したりという状態で男の友人というものはいなかった
その頃は情緒が発達してなくてコンドームって何?って女に聞いてしまったりするぐらい情緒が発達してなかった。当然子供の作り方も知らなかった。
というかあれがモテ期だったんだろうか
そして、未だに男の友人は居ない
普通というのはあらゆる多数派の中に所属してきたということだ。
小中高大に進み、部活にも励み、恋愛も多くはないが経験をした。
THE・青春を味わってきた訳だ。
結婚を考える歳になってきた。
どれだけ考えても子ども育てる自信がない。
というよりはきっと可愛いであろう我が子に、こんな悩み苦しむことばかりな人間生活をさせなければいけないということがたまらなく嫌である。
その姿を見るのも嫌だ。産んでしまってごめんね、という気持ちになってしまいそう。
なにより世の親たちは子どもを作り(作ろうとしたのかできてしまったは関わらず)、いざ生まれて育てようと思う気持ちが本当にすごい。
でも育てるとなったら訳が違うだろう。
そして一生懸命育てた子どもが反抗しようものなら、私だったら冷静な対応はできない。
でも大多数が選ぶこの道には、とてつもなく大きい幸福な何かがあるのであろう。
私はそれに気づくときが来るのだろうか。
不意に思い出したどうでもいい話を書く。
高校生の時、パソコン部に所属していた。オープンキャンパスがあると、私の部活では体験に来た小学生(中高一貫だったので小学生が来る)の好きなキャラクターやら動物やらを聞き出してコピーし、ラミネートして渡していた。当時からネットから拾った画像をコピーして渡すのはグレーな気がしていたが、まあお金を受け取っているわけではないので目をつむっていた。
あるオーキャンの時に、題名のように言う小学生が現れた。私はアニメはほとんど見ないオタクではあるが、何のアニメが今期やっているかは知っていた。いや〜オタクじゃない後輩とかがこの子の担当してたらびっくりされただろうな〜、かく言う自分も驚いた、初対面の人に言いにくいアニメのタイトルをすっと言っちゃうのだもの。パソコン部の体験に来る子はオタクが比較的多い。今まででも東方とか初音ミクとかハイキューとか選ぶ子もいた。エロマンガ先生が好きって言った子には驚いたが、人に言うのが憚れるアニメを好きになっても、臆せず言える環境になったのは素晴らしいなとも思った。私の生まれた時代も別にオタクが迫害されるとかなかったが(むしろクラスの中心人物ほどアニメ漫画好きが多かった)、昔の価値観から変わっているのを目の当たりにするとちゃんと進歩するものだなあと感じる。
ちなみに、学校のパソコンなのでエロマンガ先生はセンシティブワードとして弾かれて当然何も画像が出なかった。AVとか出てきたら小学生のトラウマになりかねない……。あとコピーされた一番人気のキャラクターはすみっコぐらしでした。
この速度なら言える。
小学生から中学生にかけて似たような経験をしているので俺もしゃべってしまおう。
まず前提として俺は他人に命令されたら絶対に断れないタイプのか弱い男の子だったということを念頭に置いて読んで欲しい。
お前は氏ねと言われたら本当に氏ぬのかとよく親に怒られていた。
また子供の頃は自我というものがほとんどなく、あのおもちゃが欲しいと初めて言ったときは親にすごく喜ばれたと聞いた。
女の子みたいな体だったという自覚はないが中学のときに女子の先輩に体を入れ替わって欲しいと何人かに言われたことがある。
前提はここまでだ。
それでは始めよう。
小学1年の頃
プールで着替えるとき一緒に行った近所のお姉さんに連れられて女子更衣室で着替えさせられるが、服を脱いだのになかなか海水パンツを渡してもらえないという意地悪をされ周りの人にずっとちんちんを見られ続けるという羞恥プレイをさせられる。
周りの人は助けてくれるわけでもなく興味深い目でじろじろと見られていたのを覚えている。
小学2年の頃
クラスでスカートめくりと抱き付きが流行り先生に盛大に俺だけ怒られ1日女装させられる。よく考えたら他の先生が誰も止めなかったというのはどうなのか。
授業中にお漏らしをして羞恥プレイを自爆する。これは自分が行かなかったのが悪いのである意味仕方ない。
小学3年の頃
親の知人宅に預けられたとき1年から6年生くらいのその家と近所の女の子たちと男俺ひとりで脱衣カードゲームをしたが、自分が弱かったのかハメられたのか自分だけ全裸にされ大人たちが帰って来るまでずっとそのままの格好で家で遊ぶという羞恥プレイをさせられる。
トイレに行くときも年上の女の子が付いてきてトイレットペーパーで拭いてくれたのを覚えている。
また別の家では年下の男の子に服を脱ぐように命令されてそのままの格好で住宅街を通って近所の児童公園に連れて行かれるが偶然誰にも会わなかったため事件にはならなかった。
家族と海水浴で横になって砂に埋められるという遊びをしていたとき、偶然居合わせたクラスの女子二人が来て一緒に俺を埋めてくれていたのだが、途中で海水パンツの中に手を入れてちんちんを触りまくられるという痴漢プレイをされる。
抵抗しようとすると親に動くなと言われたので最後までされるがままに我慢した。もちろん何があったのかは言っていない。二人が狂気の目で楽しそうにいじってた。
小学4年の頃
校舎裏でクラスの男女と脱衣じゃんけんをしてこれも簡単に裸にされてしまう。記憶が定かではないが次に出すのは何か言わされてたような気がする。
小学6年の頃
教室でパンツを脱がされるなどの性的いじめに定期的にあうようになる。
中学の頃
卒業するまでいじめにあうが肉体的なものではなく教室や校舎裏で服を脱がされたり脱ぐように命令されたり全裸歩行させられるなどの性的ないじめが多かった。
女子の間でも部活の先輩に謝罪するときは部室で全裸正座させられたと言っていたのでそういう意識の学校だったのかもしれない。
そして。
記憶を辿ってみても高校以降学生時代はとくに何かあったということはないと思っている。
その頃からだんだんと自我が出てきて自分のやりたいことをやるようになったと親から聞いた。
ちょっと魂が遅れてきた感じ。やあ、俺。
無感動な性格が幸いしたのか俺の場合はとくに他人を恐怖に感じたりということはそれほどなく普通に暮らしている。
もちろん今でもチンピラとすれ違うときは怖いけどこれはみんな同じだよね。
ただこのような経験が影響しているのか分からないけど当時のことを思い出してしまうので性癖がかなり歪んでいる。
ここには書いていないこともあるのでそっちが原因かもしれないけど。
そして社会人になってそれを自覚するようになってからまた事件は起きる。
満員電車に乗っていると女子中学生や女子高生が股間をすりつけてくるという事件が起きるようになる。
顔は覚えてないけど目立つ制服だったのでそれが同じ学校だということだけは分かった。
転勤で東京を離れてそれは終わったんだけどあれは何だったのだろうか。
詳らかに書くと万一加害者にこの増田を見られた時に身バレの危険があるからざっくりとしか書けないのが残念だ。
俺はその部活内で虐めに遭っていて、加害者はその虐めの主犯格の一人だった。
性被害に遭った時はたまたま俺と加害者だけが部室に居合わせてしまったんだよね。
俺が着替えてたら加害者が勃起したペニスを露出しながら近づいてきて俺にそれに触るように促した。
俺は当時苛烈な虐めに遭っていたせいで無気力状態だったので嫌々ながらも特段抵抗もせず加害者のペニスの先に触れた。
ヌメっとした感触がとてつもなく気色悪かったのをよく覚えてる。ダラダラに濡れてたんだよな。今でも思い出せるよ。
それで加害者は満足したのか、それとも発覚を恐れたのか、あるいは両方かもしれないけど俺に強く口止めして行為は終わった。
俺は校舎の玄関口の脇にある水道で何遍も何遍も繰り返し加害者の性器に触れた手を洗ったよ。
それから俺に不思議な現象が起こったんだよね。後遺症と言ってもいいかもしれない。
増田の場合は男性に対する恐怖心と女性に対する性的モノ化が強迫的に発現したみたいだけど、俺はそれとは全く違う現象に見舞われた。
