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はてなキーワード: 議会制とは

2024-01-13

国家英雄であり救国の君主である神君安倍晋三閣下様を永久盟主とした自民党幕府のもとで日本復興を頑張ろう!

選挙議会もいらないか行政公立アップ!

これぞ救国のアイディア。岸田は早く憲法改正して議会国家などというまやかしをやめろ!

2023-11-27

anond:20231126202929

護憲政党思想信条自由とか基本的人権を無くそうとはしていません。

改憲しようとしてる保守政党こそが、今の日本国憲法を無くそうとしている

危険勢力だという認識が抜けてるのはおかしな話です。

「党内の人間をどう扱うか?」などというのは、実際

「そんな無名人知らん」と外部の人は思っても当然です。

犯罪に加担してれば優遇されるでは、喜ぶのは悪人だけ。

東京五輪誘致に官房機密費を使ったと事実を語ると問題にされるとか

その後でも発言撤回した方が優遇されるとか、そんなもの

一般日本人には有害なだけで、いか自己中心的利権を図るか

しか頭にない人物けがよしとするものしかないでしょう。

本音と建前を使い分けるからそんな変な話になる。

政党政治では、党の方針に沿わない者は他の党へ行ってくださいは仕方ないのでは?

いろんな意見が党内にあるのなら、政党意味がないです。

もちろん議論過程で、不当に正論が切り捨てられるのはよくないですが

その辺はどこの党でもそんなものかと。

そもそもみなさん、議会制民主市議会社を見た事ありますか?

たいていはファシズム会社でしょ。

共産党場合だけ悪く見せようなどおかしな事。

党首の志位さんは顔は韓流かも知れませんが

それを言い出したら皇族だって顔は韓流です。

秋篠宮家もアイテープなどで盛ってるだけで

盛ってない時は山下達郎とか富田望生みたいな顔です。

そもそも川嶋辰彦部落解放同盟の重鎮で

朝鮮総連ビル落札金正日崇拝の池口恵観の友人です。

部落解放同盟同和利権批判してるのは共産党だけ。

共産党日韓海底トンネルのような外患誘致いも加担してないし

北朝鮮に送金してるパチンコ利権批判のしています

工作員はまるで革新政党パチンコ推進してるみたいに

平気でデマを流しますが、パチンコ推進議員連盟検索してみてください。

実際は保守政党パチンコ推進してるのです。

その辺りの認識を徹底的に改める必要があります

志位さんを問題視してる工作員は、彼の魂が外来ではないか

問題にしているのだと見えます同和利権政党を「オール与党」と

批判していた共産党が「野党共闘」をはじめる方がむしろ問題なのですが

中心にいるのは小池晃です。

小池晃は「世界連邦」でも保守政党やエセ革新などとつながります

社民系は「一水会鼓舞する会」などでも自民党とつながるエセ革新ですが

小池は半ば社民系みたいな言動をしているわけです。

問題は志位さんよりも、そういう連中にこそあります

2023-11-10

anond:20231110105205

自民・非共産までならいけるんだよ。左でも社会民主主義なので、議会制志向する。

最終的な共産制の確立が党綱領ビルトインされている共産党は絶対に無理。

2023-10-20

anond:20231020175343

ほぼ実現しない嘘と同じ理想を掲げてるのが民主主義ということだな。

 

我が国は、別に完全な民主主義国ではない。

せいぜい議会制選挙制度のある国、ぐらいだ。

2023-07-01

ルワンダキューバニカラグア

このアカウント、もうわざとやってるだろ

国連広報センター

@UNIC_Tokyo

今日は #議会制度の国際デー

議会がより代表的存在となって時代とともに前進するために、重要目標の達成度合いを見直す機会です。

議会におけるジェンダー平等は大きな課題です。国連の新しい報告書によると、現在のペースでは、議会における男女平等は2062年まで達成されません⏳

#IPU

https://twitter.com/UNIC_Tokyo/status/1674545781494169617

2023-05-25

anond:20230524201352

それは議会制民主主義に限った話。

こんだけネットも広まったんだから直接民主制にしちゃってもいいんですよ?

