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はてなキーワード: 得体とは

2021-05-15

anond:20210515065539

たまに時々、ほとんど外出もせず日常生活もめちゃくちゃ気を使って過ごしてたのにコロナになりましたという、コロナ得体の知れない恐ろしさだと煽る記事が出てくるけど

あいうの絶対どこか嘘ついてるよな

2021-05-13

初期の進撃の巨人を見て、今のコロナ時代を思った事

 進撃の巨人が完結したようだけれど、進撃の巨人が大流行していた10年前、様々な名言が取り上げられていた。

初期の諫山創の、狭い「内側の日本」だけにとどまら世界に対する厭世的な見方皮肉的な見方

人によっては受け、人によっては鼻についたと思う。

それが象徴されるのが、エレンとピクシス司令官の会話だ。

「もし人類以外の強大な敵が現れたら人類は争いごとを辞めるだろうと昔誰かが言った。エレンはそう思うか?」と

それに対してエレンは「呑気な考えだ」と一蹴する。


 初めてこれを見た時、唐突だなと思った。多分、諫山創の伝えたい個人的な考え方だったのだろう。

それを自分が見た時は東日本大震災の後だったので、絆とか言われてる時代、この見方ちょっとへそ曲がり見方すぎるんじゃないか?と思ったものだ。


 でも今回のコロナではっきりしてしまった。コロナの状況は進撃の巨人に似ている。外に出なければ、経済活動をしなければ比較安全死ぬこともない。しかし放っておけば、壁を「ウィルスをまとった人間」が破ってくる。

脅威は持続的で、永遠とも思える長い時間が過ぎる。グローバル化医療の発達によって安全だと思ってた自分達も、蓋を開ければ結局インフルより少し強い程度のウィルス支配されていたことに気付いてしまったのだ。


 それで、人類は争いごとを辞めただろうか。

老人たちは壁の内側に籠り、若い人間派遣させ「経済」という得体の知れない巨人によって食われていく。人々は責任押し付け合い、誰かを敵に仕立て上げワイドショーで叩く。

中国から始まったウィルスなのに、飲み屋を叩き、そこに行く隣人を叩き、飲み屋制限しない政治家を叩き、政治家は夜の街と若者を叩き、絆とはかくも脆いモノなのかと思わされてしまった。

 今必要なのは狭い壁の内側で内乱を起こす事じゃないと思う。

「そろそろ一つにならんとな…戦うことも難しいじゃろて」とは、ピクシス司令官言葉である

2021-05-09

学生DHMO(一酸化二水素)の冗談が通じない、この国の科学教育大丈夫

と、嘆いてた教授教師

分からん奴がツイッターに先日居たが、

学生が怖がっているのは

ジョークの方では無く

得体の知れないオッサン

出してきた得体の知れない

水なんだよなぁ

2021-05-07

今こそ弱者男性論のアカデミックな文献や論文を読もう

ここ数ヶ月の増田を見てるとズブの素人たちが口角泡を飛ばし得体の知れない自論を叫び合い脊髄反射的な言い合いをしているばかりでまるで動物園だ。

いつまでたっても議論が進まない・深まらないのは、結局皆の弱者男性論に対する社会学的な知識が不足しており、議論の土台が定まらいからなのでは?

こういうときはいったん増田を離れて弱者男性論(社会学)の基本的な考え方を学び、問題点の整理・把握と問題解決方法論を共有すべきではないだろうか。

2021-04-25

言及増田をする人たち。

はてな匿名ダイアリートップページひらくと

anond:2021xxxxxxxxxxxxxx

みたいなのばっかりズラズラならんでいる。これノイズだよね?

そんなに他人日記コメントするのって、楽しいもんなんだろうか。

日記じゃなくても、ツイッターでも、ヤフコメでもいえることだけど、

コメントをする人たち」の動機がさっぱり分からない、理解できない。

コメントしたがる心性」は何に由来しているんだろうか?

その持ち主たちは、「ノイジーマイノリティ」なんだろうか?「マジョリティ」なんだろうか?

得体が知れないが、いわゆる「ネットの声」はこの心性の持ち主から発せられている、

というバイアスがかかっていることは、忘れまい。

2021-04-11

なぜ自分が好きなものがわからなくなるんだろう

好きで欲しくて頑張って手に入れたはずなのに、手に入ってしまうとそんなにうれしくなくて、

自分はそれがそんなに好きじゃなかったことに気づいてしまう。

自分が本当に好きなものと、自分が好きであるべきものとの区別が、それが実際に自分のものになるまでわからない。

うれしくないはずはない自分はこれが好きなはずだと思い込もうとしても自分を騙しきれなかった。

いい年して自分探しみたいなことやってるひとをバカにしてきたけど、自分バカだった。

私は私がなにを好きなのか知ってるつもりで、よく知らなかった。

まれからの付き合いなのに得体の知れない自分自身が気持ち悪い。

2021-04-10

anond:20210409152336

何か既視感があると思ったが、「宮崎勤事件オタク叩き」だった。古すぎる話で悪いが。

その事件からアナロジーで言えば、「得体のしれない存在」だからレッテル貼りが起こる、ということなんだと思う。

宮崎勤の部屋の床を埋め尽くす大量のビデオ映像が強烈で、「こんな異常な趣味人間思考回路がわからない」という反応が起こり、その後オタク叩きが始まった。

当時「オタク」は今と比べて全く市民権がなく、コミュニケーションをとろうとしない得体のしれない奴らだった。

人は得体の知れないもの自然と恐怖心を持つ。排斥されるのは当然といえば当然の反応だったのかもしれない。

ということで、弱者男性も「得体の知れない」存在を脱するために、何かアクション起こす必要があるんじゃないのかと思うが、どうでしょう

増田に書き込んでても埒が明かないよね。

オタク市民権を得るうえでは何がよかったのかなぁ。すごい長い時間かかったと思うけど。

例えば、岡田斗司夫みたいに名前を出して主張することなのかな。

ただ、オタクの例と根本的に違うのは、オタクは「趣味」の話であって、弱者男性は「社会問題」の話なので、「いいね」と共感してもらって同じ趣味人口を増やすっていう話じゃない。

「救済されるべき社会問題を解消してきた例」を探すとすると、「LGBT」とか「ハンセン病」の方が近いか

これも誤解による差別を晴らすのに長いことかかった例だが。

そっちの例で言っても、「得体の知れない」状態から脱却するためには、誰か実名で困難さをアピールするしかないような気がするね。

2021-04-03

結局巨大生物コンテンツが好きなんだと思う

モンスターパニック映画とか怪獣映画とかが結構好きだったんだけど、結局どの要素を求めてるのか?っていうのを考えてみると、「巨大なモンスター」そのものだった

ぶっちゃけ人が襲われる襲われないはわりとどうでもいい

ただ、デカく、得体の知れない、巨大な生き物が出てきてほしい 

それに尽きる

バカかい正体不明・未詳の海洋生物が出てくる映画とか見てえよ

襲われるのはそりゃ怖いんだけど、実は「バカでかくて遠くからもハッキリ見えるので超怖いが、ただそこを移動してるだけなのでひとまず無害」みたいなパターンのほうが底知れなくてより怖い気もする