俺は自分が同性愛者なんじゃないか?っていう疑念に苛まれたんだよね。
もちろん俺は同性愛者ではないはずなんだけど、同性からの性被害体験を経て以降の俺は、事あるごとに自分が実は同性愛者なんじゃないか?という疑念を覚え苦しめられた。
こういうことを書くと同性愛者に対する差別感情を疑われるかもしれないけど、そんなものは抱いたことはない。
ただ異性愛者だと思って、というかナチュラルに異性愛者の世界観に馴染んで生きていた自分が暴力的で未知の同性愛的行為を受けて懊悩し、苦しんだってことだと思う。
実は俺は自分が同性愛者なんじゃないかという疑念に一時期屈服して女性ホルモンを服用していた時期さえあった。
それは10代後半の一時期のことだったけど、某個人輸入代行業者を利用して女性ホルモンを服用していた。あまつさえ母親に「俺はゲイだと思う」とカミングアウトすらしてしまった。
でもさ、この時期もそうだし、なんなら今に至るまで俺は一度も”男で抜いたことがない”んだよな。当時の俺がどれだけ倒錯していたかわかるよな。女に興奮して女でオナニーしてる癖に自分はゲイだと確信して女性ホルモン服用して母親にもカミングアウトしてたんだよ。完全にどうかしてた。
そんな俺の妄信を解いてくれたのが意外なことにWikipedia先生だったんだよね。
ゲイになっても(便宜的にこう表現するけど後天的にゲイになるということはあり得ない、はず)なお過去の性被害に苦しめられていた俺はGoogle検索で「少年 性被害」とかそんな感じの検索ワードで検索を試みた。たぶん。正直ここら辺は記憶が曖昧。「少年時代 同性 性被害」とかだったかもしれん。
それで検索結果に表示されたこの記事を読んで俺のゲイという性自認は倒錯だって気が付けたんだよね。
具体的にはこの部分だね
加害者が男性の場合は男児が同性愛であれ異性愛であれ自分自身の性的指向や性的同一性に危機をもたらしやすい。
この疑問が激しくなりやすいのはどちらかというと異性愛の男性である。さらに、虐待時どれだけ自分の性的指向と性自認について自己認識がはっきりしていたかを考慮すると、この問題に関する議論はさらにややこしくなる。かなり低年齢の場合性自認に疑問を持つことが多いが、ある程度年齢が上がり性自認の自己認識がはっきりしてきたときであっても、今度は性役割のほうに不安を持ったりもする。たとえ性自認が安定していても、自分が主に同性愛か主に異性愛かがよく分からないときに虐待を受けた場合には自分が本来的に同性愛か異性愛か両性愛かとか様々に疑問を持ちやすい。
性的虐待を受けた男児が必ず同性愛者ではないかという誤解は本人と社会に共通のものだが、これは誤解である。だが性的虐待を受けた男児は異性愛であっても、被害を受動にし、同性愛に結びつけた結果として自分自身の性的指向の認識に著しい混乱をきたす。虐待の最中に勃起や射精が起こった場合、この混乱はより激しいものとなる。ペニスを挿入され前立腺を刺激されれば本人がどんなに嫌だと思おうと勃起する事が多いのであるが、こうした常識が日本に浸透しているとは言いがたい。
こういった性的虐待の場合には性的指向のセクシュアリティが揺らぐことが多いが、これは本人に激しい苦痛を与える。だが、性的指向を二分法で捉えがちな社会の常識に反し、実際には性的指向のセクシュアリィは複雑で多層的であるとアルフレッド・キンゼイは主張した。
俺は被害当時13歳で、かなりの低年齢ではないにしろ、自分が異性愛者である、という確固たる自覚みたいなものは持ち合わせていなかったし、オナニーだってしたことがなかったくらいに性の知識に疎く、言うなれば性自認が未分化な状況だった。
その様な状況下で鮮烈な同性愛的性被害を受けてしまったことで、俺はその後何年間も自分が同性愛者なのではないか?という疑念に苛まれる羽目になったわけだ。
ということで今では女性ホルモンも服用してないし完全に異性愛者っていう自覚を持ててるし母親にも気の迷いだったって説明することで解決を得てる。
俺は増田みたいに男性に対する恐怖心はあまり抱かなかった。幸いなことだったのかもしれない。でもその代わりに性自認が揺らぐっていう特殊な体験をした。
こうして増田の投稿にかこつける様な形で自分の性被害体験を語るのは本来あまり快いことではないかもしれないけど、もしかしたら俺みたいに同性から性被害を受けたことがきっかけで「自分が同性愛者なんじゃないか?」と悩んでる人の一助になるかもしれない、と思って書いてみた。
何にも分かってない。
道の探究なの。
根性論とか無駄な練習とか今時丸刈りとか色々批判する人がいるけど、間違ってる。
型から入るのは当然。
エンジョイとかあり得ない。
疲れても怪我しても学業に支障を来しても、道に踏み込んだ以上邁進する以外ない。
それが部活動なんだ。
今日みたいな終わりかけの夏を感じる晴れた日はどこかしんみりとした気持ちになってしまう。
女子校あるあるなのだが、みんな「好きな先輩」がいて靴箱経由でお手紙交換したり、バレンタインには気合を入れてお菓子を渡したりしていた。
上下関係が厳しく、上級生の廊下、ましてや教室まで行くのはタブーとされており、階段や廊下で同じ部活の先輩に会ったら通り過ぎるまでお辞儀をし続ける、そんな「伝統」のある女子校だった。
私はハンドボール部の日焼けした肌と切れ長一重のショートカットの先輩が好きだった。
運動神経抜群な先輩の体育の授業をひと目見ようと休み時間ギリギリまで粘って校庭を眺めたり、先輩が生徒会に入るという噂を聞けば立候補したりした。(結局ただの噂で先輩は生徒会に入らなかった)
今では先輩のプロフィールなんてほとんど覚えていないが、長めの前髪から覗く目と視線が合ったときのドキドキは今思い返しただけでも心がキュルンとする。
2年ぐらい片思いを続けた私が中3、先輩が高2のときのバレンタインには張り切ってブラウニーを作り、かわいいラッピングをして先輩の移動教室のルートを把握した上で、待ち伏せして渡した。
すると1ヶ月後のホワイトデーにお返しとしてプーさんのマグカップをもらったのだ。
中学生の身分からすると千円以上するものを買うなんてすごい買い物だったし、先輩から形の残る、しっかりとしたプレゼントをもらった私はクラスのみんなから羨ましがられ、だいぶ誇らしい気持ちになった。
このマグカップは家宝にしようと強く心に誓い、大切にしすぎて実際に箱から出して使ったのは自分が大学生になってからだった。
その後、私は高校を卒業する前に転校してしまい、先輩とはそれっきりになってしまったのだが実家に帰ってプーさんのマグカップを見るたびにふわふわと心がくすぐられるような気持ちに浸っている。
いつかこのマグカップが割れてしまったら私の中のこの小さな思い出も消えてしまいそうで、考えただけで涙が出そうになる。
先輩への好きという気持ちは未だにあるけれど、思い出の中の先輩が好きだから今会ってもきっと何も話せず、もやっとした気持ちになるのがわかっているからFacebookも検索したことがない。
あのボーイッシュな先輩が髪を伸ばして母親などしてたらきっとそれはもう私の知っている先輩じゃないだろうなぁと思いつつ、元気にしているのかなぁと淡い気持ちを思い出している。
先輩が悲しい気持ちになっているときがあれば、どこかで私のような人がいつもあなたの幸せを願っていることが通じるといいなぁと思って晩夏の空を眺めてる。
※一部汚い話になるので注意
きっかけはダイエットだったんだけど、もっと根本的な原因があったんだと思う。
よく摂食障害は母親との関係が原因とか言われてて、認めたくないけど本当かもしれん。
自分は母とわりと仲がいい方だと思ってたし幸いお金に困るような家庭じゃない。だけど小学生の頃、やたらと私の体型をいじってきた。お尻大きいとか、足太いとか。今思うといたって普通体型だったし写真を見てもそう思う。むしろ他の子より痩せてるくらい。でも母の言うことを気にして、小5くらいからカロリー計算を始めた。小学生のくせに食べ物とか栄養にやたら詳しいっていう(笑)
