はてなキーワード: 対外的とは
この手の話になるといつも思うんだが、憲法9条を改正するだけで日本の軍事力がいきなり高まるくらいに思ってる人っているよな。
軍備拡大への正当性はある程度獲得できるかもしれないけど、実際にやろうと思ったら金も人も技術も全部足りてない訳じゃん。
歩兵一人にしたって、先進国の歩兵ともなれば十分な教育、最新鋭の装備、充実した訓練、命を賭けるに足るだけの給与と相当な金がかかる。
戦闘機や戦車、艦艇となればさらにアホみたいな金額がかかるし、単純な頭数を揃えるだけでもこれから若者が減っていく日本にとっては大きな負担になる。
その点に対する議論はほとんどされてないように見える(軍オタの人とかはそういうのも気にしてるとは思うけど)
軍事力強化への道筋も定まってないのに憲法9条だけ改正しても無駄に仮想敵国を刺激したり、在日米軍が日本から撤退したり大幅に派遣規模を縮小したりする口実にされるだけなんじゃないのかなぁって思うんだけど。
それに少なくとも対外的には日本が日中戦争→太平洋戦争と泥沼に突っ込んでいったのは軍部の暴走にあるということしてる訳だから、その二の舞を踏まない為の仕組みをきっちり作って抜け穴もばっちり塞いで、そういうことはもうないですよって海外に向けて胸を張って言えるようにする必要もあると思う。
それ無しでは外交的にあまりにもリスクが大きすぎる(あったとしてもハンデにはなる)。
でもそこに対する改憲派の意見やら議論やらあんまり聞こえてこないというのも結構な不安要素だと思う。
現状の憲法のままで例えば中国との軍事衝突を回避しつつ国益を確保するというのは余程高い外交力が求められると思うんだけど、与野党、外務省などを見回してもとてもそんな力量があるとも思えない。
攻撃を受けた際への対処も護憲派内でも意見がまちまちだし、その中にはあまりにも非現実的な考えも多い(端から見ると念仏代わりに9条唱えれば敵が退散するくらいに思ってるんじゃないかって人もいる)
ただ9条を守れと叫ぶだけではなく、9条を維持した上でどう日本という国を守っていくのか? という点に対する議論を深める必要があると思う。
一般人の中で改憲派の人達の根底にあるのは仮想敵国(主に中国)に対する不安なんだからそこを解消しようとしない限り何を訴えても無駄でしょ。
というかこうやって書いてみて思ったけど、改憲派も護憲派もお互いが正しいと思う事を叫ぶだけで相手を説得しようしてる感じ全然ないよな。
俺が知らないだけかもしれないけど、そういう人をほとんど見ない。
政治ってこういう意見の衝突を摺り合わせて現実的な選択を探ることにあると思うんだけど、なんでそういう流れにはならんのだろうなぁ。
増田がAMPに対応したせいで、はてブアプリから増田を開くと必ずモバイル版が表示されるようになってしまいました。
確かにページの表示速度は早くなりましたが、ひと昔前のようなデザインでトラックバックの内容も満足に確認できないページを見せることになんの意味があるのでしょうか。
増田に興味ない人は本文だけしか読まないとでもいうのでしょうか。
増田はその日記だけではなく、トラバまで含めてひとつのコンテンツです。これが面白いのです。
コメントする際も必ずトラバの流れを確認し、ブコメにするのかトラバにするのか判断するのか必要があります。
では、なぜこのような対応がされたのでしょうか。
今流行のAMP対応をしたという対外的なアピールに見えるかもしれませんが、それは違います。
これには大喜利を得意とする某有名ブクマカとの裏取引が行われているのです。
大喜利にはスピード感が最も重要です。ホッテントリで大喜利会場を見つけたらいち早くコメントすることが求められます。
AMPによる高速化で某有名ブクマカは記事を選択した3秒後にはブコメの投稿が完了しています。
一般ユーザーがPC版を表示したときにはすでに某氏のブコメが表示されているのです。
ネット上で形成されたある弱小同人サークルには、オリジナルのマスコットキャラがいた。マスコットキャラといっても内輪的なもので、対外的には全然意味をなしてない。(とはいえ、マスコットキャラがいるとTwitterアイコンだったりカタログのサークルカットだったり、とりあえずそれを描けばいいみたいな存在になるので便利である。余談)
自分はそのサークルの結成から一年程リーダーを務めていたが、今は退任してサークル活動にはノータッチである。後任のリーダーは自分より同人活動も社会経験も長く、気さくで親身で、一児の母でありながら管理職に勤めているというハイスペックな方だ。普通に尊敬できる。
その後任のリーダーが、どうも、そのマスコットキャラクターの名前を一文字間違えて覚えてしまっているようである。(長期間、その誤った方の名称で呼んでいるため、タイプミスではない)
まぁ覚え間違いなんて誰しもあることだ。自分も最近までyoutuberのヒカキンのことを「ヒキカン」と認識していた。そっちの方が語呂は良いと思う。
間違えて覚えてしまったなら、気づいた段階で直せばいいし、気づいた人が指摘すればいい。これはズボンのチャック全開問題と似ている。些細なことだ。
だがかれこれ半年以上、その誤りは直らない。もちろんリーダーが迂闊ということもあるが、それ以上にサークルメンバーの誰もがそのことを指摘しない、あるいは気に留めない、その関係性は不健全に思えて仕方がない。仮にもサークルを象徴するマスコットキャラクターである。名は体を表す、という程はないかもしれないが、名前あってのキャラクターであるのは間違いない。二年以上活動していて、まだ「チャック空いてますよ」も言えない表面的な関係でしかないことに、虚しさを覚えてしまう。
「気づいてるならお前が指摘すればいいじゃん」と言われれば、まぁその通りなのだが……、しかしそれがジレンマなのである!! 指摘は容易いし、心理的障壁はあまり感じない。ただ自分は身勝手な都合でリーダーを退き、その方に押し付けてしまった立場である。サークルから離れていったくせに、姑のようにアドバイスと称した鬱陶しい小言をいう存在になるということは、自己満足でしかないし、それは自分の羞恥心が許さないのである。(これはこれで自己満足なのだろうか)
まぁしかしチャックが全開であっても、それを全員が認識しなかったり、華麗にスルーしていければ、大した問題ではないのかもしれない。寧ろ気づいて騒ぎ立てるのが悪なのかもしれない。「チャック空いてますよ」と言いあえる関係性を最善とするのは、価値観の押し付けだろうか。
この件でトラブルは起きないだろうし、決定的な亀裂ではないと思う。だが、こういった歪みがドンドン連鎖的に広がっていくのではないかと危惧してしまう。
結論から言うと、学校の造りと、教師のつくりが合う気がしないことだ。
これがばれて何か処分が下っても結果として目的は達成できるのでフェイクを入れずに書いていく。
中学時代、私は運良く勉強に恵まれ、第一志望としていた県でもトップクラスと呼ばれている進学校(といっても偏差値は70弱)の公立高校へと進学することができた。都内に住んでる人からすると公立高校は滑り止めの印象があるかもしれないが、地方中枢都市であるこの県では、中学受験をしなければ基本的に逆の立場であると考えてもらいたい。当然その結果を報告すると、周りの大人達はほめた。「親孝行だ」という人もいたはずだ。私は当然満足した。文化祭や学校説明会に訪れ、親の勧めとはいえ自分自身で決定した行動だ。さらにその高校には美しい校舎、ハイレベルな進学実績、なんと公立高校であるにも関わらずエスカレーターまで完備されていた。ここまで書くとその県に住んでいる人は特定できたかもしれない。おそらくその高校で合っている。わからない方はのんびりとした高校生のやりとりが特徴の春アニメの校舎を参考にしてもらいたい
入学してから私は気づいた。この高校の設備の劣悪さ、そして学校に漂う嫌な空気にである。
まず、デザイナーがこだわった「美しい校舎」と「素敵な設備」のひどさである。端的にいうと、高校に使用する造りではないのだ。第一に、通気性が悪いのである。高校を特定した方々は驚くかもしれない。教室の片側はほぼガラスの窓であるにも関わらず、その殆どが開閉もできないのである。そして、開いても微々たるものである。その空間に高校生がひしめき合うのである。地獄だ。次に、本校の大きな魅力であるエスカレーターに甘えきった造りである。なぜか上りのみのそれによって、階段が少なく、そして狭い造りとなっている。普通の校舎の造りであれば問題はさほどないかもしれない。しかし、なぜか校舎の最上階にすべての普通教室がまとまっているのだ。下校時の混雑は苦痛と呼べるそれがある。
