はてなキーワード: インドアとは
出不精なので、SNSでもなんでもそうだけど、他人のプロフィールに趣味が羅列してあるのを見ると、マウント取りたいんだろうかと思ってしまうことがある。
「趣味は自転車、カメラ。最近はサウナ、キャンプ、ボルダリングなど。イングレスもやってます。」
みたいなのとか。特にアウトドア趣味が多いとうわっ、と思ってしまう。
アウトドア趣味を列挙すると健康的に見えるみたいなのがあるかもしれないとは思いつつ、あんまり多いと趣味ばっかりだなこの人、みたいなふうに思ってしまい、なんとなくマウントを取られた気分になり、それ以降その人の事があんまり好きになれない(インドアとアウトドアの差)。
「趣味はドライブイン探し、珍しい自動販売機探し、車載動画ウォッチング。ボランティア活動もやってます。」
むりやり自分にあてはめてみるとこんな感じで、マウントの取りようがない。かえってボランティア活動だけに絞ったほうが取れるんじゃないかと思うこともあるけど、なんかボランティア活動してるぞーというのをプロフィールに書くのもそれはそれでなんかな、という気はする。
というか、ある程度のスペックがある男女で結婚したいなら絶対やったほうがいいわ。
男なら30代前半、女なら20代後半が恐らく一番いい。
故に女で迷ってるなら30歳までに登録すべし。
30歳以上だと相手は30代中盤~後半がメイン
(20代に相手にされないか、30代前半の男に勝てない層)になる。
アプリで盛りまくり、相談所の紹介なのかブルーバックとかピンクバックで
キメ顔なのもちょっと引かれる傾向にある。
普通に旅行した時の写真とか結婚式の集合写真とかで写りが良いやつトリミングしとけ。
上にも書いたけど女は顔めっちゃ見られる。
ただ小さくて顔見えないようなやつとか、後ろ姿とか、
そういうのだとイメージできなくてイイね躊躇するんだよ。
ぶっちゃけ普通であれば返す。顔なかったり小さかったら返さん。
男はやはり4大卒じゃないと厳しい。Fランでもわからんから気にすんな。
女は特に問題にはならん。短大、専門卒以上だとやや有利ぐらい。
20代後半なら500万以上、30代前半なら600万くらいあれば土俵に立てる。
マッチングアプリで結婚相手を探している場合、年収は女性の年齢・容姿と同じ価値だ。
逆に女性は「こいつ養ってもらう気満々だな」でなければ(レンジでいうと200~400でも)大丈夫のはず。
情報はほどほどにしとけ。
大量にあると読むのも疲れるし、それで全てになってしまうからメッセージが続かない。
ある程度ツッコミしろを残していると、内容もシンプルだしメッセージや会話が弾むはず。
それが伝わる程度で一切合財を書く必要ない。
仕方ないことだけど、タバコ吸う、お酒飲めないは出会いの数としては減ってしまう。
とはいえ、同じような人は集まりやすい。なぜか男で自分は吸うけど相手には非喫煙求めるのもいるが。
上を満たしていれば普通にいいねは届く。自分好みであるかは置いておいて。
あんまり話進まないなーと思ったらなんとなくのイイねでピンと来てないのかもな。
時にはさっさと切り上げて次にいった方がいいかもしれん。
実際に会ったらそんなに盛り上がらなかったりする。コミュ力あれば別だが。
アプリで会ってこの後二度と人生で関わらないんだ。大胆に行け。
あと、相手も数多の異性とやり取りしてることを忘れるな。
中の人は「金を払ってでも話を聞いてもらいた……そうだ病院に行こう」のノリだったと供述しており
身バレを防ぐために、具体的に詳しく書けない部分もあるけれどそこは許してください
前提として、これを書いている中の人は、地方大学3年生で、イベント企画/運営を授業の一環としてやっています
そのイベント関係でいろいろメンタルがゴミになってるって話をします
ここ1ヶ月の生活
7時半に起きて、帰ってくるのは20時ごろ
ただ本当に、家に帰ってくるとお風呂に入って寝ることしかできなくなってしまった
食器洗いも、自炊も、掃除も、洗濯も、何もできない、する気力がない
元々人との対面コミュニケーションがすこぶる苦手で、けれど多大なるMPを消費すれば「できるフリができる」せいで、どんどんそういったコミュ力が必要な仕事を任されてしまっていた
私がその仕事を断ると、他のメンバーに負担がかかるのが分かっていたので極力引き受けた
それがマズかったのかもしれない
