はてなキーワード: 部活とは
何度か書いたんだけど、女の子の部屋で彼女がシャワー浴びて出かけることになって、
二間の居間とダイニングキッチンとの間にすりガラスの引き戸があって、
昔は、今でもかも、賃貸アパートのトイレにウォシュレットなんか無いから、
紙で拭くだけなんだから、クロッチが薄黄色に汚れていた。真ん中や前も不愉快を感じさせず、
きれいに汚れていた。くんかくんかしたけど臭いはしなかったけど、
どうせならこのショーツに射精しよう。ちんこをショーツで包んで、
ばたん。「何やってるんですか?」
彼女は髪を濡らして片腕で胸を隠して、扉から半身で僕を伺い。驚いていた。
ちなみにまん毛は見えた。それが初めてでは全然無いけど。
僕は今でもこのことを悔やんでいる。
ちょいと訳ありの女性が居て、人気のない夜の公園の多目的トイレに入りたいけど色々怖い。
では僕が外で待ってて、急ぎでトイレ使いたい人が来たら知らせますよ。
まあ来ないけど。それより変質者とかのほうが怖いし。と、その女性は安心してトイレに入った。
しかしチコちゃんは知っていたのです。多目的トイレの鍵は20分位で解錠されるのを。
ランプが消えて解錠されたけど、出てこない。どうせ初対面の人だし、とボタンを押してドアを開けた。
出入り口の方に向けて、おなにーしてた。扉が開いても驚きもしないで、
「誰か男の人が入ってきて、強姦されたかった」そうだけど、誰でもよくないだろうし。
僕が入っていったら、「扉閉めて。おちんちん舐めてあげる」と女性からジーンズを脱がされるなんて。
勃起はしてなかったけど我慢汁でぬるぬるだったけど、躊躇なく舐められた。
大きく硬くなると「大きく硬くなった」と、ちんこを下に押し下げて弾いて上にびょん。
なんとなく立ちバックの体位だけど、ローションみたいにぬるんとちんこがまんこに入って、
ふたりともそこでため息ついて、何回か女性のお腹の奥にちんこの先を押し付けた後、
「ここじゃなくて、部屋からブホとかで」「そうだね」。
ふたりともそのままパンツ履いてジーンズ履いて、忘れ物ないか確認して、
そこまでで僕が入って5分くらい。駅まで歩くうちにタクシー来なくて、
結局駅前でタクシー乗って、女性の部屋へ。部屋に入ると女性は服を全部脱いで裸になって、
「君も君も」と裸になって、布団に潜りこまされた。
そのなかで色々触られたりいたずらされたりだから、性癖と状況がリンクしてるん」。
「何歳のときにですか?」「小5小6」。ああーっ。と思った。
相手の冷たい素肌が触れるし、乳首の先立って、僕のちんこの先立って、
毛が生えてきたり、生理が来たり、おなにーに興味持ったり」。
まんこは少し乾いてべとべとになっていた。
「男の人のおちんちんはえっちなことすると、大きく硬くなって、
それを女の子のここに差し込むんだよ。それからもっと気持ちよくなると、
おちんちんから白い精液が出て、その精液が女の子のお腹の中に入ると赤ちゃんができるんだよ」って。
「お股に毛が生えると、もう子供じゃなくて大人だよ。胸も大きくなるよ」。
「私毛も生えたしおっぱいも大きくなったし男の人にエッチな目で見られるし、大人になったよ」
と言いながらお尻を僕に密着してきて、ちんこがまんこの奥まで入った。
イサキが大量だったりとか。ちな僕は、まん毛かな。
もしも女の子二人と三人で飲みに行って、一人が酔いつぶれて。
一人がトイレに行ってる間に、潰れてる女の子のジーンズを膝まで脱がして、
寢バックの体位でまんこにちんこ出し入れしてたい、もうひとりがトイレから戻ってくるときまで。
そんなん話すと「私ので良ければ」と、ショーツ脱いで、
僕のジーパンの前を開くとちんこが飛び出して真上向いてるから、
「私のまんこでいいならいつでも使っていいよ」と僕にまたがって、
腰を下ろして、ちんこをまんこに入れた。「おちんちんも私が借りてもいいかな」。
コロナで会社の業績が悪化して、ボーナスも無くなるしその癖業務は増えるしでずっとイライラしっぱなしだった。
それで、ずっと配偶者に嫌みを言い続けていた。
相手がちょっとムッとしたとしても、いちいち口に出して怒ったらおかしいかな、というラインを見極めて。
意識的にしていたわけではないが、無意識でもなかった。わざと。わざと嫌がらせを続けていた。理由は特にない。
そしたら、今週の月曜ついに配偶者が発狂して夕食中に皿を全部床に叩きつけてキレた。で、宥めてもずっと怒ってるし、近づこうとすると突き飛ばす、蹴るなどの実力行使に出るようになった。
今までベッドを共有していたのだが、それが出来なくなった。で、今は床に座布団並べて寝てる。
何回も和解を試みたがダメだったので、嫁の仕事が休みの週末にゆっくり話そうと思っていたんだが、今朝着替えを詰めて仕事に行ってしまった。今日の夜どこかに一泊して、明後日実家に帰るつもりだと思う。今日自分が仕事が休みなので、そらに合わせて出て行ったんだと思う。
配偶者は特別溜め込むタイプではないが、自分が溜め込ませるような感じで当たってしまうので今までも爆発させたことは何回かある。
でも、今までは多少モノに当たることはあっても怒って手が出る人ではないと思っていた。
口喧嘩は圧倒的に自分が強くて、言い返せないからストレスが溜まるのだと思う。別に自分が特別頭の回転が速いわけではない。むしろ、自分はあることないこと適当に取り敢えず捲し立てるので、言ってることはゆっくり聞けば矛盾だらけでめちゃくちゃで、言葉を選びながら慎重に話す配偶者のほうが頭つかってると思う。実際配偶者は自分より頭がいい。