……と、校舎の造りのひどさについて語ってきたが、こんなものは大きな理由ではない。大きな理由は、その学校に漂う空気である。
この高校は対外的には進学校と呼ばれている。しかし、当の生徒たちからは、「浪人工場」と呼ばれているのである。どれだけ浪人が多いのかというと、地元の国公立大学(高学歴芸人として地元の芸人が出られるレベル)の合格者の3分の1が浪人である。東大合格者もほとんどが浪人である。
浪人が多いだけでは、辞めたいと思わない。最大の問題は浪人をあたかも美徳であるかのように考えている教師たちである。第一志望を貫くのはいいことであるかのような考え方だ。そして異常なまでの国公立信者である。最初から私大を選ぶなといった空気を醸し出している。校内にはられている大学関係の掲示物もかなりの割合を国公立が占めている。あの見えない圧力が気持ち悪い。まるで浪人予備校のようだ。
こうやって書いてきたが、当然他の生徒が嫌なわけではない。むしろ人間関係で言えば中学時代のほうが苦しかった。ただひたすらに、この学校があるのとそこで働く人間の考え方が気持ち悪いと感じただけである。拙い文章でで申し訳ない。
信者ビジネスやってる人は1つは対外的な関係における問題を減らしつつ、2つめに身内を大事にすることが必要になる。はあちゅう氏をはじめとして今炎上を起こしている運営者は1のスキルが致命的に欠けていることが問題ではあるが信者ビジネスなのだから2は本来批判されるべき話ではない。2まで批判しているhagexはちょっとやりすぎだろう。
ところでこの1ができれば苦労しない。それができる力があるなら宗教じゃなく企業を作ってるはずだから。よほどのカリスマの持ち主でない限りは企業の運営すら出来ない人間に長期間継続する宗教組織を運営することは無理だ。
うまくいく宗教は余裕がある。教祖のコミュ力が高く、薄く広く人をつかむことができる。こういう組織は人数が多いから囲い込みをしなくても成り立つ。勝間塾のように批判をしない、ライフスタイルを楽しもうであったり、個人ファンクラブという性質のものであれば長く存続することは可能だ。外は敵ですよと言わないから。外部との関係を遮断しないから。外部と交流しながらサードプレイスとして機能するような宗教組織は、外からいくらでもネタを輸入できるし人の出入りも自由だから常に活性化できる。
逆に教祖のコミュ力のない場合。まず余裕が無い。常に自分の正しさを証明しようとして他人を批判し、煽り、そういうことをしないと成り立たない。教祖の器が小さいから受け入れられる人たちがとても狭くなる。こういったものはたいていカルト化してきた。対外的な折衝がめんどうくさくなって閉鎖化してきた。そしてオウム真理教のように閉鎖して外界とのやりとりの大部分を遮断し、基本自給自足を目指すように成る。この閉鎖的な空間で自給自足を志す宗教は、よほど強く統制しないかぎり「選民意識」「外部への敵対意識」が強くなる。「そして最終的に内ゲバ」で滅びることになる。
さてイケハヤ塾であるが、これから勝間塾のような運営に変えられるかどうかが正念場だ。炎上に頼るのをやめなければ確実に滅びの道をたどることに成る。炎上に頼るような運営をやってると、そこに集まる人達も選民意識を持ち、外部にたいして攻撃的な人間ばかりになる。最初はそうでなくても教祖がそうなのだからそういう性質を帯びるように成る。そして、そういう組織は批判にさらされることが多くなるから内側にこもっていくように成る。最初はそうやって狭い身内だけで選民ごっこを楽しむこともできるだろう。だがこれは長続きはしない。ずっと同じ組織内に同じ人間しかいなくて入れ替わりがないと、変化がなくなってマンネリ化する。それでいて彼らにはもう出口がない。調子に乗ってそういうものを否定しまる態度を散々取ってしまったからだ。もうこの宗教組織の中で生きるしか無い。それでいて宗教組織の内側では強烈な仲間意識を強制されるから、ストレス解消の方法もいろいろ制約されるケースが多い。 これは中学校や高校で我々が味わったのとおなじ感覚だ。この状態に陥ると不満解消のために敵を作らなければならない。 それを外側に求めるか、内側に求めるかしか選べなくなる。学校のいじめは世界の外側と戦っても勝てないガキが内側に生け贄を創りだしたものであり、宗教組織の場合は多くは外側に敵を作る。
イケハヤ宗教は最初は外側に敵を作ろうとするだろう。しかし攻撃的な性格を持つ宗教組織は、当然外部からの反発を招く。教祖が批判と戦うこともなくスルーとか言ってる宗教では構成員はとても外側と戦って勝てる気はいない。なにか外側に対して意見を言おうにも、教祖はかばってくれないからだ。だから組織全体としては内側に閉じこもるしかない。しかしそうすると、組織の中の人間がどんどん先鋭化して、ついていけない奴はやめていく。 一見さんお断りの雰囲気になるから流入も減っていく。そうすると流入が減るからせめてなんとしても今いる人間は逃すまいとメンバーを囲い込もうとする。お外は敵だ、怖いよと教祖が煽りだす。そうやって固定メンバーが狭い空間の中にとどまるようになると、今度は空気が停滞する。外部と交流しながら組織内に新しい物を取り入れて循環させるという動きがなくなる。淀んだ空気はだんだん腐っていく。そういう過程を村上春樹はオウム真理教内部での人へのインタビューを通じて浮き彫りにしている。
私がとても楽しみにしているのは、もしイケハヤ宗教が勝間塾の方向に進めなかった時外側からのプレッシャーに耐えかねて、だんだん内側にこもりって守ろうとし、それゆえに内側から崩壊していく姿だ。オウム真理教もそうだが、太平天国という組織の崩壊、あるいは陳勝・呉広の乱の崩壊していく様、ああいうものが報告されることに成るのではないだろうか。 梅木サロンはそのあたり結構うまくやってる。宗教ではなくビジネスという形で回しているから、教祖本人のカリスマが低くてもなんとかなるだろう。はあちゅうはもしうまくいかなかったとしても船が沈みかけてると思うと素早く逃げ出すだせるだろう。信者は気の毒だがはあちゅう氏はいざとなったら信者のことなど切り捨てて軽やかに動ける人間だ。だがイケハヤサロンだけは多分ムリだろう。逃げきれずに崩壊するのではないか。なぜならオンラインだけではなく、オフラインにまで手を伸ばしてしまったからだ。これは都合が悪くなったからといってなしにはできないだろう。
なんて呼べばいいのか → 自由意志の選択肢に責任を取りに来たがる人 → ボランティア → 志願者
相手が自由意志で選択肢のある状況を自己視点で説明しどうすべきかどう判断しているかの発言について
その価値と方向性を評価し推進するように進言するということはその権利を得るとともに責任性をもつわけで
実行して良好な結果に至った場合それを得ることができる権利もあるがその行動に対する対外的評価および
直接的な結果を負うことになる
「そんなの行動したやつの責任だろ」と思いがちだがその行動分岐に対して直接的な起因となったら
それが責任性を帯びる
あっという間だった。
新卒で入社した大手SIインテグレータ子会社で、技術の無いSEとしてどうにかこうにか12年働いた。
技術は無いというよりは、まじめに身につけず逃げてサボった帰結。てめえが悪い。
幸いクビにはされなかったため、長くいた職場で培ったノウハウをもとに惰性で働いてきた、だけ。
目の上のたんこぶ・老害として会社に寄生する以外の選択肢は見えなかった。
目標無く上京して19年が過ぎ、家業が畳まれる(俺が継がなかった)タイミングで、帰郷した。
親の手伝いをして、切りがよいところで労働再開できんもんかな、と。
あわよくば、ネットで稼いだりできんもだろか、と。
ぼんやりと考えていた。
休みたかったのもあるし、たまりにたまった本を読んだり、買ったまま観てないDVDだのゲームだのを消化したかった。
政治やら法律やら歴史やら経済やら、社会と対峙したときに不足している知識を補充し、己の意見も固めたかった。
資格も取りたくなった。
が、まあ、何一つ、かたちにならないよね。
働いてたって、できる人はできる。
もともとできないものが、突如としてできるようにはならんのだよ。
目から鱗が落ちたり、雷に打たれたように衝撃を受けたり、いろんなものごとがつながっていったり・・・しないんだよ。
逃げずに生きろよ、お前。終わっちゃうよ?
