はてなキーワード: 学費とは
これを読みながら長井 長義を思い出した。
親に学費という首根っこをつかまれているうちは素直に従っているふりをしておいて、そこから解放されたら自分の思うように生きるのもありかもねと思った。
親に歯向かうと二言目には「だれが学費払ってると思ってるんだ」とか「学費止めるぞ」とか脅されたので黙るしかない家に育ったけれど、社会人になって親がそのセリフを言えなくなってからはほんと自由だったなと思って。
同じような境遇かもしれない。
親がほんのり学歴を気にする人だった。
小学生の時に出会った本がきっかけで社会全般に興味があった。中学生のときに女性の年収が低いこと、再雇用の難しさを見て資格を取りたいと思った。会計士になりたいと思っていた。もちろん社会の成績、他の教科も良かったし高校は進学校に入れた。
親に経済学部とかの文系の学部に行きたいと言えばその学部を出ても職がないよと言われた。考えてみれば文系の人は沢山いて職に就いてる人はクソほどいると思う。でも就職できない未来が怖くて理系に逃げた。
それでも理科科目も好きだったし、これもいいかもと思ってた。生物が好きだったので親に生物系の学部に行きたいと言ったら辞めなさいと言われた。女性の研究は向いてないと言われた。就職も厳しいと。文系とかそういう学部に入ったら、両親がどうなるかは予想がついた。学費とか何やら言われるのが嫌だった。両親は職について欲しかったらしい。それで結局薬学部だ。
薬剤師はいらないと思う人、何をやってるのか知らない人が多いと思う。
業務の一部が人工知能に置き換わっていったら食いっぱぐれるだろう。
はじめに軽く自己紹介。地方大M3(医学部3年)の20歳。人生崖っぷち。
表題を見て不快になった人は、この記事を読まないよう強くおすすめする。医学部事情を知らない方は特に。ますます不快になると思うので。
もともと文系学部志望で、就職するなら公務員か裁判官かな、とぼんやり考えていた。仕事をしながら趣味に興じる生活に憧れていた。
特定防止のためぼかすけれど、この趣味は小学校のころから熱を入れて取り組んでいる。今では生きがいだ。
収入は別に多くなくていい、ただ一人で生きていく分くらいは稼ぎたい。その上で、趣味の結果が出ればいいな。そんな感じ。
でも、親はそれを拒絶した。高一のとき、学校へ出発する前、私は軽い気持ちで「法学部ってかっこいいよなあ」と言った。
これがいけなかった。
「文系行くなら自分の金で行ってね」という投げやりな言葉から始まり、三日三晩(文字通り)怒鳴られた。
お前は欠陥品だから、就職できるわけがない。こういうことを平気で言われた。
私の親は差別用語をよく使う。「欠陥品」はまだ全然ましな方で、放送禁止用語を駆使して私の不器用さや容姿をなじる。兄(現役ストレートで医学部を卒業し、今は研修医をやっている)と比較して「一勝一敗」と嘲るのが最近ではお気に入りなようだ。
もっとも、被害にあっているのは私だけではない。母親が結婚して以来、ずうっとそういう調子だったらしい。典型的なモラルハラスメントだ。
我慢すればいい、と母親は言う。修行だと思って我慢すれば、社会に出ても耐性がつく。そう繰り返し教わってきた。この母親も私の文系学部進学には消極的で、「あんたを雇うような会社はどこにもない」が口癖だった。別に会社勤めを目指しているわけじゃないのに。
小さい頃からずっとそうだった。
なじられ、比較され、叱られる。
何かやらかせば「欠陥品」。
度重なる暴言からくる自己肯定感の欠如は、私の性格を決定づけた。
今では誰に褒められても、「ああ、社交辞令だな」としか思わない。それどころか「馬鹿にされているんじゃないか」といらいらしてくる。
男性に好意を向けられても、ぞっとする。付き合っても長く続かない。結婚したら、この人もモラハラするのかなあ。そんなことばかり考えてしまう。
凡人なりに頑張ったおかげで、通っていた高校(公立)の中では上の方の成績をとれた。
違う、と答えたかった。私は自分の居場所を得るために、学費を出してもらうために、進学するんです。こう言えたらどれだけ気が楽だったろう。
受験勉強がきつかった。頑張っているのに上がらない成績が恨めしかった。最後まで物理と数学で伸び悩んだ。結局第一志望(兄の出身大学でもある)のオープンでA判定はもらえず、今の大学に入学することになった。
後から知ったが、冠模試のオープンは判定が辛いらしい。現役生で安定してAを取れる人は限られている。
公立高校かつ塾なしの私は、そんなこと全然知らなかった。親はB判定とかC判定とかを見る度に、やっぱり馬鹿は治らないなあ、高齢出産がいけなかったのかな、というようなことを言ってきた。
今でも、もしあそこでチャレンジできていたら、と思う。多分私は、一生このことを後悔するのだろう。
でも、他にどうしようもなかった。浪人するくらいなら死んだほうがマシだ、こういうことを何度も何度も、親に吹き込まれていた。
浪人している同期を見ると、ぬるま湯に使ってるやつらはいいよな、と思う。
