はてなキーワード: 学術とは
広報はかなり心理学的要素がからむから、桃山レベルに達してるのなら意味が無くはないとは思うけど。
流石にF欄とかだとキツイかもしれんが、中堅ならかなり意義は有ると思う。
そもそも、偏差値55程度ならわりと学術方面もいないこともないと思う。東大院へロンダとかも現実的な階層だし。
あと、アカデミックを目指すにあたって習得した内容を、色んな形で活かす職業もあるにはあるんだからそういう方面をもっと強調するべきとかそういうのは思う。
アカデミック・ポストを目指してる人なんて最難関大学でもそう大量にいるわけでも有るじゃなし、
単純にアカデミック・ポスト「だけ」がアカデミックの結果としてしまう思想自体をどうにかしたほうが高等教育の意義ってのは深まると思うんだがなあ。
https://anond.hatelabo.jp/20170830160906
国内の某大学理数系学科を卒業後、欧米の研究機関にて計算科学の分野で博士号を取得。世界的なジャーナルに多数の学術論文が掲載される。欧米の大学院でしばらく教鞭についた後、某外資系投資銀行にクオンツとして就職。現在、国内外のヘッジファンド等のクライアントや社内のトレーダーのために、金融工学を駆使した計量モデルの研究・開発に従事している。
欧米の研究機関にて、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を発表した。その後、外資系投資銀行に転身し、マーケットの定量分析、トレーディングなどに従事。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』(ダイヤモンド社)、『「反原発」の不都合な真実』(新潮社)がある。
欧米の研究機関にて、計算科学、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を世界的なジャーナルに発表する。その後、外資系投資銀行に転身し、経済動向の予測、リスク管理、トレーディングなどに従事している。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』(ダイヤモンド社)がある。言論サイト「アゴラ」のレギュラー執筆陣のひとり。
・新潮社
藤沢/数希
欧米研究機関にて、計算科学、理論物理学の分野で博士号取得。その後、外資系投資銀行で市場予測、リスク管理、経済分析に従事しながら、言論サイト「アゴラ」に定期寄稿する
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人。著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『「反原発」の不都合な真実』、『外資系金融の終わり』、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などがある。
藤沢/数希
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人。著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『「反原発」の不都合な真実』、『外資系金融の終わり』、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などがある。
・アゴラ
理論物理学、コンピューター・シミュレーションの分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究職に就いた後、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。また、高度なリスク・マネジメントの技法を恋愛に応用した『恋愛工学』の第一人者でもある。月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人。ツイッターのフォロワー数は7万人を超える。
アベノミクスの終わり~13年
理論物理学、コンピューター・シミュレーションの分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究職に就いた後、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。また、高度なリスク・マネジメントの技法を恋愛に応用した『恋愛工学』の第一人者でもある。月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人。ツイッターのフォロワー数は7万人を超える。
リスクマネジメントを売りにしている。
・幻冬舎
ぼくは愛を証明しようと思う。~15年
物理学Ph.D. 海外の研究機関で計算実験の研究、外資系投資銀行でトレーディング業務などに従事した後、作家、投資家として独立。日本、アジア、欧米諸国の恋愛市場で培った経験と学生時代より研究を続ける進化生物学の理論、さらには、心理学や金融工学のリスクマネジメントの技法を取り入れ「恋愛工学」という新しい学問を創出。日本有数の購読者数を誇るメールマガジン「週刊金融日記」では恋愛工学の最新の研究論文が発表され、メンバー間で活発に議論が行われている。名実ともに日本最大の恋愛研究コミュニティである。 著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』『外資系金融の終わり』(以上、ダイヤモンド社)、『反原発の不都合な真実』(新潮新書)など。
藤沢/数希
物理学PhD。海外の研究機関で計算実験の研究、外資系投資銀行でトレーディング業務などに従事した後、作家、投資家として独立。日本、アジア、欧米諸国の恋愛市場で培った経験と学生時代より研究を続ける進化生物学の理論、さらには、心理学や金融工学のリスクマネジメントの技法を取り入れ「恋愛工学」という新しい学問を創出
自称投資銀行クオンツ・マーケティング・トレーディング実際はアムロ銀行バックオフィス、
自称物理学だが専攻はシミュレーション・計算実験を利用した計算科学?
リスクの扱いが売り。
https://anond.hatelabo.jp/20170829145058
国内の某大学理数系学科を卒業後、欧米の研究機関にて計算科学の分野で博士号を取得。世界的なジャーナルに多数の学術論文が掲載される。欧米の大学院でしばらく教鞭についた後、某外資系投資銀行にクオンツとして就職。現在、国内外のヘッジファンド等のクライアントや社内のトレーダーのために、金融工学を駆使した計量モデルの研究・開発に従事している。
欧米の研究機関にて、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を発表した。その後、外資系投資銀行に転身し、マーケットの定量分析、トレーディングなどに従事。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』(ダイヤモンド社)、『「反原発」の不都合な真実』(新潮社)がある。
欧米の研究機関にて、計算科学、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を世界的なジャーナルに発表する。その後、外資系投資銀行に転身し、経済動向の予測、リスク管理、トレーディングなどに従事している。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』(ダイヤモンド社)がある。言論サイト「アゴラ」のレギュラー執筆陣のひとり。
・新潮社
藤沢/数希
欧米研究機関にて、計算科学、理論物理学の分野で博士号取得。その後、外資系投資銀行で市場予測、リスク管理、経済分析に従事しながら、言論サイト「アゴラ」に定期寄稿する
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人。著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『「反原発」の不都合な真実』、『外資系金融の終わり』、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などがある。
藤沢/数希
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人
理論物理学研究者、外資系金融機関を経て、作家。「金融日記」管理人。著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『「反原発」の不都合な真実』、『外資系金融の終わり』、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などがある。
・アゴラ
理論物理学、コンピューター・シミュレーションの分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究職に就いた後、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。また、高度なリスク・マネジメントの技法を恋愛に応用した『恋愛工学』の第一人者でもある。月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人。ツイッターのフォロワー数は7万人を超える。
アベノミクスの終わり~13年
理論物理学、コンピューター・シミュレーションの分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究職に就いた後、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。また、高度なリスク・マネジメントの技法を恋愛に応用した『恋愛工学』の第一人者でもある。月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人。ツイッターのフォロワー数は7万人を超える。
リスクマネジメントを売りにしている。
・幻冬舎
ぼくは愛を証明しようと思う。~15年
物理学Ph.D. 海外の研究機関で計算実験の研究、外資系投資銀行でトレーディング業務などに従事した後、作家、投資家として独立。日本、アジア、欧米諸国の恋愛市場で培った経験と学生時代より研究を続ける進化生物学の理論、さらには、心理学や金融工学のリスクマネジメントの技法を取り入れ「恋愛工学」という新しい学問を創出。日本有数の購読者数を誇るメールマガジン「週刊金融日記」では恋愛工学の最新の研究論文が発表され、メンバー間で活発に議論が行われている。名実ともに日本最大の恋愛研究コミュニティである。 著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』『外資系金融の終わり』(以上、ダイヤモンド社)、『反原発の不都合な真実』(新潮新書)など。
藤沢/数希
物理学PhD。海外の研究機関で計算実験の研究、外資系投資銀行でトレーディング業務などに従事した後、作家、投資家として独立。日本、アジア、欧米諸国の恋愛市場で培った経験と学生時代より研究を続ける進化生物学の理論、さらには、心理学や金融工学のリスクマネジメントの技法を取り入れ「恋愛工学」という新しい学問を創出
自称投資銀行クオンツ・マーケティング・トレーディング実際はアムロ銀行バックオフィス、
自称物理学だが専攻はシミュレーション・計算実験を利用した計算科学?