むかつく。あれ絶対あの糞女だ。嬉しげに書き込んで、見る人見たらバレバレなんだよ
ぶひぶひばりばりジャンクフード食って豚みたいに肥え太って\(^o^)/ とか何気楽にやってるの?
親がいるから死ねない…とか、はあ?親だって死んでほしいと思ってるよ
何度も私ぼやかれたもん。産まなきゃよかったって
あんたにできる唯一の親孝行は死ぬことなんだよ。親は対外的に泣くかもしれないが心底ほっとするよ
へー頑張れば?勝手にすれば?
食費が死ぬほどかかる糞女なんてペット飼ってるのは自己責任でしょ
私たちじゃあの子はもうどうしようもないの…とか、何自己憐憫浸っちゃってるの?
何度も言ったよね、あの女捨てるんだったらいくらでも協力するって
私はあんたたちとはもう親でも子でもない
大学へは奨学金でいったし、○万円×12ヶ月×△年。十分に借りは返したと思ってる。
あの糞女がちょっとでも働いたらそれくらい家に入れられるだろ。
ごめんね、お父さんお母さんもう親孝行娘はやめたの
あの糞女、あんたらが死んでも引き取るつもりは当然これっぽっちもないから
そうじゃないと、糞女悲しいことになるよー
いや、まちがってるから。その要約。
原告が争点として訴えたのはこの三つ。
すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
だからまずもって、「夫婦別姓の争点はアイデンティティと男女平等」だけではなくて、経済的、政治的、社会的な権利全般も対象に入ってるし、その後もちゃんと不利益について論じられてるわ。
で、最終的に棄却なのは周知の通りだけど、それはなぜかというと
夫婦同氏制の下においては,婚姻に伴い,夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ,……そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,
婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用,評価,名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。
そして,氏の選択に関し,夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば,妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。
さらには,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために,あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。
しかし,夫婦同氏制は,婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく,近時,婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ,
↑こういってるわけよ。
要するに、
っていってるわけです。
で、実際にそれではすまない例はすでに別ツリーでも引用されてる増田にhttp://anond.hatelabo.jp/20151207175147。
また、ここに出席してる女性裁判官が、裁判官になるに当たって通称を使用できてない点にも留意。
だから夫婦別姓を訴える人は「不利益」を中心に訴えようとしてんの。
わかったかな?
で、最高裁判決は最後に国会に丸投げしてることも十分に周知されなければならないところ。
なお,論旨には,夫婦同氏制を規制と捉えた上,これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば,夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ,
上記(1)の判断は,そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。上記のとおり,夫婦同氏制の採用については,嫡出子の仕組みなどの婚姻制度や氏の在り方に対する社会の受け止め方に依拠するところが少なくなく,
この点の状況に関する判断を含め,この種の制度の在り方は,国会で論ぜられ,判断されるべき事柄にほかならないというべきである。
おまけ。
「夫婦同氏制を継続する合理性」の判断の根拠には以下のものもあるんだけど
そして,夫婦が同一の氏を称することは,上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを,対外的に公示し,識別する機能を有している。
「将来的な利益を見込んで、現場の士気を上げるために、利益の一部を賞与に当てる」という経営判断自体は、ごくごくドライなものであって人情論ではありません。むしろ『会社の経営は厳しいが、人情で賞与を払うことにした』などという経営者がいたら、将来が大変危ういので逃げ出す算段をした方がよいですし、同じく、『払えるけど現場の士気より自分の利益が大事』などという理由で賞与を出さない経営者がいたら、それも逃げ出す算段をした方が…というか言われなくても逃げ出していることでしょう。会社経営というのは人情ではないのです。人情に見えることがあるとするとそれは(あるいはそれが許されるのは)「人情を正面切って打ち出すことが経営的に有効」である場合、たとえば小規模の家族経営的なブラック企業などの場合だけです。
増田が、部下を管理する立場として、社長が「賢明で合理的な経営判断」を下したことに対して感謝の気持ちがあっても別に構わないのですが(社長に対して、ではなく、「うちの社長がバカでなくて神様ありがとう」という意味で、ならば。)それ以上はやり過ぎではないかと思います。繰り返しになりますが、社長が「人情で」賞与を出していると思われるなら、感謝より先にこれを諫めるべきなのが部下の立場でしょう。もちろん、自分にとって、部下を管理しやすくなるというごくごく短期的な視点から「ありがとう」という気持ちをもつことは分からないでもないですが、当然の経営判断に対して、そのような理由で一管理職がお礼がましいことを言うと、却って社長の今後の経営判断を損なう可能性もあるので、ピント外れかつやや問題のある感謝ではないか?という疑いは否めません。
たとえば、(いささか極論ですが)トイレのない支所があったとして、その待遇が不満で人が集まらないという問題がその支所に生じていた場合に(かつその費用対効果が明らかである場合に)、そこにトイレを作ることは「当たり前かつ合理的な経営判断」の結果であるので、「社長、トイレを作っていただきありがとうございます」などと現場の一管理職が社長に感謝の意を伝えたとすると、ずいぶんおかしな話になります。よくて『何を言ってるんだコイツは』と思われ、悪くすると『やはりトイレを作るのは本来は無駄なことだったのか?』とか、あるいは『人情っていいなあ、ワシ人情家?(違』…といった誤解を社長に与えてしまう……そういう意味では、経営者の経営判断を狂わせる可能性があり、長期的な判断を誤らせる恐れすらあるのではないでしょうか。
極論を言っているように聞こえるかもしれませんが、賞与を出すべきか否か悩んだ…という御社の社長の経営判断は、決して人情などではなく、同業他社の待遇、今年度の賞与平均額、今期の社の利益と賞与に割ける額、昨年度との比較、来年度の経営計画・投資の予定、業界や世界の経済状況その他もろもろの総括としてのシビアな経営判断だったはずと推察されます。従業員のやる気や現場指揮官のモチベーション、などという要素は、それらに比べればずーーーーーーーーーーーーーーーーっと小さなものであるし、会社の経営を判断する責任者としてはそうでなくては困りますよね。たとえば賞与が100円あがるかどうかは、従業員のモチベーションになど全く影響しないかもしれませんが、「同業他社が、平均が1円でも『下がった』」という状況の中でなら、対外的に大きな意味を持ち得るわけです。経営者は、そういうことを考える責任がありますよね。
まして、管理職の判断で、部下に同様の感謝を強要するとなると、いっそう判断が狂う危険性が増す上に、「現場の士気」まで軒並み下げさせかねない……そうして折角の賞与という経営判断をマイナスにすらしかねないので、厳に慎むべきだと思います。
結局の所、賞与については、経営者はドライにシビアに計算して出す、そして、従業員は当たり前のように受け取り、「マアマアってとこかなー」なんて軽口を叩いているくらいが丁度よいのです。そう思いませんか。
ネット民戦慄! 表現の自由を脅かす”ゾーニング破り”とは? - トゥギャッチ
非実在腐女子エリコちゃんに(物陰から)説教をかまそうとしたり、その勢いで著者である小野ほりでいさんに(物陰から)因縁をつけたり、ちょっと前に大炎上した痴漢関連の話を思い出したりするエントリである。
追記:くっそ長いです。制限オーバーして最後にトラバにはみ出すくらい。
冒頭にリンクした記事では「エリコちゃんがTwitterに投稿したBL風の二次創作マンガが炎上する」という事件から
ここで、腐向け二次創作画像のツイートが炎上したエリコちゃんはこう言っている。
(エリコ) でも、プロフィールでちゃんと注意書きしたのになんで炎上したんだろう?