ともかく、普段は温厚で大人しくて理知的な配偶者を料理の乗った皿をぶん投げるレベルまで追い詰めてしまった。最低だと思う。ただ、気づいたらこうなっていたのも事実で、今まで同じことを何度も繰り返してきたのに治らない。
昨日の夜は話しかけてもうんともすんとも言わなくて、寝る前にベッドに潜り込もうとしたら離婚すると絶叫してた。本気で離婚されるかもしれないが、たぶんどうしようもない。
子供もまだいないし、自分と暮らすより離婚していい人と付き合った方がいいかもしれない。でも、自分がストレスを溜めてない時は本当に気が合うし仲の良い夫婦だと思う。離婚したくはない。好きな子いじめに近いかもしれない。自分のせいで嫁がイライラしてるのが面白くて虐めてしまうところがある。子供でもないのにそういうコミュニケーションの取り方をするのは本当に最悪だと思う。初めて部活で後輩ができたときも上手く優しく出来なくてイビったりしたし、自分は人格に問題があると思う。
弁明の余地もないし、言い訳のしようもないし、全部自分が悪いが、出来れば離婚したくない。でも、謝って許させたらダメな気がする。時間を巻き戻してやり直したい。配偶者があんなに怒る前にちゃんと謝って普通に接せればよかった。身勝手だけど、嫌われたてしまったんじゃないかと思うと怖い。
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
俺の地元が公立天国だったから小中高国公立で、大学も旧帝大に行けた。「小中高でお金がかからなかったから大学も出すよ」と言ってくれたので、奨学金も無し。
就職もちょうど売り手市場の頃。2社受けただけで大手に総合職として就職が決まった。
現在カメラやPCに散財しても30手前で貯金は1000万超えたし、このままそこまで無茶な働き方しなくても40代には総資産3000万くらいは余裕で狙える。そして祖父母の家と両親の家はローン無しで相続確定してる。
結婚はしませんと言っても祖父母も嫌な顔見せずに永代供養を選んでくれたし、俺の代で家が潰えても何の不安もない。
病気の症状や治療(というか治らないから経過観察)は確かにしんどいけど、ある意味病気のおかげで、親も祖父母も「あなたが生きているだけで良いのよ」的な感じで好き勝手やらせてもらえてる。
仕事も周りの人が良い意味で病気のことを気にしてないから楽しいしやりがいもある。
病気で他の人より仕事が遅かったり、突発で休むこともあるけど、そんな自分でも期待して重要な仕事を任せてくれている。その事実が自分のモチベを上げているし仕事の結果にも繋がってると思う。
まぁアーリーリタイアするつもりではいるけど。申し訳ないけど病気で体力が持つ気がしないのでこればっかりは仕方がない。
もちろん病気のせいでできないことも多い。部活には入れなかったし、体力の関係で土日遊びに出かけることもあまりできないし、仕事を早く辞めることもそうだし、結婚もその関係で諦めてる。
だけどその分他人の愛情(憐憫かもしれないけど)に敏感になっていて、他人のちょっとした愛情に気づくことが多い。そして愛されている分自分も頑張ろうと思い、良いループが形成されている気がする。
病気そのものは辛いけど、おかげで人の善意に気付けることが多くて、それが結果人生イージーに繋がっている気がする。
そりゃ嫌な人もいたけど、それはその人の一部分しか見えてないだけで、嫌いなまま終わった人間関係は(少なくとも30年間)無かった。
(単に、俺も運が良くて周囲の人に恵まれていただけかもしれないけど)
中学一年生の三学期、隣の市からA(半キラキラネーム)という転校生がやってきた。
休み時間に、その子がアニメのキャラの絵を描いているのを見た。私も当時ハマっていたアニメだったので、こちらから声をかけてすぐに仲良くなった。Aはそれまでの私の人生で出会ったことがないタイプの人間だった。私の中学にもオタクの友達はいたが、どちらかというと仲間内で細々やっている大人しめのオタクだったのに対し、Aはイベントに行くわ絵を描き散らすわデカい声で萌え語りをするわとても活動的なオタクだった。彼女のオープンさにヒヤヒヤすることはしょっちゅうだったが、同時に大人しすぎるオタク仲間に物足りなさを覚えていたこともあり、私はAとよく遊ぶようになった。
Aは変わった子だった。繰り返すが、今まで会ったことがないタイプだった。彼女のようなキラキラネームの持ち主に会ったことも初めてだったし、「前の学校は治安が悪かったが、男子に喧嘩で引けを取らなかった」と聞いた時は、さすがに嘘だろと思った。Aはラグビーをやっているらしくふくらはぎには固い筋肉があったし、実際腕力も強かったが、それでも信じられず彼女の名前で検索をかけたところ、ラグビーのクラブチームの名簿がヒットしたので、ラグビーをやっているのも嘘じゃないとわかった。本当に喧嘩が強いのかもしれない。私の中学は平和だったので治安の悪い状態というのがドラマのようなものしか想像がつかず、知らない世界からやってきたAへの憧れは強くなった。
その他にもAは様々な信じ難いことを言った。
全員キラキラネームの妹が3人いて4人姉妹。(これはまあなくはない)
両親が事情があって別居するので転校してきた。
隣の市の祖父母の家は車のディーラーをやっていて、そこそこ金持ち。
その店には暴力団関係者も来るので、その手の人と繋がりがある。(ダメでは?)
車屋の事務用のデカい印刷機で小説同人誌を刷ってイベントで頒布した。それは年齢制限ものだったが、特に咎められなかった(ダメでは?)