そういう意味では、直球のモンスターパニックちょっと違うのかもなあ

グリード』とか見てみたいけど、配信にないしな

ああ巨大海生物 巨大海生物がみてえよ

2021-03-15

anond:20210315130423

ではなぜか。

単に女性にとって情報量が足りないから、「得体の知れない存在」ということなんじゃないか

誰しも情報がないものに対しては、行動を予測できないので不安を感じる。

外国人がいない地域外国人とか)

では情報量を増やすにはどうするか。

LGBTがこの数十年で認知が上がってきたように、「非モテの辛さの認知」を上げるしかないのではないか

映画ジョーカー」はインセルスポットを当てたようで「障害」の要素も強めに入ってて非モテ一般化しにくい感じだったけど、ジョーカー非モテ純化版とかが出てくる素地はあるんじゃないか

古いけど「電車男」みたいなハッピーエンディングではなく、辛さに焦点を当てることで広まってほしい。

2021-03-06

[] #92-3「サイボーグ彼女

≪ 前

「……邪魔だなあ」

目的地に向かっていた途中、野次馬の壁に進行を阻まれた。

その壁の中で何をやっているのかは見えず、ただ轟音が頻繁に聴こえてくるのみ。

大規模な工事なのかと思ったが、そのために人が集まっているとも考えにくい。

判然としないが、いずれにしろやるべきことは決まっていた。

はいちょっとゴメンナサイよ~」

母は怯むことなく、人の波を泳いでいった。

観衆が何を見ているかなんて興味はない。

だがルート上にある横断歩道橋を渡らないと、目的地まで酷く遠回りになってしまうのである

それではタイムセールに間に合わないかもしれない。

この時に自分がした判断、一連の出来事を、母は今でも夢に見ることがあるらしい。

「はあ……遠まわり覚悟で走った方が良かったかな」

息を切らしながら横断歩道橋を渡っていた時、遠くから何者かの声が聞こえた。

「そこにもいたか!」

「え?」

その声の主がいる方へ振り向くと、視界に広がったのは目映ゆい閃光。

その光に包まれた瞬間、凄まじい衝撃が走ったような気がした。

それが気のせいなのか気のせいじゃないのか確認する間もなく、そこで母の意識は途切れた。

…………

次に目覚めた時、母がいたのは病室だった。

おはようございます、マスダさん」

医者らしき人物の声が聴こえる。

そうか、自分事故に遭ったんだ。

少し混乱していたが、現状の把握に時間はかからなかった。

気を失う前の記憶から、かなりの大事故だったことが推測できる。

だが意外にも、身体問題なく動くのが分かった。

シチュエーション的に手足の一本でも捥げているんじゃないか不安だったが、どうやらあの閃光と衝撃は記憶違いだったのか。

「どこか、身体に異常は感じませんか?」

「ええ、特には……」

そう言って上半身を起こした時、強烈な違和感を母が襲った。

「……ん?」

問題なく動ける、いや“動けすぎる”のである

その割に自分の体じゃないような、チグハグ感覚

「なに……これ」

得体の知れない気色悪さに吐き気がこみあげてくる。

わず、手で口を押さえた。

その際の感触で、違和感の正体に気づいた。

「なんか、固い……」

自分の腕を、まざまざと擦ってみる。

肌の質感は柔らかかったが、強く握ってみると鉄のような芯があるのが分かる。

「どうやら、触覚認証機能しているようですね」

医者らしき男が、ふと聞きなれない言葉を発した。

母は、その言葉意味何となく理解できてはいたが、それでも聞き返さずにはいられなかった。

「あの、これ私の身体なんでしょうか?」

「どう答えればいいか……」

男は適切かつ穏当な表現ができないかと唸っていた。

だが、しばらく考えて無理だと思ったのか、歯切れが悪そうに言った。

「……少なくとも、半分は」

次 ≫

2021-02-21

ワンオペ育児現代人が勝ち取った権利じゃないの?

田舎毒親毒親のしがらみから解放され、都会で自由核家族の子育てをエンジョイすることができる。

隣近所の得体の知れない怪しい大人から我が子が声かけされる危険排除し、安心できる我が家で伸び伸び育てられる。

2021-02-20

anond:20210220112831

国民教養として必要情報処理法律で現状教えられてないもの、って具体的にはどういうのを想定してるの?

専門家じゃないからわからないよ!

素人所感だと、

情報処理は、「関数」と「レイヤー構造」かな!

関数は、「インプット」「アウトプット」「処理」の要素から成立していることとかね!

関数理解すると、「ソフトウェア関数の集合にすぎないこと」「機械学習所詮関数一種にすぎない」のように、「得体のしれない便利なもの」という理解から進めるからね!

関数理解できれば、Excelはもちろん、熱量計算とか言語分析とか各専門分野で利用できるからね!

プログラミングを教えるべき!」ってのは「関数理解させるべき!」って意味だと思うんだよね。

言語仕様アルゴリズムは必ずしも必要とは思わないよ!

次に「レイヤー構造」ね!

例えば「ソフトウエアにおけるアプリケーション層データ層…」とか「ハードウェアにおけるサーバデータベース、ロードバランサー…」とか「ネットワークにおける物理層セッション層…」とかね!

レイヤー構造理解すると、全体と部分の関係がはっきりして、各要素の理解が進むからね!

レイヤー構造理解できれば、情報処理に限らず、ものごとを整理して理解することに役立つよね!

法律は、「法」と「契約」かな!

法は、各法の目的理解かな!何のために存在して、法改正によってどう影響があるか理解できるからね!

各条文を細かに理解する必要はないけれど、条文の読み方は修得させたいよね!

契約は、騙されないためにだね!

2021-02-12

必読書コピペマジレスのやつのパクリ海外文学

パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317

だって楽しそうだったから...(自分文学的教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)

ネタバレありだけど、ちゃん確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。

ホメロスオデュッセイア

オデュッセウストロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通おっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチ理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?

旧約聖書創世記

途中で読むのをやめた記憶がある。

ソポクレスオイディプス王

エディプスコンプレックス父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対シェイクスピア悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね

唐詩選』

タイトルすら知らないやつ、その1

ハイヤーム『ルバイヤート

いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。

ダンテ神曲

地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代詩人だか哲学者かに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャララブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。

シェイクスピアハムレット

シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットシェイクスピア戯曲の中でも登場人物精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。

セルバンテスドン・キホーテ

パルケエスパーニャにいた。

スウィフトガリヴァー旅行記

巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセス存在しないので無限無為を繰り返してた。

スターントリストラム・シャンディ』

タイトルすら知らないやつ、その2。

サド悪徳の栄え

「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。

ゲーテファウスト

最強天才ファウスト博士悪魔契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士普通精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。

スタンダールパルムの僧院

面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人若者恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。

ゴーゴリ外套

うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気ナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。

ポー盗まれた手紙

タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。

エミリー・ブロンテ嵐が丘

主人公女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン主人公)やヒースクリフ主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリック意味不明言動キャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。

メルヴィル白鯨

クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船物語体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーン映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。

フローベールボヴァリー夫人

間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...

