一週間ほどのお盆を振り返ると、都合四回のリモート飲み会があった。
一つは社会人以降に知り合った趣味の会で、三つが学生時代の友人たちのグループだ。で、そのうち二つのグループは中高一貫校以来の付き合いだから、かれこれ二十年ということになる。そのうちの一つは国公立を受験する特進クラスの仲間であり、もう一つは部活のメンバーだ。どういうわけか、皆独身である。そして、残りの一つは大学のサークルだ。
今までは直接会っていたのだが、コロナ禍ということもあり、今年の夏はリモート飲み会にした。ゴールデンウィークは混乱と多忙とで中止していたのだが、さすがにそろそろ顔を見ないと寂しかった、というのもある。結果的にはリモート飲み会は大成功で、遠方の友人も参加しやすかったし、医師の友人も当直の合間にこっそりとアイスをつまみながら加わってくれた。くだらないことも、医療現場での苦労も、大学の教員としての悩みも、塾講師の愚痴も、いろいろと聞くことができた。
こうしてみると、私はかなり人間関係には恵まれてきた。小学生の頃はひどくいじめられていたし、中学以降にも私を嫌う人は多数いたが、大人になると定期的に顔を合わせるような友人と呼べる人々が両手の指に余る人は、少ないらしい。
もちろん、連絡が途絶えてしまった友人もいるし(そういう意味では、グループを作って定期的に会うのは、人間関係を維持しやすい)、悲しいことにもう生きていない相手もいる。また、大学時代にはいろいろなサークルに顔を出していたが疎遠になってしまったところがほとんどで、中には在学中に人間関係のトラブルのせいで辞めざるを得なかったサークルもある。いきさつについては多くを語るまい。思い出して愉快な話ではないし、私が語ったところで、不公平な見解しか出てこないだろうからだ。
さて、本題に戻ろう。上記の中学時代の旧友たちとは、年に三度集まっていた。つまり、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始だ。大学のサークルのメンバーは多忙な者が多く、数人が不定期に集まっていたにとどまる。それでも、これだけ続いているのはめったにないはずで、ありがたいことである。
さらに、この関係に加えて、何となくオタクっぽい連中で集まったクラスタもある。これも中学以来の付き合いだ。こちらは、ラインのグループでボドゲだとか映画だとかに誘い合い、何となく暇な奴らが集まるといった具合の温度感だ。月に一度くらいだから、結構な頻度だ。興味のないものをスルーしても、誰も気にしない。たとえば、ホラー映画が苦手な人はその回には参加しない。私なんかは奇天烈な現代美術が好きだから、そこのグループラインで誘うけれども、私のそうした趣味を理解するメンバーは固定されており、美術館に行くのはだいたい同じ顔触れだ。
とはいえ、一抹の不安がないわけではない。一つは、年に三度集まっているグループのうち二つが、私が声をかけないとなかなか集まろうとしないことだ。長期休暇が始まる数週間前に私がそうした話を出すのだが、そうすることで皆がやっと重い腰を上げる。別に、私が声を上げることで集まれているので何の不満もないし、ひょっとしたら私が何も言わなくても誰からもとなく集まろうと言い出すのかもしれないのだが、私が抜けてしまったらこのコミュニティは自然消滅してしまうのではないか、と心配しているのである。中には私の住む首都圏から離れているメンバーもいるので、こうして定期的に様子を見ないと、いずれ連絡は途絶えてしまうのではないか。
もう一つ気にしているのは、オタククラスタのほうだ。大体メンバーが九~十人ほどなのだが、これほどの人数なので、完全な和気藹々というわけではないのだ。仲が悪いというほどではないが、この二人を一緒にするとあまり楽しそうではないとか、このペアは昔喧嘩したとか、こいつらはツイッターをブロックしあっているとか、そんな情報が入ってくる。仲よく遊んでいるときにこうしたことを思い出すと、楽しい気持ちがちょっとだけ曇ってしまう。皆は私のことを温厚というか、目立ったトラブルがない人間だと考えてくれているらしく、とりあえず何の心配もなく誘って大丈夫と評価されているそうだ。うれしいのだけれど、親しい人々だけで構成されていたはずの場に、いつの間には配慮しなければいけないことができてしまったのは、ちょっと複雑だ。
もっとも、あまり私が心配しすぎても仕方がないことなのだろう。仮に、私がいなくなってそのコミュニティが自然消滅してしまったとしても、皆それぞれに別の居場所があるのだろう。少なくとも寂しい思いはしていないはずだ。そうでなければ、彼らから私にそろそろ集まらないか、と早めに声をかけるはずだからだ。たぶんさみしがっているのは私のほうで、だから私がそろそろ集まろうと声をかけているだけだ。今は、これで人間関係が機能しているから、これでいいのだと思う。
もう一つ心配しているのは、中学以来定期的に会っている友人がだれ一人結婚する気配がないことなのだけれども、私が気をもんでも余計なお世話以外の何物でもない。マッチングアプリに使うから写真を取ってくれと言われたら喜んで撮るし、なんだったらアドバイスだってするけれど、まずは自分の心配をするのが先である。
本当にだれも結婚しないかもしれないが、そうしたら皆でシェアハウスをしたらどうだろう、みたいなことを冗談半分に話すのである。旧友が集まって麻雀をしているというのは、なんとなくほっとする光景ではある。