はてなキーワード: 看護専門学校とは
専門学校でもいいじゃんと言うけど、でも専門学校で博士号持ちを中心に教員デッキ組んだら、Fラン大になるで?という話
たとえば自分が運営に関わってる看護専門学校の図書館は、公立の中学校みたいな図書館しかない。置いてる本は最低限だし、何より自習スペースすらない。
パソコンだって統計ソフトとか何も入れてないし、海外の雑誌だって何も購読してない。
何より、専門の学費じゃ博士号持ちの人に給料が出せない。高卒の現場あがりの人を教員にして、それで回そうってなっちゃう。看護にも博士号持ちの人はそこそこいるんだけどね、専門には施設も金もないから、高卒教員では教えられない、研究系の授業だけスポットで来てもらうので精一杯。博士号持ちに個室のオフィスも用意できないし。職員室スタイルで回してるし。
・勝手なイメージで自分みたいなおじさん、おばさんがいると思ってたが非現役性は自分以外は20代前半で少しだけだった。圧倒的現役率
・40代おじさんにして「学校でいじめにあう」という体験をしてしまう(異質すぎる存在だからこれはもう仕方ないと思ってる)
・看護の仕事って介護と雑用係なんだなという、氣づき(窪田正孝リスペクト)
・学校に予算がなく、マンパワーもなく、学生は勉強が苦手→教員の諦めというコンボによって教育面はかなりガタガタ
・ガタガタなので看護系サイト(たいてい看護系の就職転職サイトが個人情報と引き換えに運営)や参考書で自習しないと課題がリテイク祭りに(看護学生が実習中に寝れないと言っている原因の一つ)
・実習の看護師が年下なので怖くない
・キラキラネームがマジョリティなので昔からア有るような名前が逆に恥ずかしいという空気がある(そういう名前の同級生が恥ずかしがっていて、周りが慰めている)
・学校に付属の病院がない場合、高速使って片道1時間先の病院が実習先とかザラにある。ちなみに病院には実習チーム全員で乗り合わせていかなければならないので気まずい。車を出す係誰にすんねん、ガソリン代高速代どうすんねん問題などがあり、こういう細部で、お金がないって悲しいなというのを実感させられる
思い出したので追記
・提出レポートはUSBメモリ上での編集厳守、デスクトップなどPC本体に移してはいけない(USBメモリとは一体?)
・その理由は個人情報保護。デスクトップとかPC本体のハードデスクに移すと、One Driveなどに自動同期されてしまうことがあり、OneDriveとかネットに上がったらそれが流出する恐れがあるため……
・印刷して診断名だけ手書き(流出対策)だが、症状と手術部位から普通に分かるし意味ない
・冗談じゃないので教員を説得してしぶしぶフリーのアンチウイルスソフトで堪忍してもらう
地方の看護専門学校生で教えてるんだけど、学生さん「ヨドバシ・ドット・コム」のことを知らないのよ。知らないから当然選択肢にも上がってこない。
この現代日本において、19歳から20代の若者がヨドバシ・ドット・コムを使えないって、めちゃくちゃ不利なわけじゃん。少額のものが欲しいときは、まず地元の店を回って、それでもないならAmazonや楽天で送料払って買ってる。
んで、自分がヨドバシドットコムってところが便利だよ、送料無料だよ、少額だしヨドバシで買ったら?って言っても、地元にヨドバシがないから「なんやその怪しいサイトは」「怖い」ってなって、誰も使いたがらない。
文化資本というと芸術とか学問の話になりがちだが、自分はこういう、生活を営む上での小さな格差が他にも山程あって、そういう差というのが文化資本による大きな格差になって出てくるんだなとちょっと思った
これの続き。
https://anond.hatelabo.jp/20240121095926(※削除済み。魚拓 anond:20240125162503)
「お金使いが荒いと言われて嫌な気持ちになった。私は仕事が辛くてストレス発散で海外旅行に行ったり買い物してるのに」と言われる。
だから会うのが嫌になり、別れたいと思っている、と。
直接会って話す気はないと。
確かに僕は彼女に「お金使いが荒いね」と言ったけど責める口調では言っていないし(彼女も「責めてはいないと分かってる」と言ってた)、
というか婚活目的で出会ったこともあり、将来一緒に生活する上で不安になる要素があるなら、
それを率直に伝えることは変なことではないと思っていたのだ。
お金使いが荒かったとしても誰にも迷惑をかけないのなら、問題ない。
だけど、彼女は外食の際、自分が財布を出す素振りは一切見せないし、
「今までの彼氏は全員スマートに会計を払ってくれていた」と堂々と言うくらい、
男性が金銭の負担をするものだと期待していることが、言動から明確に察することができるのだ
職場で問題児として扱われているのことが、話を聞いていて薄々感じている。
僕は以前、医療業界で働いていたけど、偉そうな看護師ほど大抵は仕事が微妙で患者からの評判も悪い。