キャロル不思議の国のアリス

ディズニー映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニー子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。

ドストエフスキー悪霊

ドストエフスキーノイローゼ死語患者独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。

チェーホフ桜の園

由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄り使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分チェーホフ戯曲より小説のほうが好き。

チェスタトンブラウン神父童心

タイトルすら知らないやつ、その3。作者名も知らない。

プルースト失われた時を求めて

5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。

カフカ審判

読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカ基本的キャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話自分には楽しめないのだな、と思った。

魯迅『阿Q正伝』

読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。

ジョイスユリシーズ

読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。

トーマス・マン魔の山

結核患者の療養施設であるところのサナトリウム生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物精神性についてバリエーション豊かで不思議リアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。

ザミャーミン『われら』

タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。

ムージル特性のない男』

タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。

セリーヌ『夜の果ての旅』

このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手自分定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分感情もっとわかりやす説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。

フォークナーアブサロム、アブサロム!

このお話はすごい好き。南北戦争前の南部黒人バリバリ奴隷として使われてる時代地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさん人生全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ短編から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレから後に回すのがおすすめ

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4

サルトル嘔吐

そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。

ジュネ『泥棒日記

読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。

ベケットゴドーを待ちながら

なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。

ロブ=グリエ嫉妬

タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5

デュラス『モデラートカンタービレ

読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹小説登場人物の行動を感情的にしたような感じ。

レム『ソラリスの陽のもとに』

タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学研究者なのにSF全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラテンアメリカ文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議リアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人感性日本人ヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリー意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないか個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。

残り全部

詩はたしなまいから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。

終わり

ちなみに、「哲学思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。

2021-02-11

anond:20210210213635

高卒一口に言っても工業高校情報科などでプログラミングを学んでいたケースもあるのではないでしょうか?

個人的には日本IT分野の発展が鈍い原因は「プログラミング専門家しかからない得体のしれないもの」というイメージ蔓延している事にあると思います

スポーツなど他の分野でもそうですが、高みを目指すのであればまずは裾野の広さが必要になります

全体の量を増やす事なく、上澄みだけが増えるという事は有り得ません。

プログラミング専門教育を受けて身につける様なものではなく、義務教育で身につける程度の最低限の基礎教養にしなければならないのだと思います

2021-02-09

最近の車で気に入らないところ

これは全部俺の好みの問題で、正解を導くことはしない。

運転が好きとか車にこだわりがあるとかではない。ただのオートマ乗りで通勤程度にしか使わないけど、車選びの際に気に入らないことが多々あった。

シフトレバー


オートマが当たり前な時代シフトレバーボタン)の役割は薄れている。けれど車の走行状態を左右する大事機械部分に関して、人類は工夫という無意味なことをしすぎている、と思う。ペダルワンペダルになろうとしているのはいいことだ。ならばシフトレバーちゃんとしよう。

シフトレバー年代によって操作体系が変わる代表だと思う。だけどここは運転操作に直結する。車種によってコロコロ変わって何がいいのか。しかも似たシフトでも微妙に違うことがよくある。

上級相手だろうと初心者だろうと、まず事故につながらないシフトづくりが先決かと思う。マニュアルが複雑なのはそれ専用の免許必要から意味がある。けれどオートという単一免許だけでいくつも操作体系があるのは納得いかない。多種多様操作を覚えるのに教習所は向かないんじゃないか

こういうとまず慣れろというが、レンタカーなどのあまり馴染みがない車を運転する場合には慣れる以前の問題だと思う。車を日頃から運転している自分だって自分の車や社用車以外はあまり乗りたくない。プリウスガードや先進安全装置以前に、事故が起こりやすシフトから改善しろって。


ムカつくシフト1位:プリウス

あのシフトはなんだ。卵みたいな形状でどこにシフトしているのか全然からない。さっきもいったけど、いま自分がどのシフトになっているのかを感覚にわからないのは事故につながる。シフトしている感覚がなかったり、今現在シフト理解できないかプリウスガードがなくならないし事故が減らない。安全装置の前にシフトをなんとかしろ年寄りあんなのに慣れると思わないほうがいい。納車したその日に事故ったら慣れるとかではないんだから

なのに最近EVはだいたいこれだ。日本で唯一の産業とも言える自動車業界は何考えているんだろう。車を運転しない人が車を作って、操作に不慣れな老人が運転する時代。それがいまだ。

ムカつくシフト2位:コラムシフト

最近絶滅危惧種ハンドルの左右から突き出たシフトパドルシフトとは違って全部それでパーキングから減速までできる。問題は、大げさなのに運転中は邪魔ということ。

ムカつくシフト3位:ストレート

個人的軽自動車かにあるストレート型は好みじゃない。理由は一番下にドライブがないから。うっかり下に持っていくと別のシフトに入ってしまう。さらドライブの下のには「B」や「S」や「L」などの謎のアルファベットがある。車種によってそれはまちまちで、初めて乗るとどれがエンジンブレーキなのか判別がつかない。一番下に持っていけばドライブになる構造のほうが誰にでも扱いやすいんじゃないかな。

足踏み式パーキングブレーキ

これは未だに存在するが悪だと思う。パーキングするという単一目的だけにフットブレーキの横につけるんじゃない。マニュアルと変わらないのに役割が全く違う。この時点で悪でしかない。使わなくても最悪なんとかなるけど、高速走行時に間違ってサイドブレーキをかけたら事故しかならない。事故を誘発する仕組みが存在するって、これを開発した人は何を考えているのか。

現在は電動パーキングが広まっていて、これは素直に嬉しい。まじでパーキングブレーキは手引か電動にして欲しい。

センターメータ

悪いわけではないけどこれのせいでカーナビが見づらくなる。カーナビメーターのどちらを取るかは人によるけど、上下にあるのは個人的に見づらいと思っている。確かにカーナビは低い位置にあると操作やすい。だけど運転手にとっては前方視界の中に地図がある方が運転はしやすい、と思う。従来のようにハンドルの中にこじんまりメーターがあるか、HUDかにしてカーナビ比較的上にして欲しいなって思う。

据え付けカーナビ

今の車の多くはカーナビと車が一体になっていて交換ができない。確かにそのほうがメリットはあるのだろうけどナビは選びたい。HondaEのようにコンセプトデザインならいいけど普通の車でそれはやめろください。大抵の純正で劣っていると思う一番の部分がカーナビじゃないかな。

ドラレコの配線がしづらい

もう車にはドラレコ前後につけるのが当たり前な時代。さっさと自動車会社ドラレコをつけること前提にできないのだろうか。いちいちパネルを開けて配線を隠すとか前時代的すぎる。

シガーソケット

すでに給電用にしかつかない部分。なのにやたら存在感がある。はっきりいって邪魔ドラレコの電源取りとして使うのにシガーソケットを使う場面は多いけど、むしろシガーソケットが前席の中央にあるために配線に制限がかかってしまう。だからヒューズボックスを使うのだけど、初心者がそれをしたがるのか。電源を取るならシガーソケットという考えがもう時代遅れなので、ドラレコメーカー協議してなんとかして欲しい。

===

特にシフトレバーは初めて乗る人には鬼門だと思う。望んで選んだならともかく、旅行先のレンタカー得体のしれないシフトが備わっていたら躊躇するし操作ミスを招く。マニュアル車はある程度操作が固定されているのに、オートマ車は車種だけ操作方法が異なる。これってなぜ問題にならないんだろうか。

全部個人的な話なので、実は使いやすいのかもしれない。

まあ、そんな君もマツダ車に乗り給え。

2021-02-03

免許合宿三日でリタイアした

免許合宿経験して、俺には絶対無理だとわかった。教習所を3日目の朝にやめた。マニュアルじゃない。オートマだ。

普段と違う環境でやったことのない機械操作を、事前練習テキストのみでやれとか無理ゲー

いや出来るやつがいから無理じゃないんだろうけどなんでみんな出来るの?