拘束時間はブラックではないと前述したけれど、休みは無いに等しかった
いつでも外部連携の人たちから連絡のメールが届き、なるべく早く返信をしなければならない
逆に返信がこないところには催促のメールを打たなくてないけない
休日も別イベントに宣伝のために参加するとなり休みは潰れた(しかもここでも不特定多数のいろんな人とコミュニケーションを取らなくちゃいけない)
基本的に、休み=カーテンも一切開けないで家から一歩も出ずなるべくSNSも見ないで自分の好きなことをする、の外との繋がりを遮断したい自分が、そりゃまあ耐えられるわけがないんだよなぁ、書きながら納得してしまった
日常生活にも少しずつ支障が出始めてきた頃、就職の話をよく聞くようになった
そういう話を聞く場はほぼ強制参加で、さんざ脅された
「大手企業はリーマンショック後と同じくらい採用とっていない」
「コミュニケーション能力が一番求められている」
「インターンシップから就職が決まった人のサクセスストーリー」
焦った
だって、たかが大学の授業でやってるイベントですらこんなメンタル死んでるのに、社会に出られなくない?
そんな気持ちを一カ月くらい抱えていた
友人はいないわけじゃない。だって「コミュ力が高いフリができる」から
実はこんなインドア根暗なやつだったって思われなくない、というか今後そういう思いを持って私に対応してこられるのが嫌だなと思ってしまったから
親も相談相手にはならない、大学以前の友人にも、大学の友人と同じ理由で相談はできない
ふと、それこそ就職の話の時に思った
最初に思いついたのはキャバクラだったけど、そもそもそんなところに行く元気はない、というか多分話せないでできるフリの自分が出てきてしまいそう
そしたら病院か?
あとはそのお話中に、メールで予約できる近場の心療内科を探して(電話がかけられない)、家に帰りスケジュール帳とにらめっこして何とか空いている時間を見つけて、予約を入れてしまった
そういう人が大多数だと思うけれど、むしろ自分は「近くにいる人の方がハードル高い」
病院でどんな話するかも全く分からないし、そもそもお金引き下ろさなきゃ銀行開いてる時間に暇作れるかなとか、色々思っているけれど
人とコミュニケーションとると異様に疲れる性格(?)が幾分か改善されて、日常生活が普通に送れて、就活にも支障が出なければいいなぁと思う
ここまで読んでくださってありがとうございます
娘は小5、あまり人見知りしないで誰にでも声をかけられるけど、特定のグループとつるんだりするのは苦手なタイプ。
どちらかというとインドア派で、休み時間は一人で本を読んだりすることもあれば、誰かと遊んだりもする。
娘のクラスには男子の問題児がいて、低学年のころはそいつにいじめられて不登校問題が起きたりした。
今年は運悪く問題児と一緒になり、男子も数名影響を受けて騒いだりしているらしい。
担任は今年から教師になったばっかりの女性で、注意しなくはないがなんとなくなめられてはいるらしい。
娘が気にしているのは仮にSちゃんとする。物静かで休み時間も一人で本を読んだりしているらしい女の子。
「家が貧乏」だの「こんだこともできないのか」など。
目立ったいじめにはなっていないようだが、なんとなくその子が失敗すると、一部が責める、みたいな空気ができつつあるらしい。
うちの娘は親にまったく似ずまじめで、運動家も一生懸命やるし小さい子の面倒も積極的に見るようなタイプ。
正義感が強い。でも勉強や運動がすごくできるわけでもない。目立つグループに入っている訳でもない。
正直なところ、いつ標的になってもおかしくはない。
その娘が、Sちゃんがいじめられそう、と言って泣きながら相談してきた。
卑怯だけど、親としては自分の娘が大事、学校の中では守ってあげられない。
だから、Sちゃんと一緒にいてあげなさい、とはなんとなく言えなかった。
こっそり匿名で学校に言うとか、何かやるときは他の子とグループで行動しなさい、とか。
親としてどうするのが正解なのか、よくわからないでいる。
よぉオタク、よく来たな。
そりゃタイトルにオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは、
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さて、attention!