覚えているのだけでもこれだけあるが、多分もっと小さい忘れているものも数多くある。
一度だけAの家に遊びに行った時に彼女の妹たちと会っているので、4人姉妹なのは本当だ。
今思うとこれを全部信じるなんて相当の世間知らずかバカなんじゃないかというところだが、当時中学生の私は世間知らずのバカだったし、少なくともラグビーや姉妹の話は本当だと確認したし、何より私の知らない世界から来た彼女なら、もしかしたら本当ということもあるのでは?と思ってしまっていた。Aの非日常な名前が、性格が、バックグラウンドが、話のありえない部分にも肉付けをしていた。
従兄弟のBは彼女に劣らないキラキラネームで、そこそこイケメンで、彼女と仲が良いということだった。AはよくBの話をした。
AがBの家に遊びに行った時、私はBと初めて会話した。といっても直接ではなく、私がTwitterのDMでAと会話している時に、私がBと話してみたいと言ったら代わってくれたのだ。
趣味やお互い知らないAの様子の話で盛り上がった後、Bは「絶対に漏らさない」という条件で、とある秘密を教えてくれた。曰く、BはAを恋愛的に好きだという。そして、なんやかんや上手くいくようにAの気持ちをそれとなくBに誘導してほしいというのだ。驚き、面白そうだと思った私はそれを了承した。Bは彼のTwitterアカウントを教えてくれた。プロフには腐男子だと書かれていて、Bも私たちと同じアニメが好きなようだった。
私は2人の関係をちょくちょく気にするようになった。AがBの話をしたらBを上げ、二人が仲がいいことを賞賛した。AとBがTwitterでやり取りするさまを眺めた。診断メーカーで2人の「相性が良い人」欄が完璧にマッチしていたとき、Bは明らかにAを匂わせるコメントをし、Aもそれを意識しつつも完全には気づいていないようなコメントをした。正直AはBの好意に気づかない振りをしていると思った。彼女のふるまいは鈍感系主人公のそれだった。
ある夜、Aの家族とBの家族が一緒に食事に出かけた。そこで何かあったようで、Aは動揺した様子で私にDMを送ってきた。
その日は一段とBのアピールが激しかったという。もう好意を隠す気もないような態度を一貫してとり、Aの指にソースがついたときなど、なんとその手を取って舐めたらしい。その話を聞いた時はさすがにオワーーーーーーッッッ!!!!となった。現実でそんな事する奴が本当にいんのか!?!?!!?しかしAとBは共に重度のオタクだったし、リアル中学2年生が厨二病を患っていたら、もしかしたらそんな血迷ったことをしてしまうかもしれない……と思った。
Bの行為にAは驚いて泣き出してしまい(引かれてるじゃねえか)、その場を飛び出したと言う。しばらくそうやってDMで話していると、Bのアカウントから突然「今から告白する」という旨の文が届き、それからAが「Bが来た」と言ったきり返信がなくなった。しばらくして、Bのアカウントから連絡があった。
同時にAからも連絡が来た。舐められて驚いたが、嫌だった訳ではないらしい……?私は指を舐められたことがないので気持ちがわからない。
なにはともあれふたりは付き合うことになった。と言っても私はBの事をキラキラネームであることとAのことが爆裂に好きであるということ以外知らないのでこいつにAを任せていいか不安だったが、それは置いといて私はふたりにおめでとうと言った。その後特段に変わったことは無かったが、Aの話に時たまBとの惚気が入るようになった。
Aから「夏休み明けに、また元の中学へ戻る」と連絡された。Aの話はどこまで本当かわからなかったが、それでも家庭環境が確かに複雑であることは読み取れたので、おそらくそのせいだろうと思われた。
私はAと本当にお別れしたくないと思うようになっていた。Twitterのアカウントは知っているが、少し前から彼女のツイート頻度は減っていて、彼女はLINEの返信も遅れがちだったので、とにかく不安になった。それでも私に彼女の引越しを止めることなどできるはずもなく、彼女は予定の日から数日オーバーした後、私の中学から姿を消した。
しばらくはTwitterなどで今まで通り連絡を取り合うことができていた。しかし、彼女のTwitterアカウントはある日完全に停止した。数日後見るとブロックされていた。LINEも既読がつかなくなった。Bのアカウントも全く動かなくなっていた。
私はAに何があったのかと心配したが、彼女の今の住所もわからず、治安が悪い(と聞いていた)中学に凸する勇気もわかず、やはり何も出来なかった。しかしAはメンヘラとはいかないまでも精神的に不安定な部分があったので、いきなりこんなことが起きても意外ではなかった。時が経つにつれ、Aも向こうでなんとかやっているんだろうと思うようになり、いつしか私はAのことを考えなくなっていった。
中3になり、私の所属している部活に新入生が入ってきた。その名前を聞いて、私は心底驚いた。
その子は、Aのすぐ下の妹と全く同じ名前だった。Aの妹かと聞くと、そうですと言った。確かにAの面影があった。
なぜAとその妹が別居しているのか、家庭の事情があるのだろうと察せられたので深く聞くのははばかられた。ただ、妹から、Aは元気にやっているということは聞けたので、そこは安心した。
私は妹ちゃんに、一緒に過ごしていた頃のAの様子を話して聞かせた。妹ちゃんはとても良い後輩で、彼女もやはりオタクだったので仲良くなるのは容易だった。
ある日、私は妹ちゃんに尋ねた。
「Bは元気にしている?」
「……誰ですか?」
「え?Aが、Bっていう従兄弟がいるって言ってたんだけど……」
ぞっとした。
私はBの顔を見た事がない。写真は見せないでほしいと言われていると、Aがそう言ったからだ。
正直、暴力団うんぬんや同人誌の話はAが盛った話だろうと思っていた。日々の生活の中で、Aがそうやって話をちょこちょこ盛る悪癖があることを、あとの方の私は薄々感じていた。
でもまさか、存在しない人間を作って、そいつとの恋愛模様を一部始終見せつけられたなんて、思いもしなかった。地域の祭りの日に一度だけAを見かけたが、話しかける気には到底なれなかった。
