はてなキーワード: 対外的とは
今年の春に、従業員100人くらいのそこそこ歴史のある中小企業に入社した新卒だけど。
というのも、直属の先輩や上司の中に、一般人認定を持っていない人が何人もいることが分かったからだ。
気付いたのは、この前の何とかっていう出版社が共謀罪で摘発された事件についての雑談していたときのこと。
オレが「捕まった連中は一般人認定持ってなかったらしいっすよー」って話を振ったら、先輩も上司も何か歯切れ悪く黙ってんのよ。
そしたら、隣の課の先輩がいかにも慌てた様子で、急ぎでもない仕事の話を唐突に振ってきて。
変だなーとは思いつつも、その場はそれでお開きになったんだけど。
で、あとからその隣の課の先輩が教えてくれた話によると、驚くことに、先輩も上司も一般人認定試験を受けていないらしい。
今どきそんなことがあり得るのか、と驚いたけど、よくよく就業規則を調べてみると、確かにうちの会社は一般人認定を受けなくても規則上問題がないことが分かった。
もちろんエントリーシートには「一般人認定あり」のチェックボックス欄があったし、あたり前のことだが、募集要項にも要資格として一般人認定が掲げられていたので、入社前にはまさか一般人認定を持っていない社員がいるとは思わなかった。
何でそんなことになっているのか隣の課の先輩に聞いたら、なぜか本人たちが試験を受けたがらないということらしい。
でも、今どき一般人認定を持っていない社員がいるなんて知られたら、対外的にも相当ヤバイんじゃないんですか?って聞いたら、さらに渋い顔になって、これは噂だけど……と前置きした上で、実はうちの会社の社長も一般人認定を持っていないらしいっていう衝撃的な話を聞かされることになった。
これってもう、グレーっていうかほとんどブラックに近い状態じゃないかと思うんだが、どうだろう。
っていうか、そもそも一般人認定は誰でも簡単に受けられる試験な訳で、これを受けていない時点で明らかに後ろ暗いところがあるってことじゃん。
そんなヤツらが野放しになっていて、ましてや同じ会社の中にいるなんて怖くて仕方がない。
このままじゃ、下手したらオレまでテロリストと誤解されかねないし。
一般人認定をさっさと義務化しておけば、オレがこんなに怖い思いをして悩むことも無かった訳だし、義務化に反対している人たちはホント何なの?
勉強するたびに、私はなにか別のものになっていく恐怖と戦わなければならなかった
勉強をするたびに、私が勉強する前の自分の考えを受け入れられなくなってしまうことが嫌だった
あのころは若かった、幼かった、ものを知らなかったという言葉で過去の自分の振る舞いを否定することになるのは耐えられなかった
それには誰も子どもの私を肯定してくれなかったという実感が大きく関わっているように思う
自分で過去の自分のことを肯定できなくなってしまったら、どうして今の自分が存在できるだろうか?
だから私はペンを握るたびに、ページをめくるたびに、シュレッダーにかけられる思いを伴わなければ新しい考え方を身につけることができなかった
成長とはなにか空疎で対外的な自己を肥大化させていくことだった
そのような感覚を初めからもちあわせていなさそうな人たちは周りに沢山いた
彼らはしあわせと未来に愛されているように見えても空の器であるように私には感じられた
自ら進んで何かになっていく彼らに人間の精神が内在していると信じることは難しかった
わたしは彼らのようになっていくことが恐ろしくて勉強することができなくなった
それでも、認識は常に少しずつ私を変身させている
言葉と思考が存在する毎日によって私は少しずつ違う何かになっていく
あるとき私はすっかり自分の認識を入れ替えてしまって、かつてそのように考えていたことも感覚のレベルで理解不能になってしまう
どうして恐れる必要なんてあっただろう?