そう、pixivのlogとかによくあるあれだ。オタク、よろしく頼む
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・このエントリにはガルパライブ5thの両日ネタバレが含まれます
・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)
・なんでも大丈夫な方のみどうぞ
・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。
さて、それでは話を始めます。
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悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。
CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。
ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。
オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で
定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています。
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さて、そんな私の過去ですが、物心ついたころから捻たタイプの百合厨でした。
わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、
それ以前の私は女子プロレスにキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、
嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。
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一方で成績も悪くなく、本が好きなデブとしてオタクの例に漏れずインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます。
バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はいい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、
演奏技術として課されるノルマも相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。
感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく
――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツやレベルで推し測ることができるものです――
ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。
まぁそれは今も変わってないのですが。
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そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――
大学受験に失敗し、ラブライブに出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタクが大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。
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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれたオタクは、project DIVAにのめり込みます。
extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人。LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易にスクフェスに手を出します。
浪人期の私にとって、スクフェスは勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ、二次創作で無限に供給される百合。
オタクがオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステのサービス開始一年前とかの話です。
オタクがラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。
曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。
アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望に共感することができたのです。
自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。
理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズのNGお披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。
そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。
ストーリーが死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、
どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんのオタクになります。
普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。
そして何気なく見てたyoutubeで、オタクはラブライブのライブ映像を目にします。
始めは何気なしにアニメのライブか、程度で見ていたのですが、オタクは気づきます。中の人がマジでパフォーマンスしていることに。
ラブライブはアニソンの例に漏れず歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンスを再現しています。
このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブのオタクになりました。