人より時間と金をかけてもらってるくせに、自分の努力(笑)で大学に受かった。
努力は必ず叶う。
どの口がきいてるんだよ、と思ってしまう。
志望を下げずにチャレンジした同期は、受かったり落ちたりした。自分より成績の低いやつが、自分よりいい大学を受け、合格した。
私は見事、医学部に現役合格した。しかし、もう兄には決定的に勝てない、一生格下として扱われるだろうということに参ってしまった。
大間違いだった。
医学部は人間関係をしくじると大変らしいと聞いていたから、周りに合わせてニコニコしていた。でも、駄目。中高みたいに腹を割って話せる友達は一人もいないし、異性はもちろん同性の集団にも馴染めない。
会話が怖い。
高校までと違い、癖の強い人がたくさんいる。
人を平気で馬鹿にしたり、傷つけるようなことを言ったり、仕事を全然しなかったり。
後輩を何人酒で潰したか、自慢げに話す人もいた。
どうかしている。
友達がいないわけではない。
でも、その人たちにとって私はn番目の友達で、せいぜいご飯を一緒に食べたり、授業を隣で受けたりする程度の間柄だ。
所属していたインカレサークルも、授業が忙しくてほとんど行けていない。
何より、授業がきつすぎる。
友達が少なく医学部部活にも入っていない私は、いつも特定の子に情報を流してもらっているけれど、もしその子に切られてしまったら、留年一直線だと思う。
欠陥品なのだと思う。
欠陥品は医学部では生きていけない。
噂が一瞬で広まるような村社会では生きられないのだ。
多分、他の学部でも生きづらいと思う。
でも、ここよりは絶対マシ。
公務員としてしっかり働きたかったし、法律にかかわる仕事にあこがれていた。
全部過去の話だ。
もう取り返しはつかない。
やめればいい、という人がいるかもしれない。
無理に決まってるじゃん。
退学したいなんて言おうものなら、家から追い出されて、野垂れ死ぬのがオチだ。
親にとって私は「アクセサリー」で、マウンティングの道具でしかないんだから。
というわけで毎日、心の中のガソリンをちびちび燃やしながら、なんとか生きている。
アフターコロナの世界が来たら、マジで生きていけない気がする。
そしたら、私みたいな欠陥品は真っ先に解雇されるだろう。
正直、全部めちゃくちゃになってしまえばいいと思っている。
地震でも戦争でもパンデミックでも何でもいい、頼むから全員不幸になってくれ。
全員苦しめばいい。
倫理的に欠如しているだろうか。
恨むなら私を大学にぶち込み、今もなおモラルハラスメントをしてくるうちの両親に言ってほしい。
十分恵まれている方だ、とのたまう人は、頼むから毒親のもとで育ち、理不尽で閉鎖的な学部で6年みっちり洗脳されてくれ。
画面に向き合っていると、CBTやOSCE、ポリクリなどの試練で頭がいっぱいになる。
乗り越えられる気がしない。
高いビルに登ったり(高所恐怖症で辛いけど)、ホーム柵のない私鉄を探したりしている。
私の家庭が損害賠償で懲りるなら、案外ありかもしれない。
万が一、残り3年半生き延びることができたとしたら、クソハイポ病院でセコセコ貯金して、バイト医になろうと思っている。
でも結局は、そんな度胸も生まれず、カスカスに使い捨てられてしまうのかな。
医学部なんて入るんじゃなかった。
絶対に逃げてください。
もし医学部に入りたいなら、できるだけ立地がよく、風通しのよい医学部を目指してください。
情報はインターネットでも手に入るし、身近に医学生がいるならなお良いと思います。
それを活かすも殺すもあなた次第です。
私も、せめて大阪万博までは生き延びれるよう、頑張りたいと思います。
毒親のアホー!
生まれつき、仲良く一般的な家族のような関係を構築できた記憶はない。
バブル期にいけいけどんどんで稼いできた父は気が向けば家に帰り、母と私に「誰のおかげで生活できているんだ」と責める。
その度、気に喰わない態度をする母と私から逃れるために外に女を作って家を空けることを繰り返してきた。
ここ数年来は同じマンション内に2部屋を購入し、追加で私が住宅ローンを組むことにより父と母と私がそれぞれ違う部屋に住んでいる。
同マンション内で別居中の70代の父親は私に週末に電話をかけ、泥酔し呂律の回らない状態で「普通の家族らしく生活したい」と求めてくる。
それはもう無理だろう、と諦めるよう促すが、毎日「どこか田舎に行く、お前らは達者で暮らせ」と言いたいことばかり喚いてから電話を切る。
これを2週間音沙汰がなく、また2週間おきに繰り返している。
その電話対応をするたび、ストレスがうっすらと積もるようになり、本音で父親に話すようになった。
「相手の気持ちも考えたことがないくせに、自分の勝手ばかり主張するな。」
「これまで好き勝手に生活してたんだから、急に寂しくなったからといって求めてくるな。」
もう別にいいと思っている。
勝手に暮らせばいいのにと願っている。
俺らが住んでた地域は中学の成績上位層は高校は公立のトップ校へ行く地域だった.