Pixiv二次同人小説の件、晒された方も二次だから法的にはグレーとかアウトとか言われてるけどあれシロじゃん
著作権法上の保護対象は表現であって漫画やアニメ・ゲームのキャラクターや設定を借りて書かれたファン小説は法的にはシロ
クロになることも全くないわけじゃないだろうけど極めて特殊な場合だけだ
現実的にはありえないが当該二次小説を原作側が裁判に訴えたところで違法はないと判断されるだろう
今回の件で、二次同人作家を盗人と呼ぶ人が多いが本当にそうだろうか
二次界隈のオタク女は原作サイドにとって大金を使ってくれるお客様でありブームの作り手
二次同人オタク女ももともと原作の熱狂的ファンだから原作側の利益にはできる限り配慮している
具体的には原作絵には似せない、同人作品には公式でないことを明記、同人グッズは公式と競合しないデザインにする、などだ
また、いかに原作への愛(金)を貢いでいるかをファンコミュニティ内で張り合っている
ただし二次創作オールOKを原作サイドが明言すればそういった紳士協定を無視してビジネスをする者が出るだろう
公式サイドは面倒を嫌って表立って二次創作OKのお墨付きを出していない
今後はニトロプラスのような二次創作ガイドラインを明らかにする制作者も増えるはずだ
原作と二次同人界隈はこういった文化を形成することで共存共栄している
二次同人界隈は息苦しいムラの掟で御神体を守っているつもりになってる
こういった事情を見れば二次同人小説の作家は法的にも社会的にも盗人ではないと思う
それなのに二次同人小説の作家本人は「盗人」を自称してるんだよね
同人コミュニティの中で我々は盗人ではないと少しでも仄めかせば袋叩きにされて追放される
だけど振る舞いは盗人のそれじゃない
堂々と全世界に向けて同人活動を公開してるしささやかでない金銭的利益を上げてる人もいる
盗人であるというタブー感によって秘密結社的なワクワクを楽しんでるのかな
自分は40代のおっさんだが、いまさらながら会社でおならをしたいとなった時のセーフアウトラインがわからない。
何言ってるんだとは思うだろうが会社で指導されたこともなければ、マナー本でも見かけたことはない。
面倒だとは思うが40代のおっさんが書いてるんだけど、将来入社してくるであろうJKやJDに教えるつもりで考えてくれるとありがたい。
さて、自分の席でするのはもちろんアウトだ。廊下だって無理だ。漂わしてはいけない空間である。
じゃぁトイレはどうか?
人によってはトイレ空間ならどこでもセーフかと思うかもしれないがトイレの中にもレベル感がある。
トイレのレベルを以下に示すが、どのあたりからセーフなのか教えてほしい。
何なのかと言われれば信じているという自分の再認識作業でしょう
信じているといってもそれを常に確認して表現しなければ信じているかどうかはわからないものだし自分でも忘れる瞬間はある
それを定位置にもどす作業が信仰でしょ 出したら使ったら片づけると同じ作業
その片づけをする基準はなんであってもいいけど自分が片づけたものを自分がいないときいなくなってから
まただれかが使うときのために決まり事をたくさんきめてその集大成が宗教じゃない
自分の代で得たものは自分の代でおわるなら片づけの必要もないしその価値を保持する必要もないので
宗教って規則は不要になるし 保存のために支払うコストは無駄だと思うのでむしろ宗教は邪魔だと感じるかもね
そういう集大成とか巨大な時間や組織にだけ信仰がおきるわけではないので一概にそうはいえないと思うことが
多いのだろうとおもうけど 得たいのしれないものがあるとか 常に自分は何々だと言い聞かせておかないと不安だとか
そういう運みたいなものってあるよねとかジンクスとか 自分のなかの法則性ってあったりすると
「ああ、それは自分だ」と振り返りをすることもあったり「自分の場合はこうなることがおおい」と考えることも
あるんじゃない?
その回帰作業が「信仰」の一部なので自分を信仰しているって形にはなるんだとおもう
でもそれは人と分け合うものではないので 分け合う行動一切が無意味 結局人に話すということ
自分は自分を信じているということを人に話すことは無意味なので その信仰は自分には行われていても
自分のみている他覚的な社会には反映されていないので「信仰」と対外的に評価されることはない
そのうえで信仰とはと言い出せば自分を個人と分け合う方法でしかそれを表現できないのでは
自分のことをわかってほしい わたしはみんなのことはわからないけど というバランスでは
信仰以前に疎通が無理なので 信仰は共有できず共通にはぐくむことの行為自体ができないでしょ
大なり小なり時間を認識するという感覚があるものについてのポジションリセットだとおもうので
自分がどこにいるかもわからない人のビーコンという信仰のある人は出す意味もないので
こんな感じの作品を見せてください。
以下引用
これはただのエッセイというか最近思っていることなんですけど。
2000年以降、インターネットの普及も相まって、敵対的な隣国の情報が普及しだしました。しかしそれを報道するメジャーなテレビ局は無かったわけですし、新聞は産経を除いて報道してきませんでした。
なので、ネットユーザーの間には、自分たちでこの歪められた情報空間を正さなければならない、敵を見極めなければならない、国を守らなければならないという危機感と同じネットユーザーに対して連帯感が生じたと思います。
日本の戦後教育や日教組の価値観のせいで、愛国心を持つことは恥ずかしいことだ、よくないことだと教わってきた私達に、中国や南北朝鮮のような敵が生じたことで、自然発生的に「愛国心のようなもの」が私達に芽生えつつあるように思います。
いつからかわかりませんが、私達日本人は孤として生きるように社会に強いられてきたように感じます。各人、友達がいたり会社や学校、部活に属してそれなりの所属感を持って生きてきたのでしょうが、敵国が現れたことで、ようやく「国=日本」に所属しているという意識が発生したように思います。