議会制を維持するにしても、裁判員みたいにランダムに選んじゃってもいいんじゃないかと個人的には思う。

癒着などの生まれようもなくなるし、大して政治家能力は落ちない。

2023-02-10

anond:20230210120011

三島由紀夫檄文

 檄

   楯の会隊長 三島由紀夫

 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国精神を相共にする同志として共に富士原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後日本が、経済的繁栄うつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本歴史伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しか法理論的には、自衛隊違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義頽廃根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである自衛隊敗戦後の国家不名誉十字架を負ひつづけて来た。自衛隊国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊国軍名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である政体警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本歴史文化伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか政府極左勢力限界を見極め、戒厳令にも等しい警察規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである治安出動不用になつた。政府政体維持のためには、何ら憲法抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しか自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正政治プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党共産党が、非議会主義方法可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法私生児であつた自衛隊は、「護憲軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しか自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。

 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロール民主的軍隊の本姿である、といふ。しか英米シヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。

 沖縄返還とは何か? 本土防衛責任とは何か? アメリカは真の日本自主的軍隊日本国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊永遠にアメリカ傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待つた。最後一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値所在諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである

  (三島森田事務所刊『「楯の会」のこと』より)

2022-10-21

anond:20221021161639 のおまけ?

多数派場合は、多数決民主的にそれができます

少数派でも侵せないもの自由権として守るのです。

たとえば今だと多数決ならとある宗教を「邪教」として禁止さえできそうですよね。でも、多数決でも、「内心で信仰させろ」「儀式は続けさせろ」までは侵せない理由けが自由」です。

https://twitter.com/jikapan/status/1583275451552006144

多数決主義の難点という議論アメリカで古くからある。選挙で選ばれていない裁判官がなにゆ選挙で選ばれた国民代表議会法律を覆すことができるのか、というやつである。これは、単なる哲学的問題ではない。19世紀から20世紀前半にかけて、産業資本の著しい発展の弊害顕在化してきた。それに対して立法対処を行ったところ、裁判所が「契約自由」を盾にしてそれを違憲にしたところから来ている。

 もう少し具体的に言おう。ニューヨーク州議会が、パン屋労働時間規制する法律を作った。一日10時間、週60時間までという規制である。これに反して処罰を受けたあるパン工場経営者は、労働者をどのくらい働かせるかについては、契約自由があるのだからそのような規制違憲であると主張した。そして連邦最高裁はその主張を認めたのである。このような判例法理通用した時代のことを、この著名判例(Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905))の名前をとってロックナー時代という。

 すったもんだの末ロックナー判決否定されるに至る。どのように否定されたかというと、これがある意味羮に懲りて膾を吹くというようなやり方なのである。すなわち、裁判所議会の制定した法律については、原則として合憲推定を与える。議会制定法については、①目的が正当か、②目的手段合理的に関連しているかしか裁判所審査しない。換言すれば、手段必要最小限度性を要求しないということであり、まことに緩い審査基準である。こうなるとまたしても困った事態が発生する。確かに労働関係規制については、そのくらいゆるい審査で良いかもしれない。しかし、議会に自らの利益代表してもらうことができないような少数派の利益を押し潰すような法律議会が作った場合も、そんな緩い審査基準適用して良いのだろうか。連邦最高裁は、戦前判例の中で、キャロリーヌ・プロダクツ判決脱脂粉乳規制に関する法律問題になったのだが、それは措く)の脚注4で、人種的宗教的あるいはその他の少数者の利益問題になった場合などは、別の処理をするかもしれませんよ(この事件はそういう人が問題になっていないが)、ということを仄めかしている(United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 (1938))。

 このような戦前アメリカ判例を取り入れて始まったのが有名な二重の基準である。二重の基準論は、精神的自由については厳格な審査を、経済的自由については合理性審査をという図式として受容されているのだが、実際には、一般的には裁判所合理性基準という緩い審査しか行わないが、政治過程の中で不利になっている少数者の利益問題になる場合は、審査基準厳格化する、というものなのである一般論としては合理性審査しかしない、というのがミソなのである