件の同級生は高校受験の頃は灘とか開成といった、難関私立高へ大量に受けさせる塾に通っていた。
「まぁ,俺なら公立は滑り止めで受けるけどな。難関私立高校目指すぜ」といって受験旅行していたが、難関私立高校全滅。
更に、滑り止めと言っていた公立高校にも落ち,普通の私立高校へ進学した、
文系って営業しか仕事ないwww 上京するんだったら東大しか行く価値ないやろwww
俺は理系だから研究職になってレベル高い奴と一緒に仕事するんだ!」とのこと。
センター終了後
そいつは「君は8割8分だけだったのかwっw?東大文系だったらギリギリじゃね?おれは800超えたぜ足切り余裕」と自慢してきた
そして,結果
あれだけ東大行くと行っておきながら,2次行けなかったんですか???ピエピエ
しかも国立の前哨戦として“滑り止め"で受けたはずの慶應明治同志社(あともう一つどこか)全落ちしてたんじゃないですか?
東大目指す人が同志社落ちるんですか???あれだけ自慢しておいて何ですか?ピエーーーーーーwwww
自己採800以上だったのにですか?
800以上で落ちるわけ無いでしょピエーーーーーー
「いや,当日問題用紙に解答書き込むの忘れちゃって,
自己採は思い出しながらやったんだよ
それお前の実力だからwwwピエーーーーーーwww
現実を見なさい
よっぽど悔しかったんでしょうね,俺が予備校へ報告しに行ったときにすごい目で睨みつけてましたね.
そいつは浪人した途端模試の偏差値が30~40も下がったみたいじゃないですかwwww
浪人生は一番最初に模試を受けるからネタバレできないんですねwww
結局そんな奴が東大なんかに合格できるはずがなく,その後2年連続で東大センター足切り喰らってしまって2浪で日東駒専の工学部へ行くことになりました
2浪もして日東駒専wwwww予備校に払った学費の無駄wwww
そして,それから4年後 そいつは受験だけでなく就活も失敗して,地元のコンビニでフリーターで働いています
中学の同級生がコンビニへ来ると毎回隠れてるみたいじゃないですかwwwww
レベルの高い()奴と一緒に仕事出来てるんですかねーーーwwwwピエーーーーー
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10年近く前に受験ピーエルスレに投稿しようと思って書き殴っておきながら、どこにも投稿するところがないからここに投稿する
なお誰のことを言ってるのか全く覚えてないのでフィクションだと思う。
もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問がヤバい。
なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要な資料にアクセスできないからだ。
歴史学の根本は、オリジナルな資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。
そして公文書館というのは行政機関なので、日本の国立公文書館や外務省外交史料館が東京にあるように、あるいはイギリスの国立公文書館がキューにありアメリカの国立公文書記録管理局がワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。
コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!
でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券でヨーロッパに渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料にアクセスできなくなるかもしれない。
明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学が日本に持ち込まれた。だが初期の日本の歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。
オリジナルな史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語とフランス語とドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。
けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本の歴史学が独り立ちするためには。
やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナルな史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語を習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行が安価になるにつれ、国外の文書館にアクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本の歴史学のレベルはどんどん上がっていった。
2000年代から2010年代にかけての日本の歴史学界で生み出された外国史研究のレベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナルで面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。
留学の予定も史料収集の計画も、すべてが白紙になってしまった。
分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程か博士課程で留学をする。これは現地で史料を収集したり、現地で言葉を勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要なプロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国の歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。
COVID-19直撃世代は、この留学の経験を持てない。彼らは外国史研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。
2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することなく博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることなく任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振の研究費のかなりの割合を出張費に充てている)。
けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査のハードルがものすごく高くなってしまっていたら、日本の外国史研究は大きな打撃を受けるだろう。
そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在で史料もたっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国の研究者とオンライン会議すればいい。
でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国語能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端な研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。
もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料をウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国の雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達はドイツ語の学術書をkindle版で引用していた。
だから、研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。
どのような種類の史料が必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージの歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツの政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館の史料を見なければお話にならない。
現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相がメディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料が全然違う。前者は新聞やネットを見ればそれでいいが、後者は情報公開請求が必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。
そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究者から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり、研究のために文書館史料を必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国史研究において、思想史や文化史、古代史の割合が高くなるかもしれない。
(いやでも、ガチの思想史や文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代の知識人の留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいるからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料がほとんど翻刻されてたりするし……)
ネット上で読める範囲の古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究のレベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベル低いね」と一蹴されてしまう。論文を英訳なり独訳なりして海外のジャーナルに投稿しても、それなりのレベルの雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)
ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代の研究水準には戻れないのだ。
ハードルを下げる?
つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?
コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。
それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史はハードルが高いから、表象の歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。
ともかく、これまで日本の歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。
日本の外国史研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。
まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学や記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在のレベルの渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニアの島国やアフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国を舞台にした文化人類学や記述言語学は消滅し、国内を対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……
(まあ、国内の伝統文化や方言を保存するために、一度外国の文化や言語を記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学で修行する若手研究者が離島や山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)
デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。
第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだ。マトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体の公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベルの文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係の公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマを研究しようと思ったらそれでは困る。
第2に、困るのは外国人研究者だけで、本国の研究者はそんなに困らないのだ。
日本人がイギリスやドイツに調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館にアクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国人研究者の姿が消えたとして、いったい日本人研究者になんの不都合があるのだろう?
(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国に拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本の大学で教鞭を執っている中国人の日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米の大学に就職しちゃった日本人研究者は大変だ。また、日本を研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係の歴史を研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府の公文書管理がザルすぎるせいで重要な史料が日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)
つまり、全世界的に、自国を研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国を研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国人研究者への配慮が、果たして自国の公的施設のデジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。
第1に、それ本国の研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費は渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど……
第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書の形式の違い」みたいなのも当然論文のテーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。
ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録に面白そうな史料があったから地方の文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人にコピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語でしかない。
第3に、そもそも論としてなんで自分の研究のオリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要な史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料の存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)
日本史であっても一次史料が海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスのハードルが以前から言及されていたのを思い出した。
なおアジア・アフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史を研究する日本人の歴史家は日本国内で研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリスに(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本に(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……
そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?
それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンやロナルド・ドーアやケネス・ポメランツやイアン・ニッシュやJ・ヴィクター・コシュマンやブレット・ウォーカーにも言ってきて!
国公立大学医学部医学科、それは入るだけで将来が約束される夢の学科。
私立大学の学費が数千万円という大金にも関わらず、国立大学の学費は年間52万円ほどと格安。
奨学金を借りれば、一銭もお金をかけずに入学、卒業することも可能。
医師国家試験の合格率は90%程度と卒後は医師としての道が約束される。
中には5浪というツワモノもいる、それ以上も....
そんな人生保証レールだが今現在、他の大学に大差をつけて、最も入りやすいであろう国立医学部が存在する。
今回は徳島大学医学科に入りやすい理由を述べるだけで、他の大学については言及しない。
それでは始める。
まずはボーダーを見ていこう。
パスナビによるとセンターボーダーが83% 偏差値62.5であった。
2020年は900点満点中、ボーダーが779点、最低点が724点(80%)である。
2020年は400点満点中、ボーダーが276点、最低点が214点(53%)である。
ここで出したデータは正真正銘、合格者平均(ソースは徳島大学)です。
ボーダー自体は境界の意味しかないので、どの境界かは予備校ごとによって異なります。
(河合塾のいう「ボーダーライン」は、「合格と不合格の割合が50%になるセンター試験得点のライン」らしいです。)
色々ごちゃごちゃ言いましたが「ボーダー」は忘れてください、合格者平均だけ見てください。
実際の集団で考えればわかるが、
集団の半分の実力を持つというのは、大学受験を合格するに際しては必ずしも必要ではない。
逆に合格者平均に近い点数を取っていれば、大抵の場合受かると考えていい。
実際に合格、不合格を争うのは下位10%程度、合格最低点周辺の人達である。
驚くのはこれだけではない、徳島大学医学科は「国立医学部随一のセンター配点の高さである」
つまりこういうことだ
センター試験でほとんど決まってしまう大学にも関わらず、合格最低点が国立医学部随一の低さ
驚くなかれ80%に毛が生えた程度というのだ。
ここまでで十分入りやすさは伝わったと思うがまだ実は半分も紹介できていない。
センター試験は国語、英語、社会、数学1、数学2、理科1、理科2の7科目で構成される。
よって合計900点満点
徳島大学のセンター配点も900点であるため変わらないと思う人もいるかも知れない。
実は徳島大学医学科のセンター配点は社会50点、国語150点、理科300点である。
理系の人ならわかるだろうが、この配点で最低点が80%というのは医学科として考えられない低さである。
一般的に国立大学医学科の合格者は85%〜87%程度の得点率を叩き出すが
これは数学、英語、理科はほぼ満点、社会と国語で以下に落とさないかの勝負になっている。
つまり数学9割、理科9割、英語9割、社会8割、国語8割ぐらいの得点率で8割後半を叩き出しているのだ。
人によっては数学満点、理科満点なんて人も珍しくない、むしろ9割を切ってしまうと合格は厳しい、それぐらい理系科目だよりなのだ。
話を戻そう、一般的な国立大学医学部合格者が徳島大学の配点で計算すると、
数学180/200
理科270/300
英語180/200
社会40/50
国語120/150
合計790/900 →87.7%
さて、先程も述べましたが、受験はボーダーで考える必要はありません
合格最低点を超えればいいのです
どれぐらいの点数なら合格最低点になるのでしょうか。
数学180/200
理科270/300
合計750/900 →83%
国立大学医学部合格者なのに7割科目が複数あります、考えられない点数ですが受かってしまいます。
更に下げて最低点を目指します。
理科270/300
合計730/900 →81%
おわかりいただけたとおり、現在の徳島大学は国立大学でも有数の入りやすさです。
まずは得点率の低さから、400点満点というただでさえ少ない配点にも関わらず
これではセンター試験が偶然うまくいった連中に追いつくことができません。
次に科目数の少なさについてです。
なんと2科目です。
驚異的です。
考えられません。
センター試験後死ぬ気で2科目勉強すれば落ちるどおりがありません。
もうおわかりいただけたかと思いますが、更に追い打ちをかけます。
多浪であろうと、女性であろうと、差はつけられません(女性合格者が多いことからもわかります。)
いやいや、でも進級が厳しいんじゃないの?