中学生になったらもっと気にして、減量を始めたら面白いほど落ちて、気付いたら自分でも引くほど痩せてた。数字よりも体の脂肪が嫌で、そのことを考えるとものが食べられなかった。ガリガリになった私を見て母親は「ちょっと痩せすぎちゃっただけだよね?もう少し食べなさい。」と言った。そのことに何故かイライラして部屋で泣いた。30kgしかないの知ってるくせに。
高校進学して過食症に転じてしまってからは食べる量がめちゃくちゃ増えて体重も戻った。ある日私が食べたパンの包装(ゴミ)を見て母は「またこんなもん食べてる!だからブクブク太るんだよ」って言ったんだ。その日を境に吐くようになった。
半年かそれくらい続いた。最初はもうあれもこれも食べたい!って頭がいっぱいで、とにかく好きなものを食べた。1日の終わりにはいろんな人に申し訳なく思って泣いて、そのくせ翌朝はまた食べ物のこと考えてた。自分じゃセーブできない。歯も心配で必要以上に磨いていた。(止めれば済む話なのに)
とはいえ何故かだんだん飽きてきて、食べたいものがなくなってった。あんなに食べたかったのに、もうめんどくさかった。脳が、受験勉強の方がやばいよって思ったのかも。進学校だったし周りに負けたくなくて勉強に集中した。
運良く大学に進学した今では本当に不思議なくらい食べ物への執着がない。カロリー計算もしようと思えばできるけど、前みたいに無意識にできない。
自分がなんで摂食障害だったのかすらわからないし、もう戻らないだろうと思っている。完治はしない病気と言われているが、私はもう二度とあんな風にならないというか、なれない。正直、摂食障害患ってたときはすごく頑張ってた。勉強も部活も何もかも頑張ってた。今はあの頃に比べたら怠けすぎて無理だ。だからああはなれない。無理に食べないようにするのも、異常なほど食べるのも吐くのも泣くのもすごく疲れる。
Twitterには長く苦しんでる人の声が沢山あって、偶にそういったツイートがバズるたびに少しだけ思い出してしまう。自分はあくまでギリギリ引き返せただけだから、もっと苦しんでる人たちの痛みはどれほどのものかと考えると泣きそうになる。彼らのほうが泣きたいはずなのに。
成人してからやっと母と喧嘩もできるようになって、その精神性というか人間性がやっとわかってきた。私に言われたくないだろうけど、子供のままなんだなって思った。
そういう意味でも反抗期ってあったほうが絶対いいやつやん〜親は完璧じゃないし完璧を求めちゃいけないんだって早く気づくべきだった。
まーでもあの頃は親が全てだったから無理か。
長くてすまん
読んでくれた人(もしいたら)ありがとう
https://anond.hatelabo.jp/20200901143750
を読んだ。
『今では誰に褒められても、「ああ、社交辞令だな」としか思わない。それどころか「馬鹿にされているんじゃないか」といらいらしてくる。』
という文に強く共感し、悲しくなった。
私には両親は出来がいいと信じ続けている兄が1人いる。
兄は結局地元の偏差値50そこそこの私大に入り留年しつつも卒業した。
今はフリーターをしている。
そんな兄を両親親戚は今でも賢い子だからいい高校に入り地元の大学に行けたと褒めている。
もちろん留年することもなく、理系だったが学部で卒業し、誰もがよく知る企業に総合職として入社した。
兄と私を比べると一般的に褒められるのは私だと思うのはいけないことなのだろうか。
幼少期を含め今まで親、特に母親に褒められた記憶が一度もない。
持ち帰っても何かを言われたことはない。
兄は80点でケーキを買ってもらうくらいには褒められていた。
これについても何かを触れられたことはない。
兄は部活を頑張っていることを理由に平均取れば頑張ったなと褒められていた。
高校受験で志望校を決めた時、そんな無理なところにと最後まで言われ続けた。
ずっとA判定だったのに。
「たまたまだ、これから頑張らないと周りについていけなくなる」が合格が決まってからの母親の第一声だった。
今の会社の最終面接が決まったことを報告した時も鼻で笑われた。
兄よりも学費もかけず、いい学校、いい会社に入って今も親孝行と言われることをし続けている。
私の何がだめなのだろう。
私は褒められたかった。
頑張ったねって言われたかった。
否定された記憶しかないせいで、人の裏を勝手に想像してしまう。
上司に褒められてもモチベーション上げようとしてるだけでそう思ってないんだろうなと感じてしまう。
承認欲求が強い中高時代に一番承認されたい人に否定され続けた記憶に縛られ続けている。
今子育てをしている人は褒めてあげて認めてあげて欲しい。
身内以上に褒めてくれる人なんていない。
自己肯定感を持たせてあげて欲しい。
生きてていいんだと思わせてあげて欲しい。
はてなーはこんな釣り気味の記事に引っかかってないでちゃんとソースをチェックしような。
はてなブックマーク - 「わいせつ教員の免許再取得を5年に延長」案に異論…文科省は一体何を守ろうとしているのか(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
この記事によると、教員による児童生徒への性暴力が深刻化している事態を受けて文科省が、わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法を改正し、制限期間を5年に延長する”規制強化案”を検討しているという。
はい、ずいぶんと持って回った書き方ですね。どういうことかっていうと、教免法には「わいせつ行為」の規定なんてないんですよ、元から。
第十条 免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、その免許状はその効力を失う。
三 公立学校の教員(地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第二十九条の二第一項各号に掲げる者に該当する者を除く。)であつて同法第二十八条第一項第一号又は第三号に該当するとして分限免職の処分を受けたとき。
2 前項の規定により免許状が失効した者は、速やかに、その免許状を免許管理者に返納しなければならない。
第十一条 国立学校、公立学校(公立大学法人が設置するものに限る。次項第一号において同じ。)又は私立学校の教員が、前条第一項第二号に規定する者の場合における懲戒免職の事由に相当する事由により解雇されたと認められるときは、免許管理者は、その免許状を取り上げなければならない。
2 免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、免許管理者は、その免許状を取り上げなければならない。
一 国立学校、公立学校又は私立学校の教員(地方公務員法第二十九条の二第一項各号に掲げる者に相当する者を含む。)であつて、前条第一項第三号に規定する者の場合における同法第二十八条第一項第一号又は第三号に掲げる分限免職の事由に相当する事由により解雇されたと認められるとき。
二 地方公務員法第二十九条の二第一項各号に掲げる者に該当する公立学校の教員であつて、前条第一項第三号に規定する者の場合における同法第二十八条第一項第一号又は第三号に掲げる分限免職の事由に相当する事由により免職の処分を受けたと認められるとき。
3 免許状を有する者(教育職員以外の者に限る。)が、法令の規定に故意に違反し、又は教育職員たるにふさわしくない非行があつて、その情状が重いと認められるときは、免許管理者は、その免許状を取り上げることができる。
4 前三項の規定により免許状取上げの処分を行つたときは、免許管理者は、その旨を直ちにその者に通知しなければならない。この場合において、当該免許状は、その通知を受けた日に効力を失うものとする。
わかる? 具体的に「子供へのわいせつ行為」を罰する規定なんてどこにもないの。