Aは家庭環境が複雑らしいから、もしかしたら妹ちゃんが会ったことがない従兄弟がいるのかもしれないと、そう考えたこともある。しかし一度Bの存在を疑ってしまうと、今まで感じていた違和感たちが風船のようにむくむくと膨れ上がった。
Aは友達が多い方ではなく、中学では私と一緒にいることが多かった。今となっては、Aのことを覚えている同級生の方が少ないかもしれない。転校してしまったので卒アルにも載っていない。Aの嘘で塗り固められた話に惑わされた私は、もうAの存在すらも、夢のようなものだったのではないかと感じている。
これを書くにあたってAとのDMを遡ろうとしたのだが全部消えていた。おそらく過去の私が恐怖のあまり消したのだろう。Aは垢変を繰り返したようで追跡は困難、Bのアカウントは完全に消えていた。私の机の引き出しにしまってあるAがくれたラバストだけが、確かなものとしてそこにある。
中学受験の是非の議論の喧々諤々を見ていて、自分は学生時代恵まれていたんだなと思った。のでぼんやりのろけてみる。
小学校から中学校までは地元の公立学校に通った(お世辞にもあまり治安の良い地域ではなく、勉強もできる地域でもない)。
成績は優秀(当社比)だったので、先生たちからは可愛がられたほうだと思う。
友達にも恵まれたほうだと思う。幼馴染にヤンキーやギャルが多かったから積極的にいじめられることは多くなかったし、いじめられても友達が守ってくれた。
勉強は家でやっていたので授業の質は低くても高くても問題なかったし、受験も問題なく志望校に合格した。
楽しかった。
公立とはいえ家柄のいい友達も多く、いわゆるハイソな世界を垣間見ることができた。
色々自由にやらせてくれる校風だったので、部活にイベントに好き放題打ち込み、楽しい思い出が忘れられないほどたくさんできた。
授業も面白くて、好きな科目が明確になり、大学を勉強したいことベースで選べたのは特に恵まれているなと感じる。
地元にずっといたらあの先生には出会えてなくて、勉強の楽しさを感じることはなかったかもしれない。
自分自身は遊び呆けてたとはいえ授業のレベルは進学校の名に恥じぬもので、予備校とか行かなくても特に苦労なく目標の大学に入れた。
楽しかった。
学びたいことも期待以上に学べたし、密かにいだき続けていた小さい頃の夢まで叶えられた。
友達もやりたいことを選んで同じ場所にたどり着いているので、趣味も似通っているところが多く、自然と会話がはずんだ。
高校までとは違って全国から人が集まるのでいろんな地域の話を聞いて、いろんな地域に行って、自分の世界が地理的に広がった。
公立学校でこじんまりしていたころは、北海道から沖縄まで友達が全国にできるなんて思わなかった。
楽しかった。
人生の節々を思い返すに、どこでも楽しい思い出があるし、どこでも学びがあった。
こうやって書き出すとよく分かるが、自分がなにか頑張っているというより周りの人や環境が人生を豊かにしてくれているようだ。
昔の都合の悪いことを忘れているだけかもしれないが、細かいことを忘れた上でいい思い出が残るのならやはり恵まれて生きてきたのだと思う。
私立中学に行ってたら、地元の高校に行ってたら、色々違う未来があって、その中にはもっといい未来もあったかもしれない。
でも少なくとも自分の歩いてきた道は悪くない道だったと思う。それはとても貴重なことだと思う。
高校時代の後輩の男子ともうセフレかつヒモみたいな関係性で10年目を迎える。めでたいね!!めでたくねーわ。
数ヶ月ぶりに遊びたいと連絡が来て、夜の相手も込みで遊ぶんだろうなーと思いつつ予定を空けたわけです。
誕生日の次の日に。
いやまあ、これは私がおこがましいのですがちょっと期待しちゃってました。
今日はご飯ワリカンにしますよ!とか今日は遅れずに来ましたよ!とか言ってくれるかなとか思ってたよ。
案の定遅刻、アーンド費用は私持ちでしかも行きたいお店はそっちが決めるのね!爆笑。
その上で、最近彼女できたんですよーって言い始めるし。えっこのあとホテル行くんすよね?
「あ、それはいいんです、彼女そういうのも込みで良いって言って付き合ってくれてるんで」
お前らはいいかもしれないけど私は良くない〜〜〜!!!(でも結局寝る)
倫理観とかどこに行ったのお前。
そのあと一緒に買い物行った時、一品なんか買ってあげようか?と声をかけた瞬間から、待ってましたと言わんばかりに私の持つカゴにどさどさと買いたいものを遠慮なく入れていく君。
なんだか情けないやら悲しいやらで、でもなんだかそれを表に出したら本当に負けのような気がしてぜーんぶ買ってあげてしまう自分ってなんなんだろうね。
人が甘やかしてくれることに対して付け上がるような人になってしまって、先輩は悲しいです。
散々甘やかして、正常な倫理観を育む土台を奪ったのは私なんですけれど。
私が悪いのだ。
というか毎回会うたびにガッカリしてもう会わねえって心に決めてるんだよな。
なのに数週間すればそんなことを忘れて、誘われれば会いたくなってホイホイ予定を空けて金を用意している。
その場の雰囲気に流されている。
冷静に振り返ると、私は一体何なんだろうか。
まとわりつく誘惑を振り解けない私が悪い。
もう当たり前のことを羅列して、もう会わないと今度こそここに誓おう。
当たり前の倫理観である。(それを当たり前のように無視してきてしまった)
・たとえ当人たちが浮気を認めようとも、浮気相手となることは自らの価値を下げることである。
私は、きちんと誕生日を祝ってくれて、幸せを願ってくれている友人知人がいる、ちゃんとした人間なのだから。その願いに応えねばならない。
・そもそも私数年前に振られているのだから未練たらたらに甘い誘惑に負けるな自分。
彼女はあくまでキープしてるだけ、という口ぶりの彼だが逆にいえば私は恋人としてキープする価値もないと過去に言われていたということである。
・正直、26歳の彼をもう「かわいい」と思えない。
後輩として私についてきてくれた可愛らしいあの男の子はもうこの世にはいないのだ。なぜなら私が道を踏み外させてしまったから、増長してつけ上がってこうなってしまった。私のせいだ。