嫌でも現実が伝わったと思いますので、最後に私が考える徳島大学の受験計画について語ります。
まずはじめに念頭に置いてほしいのが
一方古文漢文と社会はすぐ忘れます(3ヶ月ぐらいで忘れていきます)
大体大学合格したら高校の勉強なんてしませんが、今の私ですら数学、英語、現代文はまともな点数が取れます。
一方社会、古文、漢文、理科(化学の暗記事項)は全国平均点を切るでしょう。
こんなことは進学校出身なら常識です、もし知らなかったなら理解しましょう。
あなたは1年生の社会のテストでまともな点数が取れますか?取れませんよね
じゃあ数学のテストは?取れないと困りますよね。そういうことです。
センター試験では9割は落とさないレベルまで持っていってください、
その代わり他の科目の勉強はしなくていいです。
数学英語は二次試験まで解けるように、理科はセンターの範囲だけでいいです、9割を割らないようにしましょう。
かんたんです、理科で9割超えはかんたんです。
3ヶ月で間に合うか!!って思った人、間に合います。
古文漢文は満点取らずに7~8割取れればいいです、その代わり死ぬ気でやりましょう。
社会は平均点に毛が生えた程度でいいです、1割が5点分しかありませんから、驚異的低さです。
英語170/200→85%(9割ほしかったですがリスニングで大コケしました。)
社会30/50→60%、(大コケです、全国平均点程度しかありません。)
国語105/150→70%、(大コケです、全国平均点に毛が生えた程度しかありません。)
合計点は
770/900 →85%
とにかく量をこなすだけです。
毎日長文2文以上
数学は4問中2完1半でした。(2完と言っても取らせる問題でした。)
次に英語です。詳しい点数はわかりませんが半分は取れました。
後にわかった点数によると
数学110点(2完ではありませんでしたが、部分点で稼ぎました)
英語120点(大体これぐらいだと思っていました。)
ちなみに大コケしてます、だって合格者平均が7割平均のテストですから。
さて、合計点ですが
ちょうど1000/1300点でした。
振り返りましょう
センター試験では理科数学は普通に取れました、英語は若干コケましたが耐えました、国語と社会は大コケも大コケです。
二次試験ですが、合格者平均には及ばない点数でした、半分ちょい、6割程度の得点率。
結果を発表します。
めちゃくちゃ大コケしても数学と理科さえ取れていれば受かる大学です(センター試験レベルで)。
なぜこんなに入りやすいのか疑問に思う人もいるでしょう。
答えは倍率にあります。
志望者258人に対して、定員は114人
倍率にして2.3倍、国立では考えられない倍率です。
これだけではありません、徳島大学の推薦志望者は一定数いますが
受験条件として8割があげられているので、ほとんど全員が一般にも志望しています。
実際に試験を受けた人は200人でした。
合格者数も118人に増えて、実質倍率は1.695倍です。
書きミスじゃないですよ、1.7倍です、高校入試じゃないですよ。
正確には2倍周辺ですね。
ありえないほど低いことに変わりはありませんが....
東京大学に入ったって、一橋大学に入ったって、早慶に入ったって、旧帝大学に入ったって、
でも、今年だけじゃないの?
→ここ数年はこの傾向が続いています。
多ければやめる、少なければ出願する。
ということが可能なのです(ちなみに大学でも受付はしているはずです。)
そうはいっても最終日に跳ね上がるかもしれないじゃんと思った方。
再受験サイトで、ここ数年の倍率の推移が見られるので見ましょう。
でも立地が悪いじゃん。
さあ、国公立大学医学部を目指す皆さん、徳島大学へ行きましょう。
準備はいいですか?