リスクの扱いが売り。
https://twitter.com/tm2501/status/893538176467324929
人間に「穢れ信仰」と「所有欲求」と「性欲」がある限り、合理的かつシステマティックな恋愛は不可能です。
この3つがパートナーにも本人にもない時にしか、純粋な経済共同体としての夫婦って成り立たないから、「恋愛の問題考える時に、金とビジュアルの話ばっかするのは、違うくない?」と
ある関係性が「任意の名前」である/ない、がそう二分法的にはっきり言えるものではないだろう、というのがいつもあなたにぶん投げたい言葉なのだけどまあ常に大体届かないのもわかってきてるんだよ。 https://t.co/HsAlhkvTr3— きみたり/君足巳足 (@kimiterary) 2017年8月4日
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逆もまた真なり(分類上恋愛だと言われるものだけでは恋愛が存続できない)もわかるけどさ…みんなが考えてることをいちいち言わなくてもいいかな…と。
件の「嘘か祈り」問題じゃないけど、本気でそれが本当だという人はいなそうだから、もっと嘘と祈りを言えば?とね。
本当に本当に本当に、強い強度でそうだといい切ってる人なら、止めませんよ?
ただ、大体の人は観測範囲が狭いとか、経験がないとか、頭が回らないとかで汚染されてるケースが多いからねぇ…。
少数派や中間的な意見の存在を汲み取ってないのではなく、多くの人がかかっていそうな洗脳に配慮してる
@tm2501さん
だから否定されているものを見ると反射的に肩入れしちゃうわけ。もしかしたらそいつ、めちゃくちゃ愛らしい何かだったりしたらどうする?っていう。どうもしねーよってとこだろうけど、おれは愛らしかったら撫でたりする。
そんなところだろうと思ったけど、確認できてよかった。読みながら「天邪鬼やな」と思いつつも、「これって一定数いるなら配慮して書いたほうがいいんだろうけど、どうなんだろう?」みたいな不安もあったから論戦に乗ってみたけど、まぁ…最初の印象通り前者やね
@tm2501さん
天邪鬼って言われちゃうとなんか寂しいけどね。まあ現実見てないのはそりゃそうだよだって目の前にいるわけじゃないし。目の前にいないものなんて全部フィクションだし思った通りだし思いもしなかったものにもなるしそんなもんだよ。ていうか見えてる世界が違うんだよ要するに。あなたが恋愛と呼びたいものとは全然違うものを恋愛と呼びたい人もいて、それで何が悪いの?って。動物に恋愛できる人も無生物に恋愛できる人も私は神様に子供を授かりましたみたいなのもその人が恋愛と呼ぶならその人と話すときはそれが恋愛なので。
哲学基準やねぇ…。そんなん言い出したら、辞書や学術的な用語が成り立たなくなるからそういうものはあんま認めたくない(逆に自分が間違ってた時はそっちに合わせる)けどねぇ
@tm2501さん
多くの人がかかってる洗脳のことはきっと多くの人が話してるしまあその人らは洗脳だと思ってないんだろうけど、だからってそこにそれ洗脳だぜ?って突っ込んでくのは端的に野暮じゃないの?とは思う。わたしせんのうされてるきがするの、ってあなたのところに逃げてきた誰かに言うならともかくさ。辞書は便利だけど辞書のために誰かと話すわけじゃないし辞書と違う言葉の使い方の人間が目の前にいたってまあなんとか頑張ったらそれなりに話せると思うし一度頑張ってみればいいと思うんだよ。
実際、そういう人がよく来るから、それを投影して書いているんだけどね。あまりにもありもしない強迫観念に突き動かされてる人が多いし、僕自身そういう時しんどい方に自分から行っちゃってるし
@tm2501さん
一対一の関係では多分誠実って言葉が似合うんだよそれ。でも一対多の誠実は、決めつけないことの方だと思うんだよな。私はあなたの味方です、と私はこういう人の味方です、の違い。
別にどっちも悪じゃないけど、印象が同じとも思わない。
ああ、でも最初に書いた「内在的恋愛と外在的恋愛」あるいは「恋愛における内在的要素と外在的要素」に関しては、結構一般論として考えてるつもりではあるんだけどね。まあ会った時にでも話そうこれは。
というか「私はあなたの味方です」というのにたいして、青二才は「私はこういう人間の敵です」「私はこういう人間を謎の上から目線で見下します」っていってるわけ。よりたちが悪いのだけれど、青二才は一生理解できない。馬鹿だから
卵子のもととなる原始卵胞は日々減っている
卵子を育てる袋(卵胞)には、もととなる原始卵胞というものがあります。
女性は、生まれる時にはこの原始卵胞を卵巣に約200万個蓄えています。
そして、生まれてから月経のはじまる思春期頃には、約170万個から180万個が自然に消滅し、 思春期・生殖年齢の頃には約20~30万個まで減少します。
それでもまだ減少は止まる事はありません。
その後も一回の月経の周期に約1000個が減少しており、1日にすると30~40個が減り続けているとされています。
原始卵胞は、まるで砂時計のように刻一刻と落ちていき、なくなっていくのです。
原始卵胞は、砂時計のように刻一刻と落ちていき、なくなっていくのです。
のこりの卵子は、あといくつ?
