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はてなキーワード: へそ曲がりとは

2024-02-20

インフルエンサーマーケティングはもういらない

猫も杓子もインフルエンサーマーケティング時代である

私はへそ曲がりなので、インフルエンサーが一斉に同じ商品を紹介していると興醒めししまう。

ステマ規制法がようやく始まったが、インフルエンサーマーケティングはまだ廃れない。

消費者の味方みたいなツラして企業広告塔して儲けてんじゃないわよ!

そうかと言って、有名人に何億という金を支払って広告塔に起用するような昔ながらのやり方も気に食わない。

もっと消費者にとって利益となるような新しい販促方法はないのだろうか。

2023-10-10

∀やGレコの方が増田にはおススメかも

anond:20231010034423

へそ曲がり富野監督なのでアニメでは描かれず資料集インタビューで補完必要だけど、思い付きではない流れのあるガンダムが観れるよ。主人公フォーカスあてるので大局が見えず頓珍漢なストーリーに見えるだけで

水星もだけど今のアニメって戦う相手が多すぎて良作程度じゃ埋もれるし毎話爆発力が必要Youtuber的なの求められるから作成側も大変だろうなって思う

2023-06-08

おへその雑学

・へそは汗をかかない

・へその位置は男女で異なる。女性の方が低い位置にある

・へそは漢字で「臍(ほぞ)」と呼ぶ。へそはほぞが転じた言い方

・へそは英語navelもしくはbelly buttonという(お腹ボタン

・へその緒を残しておくのは日本独自の慣習

・へその緒のDNAは、母親ではなく子のDNAと一致する

・へそくりやへそ曲がりのへそは、お腹のへそではなく綜麻(へそ。麻糸を環状に巻きつけたもの)のこと

・へそのゴマ(埃や垢、石鹸カス)は溜まりすぎると石化する

2022-08-09

日本人ってへそ曲がりから

山上が本当にテロしたなら全く乗らないと思う

山上別にテロってないのに結果的テロと同等の効果が出たという皮肉な状況から

皮肉が大好きな日本人が盛り上がってるんだよ。

これもう止まらない

2022-08-06

anond:20220806014120

理系の連中はへそ曲がりから

女に辛辣なんだよね

曰くオタサーの姫を警戒してるとのこと

理系発達障害入ってる奴が多く誰に対してもナチュラルに不親切だから性別関係いかもしれない

 

にとりあえず優しくしちゃうのって中ぐらいの学力人間

底辺高学歴は女の扱いはマジで悪いよ

 

底辺モラルのなさから

高学歴は女はバカで同じ人間に見えないのでモノ扱いしていいとの観点からです

2022-08-01

anond:20220801213707

たとえば京大シラバスと本人が言ってることが辻褄合わないとか。

こういうのを、どの程度嘘の証拠として強いと思うかは、人それぞれなのかもね。

身バレ防ぐために入学年度にフェイクを入れたとか、留年したのを隠してただけで、とかの解釈可能なんで。

から京大OBなのは嘘じゃないとか、言えなくはないけど、本気でそんなこと言ってる人がもしいたら、随分なへそ曲がりだなあとは思ってしまう。

2022-06-15

anond:20220613095621

リベラルとは言葉本来意味では「自由主義」であって

王侯貴族に対するブルジョワ市民権利拡大を唱えただけの主張

まり王侯貴族享受してるような(保守的価値観の)恩恵

俺ら市民階級にもよこせという話

そして共産主義社会主義リベラルは別物

左翼共産主義社会主義」となったのは20世紀の100年間特有現象

欧米ではマルクスの登場以前から左翼がいた!)

リベラルから既存価値観全否定じゃなきゃおかしい」

という意見は残念ながら言葉定義としては的外れ

元増田が挙げていたような価値観全否定してひっくり返すのはむしろ

社会規範もなく乱婚や性的役割分担以前の混在が通例だった

古代社会への回帰みたいなもんだろう

まり未開社会こそがラディカルw

これはわざとへそ曲がり言葉遊びを言ってるんじゃない

だって所詮リベラルとは近代価値観の枠内での自由主義に過ぎないんだから

2022-04-23

じっさいにへそが曲がってる増田居る?

