はてなキーワード: アテンションエコノミーとは
お前炎上に割と乗っかりにいくじゃん
誰もが自明の前提として、大学は金持ちの道楽だと理解している。
基本的には、社会の大半の業務に関する汎用知識は、小学校から高校卒業までの年月をかければ十分獲得できる。
しかし大学はわざわざ高い学費を支払って学ばなければならないのだ。
貧者の親は、子供に対して「学費はお前自身で稼げ」と言うだろう。その子供が学ぶ能力があっても、である。
自分自身で学費を払わなければならない者だけが、「大学は金持ちの道楽である」という文章を真に理解することができる。
しかし、学ぶことは主体的行為であるので、大学を必要としない。
仮に「超弦理論を学びたい」と思えば、インターネットを使うだけで学ぶことができる。
この世の中はすでに「アテンションエコノミー」であると言われている。なぜ大学へアテンションを注ぐことを当たり前の行為と考えなければならないのか。
確かに、学歴フィルターといって応募者を足切りするJTCも沢山あるだろう。だからなんだというのか。東大・京大へ行けない者は高卒で良いではないか。
例えば英語とプログラミングのスキルを持っていれば、国際的に働くことは可能だろう。そのようなスキルは無料で手に入れられる。
エリートたちが金の余裕のある層を評価し、社会を牛耳るならば、非エリートは別のやり方を模索するべきだ。
エリートに従順に従うのではなく、非エリートのコミュニティを作り、非エリートのやり方で知識・スキルを向上させ、そのコミュニティの中でイノベーションを起こす。
シリコンバレーでは、大物が大学中退者であることが多いという伝統がある。
従順な羊であることをやめよう。非エリートは、羊を先導する山羊であることを望め。山羊は確かにスケープゴートとして駆使されるが、経験豊富であることは確かだ。