そのくせ給料はアラフォーで年収600万とかだから(職場によるが)、海外旅行もできるし、高価な買い物もでき、
独占業務資格だから仕事に困らないと勘違いしていて(実際には40を超えたりすると結構危ういらしい)、
無駄に偉そうだったりする。
勤続20年くらいなのに一番末端のヒラだ。
後輩はすでに主任(ヒラより1つ格上)になっているらしい。
彼女は、態度がいつも偉そう。
自分の軸もない。
看護師を選んだ理由も特になく、高校の時に何となく近所の看護専門学校を選んだのだと。
親から「手に職があるほうがいい」と言われ、そうしたと。
実習先であった現在の勤務先で、今でも働いている(つまり転職の経験がない)。
本人曰く「こういいうことがしたい」というのが無いらしい。
刹那的な快楽(海外旅行や高価な衣類などの散財)は、自分の軸がない故だと思っている。
僕は転職して自分がしたい仕事を真剣に模索した経験があるから、彼女とは確かに全然違う。
勤続年数が長いことは良いことだと僕は最初は思っていたけど、それは違っていて、ただの惰性らしい。
転職のために行動する気力がないと言っていた。
努力を一切せず受け身でいて常に「棚からぼた餅」を狙うようなところがあると感じてはいたけど、間違っていないらしい。
だからマチアプで奢ってくれる男性が現れて、自分を楽させてくれる男性が現れるのをを待っている。
マッチングアプリに登録してアプローチしてくる男性の態度を見て「ちやほやされている」と気持ちよくなるものの、
自分にお金をかけてくれないとか、楽しくないと一瞬でも思えば、即縁切りするのだろう。
今までの彼氏で続いた最長期間は1年らしい(離婚歴あり40代後半男性。それもマチアプで出会ったらしい)。
それ以外の彼氏はすぐに終わったり、「終わりそうだと察すると自分から先に切る」らしい。
人を本当に愛した経験がないんだな。
好きな人を「終わりそうだと察すると自分から切る」なんてこと、するか? 普通。
自覚があるらしい。
だから「金遣いが荒い」と指摘されれば「気に障るから」という理由で簡単に男を切る。
子供なんだ。
今回の件で、女性不信になりそうだ。
マッチングアプリで異性を探すにあたり、
相手の人格を見るのではなく「自分の要望を満たす異性」を探している人は結構いる気がしていて、
それはつまり、自分の要望を相手に投影しているだけで、相手の人格を対等に尊重してはいない。
でも、あんな最低な彼女でも(ごめん、こんなこと言って)、僕は最初彼女を好きだった。
それは本当だ。
この「好き」という気持ちは大事にしつつ、次のお相手を探していこうと思う。
無理かな?
大変だけど、行動しなければ、まだ見ぬ未来は来ない。
そう思ってる。
頑張ろう。
しんどいけど。
金遣いが荒い、は責める口調になるのか。
違うと思う。
キツイのは単に、偏差値が低い人間だけが集まった集団だから、コンプライアンスって何?倫理って何?な人が多くて、地獄化してるだけ。
たとえば女が一切いなくても、あるいは男女同数程度でも、偏差値が低いやつが集まる集団はやっぱりキツイ。現場仕事系とか、一部サービス業とか。
お前ら看護系のヤバさわかってないだろ
いやいやいやいや
増田は公立の看護専門学校と国公立大の看護系学部に教えに行ってるけど、ヤバイよほんとに。
これが低偏差値の世界かあ……ってなるもん。嘘言ってるんだろハイハイって思うかもしれないけど、ガチだからねこれ
たとえばだけど、
・60点満点のテストで取った点数を100点満点に換算できない←国公立大大学の看護学部すらそう
・教員(元看護師)「ウイルス対策としてパソコンで資料を作るときはUSBメモリ上でのみ編集しなさい。本体に移してはいけません」
自分は理解を助けるために算数の話(割合とか)をすることもあるけど、教員による個人差が大きい。相手が東大生でもFラン生でも講義内容を変えない教員も多い。
でも、自分は食いつなぐために塾講師を長くやってきたけど、理解を助けるための算数の話が不要になるのは、文系だと旧帝、早慶の上位学部の子たちくらいだと思うで。
専門学校に教えに行った時に、大学に来る子のほうが常用漢字を読める率が高いと感じた。
学生たちの素行が悪いと想像してる人もいるが、Fラン大学に来る学生というのは、勉強が苦手でも高額な学費を払って子供に大学教育を受けさせてあげたいと考える家庭で育っている子どもたちである。むしろ素直でまじめな人たちばかりだ。学内のサークルの勧誘などを見てるけど平和なもんだよ
たとえばあるFラン大学では、女子トイレに豪華なパウダールームがあることを宣伝している
就職サポートしっかりやりますとか、そういうところを推す大学もあるので全部がおかしい訳では無い
増田は看護専門学校に外部講師として教えに行っているが、専門学校については治安が悪かったり、常用漢字を読める率が低いところもある。小児科や毛髪が読めないなど。
ググりました!