日本は対外的な危機が年々強まっているわけですが、それでもそれが逆説的に私達の精神に活力をもたらしてくれた側面はあると思います。
今、家族は妻の実家に帰省していて、一人で過ごしているわけですが以前ほど孤独感を感じないのは、私が保守の立場に立ったからだと思います。昨晩は2chの辻元清美関係のスレにものすごい勢いで書き込みが続いていくのを見ながら、「俺は一人じゃない」という思いを強くしながら安心して眠ることができました。
言いたいことをまとめますと、
といったところでしょうか。
私は以前、主に仕事のストレスが原因で、不眠症と軽度のうつ症状になってしまった。
長い間、睡眠薬と抗うつ薬を飲まないと眠れなかったが、4年半ほど経ったつい最近、ようやっと薬を飲まずに眠れるようになった。
どのようにして克服していったか、思い出しながら書いていこうと思う。
思い出しながらだから、記憶が曖昧な部分があるし、時系列では無い部分が多いかもしれない。
また、私が幸いだったのは、うつ症状が軽度だったことだ。なので、うつ症状が重めの方には、もしかしたら参考にならないかもしれない。
でも、自分と同じような悩みを持った方に、少しでも参考になる情報が提供できればと思い、この増田を書くことにした。
色々とやったことを書くので、参考になりそうな部分があれば取り入れてほしい。
私も経験したが、とにかく気分が落ち込む。死にたくなる。
電車がくれば飛び込もうとか思ってしまったし、心臓が本当に痛いし、息が本当に苦しくなるし、自分の存在が無意味に思えてきて、死にたくなってしまう。
次の項目に書くが、適切な薬を見つけて飲んでいけば、これらの気分症状はかなり楽になる。
薬が効くまでの我慢だ。とにかく、死んではいけない。当たり前だが、死んだら終わりだ。
とにかく、まずはこれに尽きる。
もしあなたが、初めて不眠の症状や抑うつ状態を経験したならば、精神科・心療内科に行くことには抵抗があるだろう。
自分が正常な状態でないことを直視したくない気持ちがあるだろう。私もそう思った。
しかし、必ずお医者さんには行くべきだ。不眠やうつ症状は、気の持ちようでどうにかなるものではない。
行ける場所にある良さそうなお医者さんをネットで検索して、とにかく早く行こう。
そして、もらった薬は素直に飲もう。薬を飲むのも最初は抵抗があるだろうが、言われた通り飲むと、やはりある程度は楽になる。
特に最初の頃は、お医者さんも症状を探りながらになるので、薬が頻繁に変わったり、量が大幅に増減することがある。
この指示にも、大人しく従おう。そして、「この薬を飲んだらこうだった」「今週はこうだった」「この日は眠れた、眠れなかった」という自分の状況を、きちんとお医者さんに伝えよう。
たまに、自分の体質に合わない薬もある。私も、飲んだらひどく頭痛がする薬が2種類ほどあった。そのような薬は、すぐに飲むのを止めよう。
お医者さんと一緒に、自分の症状や体質に適した薬を探して行こう。もしかしたら、何ヶ月かかかるかもしれない。
私も、今のお医者さんは3人目だ。
とにかく納得のいくまで相談し、何回相談しても納得が行かないようであれば、お医者さんは変えよう。
お医者さんの診断書は必要だが、数千円のお金を払えば書いてくれる。
夜中に目が覚めてしまった時に時計を見てしまうと、「あと◯◯時間か・・・」とか考えてしまい、そこから眠れなくなってしまう。
眠る前に、時計をすべて伏せるなどして、起きてしまった時に時間が目に入らないようにしよう。
ほぼ上記と同じ。私が最初にやったのはこれだった。これで大分改善された気がする。
ずっと布団で粘るのはよくない。次に眠る時、余計に不安になってしまう。
早朝3時だろうが4時だろうが、眠れなかったら布団から出て、居間かどこかでくつろごう。
難しいビジネス書とかを読んで過ごし、少し眠くなったかなと思えばまた布団に行けばいい。
意外とこれで眠れることも多かった。
夜中に暑くなったら、1枚とか2枚とか簡単に減らせるようにする。
私は夏・冬関わらず、1年中使っていた。
ただし、あまり頚椎に近い方を冷やしてしまうと、逆に頭が冴えて眠れなくなってしまうので注意。
フリースなりウィンドブレーカーなりジャージなりを着て、暖かくして過ごそう。
どれだけ眠くとも、9時には起きよう。10時や11時まで無理に布団で粘るのは良くない。
これもやはり、「布団=不安、眠れない」という暗示を自分にかけないようにするためである。
また、自分の経験上、朝に布団で粘っている時に悪い夢を見ることが多かった。
私もそうだったが、ここ1年くらいで飛躍的に睡眠が改善されたのは、休みの日も7時や8時くらいに起きることだった。
朝起きたら(無理矢理にでも起きる)、体温を上げる。
夜に眠る時間はなかなか調整しにくいが、起きる時間は調整しやすい。
不眠になってしまったことやその他の色々と恨みもあり、この会社に居続けることは考えられなかった。
私は、上司に「今後、当社には◯◯の技術が必要ですよ!私が研究します!」と進言した。
「◯◯」は、市場価値が高価そうで、かつ自分も自社も興味がありそうな技術であれば、何でもいい。
こうして私は、業務時間を使って堂々とスキルアップをすることができた。
上司も、私が体調を崩したことを知っているからきつくは言えない。
自分の研究の成果を、社内に定期的に公表して、成果を上げていることをアピールすることが大事だ。
もちろん、ただのアピールではなく、本当に成果を上げることが大事だ。
他の部署と連携して、その技術のアドバイスをするもいいだろう。
また、ブログを書いたり、Twitterを始めたり、勉強会に応募して登壇したりするのもいいだろう。
私は、これが対外的なアピールに繋がり、最終的に転職することができた。
何?自社への裏切り?