増田は100匹くらい居るし、性格は捻くれまくってるから一人は居てもおかしくないと思うんだよな。

けど「へそ曲がり」なんて今まで見たことない。へそって凹んでるものじゃん大体の人は。

なんで昔の人はそんな凹んだ穴を「へそ曲がり」などと形容していたんだろうね。

2021-07-01

anond:20210701212432

直近の展開ではわりと力に振り回されてるし、

おっさん主人公別におっさん読者のものじゃない。

それはそれとして、怪獣8号は尖ったところのないウェルメイドな作品だと思うし、

へそ曲がりのおまえがそういう万人に受けるような作品を好むとは思えないな。

怪獣8号』がはてなブックマークで人気なのがよくわからない

人気が出る漫画には必ず理由があると思っているので、『怪獣8号』という作品が売れること自体意味不明と言っているわけじゃない。

実際、この漫画に関する評価理由として、推測できるところもいくつかある。ただ、はてなブックマークでも特に人気っぽいのが「?」という感じだ。はてブの層とは作品趣味が近いと勝手に思っていた(世間一般として高評価であるのが、はてブ一定層にも普通に響いている、という可能性もあるが、個人的な印象では、はてなブックマークでとりわけ高く評価されているように見える)。

悪口ばっかり書くことになって申し訳ないが、別に個人主観なので勢いで言ってしまうと、俺はまず、自分に与えられた力に対する主人公姿勢が気に入らねえな、と思った(ただ、第1話最近の話を読んだだけなので、その間で描かれたメッセージ機微をごっそり取りこぼしているのかもしれない。その点で、この文章そもそも批評としてのテイをなさない)。

何かのきっかけで、世間的に忌避されている強大な力を手に入れる主人公、というテーマは色んな作品で描かれていて(『デビルマン』『進撃の巨人』『東京喰種』)、俺は、こうした作品は、これまで自分が属してきた価値観の相対化、もしくは破壊へと、展開していかざるを得ないと思っている。

別に、必ずそうする決まりがあるわけないのだが、巨大な力が、しかも敵側からもたらされるという体験の前に、個人人格理念がそれまでのかたちを保っていられるわけがないと思っているので、どんな作品必然的既存の善し悪しの崩壊ありき、これを通過せざるを得ず、そこから何を描くが各々の見せ所だと考えている。

怪獣8号』における力は、どうも、単にニュートラルに強大な決定力という感じで、怪獣を処理する側が怪獣になってしまったというジレンマも当然ゼロではないんだろうけど、どうもそんなに要点が置かれて描かれていないように見える。俺はそういう話だったら興味ないのだが、はてブでは人気っぽいので、くどいがちょっと驚いている。

あとは主人公がややおっさんなところか。

少年漫画としては珍しいな、と思ったけど、「少年」漫画といいつつ読者層はなんだか高齢化しているっぽいので(鬼滅でいくらか下がったんでしょうか)、その辺も時勢的にあざといというか、「おっさん活躍してる話だったらそんな餌に食いつかないで青年誌読むぜ」と誰にも得のない反発を覚えてしまい、はてなブックマークのみんなもそうだろ? と思って後ろを振り向いたら誰もいないという、なんだよ、みんな普通にあいうの好きなのかよ、という。まあこれは俺の独り相撲しかないんだけども。

作品で何を描こうが自由だし、売れそうな要素やメッセージを盛り込んで話を作るなんてのは当然のことだ。繰り返しになるが、人気が出る漫画には必ず理由があると思っていて、俺の推測が当たっているにせよ外れているにせよ(全話読んでもいないけれども)、売れる作品ちゃんと読者の何かしらの需要を打ち抜いたのだから、何の問題もない。

ただ単純に、はてブには俺と同じへそ曲がりが多いと思っていたから、「与えられた力のせいで人生が決定的に狂うわけでもなく何となくどうにかなっていて、俺らおっさんむけに狙い澄まされたみたいな内容を荒川弘の絵で描かれておもしれえか?」と思って無視していたらけっこうみんな読んでいるので、なんとなく居心地が悪い。

何が言いたいかというと、「お前は大きな思い違いをしているし、そもそも全話読んでいないのでは話にならないから、今から買って読め」というならそう言ってほしい。面白い漫画が好きなので、食わず嫌いで(ひと口はかじったけど)損しているなら、いまからちゃんと読もうと思う。