抽象的に「教員がとんでもない不祥事をしたとき」には免許を取り上げることができ、その「教員のとんでもない不祥事」には飲酒運転とか万引とか部活で児童を殴って負傷させたとか学外で痴漢したとかと並んで学内で児童に性暴力を振るったというのが含まれますよ、という話。
子供に乱暴したのに5年で済むのか! と言って再取得可能な年限を引き上げたら、別に子供を傷つけたわけではない飲酒運転教師や万引教師とかにも差し支えが出ることになるけど。
飲酒運転や万引の場合でも永遠に免許取れないようにしろ、とはまさか言わんよね? 再犯率とか被害者の安全とか関係ないもんね。
ちなみに、これって小学校とかだけの話じゃないからね。高校教員も含まれる法だから。
つまり、既婚者の教員が17歳の高校生と合意の上で性行為を行い、結果として懲戒免職処分を受けて失効した場合もこの規定が適用される。
これを、10歳の子供をトイレに連れ込んでわいせつ行為をはたらいた場合と同じように永遠に免許を再取得できないようにしろ、というのは不合理極まりないでしょ。
やるべきことは、今の大雑把な免許失効規定の見直しなんじゃない? 職務を利用して子供に対して性的暴行を行った場合、みたいな条文を新設して、そこだけ再取得を不可能にするか再取得までの年限を長くするみたいな解決策はありえると思う。
逆にそこを切り分けられないやつが議論している限りは現行の3年を堅持すべきって主張するね。万引やら不倫やらの社会復帰に3年というのは妥当な期間だと思うもの。チャイルドマレスターのとばっちりでそんなホイホイ引き上げられてたまるかよ。
教員以外にも仕事はあるんだから、理由はなんであれ免許取り上げられた人は学校戻ってこなくていいよ。性犯罪だろうと万引きだろうと。
いや最終的に不祥事の大小関係なしに一律汚れた教員は永遠に追放したいってのが世の要求では……? なんやかんや最終的にみんなが目指してるのそれでしょ。
「不祥事の大小はどうあれ教職に復帰させるな」というなら最初からそう言うべきで、「わいせつ行為の再犯率が高い」とか「小児性愛者を子供と接触させるな」とかそんな理屈は微塵も関係ないやんけ。
ここで問題にしてるのは、まるでわいせつ行為をピンポイントで罰する規定があるかのごときミスリーディングな書き方と、それにホイホイ釣られるはてな民であって、つまり教免法でどんな規定がなされているか理解せずに論を立てていることなわけ。
「5年は短すぎる」って言ってた人たち、どう考えても元々の規定が性犯罪以外も含むものであるって把握してないでしょ。そこが問題なんだよ。「性犯罪を起こして免許が失効した場合の再取得までの期間が5年と規定されている」と「不祥事を起こして免許が失効した場合の再取得までの期間が5年と規定されていて、そこには性犯罪者も含まれる」はまるっきり別の話でしょ。実際は後者なのに前者と勘違いして叩いていた人たちは恥を知るべきって話。
量刑と言われても、犯罪じゃない行為でも懲戒免職の対象になるんだけどそういう場合はどうすればいいの? 失効の翌日から再取得を認めるべき?
たとえば、「児童の母親と何度もセックスしていた校長」が懲戒免職処分になってるけど、当たり前だけど大人同士が双方合意してセックスする行為自体はなんら刑事罰の対象にはならないからね。
教員の不祥事といっても、そこには犯罪であるものと犯罪ではないが教員の品位を損なうものが混在していて、現行の教免法はそれをまとめて処分する規定になっているわけ。「犯罪とそれ以外は分けろ」というならわかるけど、ひとまとめに「量刑と連動させろ」と言われても「無理です」としか言えない。
スマートでエレガントな解決策を提案してくださるのは実にけっこうなんだが、頼むから現在どんな条文になっているか把握した上で語ってくれ……
??? 「万引やら不倫」も含む条文になるかは、立法のテクニカルな話で、そこは現時点では関係ないよね。よっぽど切り離せない理由があるか(ある?)、馬鹿が条文を書かない限り、そんなことにならないじゃん。
だからさ、元のFNNの記事ではどういう改正案が検討されているかわからないじゃん。「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法を改正し、制限期間を5年に延長する”規制強化案”を検討している」っていう文章それ自体がミスリーディングなんだから。これ、どういう意味の文章だと思う?
「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な」という部分は、FNNがくっつけた形容詞なの? それとも文科省が本当にそこをピンポイントで問題にしているの?
文科省のねらいは、「教免法を改正して免許再取得の制限期間を(現行の失効規定を維持したままで)5年に延ばそうとしている」ということ? それとも、「教免法を改正してわいせつ行為で教員免許を失った場合は制限期間を5年に延ばそうとしている」ということ?
「そもそも児童へのわいせつ行為を処分するための独立した規定が存在しない」状況で、「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法」なんて書くのは、間違いではないけどどう考えても誤解を招く書き方でしょ。これは誤解を誘発することを狙って(つまり単純な制限期間の延長問題を性犯罪の問題とすり替えて読者に理解させようとして)やってるの? それとも言葉足らずでこういう表現になっちゃっただけで本当に文科省はわいせつ行為に的を絞って5年に延長しようとしているの? そこがわからなければ是非を論じる以前の問題じゃん……
条文がないので推測でしかないですが、免職事由によって処置を分けるような立法が困難な理由があるのかもしれませんね。例えば学校側による恣意的運用がなされた場合の検知が困難とか
逆でしょ。事前に細かく「こういう場合はこういう処分」と決めてたら、「どう考えても大問題なんだけど規則に書いてないから処分できない」という事例が発生し得る。それを防ぐために、つまりある程度恣意的に免許を失効させられるようにするために処分を分けてないんだと思うよ。
一週間ほどのお盆を振り返ると、都合四回のリモート飲み会があった。
一つは社会人以降に知り合った趣味の会で、三つが学生時代の友人たちのグループだ。で、そのうち二つのグループは中高一貫校以来の付き合いだから、かれこれ二十年ということになる。そのうちの一つは国公立を受験する特進クラスの仲間であり、もう一つは部活のメンバーだ。どういうわけか、皆独身である。そして、残りの一つは大学のサークルだ。
今までは直接会っていたのだが、コロナ禍ということもあり、今年の夏はリモート飲み会にした。ゴールデンウィークは混乱と多忙とで中止していたのだが、さすがにそろそろ顔を見ないと寂しかった、というのもある。結果的にはリモート飲み会は大成功で、遠方の友人も参加しやすかったし、医師の友人も当直の合間にこっそりとアイスをつまみながら加わってくれた。くだらないことも、医療現場での苦労も、大学の教員としての悩みも、塾講師の愚痴も、いろいろと聞くことができた。
こうしてみると、私はかなり人間関係には恵まれてきた。小学生の頃はひどくいじめられていたし、中学以降にも私を嫌う人は多数いたが、大人になると定期的に顔を合わせるような友人と呼べる人々が両手の指に余る人は、少ないらしい。
もちろん、連絡が途絶えてしまった友人もいるし(そういう意味では、グループを作って定期的に会うのは、人間関係を維持しやすい)、悲しいことにもう生きていない相手もいる。また、大学時代にはいろいろなサークルに顔を出していたが疎遠になってしまったところがほとんどで、中には在学中に人間関係のトラブルのせいで辞めざるを得なかったサークルもある。いきさつについては多くを語るまい。思い出して愉快な話ではないし、私が語ったところで、不公平な見解しか出てこないだろうからだ。
さて、本題に戻ろう。上記の中学時代の旧友たちとは、年に三度集まっていた。つまり、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始だ。大学のサークルのメンバーは多忙な者が多く、数人が不定期に集まっていたにとどまる。それでも、これだけ続いているのはめったにないはずで、ありがたいことである。