しかもしくじったら人が死ぬ。あるいはケガする。乗ってるものも壊れる。交通迷惑にもなる。キチガイ一人と遭遇するだけで学んだこと全部おじゃんになりかねない。むしろ俺がキチガイとなって他人台無ししかねない。あんなもんどうやって使いこなすんだ……

坂道発進サイドブレーキ(だっけ?)を引くときに持ち手のボタンを押すのか押し込むときボタンを押すのかまったく覚えられなかった。引くときも押すときボタンを押せばいいと思ったが、「スイッチは引くときだけ(押すときだけ)でいいよ」と封殺され、できなくなった。

サイドブレーキに限らず、他の諸々もその場で教わった後、また別のことを聞くといつの間にか忘れてしまっていた。

一個教えられたら直前のもう一個を忘れる時点で俺は運転以前に色々なことが向いていないとわかった。

何あれ、マジで……取得資格普通自動車免許のみ。とか底辺人間プロフィールでよく使われてるけどあんなもん動かせる時点で相当器用だろ。わけわかんねえ。底辺以下だよ俺。

教習中、俺は教官から怒られる内容に何も納得できなかった。ついさっき言ったんだからもう忘れるな。的なことを言われても忘れるもんは忘れる。忘れないように忘れないようにと気を配っても「忘れないようにしよう」と念じたこしか覚えていなかった。

厳しくされるのも当たり前だと思う。普通に人を殺せる乗り物を扱う資格を、二週間ちょいで取らせるのだからそりゃあ厳しくしないとダメだろう。俺が教官だとしても厳しくする。

何がダメだったんだろう。二週間という日程なのか、島根なら人いないだろうし路上教習も余裕だろうとタカをくくって関西からたことがダメだったのか。あるいは俺の知能か、根性か、認知能力か、集中力か。

全部じゃないといいんだけど…

たぶん、あのまま通っていても一発合格は無理で……通信とか何とかいう、教習所内を通りいっぺん一人で運転する試験を二回ぐらいは落ちると思う。この時点で延泊が確定する。(というか俺は一発勝負というものが極端に苦手で、このエントリもちょいちょい書き直しているぐらいだ。)

その後、路上教習で、多分出られないだろうけど、出られたとしたらどっかしらにコスるんじゃなかろうか。修繕費取られるのかね。

その次が…高速道路教習だろうか。一発合格は無理と書いたけど、高速道路といざ自分で書いてみると改めて実感する。何発挑戦しても絶対無理だ。

高速の入り口ハンドルに突っ伏して、無理です無理ですとすすり泣きながら後ろからクラクションを鳴らされている自分の様子が想像できる。

運転中、なんだか異様に目が乾いてまばたきが増えるしあっち向けこっち向けすぐそこ見ろ遠くも見ろとかのマルチタスクをごく早いテンポで求められるのだから、そんな作業運転中にやっていたら、俺か、他のドライバーか、あるいは両方が死ぬ

たぶん、自動車免許を取得している人がこのエントリを目にしたら俺はとんでもないヘタレ根性なしのどんくさいアホタレに見えることだろう(ことさらマニュアルトランスミッションだったりしたらもう、免許の代わりになんかしらの手帳を持っているように見えるんじゃなかろうか)。

先に自分攻撃しておくが、ほぼほぼ事実であり、俺はとんでもないヘタレ根性なしのどんくさいアホタレで相違無い。

というか、そうした欠点を指摘されたところでヘタレが勇猛になったりしないし根性なしに根性が生まれたりしないしどんくさいやつが機敏にはならないしアホは賢くならない。

指摘を受けた側からしたら「そうなんですよね」に尽きる。

当然、一緒に行く友達もいなければ現地で友達もいない俺は講習外でも一人で過ごし、自習のために設けられたであろう空きコマでは迫りくる教習への恐怖でテキストはまともに頭に入らず、まともな精神状態ではなくなっていた。と思う。ホテルに帰っても風呂に入らず着替えもせず、初日の教習以降、俺は『人間』を維持できなくなっていた。なぜ出来ないのか。自分から出来ないのか、自分なのに出来ないのか。出来ないようになってるから出来ないのか。

滞在中、夜になると親から連絡が来ていた。弱音を吐くと「そっちまで行ってやろうか?」「ホテル取って会えるようにしてやろうか?」「犬連れて行ってやろうか?」などと提案されたが、今にして思えば「そこまでしなくていい」という言葉を引き出して俺を鼓舞しようとしていたのだろうか。

からこそ、その一環で「そんなにつらけりゃもう帰ってこい」などと言ったのだろう。

俺は真に受けた。翌朝教習所電話をかけて退校の申し込みをした。下手にギリギリまで粘って退校を遅らせると返金額が減るので、どうせなら早いほうがいい。と自分に言い聞かせた。通った。退所した。ホテルを出た。電話を切る寸前、「手続きさえすれば他の自動車学校で続きを受けられますが、どうしますか」と尋ねられた。完全に自動車運転を諦めた俺は「けっこうです」と、ストレスを受けているとき特有の、喉にかかる得体の知れない圧迫感をどうにかこじ開けるように、喉から声を絞り出して退校を完了させ、帰りのバスまで島根の街を徘徊して時間をつぶした。

一応挫折感や罪悪感のようなものはあった俺は引き続きグズグズになったメンタルのまま残りの時間を過ごし、カバンを置いていきそうになったり壁や柱にぶつかったり、いきなりしゃがみこんだり何もない場所に反射的に振り向いたり、何か変な動物になっていた。シャワーも着替えもしていないまま、人間もどき松江城下町をズルズルと這いまわるのだった。確かその頃、FGOというスマホゲーでオデュッセウスというキャラクターピックアップガチャが開催されていたので、バス停で棒立ちしながら適当に10連ガチャを回してみた。皮肉にも最初の10連で引くことができた。

なんにも嬉しくなかった。引けなければもっと嬉しくなかっただろうし、ローリスクノーリターンのくだらないギャンブルだった。

帰宅後、俺はバチバチに怒られた。

俺はわけがからず、つらけりゃ帰って来いと言われて、つらいから帰ったらめっちゃ怒られた。未だに理不尽だと思う。

から免許の取得がどれだけ一般的で誰でもできる行為かをヒステリックに説かれ、情けない。恥ずかしい。人に言えない。親戚のあの誰々さんでも取れたのに。とメタクソにキレていた。