2021-05-13

初期の進撃の巨人を見て、今のコロナ時代を思った事

 進撃の巨人が完結したようだけれど、進撃の巨人が大流行していた10年前、様々な名言が取り上げられていた。

初期の諫山創の、狭い「内側の日本」だけにとどまら世界に対する厭世的な見方皮肉的な見方

人によっては受け、人によっては鼻についたと思う。

それが象徴されるのが、エレンとピクシス司令官の会話だ。

「もし人類以外の強大な敵が現れたら人類は争いごとを辞めるだろうと昔誰かが言った。エレンはそう思うか?」と

それに対してエレンは「呑気な考えだ」と一蹴する。


 初めてこれを見た時、唐突だなと思った。多分、諫山創の伝えたい個人的な考え方だったのだろう。

それを自分が見た時は東日本大震災の後だったので、絆とか言われてる時代、この見方ちょっとへそ曲がり見方すぎるんじゃないか?と思ったものだ。


 でも今回のコロナではっきりしてしまった。コロナの状況は進撃の巨人に似ている。外に出なければ、経済活動をしなければ比較安全死ぬこともない。しかし放っておけば、壁を「ウィルスをまとった人間」が破ってくる。

脅威は持続的で、永遠とも思える長い時間が過ぎる。グローバル化医療の発達によって安全だと思ってた自分達も、蓋を開ければ結局インフルより少し強い程度のウィルス支配されていたことに気付いてしまったのだ。


 それで、人類は争いごとを辞めただろうか。

老人たちは壁の内側に籠り、若い人間派遣させ「経済」という得体の知れない巨人によって食われていく。人々は責任押し付け合い、誰かを敵に仕立て上げワイドショーで叩く。

中国から始まったウィルスなのに、飲み屋を叩き、そこに行く隣人を叩き、飲み屋制限しない政治家を叩き、政治家は夜の街と若者を叩き、絆とはかくも脆いモノなのかと思わされてしまった。

 今必要なのは狭い壁の内側で内乱を起こす事じゃないと思う。

「そろそろ一つにならんとな…戦うことも難しいじゃろて」とは、ピクシス司令官言葉である

2021-05-09

せっかくスクリプトを組んだのに

へそ曲がりなやつだな

見続けるんじゃなかったのか

男が一度見続けるって決めたらな

鼻血が出ても血液が逆流しても

目が血走っても

失明しても

24時間365日不眠でスクリプト凝視し続けなきゃだめだろ

それが男のアツい血潮だろ

<!他人の家に興味がある!>

この強い意志を完遂しないおまえは今まで以上にダメ人間だぞ

いから黙ってスクリプトを見続ける作業に戻るんだ

俺は席を外す

2021-04-08

anond:20210408095216

ただのへそ曲がりだろ。ただのへそ曲がりでなにか都合が悪いのか。

anond:20210408094010

なんか気になるけど、[言及する]リンク押せばいいのに

わざわざURLを貼り付ける理由なんなん?

ただのへそ曲がりなのか、なんらかの障害の影響???

2021-03-16

anond:20210316003839

こういう奴って中2ぐらいの負けず嫌いへそ曲がり(頭は弱い)のオタク相手してるのかなと思う時がある

2020-08-29

コロナでの大学研究のやりかた

コロナ人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事雰囲気が変わり始めている。

私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。

もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域比較英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたとき理科若い先生理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからいくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。

当時はショックだったが、中学校から親の転職関係引っ越し比較普通地域引っ越ししまった。小学校ときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越し地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくま中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理先生哲学議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたとき日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。

大学自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生パートナー何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本最高学府学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員ディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論テーマ自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1勝手実験をして修士論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文12本書いた。ちょっとした自慢である

博士資格名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学ポジション公募に出す中、私は自分学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外日本より風通しが良いだろうと思い、日本研究から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本出身研究室で職を得て戻っていった。不思議ものである

当時の海外での受け入れ研究室教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本講座制の影響もあり若い研究者活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である日本に戻るためには公募書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室研究をしているよりも経験つん日本研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議ものである

こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。

そんな先のコロナである実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言あおりをくらい、研究室での研究活動オンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生いるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。