→傾向は変わりましたが、この配点で次年度入試も行うようです。
・医者忙しいじゃん。
楽しようとすれば幾らでも楽できます。
それで医療が成り立つかどうかは問題ではありません、医師に責任はありません。
→受験生の何人がこの記事を見ますかね、この記事の影響は限りなく0に近いです。
・医者なんてすぐに食いっぱぐれるぞ。
→いつかはそうなるでしょうが、その前に世の中の多くの仕事がなくなっているでしょう。
また、食いっぱぐれたくないなら外科医になればいいです、忙しいですが食いっぱぐれない。
テレビで大学生のオンライン授業について彼らの不満や現状を放送していた。
そうだよなぁと納得できる部分が多いと思ってTwitterでパブサしたら地獄。
「大学は学ぶために行ってるのだからオンラインだろうが自分の意識の問題」という意見についてはその通りだけど、コミュニティを形成するのも大切だし施設利用費も含めて学費を払っている以上出てきても仕方のない不満だと思うのだが。
あと図書館の施設使いたいとか実習したいとか言ってるのに、頑なに「どうせ友達と遊びたいだけ。大学を人生の夏休みとして遊んでる奴らの意見」と決めつける視野狭人間が多すぎる。きっと彼らは大学に通えなかったか、大学時代そういうウェイ系陽キャを羨ましがりながら指咥えて眺めてた奴らなのだろう(酷い偏見)。
何はともあれ、想像力の欠如が過ぎる。その番組冒頭に取り上げられていた大学生のお気持ち漫画は美大生が描いたものだったし、美大生なら専攻によってはキャンパスの設備を使わなければという授業もあるだろうな、とか考えないのかな。
まぁ別に大学生可哀想ヨシヨシしろ、というのではなく視野を広げて色んな想像をすれば良いのになぁという話。
自分の意見をツイートすることは否定しないけど番組のハッシュタグつけてわざわざ大学生批判しなくても良いのに、それにまんまと釣られた自分みたいな人間が愚かなんだろうなぁ。
武蔵野美術大学が8月24日から対面授業を再開したそうですね。
私は視覚伝達デザイン学科の様子を断片的に耳にしただけですが、普段はこんな時期にやらないオリエンテーションをわざわざ実施したそうですね。マスクの着用やアルコールでの手指消毒は呼び掛けたそうですが、検温はしてないでしょうね。オリエンでは学生を一箇所に集めて、先生方で一本のマイクを使いまわして、「マスクを外したらこんな顔でーす」とか、やってみせたそうですね。
一応12号館地下展示室で実施して、学生たちに距離をとらせたり気を遣う先生もいらっしゃったようですが、学生が密集しても誰も何も言わなかったそうですね。学生たちは黙っていたのでしょうけど。
学科ごとの実習科目は対面で、教養科目は全部オンライン授業だそうですね。そういう方針だとすれば、大学という環境だからこそ発生する複雑な導線や関係者の多様さは従来ほどではなく、感染症に対する危険度は下がっているのかもしれません。
そこまでして行われるキャンパスライフが本当に通学に値するのか、当然お考えになったのでしょうね。
実物が目の前にあるとやっぱり違いますよね。実際に人と会うのと、オンラインでやりとりするのは違いますよね。小学校も中学校も高校も会社も始まってるのに大学だけ始まらなくて、行ってもいないのに高い学費もぜんぜん減らなくて、不安で寂しくて苦しかったんですよね。パソコンも無理して買って、よくわからないツールを1人で習得していくのはすごく心細いですよね。学生が来ないからってお金がいらなくなるわけじゃないのに、学費を返せと言われて困りますよね。毎月100時間残業してしまって、残業をやめろと言われても教授からも非常勤講師からも教務課からも学生からも次々に連絡が来てやることは山積みですよね。お気持ちは察するに余りあります。
大学側はゴールデンウィークも丸ごと潰して対策の検討、学生への連絡、オンラインツールのレクチャー、おすすめのパソコン調査をして、さらに普段の業務もこなしていたと聞きました。おすすめのMacbook情報をまとめている間に新しいMacbookが出てしまいましたね。後期の対面授業開始に向けても、助教の方が酷暑のなか朝から晩まで設備を確認して、手洗い洗剤をせっせと取り付けたそうですが、それらの設備代は助教が立て替えて、教務課は立て替え横領がないか厳しく審査して経理に回しているのでしょうね。
本題ではありませんが、手弁当や長時間労働、徹夜や泊まり込みを美談にして低賃金や無償で卒業生を働かせ、ムサビはムサビ教育の価値を自ら貶めているように見えます。教授のセクハラも野放しですよね。武蔵野美術大学の卒業生であることを恥ずかしく思う時があります。
症状がある学生は助教に連絡するように伝えているそうですが、無症状だけど濃厚接触者と判断されて大学に行けなくなる学生が出た場合、その人は対面で行われている実習科目を受ける機会を得られるのでしょうか。
学生や教職員のご家族に感染して、その方々の生活に不都合が生じたり、後遺症が残ったり、最悪の事態に陥ってしまったとしたらどのように対応するのでしょうか。
ご高齢の先生方もいらっしゃいますが、実際に感染したら重症化リスクが高いことをご自身で認識されているのでしょうか。
非常勤の先生方もほとんどが対面授業のために出勤されるそうですね。武蔵野美術大学鷹の台キャンパスに出勤されて、その後別の学校で教鞭を取られる先生もいらっしゃるのではないでしょうか。対面授業とオンラインのそれはかなり異質で、それぞれに対応するとなるとかなりのご負担ではないかと思います。ムサビは他学のためにオンライン授業を行う先生の場所は提供してくれるのでしょうか。
そんなこと当然お考えになって、慎重に検討されて、それでも対面授業を実施するという判断をなさったのですね。
交友会のメールも読んでいます。書かれていた「学びを止めない」というスローガンも記憶しております。ほんの小額ですが、支援金もお送りしました。支援が必要な学生の手に少しでも早く渡ることを願っております。
思うのは、半沢直樹みたいな陰謀うごめく権力の世界って実際には世の中にはほぼなくて、なんとなく声のでかい人の発言や、雰囲気や成り行きで最悪なことになっていくんだなということです。教育って本当に大切ですよね。
陸士長が三等陸佐より高給だったら悪いと、自衛隊法のどこに書いてあるの?