なんでなん?と涙ながらに問い詰めてきたが、なんでか知りたいなら発達検査でも受けさせてみろ。と思う。

このエントリとは別件で、発達障害かもしれないか検査を受けたい。と相談したらお前は普通人間だ。薬漬けにされて精神病院にうんたらかんたらと、まあそういう系の親がよくやる説諭を俺に施していた。

そうした前歴を踏まえて「なんでこんなことも出来ないんだ」と被害者ぶって聞かれても、「気になるんなら検査受けたいから幼少期の自分について、客観的主治医に語ってくれ」と思っていた。

実際、俺が発達障害なのかはわからない。ボーダーボーダーボーダーなのかもしれないし、ただの甘ったれかもしれない。自分でも信じられないが、叱られている最中の俺は、気が付いたら『ノノグラム』という論理パズルのことを考えていた。ピクロスと呼べば通りがよいか

別に脳内特定の絵柄が出来上がる盤面を作るとか、そういう目隠し将棋みたいなカッコいいものではない。ただ単に『8と5なら14マス使うから、15マス中13マス埋まるな。』ということを、気付かないうちに脳内で考えていたのだ。それを自覚したとき、「いや、何考えてんの。お前」と脳内パズル図式を振り切った後、「もし俺がこれで正常な発達過程を経た、ただの怠惰で親をナメているだけの健全な成人だとしたら、本当におぞましいものだな」と、心の浅いところで他人事のように嫌悪した。

ただ唯一ハッキリしているのは、俺が免許合宿リタイアした、どうしようもない運転不適合者ということだった。

あと、ツイッターMTとかATとかどうでもいいことで争っているのを見かけるたびに、俺より上等な人間なんだから格付けしてんなよ。と言いたい。車がどんな仕組みで走ってるかわからずに運転するなんて~とか、MTだと仕事選択肢が~とか、やめろ。ATでもMTでもすごいから。不毛だ。俺を見て笑えばATMTは仲良くできるだろう。

俺が教習所にほんの数日通って変われたことは、助手席に座っているときでも『あそこの角から人が飛び出して来たら?』と、運転してもいないのにビクビク脅えるようになったぐらいだ。あと、運転免許保持者を尊敬するようになった。

思ったことを乱雑に書いた、読みづらいエントリになったと思うが、そこは「こんな頭の中してるようなら運転向いてないわな」と得心していただければ……

俺は自動運転技術が一刻も早く確立することを心から祈る。それで不幸になる人間など、教習所教官ぐらいだろう……

でも、なんやかんやで『自動運転制御できなくなった時のためにも運転技術必要である』みたいな理屈教習所は生き永らえそうな気がする。

なんか、今まで乗れてたはずの自転車も乗るのが怖い気がしてきた。一生徒歩と電車で移動するしかないのかな。

追記創作における底辺人間描写のとして“資格普通自動車免許のみ”みたいな例があるよね」と書いたのであって、決して取得資格普通自動車免許のみの方を揶揄する意図はありません。一部で誤解を招きましたので追記しておきます

2021-01-28

はてなスパマー

お気に入りが500になってて、ブコメ得体のしれないURLがはってある奴。

♥♥♥ここでインド人を右に♥♥♥ みたいな誰も釣れないようなエロリンクブコメ奴。

儲かるなら真似したい。

2021-01-27

若者文句言っていい

今の若い人ってあんまり文句言わないよな

むやみに批判しない、相手肯定することが聡明だと信じてるような気がする

与党に対しては「きっと良かれと思ってやってるんだろうね」的な感じで、野党に対しては批判ばかりして場を引っ掻き回す問題児の集まりみたいに認識してるフシがある

政治に対してだけじゃなくて、たとえば仕事に対しても、大変アピールする割には現状の改善点を具体的に挙げてもっと良くしていこうとはしない

そんなんでストレスまらないのか?

自我とか感情ちゃんとある

なんか得体の知れない生き物みたいで不気味にすら感じるよ

2021-01-22

anond:20210122175123

得体の知れない女が誘う取引に乗るの、怖過ぎでしょ…

2021-01-21

40年目の真実

先日、ここ十数年使っていなかったMIXIからメールが届いていることに気がついた

差出人は小学生の頃の同級生

この同級生とは十年前に参加した同窓会にも参加していなかったため、40年以上没交渉

ならば宗教勧誘かなにかと思ったものの、一応中身を確認してみた

 

すると、自分に40年前の謝罪をさせて欲しいとの事

 

はて、何かあったかと思い出をひねり出してみるも何も出てこない

しろ同級生の顔すらおぼろげで、そもそも同級生だったのかすら怪しい

同学年であったことは間違いないのだが

 

しばらく放置しておいたものの、毎日メールが来るようになった

兎に角会って謝罪がしたいの一点張りで、埒が明かない

流石にこのご時世、得体のしれない相手と直接交渉する気にはなれないので、謝罪内容を書いて寄越すように返事をしてみた

何度か直接会って話すと拒否されたものの、没交渉が長かったこと、このご時世対面したくはないことを伝えると、

ようやくメール謝罪内容が届くこととなった

 

すると、私にとっては黒歴史と化していた事件事実が書かれていた

 

小学生の時起きた、学級文庫紛失事件犯人自分であったこ

早く読みたい一心で、黙って持ち帰ってしまたこ

事が大きくなり、事実を言い出せなかったこ

本も返すことができず、いつの間にか紛失してしまたこ

しばらくは気にしていたが、忘れてしまたこ

 

数ヶ月前に自分の子供が冤罪をかけられクラスメイト教師からまれて心を病んでしまたこ

ここで過去自分が犯してしまった罪を思い出し、謝罪を思い立ったこ

 

以上のことが、実に自分本位の身勝手文章で書かれていた

 

要は因果応報、親の因果が子に報いを地で行ってしまったらしい

 

そうだ、長らく忘れていたが、自分が人を信じなくなったのはこの当りだった

 

当時、学級文庫は係が貸し出しノート記載し、返却の際には係に告げ、返却を確認することになっていた

当時人気の本を借りた私も読み終わって返却した

だが、その本がなくなったのだ

人気の本だったので、順番待ちしている生徒多く、ついには騒ぎになった

最後に借りたのが自分であったため、未返却を責められた

しかし、自分は返却済みであり、本の行方なぞ知る由もない

だが、所詮子供最後に借りた人間犯人であると騒がれてしまったのだ

 

結局、担任教師も私の話なぞ聞かず、家に忘れてきたのだろうと責め立てられた

当然その教師から親に連絡が行き、家中探させられたのだがあるはずもなく

最終的に親が二冊学級文庫に寄贈するということで話が付いたことを覚えている

教師と親との間でどんな話が持たれたのかは一切知らない

 

私はこの事件を切っ掛けに借りた本を無くした悪いやつ

公共のものを大切にできないやつ

という悪のレッテルを張られたまま数年を過ごすこととなった

そして同級生のみならず、教師と親の信頼も信用も同時に失ったのだ

 

流石に中学校に上がってからは思い出話にも出てこないようなものではあったが、

私の人生に闇を落とすには十分な事件ではあった

 