原始卵胞は、数に限りがあります。
生まれる時の約200万個という数も、思春期には約20~30万個へと減少し、その後は1ヵ月に約1000個の原始卵胞がなくなっています。
このことから、現在の年齢からある程度の原始卵胞の想定数が計算できます。
境界例と境界性パーソナリティ障害の区別も付いてないレベルの素人がそれっぽく考察してみたらしい記事。
用語の区別がついてないところからも分かるように、元増田は間違いなくBPDに関する専門書(医学書)を読んだことはないだろう。
正しい知識を広めるならまだいいけど、ただ自分が思っただけのことを専門家っぽく書くのはやめてくれ。
「この文章は素人が思いつきで考えたことを書いただけで学術的な根拠は一切ありません」とアホなはてなーどもにも分かるように書いてくれ。
『境界例の人たちはじゃあどうすればいいのか』以降の文章なんて完全に精神論じゃねーか。治療法や症状の発展と経過や一般的な予後について教えてやれよ。
ていうか日本や欧米各国でBPD治療ガイドラインが出てるんだからそれに準拠しろっての。
あんたの記事を読んでまたはてなーどもが「参考になるなー」とアホ面でコメントするんだろうな。
はぁ、頭痛がする。
https://anond.hatelabo.jp/20170715180955
↑連邦議会・党試案 2
「連邦」は大洋に囲まれた大陸国家である。その大陸では唯一の政府機関。
≪下院の説明≫
≪上院と地方自治の説明≫
連邦州ごとに異なる。
概ね…。
大きな州:3議席、中小の州:2議席、連邦市州:2議席、準州:1議席が与えられる。
選挙制度:自治体(州など)の議会(州議会)にて、連邦評議会の議員を選出する。
②人口が少ないなどの理由で、連邦州に昇格できないが一定の自治を有する「準州」(連邦政府の一定の監督を受ける)。
③連邦政府と「条約」を結んで、傘下に入った「連邦加盟共和国」。
…の三形態がある。
連邦に拠点を置く旧世界(北西大陸及び南超大陸など)の「亡命政府」や
地域の「少数民族集団の代表組織」がオブザーバー(投票権がない「組織」)として
評議会への参加を認められている。
ちなみに各々第一級自治体の議会構成も「連邦」のミニチュア版に近い。
自治体ごとに多少差はあるものの、全ての第一級自治体に「二院制&諮問機関」の形態が存在する。
→第一級自治体・連邦構成主体(連邦州、連邦州、準州、連邦加盟共和国)
地方警察の設置、社会保障の枠組み作り、租税の徴収や公共交通機関や大規模な都市計画などの複合的な公共事業を行う。
→→第二級自治体・地域中核自治体(市政府、郡政府、自治区政府≪少数民族集団の自治区≫)
中核自治体。州政府の干渉が強い群政府と干渉が弱い市政府、そして自治区政府に分けられる。
多くの場合、市政府は人口の多い区域に成立する。群政府は人口希薄区域に多い。
都市計画や選挙事務、大規模な公共施設の管理運営など基礎的な業務を行う。
自治区政府のみ州政府と調整の上、民族区警察を置くことができる。
→→→第三級自治体・基礎自治体(市の区部、郡部の町や村など)
基礎自治体。身近な行政サービスを行う。窓口業務やゴミ出し、インフラ管理、小さな公共施設の管理など。
他には、ある特定の行政目的のために複数の自治体が共同で設立した「特別行政区」がある。
指定組織:連邦議会及び連邦評議会の議決(3分の2以上の賛成)を経て「指定諮問資格」が与えられた組織。
の三種類がある。
→一例
労働組合、産業・商業団体、金融団体、生産者団体、専門職団体。
上記の組織は「指定諮問組織」として議会から諮問を受ける場合が多い
ただ、必要に応じて「指定組織以外の組織」も諮問されるケースもある。
(それ以外の組織も出すことは出来るが…。)に出すことが出来る。
連邦議会内のうち「3分の2以上の賛成」
がなければ、指定を取り消されることはない。
諮問は重視されるが、あくまで「結論は連邦議会の採決によって決定」される。
特別指定諮問組織は連邦議会内では、連邦議会の「諮問・補助」に徹しなくてはならない。
この仕組みは、コーポラティズムから(或いは職能代表制)影響を受けている。
≪議会制度のまとめ≫
下院優先主義。
上院と下院で意見が分かれた場合は、下院で再度議論がなされた後に決がとられる。
下院のみ解散が可能。
解散できるのは議会自らか、政府のみ。解散後速やかに再選挙が行われる。
≪主要政党≫
社会民主党、立憲民主党、緑風共生会議:387(217+107+63)
→民主主義・社会民主主義・自由主義・立憲主義・福祉国家・緑の政治
・進歩主義・ハト派・中くらいの政府・社会包括主義・連帯主義・共生主義
→→労働組合員、各種業界団体(特に社会福祉、教育、出版、芸能系)
(国政の最大与党。
左派リベラル各党が保守党に対抗すべく、3党が協定を結んだ政党連合の形をとる。
3党の中ではそれぞれ党内自治が行われているが、重要法案の際に同盟の中で党議拘束をかけられる。
「同盟」は福祉国家を目指した上で、経済の自由化を目指すことを表明している。
支持母体は自由主義・中道主義系の労働組合や宗教団体や商工業団体。
一部、穏健保守層や役人の支持もある。
支持母体は市民運動、左派系知識人、芸能団体、教育者団体、生産者団体など。
環境主義や農民主義のほか、社会的弱者の保護、多文化共生社会、脱物質主義を掲げている。)
保守共和党:301
(→保守主義・自由主義・共和主義・タカ派・地域分権・小~中くらいの政府
→→宗教保守系、農民団体、各種業界団体(特に建築、発電、製造、輸送、観光など)
(最大規模の野党。
連邦の地方都市や郡部で特に勢力が強く、全国広くに地域支部を持つ。
支持の中心は社会秩序を維持したまま、経済的な自由を促進したい者たち。)
:主要政党 計688議席
≪中堅政党≫
・「自由改革の集い」
自由改新党:42
→中道右派・新自由主義・市場原理主義・自由競争の原理・ベーシックインカム
・中央集権と小さな政府・表現の自由と科学の発展・公共事業の最小化
→→ベンチャー起業家団体、科学者団体、都市部住民、ポピュリスト。
右派の旗を掲げて、保守層に接近している。都市部で支持を固める。
保守党に接近しつつ、自党のテーマを浸透させるのが現状の目標。
リバタリアンの要素もあるが、保守層の理解を得るためその要素をなるべく隠している。)
・「緑の協同体」
大きな政府、協同組合の普及、市場の一部統制、持続可能な全国一律の開発。
連邦協同党は大都市や地方都市、社稷緑風党は郡部に基盤を持つ。
「反新自由主義」の観点から、自由改新党とは互いにけん制し合っている。
民主中道同盟とは関係が深い。事実上の統一戦線を組んでいる。)
・「人民戦線」
:30(23+3+3+2)
→社会主義、共産主義(愛郷同盟は保守・地域主義)・急進主義・労組組合経済論
非正規の組合、衰退した地方層、マイノリティ、アングラや前衛系文化団体。
(「人民戦線」は議会中心主義を掲げているが、しばしば街頭で直接行動も行う。
ただし要所では協力する。
全体的にアクティビストの連合と言う面が強い。
①「人民共産党」は左派貧困層やマイノリティ、反主流派の知識人から熱い支持。