 芦部説はこのような議論を巧妙に換骨奪胎(?)し、精神的自由制限は、政治過程のものを傷つけるおそれがあるから原則として審査基準厳格化する、という議論を立てた。こういった議論アメリカにも見られる。ところが、これを逆に考えると、精神的自由制限であっても、政治過程のものを傷つけるおそれがない場合には、裁判所合理性基準審査するべきだ、ということにならないだろうか(ロバートボークというある意味悪名高い裁判官が直球でそういうことを言っている)。これが問題になる典型的な事例が「わいせつである。少なくともハード・コア・ポルノ※に関しては、その禁止政治過程を傷つけるとは言えないだろう(アメリカ場合猥褻obscenityに該当する言論については、第一修正によって保護されないので、合理性審査すらしなくても良いということになっているのだが、それは措く)。わいせつ規制は、精神的自由制限ではあるが、厳格審査に服しないというのが、反多数決主義の難点に対して一般合理性審査を行うという解決法を用意した司法審査論の帰結となる。

 ハード・コア・ポルノに対する規制を(も)廃止するべきだと考える者が、表現の自由論や民主主義を素朴に信奉するのも考え物である一般論として合理性審査をもたらす反多数決主義の難点という論点それ事態を疑ってかかる、つまり多数決によって事態が進行する議会政、多数決主義それ自体を排撃したり、あるいは、ハード・コア・ポルノ規制に対しても厳格な審査をもたらすような議論を何とかして立てるほかあるまい※。そういうことをしない表現の自由の信奉者は、表現の自由戦死せざるを得ない。

長谷部恭男憲法』などを読むと、刑法175条違憲論が、単なる「表現の自由」によって支えられているわけではないということが分かる。

法治国家と遵法義務

 この問題は何度も世に出てきていると思うが、法治国家のことを勘違いしている人がけっこういる。

表現の自由界隈からも「法律を超えたら表現の自由はない」ってのが無邪気に言われまくってるけどさ、じゃあ、「本日から漫画を描いてはいけない」って法律ができた瞬間、漫画を描く表現の自由はなくなるの?逆なんだよ。表現の自由が先にあって、それを侵さな範囲規制が許されるだけ。

https://twitter.com/jikapan/status/1582716271023398912

これに対して

自由侵害する法律が作られたら法の手続きに基づいて侵害されないように法改正をするのが法治国家自由行使なのだ

気に入らない法律は従わないではただのアウトローしかないのだ。

https://twitter.com/serast_km/status/1583274143444652032

のほか、同様の趣旨ツイート複数見られる。

 法治国家原理は、法律法規創造力の原則国民権利を新たに制限し、義務を課す法規範は国民代表議会のみが作ることができ、行政立法してはならない※)、法律の優位の原則行政活動は議会制定法に反してはならない)、法律留保原則国民権利を新たに制限し、義務を課す行政活動は、法律によって授権されていなければならない)から成り立つ。これらのどこにも、自由侵害する法律が作られたら、法改正を待つべきであり、あえて規制に逆らうべきではない、という議論は含まれない。

※これは行政に関する原理であるというのがミソで、私人同士で新たな義務を課すのは、原則として自由である。たとえば、100万円を借りるという金銭消費貸借契約を結べば、あなたはカネを返す義務を課されることになる。それに先だって国民代表議会の授権規範必要であるというのは馬鹿げている。しかし、原則自由からこそ、社会における事実上の力関係によって一方的立場が弱い契約を結ばされるということが起きる。そこで、契約自由制限する法律が制定されたり(例えば借地借家法を思い浮かべよ)、裁判所判例法理によって調整が図られることがある。

 二番目のツイートは、法治国家を(古代中国法治国家伝統もあって)遵法義務問題と取り違えているだけで、些末な揚げ足取りではないかと思われるかもしれない。しかし、遵法義務問題として考えてもおかしい。もちろん、国法は自らに従わない者に対して制裁の仕組みを用意することが多い。刑法にせよ、行政上の何らかの義務履行確保の手法にしても。刑罰という結果を避けるために従った方がベターであるというプラクティカル議論としては意味があるだろう(事実としての強制秩序の問題)。しかし、それと服従義務とを混同するべきではない。たいていの法学者は、不正な法に対して服従する義務はないと考えているのではないか(例:ラートブルフ「法律による不法法律を超える法」)。ラズなんかは、それを超えて、一般論としては国法への服従義務などない、と言っているようだ。