学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動制限されている。以前ほどの自由担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンスペイン風邪タイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。

2020-03-04

自分へそ曲がりで頑固なところがあるけれど、意外と素直でチョロいところがある。少し誘導してあげるだけで思い通りにコントロールできる。人から干渉されることが嫌いなので下心は見抜かれるが、人に利用されるのが嫌いな訳ではない。役割を与えてやれば尻尾を振って従順に従う。良い子になぁれ。良い子になぁれ。良い子になぁれ。

2019-03-05

東方がどうしても好きになれない

元ネタ知らずに抜けた同人誌なんていくらでもあってそこから元ネタ知ったのだってたくさんある

でも東方は抜けるキャラが一人もいない

それなのに数だけは多くて嫌でも目に入るからほんとうんざりする

東方関連で面白いと思ったのってゆ虐くらいだわ

そんだけ沢山の人がはまって二次創作しまくってるから面白いって思う人のほうが多いんだろうけど、なんかどうしても駄目

よくある人気作品からへそ曲がりマイナー作品好きがgdgd言ってるだけだろって思われるかもだけどそうじゃない

人気なやつで普通に好きなのもあるし

そこそこ絵がうまくても東方ってだけで読む気なくなるし

なんだろうなあこの感覚

しろ面白さをわかりたくはあるんだけど

原作は初代の脱衣ブロック崩しっぽいやつは少しやったことがある

シューティングになってからはやってない

東方にはまりてえなあ

はまったら尽きることのない二次創作にどっぷりつかれると思うのに

悲しい

2017-09-07

へそ曲がりオタクの居場所

自分ネットに入り浸ってオタク談議をするようになって、もう15年くらい経つわけだが、最近ネット自分のようなへそ曲がりにとっては、あまり居心地のいい場所ではなくなってきたように思う。

例えばアニメ特撮漫画の話にしても、昔のネットは通り一遍雑誌テレビ受け売りのような論評ばかりではなく、

「この作品は名作と言われているが、本当に名作か?駄作と言われているが、本当に駄作か?」

「今、世間じゃこの作品がすごく流行っているらしいけど、どうも俺には合わないなぁ」

「この作り手は深いテーマを描き続けた偉大なクリエーター評価されているが、そうかね。俺はそこまで素晴らしい作品ばかりとは思わないし、かなり問題も多かったと思うがねぇ」

という意見も割と見かけたものだった。

その中には共感をおぼえるものも少なくなかったし、時にはそれこそ雑誌テレビではまずお目にかかれないような、深く感銘を受ける意見出会うことも度々あった。

それがここ5、6年くらいだろうか、いつ来てみても、2chTwitterも他のSNSブログサイトも、

「名作と言ったら名作なんだよ、異論は認めん。やいやい文句をつける奴はバカだ」

「お前は偉大な大御所の○○先生ケチをつけるのか?!上っ面しか見ていないくせにわきまえろ」

という空気支配的になっていった。

そして気づけば文字通り薄っぺらな、何処かから拾ってきたような通り一遍評価しか見られなくなった。

近年の作品はまだ評価が固まっていないせいか、それほどでもないのだが、90年代以前のもの特に昭和の名作と呼ばれるような作品や作り手になると、もうどうしようもない。

もちろん、じゃあ昔のネットはそこまで風通しが良かったか?と言えば、別にそんなことはない。

昔でも基本的には誰かの受け売りのような評価の方が多かったし、自分のようなへそ曲がりオタクにそこまで居場所があったわけではないのだが・・・

今は少数どころかほとんど絶無になってしまったし、意見を表明できる場もそんなにない、無理矢理主張したところで誰から同意してもらえず、逆にフルボッコされて終わり、というのが当たり前になってしまったようだ。

2017-05-09

[]

今回はモアイで読んだ、イブニング新人賞感想

深海のICMP(第34回イブニング新人賞 奨励賞

うーん、説明マンガだ。

作者は必要だと思っているから書いているんだろうけれども、わざわざコマ外に注釈つけてまで説明する必要性は私には感じられなかったかなあ。

まあ、このあたりの(作劇上必要な)情報の過不足については、裁量の良し悪しが分かれるところではあるけれども。

個人的には、読み切りなのでそこまで情報に精彩を求める必要はないと思っているし、あってもむしろ邪魔だとすら感じるんだよねえ。

そんなことしなくても、絵だけで表現できる力量はあると感じたので勿体ないなあ。

あと、単純にプロットにそこまでドラマがないから、余計にそのあたりの描写けが上滑りしている印象。

捨てロボ(第34回イブニング新人賞 奨励賞+編集部特別賞)