主に都市部からの支持が目立つ。支持母体は急進的な労働組合、退役軍人組合
農民団体、中小企業の商工団体など。都市部に多くの拠点を持っており
支持母体と共同する形で、救貧活動や労働運動などの社会活動も直接行っている。
もともとは「旧社民党」の中で「急進主義」を掲げる者か離党して結成した政治グループ。その後、他の左派の小規模勢力が合流したため政党化した。旧党名は「急進社会党」。「人民戦線」結成を機に党名を変えた。
いくつかの加盟組織の会議体という面もある。
相互扶助や啓発のため、シンポジウムや相談会を良く開いている。
③「愛郷同盟」は、地方政界や一部の右派を取り込むために活動している。
宗教や農民団体との関わりも強く、時には保守系との橋渡しも行う。
④アングラ系のアート集団や知識人、あるいはより個性的なアクティビストの
支持を取りまとめるのが「雑民の党」。彼らは「表現の自由」にも力を入れる。)
中堅政党:計104議席。
≪小規模政党・独立系≫
地域主権合同党:14(12の州で加盟組織が活動中。内、9の州の加盟組織から議員を輩出)
→右派左派混合・主権の地方委譲(徴税権の地域政府への大幅譲渡、地域政府の限定的再軍備)
→→地域主義者、地域系労組、地域系商工組合、地域独立を望む住民。
(地域政党の集まり。反中央集権、地域分権を掲げる。イデオロギーは保革混合である。
「党」よりも加入した連邦議員(或いは地域政党)の緩やかなネットワーク団体に近い。
ただ、党内連合会議は存在しており、最低限度のルールの尊重は義務付けられる。)
独立系議員団「民主中道同盟」海賊党・公正連合:17(13+4)
・表現と情報の自由・民主共助・へき地福祉支援・公正主義・中くらいの政府・社会自由主義・共生主義
独立系業界団体、独立系右派労組、保守系革新層、ポピュリスト。
自由改新党とは互いにけん制し合っている。
緑の共同体は党議拘束がある。こちらには「原則は存在しない」のが特徴。
立場上は「政党」となっているが、事実上の「保守、中道系の無所属系議員の連合」
と言う意味合いが強い。
海賊党を会派に引き込んでおり、左派や若者の支持も集めている。)
・「第三の道」
国家革新党:10
→国家社会主義・国民団結主義・大きな政府と中央集権・反移民政策
→→独立系右派労組、独立系業界団体、神秘主義者、革新アート系、傍流系地方農家
(いわゆるネオナチ。
派手な示威行動のなかで「国民団結主義」と「我らの敵の存在」を呼びかける。
計41議席。
社387+(閣内協力:協32+民17)+(部分協力:人30):466議席
保守301+自改42:344議席
第三の道:10議席
436議席の場合も。
→→準与党:人:計30議席
・地域政党:14議席(地)
各議員の自由度が大きく、党員拘束はされない。)
・野党:343+10議席(保改・国)
:計833議席(過半数:417議席)。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/結婚飛行
なんじゃこれ
半分以上英語じゃねーか
こんな手ぬき記事初めて見た
こんなページがなんの問題視もされてないってどうなの
確認したら2015年12月に途中まで訳されて以来今まで全くの手付かず状態みたい
やっぱ日本語版ウィキペディアで力入れられててよく編集されてるのは漫画アニメと芸能関係のページだけで
ウィキペディアの漫画アニメ記事は「あらすじ」の欄が長文で第一話から最終回の内容まで全部書いてしまってひどいネタバレになってたり
萌えアニメだとキャラ一人に対する説明も一話ごとのエピソードをいちいち詰め込んでかなり長文になってネタバレが酷いとか
そんなのが多いので気持ち悪い
そこにそんないらないパワー使うんだったら
ネットを見てていつも思う
日常会話の中でざっくりしたゆるい定義の話をしてるときに例外ばかり語って定義に完全性を求めるのってやっぱりコミュ障なんだろうなと。
完全な定義などないのに、「お前の定義は完全ではない」というのが反論になると思っているらしい。
定義において重要なのはそれが日常生活の言語による伝達という行為において十分通用するかどうかという実用的な視点であって、それが完全か不完全かというのは学術的な文脈でもなければ二の次というか、そもそも完全はありえないのだからそんなことを考え始めるのは哲学者に任せておくべきで、一般的な対話相手にそういった態度を求めるのは不毛だと思う。
「りんごは赤い」という何気ない会話に対してオタクは「赤くないりんごもある!」と言って勝った気になる。自分は誰もよりも頭がいいと思っている。
たしかに赤くないりんごもあるが、こういう発話において意図しているのは、「日本で売られているりんごはだいたい赤くて、りんごといえば日本では一般的に赤色のイメージが共有されている」程度のゆるい話。その定義においてはもちろん「赤くないりんごもある」という例外も両立可能。
オタクはいつも完全性を相手に要求してくる。「お前の定義は完全ではない!」→「したがって俺の勝ちである!」
これって要するに対話を拒否していて、現実的に地に足のついた話をしていこうという意思がないってことなんじゃないか。
「今日は晴れだね」
「晴れの定義を言え。今見えてる空には雲があるぞ」
「雲がまったくない状態はもちろん晴れだけど、雲が多少あっても晴れなんだよ」
「じゃあ晴れとくもりの境界線はどこになるのか。空の何パーセントが雲に覆われればくもりなのか」
「日本では9割以上が雲なら曇りというらしいね。じゃあ今日は晴れだ」
「それはおかしい。俺は向こうの空が快晴でもこっちは土砂降りという経験がある。お前の定義だと空に50%しか雲がない土砂降りでも晴れということになり得る。それにお前は今9割などと言ったが、雲の量が89.9%のとき晴れで90.1%のときくもりだというのは感覚的に考えて明らかにおかしい。おれはその違いを認識できない自信がある。お前は馬鹿だ」
http://anond.hatelabo.jp/20170606174324
『原発は安全』な神話も御用学者によって"作られ"てきた。そして事実は暴かれた。メルトダウンによって。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%A8%E5%AD%A6%E8%80%85
現代における用法を定義することは難しいが、学術的な調査を改竄ないしは恣意的に解釈し、権力者や統治者、ないしは依頼者に都合の良い結果を導き出す者がこう呼ばれる。一方で、権力者などへの批判側が恣意的な解釈に基づき自らに都合の良い結果を導き出していることを指摘・批判する学者に対して、反権力側がレッテル張りとして用いる場合もある。