 

 ただ、これは難しい問題で、誰が不正かどうかを判断するのかという問題がある。万人が自らに都合の悪い法を不正である判断すれば、アナーキーとなり、宗教戦争の再来である※。しかし、実定法にただただ服従するべしと言えば、ナチスの法にも服従する義務があるのか(事実として強制されるからやむなく従うのではなく)と言われてしまう。結局、個々の法規範に則して個別的判断する他あるまい。上記ツイートでいえば、一般論として漫画という出版様式禁止無視たからといってアナーキーに陥ると考えるのは馬鹿げているであろう。


 現代違憲審査制は、こういった正義実定法ジレンマをなるべく起こさないようにするためにある。憲法人権という形で示された一般的正義原則に照らして裁判官実定法審査し、不正な法と認定した法規範の適用拒否するという仕組みが我々の社会には導入されている。ただ、裁判官の目をすり抜けてどうしようもない実定法が作られることがないとは言えない。立法者と裁判官にさしあたって頼らずに正邪を判断する視点を持つことは、自由民主的社会市民であり続けるために必要なことである・・・自分の頭で考えた結果、おかし結論に到達する人もいるかもしれないのが頭の痛いところだが、それが自由であるということである

 悪法といえども国法に従う義務があり、悪法をただすには法改正に賭けるべきという態度は、肉屋を支持する豚と言われてもやむを得ない※。

※ひょっとすると熱烈なホッブズ主義者なのかもしれないが、ホッブズ主義者なら、本当に当該禁止によってアナーキーが避けられるのかをもうちょっと真面目に検討するのではないか

参考文献

長谷部恭男『法とは何か[増補新版]』河出書房新社2015年

おまけ:

表現の自由』は憲法保証されているので、

それに反する法律は作れません。

意味のない仮定です。

https://twitter.com/MIKITO_777/status/1582999065138036736

 こうした見解に対する批判は本文中にも書いた通りだが、この人の中では、薬事法(古い名前だ)の薬局距離制限規定が作られたことはなかったのだろう。薬事法は、自分に関連する分野ではないのか(薬剤師ではないから、違うかな・・・)。

2022-08-25

anond:20220825170654

そして人格者仕事できない・ポーズだけ立派)が選ばれたりするのが、現代議会制度の欠点だわな。

 

2022-08-09

anond:20220809104927

世界史の授業で、議会制度の成立時に、授業中の小話的な位置付で教わった。

 

アメリカ南北戦争の時にももう一回出てきた。

 

ただ、現代では意味結構かわってしまっていますね、という先生コメントもセットだった。

あくまで、当初はこういうところからまりましたよ、という話だった。

2022-07-30

anond:20220730100614

たぶん近代議会制民主政体の先輩であるドイツも良いお手本になるんじゃないのかな? メルケルさんとこの党とか。 (ハナホジ)

2022-07-26

日本宗教政治が〜とか言われても、もはや宗教になったQアノン議会制圧したアメリカと比べたら大したことないな、って思ってしま

2022-02-27

anond:20220227170505

ですね~

共産主義はその傾向があるかと(すべてではない)

なぜかというとマルクス主義無神論なので、個人崇拝につながりやすく、権威主義になりがち

君主国民、お互いに対する恐怖が国をコントロールしているのだ、という錯覚に陥るのかと

そうならないために議会制二大政党制があるのかと

日本二大政党制にすりゃいいのに

必ずしも無神論ではなくても、そういうことは起こりうるけど仏教プロテスタンティズムはそうなりにくいと思う(教えの性質からいって)

2022-01-27

ウクライナ侵攻で和リベが終わる

ロシアウクライナ侵攻は避けられないという予測が高まってきている。

国境沿いに既に10万人が展開しており、ウクライナロシア勢力圏だとプーチン論文を発表し、奇しくもクリミア侵攻と同じくオリンピックの開催を控えている。

クリミア侵攻、議会制圧はオリンピックの閉会と同時だったが、今回はどうなるだろう?

