https://twitter.com/tm2501/status/893538176467324929
人間に「穢れ信仰」と「所有欲求」と「性欲」がある限り、合理的かつシステマティックな恋愛は不可能です。
この3つがパートナーにも本人にもない時にしか、純粋な経済共同体としての夫婦って成り立たないから、「恋愛の問題考える時に、金とビジュアルの話ばっかするのは、違うくない?」と
ある関係性が「任意の名前」である/ない、がそう二分法的にはっきり言えるものではないだろう、というのがいつもあなたにぶん投げたい言葉なのだけどまあ常に大体届かないのもわかってきてるんだよ。 https://t.co/HsAlhkvTr3— きみたり/君足巳足 (@kimiterary) 2017年8月4日
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逆もまた真なり(分類上恋愛だと言われるものだけでは恋愛が存続できない)もわかるけどさ…みんなが考えてることをいちいち言わなくてもいいかな…と。
件の「嘘か祈り」問題じゃないけど、本気でそれが本当だという人はいなそうだから、もっと嘘と祈りを言えば?とね。
本当に本当に本当に、強い強度でそうだといい切ってる人なら、止めませんよ?
ただ、大体の人は観測範囲が狭いとか、経験がないとか、頭が回らないとかで汚染されてるケースが多いからねぇ…。
少数派や中間的な意見の存在を汲み取ってないのではなく、多くの人がかかっていそうな洗脳に配慮してる
@tm2501さん
だから否定されているものを見ると反射的に肩入れしちゃうわけ。もしかしたらそいつ、めちゃくちゃ愛らしい何かだったりしたらどうする?っていう。どうもしねーよってとこだろうけど、おれは愛らしかったら撫でたりする。
そんなところだろうと思ったけど、確認できてよかった。読みながら「天邪鬼やな」と思いつつも、「これって一定数いるなら配慮して書いたほうがいいんだろうけど、どうなんだろう?」みたいな不安もあったから論戦に乗ってみたけど、まぁ…最初の印象通り前者やね
@tm2501さん
天邪鬼って言われちゃうとなんか寂しいけどね。まあ現実見てないのはそりゃそうだよだって目の前にいるわけじゃないし。目の前にいないものなんて全部フィクションだし思った通りだし思いもしなかったものにもなるしそんなもんだよ。ていうか見えてる世界が違うんだよ要するに。あなたが恋愛と呼びたいものとは全然違うものを恋愛と呼びたい人もいて、それで何が悪いの?って。動物に恋愛できる人も無生物に恋愛できる人も私は神様に子供を授かりましたみたいなのもその人が恋愛と呼ぶならその人と話すときはそれが恋愛なので。
哲学基準やねぇ…。そんなん言い出したら、辞書や学術的な用語が成り立たなくなるからそういうものはあんま認めたくない(逆に自分が間違ってた時はそっちに合わせる)けどねぇ
@tm2501さん
多くの人がかかってる洗脳のことはきっと多くの人が話してるしまあその人らは洗脳だと思ってないんだろうけど、だからってそこにそれ洗脳だぜ?って突っ込んでくのは端的に野暮じゃないの?とは思う。わたしせんのうされてるきがするの、ってあなたのところに逃げてきた誰かに言うならともかくさ。辞書は便利だけど辞書のために誰かと話すわけじゃないし辞書と違う言葉の使い方の人間が目の前にいたってまあなんとか頑張ったらそれなりに話せると思うし一度頑張ってみればいいと思うんだよ。
実際、そういう人がよく来るから、それを投影して書いているんだけどね。あまりにもありもしない強迫観念に突き動かされてる人が多いし、僕自身そういう時しんどい方に自分から行っちゃってるし
@tm2501さん
一対一の関係では多分誠実って言葉が似合うんだよそれ。でも一対多の誠実は、決めつけないことの方だと思うんだよな。私はあなたの味方です、と私はこういう人の味方です、の違い。
別にどっちも悪じゃないけど、印象が同じとも思わない。
ああ、でも最初に書いた「内在的恋愛と外在的恋愛」あるいは「恋愛における内在的要素と外在的要素」に関しては、結構一般論として考えてるつもりではあるんだけどね。まあ会った時にでも話そうこれは。
というか「私はあなたの味方です」というのにたいして、青二才は「私はこういう人間の敵です」「私はこういう人間を謎の上から目線で見下します」っていってるわけ。よりたちが悪いのだけれど、青二才は一生理解できない。馬鹿だから