・そんなに体の相性も良くない
今手っ取り早くやれる相手が彼しかいないだけで、正直そんなにやってて楽しい相手では無い。
・話もはずまず、共通の話題もない人間に時間を費やすには人生はあまりに短い。
共通項は高校の同じ部活の先輩後輩というだけの2人。10年経った今もはやその共通項は過去のものである。話しててテンションの上がる人と過ごそう。一緒にいて、安らぐ人に時間を費やそう私。
・ホテル代食事代衣服代総額1日で彼に出した額=1ヶ月の家賃はさすがに私の頭がおかしい。
甘やかすとかのレベルではない。
・そもそもありがとうの言葉が無い方に差し出す金も優しさも、もう持ち合わせていない。
それだけの金銭的、精神的な余裕は私にはもう無い。金銭はまだいいが心がもう空っぽなのだ。時間が経つと自らが空っぽであることすらを忘れる自分へ。私はもう、空なのだ。
・もう2人とも大人なのだから、後輩の道を踏み外させてしまった責任を負わなくてもいいんじゃないか。
これは願望。けれど、もう大人なのだ、私が彼をこんな奴にしてしまったのだとしても、彼がそうなることを選んでもいるのだから、私が全部悪いわけじゃ無いはずだと思いたい。
・もう私が悪いんだと、自分を責めたく無い。
つかれた。
地方公務員になって13年が経った。
元は民間企業の営業をしていて、諸事情があって公務員に転職した。
面接官ではないが、補佐役として面接中の受験者の斜め後ろに座って、喋り方やその他の挙動をチェックする仕事をしている。
自分のことを思い出すに、採用試験の面接では筋違いなことをして相当に苦労した。
できた!と思った面接でも、今になって思い返すと不採用にしてくれと言っているような、そんな内容だった。
受験1年目は公務員になれなかった。苦節の末、2年目でなんとか第一志望に合格できたけど、もっと早く知っておけばよかったという観点がいくつもある。
今回は、先達の1人として、地方公務員を目指す人のために面接試験で大事なことを話してみたいと思う。3点に絞って説明する。
というのも、一般人の平均を超える知能がなくては務まらないタイプの仕事が多いので、地方公務員に比べると筆記試験のウエイトが重くなる。
地方公務員にそこまでの知能レベルは求められない。ほとんどの業務は、中学校までに習うレベルの知識があれば十分に務まる。
※地域を盛り上げるためのイベントの企画・運営や、組織全体の予算を管理する業務などはもちろん除いている。
地方公務員の場合は、一にも二にも人柄や気質、人格などの人間性が重視される。理由は後述する。これが備わっているかどうかを面接で確かめることになるので、必然的に面接試験のウエイトが高い。
5段階評価で4以上の人を採用する。採用したい人の数と同じくらいしか4以上はつけないし、つかない。3を取った人は当落線上にあり、最終調整で選ばれるか、あるいは補欠合格になる。2の場合は自動的に不合格だ。少なくとも、うちの自治体で合格する可能性はない。
「筆記試験で満点近く取れたぞ!」とガッツポーズを決めることができたとしても、そんなに意味はない。仮に満点を取ったとして、面接官に「こいつ頭いいな」と思われるくらいだ。
2.どんな人が高い評価を受けるのか?
その前に、国家公務員と地方公務員の仕事の傾向の違いを述べる。ここでいう地方公務員は市の職員を、国家公務員は一般職を想定している。
・地方公務員の方が地域住民との折衝が多い。国家公務員の折衝先は法人が多くなる。ここでいう地域住民には、市会議員や工事業者なども含まれる。子ども時代に知り合った人が窓口にお客さんとして来ることは実際にある(小中学校の元担任や、高校で同じ部活だった先輩や後輩など)。
・地方公務員の方が業務の幅が広い。例えば、国土交通省だと、どこの部署に行っても、河川や道路の管理をする可能性が高いが、地方公務員の場合は、全ての中央省庁の仕事がひとつの組織内にまとまって存在する。よって、専門的な知識や技能を広く薄く身に着けることになる。
・地方公務員の方が同質性が強い。多くの自治体の場合、在籍している職員の卒業した学校(特に小中高)が被ることが多い。そのうえ、同期の1割~2割しか途中で辞めないので、どの部署にも同じような文化が定着する。例えるなら学校だ。卒業まで40年近くかかる学校といってもいい。それが市役所だ。年齢がいくつになっても「あの代は優れている。あの代は谷間の世代だ」といった話題が交わされる。
こんな世界で心も体も健康に生きていけるのは、誰とでも仲良くなれる人間であることは論を待たない。
特定の者としか仲良くなれない職員は必然的に孤立する。年を経るごとに、周りとの協調が必要になる仕事がやりにくくなり、頼られることが少なくなっていき、多くの場合は定年前に早期退職制度に応募することになる。
面接に臨む際に意識すべきは人柄だ。面接が始まれば終始スマイルを保ち、質問にはゆっくりと落ち着いた口調で最大限のわかりやすさで回答し、不明な点があればわかりませんと言い、回答に詰まったら、そのことを素直に認める。
私は凄い!とアピールしてはならない。本当に凄かったとしても駄目だ。そういうのは黙っていても伝わるものだし、面接官はエントリーシートをすでに読んでいる。
むしろ、アピールが過ぎると自意識過剰であると判断される危険がある。聞かれたこと以外は実績のアピールをすべきではない。どうしてもやりたいなら、数字で表現可能なものに限定する。
しつこくなるが、地方公務員の場合は能力よりも人柄重視で採用を行う。今では絶滅危惧種だが、かつては素行不良の公務員が多かった。市民にため口をきいたり、空残業をしたり、自宅のごみを市役所のごみ置き場に捨てたり、公用車に乗って家に帰ったり、自分は昇進できなかったので市に尽くす義務はないと宣ったり、逆に、俺は労働組合に言われて無理やり昇進させられたと言って部下にすべての仕事を投げたりといった具合に、やりたい放題の連中がたくさんいた。