しかし時は5thライブ直前、ラブライブのオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。
アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます。
結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、
それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります。
そうして、初めてコンテンツの興隆と寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。
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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。
あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPとEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。
プリパラは3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。
とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。
二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、
他人から「ホントにヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。
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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります。
大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクはキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、
奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。
オタクの音楽の趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、
大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推しは奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaはめっちゃ好きです。
Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話からの再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります。
dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメの最終話、主人公機覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。
とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaのプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。
ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。
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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス。
片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます。普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、
この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかしオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます。
それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈はリサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoseliaの精神的支柱だという気付きを得ます。
そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズとガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。
引退。よくあることですね。ラブライブのオタクとしてμ'sの実質的引退を経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、
Roseliaのメンバー、中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタク、FGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。
このオタク、ホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。
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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きます。ガルパライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?
ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。
もともと田舎出身の貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtubeに公式が上げている
映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。
ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVでRoselia」くらいの認識だったと思います。
許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。
その週、気の利くラッキーボーイはGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属のRoselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。
これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。
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GiGSに載ってたのはRoseliaの中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります。
全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年。
かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります。
Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。
そして見せてもらった1stライブ。中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいはぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。
そしてゆりしぃはリサでした。まごうことなき今井リサでした。ツッコムわトークを回すわリサゆきだわでオタクはRoseliaの中の人たちにもメロメロでした。
キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaにメロメロのオタクにはあまり関係ありません。
というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。
こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。
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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライトの演出とかほんま神だったしポピパの中の人の新曲への熱意が凄かったしでオタクは普通に楽しんでいました。
ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります。何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。
ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。
そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンス、ライブとしてのラブライブをちゃんと終わらせてなかった、
ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、
幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、
それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。
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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。
何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています。
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声となって
表情となって
導いてくれる
やさしい人よ
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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。
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二番に入り、
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離れていても 帰る場所がある
どんな時でも 傍にいてくれた
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Aメロはリサであるゆりしぃのことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。
たとえRoseliaのパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、
Roseliaのメンバーにとって、ゆりしぃはリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。
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太陽となって
月となって
照らしてく
つよい人よ
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陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。
Roseliaのベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、
これからはRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。
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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます。
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「あなたがいれば、怖くないよ」
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と
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名前を呼ぶ声
こんなにも特別な事だと
想い あふれてゆく