クリミア侵攻以降、ウクライナ親ロシア派(=ロシア)の間で戦争継続されていて、既に1万数千人の死者が出ている。

ウクライナクリミアを奪われただけでなく、あれ以来、継続的に戦争をしていると言う事だ。ことさらウクライナ侵攻を言うまでもない。今も攻められている。

もしもウクライナNATO加盟をすれば、せっかく奪い取ったクリミア半島を西側諸国から圧力で手放す事になる可能性が高くなる。

さしものNATO同盟国の領土が奪われたままにはしないだろうし、西側全体から圧力をかけられた場合ロシアにとっては抗しがたい世界世論に接する事になる。

それはロシアにとっては避けたい事態だし、今ここで軍事力行使してでもNATO加盟国ではないウクライナを保ちたいのだろう。

ウクライナがこうなってしまったのはNATO加盟国ではないからだし、ロシア抵抗できるだけの軍事力を備えていないからだ。

NATOに加盟しなければロシアは攻めてこない?クリミアを奪われ、国民の60%がロシアの侵攻があれば銃を取って戦うと世論調査で答えたウクライナ人に向かって、そんな事を言える奴がいるとすれば、馬鹿サイコパスだろうね。


日本リベラル、和リベたちは、集団的自衛権を認める法案の成立に反対してきた。

沖縄アメリカ軍事基地を持つ事を反対してきた、日米安保条約にも反対してきた。

自衛隊正式に軍として認めるために改憲することにも反対してきた。

今も敵基地攻撃能力を持つ事に反対している。まともな安保政策を語れないリベラル批判されてきた理由が、ウクライナ情勢ではっきりと見える形で現実的な脅威として表れた。

ウクライナNATO加盟国相互防衛する関係にあり、米軍基地を持っていれば、ロシアNATO全体と戦う事を恐れただろうしクリミアを奪われることもなかったのではないかと思う。

日本戦争をしない為に、中国ロシア国土を侵されないために、QUADや米との関係を強化し、米軍基地を維持して、自衛隊の軍備を拡張防衛能力を高め、集団的自衛権によって相互防衛可能にすることは

最も効果的な抑止力であることを、ウクライナの情勢が教えてくれている。これらは全て和リベが反対し続けてきたことだ。

ロシアウクライナに侵攻し、多数の犠牲者が出た時、日本だけでなく世界自国リベラル陣営が言ってきたことを見直す日が来る。

ウクライナ侵攻で安全保障を数十年に渡って否定し続けて来た和リベ(≠リベラル)が終わる。和リベが発言力を失えば、それは日本にとってはめでたい事だ。

(再)ウクライナ侵攻で和リベが終わる

https://anond.hatelabo.jp/20220226110950

2021-10-20

anond:20211020130829

議員自分の首を絞める法案に賛成するわけないのは、現在議会制度のバグだよな

政治に関する法律だけは、政治家と別の組織による作成必要

2021-09-18

anond:20210918002745

議会制度と普通選挙の早期実施、および天皇制度の廃止でございます

欧米と同じく民意が公正選挙徳川を選んだのであれば、武力革命には何ら正当性はなく、

薩長近衛島津天皇は単なる国賊というわけでございます

それと同時に、テロ準備行為および武器密輸摘発強化でございます

2020-04-22

2020年 世界報道自由度ランキング日本

伝統事業利益

世界第3位の経済大国である日本は、議会制君主制であり、一般的にはメディア多元主義原則尊重している。

しかし、伝統企業利益の影響で、ジャーナリスト民主主義の番人としての役割を十分に果たすことが難しくなっている。

2012年安倍晋三氏が再び首相になって以来、ジャーナリスト自分たちに対する不信感を訴え続けてきた。

フリーター外国人記者差別する「記者クラブ制度が続いている。

ソーシャルネットワーク上では、ナショナリストグループ政府批判的なジャーナリストや、福島第一原発事故沖縄米軍駐留などの「反愛」的なテーマを扱うジャーナリスト嫌がらせている。

政府は、内部告発者、ジャーナリストブロガーが「違法に」入手した情報公表した場合、最高10年の懲役に直面するという「特定秘密」を保護する法律についての議論拒否し続けている。

https://rsf.org/en/japan の内容をDeepL翻訳に掛けただけですが、ご参考まで。

原文も付けとこう。

Tradition and business interests

The world’s third biggest economic power, Japan is a parliamentary monarchy that, in general, respects the principles of media pluralism.