仕事のせいで体調を崩したのはこちらだし、裏切られたのもこちらだ。
知ったことではない。
まだ20代半ばの若造に、実質1人で新規事業を立ち上げよ(ただし従来の業務もこなしながら)、とかアホである。
大分前からプリキュアは勿論特撮だって戦う女性メンバー含まれてるだろうよって事すら知らない辺り、
対外的にはイクメン気取りつつ実際は自分の子供の育児に全く関わってないんだろうなあ。
例え自分の子供にはその手のものを見せていなくても、育児してりゃどんな内容なのかって事は情報入ってくるもんだしさ。
別の「呪い」として、女の子は綺麗で可愛くてお洒落してなければならない的な事を押し付けている、ってなら
それなら全く同じ呪いをかけているちいさなプリンセスソフィアを持ち出す訳がないから、そこが「呪い」である、と言う発想はないんだろう。
つかソフィアってPC配慮しまくりディズニーの中ではかなり保守的だよねえ。
(それが今の幼児向けディズニーアニメでダントツの人気と言う辺りは皮肉だけど)
同じディズニーチャンネル幼児アニメでも、どうせなら
「主人公は黒人の少女で(おもちゃの)医者をやっていて、母親も医者、父親は専業主夫」という「ドックはおもちゃドクター」とか
「主人公がおばさん(猫なので実年齢は分からんが、声や作中の扱いからして明らかに若い女ではない)カウガールで、
それが西部の町で保安官として大活躍」という「西部の猫キャリー」辺りを持ち出せってんだ。
ここまでやってるアニメは流石に日本にはない(成人男ヲタ向けは除く。あの辺は別にPC配慮でやってるんじゃないし
別の意味で女性差別満載だし子供に見せられたもんじゃないし)から
この人本当に女性が置かれている状況にも育児にも本当の意味では興味なくて、
何かと取り上げられる原発関連問題についてですが、「エネルギー資源の点から原発再開・高速炉建設は現状止むを得ない選択肢である」というのが今の私の考え方です。
「石油はもって40年」と自分も子供の頃からそう言われていて、いまいち危機感が持てなくなっているけれど、少なくとも自分が子供のころはレギュラー90円切るようなのが当たり前だったと思うし、確かに昨今の不景気が影響で価格が高騰しているということもあると思いますが、客観的な事実として、天井のある資源を使い続ければいずれ枯渇することは当たり前だと思います。
エネルギー資源の枯渇が引き起こすのは奪い合いであるといったことは、歴史的に見ればある程度自明だと思います。
今の時代、簡単に資源を巡ってすぐさまに戦争が引き起こされる、といったことは想像しにくいですが、少なくとも産業や経済に制限がかけられることと思います。
そのような情勢において「原子力」というエネルギー源の選択は、再利用技術の確立が為されればかなり明るいと思います。(しかし3.11のような経済的コストや、使用済み燃料やそれに付随して出る汚染物質の処理のような将来的課題もまだまだあります。)
これらを踏まえ私が感じているのは「戦争への抑止力は、資源の生産・確保であり、原子力はその点で抑止力と成り得る」ということです。
某漫画の1コマに「戦争は始めるものじゃない。出来る限りの外交の手段を尽くした上で結果的に起こるものだ」とありますが、この「出来る限りの外交手段」を選択肢として存在させることが重要であり、エネルギー資源はそこに深く関わっていると思うのです。
一方で原子力の利用は、今の日本の風潮ではかなりシビアなものだという感覚をみんな持っていると思います。私は原子力関連においても最もネックなのはその感覚自体と、“安全”を砦に原子力を危険なものとただただ批判する人間がいることだと思います。
将来のエネルギー安定性と現在の安全なエネルギー供給を秤にかけることは、個人個人で優先すべき事柄が異なるのでどちらが重きとなるかは一概には言えません。ですが、私は原子力というものに“危険なもの”という偏見(バイアス)がかかっているために、秤にかけるまでもなく忌避しているような点があるのではないかと思うのです。そしてそのようなバイアスを布教・助長している各メディアなどのコメンテーターや評論家を見ると、嫌気がさします。「原子力=原子爆弾」という偏見さえも未だに存在するような気もします。
一般に「多少原油輸入にお金はかかっても現在日本の電力は間に合っているんだからいいじゃないか」という意見もありますが、私はこれが対外的には一種の侵略(エネルギー侵略)のようなものではないかと感じています。