現代日本においては水俣病の例が嚆矢である。1956年(昭和31年)、熊本大学医学部の研究チームにより、有機水銀原因説が有力視されたのだが、同年11月12日には厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出したところ、厚生省は翌13日に同部会を突如解散。1960年(昭和35年)4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄・日本医学会会長を委員長とする「田宮委員会」を設置。後に熊本大学医学部研究班も加わることとなった。有機水銀説に対する異説として清浦雷作・東京工業大学教授らがアミン説を発表し、彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため、原因は未解明という印象を与えた[1]。
詳細はナイロンザイル事件を参照のこと。1955年(昭和30年)、日本の登山者がナイロン製のクライミングロープ(以降ロープと記述する)を原因として死亡した。ナイロンは引張りについては従来の麻のロープよりも遥かに丈夫だが、鋭利な岩角などに擦れた場合には容易に切断される。これはすぐに明らかになったが、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治は、事前の実験でザイルが容易に切れることを確認した上で、公開実験ではあらかじめザイルが接触するコンクリート製のかどにヤスリがけをして十分な丸みをつけた状態で、作為的な実験を新聞記者等の前でデモンストレーションしてみせ、ロープメーカーの東京製綱および日本山岳会と共謀して、犠牲者に対する誹謗中傷運動を山岳雑誌・化学学会誌などで長期にわたって続けた。法改正で安全規格が定められ交付されたのは1975年(昭和50年)、最初の事故以降に確認されているロープの欠陥による死者(通産省の調査した範囲内での数字)は、20人を越えるとされる。なお、偽装実験をマスコミの前で実行した篠田軍治は、日本山岳会の名誉会員推薦により、1989年(平成元年)に評議委員会の全会一致で同会の名誉会員になっている。
哲学者の山脇直司東京大学教授は、安保理決議のないままブッシュ政権主導で2003年3月イラク戦争が始められたことへの日本政府の対応について、「アカデミシャンとしての私が今一番一番懸念していることは、アメリカを無邪気に支持し、フランスなどを非協力と言って批判する小泉首相や川口外相のお粗末きわまりない答弁の背後にいる『外務省お抱えの御用学者』の存在です。」「外務省お抱えの『御用学者の知的退廃』を暴く必要を今痛感しています。」[2]と書いている。また、2003年12月からの自衛隊イラク派遣を決定する過程について、政治学者でイスラーム教シーア派に詳しい松永泰行日本大学助教授は「私の知る限り、政府は研究者の実力よりも、政治家や官僚の都合で彼らが望むことを言ってくれる御用学者を起用している」と述べた[3]。
日本たばこ産業に研究費を支援してもらうかわりに、タバコを擁護する発言を行うなど、消費者の健康よりも特定企業の利益を優先するような行為をしている学者を指して使われた事例がある。[4] また、メーカーから多額の研究費を受け取っていたために、タバコと乳幼児突然死症候群との関係があるという論文が、根拠が乏しいというように書き換えられてしまったとの指摘が存在する[5]。 タバコ産業等からの研究助成については学界において問題視されており[6][7]、2003年10月22日に日本公衆衛生学会は学会員に対し「たばこ産業及びその関連機関との共同研究、及び同産業等から研究費等の助成を受けた研究を行わない。」との行動宣言を発している[8]。また、国際的にもたばこ産業による研究助成等について全面規制を求めるたばこ規制枠組条約のガイドラインが追加採択されている[9]。
今日の現実の社会の中では、例えば有力な学者が政府の公共事業などの施策に対して、自己の信念に基づく意見、思想を審議会などの場で反映させる為に、そうした機関に呼ばれる立場を確保するべく、ある種の手練手管として、権力へのおもねりと自己の真の主張を両天秤にかけながら駆け引きをする場合がある[10]。そのため御用学者か否かの線引きは困難な側面を有する。駆け引きに失敗して結果として権力へのおもねりの手練手管を権力に利用されるだけの結果となったときには、結果として御用学者呼ばわりされてやむを得ない側面がある一方、駆け引きに成功して自己の信念を政策に反映させることに成功した場合には、反骨の策士と評価される場合もありうる。また原子力発電の分野では、研究に多額の費用がかかることから権力におもねり、「安全神話」のお墨付きを与えることで電力会社等の支援[11]を受ける例があり、このもたれあいの関係を「原子力村」[12]と評される。
47条の7については
さらに、(d)電子計算機による情報解析が著作物複製・翻案の目的であれば足り、必ずしも電子計算機による情報解析が実際に行われることは必要ではありません。
引用元:【JRRCマガジン第26号 連載記事|JRRCマガジンバックナンバー|公益社団法人日本複製権センター(旧名:社団法人日本複写権センター)】 http://www.jrrc.or.jp/topics/detail/20140829103825.html
複製はOKだけど公衆送信NGらしいけど、データそのものを公開してる訳じゃないのでこれもたぶんセーフ。
で、47条7自体が、もともとの著作権法だと分析目的の全文使用は学術的目的であっても法に触れるので例外規定を設けましょうね、って追加された条文らしいので、「引用に当たるか」については「引用の範囲を超えている(ただし別の条文で認められた使い方なので著作権法違反にはならないだろう)」となりそう。
参考:【情報解析と著作権】 https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/55/6/55_434/_html/-char/ja/
条文には使用していい範囲についての但し書きがないけど、もし裁判になった場合は、使用するデータの妥当性によって47条の7が適用されるかどうかが争われたりするのかな?そこまではよくわかりません。
もちろんまっとうな尊重の上での引用、文脈に沿った引用ならよい。判決でも3要件はこれを暗にさしている。
・著者への尊重はない(そもそも目的外使用の許可も取ったことはない)
・AIに判定させるデータに使うのはそれは鑑賞なり解釈しようとした上の「引用」どころか加工、「改変」なのでは。
どこかでみかけたたとえだが、「幼稚園児の書いた母の日の絵を、(勝手に持ってきて)保護者の肥満認定に使う」くらい本来の鑑賞目的からはなれている。
いうまでもないが、母の日の絵は母親を喜ばせようと幼稚園児が必死に書いたものなのだから、当の母親の目線でのみ読み取るべきであって、他のいかなる立場の人が感想を述べようと鑑賞目的からはずれる可能性が高い。
かろうじて(たとえば小児科医や育児書の編集者が本に沿える目的で)引用してよいとしても、まず母(子供の保護者)から使用目的を精査し許可をとらなければならないのは常識だろう。勝手に見も知らない子の書いた絵について「この絵は〇〇障害の兆候」とかレッテル貼りをしてしまう目的なら合法引用といいはるのは無理だ。著作権よりプライバシー権が上回る。