But journalists find it hard put to fully play their role as democracy’s watchdog because of the influence of tradition and business interests.

Journalists have been complaining of a climate of mistrust toward them ever since Shinzo Abe became prime minister again in 2012.

The system of “kisha clubs” (reporters’ clubs) continues to discriminate against freelancers and foreign reporters.

On social networks, nationalist groups harass journalists who are critical of the government or cover “antipatriotic” subjects such as the Fukushima Daiichi nuclear disaster or the US military presence in Okinawa.

The government continues to refuse any debate about a law protecting “Specially Designated Secrets,” under which whistleblowers, journalists and bloggers face up to ten years in prison if convicted of publishing information obtained “illegally.”


追記:確かに文面変わってないね2018年記事http://fuseishoyo-roku.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/problematic-284.html

2020-04-15

anond:20200415100007

野党がしっかり仕事するってのはちゃん議席とって自民野党の言う話も聞かないと行けない状況を作ること。

いまの文句言って決済権全く無いじょうたいは議会制において仕事をしてるとは言えない。

2020-02-16

内藤一成『三条実美』を読んで

内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書2019年2月)読了

面白い三条理解できたことで、この時期の政権本質についても理解が深まった。三条を「有徳の為政者」と位置づけ、最後にそれを「知の政治家」(瀧井一博の伊藤評)とつなげるのは見事だなあ。

封建制社会儒教道徳徳治属人的」→「近代社会議会制原理法治/属制的」。高貴な出自なのに革新志向、清廉無私の人柄、この二つの特徴を持った三条実美という人物が当該期の政権運営には必要だったということだ。

興味深いのは、手腕でなく徳で政府を治める太政官制(あるいはそのような政治文化)とその後に樹立された明治憲法体制比較すれば、前者がより属人的後者がより属制的といえるが、さらにその後の昭和戦前期と比較すれば初期の明治憲法体制属人的要素に頼る所が大きかったことだ。伊藤らの意図は立憲制度確立、つまり天皇閣僚が入れ替わっても立憲政治の根幹が失われないよう制度化することにある。言い換えれば属人から属制への転換を図ることだ。(ちなみに、神棚に祀ることで天皇政治勢力を接近させずまた天皇権力事実上制限したのが、まさに伊藤(井上伊東)の深謀遠慮というものだ。この賢察を思うにつけ、天皇機関説排撃とかバカジャネーノとしか言えん。天皇機関にするのが憲法だろ!)。

しかしそれでも、憲法に明記されない微妙問題、あるいは高度な政治判断が求められる局面になると、個人パーソナリティーや個人間の特別関係ものを言うことが多い。要するに、当面の政敵でも共に維新回天の荒波を潜り抜けてきたという同志的な感覚とそれに基づく信頼・敬意・連帯感があり、最後最後ではその琴線に訴えかけることで複雑な問題の調整が図られているように思える。制度に足りない部分を人情が補っている、草創期ならではの危うい立憲制。

そして明治元勲が皆世を去ってしまうと、憲法は輝かしいけれど文字になり、制度要塞になり、縦割り・現場無視党利党略・悪い意味での官僚的態度等々が前面に出てしまい、それが政権運営不安定さや政党政治機能不全につながった……のではないか日中戦争前後政府官僚・軍・政党を見ていて感じるのは、よく「彼は調整型の人物で…」というが、政治的調整とは調整役が何とかしてくれるということではなく、また調整役とは八方美人意味であるはずがない。

三条近代立憲政治にふさわしいリーダーではないが、ある時期には彼のような調整役が必要で、それは彼が出自人徳という計画的習得できるようなものではない要素を備えていたからで、そういう意味で代えのきかない存在だった(武器として装備しました、ではなく、元々そういう人だ(あるいはそのように見える)という点こそが重要)。その後の政府現代組織於いて三条人物三条のような高い地位を占めるべきかと言われれば疑問だが、組織運営(特に責任者の周囲)に於いて三条的な役割不要成る事は決してない。三条合理的積極的存在意義を見出すという著者の意図は十分成功しているし、その存在意義はそのようなことをも示唆しているのではないか