(ミカ先輩)こういうネタのゾーニングは、リツイートにリツイートが重なってぐだぐだになっちゃうからね。
(エリコ) ゾーニング?
(ミカ先輩)ゾーニングというのは、情報の発信者や仲介者が表現物を「見たくない人・見せるべきでない人」にまで行き届かないよう配慮したり工夫したりすることよ。
ここでは、「エリコちゃんはプロフィールに『腐向け二次創作注意』『18歳未満の方の閲覧はお断りします』って書いて【ゾーニングをしているはず】」で、それが「RTによってぐだぐだになった」という見解で書かれている。
そもそもTwitterというのは、「発言ひとつひとつがTLに流れていく」前提のツールではなかっただろうか。
とくにRTされた発言は、いちいち「この人はどんな人か」を確認するすべなどない。
「この人はどんな人か」から切り離され、発言だけが一人歩きする。Twitterはもともとそういう特性を持ったツールだ。
ようするに、「鍵なしでやってる以上、プロフィールの注意書きが読まれる前に発言だけ見られるのは当たり前のこと」である。
なんぼプロフィールに「腐向けだから注意してね」って書いてましたよ、と主張しようが、Twitterというツールの特性上無意味に終わる可能性は高いのだ。
そういう、かなりの勢いでほかの事を犠牲にする作業を受け手にさせるのって、
「ゾーニングしてた」って言えるんだろうか…?
それは「目をつぶってれば見えないでしょう」と同じではないんだろうか。
この記事後半では、悪意の第三者である「ゾーニング破り」という人の存在が提示される。
まあ、古くからある言葉で言えば晒しだ。晒しするような人そりゃあ厄介ですよ。
悪意からRTするような人最悪ですよ。そうだそうだ!怪人ゾーニング破りがみんな悪い!!
そうだろうか。
昔エイズ検査促進CMのキャッチコピーで、「カレシの元カノの元カレを、知っていますか」というのがあったが、それと似ていると思う。
私たちは、「フォロワーのフォロワーのフォロワー」のことまでは知らない。
エリコちゃんのTLにいるのは、彼女のプロフィールを読んで了解したフォロワーがほとんどだろう。
そのフォロワーがエリコちゃんのイラストを好ましいと思い、RTしたらそのフォロワーにつながるだろう。
だがその先は?
BLなんて反吐が出るほど嫌いなファンとつながっている可能性は。
二次創作イラストが「嫌いな人、望まない人、見てほしくない人の目にはいる」可能性は、怪人ゾーニング破りのような「悪意ある第三者」よりも、そういった「好きだと思った善意の人」からの可能性のほうが高いのではないか。
その意味で、Twitter上でのゾーニングと言うテーマを扱うとき、「ゾーニング破り」という悪意の存在だけに焦点を絞るのは片手落ちだと思うのだ。
これは腐向けだけに限らない。多くの「不適切な」ものに共通である。
少し横道ではあるが、二次創作BLのゾーニングについてはもうひとつ厄介な問題が付きまとう。
「男女恋愛の二次創作と、BLの二次創作は同等のゾーニングでいいのか?」である。
これについては本当に腐女子間でも各々の思想があるから一概には語れない。
数年前までは「キャラを勝手にホモにした妄想するなんて異常だよ。異常性癖は隠すべき」なんて言い回しが腐女子間の「マナー」として語られていた。
上記の言葉がすんなり受け入れられる人も今もいるかもしれないし、
「いや、ホモが異常って言ってるわけじゃないから、女の私がホモを妄想することが異常って言ってるだけだから」と言う向きもあるだろう。
ゾーニングについても、
「男女恋愛より嫌がる人が多いんだから、BLのゾーニングは男女より慎重になるべき」という向きも、
「同性愛描写のタブー視に加担するのは嫌だ。男女恋愛と同等のゾーニングで十分」という向きもあると思うし
「いや、っていうか男女二次がゾーニングに無関心すぎるでしょ。BL見習って、エロや人を選ぶ絵は見えないようにしろよ」って人もいる。
個々の考えについてここでは意見しないけれど、問題のややこしさについてはお分かりいただけると思う。
腐女子の一部は、しばしば他者の作品、嗜好に対し激烈な拒否反応を示すことがある(「地雷」と呼ばれる)。
それを「見たほうが悪い」で済ませるかどうかについても、腐女子間では議論百出である。
対外的にも、対腐女子的にも色々な問題に悩みながら、ためらいながら、己の安寧と衝動と、自分の絵を広く見てほしい気持ちと、見知らぬ他者の平和の狭間で揺れ続けるのがゾーニング問題なのだ。
エリコちゃんはこういう。
なにがいいたいかっつうと、いろいろ我々もフクザツなのだ。
長々語ったが、ぶっちゃけ多くの腐の感覚はミカ先輩とエリコちゃんが以下に言うとおりだとは思う。
(ミカ先輩) でも怒られて嫌な思いをするのは結局こっちだから、どういうふうに工夫できるか自分で考えないとね。
…(中略)…
(ミカ先輩)まあ、そのへんの基準は人によって違うけどね。
ただ、気をつけないと怒る人は内外にいるってこと。
(エリコ)私は怒られたくない。
その通りである。怒られたくない。
ゾーニングに対する意識は前述のように多岐にわたる。単純に考えの足りない人もいるかもしれない。
だがしかし、きほんてきに、静かに暮らしたいのだ多くの腐女子は。
実際のところ、腐女子界隈で多くとられている措置は、さらに以下のようなものがある。
①「不適切な画像を含むものとして設定する」にチェックを入れる
②「表垢」と「裏垢」を使い分ける
③privatterなどの外部サービスを利用する
①はTwitterのデフォルト機能である。受け手が「不適切な画像を表示しない」設定にすることにより、サムネイルの表示にワンクッションはさませるもの。
ただ、おそらくBLは見たくないけど男女(or百合)のエロは見たいぜ!って人は不適切な画像も表示させている可能性が高く、「設定してないおめーが悪いんだろ」という理論は成り立っても自衛としては不十分とみなされることがある。
②は、鍵をかけておらずイラストも過激なものを投稿しない「表垢」を作り、主な交流や雑談をそこで行う。
そこで知り合い、年齢が確認できる人だけ鍵つきの「裏垢」フォローを許可する、という方法である。
BLっぽさがあきらかな作品やエロなどは「裏垢」に投稿することで、幅広い交流とゾーニングとを同時に行うのである。
③は、要するに「作品を見てもらうのにワンクッションはさむ」と言う方式である。
- Privatter - share your long tweets to your followers only
中でもプライベッターは、画像・テキストどちらも投稿でき、公開範囲を全体・ログイン限定・フォロワー限定・フォロー限定…などと細かく設定できるため、最近非常に好まれている印象がある。
「ログイン限定」は、Twitterにログインしている人なら誰でも見られるのだが、作品を見るためにprivatterをTwitterに関連付けするというワンアクションが必要になるため、ある程度「見たくない人の目に入ってしまう」事態を防げると目されている。
さて、長々と腐女子とゾーニングにまつわるエトセトラについて語った。
もしかしたら「いや、そういうディティールはいいんだよね。あの記事は『ゾーニング破り』っていうならず者を告発するのがメインでしょ?」とお思いの方がいらっしゃるかもしれない。
いや、そうなのだ。そう思う。
でも、正直、私は小野ほりでいさんの、「そういうディティール」を捨て去った記事が苦手なのだ。