というわけで学術目的にも使えるはずの32条ってそんなに万能で便利な条文ではないことがちょっと考えればわかる。
だから今回のピクシブからサンプルをかっぱらってくるやり方についてはまっとうな学者からも「何してくれた」と異論が多数出ている。
これも蛇足中の蛇足だが、二次創作での批判がまったく受け入れられないわけではないが批判への対応のメジャーなタイプは
「私にとっての神作品に文句つけるなんて神の二時創作意欲がなくなったらどうしてくれる。
私の生きる気力に直結してるんで帰れ。
帰らないならこっちが神の移住についていく。
どうしてもっていうなら自分でもっと萌えるやつ書いて同プラットフォームに投稿して神を超える閲覧・いいねを稼げてから出直せバカ」。
公表された(と見なすべき)作品を自由に利用できるかどうか、そして作者に不快な感情を抱かせる利用形態についてどう対処すべきか、実用的な面から考えてみたい。
http://hibi.hatenadiary.jp/entry/2017/05/28/130000
上記の記事では、「公開」「半公開」というカテゴリを作り、後者の「ネット上にあって、閲覧資格を制御することによって、公開のあり方に制限がかかっている」場合には配慮が必要だとしているけど、ポイントはそこではなく、「個人のコンテンツ作成者が公開状態を自由に制御できる」という点ではないだろうか。「公開」「非公開」を自由に制御できるというウェブサイトのあり方は、学術の世界の中ではあまり想定されていなかったことで、現時点で有効な対処が出来ているとはいいがたい。
例えば、
http://anond.hatelabo.jp/20170525145352
NHKウェブ版の記事を引用するときとか、政治家の人のホームページを引用するときとか、めちゃくちゃ大切な情報が書かれている個人ブログを引用するときとか、くっそ面白いウェブ小説を文学作品として研究するときとか、Wikipediaにデタラメが書かれているから批判したいときとか、そういう個々のコンテンツそれ自体に価値があって第何版を見たのかが大事なときにはURLは必須だし閲覧日も載せるべきです。
これは至極真っ当だし大抵のガイドラインにもそう書かれていると思うけど、Wikipediaみたいに過去の版にアクセス可能なウェブサイトでもない限り(=ほとんどのウェブサイトにとっては)、意味が無い。過去にどういう情報が掲載されていたとか実質的には検証不可能だからね(魚拓を取って魚拓のURLを載せるとか、著作権法的に大丈夫なんだろうか)。個人が個人の責任において公開するコンテンツにおいては、「気持ち次第」で公開を取りやめてしまうケースだって考えられるわけでしょ(もちろん企業のウェブサイトにおいても考えられるが、ここでは取り扱わない)。だから、研究に使用することによって「非公開」(=利用不可)とならないように許可を取るべきではないだろうか。
このような考えは、例えば「腐女子にとって二次創作小説は著作者の人格と切り離せない云々」という説明よりは遥かに納得しやすいと思う。(もちろん、腐女子に限らず(今回のケースでも全ての作品がBLではなかったように)個々の作者の事情を理解する/理解してもらうことは必要かもしれないけど、納得してもらうのにはかなりハードルが高い。)そして、今後想定されうるであろう、「Webで公開された二次創作小説を文学的研究対象としてガチで研究する」ケースにも対処できるんじゃないだろうか。
ちなみにだけど、「ものごとをうまくまわすための配慮」なんてのは古典に限らず近代でも現代でもやってる。遠巻きに「研究」するのなら著作者を怒らせようが何しようが構わないんだろうけど、例えば著作者や遺族から、作品の成立にまつわる資料を得ようとする場合、彼らとうまくやっていく必要があるわけなんだよね。
ただし難しいのは、「私の配慮」が「相手にとっての無礼」と受け止められるケースがあるわけで・・・。そうなってしまった場合、「配慮してますよね!」「この無礼者が!」と延々と殴り合わないようにじっくり話し合ってくださいね(無理な場合もありますけどね(体験談))
他にも、サンプルデータの取扱に関する、プライバシー関連の議論がある。いわゆる、ひろみちゅ案件的な話題。名寄せその他で特定できるようなデータをどのように扱うかという情報倫理的課題。
これは、ビッグデータやAIの学習データセットうんぬんでホットな話題やね。
後は、SNS内部のデータの取扱に関する、SNS事業そのものへの議論がある。これはSNS黎明期にサーチエンジンが内部をクロールすることの是非が問われたことがあったような気がする。これは、2000万のアカウントがあるから実質的に公表されてるとは、ちょっと違う話であって、SNS事業の事業価値とはナニかというところで、私企業の競争優位に立つための財産であるコミュニティを荒らすことの是非。
ここらへんを成文法がないからといって、ないがしろにしてると酷い目に合うのは間違いない。
雑な反論は潰す必要があるけど、正直あれは学術側で石ぶつけて学術内部で殺しとかないといけないと思うよ。横着しすぎでデータの取扱が雑すぎる。
pixiv様にあたっては、匿名化処理を施した学術用データセットの配布をお願いしたく。pixivぐらいの企業ならそれぐらいの社会貢献してもバチあたらないだろうに。
元増田です。
雑な書き方だったので、いろいろわかりにくかったと思うのですが、
おっしゃる通りだと思います。平均的な腐女子については腐女子の方々にはたいへん恐縮ながら、正直そこまで期待していません。
少しだけ書きましたが、腐女子のなかにも、エリート層がいまやかなりいるはずなので、そういったあたりの人々にアクションをとってほしいということで想定して書きました。
一部の人がリーダーシップをとる形で変えてほしいと考えています。
全員が変わるのはどだいむりというのは、そうだと思いますので、知識の周知などが必要になる方法は、
複合的な手段のうちのワンオブゼムぐらいの位置づけにしかなりえないだろうと思います。
今後の学術コミュティと腐女子の関係性についてのみ言うのならば、見解に同意します。
ただ、これは私のテキストの手前勝手な前提なので、ここは読み取りにくかったと思うのですが、
基本的な前提は「腐女子コミュニティが、今後衝突しうるであろう学術以外も含めたさまざまな社会的衝突」も含めた対策として書かせていただきました。
学術コミュニティによる言及だけでなく、TV、新聞、ネットメディア等さまざまな媒体からの引用の可能性がありうると思いますので、
腐女子コミュニティの側でも自衛策をもう少し洗練させてほしいということです。
学術研究者側で努力をすべき点については、研究倫理として議論されていると思いますし、
それはそれでもちろん、あってほしいと思っていますが。
また、最後のほうで少しだけ書きましたがより広くは
「一般法と、慣習の間にズレがあるコミュニティ」の人たち全般にこの手の話をいちど考えてくれたらな、と思っています。
オタクコミュニティの人たちが、自分たちのローカルルール振りかざして、火を付けている風景はよく見るので、