それでもクビにはできない。処分できるかも怪しい。素行不良の公務員を守っている解雇規制は、同時に市民や仲間のことを思いやれる優れた職員も同時に守っているからだ。評価が低い職員がポンポン免職処分になっている官公庁があったとすれば、おそらくは政治的理由により、評価が高い職員もそれなりの頻度で免職や降格になっている。
今の40代・50代の職員は、こういう市役所の悪いOBをたくさん見ているので、同じ失敗を犯さないよう最大限に気を払っている。その対応のひとつとして、受験者の人柄を見ている。
面接に合格する可能性を高める情報しか集めてはならないし、触れてもいけない。
私の経験で有益だったのは、予備校の一室に置いてあった受験者の面接体験談だ。
この時ばかりは、高いお金を払って受講生になってよかったと思えた(社会人向けのコースを受けていた)。
今思えば、予備校講師による模擬面接もためになった。当時は、公務員ではない人間が面接指導などできるのか?と半信半疑だったが、彼らは受かる人間と受からない人間をごまんと見ている。
そんなキャラではだめだよ、と直観力をもって指摘することができる。予備校で面接指導をする講師の中には、傲慢だったり不遜だったりする人はもちろんいるが、それでも多くの講師から訓練を受けるべきだったと今では思う。
逆に、無益どころか害悪になる情報源もある。現役あるいは元公務員が書いたブログだ。
いったいどこがクソなのかと言うと――ブログ記事を読んでいてわかる。どんなに偉そうなことを言っていても、この人達は職場で高い評価を受けていない。むしろ低い評価を受けていて、その恨みつらみをブログという手段で発散している。
もしあなたが、面接対策として現役公務員や元公務員のブログを読むとしたら、この点に気を付けてほしい。そういう記述を見つけたら、すぐにタブを閉じて別のサイトに行こう。
以下に記事内容を例示する。
・残業時間が少ないと高い評価を得られない、飲み会を断れないなど職場への不満を多数漏らしている
・能力が低い職員を馬鹿にする発言(こういう人間は市民も馬鹿にする)
・副業を推奨している(アフィリエイトは100%懲戒処分案件なので特に注意する)
・給与や休暇などの福利厚生の話題や、得をする働き方など、金銭的な内容を扱った記事が多い
具体的には、これらのブログが該当する。
http://ps-kimotaku.officeblog.jp/
https://www.lifehacking360.com/
[番外にして論外]
公務員として、どんな人間が高い評価を受けるのか調べたい場合は、上に挙げたブログを読むべきではない。まして面接対策など論外だ。
逆に、これから面接対策をするにあたって効果的であると思われるブログもある。これらを挙げて結びとする。
(簡素な見た目で読みやすい。扱う内容も具体的で生々しい。下にある無料レポートは受け取らなくていい。オンライン講座への勧誘を受けることになる)
https://katigumikoumuin.com/siyakusyo-mennsetu/
(業務を進める中で起こった問題を赤裸々に表現している。後学として参考になる)
官公庁への営業活動を担当するあなたへ~元地方自治体の契約担当者による随意契約のコツ~
(元公務員のサラリーマンが書いている。実務を行う公務員の思考回路をリアルに描いている。有料(250円)だがそれ以上の価値はある)
https://note.com/innocence1/n/ne81f2831a9ae
画一的なマニュアルに沿って実施されるからだ。マニュアルがなければ、個人の経験や勘で採用活動をしてしまうことになる。だから、相性のいい面接官に出会って、個性が評価されて~というパターンは少ない。正しい受け答えの姿勢を身に着ける必要がある。
後期からはオンラインと対面授業が併用だって大学はアナウンスしているけど、
正直、死人が出ると思う。
ゼミや部活・サークル、アルバイトがあったコロナ前ならそれなりに人と出会う機会があったから、
人間と会話する機会は多少は保証されてて、孤独感を募らせるなんてことは早々なかった。
後期の授業開始を目前に控えた大学側は
と学生を呼び集めたけども、
結局授業はオンラインばかりで、
入学したての1年生やぼっち陰キャ大学生が、親元離れて上京し、一人暮らしの狭い部屋で、
黙々とパソコンに向かってオンライン授業を受ける日々を続けると、鬱病コースまっしぐらじゃないかと思う。
残すはゼミの授業(オンライン)だけど、コロナでバイトがなくなったし、サークルもオンライン。
ぼっち耐性の高さには自信があったけど、
社会的動物である人間が本能的に求めるコミュニケーション欲の最低ラインを下回ったようでストレスが溜っているのか、
最近は人込みを歩いているとたまに動機や息苦しさを感じるようになった。
居心地のいいコミュニティ作りたい→多様性を尊重するゆるい空間みたいなコンセプトを掲げるところが凄く多いけど、
居心地の良さと多様性は反比例すると思ってるので、こうしたコミュニティは必ずトレードオフに直面する
価値観、社会的ヒエラルキー、教育水準こうした社会的な変数をできるだけ揃える必要がある
特にコミュ障や発達障害、人格障害の類の居心地を悪くして自然と排除することで、居心地の良いコミュニティはできあがっていくな
目的もなくただふわふわと集まって遊ぶ場が欲しいなら多様性はない方が良い
学生数の多い小学校もある。どうしてもその割合は均一とは行かなかった。
結果、私はマイナー小学校の卒業生として中学に入学する事になった。
医学を志した私は保健委員になりたかった。しかし、同時に手を挙げた者がおり、メジャー小学校の出身者である彼女は元メジャー小学生の推薦を得て保健委員となった。
ここで私の自信は打ち砕かれた。小学生時代学級委員を努めた功績は、全く何の役にも立たなかった。
仕方無く空いた枠に入る。良い人を演じる為に。その空いた枠に収まった委員を何だかんだで三年続ける事になった。
そこには選択の自由なんてなかった。
文化系部活は根暗、オタクと揶揄され居場所を奪われる。皆こぞって運動部へ入部届を提出した。