さらに、この関係に加えて、何となくオタクっぽい連中で集まったクラスタもある。これも中学以来の付き合いだ。こちらは、ラインのグループでボドゲだとか映画だとかに誘い合い、何となく暇な奴らが集まるといった具合の温度感だ。月に一度くらいだから、結構な頻度だ。興味のないものをスルーしても、誰も気にしない。たとえば、ホラー映画が苦手な人はその回には参加しない。私なんかは奇天烈な現代美術が好きだから、そこのグループラインで誘うけれども、私のそうした趣味を理解するメンバーは固定されており、美術館に行くのはだいたい同じ顔触れだ。
とはいえ、一抹の不安がないわけではない。一つは、年に三度集まっているグループのうち二つが、私が声をかけないとなかなか集まろうとしないことだ。長期休暇が始まる数週間前に私がそうした話を出すのだが、そうすることで皆がやっと重い腰を上げる。別に、私が声を上げることで集まれているので何の不満もないし、ひょっとしたら私が何も言わなくても誰からもとなく集まろうと言い出すのかもしれないのだが、私が抜けてしまったらこのコミュニティは自然消滅してしまうのではないか、と心配しているのである。中には私の住む首都圏から離れているメンバーもいるので、こうして定期的に様子を見ないと、いずれ連絡は途絶えてしまうのではないか。
もう一つ気にしているのは、オタククラスタのほうだ。大体メンバーが九~十人ほどなのだが、これほどの人数なので、完全な和気藹々というわけではないのだ。仲が悪いというほどではないが、この二人を一緒にするとあまり楽しそうではないとか、このペアは昔喧嘩したとか、こいつらはツイッターをブロックしあっているとか、そんな情報が入ってくる。仲よく遊んでいるときにこうしたことを思い出すと、楽しい気持ちがちょっとだけ曇ってしまう。皆は私のことを温厚というか、目立ったトラブルがない人間だと考えてくれているらしく、とりあえず何の心配もなく誘って大丈夫と評価されているそうだ。うれしいのだけれど、親しい人々だけで構成されていたはずの場に、いつの間には配慮しなければいけないことができてしまったのは、ちょっと複雑だ。
もっとも、あまり私が心配しすぎても仕方がないことなのだろう。仮に、私がいなくなってそのコミュニティが自然消滅してしまったとしても、皆それぞれに別の居場所があるのだろう。少なくとも寂しい思いはしていないはずだ。そうでなければ、彼らから私にそろそろ集まらないか、と早めに声をかけるはずだからだ。たぶんさみしがっているのは私のほうで、だから私がそろそろ集まろうと声をかけているだけだ。今は、これで人間関係が機能しているから、これでいいのだと思う。
もう一つ心配しているのは、中学以来定期的に会っている友人がだれ一人結婚する気配がないことなのだけれども、私が気をもんでも余計なお世話以外の何物でもない。マッチングアプリに使うから写真を取ってくれと言われたら喜んで撮るし、なんだったらアドバイスだってするけれど、まずは自分の心配をするのが先である。
本当にだれも結婚しないかもしれないが、そうしたら皆でシェアハウスをしたらどうだろう、みたいなことを冗談半分に話すのである。旧友が集まって麻雀をしているというのは、なんとなくほっとする光景ではある。
はじめに軽く自己紹介。地方大M3(医学部3年)の20歳。人生崖っぷち。
表題を見て不快になった人は、この記事を読まないよう強くおすすめする。医学部事情を知らない方は特に。ますます不快になると思うので。
もともと文系学部志望で、就職するなら公務員か裁判官かな、とぼんやり考えていた。仕事をしながら趣味に興じる生活に憧れていた。
特定防止のためぼかすけれど、この趣味は小学校のころから熱を入れて取り組んでいる。今では生きがいだ。
収入は別に多くなくていい、ただ一人で生きていく分くらいは稼ぎたい。その上で、趣味の結果が出ればいいな。そんな感じ。
でも、親はそれを拒絶した。高一のとき、学校へ出発する前、私は軽い気持ちで「法学部ってかっこいいよなあ」と言った。
これがいけなかった。
「文系行くなら自分の金で行ってね」という投げやりな言葉から始まり、三日三晩(文字通り)怒鳴られた。
お前は欠陥品だから、就職できるわけがない。こういうことを平気で言われた。
私の親は差別用語をよく使う。「欠陥品」はまだ全然ましな方で、放送禁止用語を駆使して私の不器用さや容姿をなじる。兄(現役ストレートで医学部を卒業し、今は研修医をやっている)と比較して「一勝一敗」と嘲るのが最近ではお気に入りなようだ。
もっとも、被害にあっているのは私だけではない。母親が結婚して以来、ずうっとそういう調子だったらしい。典型的なモラルハラスメントだ。
我慢すればいい、と母親は言う。修行だと思って我慢すれば、社会に出ても耐性がつく。そう繰り返し教わってきた。この母親も私の文系学部進学には消極的で、「あんたを雇うような会社はどこにもない」が口癖だった。別に会社勤めを目指しているわけじゃないのに。
小さい頃からずっとそうだった。
なじられ、比較され、叱られる。
何かやらかせば「欠陥品」。
度重なる暴言からくる自己肯定感の欠如は、私の性格を決定づけた。
今では誰に褒められても、「ああ、社交辞令だな」としか思わない。それどころか「馬鹿にされているんじゃないか」といらいらしてくる。
男性に好意を向けられても、ぞっとする。付き合っても長く続かない。結婚したら、この人もモラハラするのかなあ。そんなことばかり考えてしまう。
凡人なりに頑張ったおかげで、通っていた高校(公立)の中では上の方の成績をとれた。
違う、と答えたかった。私は自分の居場所を得るために、学費を出してもらうために、進学するんです。こう言えたらどれだけ気が楽だったろう。
受験勉強がきつかった。頑張っているのに上がらない成績が恨めしかった。最後まで物理と数学で伸び悩んだ。結局第一志望(兄の出身大学でもある)のオープンでA判定はもらえず、今の大学に入学することになった。
後から知ったが、冠模試のオープンは判定が辛いらしい。現役生で安定してAを取れる人は限られている。
公立高校かつ塾なしの私は、そんなこと全然知らなかった。親はB判定とかC判定とかを見る度に、やっぱり馬鹿は治らないなあ、高齢出産がいけなかったのかな、というようなことを言ってきた。
今でも、もしあそこでチャレンジできていたら、と思う。多分私は、一生このことを後悔するのだろう。
でも、他にどうしようもなかった。浪人するくらいなら死んだほうがマシだ、こういうことを何度も何度も、親に吹き込まれていた。
浪人している同期を見ると、ぬるま湯に使ってるやつらはいいよな、と思う。
人より時間と金をかけてもらってるくせに、自分の努力(笑)で大学に受かった。
努力は必ず叶う。
どの口がきいてるんだよ、と思ってしまう。
志望を下げずにチャレンジした同期は、受かったり落ちたりした。自分より成績の低いやつが、自分よりいい大学を受け、合格した。
私は見事、医学部に現役合格した。しかし、もう兄には決定的に勝てない、一生格下として扱われるだろうということに参ってしまった。
大間違いだった。
医学部は人間関係をしくじると大変らしいと聞いていたから、周りに合わせてニコニコしていた。でも、駄目。中高みたいに腹を割って話せる友達は一人もいないし、異性はもちろん同性の集団にも馴染めない。
会話が怖い。
高校までと違い、癖の強い人がたくさんいる。
人を平気で馬鹿にしたり、傷つけるようなことを言ったり、仕事を全然しなかったり。
後輩を何人酒で潰したか、自慢げに話す人もいた。
どうかしている。
友達がいないわけではない。
でも、その人たちにとって私はn番目の友達で、せいぜいご飯を一緒に食べたり、授業を隣で受けたりする程度の間柄だ。
所属していたインカレサークルも、授業が忙しくてほとんど行けていない。
何より、授業がきつすぎる。