画力は今回の受賞作の中でも間違いなく下位だが、物語作りにおける取捨選択が上手いと感じた。

すごくテンポがいい(早すぎるともいえるが)。

それでちゃんと起承転結描いて、主人公自身問題も平行して解決させていくのはやろうと思って中々出来ることじゃないと思う。

ただまあプロットにそのまま絵をつけているだけというか、描きたいとこだけ描いているって印象で、その結果「間」がないというか全体的に漂う粗の多さが気になることは否めない。

水族館の夜(第34回イブニング新人賞 奨励賞

集団の中で確固たる価値観でもって振舞っている一人の女性に対する羨望を、自分や周りを鰯になぞらえて表現している主人公独白や描き方がいい感じ。

そして、それが所詮主観美辞麗句で語ったものしかなかったということを突きつけるような、後半あたりから牙をむき始める展開が興味深い。

自分や周りを魚に例えるなら鰯。じゃあ彼女は?」という視点に向けることで、前半では見えてこなかったテーマの裏を見せてくる構成には感心した。

これもある種の叙述トリックかもしれないなあ。

うちのへそ曲がり!!(第34回イブニング新人賞 大賞)

思春期の息子を持つ家族模様の一ページを、母親目線で丁寧に描いているね。

プロットだけ抜き出すと、ドラマや他の漫画でも使い倒された、すごくありがちな話で前時代的だとすら感じる。

ただ、それをこの時代に丁寧に描ききっているという点は評価したい。

こういった話をシンプルにしつつも過不足なく、絶妙バランスで描くって簡単そうで意外と難しいことだと思うので。

難解な感情だとか複雑な題材を用いていないのも、かえってストーリーを受け入れやすくしていて個人的ポイント高い。

子供の頃、フィクションで登場する大人にそこまで感情移入できなかったのが、自分大人になって改めて作品に触れてみると理解できるみたいな感覚を味わえた。

2017-03-05

気持ちを素直に表現できない人」を総称する表現ってなんかある?

意地っ張りだったり、気にしすぎだったり、

天邪鬼だったり、恥ずかしがり屋だったり、理由の如何は問わず

気持ちを素直に表現できない人」を総称する表現ってある?

造語でも、初見意味がわかれば問題ないんだけど…

強情、偏屈へそ曲がりシニカル、ひねくれ、コミュ障…など、

気持ちを素直に表現できない人の総称」ではない(理由限定的)のは

いくつか思い浮かぶんだが…。

追記:

思いついた中で、一番近いのは「(精神的)不器用」。

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20170130153610

意義を感じないとかよう言う子供だな。コミュ症かプライドだけの人間になってある日溜めこんだストレスで鬱になりそう。

確かに無意味だし、将来に役立たないかもしれないけど、それでも楽しい所や目標見つけて、将来大人になって視野が増えたら何か感じるかもね。

親のへそ曲がりに毒された可愛そうな子供って感じだな。

2014-06-20

男女同権or男女平等って無理じゃない?

http://anond.hatelabo.jp/20140619223515

この人の嫁の気持ちはわかるけどちょっと甘えすぎだなぁ、と思って読んで、ブコメ読んだら案の定人気コメントで叩かれてるのは書いてる男の人の方だった。そして男女同権・男女平等と言われて育った身でそれらを読んでてどうにも腑に落ちない。

hisawooo 男の人ってたぶんあんまり愚痴を言い慣れてないんだと思うんだけど、愚痴を聞いてもらうのに「俺のほうが絶対正しいんだけど」って情報不要だよ。正しくなくても慰めてもらえるものだよ

正しいと思っている事をしたくても出来ないという事なら慰める話けど、自分が正しくない事をしてひらきなおって愚痴って慰めてくれって、大の大人としてどうなの?って態度でしょ。