グラウンドを広く使えたのはサッカー部。人気だったのは剣道部。
専用の部室があったからだ。
ノーコンのシュートに加えやる気のないGKのお陰で、球があちこちへ飛んで行く。
顔面で受けた事もある。また、ある生徒は一階から飛び降り足を怪我したという。
「強くなりてえ」と両腕、両足に重りを付けていた生徒もいた。
彼は通常の学生鞄でなく、白い斜め掛けバッグで登校していた。田舎の私達の学校にとって、余所から来たそういう出で立ちは珍しくかなり印象に残っている。
いずれにせよ、成績は優秀だったかも知れないが私が夢を諦めたのはあの時だ。なりたい仕事は皆席が埋まっている。数と言う名の暴力に屈服させられて、その自由は奪われるのだとあの時知った。
親父が倒れたらしい
親父とは全くそりが合わず、人生折々のタイミングで妨害を入れてくるため大学入学とともに家には帰らなくなった。
父は他の兄妹にも家を出た時点で完全に腫れもの扱いだった。兄曰く倒れる一日前に皆巣立ったから俺はもう死んでもいいよねと言ったらしい。ヤバイ不調を放置したのだろう。本人どれほど本気だったかは知らないが事実上自殺と言えるだろう。
今思うと聞き分けを良くし過ぎたと思う。
父はなんというか聞き分けがない愚かな男だった。例えば受験に対してそうで、ワイが第一志望にしていた所はゴミなので〇〇高校に行けといった。
これがまず古い。○○高校が名門だったのは学区制の頃だし、学区制頃でさえ入試で名門に入れる成績出しても1/2で行かされるくじのはずれみたいな場所だったと本に書かれていた。実際ワイの志望した第一志望よりも偏差値で言えば4は程度低かった。
両方ゴミだからその名門に行けと言われたらそれはそれでワイも理解を示しただろうが残念ながら全ての事実認識が間違っている。説得しようとしても夕食をひっくり返すだけだ。といっても学費を出すのは父なので(稼いでいるのは母だが)○○高校に行った。
受験先については妹も迷惑を被っているが2晩泣いたら許してもらえた。兄はそもそも受験に何も興味がなかったので父の指定した所に行った。ワイが行った○○高校よりさらに偏差値は5-7くらい下である。一応父はワイの方に目をかけていたらしい。かけているなら邪魔しないでほしい。
兄は剣道着(2万)や野球道具を買ってもらえたがワイには何もないとか他にも不満は多々あった。言っても夕食が消えるか妹が泣くか寝る時間が消えるだけなので最終的に何もしなくなった。父は体育会系の部活に入れと言ったがユニフォーム買う金も渡さないのにどうやってやるんだろう?本当に分からない。事実言っても買ってくれなかったのでこの言葉は矛盾である。
父の凄い所は全ての判断が間違っている所で、父の約束された失敗を実現しないと父は敵にまわるということだ(ワイは○○高校に行かなければそもそも高校に行かせてもらえなかった可能性すらある)
父への説得は結局全て無駄に終わった
他の親戚への相談も考えたが母はそれはやめてくれと言った。これに従ったのも失敗だ。母に考えがあるかも思っていたが、母も狂っていた。
当時は父自身一応高学歴だったし話を聞く価値があるだろうと思っていたが、父の本質は男性ホルモン出すぎの猿だったようだ。家族の将来を考えるよりも自分の影響力を増すのに余念がない男だった。
大学受験でも同じようなことが繰り返され、ワイは家を出た。まぁその大学も父が行けといった場所で正直勉強なんてしなくても入れたし、第一志望のための1年の努力が鶴の一声で無になった訳だが。
大学卒業後精神科に行った。医者は君の父は狂人だねと言って切って捨てた。精神科医は患者の否定はしないだろうから割り引くとしてもあの言葉は忘れられない。ワイが今考えても父は狂人であるし、それを許す母も狂っていた。
家族のことを考えると父の発言権は全て奪うべきだった。というか居ても居なくても家庭運営上なにも問題がないので(金を稼いでいるのは母だ。父はワイが中学に入った時点で腰痛かなんかで働いていなかった)親父への対処は排除、強制的な隠居であっただろう。暴力は良くないと思っていたがどう考えても暴力ないし有無を言わせぬ何かが必要な状況だった。
父の影響で家族全員が不幸になり、その父当人は自殺である。誰も得していない。
ワイは父をどうにかするべきだったのだ。ワイは失敗したようだ。ワイが何もしなかったのもまた、家族を不幸にした。
昔のことを考えると自分がなるべく優しくあろう、まず自分が耐えようとした故に失敗した事だらけだ。
まず自分が勝つ、次に人に影響を与える。父の例によればとりあえず勝てば嫁と家族全員不幸にすることすら可能だ。まず自分が勝つのが大事。教訓は例によって当たり前の事だった。
前半はコロナで勉強ほぼ手付かずだったけど、その後がんばって、この間の模試で和光、中央学院レベルでなんとかC判定取れた。
部活は終わったけど、学校の行事とかもあるし、ここにきて就職、専門組からの誘いも多くて、なかなか勉強との両立が難しい。
進学組のメンツにかけて、せめて帝京、大東大レベルには引っかかりたいが、まだ赤本どころか、社会とか範囲が全然終わってないし古文漢文も間に合わなそうだから2科目入試狙いになりそうな予感。
こんなところに書き込んでる暇あったら、単語の一つでも覚えろって言われそうだけど、、、実際そうだよな。
実際そうだっていうのがわかっているのに、一方で単語一つぐらい覚えたところでかわんの?って気がしてくるから困ったもんだわ。
胸がキュッとなるから思い出したくないのに。
小学校~中学校~高校と、それなりに友達もいて、楽しく過ごしていた。
休みの日によく遊びに行ったり、部活に励んだり、今考えると信じられないぐらい人と接していた。
よく恋もしていた。告白しないまま終わる恋ばかりだった。
勉強も真面目に頑張っていた。周りに褒められるために頑張っていた。
一人暮らしで気が緩んだのか。勉強も頑張らなくなり、だらけた生活を送るようになった。
友達もできなかった。
高校までは自然に友達ができていたから、大学に入ってもその内できるんだろうなと思っていたら、そういうわけにもいかず。
周りは周り同士で友達になっていくが、自分は溶け込めていけない。