それ以来と言っては大げさかもしれないが、物の貸し借り、出納には厳しくあたってきた

全てを記録したがる癖はこの時身についたのかもしれない

 

話を戻すがこの同級生への返事はどうしたものかと頭を悩ませた

同級生贖罪気持ちはわかるが、これは自分が楽になりたいだけの謝罪であることは明白

 

子供が似たようなことに巻き込まれてようやく自分の犯した罪の重さに気が付き、

その重さに耐えきれなくなって没交渉相手に連絡をとってきたのだろう

 

この同級生に直接謝罪の機会を設ける代わりに子供を同席させる、とか

誠意が見えないと暗喩してみる、とか

 

色々頭をめぐるものがあるが、そんなことをしてみたところで私の失った信頼と信用と人生は帰ってこない

 

この同級生を許せるかと言えば、許せるわけがない

私の人生、とりわけ感受性の高い子供の頃の話だ

覆水盆に返らずとはよく言ったもの

 

だが、それを伝えれば、きっと、40年も昔のことを未だに恨んでいる器量の狭いやつと揶揄されるだろう

特に私を糾弾した他の同級生はそう感じるだろう

彼らもまた、人の人生など砂粒ほどの価値もないのだから

 

当時私を糾弾した人間全員に釈明してこいというのも一興かもしれない

 

結局、私は同級生に返事を書けずにいる

 

今更謝罪などされても、何も変わらず、私としては胸のモヤが深まるだけだ

同級生の禊を手伝う気にもなれない

子供のことと私のことは別の話であること明白だが、親の因果が子に報いが思い浮かぶ程度には気の毒には思っている

 

ただ、同級生には今後40年は苦しんで貰うほうがこちらとしても溜飲が下がる思いだ

私は40年目の真実を胸に前に進むことにする

 

例え残された人生があと僅かであったとしてもだ

 

少々ポエムチックになってしまったが、家族知人に話せる内容でもなく、

さりとて同級生本人に直接ぶつける勇気もない

敢えて匿名という形で世の中に発信してみたのである

 

2021-01-20

anond:20210119234225

浄土真宗僧侶です。増田さんの投稿私自身感ずるところがあったので、少しお話させてください。


私の敬愛する大正時代求道者が、このような詩を書かれています

世の中が便利になって
一番困っているのが
実は人間なんです

一見すると取るに足らない、なんとも味気ない散文のような詩ですが、今の増田さんならば、この詩が言わんとすることが響くのではないでしょうか。




私たち人間はみな、快適さや便利さを求めて世代を重ねてきました。快適さや便利さのその先に、幸福が待っていると信じてきたからです。逆に考えれば、不快と不便は不幸である、と信じてきたとも言えるでしょう。

そしてその結果、先人の努力によって築かれてきたテクノロジーシステムがもたらす恩恵の中で、得体のしれない窮屈さ、居心地の悪さを感じる人が現れ始めています。ちょうど増田さんがそうであるように。

これは一体どういうことなのでしょうか。


ここで例を挙げて考えてみましょう。

お腹が空くのはつらいからいつでもどこでもご飯が食べられるようになりたい、暑さや寒さはつらいからいつでもどこでも涼しく暖かく過ごせるようになりたい、誰かと離れてしまうのはつらいからいつでもどこでも顔が見れたり声が聞けるようになりたい、分からないことだらけなのはつらいからいつでもどこでも自分の求める情報を得られるようになりたい、……。

人間としてのシンプル欲求をいくつかざっと書いてみました。これらの欲求がことごとく叶い、望んだ通りの社会が出来上がっていることは、誰でも理解できますね。

では、そうして一体、どれだけの人が幸せになったでしょうか。社会ほとんどの人がこのような環境に恵まれた今、どれだけの人が自分人生自分所在をよろこべているでしょうか。




増田さんはきっと、ご自分所在をよろこべずにいるのですよね。情報社会に溢れかえる、無数の「正しさ」と「間違い」の中で、振り回されてしま自分生活を考えた時、途方に暮れてしまうのですよね。

それは人として正常な反応です。あなた自分の「ほんとう」を求めているからこそ、今迷っているのです。戸惑っているのです。




我々の教えにはこのような言葉が伝わっています

八万の法蔵を知るといふとも、後世(ごせ)を知らざる人を愚者とす

これは、「たとえ八万冊にも及ぶ膨大なお経(真実の教え)を情報知識として学んだところで、その教えに全身でうなずき、心から満たされて生きて死んでゆけないのならば、その人は救われない」といった意味言葉です(大意)。

事実として、TwitterだのYahooコメントだの、ここはてなにも、こうした人がたくさんおられますね。出どころのわからない正しさや間違いを頼りに、「自分こそが正しい」と言わんばかりに、ああでもないこうでもないと罵り合う方々が。そうした振る舞いをする必要が彼らにあるということは、知識(ないし価値観)の是非を巡って他者と争い合うのが、よりよい人生を送り、よりよい最期を迎えられるための手段なのでしょうか。だとすれば、彼らはそれが自分幸福を手繰り寄せるための必然的行動だと信じているということになります

そしてその中の、どれだけの人が、本当に満ち足りて生きているというのでしょうか。




その気になれば増田さんも、ありとあらゆる宗教自己啓発ライフハックにたどり着くことは可能です。可能社会私たち自身が望んだからです。その中には、ご自分にふさわしいと感じる教えや“手立て”が見つかることもあるでしょう。そうして増田さんが憂いや窮屈さから解放されて生きてゆけるのなら、素敵なことだと思います

ですが、人生の苦悩は、人生の悲哀は、自分でも思ってもみないようなところからふいに沸き起こってきます。中でも代表的な苦しみが、“後悔”です。この苦しみには、過去幾千年と人類ほとんどがのたうち回ってきました。私も、増田さんも、これを読む方も、私たちの知らない誰かも、みな、一度や二度ならず後悔の責め苦にあえいでいます

この後悔を消すためには、どうしたらいいのか。検索してみたとして、本当に答えは得られるのだろうか。一度は「そうかも知れない」とうなずいた後で、実は違っていたなんてことにはならないだろうか。自分とは相容れない、訳の分からない理屈で生きている人のためだけの“正解”を見せつけられるだけで、結局は打ちひしがれる未来が待っているのではないだろうか……。様々な疑念やおそれが次から次へと頭に浮かんで、調べるという一歩さえも、踏みとどまってはしまいませんか。



もしもその通りなら、ここで視点を一つ変えてみませんか。あなたの感じてきた窮屈さ・居心地の悪さ・疑念や戸惑い、そして後悔。

これらがあなた自身に「何を訴えているのか」を見つめるのです。

すべてはその対義語を求めているからこそ、生まれ感情なのです。増田さんは後悔のない人生情報に振り回されず自分らしくのびのびと生きてゆける社会人生を求めているからこそ、この悩みが生まれたのです。それは他でもない、あなた自身の内に眠っていた大切な願いです。あなたあなたをよりよく生きるために必要なこととして、あなた毎日に満を持して現れた“問い”なのです。

あなたにとって今目障りでしかない、早く消えてほしいとさえ思うであろうその悩みは、あなたにとって本当に要らないものでしょうか。どうしようもなく邪魔で煩わしいものでしょうか。私は、そうは思いません。