話は変わりますが、2000年代に大きく話題になった「地球温暖化問題」というのがあります。温室効果ガスである二酸化炭素が増えることで、地球の保温効果が高まり、平均気温が上昇するという話のものです。(反対論として、地球の平均気温は常に上下を繰り返しており、その周期がいま暖かくなっているだけだとの説はありますが、自分は少なくともCO2の影響で温室効果があるのなら、地球の周期があるにせよ、減らす努力はするべきだと考えています。すみません関係ありません。)
この地球温暖化問題に関して、一部ですが「日本が温暖化問題を加速させている」という説があったように記憶しています。日本という国は自国には森林がたくさんあるにも関わらず、安価であるという経済性の理由から他国の木材を多く輸入しており、その木材はアマゾンなどで森林を伐採して得られているため、日本が温暖化を加速させている原因になっているのではないかというお話です。つまりエネルギー資源においても、自国で生産しない代わりに他国から輸入しますがそれは他国の資源を侵略していることに等しいのではないか、と感じるのです。(確かに資源を輸出するのもその国の自由ですし、対価を払っているのですから問題は無いというのもありますが、自分はあまりこのような動向が良いとは感じません。)
自分はこの地球温暖化問題の点と、化石燃料を輸入してでも国内の電力供給を支えている現在の日本の状況に、類似点を感じます。
原発を停止し化石燃料を輸入することで国内需要を満たすことは、地球全体の資源をより早く消化してしまうことになっていると考えます。この点で、確かにこれも輸入された燃料ではありますが、再利用することが可能である原子燃料を利用することは、これからの将来を考えて資源的に選択することは仕方が無い、むしろ必要なのではないかと考えています。
1国がこの広い世界での資源枯渇を心配する必要があるのかと思われますが、その広い世界で資源が枯渇した場合に行われるのは、「その資源を持つものが高い対価で取引を要求すること」か、「他国が略奪を行う」か、「新技術によって新たな資源を生産する」か、のどれかだと思います。
少なくともこの中で一番良いのは「3つ目の資源の生産」で、いわゆる「核融合」技術が現状あてはまると思います。しかし、現段階で研究ベースの技術が商用化され、多くの人に利用されるようになるのはいつ頃かもわからない状態で、「いずれ新技術ができるから化石燃料を使い果たしても問題ない」というのは楽観的すぎると思います。
再三になりますが原発関連に関して思うことは、原子力という技術や将来性について議論することをせず、消費者が被害者意識だけで言葉を揃えて「安全じゃないものは使えない」「間に合っている」と言うのが、個人的にはあまり好きじゃありません。
そして原子力に技術者として関わっている多くの人々や、また原子力を使うことを決めた政治家や多くの人々を責め立てることも好きじゃありません。
福島第一の事故は確かに人の作り出したものが災いしたものですが、想定されていなかった規模(過去数百年の津波高さの統計による)の津波という自然災害によって起きたという部分が色濃いと思います。事故は結果論でしか語ることはできませんが、これまで原子力を扱ってきた人々が事故を防ぐべく尽力していたこと、またこれからも努力なさるだろうことも忘れるべきではないと思います。
最後になりますが私は、何か意見をもって議論することが大切だと、EU離脱の時のイギリスを見ていて思いました。その点で思うのは、自分の意見を言うことでレッテルを張られる、もしくは感情論で批判されるような風潮・雰囲気を壊していくことがいまの日本には大切なんじゃないかなと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20170207184136
引用部分は実際にはこうな。
ダイサンエージェンシーの名称で興行事業を行ってきていた被控訴人オカモトが,KHMプロモーションの懇請を受けて,同社に名義を貸したことにより,同社が控訴対象演奏会を開催することが可能ないし容易になったものであるから(同社にはスタッフも対外的な信用もなく,会場の確保ができなかったことは,被控訴人らの自認するところである。),両者は,協力して,同演奏会を開催したものと解するべきであり,その結果,故意又は過失により,著作物使用料相当額の損害を控訴人に与えたのであれば,両者のそれぞれにそれを賠償する責任が生じるのは当然というべきである(民法719条,709条)。
知的財産裁判例のところにあるけれど、この部分の判断基準は著作権法ではなく民法。後釣り宣言の前に意味のない追記をしてたけど著作権制度関係なくなっちゃったね。
例えば、ある件でAと言っていたことが、類型の別件ではBと言う。矛盾があるのだ。
そこで、両件はあれこれが共通する類型と言えるので、BではなくAもしくはA'ではないかと提案すると、