恩義せがましく学費無料と言ってるのを賛美している連中が意味不明
桜なんだろうな
現役時代、慶應の経済学部に学費免除の特待生で合格して、仮面浪人(とはいえ数ヶ月で慶應は行かずに地元に戻ったみたいだけど)して東大理一に受かった同級生がいた
慶應2年(東大1年)の夏に会ったときはまだ慶應の近くに住んでてどっちの授業も受けてるとか言ってたけど、どっちも卒業するのは難しいだろうし慶應は辞めたのかな
東大に受かったこと高校にも報告せず落ちたって嘘ついてたのは慶應に通いたかったからなのかな
もう何年も会うどころか連絡もとってないけどふと思い出した
ネタじゃなくて本当の話
経済的徴兵制(けいざいてきちょうへいせい、英語: economic conscription)とは、経済的条件を利用して、軍隊の要員を確保する仕組みで、特に国内に経済開発が遅れた地域があるような場合に、若者たちの多くが軍隊における立身を志すことに魅力を覚えるような状況を生み出すことを指すが、そうした後進地域の開発に資する取り組みがなされている場合は当てはまらないとされ、そのような仕組みを利用している政府が、その仕組みの存在を認識していること、そのような状況を変えようとしないことが前提となっている。
徴兵制を取らずに志願制を取っている国において、志願制の範囲内で有りながら経済的格差を利用して徴兵制のように安定的に軍に兵を補充するためのシステムである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/rekuyamasan/status/1297512507846713344
独露㌠ on Twitter: "河野さんが配信で高卒の任期付自衛官が退役後に大学へ入学する場合は即応予備自衛官になることを条件に国が学費を出すっていうのを考えてるらしい。 財務省とも話してるらしいこと言ってた。課題はあるだろうけど個人的にはすごく良いと思う。 https://t.co/x9LDVQCi9Q"
さてコメントみていくぞー
と思ったんだが―。
上位コメントは案外まともだな。
☆がロクに入ってない奴らはだいたい的外れ。
まあつまり、このブクマで☆がない奴らは胸に手を当ててよーく考えろよ―。
お前が一人で盛り上がって頓珍漢なこといって誰からも相手にされてないって現実をなー。
つまんない上にお馬鹿だぞ―
なんとなくおかしいかなとか、自分はこんなこと言ってはいけないんだ、という風に思っていたので。
しかし今、声を大にして言いたい。
なんで学費を払わなきゃいけないの?
学生の本分は勉強であって、バイトやサークルではない。もちろんやりたい人はやればいいけど、やりたくない人が半ば強制され、それによって勉学や生活に支障をきたすようになってはいけない。
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
友だちなんて、本当に一人もいない。
前期はずっとオンライン。
高校の友だちの中には、zoomを使って授業をしてるところもあるみたいだが、わたしの大学は一方的に動画を聞いて終わるだけ。最初の頃は、意気込んで聞いていたが、最近はそれも苦痛になってきた。ただ60分以上の動画をひたすら見るだけ。
授業で分からないところがあっても、先生にすぐに確認することができなければ、友だちと相談することもできない。
授業をしてる人の顔がわからない状態で授業を聴いている状況が、もうわけわからない。
どの先生も、家で授業を受けているんだから課題を出しても大丈夫でしょ、と思っているのか、科目ごとにある課題がえげつない。普通の大学生活を送ったことがないから、普通の課題の量を知らないが、
もし、今の課題の量のまま、毎日登校して授業受けて、サークルして、バイトして帰宅…をやっていたら、確実に終わらないだろう。
それでも、課題をこなさなきゃ単位をもらえない。他に頼る術もないからやるしかない。
そして、理系科目はだんだんとオンライン(動画)でやるのは無理があるのではないかと思い始めた。
本来、グループディスカッションでやる授業も、一方的に動画を見て終わり。実験も、実験をしてる動画を見て終わり。これになんの意味があるの?