インテリなオタの人々にはぜひリーダーシップをとってほしいなと思っています。
*
もっとも、オタの中でもインテリ層と、非インテリ層にちょっとした断絶があって、
そこでうまくコミュニケーションが成立していないため、
インテリオタ層が、非インテリオタ層を単純にカリスマ的に引っ張っていくというのも難しかろうとは思います。
私もオタクですが、今回「無許可で引用とは何事だ」と言って炎上に乗っかって騒いでいる人たちと、
根気強くこの問題についてコミュニケーションをとろうという気力は起こらないですし
仮にコミュニケーションとったところで徒労感がヤバイな、と思っています。(だから、いまこうして増田で書いているわけですが)
そういう徒労感の漂うコミュニケーションはしないでもいいかもなあ、と。
私自身、「無許可で引用けしからん」とか言いながら二次創作してる人たちには、少なからず呆れているところがあるのですが、
同じオタとして、彼らを「バーカ」と言ってても不毛だし、
かといって、Twitterで地道な説得をする気も起こらない。
ありうるとすれば、とりあえずガイドラインなり、ライセンスなりを何人かが提案して、
いろんな人にDisられながら、数年かけて受け入れられるような形にもっていければ理想的かなぁ…。とそんなところでしょうか。
まあ、そういうガイドラインの実効性があまりに低すぎたら無意味というのはあるとは思いますが、
100%周知とは言わずとも、30%周知されてるというあたりまでもってけるだけでも、社会的な意味はそれなりにあるかなと。
では、そうしたインタビューを誰がやるのかというのが次の問題である。個々の研究者に責任を負わせるだけでは、やはりめんどくさいので研究が停滞してしまう。「XX界隈に対する適切な研究ガイドラインの推定」というのも一つの研究ジャンルになりうるため、それを確立するというのはどうだろうか。そうすれば、これ自体が研究足りうるので、研究者として動機づけられるはずだ。
これに関しては、もう誰がどういう立場や、アイデンティティでやるかというぐらいで、
おっしゃられている話と、私の視点とはかなり重なっていると思います。
研究者であり腐女子であるという人がやれば、私の言っている話とあまり変わらないと思いますし、
正直なところ、当該コミュニティの当事者たちにある程度まで合意されており、公開されているガイドラインなり、
ライセンスなり――手段はなんでもいいのですが――そういうものが明示的に存在しているのであれば、いいだろうと思います。
「XX界隈に対する適切な研究ガイドラインの推定」ということで、研究予算を申請して、動ければベストですね。
(ただ、かなりうまく研究計画を書けるタイプのベテランでないと、「XX界隈に対する~」で予算獲得は難しかもしれませんが)
そこは、人件費やら何やら含めて、マンパワーと能力コミコミで力強く動いてくれるアクターが作れればいいなという話ですけれど、
まあ、そういう人が動ける環境がつくれればばという話ですね。
しかし、まあそういう研究ガイドラインづくりに優秀な研究者がスッとコミットできればいいのですが、
それは研究者の仕事としてのやや地味な感じがあるので、優秀な人がちゃんとやってくれるのかなという不安もあります。
それよりは、オタク関連事業で儲けてる会社にいる優秀な人とかのほうが、研究利用に限らない「利用ガイドライン」の策定とかでうまく動いてくれそうな印象がありますが、
http://anond.hatelabo.jp/20170527185142
炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こる。
という指摘は、まったく慧眼だと感じた。元増田はその課題として対象の慣習が不可視であるということを挙げ、解決策として基準Eを提案したが、私は基準Eの妥当性には大きく疑問がある。
「利用規約化」「標準ライセンス」は無駄な努力である。ルールがどこで策定されているか、それが法なのかコミュニティなのかは、関係ないし、炎上の防止にとって本質的ではない。例えば今回のケースでは、腐女子界隈が引用を正しく理解していなかったことが炎上に大きく寄与した。ここから言えることは、いくらルールが存在しても、それが構成員ひとりひとりに周知されていないかぎり、炎上のような民主的なプロセスに意味をなさないということである。学校であればリテラシー教育という形を使うことができるだろう。しかしインターネットの自己組織的なコミュニティにそういう「知識の強制」を適用することはできない。
また、「腐女子に頑張ってほしい」というのも奇妙だ。頑張るモチベーションが弱い。こういうことが起こるたびに燃やせばいいと考えるかもしれない。「なんであんなやつらに協力しなければいけないのか」というのが平均的な感覚であろう。とはいえ、後述するが、何らかの協力は求めなければならない。
「自分たちだけが弱者で被害者という立場でないことは理解してほしい」というのは、ナイーブなアプローチである。理解を達成することを甘く見すぎている。また、ルールの衝突が根本にある問題にたいして、また更にルールを以て解決しようというのは、「ルールがあれば、問題は解決する」という盲信だとすら思う。
私なら、これは学術側が主体的に努力する問題だと考える。研究に伴う炎上を防止したいというのは学術界の都合だ。方策としては、「界隈に存在する研究ガイドラインを推定すること」が良いだろう。具体的には、研究にあたり「どこが論点なのか」を洗い出し、腐女子にインタビューを行うことで、我々は妥当であろう研究ガイドラインを成立させる。
当事者へのインタビューは、かならず肌感覚をともなって収集しなければならない。よって事例に対する反応を収集し、良さそうか悪そうか判定してもらうのがよい。我々はそこから帰納的に基準を見出すべきだ。逆に、いきなりルールを探る試みは失敗するだろう。「法律の視点からプライバシーに配慮するなど、完全に合法な範囲であれば、研究は可能ですか」に当事者が首肯しても、いざ事態となれば、やっぱりだめだったとなるのがオチだ。
では、そうしたインタビューを誰がやるのかというのが次の問題である。個々の研究者に責任を負わせるだけでは、やはりめんどくさいので研究が停滞してしまう。「XX界隈に対する適切な研究ガイドラインの推定」というのも一つの研究ジャンルになりうるため、それを確立するというのはどうだろうか。そうすれば、これ自体が研究足りうるので、研究者として動機づけられるはずだ。
Twitterでpixivと立命館バトルが始まりそうだけど、正攻法でいけばpixivに勝ち目はないだろう。
立命館の配慮不足は否めないが、学術利用や引用の仕方について、なんら違法を唱える箇所はない、たぶん。
気になったのがpixivの対応。大学と会話するスタンスのようだが大丈夫かと。
で、pixivの企業情報みたら事業に関する情報がないんだよね。社員数130人位らしいが、売上規模、利益額は不明。
中途採用の募集要項みても給与水準がものすごく低いし、実態としてカネのない企業なんじゃないかと。
せいぜい売上40億程度か?