友達が少なく医学部部活にも入っていない私は、いつも特定の子に情報を流してもらっているけれど、もしその子に切られてしまったら、留年一直線だと思う。
欠陥品なのだと思う。
欠陥品は医学部では生きていけない。
噂が一瞬で広まるような村社会では生きられないのだ。
多分、他の学部でも生きづらいと思う。
でも、ここよりは絶対マシ。
公務員としてしっかり働きたかったし、法律にかかわる仕事にあこがれていた。
全部過去の話だ。
もう取り返しはつかない。
やめればいい、という人がいるかもしれない。
無理に決まってるじゃん。
退学したいなんて言おうものなら、家から追い出されて、野垂れ死ぬのがオチだ。
親にとって私は「アクセサリー」で、マウンティングの道具でしかないんだから。
というわけで毎日、心の中のガソリンをちびちび燃やしながら、なんとか生きている。
アフターコロナの世界が来たら、マジで生きていけない気がする。
そしたら、私みたいな欠陥品は真っ先に解雇されるだろう。
正直、全部めちゃくちゃになってしまえばいいと思っている。
地震でも戦争でもパンデミックでも何でもいい、頼むから全員不幸になってくれ。
全員苦しめばいい。
倫理的に欠如しているだろうか。
恨むなら私を大学にぶち込み、今もなおモラルハラスメントをしてくるうちの両親に言ってほしい。
十分恵まれている方だ、とのたまう人は、頼むから毒親のもとで育ち、理不尽で閉鎖的な学部で6年みっちり洗脳されてくれ。
画面に向き合っていると、CBTやOSCE、ポリクリなどの試練で頭がいっぱいになる。
乗り越えられる気がしない。
高いビルに登ったり(高所恐怖症で辛いけど)、ホーム柵のない私鉄を探したりしている。
私の家庭が損害賠償で懲りるなら、案外ありかもしれない。
万が一、残り3年半生き延びることができたとしたら、クソハイポ病院でセコセコ貯金して、バイト医になろうと思っている。
でも結局は、そんな度胸も生まれず、カスカスに使い捨てられてしまうのかな。
医学部なんて入るんじゃなかった。
絶対に逃げてください。
もし医学部に入りたいなら、できるだけ立地がよく、風通しのよい医学部を目指してください。
情報はインターネットでも手に入るし、身近に医学生がいるならなお良いと思います。
それを活かすも殺すもあなた次第です。
私も、せめて大阪万博までは生き延びれるよう、頑張りたいと思います。
毒親のアホー!
小中高と夏休みがなかった。正確にいうとお盆の期間しか休ませてくれなかった。
それ以外の期間はずっとクーラーのない学校に来させられて勉強や部活をやらされていた。
大学生になって夏休みというものを知った。大学の同級生は小中高と夏休みを謳歌していたと聞いてカルチャーショックを受けた。
春休みや冬休みも同様になかった。ドラえもんやちびまる子ちゃんで春休みには宿題がないからいいよね〜という台詞を聞いた時、意味がわからなかった。3月末も4月の初めも学校で授業があったからだ。
若い頃の長期の休みというのはいいものだ。そして二度と取り戻せない。これから子育てをする人
、くれぐれも九州の田舎町で子どもを育てるなんてことはしないでほしい。あの町は子どもを奴隷としか思っていない。外にでなければ一生気づかなかった。
意味が広すぎてただの悪口なのに「わかる~!」みたいに共通認識としてあって、伝わっていってしまうやつほんっっっとタチ悪いから大嫌いなんだけど、だんだんその正体が見えてきたから書こうと思う。
自分語りから始まるが、私は客商売の自営の家に生まれた。店舗の上が住居のタイプの地元密着系だったので、小さいときから「◯◯さんところの娘さん」というような感じで近所の人に認識されていた。
そして親は「多少勉強ができなくても女の子なら愛想よく感じよくしなさい。人に迷惑をかけるな。挨拶は欠かすな。礼も欠かすな。」系の昭和っぽい女子教育をモットーに私を育てていたように思う。
だから急いでいようが天候が雨だろうが真夏だろうが真冬だろうが、近所の人が「あ、◯◯ちゃんやないの!」と声をかけられれば雑談に付き合った。
子供的にはうざくてしかたない「前みたときは乳母車にのってグズってた子がこんな大きなって~~!」という気恥ずかしいようなちょっとムッとして「知らんがな…」と言いたくなるような話もクソほどされたがすべて「ありがとうございます」と流した。
うちのお客さんには老若男女いて、まぁ近所はもちろん大体の人には親切に接してきたと思う。誰がうちの客で、また客になってくれるかわらないので、丁重に扱う以外選択肢がないとも言える。
うちの実家の店の利用メイン層はいわゆる「おっちゃん・おばちゃん」である。
前述したように大体の大人を丁重に扱う(ようにあしらってもいる)事に小学校4・5年にでもなれば否が応でも慣れ始める。
受付係モードみたいなものを幼くして会得できてしまうのだ。これは客商売の家に生まれた子供さんならなんとなく理解してくれるんじゃないかと思う。
中学校に上がって、スクールカースト上位女子グループに「男に媚びてる」と陰口を叩かれるようになった。
正直ビックリした。私はそういう恋愛どうこうというような成長が人より遅かったので「男に媚びる」という事の意味さえまだわかっていなかったからだ。
なんでそういわれるのか全く検討もつかなかったので大変悩んだ。
今ならわかる。私がいわゆる「男に媚びてる」ように見える訳が。
普通この頃になると異性に対してなんらかの壁を感じているのが「正常」と考えられているのだろう。だから私がクラスメートの男子やら男の先生に人懐こい感じで接するのは変に映ったのだろう。ただ私がいつも通り受付係モードで接しているのが「気持ち悪い」と。
私にしてみれば生家やその近所と追随する商工コミュニティである種の自己防衛の一種で身につけた対人スキルが、次は教室のようなセオリー通りに空気読んで自分の立ち位置をつぶさに確立していかなければならない場所では悪手となる。
初手で悪手を打ってしまったのもあって中学校のスクールカースト上位者には卒業するまで塩対応され続けた。
一度、私の事が一等嫌いなNさんが塾友達だという部活が同じのYちゃんに探りをいれてもらったことがある。
私が嫌いな最大の理由は「男へのアプローチが顔に合ってない」であった。
いや~たまげたね。確かに私はどう見積もってもブスカテゴリーの顔だ。
だからこそ親も愛想よく感じよく育てていただろう。
要するに「嫌われもんのブスは嫌われもんのブスらしく小さくなって黙ってな!」ということだ。
今となっては物凄い暴論だが、そういうとんでもない暴論が許されて放置されて継承されていく地獄の空間の中学校だからさもありなん。(でもめっちゃ傷付いた)
昨今「ステレオタイプに当てはめないで!一人一人事情がある!」ってのも人権解放のムーブメントだと捉えているが、いまだにこのステレオタイプという概念は一部のコミュニティの中で「キャラ」という言葉で現役で生きている。
結局多くの人が理解しやすい人ステレオタイプ的な人の方がいろいろやりやすいし、特にカースト構造ができやすいコミュニティの中では上位者は下位者を分かりやすく蔑みたいので下位者がこの想像通りじゃなかった場合の上位者の残酷さったらない。
気持ちよく見下すつもりがなんなのあいつ!とでも言うのだろうか、無能で冴えないやつがコミュ障じゃなくてもイラつかれるし、マイノリティのくせにめちゃくちゃオシャレにこだわりあったりしてもキモがられたりするのおかしくないか?今はこの人権解放ムーブで減っていると嬉しいのだが、ニュースやバラエティーを見ていると私が中学生だったほぼ20年前と変わらないように思う。
やっと主題に戻るが、結局「媚びてる」というのは見下してる側(もしくは元々タイプの違う合わない人間への)の言いがかりでしかないのではないか?と私は思う。
実際媚びていたとしても違う方法を取ってる人間へのただの個人的な違和感に過ぎない。
「気取ってる」というのも構造は同じだ。
結局はコミュニティ内でキャラじゃないと勝手に感じられて勝手に違和感をもたれているだけなのではないか?