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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。
これからいなくなってしまうゆりしぃが呼んでいた誰かの名前、Roseliaのメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別なものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。
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29歳女性です。8年以上彼氏がおらず、昨年転職・転居を機にパートナー探しを始めました。
周囲に紹介をお願いし、今年の3月に1人の男性とお会いすることになりました。
相手は35歳男性、士業でスペックとしては申し分のない方でした。
共通の知人同席の食事会の後すぐに先方から連絡が来て、これまで2−3週間に1回のペースで食事に行ってきました。
食事の帰りに手を繋いで駅まで帰ったり、「○○に行ってみたい」と遠出の話をすると乗ってくれたり、私のことを褒めてくださったり、といい雰囲気だったと私は思っています。
しかし、先日ドライブデートの後に「付合ってください」と告白したところ、「付合う、ではないんだよね」と言われてしまいました。
「△△さん(私のことです)は△△さん、というカテゴリで、彼女とかではないんです」とのことです。
私は先方のことを「素敵な方だな」と思う一方で、インドアでコミュ障の私とは対照的に、アクティブで友人も多い彼と合うんだろうか、とは思っていました。共通点は職業が同じなことくらいです。
しかし一緒にお話ししていると、仕事の話もプライベートの話も楽しいし、気遣いも自然で、こういう人と付き合えたら、と願って自分から告白してみました。
お互いにフリーである男女が食事して手を繋いで、たわいないLINEをして、その関係性に「付き合っている」という合意が欲しかった私は、ただただ恋愛の経験値が低いのでしょうか。
昔は食べても食べても太らなかったんだが最近腹が出てきたから、体型保つコツを自分より年上で痩せてる人に色々話きくんだが
30後半で痩せてる人はみんな、ジム行ったり走ったり、運動してるもんなんだなーと思った。
俺は死ぬほど運動苦手なんで、ジム行ってるって聞くと「すげー頑張ってる人だなー」って思うんだけど。
でもやっぱり、おっさんになったら、そういう頑張りがないと、ぶくぶく太ってくってことなんだな………
おっさんは大変だ。
逆に言う
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仕事の大部分は田畑を耕すか、石炭を掘るか、背嚢と歩兵銃を背負ってひたすら行軍とかそんなの
そら女には務まらんわな
男ってだけで尊敬されたのは、単に(平均的に)筋力が上だったからってだけ
もっと言ってしまえば、男でも筋肉労働苦手のインドア派のオタクみたいなのは、ほとんど相手にされなかった
大多数の労働が上記のようなもんだから、ホワイトカラーの高学歴者なんか人口のごくわずか
-
(ちょいと長めです)
友人夫婦の話。どこにも吐き出すところがなくて、ここに。
いや、いた、といった方が正確だ。
我が家に子どもができてからも、向こうに子どもができてからも数ヶ月に一回はお互いの家に泊まったりするくらいの仲の良さだった。
僕ら夫婦も友人が多いタイプではないので、ほぼ唯一と言える付き合いをしている友人だった。
旦那Aはそんなにテキパキ仕事ができるタイプではなかったが、顔立ちもよく、スポーツ万能で、場を和ませるチカラには長けているようなタイプだった。
奥さんのBは、とにかく可愛らしく、職場でも人気がある人だった。繊細で涙もろく、でも、真っ直ぐで芯がしっかりしていて、びっくりするほど字が綺麗だった。
いつでも、どんなときでもキレイな言葉を使う人で、男女問わず好かれていた。
感受性が豊かで、一度、みんなで夜の海を見に行った時に「夜の海が怖い。吸い込まれそうになるから・・・」と結構、本気で話していた事をよく覚えている。
Bもパートで仕事をしているにも関わらず、Aは家事を一切しないタイプだった。
基本的にBが家事の一切を引き受けているという平成らしからぬ家事分担には我々夫婦も若干眉をひそめていたが、そんなAには特技があった。
Aはとにかく子どもと遊ぶ天才にみえた。Bはそれをいつも微笑ましく、ニコニコとしながらみていた。
僕は子どもと遊ぶにしても、「あとの片付けが大変だよな…」とかいろいろなことを考えるとリミッターが外せない。
でも、Aは違ってた。
たとえば、家の階段(3階建て)に布団を敷きつめて滑り台を作ったり、みんなで泊まったホテルの部屋のベッドを横に立てて、その上を子どもたちを歩かせるような即席アスレチックをつくったり…例を挙げようとしてもキリがないが、それ以外にも、とにかく子どもと遊ぶことに全力を尽くしていて、Aも子どもたちと遊ぶ時はとても楽しそうにみえた。
ビデオゲームが大好きな我が家のインドアな息子も、彼のファンだった。
6歳の頃から、我が家の息子は「○○は、俺の親友だ」と憚りなくいっていた。
僕たち夫婦はAと会うと、リミッターが外れた遊び方には多少は疲れるけど、その一方で本当にありがたくも感じていた。
そんなAは、娘さん(言い忘れたが、彼には娘が二人いる)の幼稚園でもある種のヒーローのような存在だったようだ。
しかし、同時に僕は、彼からどこか危うさみたいなものを感じていた。
少し夫婦で込み入った話をすると、黙り込んだり、その場から立ち去ったりする。
一度、自室に戻って壁を殴って、穴を空けるというようなこともあったようだ。
(そのときのBは、「私の言い方が悪かったのかな…」と自責的で大変な落ち込みようだった)
そんなAB夫婦と、我々夫婦が距離があくキッカケになったのは、Aの浮気だ。
繊細なBがAのスマホに、浮気相手との動画をみつけてしまったのだ。
それもかなり強烈なヤツ。一個や二個じゃなくてかなりあったらしい。
まあ、細かい状況は省くが、それがあって、Aは失踪さながらに連絡を経ち、家を空けた。
「もう、Bの顔をみれない」「消えてなくなりたい」というような内容のLINEを残して。
もちろん、その後は連絡がとれなくなった。
私達夫婦はその話を聞き、「どうせすぐに出てくるよ」と、本当に呆れていたが、繊細なBは浮気のショックと失踪さながらの状況に半狂乱になっていた。
Bが電話をかけてきた時の様子は今でもよく憶えている。
「あの人、死んじゃうんじゃないか」
「パニックになりそう!」
ああ、人間はパニックになるとこういう風になるんだ、と思った。
(僕はどうせ漫画喫茶にでもいるだろうから「iPhoneを探す」で場所を割り出して、乗り込もうと思ったけど、さすがにGPSを切ったようでみつからなかった)
(みつけたところで、乗り込むのは刺激が強いだろうから避けるように言われただろうけど)