それに問題を解決するためには、まずは間違ってる方が自分を正すものでしょ。その判断材料必要でしょ。

mujisoshina 嫁が実際に言いたいのは「息子のことをわかっていない」ことじゃなくて、「嫁の気持ちをわかっていない」ことなんだよな。増田尊重すべきなのは相手の立場理屈ではなく、その裏にある相手の気持ちなのだと思う。

相手の気持を汲み取る事はもちろん大事。だからといって、自分の気持の整理も付けずに他人にそれを押し付けて、そのうえ現実の状況よりもその気持ちを尊重して欲しいってのは、わがまま以外の何物でもないでしょ。それは現実対処する責任がない小さな子供だけに許される特権

べつに自分フェミニストじゃないけど、女だからってお酌したり男性ばかりを立てるのはおかしいと思うし、ぎゃくに男性一方的に頼るのもおかしいと思ってきた。ギブアンドテイクというとドライだけど、お互いが対等に協力しあって尊重しあうのがあるべき姿だと思ってきた。現実にはそうなってない状況はいくらでも見てきてるけど、昔の慣習がいきなりなくなるわけじゃないから過渡期的な状況だと割りきって見てた。

だけど、はてブを見るようになって頭が???ってなってきてる。曰く、何かあると、女性理屈じゃない、正しいかどうかじゃない、事実じゃなくて気持ちに合わせてやれ、云々。これって、女性現実対処せず正しくても間違ってても男性が黙って自分の気持を汲んで通してくれて当たり前、って事でしょ?それって女性は大きな子だって言ってるのと同じじゃない?女子供って言葉に昔から引っ掛かってたけど、この言葉通りに女性子供同類って事を認めなさいって事じゃない?

そういうのが正しいんなら、男女同権とか男女平等って無理があると思う。だって大人子供同権とか大人子供平等ってないでしょ?女性子供であり続けて良いという規範の人たちは、男女同権とか男女平等っていう枠の外に出ていって欲しいな。そこでは、女性はよい子供として振る舞ってお酌もして男性を立てまくればいいし、男性はその引き換えに子供わがままをちゃんと聞いてあげる。

そういう世界と大人の世界を分けて欲しい。そういう規範の人たちがそんなにたくさんいるなら一律に男女同権or男女平等は無理だと思う。

■追記

はてブされた。ありがとう。でも伝えれて無いなぁ。

plutan 平等って条件を同じにすることで、能力まで同じにすることじゃないんだけどなー。お互いに足りないところを補うのが夫婦ってものじゃないのかしらね。 201

能力の話はしてなかったつもりだけど…もしかして女性の方が現実対処するための精神能力が低くてよい=子供扱いと思って書いたけど、そうじゃなくて、所与の事として低いと言うことが前提?子供扱いじゃなくて、実際に子供だと?理不尽な話に感じるのは、自分へそ曲がりフェミニストなのかな。

hisawooo 例えば上司愚痴など仕事のことであれば正しさが規範でよいとおもいますが、家族間の問題を正しさで裁くのは不毛だと思っています

裁くじゃなくて、現実課題対処しなきゃでしょ?正しいかじゃなくて、現実がどうなのかを踏まえて現実対処しなきゃってだけでしょ。なのに女は自分の気持ちを推測して貰って現実よりそれを優先してもらうって子供じゃない?って話。思いやりがいらないなんて書いてないよ。

hirosh_yoshida いい旦那は嫁からしてもらう以上に嫁に与える。いい嫁は旦那からしてもらう以上に旦那に与える。50%50%じゃないとうまくいかないわけじゃないけど、足して100%いかない夫婦はうまくいかないんだろうなー

元の嫁が子供を独り占めしてる話、嫁ばかり与えてて旦那が与えてないとは読めなかったな。でも反応は、旦那事実に囚われて嫁の気持ちを汲んでないけしからん、なんだよね。事実に囚われるって大人ならまず事実を見るの当たり前でしょ?女性にはそんな必要ないの?

あと家庭で思いやり大事なんて当たり前だから書いてないんだけど、それはお互いにってところが大事じゃないの?事実を踏まえないでわがまま言ったもん勝ちなの?それは女性だったら(子供から)許されべきことなの?って事。

なんかウエメセで、女は子供に決まってるでしょ的な大合唱を食らったみたいな気になってへこむわ…。

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