明治大学中退後、東京厚生年金看護専門学校に入学。同校を卒業後1987年より東京厚生年金病院に勤務。内科病棟を経て、神経科病棟および緩和ケア病棟の看護師長を歴任する。
小林光恵
茨城県立鉾田第一高等学校在学中は地学部やチアリーダーで活動をしていた。1982年に東京警察病院看護専門学校卒業後[1]、看護師、編集者などの経験を経て、著述業となる。
国立療養所宇多野病院付属高等看護学校卒。都内で看護婦として働く[1]。夫は新聞記者の柴野徹夫。1987年に『看護病棟日記』を刊行して話題となり、数冊の著作をなした。
山中利子
室園孝子
久留米医師会看護専門学校卒業後、聖マリア病院へ勤務、並行して音楽専門学校にてボイストレーニングを重ね、バンド活動等を経験。 二児の母になったのをきっかけに執筆活動を始める。
真杉静枝
1911年に一旦日本に戻ったが、再び台湾に戻り、台中の看護婦養成所を卒業して1916年から看護婦として台中病院に務める[1]。
弥永英晃
看護師として救急救命・外科・内科・整形外科・脳外科・終末期医療・訪問看護・精神科の経験、病院・クリニックの心療内科・精神科・児童・思春期外来で病院カウンセラーとして勤務。独立し「心理カウンセラー・メンタルトレーナー・作家」として活動。
吉見マサノヴ
ルイーザ・メイ・オルコット
1860年にオルコットは「ジ・アトランティック・マンスリー」(The Atlantic Monthly)誌に作品を書き始め、また1862年から1863年にかけて六週間ほど、ワシントンD.C.のジョージタウンにある合衆国病院で看護婦を務めている。
1997年、家族がコンピュータを買ったことをきっかけに小説を書き始める[2]。この時、看護師になって20年が経っており、まだ看護師という職業が好きだったが、何か新しいことを始めてみたいと思っていたという[1]。
ヴィッキィ・バウム
いや、Male nurseもだいぶ増えてるんで、ぜひお見知りおきを。
齢40。
元々は専門学校卒だったんだよね。
まあ、公立専門学校は学費はビックリするくらい安くて、奨学金をもらうとプラスになったのはありがたかったけど。
(まあ、それも家計に消えるし、看護学生時代もアルバイトに明け暮れたんだけどね。)
社会人大学院生としての生活は、かつての夢が叶ったように思えて、さらには実践の中での疑問や葛藤も研究テーマとして取り扱えたこともあり、毎日がとても充実していました。
さらには、わたしには勿体無いくらい、ステキな指導教員に恵まれ、とても丁寧に研究指導をしていただきました。
研究のイロハが分からない僕にはいろいろと頭を悩ませたのではないかと思います。
また、あちこちで「働きながらの勉強は大変じゃない?」と、言われることは多かったのですが「実践家として、研究を学ぶこと」は、かなりよい体験でした。
臨床では、当然「目の前の対象のために」という視点で頑張る訳なのですが、研究は「未来の対象のために頑張る」のでないかと思うのです。
だからこそ、もっともっと「働きながら進学する仕組みや文化ができるといいなぁ」と思いました。
リカレント教育に力を入れている大学も増えてきていますが、同時にまだまだハードルは高いのかなぁと思わされたりもします。
とにかく、私にとっては「勉強が楽しい」と思えたことに加え、「だからこそ、臨床って楽しいんだ」とも思えたのはホントにありがたい体験でした。
ぼかぁ、幸せ者だ。
私の最終学歴は専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。
弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。
そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである。
まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。
なんとか高校は普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばかしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校を卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。
何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビは斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである。
ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである。
この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人のお笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分が面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。
楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。
自分は勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。