いくら共通項が多かろうがある点で異なるのでBだと言う。そう決めたらそうなのだそうだ。
こういう例が数多あり、ストレスが溜まっている。
物事の関係性を多角的に観察して抽象化し、他の類型事案に適用してみることは、僕にとっては当たり前の思考方法だ。
感情をなるべく削ぎ落とし、点と点を線で繋ぎモデル化することが必須となる。
妻のように、ある一面にのみ焦点をあてて条件反射で対応することは、矛盾が生じて対外的な信用を失いかねないだけではなく、
種々の矛盾が重なることで自由な思考に制限がかかってしまったり、経験から知識への変換効率が悪化するように感じている。
最近妻と会話をしていて目に浮かぶのは、様々な事案が雑多に散乱し、その個々に感情が付着することで論理的に分別することができず、
「思い出」で溢れかえった妻の頭の中のゴミ屋敷だ。
何か重いものが入った箱には「重い」、
涙が滲み出るビニル袋には「ステキ」、など、
表でこんなこと言ったらどうなることかって感じだからここで
私は多分美人だ。
昔から太めなこととかいじられキャラだったから、容姿を大々的に褒められたことはないけど
でも確実に、目はぱっちりしてる方だし鼻筋は通ってるしパーツ配置も悪くない。ちょっと痩せれば超可愛い
細身の母とほぼ同じ顔をしてるんだけど、母が美人だし間違いない
痩せれば、だけど
でも超絶デブってわけではない。残念ながら細身でも普通体型でもないけど
あと多分それなりに頭がいい。
母が小さい頃から読み聞かせをたくさんしてくれた影響で本を読むのが昔から好きで、語彙力や読解力はそれなりにある。
こう言えるのは通った高校が良いところだったこととか、大学は偏差値が特別高いところではないからかわかんないけど周囲との差を感じる時とかがあるから
要領は悪い方だし今は対外的な成績が良いわけでもない(大学ランク的にね)し、理系科目はどうも苦手だけど、そういう成績的な話ではない意味での頭の良さをそれなりに持っているのだと思う
性格は、こんなこと言ってるから悪いかもしれないけど、でもまあ、良いんじゃないかな。昔から明るい、元気、明朗、とか言われる性格だ
とにかく
私は今の私にそれなりに満足しててそれなりに評価をしていて、自分自身が大好きだ
なんだか、現実でもネットでも、自分のことを大好き(自分がかわいい、ではなく大好き)と思ってる方が少数派のように感じて書いてみた
前の職場の話。
例えば。すごく怒りっぽくなった。なんだかよくわからない個所で突然ヒートアップしだす。昨日指示をした事を覚えていない。それどころか「勝手な事をするな」など怒り、そして180度違う指示が出て作業がやり直しになることもしばしば。
もちろん「昨日はこう言った」と抗議はするが、「言ってない」の一点張り。諦めてその新たな作業をせざるを得ない。
などなど。
このようになるまでは、多少乱暴な言動はあったけれどもう少し理知的だった。
「うちの爺さんと同じだ」と同僚は言うし、私も典型的な認知症老人のそれだと思えた。
だが相手は上司だ。「おじいちゃん病院に行きましょうね」というわけにはいかない。どう指摘しても角が立つ。
さらに上の者に掛け合うことについては誰も期待していない。
うちの職場はパワハラを訴えたとしても、訴えた本人が契約解除になるような、そういう職場なのだ。曲がりなりにも上司には実績があるので、全てにおいてそれが優先される。その現場も見ているので自分がどういう扱いになるか皆わかっている。
これから高齢化社会で定年が延びると、こういった職場がどんどん増えると思うと同情を禁じ得ない。本人は力を持っているし、まだまだ元気なつもりでいるからちょっとおかしいなと思っても誰も言いだせない。
最近になって母に打ち明けて母は俺や父に話した。
母は宗教が好きではなく、それというのも少し前に有名宗教の知り合いと
ちょっとしたトラブルになってそれから宗教そのものを批判することがあった。
そんな母を見て、耐えられなくなったようで
父はそこまで悪評の少ない宗教だよと言っていたから俺も安心していたんだけど
最近検索したら、2chの危険宗教ランクのコピペの上位にあって吹いた
何年も黙ってたのに母に打ち明けたからか、今度は次女に打ち明けて
神社に行こうだのなんだのと誘うようになった。
次女は俺にそれを相談して、見せてもらったLINE内容があまりにもガチ過ぎてひいた。
手をかざしたら病気が治る系のことを言ってて、
母の持病も治るとか言ってんの
もう完全に詐欺やんけってわかるんだけど
それを信じ切っているのね。
お兄ちゃんはめちゃくちゃブルーになったよ。
ただ信者には完全にマインドコントロールをかけるらしい