2020-01-19

anond:20200119220011

私は政治的にはどちらかを選べといわれたら、資本主義自由経済まりアメリカがたの経済を主張・支持するが

おなじく、自由平等主義に基づき、共産主義を認める。議会制政治において、議論される事を国民として望むものである

2019-04-14

左右はクソという話

右派左派の論争が雲鼓なのは何でも乱暴に左右の軸でまとめようとするからだよバーカバーカみたいな話はよく見るけど、じゃぁ乱暴じゃない軸分けって何なよの?ということで愚考してみた。最初はツイに書こうとおもったんだけどいつもチンコとかしか言わない垢なので思い直してここに書く。

所詮素人思考実験なので粗が目立つし、要素のプロットには自分政治的ポジションにおける感情がどうしても入るのであんまり参考にならないかもしれないけどまぁそれはそれとして。

政府サイズ大きな政府 vs 小さな政府

欧米で左右というとまずこの価値観になるよねという奴。社会インフラ的なもの政府運営するか民間移譲していくか的な理解でええのかなと思う。同時に、再配分の強さを表すパラメータでもあるので、大きな政府になれば労働者側に有利、小さな政府になれば資本家側に有利ということになる。

軸としてはこんな感じ

大きな政府←----------------→小さな政府

計画経済--国営企業福祉国家---民営化---ネオリベ

態度(改革 vs 保守

保守改革って左右関係なくね?と思うのですよ。これは政策実行のスピード感とかコミュニケーションとかでの政府の態度問題で、改革スピード重視だけどトップダウンになりがちで対話をおろそかにするし、保守対話スピードよりも利害関係者間の対話を重視するので民主的だけどクソ鈍いという特性を持っている。

改革←--------------------→保守

独裁------劇場型-----議会制---官僚主義

外交協調 vs 覇権/孤立主義

三つ目は外交パラメータで、自由貿易国際機関調停を重視する路線と、自国ブロック経済圏を重視する路線もしくは他国ブロック経済圏を排除するための孤立を行う路線

協調←-----------------------→覇権/孤立

通貨統合--市場開放---保護貿易民族主義--植民地主義鎖国

EU通貨統合市場開放の進んだ形と見るのかブロック経済圏と見るのかは素人なのでどうプロットしたものか悩ましいんだけど、国際協調の極端な形として置いてみた。極端なもの破綻をきたしやすいという点では妥当だと思う(ぁ

また、民族主義の扱いをどうするか悩ましいところではあるんだけど、排他性の強さを考えればこの軸に組み込んでしまってもいいかなと思う。

軍事的パラメータタカハト)というのは独立パラメータではなく、基本的には協調vs覇権孤立の軸に付随して発生するものと考えていいのではないかと思う。つまり覇権孤立に傾けば自動的タカになるし、そうなると周辺国も警戒して軍事拡大を行うという関係なので、軍事ありきでのタカハトは有り得ないというのが妥当かなと。

3軸で考えてみる

以上の3軸を使うと、ステレオタイプな左右像は

ということになる。でも実際の各国の状況を三軸で分析してみると…

ということで基本的ステレオタイプな左右像にはまるような国や勢力というのは有り得ないのじゃないかと。これを乱暴に左右という一本の軸で考えようとしたらそりゃ当然の様に理屈破綻しますわね。

2019-02-10

anond:20190210065903

フェミニズムイデオロギー一種なのは間違いない。無論日本人のよく勘違いする「イデオロギー=悪」という話にはならない。どんな政治思想イデオロギーから。(議会制民主主義イデオロギーだし「地球環境を守ろう!」もイデオロギー保守主義イデオロギー

英語だとGender Studiesと言った場合女性学クィア理論等を含む研究でnormativeな性質を保つ場合が多いが、Gender Analysisと言った場合ジェンダー観点を使っての純粋な現状の分析を指す場合が多い、と思う。

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