結局、数日で、Aはおめおめと出てきたのだが、
(レスだったらしい)
「Bにはなんとお詫びしたらいいか分からないけど、これからは全力で家族を守る」
とか、なんとかと話したらしい。
と、まあ、そこまでくらいは、あるいはよくある話のひとつなのかもしれないけど、これには続きがある。
AB夫婦とは連絡が取りづらいような感じが続いていたのだが、1年以上が経って、ようやくウチの妻がBと先日会った。
「最初は、Aが帰ってきてくれてよかったと思ってた。」
「だって死んじゃって、帰って来ないかもしれないと思ったから。」
「あとね、言ってなかったけど、Aの浮気と同時期に私の父親が脳梗塞とその後遺症に関連したウツ病が悪化して自殺したんだ」
「実は、その前に母親から「お父さんの様子がおかしいの」「ちょっと見に来てくれない?」と言われていた。私は、フラッシュバックもあって、激やせして…いけなかった」
「Aは外では、本当にいい父親をしているから、浮気の話は誰にも言えなかった。亡くなったお父さんの遺言も『家族4人で仲良くしてね』だった。Aの浮気の話は、母親にもいえない。本当に誰にもいってない」
「そしたら、お父さんは死んでしまった」
「この1年、ずっと、私のせいだと思ってた。私がお父さんのところに行けなかったからお父さんは死んだんだ、って。」
「…でも、違った。殺したのはA。私が行けなかったのは、アイツのせい…だから、アイツが殺したと思った。お父さんを殺したのは、アイツ。」
「そしたら、途端に憎くなった。心の底から。こんなに人を憎いと思ったのは初めて。」
「そんな彼を子どもたちは心の底から慕っている。家族も、親類も、友達も、みんな『Aと結婚してよかったね!』『理想のパパだよね!』っていう。憎い。本当に憎い。早く死んでほしい。」
「だから、私は誓ったの。私は人形になるって。何も感じない人形になる。彼の妻を完璧に全てをこなす。仕事も家庭も。」
「もちろん、セックスもしてるよ。ピルを飲んで週2回。ヤッてる最中も、ずっと、死ねって思ってるけどね」
「浮気相手を訴えようと思ったけど、音信不通になっちゃって…探偵を雇う余裕はないから、今は放っておいてる」
「こないだAがこういったの。『あんなことがあって、それでもよかったね。こうして、Bとのキズナも取り戻せたし』って。」
「心療内科の先生にも、『あなた、強すぎる。そんなことをやっているといつか壊れると思う』と言われた。でも、こうしていないと立っていられない」
僕は、怖いような、哀しいような、苦しいような、暗闇に突き落とされたような気持ちになった。
きっと、Bは、こんな色の世界の、それも、もっと深い穴の中にいるんだ。
僕は、居てもたってもいられず、とにかく、なんだかAの存在を消したくて、手元にある3DSからAのMiiを消した。
(任天堂 3DSデッドヒートブレイカーズにはMiiが出てくるんだ。なかなか、小気味よくて、前作より遊びやすいし、ジローはカッコイイ)
<追記>
もちろん、Aの浮気は本当。
その場にいって、状況を確認した友人もいる。
BはAと心を殺しながら、今も生活している。
「セックスが終わったときが一番ホッとする。『これで3日しなくていい』と思う」
「同じ空気を吸っているだけで吐き気がする」とも話していた様。
でも、Aは、きっと、本当に許されていると思っているんだと思う。
僕自身は、彼らの課題は、彼らに乗り越えてもらう他ないと思っている。
まあ、できることは実際なにもない。
すまん
それと先に書いておくと書いてる俺自身がクズ(真面目系クズ)すぎて
イライラを感じる人がいるかもしれないのでそれだけ断っておく。
とりあえずなんでそろそろ死ぬと思ってるかというと
人生が上手くいかなすぎて生きるのが辛いからです、すごくよくある話ね
「つらい、死にたい」ってさっきも泣いてたんですけどこれ鬱なんですかね
診断書もらってないどころか病院怖くておっくうで行ってないんでわからないですけど
現況はですね一応身分上は大学生で実態は不登校の引きこもり(実質二年目)です
不登校になった理由はほんとくだらないしありがちだけど後で書きます
やりたいことは腐るほどあるんだけどやる気力が全くない
アニメとか映画観たいしゲームもしたい、絵描きたいしプラモ組みたい、
買った玩具やフィギュアでブンドドしたい、学校は行けてないけど勉強したいことはたくさんある、
ほんとはあのコラボカフェ行きたかったしあのイベント行きたかったなあ…
やりたいことはあるのに一日終わってみると何もできてない、ごはんすら食べられてなかったりする
そしてこれが精神を削る原因になってる
一日のほとんどを布団の上ですごして今日も何もできなかったと思うのが辛い
ツイッターで他人がやりたいこともやりたくないこともやって人生を謳歌しているのを見て余計に辛い
その辛いが積み重なってもう死んじゃっていいやって思ってるわけ
どうせ不登校なら毎日街で飲んで朝帰りとか友達と徹夜麻雀とか徹夜カラオケとか
一言で言うならば「自滅」です
クソみたいな人生だった、いや、クソみたいな人生にしてしまった
この頃から「やりたいことはあるのにできない」という状態に陥ることは間々あったが
課題もちゃんとやって出してて成績も良かったからそれが辛いこととまでは思わなかった
緩い文化系の部活だったけど一応部活入ってたし生徒会もやってた
成績はどれくらい良かったかっていうと2回に1回は1位取ってた
少し後の話だが、このとき俺と実力伯仲してたやつ
俺が中学の時から目指してたのと同レベルの大学に現役で受かって
人間性を保てていたような気がする
といっても帰宅部だし生徒会も中学で面倒だったから高校ではやらないという
(ダメなタイプの)決心をしていたので思えばこの時からやばかったのかも
おまけにちょっとした自分のミスで(元々あまりなかった)受験勉強へのモチベを失い
さらに怠けクズが加速した、課題はこの頃から出さないのが出てきたような気がする
ちなみに何で課題にしか触れていないかというと勉強は課題しかしていないから
テスト前の詰め込みも二年のころからしなくなり三年ではほとんどしていた記憶がない
当たり前のように志望は中学のときから落としたが当たり前のように大学は落ちた、浪人した
「やりたいことがあるのに何もできない」状態がデフォルトになったし
なんで浪人したんだ、ほんとに
結局前年受けた大学に再挑戦すらできず駅弁になんとか滑り込んだ
この時点で「プライドばかり高かった成れの果てのクズ(既にダブリ)」のできあがりである
このときはまだ希望という名の未練があったから死ねなかったようだ、二年も余分に生きてしまった
さっきから触れている高校からの怠けクズメンタルと根本的文章力の無さ、
ほとんどレポートを仕上げることができず、提出するもん出せないのに講義に行ってもダメだよな…と
外に出ると学校の人に会うかもしれなくて怖いからね、だからたまの買い物も深夜か早朝に行く