そんなにちょろい非科学に騙されるとは思っていなかった。
http://www.utali.io/entry/2016/11/29/182019
この女性については、僕はこの記事で知ったので、あまりこのことについて深くは知らない。なので、彼女については言及しない。でも、よく見る光景だ。特定のコミュニティに女性が入り、周囲(たいていは30以上のおっさん)がチヤホヤし、その周辺にいる人がウンザリして溝ができていく。
おっさんが性欲を隠して女の子をチヤホヤする。仕事を与える。特別扱いする。女の子はそれに気づかないふりをする。これは周辺から見たらとてもウンザリする。いい年したおっさんが公私混同して女の子に入れ込んでいる姿。それを利用している女の子のしたたかさ。指摘されたら必死に擁護するおっさん。そのことにだけ言及しない女の子。こうなるともうコミュニティは崩壊していく。
こういったときに「これは特別扱いされているな」と簡単に判断する方法がある。その女の子が男だったとしたら、今のポジションが与えられていただろうか? 周りは同じように接するだろうか? そう考えると自ずと答えは見えてくる。
アンチもこじらせているので、批判は女の子に向けられる。そうなると、おっさんは性欲を隠して女の子を擁護する。必ず言われるのは「彼女は頑張っている(からそういうことを言うな)」という言葉だ。何かプロダクトや実績で黙らせるわけじゃないので、こういった擁護はよけいにヘイトを溜めがちだ。女の子もこういった擁護に乗っかってアンチを咎めたりすると、アンチはますます活性化する。それらをまるごと含めて周辺にいる人からは「気持ち悪い集団」にしか見えない。理性的な人はここで距離を取り始めるので、まともな人はどんどん離れていく。残るのは中心にいる女の子と気持ち悪いおっさんばかり。カルト化は加速していく。
そして、こうなったらもう誰にも止めることはできない。おっさんが「性欲でチヤホヤしています」と認めることはないし、でもそうとしか見えないからアンチも沈静化しない。女の子も対処しようがない。
そのうち起こるのが、女の子が対外的に発信することがほとんどなくなって、自然消滅的に言及されなくなっていくこと。そのとき、ツイッターもフェイスブックも、個人に紐づくものはすべて活動がなくなっていく。いわゆる「消える」ってやつだ。対照的におっさんのアカウントを見に行くと、変わらず元気に発言していたりする。また別の女の子を持ち上げたりもしている。僕はこれを悲劇だと思うんだけど、みんなはどうかな。
どうやったらこれを防げるのだろうか? 簡単なことだ。仕事に性欲を持ち込まない。若い女性を無料キャバクラだと思わない。「あわよくば」を考えない。評価は実績を見て判断する。特別扱いはしない。それだけ。そして、たいていの人はそれができているので、できていないおっさんを見るとイライラしてしまう。
社会人として普通の振る舞いをするだけで、こういった出来事は抑えられるはずなんだ。でも、今後もこういったことは繰り返されるだろう。おっさんに性欲があるかぎり。悲しいね。
逆になると一気におねショタ・エロまでいっちゃうのが多い気がする
最近話題になってた28のおばさん(じゃねーだろ)が高校生を餌付けするってのもおばさんじゃないし
女性向けのおじさん萌えマンガは割とみかけるのにおばさん萌えマンガがなかなか見つからない
いや俺自身は恋は雨上がりのように好きなおっさんなんだけど、おっさんが読んでたら、ああ・・・(ドン引き)ってなるやんあれ。悲しいけど。
だからそうじゃないのも読んでおいて、自分に対しての言い訳と対外的なエクスキューズを作っときたいのよ
あ、もうこういう考えかた自体がすでにキモいのはわかってるからわかってるから石を投げないで
(追記)
>msdbkm
フィクションでおばさんが少ないのは確かに前にもちょっと話題になってましたね
おじさんはたくさんいるのになんでなんでしょうね
リンク先みました
狼と香辛料みたいなロリババア系まで入っててワロタwまあ設定年齢的にはそうだろうけども、とw
タイトルしか見てませんが、おばさん視点から年下のショタを・・・ってのはあるみたいですが、
>たそがれたかこ
既読ですが、これもおばさん→年下の男の子なので、主題とは逆ですね
読者がおばさんに萌えるマンガ、という趣旨であればぴったりですが・・・
(追記2)
主題の恋は雨上がりのようにが、
だから、それくらいの年の差+少年側から先にベクトルでてるのが希望。
見た目がもろオバサンなら35くらいとかでもギリギリ許容範囲・・かなあ
年上とかおばさんとか言いながらその実普通のきれいなおねーさんレベルじゃねーか!!