ぶっちゃけこれが言いたい。すみません増田の癖に。しかも腐った増田の癖に。
小野ほりでいさんの「エリコちゃんとミカ先輩」記事は、よくネット上で話題のいろんな「微妙な問題」をばっさりと切る。
私も彼の記事を読んで「だよね!超納得、すっきり!よく言ってくれた!」と思ったことがある。
だがしかし。前述の「腐女子とゾーニング」問題のように、自分が当事者としてかかわっている問題になると、どうも読後のモヤモヤが残るのである。
記事の言ってることは、決して間違ってない。
けど、私が実際に見ている世界には、もっと細かくいろんな問題があって、その中でなんとかバランスをとろうとしているのだけどな…といいたくなってしまう。
privatterがどうこうとかそら興味ないだろうし、知らなくても彼の記事は正論として成り立つ。
でもさあ。でもさあ…
なぜ、細かいことはよく知らないのに、ミカ先輩は正論を言えてしまうのだろう。
それは、悪役を作り上げ、「名前をつけた」からだ。
前述の通り、ゾーニング問題は「善意の第三者」によって破られることもあるが、
このリツイートした森山ゴリ夫という人の「こういうのって気持ち悪くない?」というコメント…。
これは明らかに「見て不快に思う人に見せる前提」で共感を集めるためにやっている面があるよね。
ややこしいところを全部ぶっとばして、誰もが「わあこいつはどうよ」と思える悪役を持ち出す。
そして、その悪役に「ゾーニング破り」と言う名前をつける。
こうなれば、読んだ人間の気持ちは一致するのだ。そうだ、ぼくたちの敵は「ゾーニング破り」って名前なのだ。
どうして痴漢された話は「自慢話」になるの? - トゥギャッチ
痴漢問題について「自己責任論によるストレス隔離」という「名前」を掲げて切り込んだ記事も、
最後はこうなる。
そうだ。そうなんだけど、その通りなんだけど。
ネット上では、自分で好きで記事を読んでおきながらブログを読んで殴りかかってくる人もたくさんいる(私みたいに)。でも読んだ人がどう反応するかは自由だ。その倫理観は人による。
また、痴漢問題における社会的周知や認識の共有も進んでいるとは言いがたく、「無理やり聞かせる」と「なんとか一緒に考えてくれとお願いする」の境目はどこだって話もある。どこに不快を感じるかは人による。
けれどもそういうメンドクサイことは語られない。名前がつかないから。
そして、「自己責任論によるストレス隔離」という「名前」周りの事象だけが語られ、きれいにまとめられる。
でも、そっからが。
ミカ先輩よ、あなたが今丸めたそこからが、懲りずに炎上しくすぶり続ける本質なのではないか。
あなたは、そこを見ない振りして「キャッチーな名前」をつけ、そこから一点突破で論を構築する。
そして「これは正論」「すっきりしました!」と多くの人から賞賛を受ける。
あなたのつける名前はわかりやすく、理論にはそつがない。その問題に詳しくない人にもすっとしみこむ。
すっきりしたか?そうか?ボロッボロ大事なことが落ちてないか?
そして、これがいちばん引っかかる。
その、「すっきりしたキャッチーな名前」を得た人たちは、もうその問題を「解決済み」のフォルダに入れてしまうのではないか。
そして、問題の渦中で苦しみ続ける人を見て、「ミカ先輩があんなにきれいにまとめたのに、まだ苦しんでるのか。ばかだなあ」と思いはしないだろうか?
私が、小野ほりでいさんの記事をあまり好きになれない理由はこれである。
名前をつけてやる。
名前をつけて、それでその問題がすべて解決したかのような印象を(小野ほりでいさんの意思はともかくとして)受ける人がいる。
名前のつかなかった細かい細かい、しかし容易には解決しない問題は積み残したままに。
そして記事を読んだ人たちは、本質を理解した気分ですっきりして立ち去り、問題の渦中にいる人は苦しみ続ける。
今上で思いっきり批判したことを、自分でひとつやってみたいと思う。
性暴力、冤罪、男性の立場、女性の立場、男性差別、女性差別、都市の過密、労働形態、子供の保護…
痴漢問題を語る切り口は無数にあり、ひとたび話題に上るとそれぞれの人間がそれぞれの立場からそれぞれが気になる切り口について語るので、基本的に収拾がつかない。
11月はじめ、「痴漢されない女子の特徴」というエントリが大炎上した。
http://cild.hatenablog.com/entry/2015/11/05/072629 - 2015年11月5日 07:55 - ウェブ魚拓
例に漏れず私も大変なアンチになったので、上記リンクは魚拓である。
ところでこの記事に対する反応はすさまじかった。
老若男女を問わず、みながブログ主の性犯罪に対する無理解と、性差別意識を叩きに叩いた。
前述の通り痴漢問題は無数の立ち居地と切り口から語られ、全会一致など到底ありえないはずだが、ことあのブログに対するコメントやブコメに関しては、殆どの人が意見を一にしていたのではないかと思う。
ブコメは増え続け、言及記事が連日ホッテントリに上る、祭りの様相だった。
あの、「無理解と差別意識に満ちた邪悪なブログ主」という悪役を得て、我々は性別を超え立場を超え「団結」したのだ。
彼を叩いている間、我々は仲間でいられたのだ。
そして、正直に告白する。
「団結」できたことが私はうれしかった。
己の考えとはまったく異なる意見を、私の目には無理解と保身としか思えないブコメを、痴漢関連のエントリではたくさん見る。
けれどあの記事に関してだけは、どのコメントを読んでも納得がいき同意できた。
ミカ先輩は非常にたくみに、ややこしい問題をスマートに言い表す。
そして、炎上しゴタゴタするはずの話題について、「同意」「正論」というコメントが並ぶ。
喧々諤々しているところより、すっきりした結論と、それに対する同意の中にいられたほうがいい。
同じ考えの人の中で、自分もまた同じ考えを書き込む。
自分の感覚の「正しさ」を、「団結」が――わかりやすい理論と、同意コメントの多さが――保証してくれる。
しかし、前述の通り、ミカ先輩の言うことは、「スマートで誰でも同意できる」代わり、「ややこしくてなかなか解決しないこと」をしばしば捨て去っている。
本当は、そこに取り組み続けることがもっとも大変なのに。
だから、思うのだ。
彼女は、「問題に真摯に取り組む姿勢」を捨て、その代わりに我々に「団結」という快楽を提供してくれているのではないか。
それは、いわばポルノだ。
「団結」と言う名のポルノだと思う。
「団結」は一瞬の快楽をもたらしてくれるし、あまり興味のない問題ならば「読んですっきり」できる。
それが悪いことだろうか、と言われたら私は答えに窮する。
世の中の問題のいちいちに、「真摯に」かかずらわってるほど我々は暇ではない。
腐女子がゾーニングにどんだけ頭を悩ませてようが、二次創作に興味のない人は「私に迷惑かかんなきゃいいよ」ってなもんだろう。
でも、どうか、時々でいいから、振り返ってほしいのだ。
あなたが「団結ポルノ」ですっきりしたあとに、点々とこぼされている、ややこしくて、一概には言えなくて、どうにもならない問題があることについて。
それに取り組み続けている人がいることについて。
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/E1448932351189.html
非常によくまとまった記事。
ここまで詳細にかいても二次元差別だとかアニメオタク差別だというバカがいるのは閉口させられる。