最後に一つ、私が心から尊んでいる、親鸞さまのお言葉を紹介したいと思います

罪障功徳(ざいしょう くどく)の体(たい)となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし





「後悔のない人生」を生きようとするのではなく、「後悔すらもよろこべる人生」を生きることがもしもできるのなら、私はそういう人生の方が素晴らしいのではないだろうか、と思って毎日をいただいています

増田さんを悩ませ苦しめていることが、いつかあなたのよろこびと変わる日が来ますように。




合掌

2021-01-19

俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なものに勝てない話(追記

こうやってわざわざ文章に取り上げている時点で自分の負けをさらに引き寄せるようなものだと思うんだけど、こりゃあ敵わねえな、と思ったから書いておく。

いま話題のプペルじゃなくって、西野氏がある大学卒業式講演に来たときの話。俺も現場ではもちろん、動画を視聴したわけでもないんだけど、twitterキャプチャで見たのね。

それで、たぶん最初に登壇したとき学生たちの反応が、そこまで芳しくなかったんでしょう。西野氏がこんなことを言う(経緯は俺の推測です。念のため)。

「みなさんには二つの選択肢がある」

「今みたいなバラバラ拍手西野を迎え入れるのか、それとも全員立ち上がって、西野あらためて迎え入れるのか」

「僕自身はどっちでもいいんです」

ってやつです。

俺はこの画像を見たとき、これは敵わねえな、と思ったよ。というか、なんだろうな、この世界で「西野氏的なもの」にしてやられないように、こいつを回避し続けるのは、相当至難の業だな、と思った。

「どっちでもいいんです」と言いつつ、西野氏の希望は当然、万雷の拍手でみんなが自分を迎え入れてくれることなんだけど、西野氏はたぶん、仕切り直すことで学生たちが自身を全霊で歓迎してくれることを確信していたと思うんだ。なんでかというと、それは別に西野氏がスーパー人物からでも、彼へのはちきれそうな期待を学生たちから感じたからでもなくて、むしろ反対に、学生たちにとって西野氏なんて、特に興味もない、当初はそれこそどっちでもいい相手だったからで、西野氏もそれをよく理解していたからだと思うんだ。

たぶん、学生たちにとって西野氏なんてマジでどうでもよかった。だから最初登場してくる西野氏に拍手していたときも、自分がどんなテンションで手を叩いてるかなんて意識しないで、漠然と手を叩いていただろう。「空っぽ」だったんだ。

それが、登壇した直後の西野氏のひと言で、まず自分たちに思わぬ選択肢が与えられていることに気付かされた。西野氏をもっと歓迎してあらためて迎えるかどうか、という選択肢だ。

そして、みんなで一体になって西野氏を歓迎した方が、どっちかと言えば雰囲気的にハッピーだな、ということを、ここではじめて「想像させられた」。

悪い言い方をすれば、それまでがらんどうのまま椅子ぼんやり座ってたところに、気持ちの部分で血肉が入ったんだ。

俺はその後のことを知らないけど(動画を観たくないから)、たぶん、二度目は割れんばかりの喝采で迎え入れられたんだろう。まるで魔法のように大勢の人を操ってみせた話だけど、こんなの良くも悪くも人間を冷静に観察し続け、相手をナメてかかることができる人物なら手のひらの上の話だ。たぶん、西野氏にしてみれば楽勝だっただろう。

「どっちでもいいんです」という登壇直後の発言も上手い。これが例えば、自分から拍手を強いるような言動があれば、学生の方にも抵抗感がある。歓迎するかどうか、あくま学生の側に選ばせることで、かつ、自分たちでこの場をハッピー雰囲気で満たすことができると想像させた時点で、西野氏の勝ち確だったのだ。

そこには「ほとんどの人間は通常何も考えないで生きているし、何にも興味を持たずに生きている。だからこそ、自分たちが主役として何かを選び、決定することができる機会を与えられたとき自分たちこそこの場を盛り上げられると確信したとき、その魅力から逃れられない」という冷静な人間観がある。これは敵わねえよ。俺もその場にいたら拍手してると思う。きっとね。

そういう西野氏が『えんとつ町のプペル』をひっさげてエンターテインメント業界数字を出せるか…はまた別の話なんだけど、それは西野氏が卒業式で見せたような手法が通じないからじゃなくて、反対に、エンターテインメント世界こそ、西野氏的な方法跋扈する世界からだと思うんだ。西野氏の特異性って、そういう技法を非演芸的な空間一般ピーポーに容赦なく使用したところにあるんであって、業界としてはありふれた手法人間観だと思うんだよな。

こういっちゃなんだけど、どの作品ブームを仕掛けるのも、「人間ってやつは99%空っぽで、何も考えていなくて、でも自分には特別な見識や機会が与えられていると信じていて、自分で何かを決めることができるという幻想があって、人生を楽しむ権利があると思い込んでいて、できればそれを周りの人たちと共有できたら最高!」的な人間観で消費者を見てないと、市場になんて参戦できないんじゃねえかな。

具体的な作品名とブーム出したら不快にさせるだけだろうけど、例えば『ジョーカー』みたいなダークで暴力的作品も、文芸的な邦画作品も、屈折はしてるけど、結局はそういう手法で仕掛けられてると思うんだ。俺には『えんとつ町のプペル』をめぐるプロモーションと、他のエンターテインメントの仕掛け方の本質的な違いって正直わかんねえんだよな。

もちろん、作品としての評価は別かもしれない。でも、俺たちが感じるような「ああ、いい作品だった!」「うーん、クソだった!」が、はたして、俺たちを無意識にがんじがらめる商業的な網から、いったいどこまで自由なもんだろうな? って気もする。

商業的なアプローチから自由って話のひとつの余談として、俺が浪人とき、気まぐれで古本屋に入ったことがあった。11月ぐらいのことだ。街も全体的に灰色だったし、俺の心も灰色だった。俺はこの受験に失敗したら死のうかな、と思っていた。

たまたまカフカの『審判』という本が目に入った。新潮版だ。レア(たぶん)。

俺はカフカなんて『変身』しか知らなかったので、興味と呼ぶにも希薄感情のまま、本当にたまたま、それをレジに持ってった。200円ぐらいだったと思う。

審判』は俺の人生を完全に変えた。どちらかと言うと悪い方にだけど、とにかく、他のどんな作品とどんなかたちで出会ってもあり得ないくらい、深く俺をゆさぶった。

あれこそ、商業の魔の手から完全に自由体験だった。そして、ああい運命と呼べる体験しか、人と作品出会いは本当には成立しねえんじゃねえかな…というのはロマンチックすぎるかもしれないけど、俺は割と本気でそう思ってる。

ところで、あのとき審判』を手に取る代わりに、西野氏のオンラインサロンに参加していたらどうなっただろう?