若者言葉やネットスラングを使わないとかくだらないことでコミュニティ内で気取ってると異物扱いされたことがあるが、そんな事でコミュニティのバランスが崩れるんならどっちにしろそのコミュニティは長続きしない。
「気取ってる・媚びてる」ワードのユーザーよ、帰属意識からの勝手な崩壊恐怖でしょうもない言いがかりつけてんじゃないのか。
そのくせTwitterなんかで人権解放系ツイートリツイートしたりしてる人は、あなたの回りの媚びてるやつを見下して勝手にイラついてないか考えてみてほしい。
人権解放とかにまるで興味なくいつも誰かを意識的にいじめていたいってひとはそれはそれでヤバイけどまだ理解はできる。割とそういうド悪人は「媚びてる・気取ってる」とかフワッとしたワードを愛用してる感じはしない。これも私のステレオタイプからくる偏見だといわれるとまぁそうなのだが。
このフワッとワード愛用者は大体常識人っぽいのがまた厄介なのだ。コミュニティの中で自分の思い通りになってる人や、目上の人には優しいことが多いように思う。だからこそその帰属意識から過剰に反応するとも言えるし、嫌われた時の衝撃もでかい。
媚びてる気取ってるやつがウザい、コミュニティの異物と感じてしまうあなた、それはあなたの感性の問題であって、媚びてる気取ってるやつの性格なり人との関わり方の問題なのか?ほんとうに?見下したい相手が思い通りじゃなかったからイラついてるんじゃないの?そういうのってすごい失礼じゃないすか?
媚びてる気取ってると言われてそんなことないのにと傷付いてるあなた、多分あなたはそのコミュニティにおいて異物なのであろう。しかしそれはコミュニティや当該人物の未熟さから来ていることが多い。愛想がいいこと、言葉や振る舞いが丁寧なことは基本的にいいことだ。
上から目線で他人に指導とかしてない限りあなたに非はない。残念だがそのコミュニティを出るまであなたのよさを隠すしかない。
コミュニティに合わなかっただけだから自尊心を失わないでほしい。
媚びてると言われ、つまんない中学時代を送り、で、内気ぶってると「ノリ悪いね」と言われあるコミュニティでどの世代にもわかるように丁寧に喋っていると「気取ってる」と言われた経験から、書かせてもらった。
残念ながらこの媚びてるとかいう悪口は30越えてもあるが、ここ最近ある程度仕組みがわかったのでやっと傷付かなくなってきた。
個人個人いろいろあるんだから勝手に型にはめてキャラじゃないだの、下に見てたのに思い通りに見下せないからって言いがかりつけるのは大体不快に感じてる側のセンサーの問題だから私はどうしょうもないで、という開き直りの境地とも言える。
入りきらなかった題名
『昔好きだった男の子が見事に「アベガー」になっていて百年の恋も冷めた話』
題名の通り。昔好きだった男の子が、「アベガー」になっていた。それを知ったのは2、3年前の話だけど、今日安倍総理が辞任されるという話を聞いて色々と思い出したので書こうと思う。
政治の話がしたい人には申し訳ないが、ここからしばらくは私の恋話に付き合っていただきたい。ウヨもサヨも、野党も与党も安倍総理も、全く関係がない。
長い前置きで悪いね。でも言っておきたい。私は彼のことを責めているのではない。私は結構自分勝手な人間だったってことを自覚したと同時に、世の中の残酷さを味わったという、ただそれだけの話。
昔、というのは私が中学生の頃のこと。現在の私は社会人1年目。社会の荒波に揉まれながら毎日頑張っている。
これは、私が中学2年生だった頃から23歳を目前に控えた今日までずっと消化しきれなかった、小さな恋の話である。
中学2年生のとき、好きな人ができた。彼の名前は"リュウ"としよう。クラスメイトが時々彼は神木隆之介さんに似ていると言っていたからだ。リュウは賢く、明るく、優しく、運動も得意で、先生にも好かれている、常にカーストのてっぺんに立っているような人だった。対する私は、良く言えば大人しく、悪く言えば地味な眼鏡っ子。勉強はそこそこ、運動は苦手、国語の先生には好かれて体育の先生には嫌われるようなタイプだった。
リュウは私のような人にも優しかった。人見知りの私は初対面の人間の大半が苦手だが、不思議と彼を苦手だと思ったことはなかった。初めて隣の席になったときなんて、もう毎日が夢のようだった。教科書見せて、これどうやって解くの、今日朝練やってたね…少しずつ、少しずつ、私たちは"ただのクラスメイト"から"友達"になっていった。
友達になった私たちは、あっという間に仲良くなった。(私は人見知りだが彼のことが大好きだったから、どうしてもこのチャンスを逃したくなくて必死だったのだ。)ノートの切れ端で手紙を交換して、授業中に目が合えば小さく手を振られて、休み時間はよく2人で頭を突き合わせて数学の問題を解いていた。
私は彼のことがずっと好きだった。今でも覚えている。中学3年生のある日、彼はこう言った。
もちろん答えはイエス。隣の席になったときよりも、もっと夢みたいだった。
で、まぁよくある話だけど、幸せな時間は長くは続かないんだよね。夢みたいに幸せな私が、彼と恋人でいられたのはたったの半年だった。公立中学校の3年生には、受験というものがあるからだ。ありがちな展開で申し訳ないが、私たちは進学を機に別れてしまった。より正確に言えば、私は彼に振られたのだ。
大半の大人から見れば、中学生の恋愛なんて所詮はオママゴト。中学校より高校、高校より大学、大学より社会人になってからの恋愛の方がより真剣で、大事なものだと思っている人も多いんじゃないかな。でも、私にとってあの時の恋は本当に真剣で大切で、今でも忘れられない出来事だった。
話は変わるが、私が初めてスマートフォンを手にしたのは高校に入学したときのことだ。スマートフォンを手に入れた女子高生がすることといえば?
…そう、SNSだ。私はTwitterアカウントを手に入れた。(Instagramを始めたのはもっと後の話だ。)
始めたばかりのTwitterアカウント、それもリア垢でフォローするのは誰?