まぁなんですか、美濃加茂市の例のポスターを叩きたい人は、「それが萌え好きなオタク差別にならんのか」「それが巨乳の女性の差別にならんのか」「それが肌を露わにするファッションを好む女性のパッシングにならんのか」くらいは真摯に考えてから語ればいいと思いますよ…— ズリネタ至上主義者のしゅうちゃん (@syuu_chan) 2015, 11月 29
ガルパンはセーフだった、という事例も紹介されているのにだ。
「同じ構図で三次元だったらOKだったか」と言われたらやはりアウトだと答える人が多かったはずだ。
にもかかわらずこの件で、フェミ憎しだのオタク独特の被害者意識が暴走して論理的思考が吹っ飛んでるバカが数名いた。
彼らがやってるアンチフェミ論やオタク被害者論がいかに薄っぺらいかということがわかる。
普段のアンチフェミ論やオタク被害者論に正統性をもたせたいなら、こういう微妙なラインの時にちゃんと個別に丁寧な検討ができるところ見せなきゃダメなのにね。
「これは二次元だけの問題なのか?」「三次元でもアウトなのではないか?」と少し考える程度の手間をかけたり、本当にどこかの海女さんのイラストとこの問題は同じだろうかと考えるだけの知能が働かないのが残念だ。
しかし彼らには無理なんだよな。フェミニストや、ちょっとでもオタクにケチを付けるものが出た瞬間論理的思考がゼロになるから。条件反射で都合悪いことはなんでもフェミニストのせいにすればいい、程度の幼稚園児レベルの思考で止まってるから。
だから彼らの幼児じみた擁護には説得力がない。本当に愚かしいことだ。
批判してる奴らだってのうりんと市とのコラボそのものを否定するわけではない。やり方がちょっとまずかったから今回はやめて、次から気をつけてね、くらいで済ませる話だ。
だが、擁護というか自分たちがフェミニストを叩きたいだけの豚どもが暴れることで問題がややこしくなる。
付き合うのめんどくさいけど、とか今どき中学生でもしそうにない撤退宣言を枕詞にしなくていいから。
>公務員がやった事でも、よほど大事じゃないかぎり市長まで責任問われるって事ないよね。精々直属の上司までで。
組織なら最高責任者が対外的な責任と謝罪と説明するのは当たり前だし、
同じ説明さっきからしてるけど責任の所存を明らかにすることでどこか起点として命令から末端への実務に伝達していくかは
公人、民間問わず組織としては当たり前なんだけど、やっぱり責任に対する認識の甘さがあるね、君は。
誰にどれだけの責任があるのか計算できないのによく社会人として…
いや…そもそも部下を持ったこともなければリーダーにもなったことないんだな。
何かしらリーダーになれば誰にどれだけの責任が発生するか分かる、
つまり誰にどれだけの「仕事をさせられるだけの正当性が得られるか」が分かる、
誰の時間と労力をどれだけ使うことができるかってことがそこから逆算できるんだよ。
自分の処理能力を上回る状況に対してはマニュアルってアホでもバカでも読めれば対応できる権限の中でしか行動してこなかったってことなんだね。
この件ね 難波のとらのあなでヘイト本平積み - Togetterまとめ
まず
廃墟/怖音 @haioku
知人が難波のとらのあなでこんなことしてるって教えてくれた(;´Д`)死ねよオタク pic.twitter.com/NBZQdsslvX
この、発端となった@haioku氏について。
この人は元書店員らしいけど、1年ちょっと前にこういうツイートをしてるんですよね。
廃墟/怖音 @haioku
僕はもう本屋じゃないからこんなことを言える立場じゃないが、てめえらがAmazonだの同人誌ショップだのにばっかり金を落としてるから街の本屋は宗教だのネトウヨだのに股を開かないと食えなくなったんだよ。ただでさえ食えねえ書店を見捨てて置いて今さら本屋がおかしいだの言ってんじゃねえ糞が
https://twitter.com/haioku/status/499119511635636224
廃墟/怖音 @haioku
お前らは書店を見捨てたんだから書店が生き残るために糞を食おうが自分の身に火を着けようが関係ねえだろ。それとも書店が清貧を貫いて死んだら満足かコラ。それは特攻を美化する脳足りんどもとなんか違いがあるのか?書店の売り場が酷いって騒ぎたてる前にお前らは書店になにをしたのか考えろ。糞が。
https://twitter.com/haioku/status/499121044507357184
なるほどなるほど、「書店」は「食えねえ」から「宗教だのネトウヨだのに股を開」いてもおかしくないが「同人誌ショップ」は金を落とされてるから「とらのあなは糞」だということなんですかね?凄いロジックですね。とらのあな難波店が経営苦しかったらこの人は意見を変えるんだろうか。「オタク死ねよ」という気持ちが先走り過ぎなんじゃないですかね。
あと、これは別にhaioku氏批判というわけではないんですが、4ヶ月ほどまえに山本夜羽音氏とこんなやりとりをしてらしたんですが
山本夜羽音@「メガ秘書」9.28新作発売 @johanne_DOXA
ヲタだったことで就職が叶わなかったのか?
ヲタだったことで起きた理不尽は「修正可能」だが、その為にどんな努力をした? もしくは「ヲタで在り続ける」ことにどんだけ「誇り」を抱いた?
俺は、キモヲタであることが誇りだもん。全く、後ろめたくない。強いて言えば、内心の劣等感との格闘。
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612587887222112256
廃墟/怖音 @haioku
オールドスクールなオタクだなあ(;´Д`)僕とおんなじだ
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612587887222112256
https://twitter.com/haioku/status/612591726427967488
山本夜羽音@「メガ秘書」9.28新作発売 @johanne_DOXA
そう。オールド・スクール。
しかしニュー・スクールが真実でも救済でもないのだとしたら、抗うしかないのです。
https://twitter.com/haioku/status/612591726427967488
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612592235385741312
廃墟/怖音 @haioku
@johanne_DOXA どうせ僕らは老害ですからね(;´Д`)消え去るならオタクどもに取り憑いた変なのを叩き出してからにしましょう
https://twitter.com/haioku/status/612593365209649152
「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか
@01sep1923
【報告】「レイシズムへの抗議行動・知らせ隊」からのお知らせです。これまで対外的な発表任務を担っていた山本夜羽音氏が、メンバーから外れることになりました。山本氏が一人のメンバーに対しセクシャルハラスメント行為(身体に抱きつきキスを迫るなど)を犯したことがその理由です。
https://twitter.com/01sep1923/status/662577120854470656)
一体何本何羽音氏のことなんだ………?