それでも俺の人生はきっと「完全に変わった」だろうな、と思う。むしろ審判』で三日間くらい飯の味がしなくなるような体験よりよっぽどハッピーだろう。

結局、そんなもんなんだ。キングコング西野氏的なものはこの世界の至るところに、程度の差こそあるけどあふれているし、おおよそ感動はオンラインサロンの充実感で代替される。だから、俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なもの永遠に勝てないだろうと思う。

追記

トラバで、「『審判』のくだりでお前が言ってる、商業的に自由っていうのは、仕掛けられたマーケティング接点では無い出会いだった(古本屋の偶然)という意味か、『審判』の中身・題材に関連したことか?」という質問をいただいて、これは前者のつもりで書きました。

ただ、カフカという作家についても、おそらく、「再発見された天才カフカ」「俺たちの代弁者カフカ」「いま、イケてるやつはカフカを読む! カフカで他のみんなと差をつけちゃえ!」的なかたちで仕掛けられたムーブメントがきっとあだたんだと思います

審判』もきっと、その延長上で古本屋の棚に並んでいたわけで、そう考えると消費者小馬鹿にしつつも心理の隙間に入ってこようとする商業ってやつからは、千切っても千切っても完全に自由にはなれないのかな、と思いました。

ところで、上記の「『審判』の中身・題材に関連したこと」という部分で思いついたことがあるので、それを付記しておきます

審判』のネタバレになること、作品解釈あくまで俺によることをことわっておくのですが、『審判』は、「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という話です。

カフカにはたぶん、いわゆる「自分探し」を揶揄するつもりはまったくなかったことをふまえて考察するんですが、物語の冒頭でなんの脈絡もなく訴えられた結果(罪状も明かされない)、

自分はこれまで、どんな善行(悪行)を重ねてきたか

自分の将来にはどんな可能性が残されているか

そもそも自分とはこの社会世界)において何者か」

を考え、自分無罪を信じぬいた結果、得体の知れない訴訟にハマりこんでいき、破綻する話です。

自分を「信じ抜いた」結果、破滅を迎える。俺が増田に『審判』の話を書いたのは本当にたまたまですが、『プペル』のキャッチコピーを考えたとき、ああ、この対比は面白いな、と思いました。

で、この面白いという感覚には続きがあります

俺は上で、あえて「自分探し」という表現しました。なんでかというと、こう思ったからです。

審判』の「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という一つの解釈について、次のように補足・換言してみる。

自分という存在(の可能性)について徹底的に考え続けた(諦めなかった)者は、(社会的に)必ず破滅する(≒冷遇される)」

…こうしてみると、この増田でも話題にしてきた別の「作品」が見えてこねえか? ということです。

俺は何十回でも強調するつもりなんだけど、俺は『審判』と『プペル』を同列に見ているわけではなくて(『プペル』も別に、読み終わった後しばらく飯の味がわからなくなるくらい衝撃だった、って言われたくはないだろうし)、ただ、この辺ってけっこう曖昧で危ういんじゃねえか、ということです。

自己」「孤立」「理解不能なマジョリティ」「困難な戦い」、こういった要素を含む物語は、例え真逆メッセージを送っていたとしても、じゃあ全然違う別モンだぜ、と胸を張って主張できるかと言うと、「いや、うん、全然違うよ、違うんだけど…ちょっと小一時間整理させてくんねえか」というところがある気がして、それが面白いな、と思いました。

強いて言えば、俺は子供に『審判』は絶対読ませたくないし、『プペル』は別にいいんじゃねえの、という感じです。

それは、『審判』が俺にとってスペシャルなのと、あと単に理解できても暗い気持ちになるからで、自分の子供がそんなんなったらイヤだからです。

2021-01-14

anond:20210114000451

読んでて色々しんどい

特にここ

マジメ系クズというと酷いゴミクソ人間のように思えるが、マジメ系クズだと思わなければ、普通生活ではないか

いや本当にそうだよ。

くその通りだよ。

増田普通人間だし無難人間だよ。

なんでそれで安心できないんだろうね。

増田を責めてるんじゃないんだ。私もそうだから

マジメ系クズって連呼してるけどその言葉意味わかんないじゃん。クズな時点でマジメじゃないでしょ。

結局説明できない欲求不満得体の知れない不安感を「自分クズから」って理由付けして押し込めてるだけなんだと思う。

でもクズって言うほどの事はなんもしてないから「マジメ系」ってつけたしてあやふやにしてる。

不毛だよ。

増田はマジメで普通の人だよ。それで満足できるようになろう。

2021-01-11

結婚相談所社長後継者を探しているから会いたいと連絡が来ている」

なにこのタイトル

5年以上前だけど、結婚相談所婚活していた時に、相談所の担当者から実際に来た電話

どんな結婚相談所

入会条件と身元確認はあるけど、普通結婚相談所。誰でも入れるわけじゃないけど、当時の勤務先は入会可能条件に該当していたのでお世話になった。別にハイソサエティ向けとかそんなんじゃない。

入会時は、写真履歴書相談指定書式のアピールポイントを書く紙、源泉徴収票の写しを提出。

そういう話ばっかりが来る結婚相談所

そんなことはない。その相談所では15人位と実際に会ったけど、タイトルのような話はただの一回だけ。担当の人も困惑しているようだった。

通常の流れは、

・異性の釣書を見て「この人に会ってみたい」と相談員に提出

相手もそれでいいなら相談所の仲介で実際に会う

・もう一回会うかもう会わないか相談所に連絡

って感じ。

増田スペックは?

そこそこ名前を知られている会社所属していた男性正社員過去形。今は転職している)。ただメンタル疾患履歴あり(これは特に相談所には話していない)。

怪しいと思わなかったの?

なにそれ?と思った。「社長後継者」って時点で、ああ後ろに親がいるんだろうなと思った。で、その企業名前相談から聞いたので、回答を保留してちょっと調べてみた。本社のある自治体施設のネーミングライトを買っている企業で、歴史のある有名な企業のようだった(私はIターン就職なので不勉強だった)。

ただ、身元確認はしっかりしている相談所だったので、身元は疑わなかった。特殊目的を持っている会員(会員の親)がいるんだろうなと思った。

(ここでは関係ないけど、明らかに親に言われて入会したんだろうなあという女性にも何人か会った)

なんでそんな話が来たの?

正直わからない。相談員に聞いてみればよかったな。あくま自分想像だけど、釣書会社名とか出身大学とか見て、ちょっとでもねらい目と思えば片っ端から声をかけていたじゃないかな…。ただ、自分場合年収を見れば「年齢の割に給料安いな」とわかるはずなんだけど…

で、結局どうなったの?

相談員には断りの電話入れた。なんか得体が知れなかったというのと、直前に数回会ってた人に断られて凹んでいたし仕事のほうもストレス状態多忙になってたので。

精神状態次第では好奇心で一回会ってたと思う。変な方向に思い切りはいいので。一回会って断りたきゃ相談所に電話すればいいんだし。

オチとかないのかよ?

そんなものはない。

素人が嫌い

理由を上手く言語化出来ないのですが、素人が嫌いです

思い返すと、ケータイ小説流行った頃にはもう素人が嫌いだと思うようになりました

時は流れ、令和

YouTuberが持て囃されているのが気に食わないし、テレビでポツンと一軒家が人気なのも気に食わないし、noteで中身スッカスカの記事を有料にして小銭を稼ぐ得体の知れない一般人も気に食わないです

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