とある有志の団体に参加していろいろ活動している。仕事から完全に離れた場だけど、やっていることはそれぞれの仕事にとても近い。プロボノみたいな感じ。組織がそれなりに大きいので、それぞれやるべきことをやらないと対外的にもいろいろ困ったことが起きる、というような環境だと思ってほしい。
どんな団体でもそうだと思うけど、所属している人は大きく二つのタイプに分けられる。自由を重んじるタイプと、規律を重んじるタイプ。団体の活動趣旨上「自由>規律」みたいな雰囲気はあるけど、組織運営上規律もまた重要であると認識されている(と思っている)。そして、お互い得手不得手はあるのだからカバーし合おうよ、という雰囲気もあり、それはまあまあ機能していると思っている。
ただ、自由にしたいタイプと規律を守ろうタイプ(そんなに単純なものではないが、便宜上そう呼ぶ)がお互いをカバーするにあたって、どうも規律タイプのほうが我慢することが多くないか? と感じることが多い。自分が(かなり強めの)規律を守ろうタイプだから。
強度の自由タイプはのびのび動く。枠にはめられると動けなくなるよー、だから規律は見逃して! という主張をする。それに対し、周囲のフレキシブルに対応できる人々(普通の人ということか)はそれは個性だよねー、カバーしてあげよう、と認めることが多い気がする。これは団体の特性上、多様性とか個性の尊重とかの価値観が浸透しているので、日本の一般的な組織よりは認められやすいと思う。それで自由タイプがいろんなアイデアを出していくのはとても素敵だと思う。
ただ、その一方で規律タイプとしては、枠にはめることができない状態への不快感がすごいわけだ。なにも、アイデアを枠にはめようとしているわけじゃない。ものごとの提出期限とか、形にしていくための手続きまでもを自由の名のもと規律を守らないのはどうなの、ということのみ。ある程度の枠にはめるのは、すばやく形にして世の中に出すためだ。そして、規律のある物事の進め方はストレスが低く、こちらとしては非常に快適なんだ。ちょうど、自由タイプがのびのびやっているのと同じ精神状態じゃないかと思う。
でも、定型的にやったほうがうまくいくエリアまで自由にさせてあげて、なんていうのはこっちの個性をまったく無視されているようで、納得いかない。それぞれのマイルストーンや決め事は事前に合意して設定したはずなのに。それを乱されることによる生理的不快感は我慢しなくてはいけないんだろうか。それは自由タイプが枠にはめられることの不快感と同じじゃないのか?
なんだか「アスペ乙」って言われて終わりそうな気もするけど、アスペ的な個性は尊重されないのかな。もちろん、行き過ぎた規律を求めることもあって、それを教えてもらえて反省できる(後に活かせる)ことはとてもありがたい。とはいえ、こっちのタイプに対するカバーが「もっと自由にすればいい」「だいたいで大丈夫」という助言って、苦手なことの押しつけで何もフォローになっていない。
団体と活動じたいは好きなので、もう少しお互い持ちつ持たれつでできないものなのかと思っているだけ。ただ、この話をタイプの違う人にしても全く理解してもらえないんだ(図解までするのに)。やっぱりこの感覚はわかりにくいのか。
仮にそういうカルチャーがあるなら、これを契機にもはや「アイヌ」「殺す」みたいな組み合わせで意思表示した時点で退場させられうると認識を改めるきっかけになった、で終わる話を、自分は匿名で元発言者を忖度しよう批判者に物申そう追記で煽って馬鹿にしようという時点で格ゲープレイヤーの対外的印象をだいぶ毀損したな。
タイミングで「たまたま今回の結果になった」という側面は大いにあると思うが、それが内省になるか、内輪で傷を舐めあって外側には反発するか、っていうとたいてい後者だよな。「自分(仲間たち)の他にもっと責められてしかるべき奴がいるのに」とか「こいつはそんなに立派な人間でもないくせに偉そうに」とかあげく「自分たちにもっと配慮しろ、敵に回るぞ」みたいな。
というわけで格ゲープレイヤーが自分たちへの批判を正面から受け止められずにずるずると頓珍漢な馬鹿になっていってないかを考えてみるほうがいいと思いました。
なんて書いているのを見るに、たぶん自分では「反差別の本流を行く」みたいなつもりでいて、他の「反ヘイト(人に説教したいだけの頭悪いポリコレ寄生虫)」を「反差別に資することのない邪道」みたいに考えているんだろうけど、それ思い込みかもしれないよ。というか「雑な批判は有害無益であり許さん(でも自分はふだん特に批判せず沈黙)」とかそんなことになってないかな。