えーとですね、オタクとしてオタク批判するのは勿論どんどんやって頂ければと思うのですが、ただ「オールドスクールなオタク」は今のオタクと違ってまともだった、みたいなことだけは思わないでください、ということはhaioku氏に申し上げておきたいと思います。このように「オールドスクールなオタク」が俺らキモヲタは「生かされてる」んだよ。俺ら実際キモいんだよ。妄想の範囲を逸脱して性暴力に至る奴ら許しちゃならんのよ。とか言いながら性暴力に至ってたりするという事実がありますからね。いえ、もちろん一部の人ではあるんでしょうけど、そんなこと言ったらヘイト本を買うのも一部の人ではありますからね。よろしくおねがいします。
余談だけどhaioku氏ってはてなユーザーなんですよね。 http://d.hatena.ne.jp/haikyo/ ぁゃιぃの出身の人で同郷のkyoumoe氏と時々戦ってたりしてた覚えがある。まあ、これは今回の話には関係ないです。
で。
それはそれとして、haioku氏を批判している連中の中にはクズみたいなネトウヨも混じってるし、その点については同情します。なのでその辺のことにも触れておきます。
とりあえず俺の立場を明らかにしておくと
という感じです(なのでhaioku氏を批判はしたけどとらのあながああなってるのを教えてくれたこと自体には感謝しますよ)。さて、
Amazon.co.jp: テコンダー朴: 山戸 大輔, 白 正男: 本
この本のことは知らなかったんですけど。
この商品を見た後に買っているのは?のところに並んでるのが現時点で
よつばとがこの並びに入るの風評被害すぎる……。一緒に買ったの誰だよ。それはともかく、このヘイト本の並びを見た上で上記Togetterのコメント欄の
HINO @desire5225 テコンダー朴は大日本帝国批判、韓国文化礼賛してる作品だったはずだが…俺あんま好きじゃないけどあの漫画
HINO @desire5225 あ、ようやくわかった。テコンダー朴は日本ヘイトだから許さないって意味?なら納得が行くわー
地方妖怪 PGERA @PGERA_RX ところで、テコンダー朴は「テコンドー使いの主人公が悪辣な日本人を懲らしめる」のにどの辺がヘイトなんすかね?
というようなコメントを見るとバカじゃねえの?と思いますね。何が日本ヘイトだよ。
内容紹介
著者からのコメント
思い知るがいい日本の罪の深さを、そして我ら大韓民族の偉大な歴史を!
最強格闘技テコンドーで劣等民族チョッパリ(日本人野郎)を一蹴!!
劣等民族・日本人は反省しろ! 世界最高民族・韓国人を尊敬しろ!
韓流ファンタジー(妄想)を具現化したテコンドー最強伝説の幕開けだ!!
空手・柔道・剣道・相撲・孔子・仏教・漢字・ムエタイ・飛行機……この世は全て韓国起源!?
世界最高民族・大韓民族に全人類の名により心から感謝!
世界文明宗主国・大韓民国に永遠無窮なる栄光あれ!
どっからどうみても韓国人を(皮肉として)disってる本ですよね。
俺はこの紹介文を読んだ時点で「韓国人に対するヘイト本」とみなしたけど
(もうちょっと調べたら http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2015071711340398027 に
この漫画は盧前大統領の死を嘲弄の種とした。 劇中オ・ムヒョンは日本帝国主義者と対決中頭蓋骨破裂で死亡するのに該当場面が盧前大統領の死亡瞬間を連想させる。 また、ポケットに立ったまま死亡するというあきれる設定では過去盧前大統領が民主平和統一諮問会議で演説した姿をそのまま借用した。 【引用者注: 韓国語をexcite翻訳で翻訳したため正確ではないと思います】
とかあって確信を深めましたが)
「この本はヘイト本」という主張に対して「いや、これは韓国人に対する批判であってヘイトとは違う」と主張するなら、あるいは批判とヘイトを区別することがどこまで妥当かとかそういう方向で攻めるなら、賛同するかはともかく理解はするよ。
でも上でコメントを引用したような連中は「韓国人に対するdis(批判かヘイトかはともかく)である」という点すらワザと無視して「日本人がやっつけられてるのになんで韓国人ヘイトなんだよw」っておちょくりだすわけで、どうしようもないゲスだなあと思いました。
ちなみに、
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/haioku/status/662919309191024640
big_song_bird 大体「テコンダー朴」って、韓国人がデタラメな「韓国起源説」を主張するから、それに対する皮肉なだけだぞw。それすらレイシズムとかw。
このbig_song_birdという人ははてな左翼を「おまエラ」と呼ぶ正真正銘のレイシストなんですが、俺はこの人の上の意見に同意しないけれども、本音を隠してないぶん上のゲスどもよりは幾分上等だと思った。下には下がいる。
以上。
一億総活躍社会だそうだ。現在、日本の人口は1億3000万弱だが、一億となっているのは語呂だけでなく将来を見越した表現だろうか。
女性の社会進出が叫ばれて久しい。女性の平均的な待遇の低さがクローズアップされ、それは全くその通りなので、同じ貢献度なのであれば同じ待遇にすべきだと思う。
ところで、比較的簡単な事務作業などを除けば、特に規模が小さければ小さいほど、男性ばかりの職場というのは掃いて捨てるほどあると思われる。一方で、女性ばかりの職場というのはどれほどあるのだろうか。男女の能力は同じなのだから、当然、その比率も同じに収束するはずだが、その様には思われない。今でも女性だけの会社となれば、その点だけで注目に値するような扱いを受けている気がする。もし、何らかの客観的な統計があれば、教えて欲しい。もちろん、時間もかかるだろうが。
いうまでもなく、会社としての営為はその会社のみで完結しているものではないため、女性のみで構成されていると対外的に差別的な扱いを受ける可能性があるだろう。しかし、サービス業であれば、本質的に男女の生得的な差(筋力とか)によって有利不利があるわけではなく、また、女性が中心の会社が一定以上あれば、協業先にも困らないのではないかという気がする。
とすると、女性だけの会社の数がある閾値を超えていないことが一億総活躍社会を阻害しているのではないかと考えられる。但し、最近のアファーマティブアクション的な政策には全く賛同できない。なぜならば、女性を差別してきたのは、アファーマティブアクションで不当に不利益を受ける現在の若い男性ではなく、決定権を持つ過去の中高年の男性だからだ。もちろん、女性を差別してきた決定権のある男性が「適切に」降格され、女性が抜擢されるのであれば、大いに歓迎だがそのような話は聞いたことがない。
また、最近は、Apple、Google、Microsoft の例を挙げるまでもなく、いずれも女性が作り上げる可能性が十分あった IT 業界が経済で大きな地位を占めているのに、なぜそのようなことにならないのだろうか。
これは鋭い指摘ですね
だけど長文で上がってくる互助会は数えるほどじゃないかな
お堅い内容もアゲられるのはすごい価値だったと思うんですね
ファッファッとつくられた記事がたくさんのブクマつけて上がってきたら
余波としてライターが書いたような正統なオウンドメディアの記事は読まれなくなるんじゃないかな
ブログやおもしろコンテンツなんかはウェイ系との相性がいいからブクマつくけど
グルメ系のオウンドメディアはよっぽど興味を引く記事じゃないと
なかなかブクマが増えない傾向があるよ
読んでみたらちゃんと取材もしてあって知らない情報も書いてあるんだけどね
これはウェーイ系の弊害ではないかと思う
以前、子供に習い事を3つも4つもさせるのはどうかなという記事があったけれど
http://anond.hatelabo.jp/20150907095417
とにかく、字が汚いと仕事ができない人という先入観を持たれてしまう。頭が悪いようにも思われてしまう。この先入観を覆すのはなかなか大変だ。
その反面、字が綺麗なだけで、仕事が出来るように見える。頭が切れる人に思われる。そのうえ、清潔感までプラスされて女性ウケもよくなる。
テストの結果で学力が測れたからだ。どれだけ字が綺麗でもテストの点数が悪ければ頭が良いとは評価されなかった。
昔の友人から久々に連絡がきて、当時の仲間で飲み会をするという。
仕事が忙しくて難しいから、行けそうだったら行く、と返したものの、
その日以降その友人どもからSNSの自分のつぶやきにコメントが頻繁につくようになった。
つぶやかなきゃいいんだが、籠りっきりの仕事をしてほぼ人に会わない自分にとっては、
気心知れた別の友人から、シャレのきいたコメントがたまにつくので、それも嬉しい。
人と会わない仕事だからこそ、友人とのささやかな触れ合いがとても大切だと実感する。
だが、真面目一辺倒な昔の友人どものコメントが並ぶようになって、思いのほかストレスになった。
冗談が通じない。
こちらに「知らなかったよありがとう」と言わせるようなコメントが投下される。
すでに知っているような古い内容の情報を、情強のごとくふるまってドヤアドバイスしてくる。
何かマスコミが騒ぎ立てると、同じ波に乗る。
ニュースに対して「世の中間違っていることが多すぎる!」と勧善懲悪を垂れ流す。
ボディーブローのようにジワジワとメンタルを削られ、
気心の知れた友人のコメントが激減した。
ああ、SNSで疲れる、とよく聞くが、これがそうなのか……と思い知った。
ユーモアの無い人、余裕の無い人とは会わないようにしてきた。
だからSNSは本当にプライベートな友人としか繋がらないようにした。
そして昔の友人どもは、とても愉快な奴らだった。
真面目に生きて、社会問題を考えて議論することが大人になることと思ってるんだろうが、
それは時と場合を選ぶもんだぜ?