どうしようもなくなって、同じ高校から入学したツレとばかり一緒に行動していた。
だんだんそのツレとも会わなくなり、自分はどんどん一人で過ごすようになった。
バイトを始めたが、バイト以外で遊びに行くほどの仲にはならなくて。
大学4年で研究室に入ったが、とりあえず最低限の研究だけしてなんとか卒業できた。
周りは友達同士でワイワイやっていたが、自分は親と出席していた。
親に友達がいないことを知られるのが嫌で、卒業式当日は、親に対してずっと不機嫌だった記憶がある。
卒業できるまで通わせてもらったのに。親不孝者だ。
それで良いと思っているはずなのに、何かがきっかけで昔のことを思い出してしまう。
心の奥底で、まだ憧れを抱いているのだろうか。
なんとなく抱き続けているモヤモヤを吐き出したくて、こんな日記を書いてみた。
書いたところで、モヤモヤは晴れないのだけれど。
体育会系というと今や前時代的人間の屑みたいな扱いであり、時間はかかるだろうがこれからゆっくりと消えていく風習だろう。
ただ、生粋のコミュ障である自分にとって、要求事項、こうしてほしいこうあるべきという指針が明確な体育会系集団は頭を空っぽにしても生きていける貴重な場であったことを白状する。
ひたすらガッツを見せて先輩を立てて、言うことは何でも聞く、規律は絶対、これで大抵のことを乗り切れる体育会系のノリが実は嫌いではなく、ありがたかった。むしろ馴染んでいたとさえいえる。
高校を卒業しそこそこ知られた大学に入った。するとそういう集団を見つけることができなくなった。体育会系みたいな関係が嫌いな人が多いように見えた。
新しい集団に入って自分がまず無意識に考えることは、「誰がこの中で一番強いのか」である(複数の派閥があると面倒だが)。権力者に命じられれば道化だって何だってやる。そうすれば大体生きていける。
しかしそんなものはなかった。後輩も先輩も過度に忖度せず自分の意見を言う。もはや別世界で、これまで他人に合わせることしかせず自分の意見を持たなかった自分は微妙に浮いている(優しい人たちなのでハブられはしないが)。
ともあれ意見をはっきり表明する人の存在はありがたかった。それに合わせればいい。そういう態度をとっていると「いやお前はどうなん?」…?
何を間違えただろうか。
自分の要求や意志がわかりやすく、それを支持すると機嫌が良くなる人はつきあいやすかった。しかしこの大学にいる人は、自分の意志ははっきりしているものの他人から賛同されてもあまり上機嫌にならない。何なら反論されたい、合わせてほしくないとすら思っているようにさえ見える。
しかし本当に、自分が意見を言って良いのだろうか?誰かの機嫌を損ねるのではないか?経験と現実がせめぎ合う。
研究室に配属された。自分の意見を言わず指導教員の意見に合わせていたら、「あなた何も考えてないよね?議論にならないよ」と言われる。
20年前に亡くなった友人を思い出すようになった。
数週間。毎朝。続いてる。
学校が終わった後、Aちゃんの家で遊ぶ事も多く、Aちゃん家族にもお世話になった。
笑って過ごした。
遊ぶ頻度は段々と減ってしまったけど、
放課後に笑って過ごした。
別々の高校に進学した。
ある日、突然、亡くなったと聞いた。
「増田ちゃん、中学生の時、仲良しだったでしょ?」と、友人が教えてくれた。
すぐにAちゃんのお家を訪ねた事、
Aちゃんのお母さんと一緒に泣いた事、
全部断片的な記憶だけ残ってる。
1年くらいして、「Aちゃんは自殺だと思う。」と、友人Bが言った事。
やつれたAちゃんのお母さんを見るのが辛くて、
2回で止めてしまった。
思い出させて余計にツライ想いをさせてる気がした。
今までも何度も思い出す事があったけど、
これほどまでに苦しくなる事はなかった。
Aちゃんのお母さんのやつれた顏。
苦しそうな顏を思い出して、私も苦しくなって目が覚める。
もう20年も経っている。
私が会って何になるのか。何かできる事はあるのか。
苦しくて目が覚める。Aちゃんのお母さんの顏を思い出して苦しい。
つくづく思う。親より早く死んではだめだ。
食券制のラーメン屋で、ランチタイムの営業を任されるようになって半年。
世の中こんなに食券を自分で買えない大人がいるとは思わなくて日々イライラしてる。
高校生くらいまでならまだ分かるよ。まだ親とも友達とも食券制の店で飲み食いする機会なんてあまりないと思う。純粋に食券の買い方が分からないのも仕方ない。
何が悲しくてお前らに食券の買い方を教えながらラーメン作らなきゃいけないんだ。お前ら食券買ったこと生涯に一度もないのか。それとも何度買っても学習しないのか。
部活帰りに友達と寄ったりとか、修学旅行の行き帰りに駅の中で一杯とか、遠方のライブ帰りにちょっと気になる店でとか、なんか、そういうのなかったのか。まあ自分がそういうのあった側だから、ない人生が想像できなくてモヤモヤしてるんだろうけどさ。
でも、ないならないなりに下調べして来ないのはなんでなんだ。
なんで店の位置まではしっかり調べて辿り着けるのに、この店以外にも汎用性の効く食券の買い方は調べられないんだ。Googleの店舗情報にも堂々と食券機写ってるぞ。店の真ん前だぞ。
そんなこと言うと「せっかく食べて応援しに来たのに」みたいに反論されるんだろうけどな、応援になってねえぞ。お前らが長考してる間に並んでたはずの客が去ってってんだよ。せめてそういう客に順番を譲ってやれ。そしてその後ろで手順を見て覚えてくれ。
ていうかそもそも食券機の前に来て長考すんなよ。何のために店先にメニュー掲示してると思ってんだ。お前らみたいな奴がレジでも会計始まってから品物取りに行くんだろうな。
んで、いざラーメン作って持っていくと半券返そうとしてくる奴、本当にお前何も分かってないだろ。フードコートの呼出票じゃねえんだぞ。領収証ってそこに書いてあるだろ。それくらい読めや。
ほんと、どう生きてたらそこまで何も知らないでいられるんだ。お前らの食券インストラクターになりたくて働いてるんじゃねえんだぞ。分かったらさっさとラーメン食えこの野郎。