執行役員に管理系がいないとこをみても、知財とかリーガル案件とかバックオフィス系の体制弱そうだし
いまだにドベンチャーなんだろうな。どっかの企業に買収されて技術者抜かれて用済み、とかに
ならなきゃいいけどねー。
なんかけっこうな数の人に勘違いされてるようで驚く。そんなおかしなことじゃないでしょ。ということで補足。
言っとくけど、これは剽窃や無断転載をしていいって意味じゃないですよ。参考文献の情報を表示する方法が違うってだけの話。
標準的な理系とか社会科学系の論文では、注ってこうやって示しますよね(以下、例はあくまで架空のものです)。
Trump (2018: 70)は次のように主張している。一方、Obama (2018: 47)はこれに反対していて……
この場合、文献リストがないと駄目です。だってこれだけじゃ、どの論文・書籍のことなのかわからないもん。だから、論文の末尾に文献リストをつけて、
って書く必要があるわけです。これがないとアウト。
トランプは次のように主張している(※1)。一方、オバマはこれに反対していて……(※2)
※1 Donald Trump, Make America Great Again (New York: Trump Tower, 2018), 70.
※2 Barack Obama, Yes, We Can (Chicago: UC Press, 2018), 47.
って表示することが許されてるわけですよ。これ、末尾に文献リストつける必要あります? そりゃつけた方が親切だと思うけど、なくても別にいいでしょ。だって参考文献の書誌情報はじゅうぶん伝わってるんだから。
なんで下のようなやり方がされるかっていうとですね、私も確かに上の方が便利だと思うんですが、文系の論文だと、
みたいな資料を引用することが結構あってですね、そういうタイプの資料を扱う研究者にとっては下の形式の方が楽なんですわ……。もちろんそれらの資料でも、工夫すればちゃんと上の形式で引用できますし、実際そうやってるひともいるけど、下のやり方は伝統的なので根強く残ってるのです。
あとまあ、学会によっては「下のやり方で書いて文献リストをつけるな」って投稿規定に書いてあったりするしね(もちろん上を指定してる学会もあります。ケースバイケース)。
http://anond.hatelabo.jp/20170525145352
おっ、せやな。シカゴ・マニュアルそのものじゃないけど、手元の解説書を読んでみたら、次のように書いてあるわ(分量的に引用として許される範囲を超えているけど、そこは勘弁してほしい)。
本書は、2つの最も一般的な引用方式を扱っている。「注記式参考文献目録方式notes-bibliography style」、または簡単に「参考文献目録方式bibliography style」(人文科学全般や一部の社会科学で用いられる)と、「カッコ入り出典―参照リスト方式parenthetical citations-reference list style」、または「参照リスト方式reference list style」(大部分の社会科学、および自然科学と物理学で使われる)と呼ばれるものだ。(後略)(※1)
参考文献目録方式の引用では、資料を使ったことを、典拠に言及するセンテンスの最後に、上つき数字を付けることによって示す。
He argues that "in an uncertain world, printed materials can be put to use in ways that make them powerful." 1
それから、対応する数字をつけた注で、引用の出典を挙げ、それに関する情報(著者、表題、および出版情報)とともに、該当するページ番号を明示する。注はそのページの一番下(脚注と呼ばれる)か、レポートの最後に集められたリスト(後注と呼ばれる)の中に印刷される。すべての注は共通の形式をとる。
N: 1. Adrian Johns, The Nature of the Book: Print and Knowledge in the Making (Chicago: University of Chicago Press, 1998), 623.(※2)
※1 ケイト・L・トゥラビアン(沼口隆・沼口好雌訳)『シカゴ・スタイル――研究論文執筆マニュアル』慶應義塾大学出版会、2012年、194頁。
※2 同、195頁。
元増田でも例を挙げたけど、この方式を採用している英文学術誌なんてたくさんあります。私が見たことある限り(ちゃんと読んだというわけじゃなくて、単純に論文をダウンロードして形式を確認した限りということ)では、中国語・韓国語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ロシア語の学術論文でこの形式は許容されてる。
海外の著者だと、たとえばウンベルト・エーコが『論文作法』って本の中でこの方式を詳しく説明してるので、ご覧になってみては。
人文系からすると、この方式を知らない方がガラパゴスですよ。だって、文系は理系の人はこの方式使わないで別の方式使うよね、って知ってるもん。なんで理系は、文系では別の方式も使うよねって知らないんです?
もちろん、この方式でも、たとえば1冊の本にまとめる場合なんかは末尾に文献リストをつけるのがふつうだと思います。だってそうじゃないと、その分野に関する文献にどんなのがあるか知りたいときにめんどくさいもの。一度、文献リストをつけられてない英語の本を読んだことあるけど、注を逐一確認して文献を探すのめんどくさかったですよ。ただ、論文程度の分量なら、注を逐一確認するのもそこまで苦ではないし、だいたい単にめんどくさいってだけでじゅうぶんに出典表示の義務は果たしてるし、紙幅の問題もあるしで、つけないことが多いんじゃないかなぁ。学位論文とかで、文献リストを絶対につけること! っていう決まりがある場合はつけないといけないけど、それは単に投稿規定守れっていうのと同じ話なので……
って、必要ないと思うんですよね、という話です。
絶賛炎上中の事件なので、説明は省きます。知らない方はツイッターで検索すると一発で出てきます。
私は研究者ではなく、ただの腐女子なので、あの事件の是非を語る気はありません。
語りたいのは、
あの事件を受けて、ピクシブの作品に公開制限をかける(=マイピクにする)や、
公開制限の度合いが高めのピクブラに移動する、
という人がちらほら見受けられるのですが、その必要はないんじゃないかという話です。
なぜあの事件の当事者ではない腐女子の方々が、公開制限をかけるかというと、
晒されることへの恐怖からだと思うんですけど。
悪意を持って晒すやつは、どこへ逃げても追いかけてきて晒します。
そして悪意がなく晒す人(今回の論文の筆者は、悪意がなかったと仮定して話しますが)は、ほとんどの人間が、
誤解のないよう書いておきますと、これは『だから公開しよう』という話ではなくてですね。
晒されるときはどうやっても晒されるので、そんなに心配しても仕方がない(あきらめ)という話です。
もちろん、公開制限をかけることで、晒しのリスクが抑えられるという考えはあると思います。
悪意のある奴と、
今回のように悪意はなく行う人。
前者に目をつけられたら、防ぐことはほぼ不可能です。どこまでも追いかけてきて晒しますから。
対応策は、そのジャンルをやめてアカウント全消しするしかないといっていいです。現時点では。残念なことですが。
ただし、個人的には、やめる前にさらしたやつを特定して、そいつも引きずり落とすことを推奨します。それは結構できるものです。
今回の事件の前に、ピクシブの二次創作が学術論文に使われる危険性を想定できた人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。
とはいえ、これだけ炎上したからには、さすがに今後、似た事件が起こる可能性は低いと思います。
(立命館とピクシブ側の対応次第でもありますが。そこは今後の動向を見守りたいところです)
しかし似た事件は起こらなくても、また『悪意のない誰かが晒す』危険性は依然として残ります。
しかし想定できない以上、防ぎようがありません。