人生遊んでる部分が無きゃ、息が詰まってにっちもさっちもいかなくなるぜ?
融通のきかない、自分の理想と思想と常識に凝り固まった大人になりてぇの?
それにしてもあんたら暇だよなぁ。
と言ってやりたいが、怖いから言わない。
人格疑われて終了だしな。
佐野さんの件で思い出した事があったので書くけど、あまり良い思い出ではないから書いたらすっきり忘れようと思う。
自分は美大とか専門学校に行かずにグラフィックデザイナーになった。
運良くデザイン事務所に入れて、言葉どうりの下積み時代を経て今に至る。
今でこそ美大・美術系専門卒じゃないデザイナーも増えたけど、当時は美術系の経歴が無いデザイナーはそんなに多くなかった。
一人前のデザイナーとして仕事を任されるようになってから知り合った同業の方がいた。
最初はお互いの大変さを愚痴り合ったりそれなりに仲良くしてたいたのだが、
ある時、もう何がきっかけだったのかすら覚えていないけど
「貴方のような美大も出てない人がデザイナーを名乗る資格は無い。
私達(元美大生)は血の滲むような4年間を過ごし、多くの物を見て、作ってきた。
今後二度とデザイナーと名乗らないでほしい」
と言われた。
急に手のひらを返されてびっくりしたが、バックグラウンドの違いというのはやはり感じる事があったので、そうですか…としか言いようがなかった。
極端な例え話だが「私は医師免許を持っているけど貴方は持っていない。藪医者だ」と言われているように感じた。
これがこの人だけだったらそういう人に出会ってしまった交通事故的な話で済んだのだが、その後の転職等では実績と同時に美大卒を要求される事も多く、それは実力というよりはクライアントや代理店への対外的な意味合いが大きく、
採用側(美大卒)も美大卒(と桑沢)しか認めていないという雰囲気があった。
今回佐野さんを擁護していた人達を見て、そんなことがあったのを思い出した。
その線引きされた中のさらに内側では、トートバッグの件は「ちょっとしたミス」で片付けられることにとても驚いた。
こちらとしてはやろうとも思い付かない、万が一も無いけどやらざるを得なかった場合は確実に干されるようなことが、
あの中では許されるんだということが、本当にショックだった。
藪医者はどっちだったんだろう。
もちろんそうではない、ちゃんとした美大卒の方がいる事もわかっているけど、
そんな下らない村意識に劣等感を抱いていたのかと思うと馬鹿馬鹿しくなった。
わからないやつは黙ってろ的な発言もまた例の線引きかっていう感じではあったんだけど、
もうね、地道にがんばってきた者として今回の一連の件は本当に迷惑だし悲しい。
本物川とkanoseが僕叩きで結託できたのはアイツラ内輪もめしかできないもん。対外的な戦いができないくせに自分が数の原理で有利に戦えるところではやりたい放題だもん。ああ言うのがネットを牛耳るからろくなことないんだよなぁ…
本物川氏とどのように結託したのやら……。ずっと見逃していたけど、いい加減三沢さんは自分に関する訳わからん情報をばらまくのやめて欲しい
ブコメでの抗議があったから、@kanose氏にきっちり言っておきたい。元々、そちらから「主観」の名のもとに「ミソジニーのイメージしかない」というあらぬレッテルを貼り、件の揉め事を不用意に炊きつけたのはあなたですよね?少なくとも私が覚えている範囲…つまり、私の主観ではそうなのですが
ですが、私は@kanose氏や本物川氏のように相手を潰すのを目的とした野蛮人とは一緒にされたくないし、一線を画す存在です。だから、前から「ミソジニー発言を撤回していただければこちらからは言及しない(そもそもしたくもない)」とは言ってるし、その意思は今も変わりません。
別に謝罪も賠償もネットでの勝ち負けも求めちゃいないが、僕が色んな活動や記事や読者層を無視したカテゴライズ…@kanose氏風に言えば、「自分に関する訳わからん情報」をばらまいたことを撤回してほしいと申し上げてるまで。被害者ヅラも甚だしい。こちらが大変な時におしかけたのはそちらでは
アホらしいから、おしまい。眠れない夜にスマホいじってたら、kanose氏からブコメが来てて、そのブコメがえらく筋違いだったから「それは違うよね?事実誤認だよね?自分が罵倒した時だけ主観だと言いはって、こっちが主観でそのことについて言及するとゴシップ呼ばわりはおかしいよね」と
「やまもといちろうさんはミソジニスト以外のイメージがあるけど、青 才さんは別にイメージないからねえ…」のどこがミソジニー呼ばわりなのでしょうか? 誤読で粘着するのはやめてください
b.hatena.ne.jp/entry/25624981…
匿名ダイアリーでこの件について書かれた記事がありましたが、他の方の反応を見ても、青 才さんの誤読だと判断されてますよね
anond.hatelabo.jp/20150714044255
では、意図を確認するために伺いますが、「青 才さんは別に(ミソジミスト以外の)イメージないからね」ともこの文脈では読み取れなくもないかと思いますが、そういう意図ではないのですね?
なるほど、そういう読み取りをしていたのですか。以前やりとりした時に「特にイメージがない」と言いましたよね。ですから「ミソジミスト以外のイメージがない」という意味では発言していません
わかりました。私の深読みと言うか、考えすぎということですね。納得行く説明がもらえたので、この件は蒸し返さない方針にします。また、普段通り基本的には言及もしない方針にします。
男でも女でも不愉快なものを不愉快、筋が通らないものを筋が通らないとしっかりと明確に言って欲しい。それをやれ児童ポルノだ、やれロリコン文化が犯罪を間接的に助長するの回りくどい、誤解を招く、法的にも統計的にも根拠のないこじつけと一緒にしゃべるのをいい加減やめてもらいたい
ツイッターとはてブの温度差がひどくて、もにょる。古参のはてブ民は基本的に他人の揚げ足取れればなんでもいい人達だからもう何も期待してないんだけどさ
本物川とkanoseが僕叩きで結託できたのはアイツラ内輪もめしかできないもん。対外的な戦いができないくせに自分が数の原理で有利に戦えるところではやりたい放題だもん。ああ言うのがネットを牛耳るからろくなことないんだよなぁ…。
オタク分野の話でツイッターの中で発言して目立つと僕のブログ記事に古参のはてな民が来て、アレコレツッコミを入れてブコメを荒らしまくる現象、マジでやめて欲しい…。アレのせいで「炎上の青二才」というイメージが払拭できないんだよなぁ…。最近みたいにまったり平和にやっててもさ。
僕のフォロワーと昔なじみの読者、僕が炎上案件に突っ込むのを望みすぎ問題。
kanose すでに首を突っ込んでいるのに自覚がないのが怖い。前のブス騒動時も炎上してるのに頓珍漢な対応をして手遅れになってから騒いでたが人と感覚がズレ過ぎてる。運転する車に絶対に乗りたくないタイプ。