…そう、リアルの友達だ。私は友人たちを探してフォローしたし、彼女らも私をフォローした。そうやっていつの間にか広まって、私のフォロワー欄には同じ中学校や高校の人たちが並んだ。
その中にリュウがいた。恋人になる前の私とリュウは気の合う友達だったし、趣味も話もよく合った。SNSでも、滅多にリプライなんてしないしされないが、それでも私たちは時々、本当に時々、ネットの世界で顔を合わせるようになった。
まだ私は彼のことが好きだった。あの時だって、「面倒な女」「聞き分けの悪い女」になりたくなくて、別れ話にも納得したフリをしただけだった。必死で忘れようとして、本当に忘れた時もあったけど、やっぱり好きだった。多分ずっと好きなんだと思う。
ストーカーだと思われたくないから、今までの話は誰にも言ったことがないし、行動を起こしたこともない。私は彼にLINEの一件すら送ったことがない。
私の激情もだいぶ落ち着いて、大学生になったある日。リュウのTwitterをたまたま見てしまった。いや、わざわざ彼のアカウントを見に行ってしまったのだ。友達に彼氏ができたって聞いて、私はやっぱり彼のことを思い出してしまったから。
高校生の頃は確かにあったはずの、彼の好きなスポーツや音楽、部活にゲームに本や漫画の話題は全て消えていた。真っ白なタイムライン。タップしてリプライ欄。メディア欄。空っぽ。
どうしたのだろうかと考えながら、またタップ。いいね欄。私はここで2度目の失恋をした。
「安倍晋三は総理大臣としての責任を果たしてさっさと辞職するべき。」「アベはこの問題について一体どう考えているのか。逃げていないで説明しろ!」「アベは国民をバカにしている!」「アベが」「アベが」…。
どうしたというのだろう。何故彼のいいね欄は政治の話…それも所謂「アベガー」ばかり。
リュウは優しい人だった。自分も努力家で、同じく頑張る人を見捨てられない、優しい人だった。
間違っても、誰かを口汚く罵倒するような人ではなかった。
なのに、どうして?
私の恋心ゆえに、記憶の中のリュウがかなり美化されていることは分かっている。(クラスメイトよ、リュウが神木隆之介似というのは流石に言い過ぎだと思う。)
でも、優しくて賢くて、誰かに手を差し伸べることはあっても、誰かを攻撃するような人ではなかったことは紛れもない事実だ。
何がどうしてこうなったんだろう。リュウが私の理想通りにならなかったことに怒ってるんじゃない。絶対に言い返さない、言い返せない人に向かって、安全圏からこそこそ口汚い言葉を使うような人に共感しているなんて、ショックだった。
直して欲しいとは思わない。誰が何を考えていようと自由だからだ。彼は自分が共感した意見にいいねを押して、私は勝手にショックを受けた。ただそれだけの話。
私は懲りずに彼のアカウントを見に行った。凍結されていた。
恋って一体何なんだろう。
幾つか疑問を呈したい表現がある。
まず"ありがち"な話かどうかだが、俺はそうは思わん。考えるだけでなく実際に動いて挑戦した訳で、webで具体的な失敗の体験談を見た記憶は殆どないからだ。
次に"社会不適合者"とあるが、これは視野狭窄の故ではないのか。叙述されている限りで適合しなかったのは部活(と顧問との関係)のみであり、学業は届を出して休学し、親との対話も済ませており、且つ又バイトも継続中とある。何を以てして社会とし、適合と見做すかは主観に依るところが大きく難しいが、プロテストを他のスポーツや職業に置き換えれば、全く不適合には当たらないのではないか。
そして最も気になった"全ては終わった"の叙述であるが、プロ認定を各種資格試験で例えれば人生経験の少なさからくる過剰な悲観に過ぎぬようにしか思えない。
……まぁなんだ? それだけ賭けてて意気込んでたのは分かるが、もっとジジィババァの話でも聞けよって言う。
4,50過ぎて黒潮リーグだとかJPBAテスト受けてる奴なんざ、オマエの人生が終わってたらゾンビ通り過ぎてグールとかレヴァナントとかかよって話だ。雀士とかもゲーマーだけどどうすんだ?
あとほら、芸能関係なんざ言うまでもねぇし、もっと分かりやすく例えると、オマエ転職の為にダーマ神殿入り損ねただけじゃん。ちょっと途中で中断したイベントはあったかしれねーけど。
そしたらこれ、どんだけ序盤で終わる気だよって話だろ?
んで敢えて言うが、"どうなるんだろうな"っつわれたって「知らねーよw」としか言えないんだよ。だって決めるのオマエだし。
この先プロゲーマーがどうなっていくかは、ぶっちゃけ誰にも分らん。そんなもん作ろうって盛り上がってた時代あったなぁー、で終わるかもしれんし、世界を変えるくらい盛り上がる可能性だってある。
だが取り敢えずオマエは自分で考えて行動したんだし、立派に挑戦も成し遂げた。
それを伝えたって行為はこれだけの反応を呼んで色々な人間の考える契機になっているし、オマエより若い奴の標にもなってるかもしれんってのを考えてみろ。
こういうのは書いたことなくて無駄話が長くなると思うので先に簡潔にまとめよう。俺はプロになるためのトライアウト(入社試験みたいなものだと思ってくれていい)を受けて最終選考まで残り、そこで不合格になった。結果として今はほぼニートのような毎日を送っている。
・トライアウトを受けて落ちるまで
小さい頃からゲームが好きだった。とはいえサッカーやテニスも習っていたりして、この頃から引き篭もってゲームばかりしていたわけじゃない。確かにその時俺は楽しくてやっていた、だがどれもお世辞にも上手いと言えるレベルではなかった。
部活動ではテニスをやっていたが顧問が気に入らなかった。実際今思い返してもしょうもない奴だったと思う。だから、部活をやめた。
俺がゲームに熱中するようになったのはそれからだった。当時中学生だった俺はfpsにハマりクランに所属した。大半が年上だったが楽しかった。有名なところではなかったが、それでもクランの公開グループ(チャット部屋のようなもの)には数百人の参加者がいた。
そしてそのfpsが廃れるのと同時に当時の知り合いと別のゲームへ移った。そのゲームにはランクシステムがありそこで俺はアジア圏の上位0.003%に入った。身内からはプロなんかも出たりした。
その時に感じてしまった感覚、それが今の俺を生み出したんだろうと思う。
『頼られる感覚、褒められる感覚、必要とされる感覚、尊敬される感覚』
今まで何の才能もなく、誰かに求められたことも無かった俺にとっては最高の気分だった。完全にゲームに溺れたのは多分そこからだろう。
その頃にはもう最初期のfpsをやっていた仲間は殆ど関わりがなくなっていた。
それからしばらく色々なゲームを転々としたあと19になる頃に俺は大学を休学した。
親や教師に『プロゲーマーになる。』と宣言して。当時まだリリースもされていないFPS(以下文中でfps2とさせてもらう)に目をつけて、休学届を出した。
その時の俺には自信があった。俺には才能があるそう思っていた。
そして親や教師に休学を伝える頃には既に俺に一通のメールが届いていた。
『一次審査を通過されました。』
この時はまだ計画通りだった。
その後書類、ポートフォリオ提出、面接、実技、実戦等のトライアウトを経て最終審査で俺は落ちた。
全ての審査が終わるまでに1ヶ月ほど期間がかかった。俺はその1ヶ月間審査以外でfps2をプレイできなかった。
強くなろうと頑張っているところ、負けているところ、弱いところを誰かに見られるのが嫌だった。これからもしかするとプロゲーマーのXとして活動するかもしれない自分の弱さを他人に見せたくなかった。
いつか失ったはずのプライドで全ては終わった。
・現在
バイトは相変わらず続けているがこれからどうすればいいのか、分からない。来年に復学予定だから普通に学校を卒業して働けばいいと大半の人は考えるだろうがやりたくない事で生きていくのは意味があまりないと思う。
もちろんそれがズレた感覚なのは分かっているが、バイトの時は時間を売っていると思って心を殺して働いているしそれが一生続くなら死んだ方がいいような気もする。
生きたいと思う程未来に希望を抱いてないけど、死にたいと思うほど人生に絶望もしていない。
どうなるんだろうな俺は。