去年の秋、冬。
この大学の授業のココがいいんだよな、このカリキュラムが楽しみだな。
なのに今。
送ってみたかったキャンパスライフ、受けてみたかった授業や実験、参加してみたかったサークル、通ってみたかった大学…
それがぜーーーんぶなくなって、
ただのパソコンの画面越しになって、
なんだか大学に裏切られた気分になった。
もちろん、大学が何かをしたわけじゃない。
悪いのはコロナだ。だけど、
私には、高校生の妹と小学生の弟がいる。二人ともコロナ前と同じように登校し始めていた。
最近二人は口をそろえて、「お姉ちゃんはいいよな。毎日家にいられて。」と言う。
それでも。
好きで家にいるわけじゃない。
わたしは、毎日学校に行って直接授業を受けて、友だちと会って笑って話して…そんなあんたらが羨ましいよ。
…これがないものねだりってやつか。
わたしのターンになると母は、
「まだ一回も大学に行ってないのよ。あんなにバカ高い学費を払っているのに…。一度も行ってないのはなんだかね。おまけに、もうそろそろ後期の学費の請求が来るのよ。」
母と歩いていた時、バッタリと近所に住む叔母と会った。その時も母は、
「まだ一度も大学に行ってないのよね。バカ高い学費払ってるのに…。」
友人の母と会った時も、
「施設費くらい割り引いてくれるとかないのかしらね…。バカ高い学費払ってるのに一度も行ってないんだから。」
どれだけ学費が高いかも知っているし、奨学金も利用しているし、何より、学費を払ってくれているのは仕事をしてくれている父と母だ。だから学費がどれだけ家計の負担になっているかも知っている。「バカ高い学費を払っているのに一度も行っていない」というのは事実だ。
でも、
必ず、
それをいう時に、
母は、わたしの方をチラリと見ながら言う。
わたしが一体何をしたっていうの?
学費を払ってくれているのはお母さんたちだが、わたしは別に一回も行かなくなるようなことはしていない。
なのになんで毎回、そんなふうにわたしを見ながら言うの?
一度も登校してないくせに、高すぎる学費を払わなきゃいけない、それに納得できない気持ちはわかる。
それが学費を払ってくれている側なら尚更だ。
でも、
わたしは何もしていない。
でも、
お母さんがそう言うたび、
わたしは肩身の狭い思いというか、
なにもしてないのに。
なにかしたいのに。
即答で行きたいと答える。
でも、
と言われたら渋ってしまう。
大学が始まることで、
コロナが増えてしまうのではないかという心配があるのは分かっているし、
今までの小、中、高とは違い、
大学は様々なところから本当にたくさんの人が集まる特殊なところだ。
だから、
この状況でどうして旅行OKなのかいくら考えてもわからないことなのだが。
ただ、こんな中でも不幸中の幸いだったこともある。
わたしの周りには、とりあえず何かあったら助けを求められる家族がいて、バイトのおかげでどうにかわたしの経済は停滞していない。
しかし、上京してきた人や、一人暮らしを始めた人ならどうだろうか。
同い年なら確実に、オンライン授業を受けて、
だから、
大学に登校させてほしい、とかそうじゃなくて、
とにかく、
わたしは、この状況をどうにかして欲しい。
鬱になっている人もいる、というニュースを見たが決してそれは他人事ではないと思う。
この生活は想像以上に辛い。何のために受験を乗り越えたのか…。そりゃ希望も失うわ。やる気なくすわ。だって先が見えないんだもん、全く。
一周回ってもう開き直った。
大学がオンラインで授業を展開する気なら、こっちだってとことん家授業を満喫してやる!!!
寝起きのまんま、パジャマのまま授業を聞いてやる!
(カメラを使わない授業のため)
アイスを食べながら授業を聞いてやる!
夜中に課題提出してやる!!
サーバーダウンしたらその日は授業聞くのやめてやる!(結局週末に授業が溜まることになる)
夜中まで夜更かししてやる!!
自己紹介がしっかりあるまで、教授の名前を覚えることをやめてやる!!!
来年の新入生と一緒に、オリエンテーションやガイダンス受けてやる!!
これくらいの受け身でいかないと、動画を見てる最中に無になってしまい、気がついたら動画が終わってる、ということがあった。
正直、いつまでこれが続くか不安だ。資格を取るための大学なので、こんな動画で学びが身についているのだろうか、とか、自分一人だけだから学びが広げられないんじゃないかとか。
まあ、もう考えても仕方ないことをこの5ヶ月で知った。
そんなこんなで、わたしが入学してから5ヶ月目が来ようとしている。
一度も大学に足を踏み入れたことがない大学一年生がどう思っているのかを書いてみた。
登校してる人もいるかもだし、全く違う考えの人もいるかも知れない。なので、あくまでこれはわたしの思い。