教授もクラスの人たちもみんないい人ばっかりだったんだけどね、たまに学校行くと優しく声かけてくれるしさ
まあそれが余計に辛かったんだけど
コミュニケーション能力かやる気のどちらかがあればきっと20%くらいは
ましな人生になったと思うけど、俺にはどちらもなかったのでこうなってしまった
まあいいや、しても
読み返してみたら(やっぱり)自分がクズ過ぎて早く死んだ方が世の中のためだなと思った
親には予備校の分も大学の学費分も還元できてなくてすごく申し訳ないし、
どうして俺みたいな不良債権ずっと持ってられるんだろうと思う、勘当したいときいくらでもあっただろう
できれば消化する前に死にたいがな
こんな考えが幼稚で未熟で社会の歯車になる覚悟のない無価値な人間は死ぬべき!
本当に最後に。夢って何なんですかね、少なくとも持ち主に劣等感と無能感を植え付けて
苦しめるためのものじゃなかったと思うんですけど
この記事は過去二つの記事を前提としていることを、最初にお断りしておく。
https://anond.hatelabo.jp/20170315161240
https://anond.hatelabo.jp/20180403003916
うつの揺り戻しの勢いで後日談を投稿した後、自分で読み返して「これ書いた人相当病んでるな」と他人事のように引いてしまった。
可哀想な元派遣社員が身も心もすり潰されて不幸のドン底にいる、という筋書きの方が読み物としては面白いのだろうが、実際はそうでもないので、もう一つの後日談を綴っておく。「同情や心配して損した!」と思って頂ければ幸いである。
仕事を辞め、諸々の手続きを終えて少し経った頃、タンポポを堀りに行った。
子供の頃使っていた植物図鑑を見つけたのだ。野草を使った遊びが色々書かれており、ほとんどは試したことがあるのだが、大きな刃物を使うもの、食べるものは母が許してくれなかった。
で、そこに書かれていた「タンポポの根のコーヒー」を大人の力で作ってみようと思い立ち、近所の土手でタンポポを探した。長い根を掘り出して、洗って晒して刻んで炒って煮出す、二日がかりの大仕事である。
手間暇かけてようやく出来上がった飲み物は、格別に美味しいわけではないが、喫茶店で「そういうブレンドです」と言われれば納得するような、中途半端な味がした。いっそまずい方が、ネタ的に美味しかった。
この話を友人にしたところ、「そんなにお金に困ってるの?」と心配された。好奇心ゆえとの主張も空しく、彼女からは誕生日プレゼントとしてコーヒーチケットを頂戴した。
同じ野草を食す行為でも、「山菜狩りに行きました」「自分で摘んできて七草粥を炊きました」はSNSのイイネを集めたというのに。美しい言葉には、現実を捻じ曲げる力がある。
粥に使ったお米は、親戚の田植えを手伝ったお礼として貰ったものだ。
手伝いと言っても、PC仕事にしか携わったことのない私の貢献度は、その辺で虫取り網を振っていた子供たちと大差なかったと思われる。だがお婆ちゃんは「遠いところを来てくれただけで嬉しい」と、後日お米を送ってくれた。
親戚の家の最寄り駅までは、着替えと文庫本を鞄に詰めて、特急料金の掛からない電車を乗り継いで行った。
大学生の頃、そうした小旅行を何度かした。本を読みながら電車に揺られ、行ける所まで行って、適当な店で夜を明かす。知らない街を少し見て回って、また本を読みながら帰ってくる。あれは結構楽しかった。
貧乏旅行は年を取ると辛いというのが一般的見解だろうが、今の私は完全インドアだった学生時代よりも体力がある。
働き始めてすぐの頃、背中が痛むようになった。病院で「体の前面の筋力不足で背面にばかり負担がかかっている」と指摘され、ジム通いとジョギングを始めた。
以前は多くて週二回だった運動が、最近は三回に増えている。体組成計の表示はもちろん、筋肉が補修材を欲するらしく、味覚まで変わってしまった。豆腐や卵がすごく美味しい。こういう時は肉を食べたがるのが普通じゃないか、とは思うのだが、安上りなので助かっている。
先日、桜吹雪の中を走るのは気持ちいいに違いないと思って川沿いのコースを選んだら、花びらと同じくらい大量のトビケラが舞っていて閉口した。文字通り、という納得と、しょうもねぇ、というツッコミが交錯して、一人でフフッと笑ってしまった。
この調子なら仕事も出来そうな気がして、求職活動に挑戦する度に泣いたりゲロ吐いたりするものの、生活自体は概ね楽しい。
あなたの「頑張れば必ず良くなる」は、視野狭窄と思考停止だ。「雇用主はそんなに悪い人じゃない」も同様である。そう考えているのは既に危険な兆候なので、転職先を探すか、休職も視野に入れた方がいい。
嫌だと思ったら、それは表明しておくこと。この人は多少薄暗くても嫌がらない、周囲がうるさくても集中出来る、汚れた場所なら掃除をする。そうした自他からの評価の積み重ねは、あなたの労働環境を改善するどころか、より暗く、うるさく、汚い場所へ連れて行く。
安心して逃げていい。収入はないし夢見は悪いし、揺り戻しで病んだ文章を垂れ流す夜もあるが、一年後も生きている。
逃げるタイミングの判断を誤ったのは自分のくせに悲劇の主人公気取ってバカじゃねーの?とか、そういう自責、全然要らない。ズタボロのメンタルに自分でトドメを刺すのはやめろ。自己憐憫も陶酔も、心の麻酔としてはすごく効くから、痛みが引くまでは好きに使え。中毒や廃人化の危険を伴うのは体の麻酔と同じだから、そこだけは気を付けような。
まだどうにかなりそうなら、上記を参考にして欲しい。
自殺を考えるほど追い詰められている場合、別に死んでもいいと思う。「生きてて良かった」は文字通りの生存バイアスに過ぎない。
ただ、私は「この世から消えたい」という感情のピークに文章を書く作業で手が塞がっていたため、なんとなく死に損なった。結果、なんとなく生きている。
そういう風に、死ぬことは確定だが今は保留にしておく、という選択肢もあることは覚えておいて欲しい。私は近々好きな作家の新刊が出るし、友人の誕生日も祝いたいので、少なくともその間は保留だ。たぶん自ら死ぬより先に、事故か病気か寿命で死ぬ。
当時の私は、「死にたくない」と「消えたい」の間でグラグラしていた。今でもよくする。生き延びて良かったのか怪しいとも思っている。
それでもやり直しの利く方を選び続けて来られたのは、あなたのお陰だ。厚くお礼を申し上げたい。
一週間前の自分へ。
いいから早く寝ろ。もう少し暖かくなったらザリガニ釣りに行くんだろうが。
野草食ったりザリガニ釣ったり、心の病とは別の意味で可哀想で心配されるかも知れないが、私自身は割と楽しい。さすがに用水路で釣ったザリガニを食べる勇気はない。
インドアな趣味しかないからと言って出会いの機会が無いということは無いし、恋人ができないということも無いよ。
インドア趣味、友人縁者のつてなし、趣味サークルとかサードプレイス的なアレもダメとなると、ネット婚活かお見合いサービスしかないと思うだよ…
ネット婚活なりお見合いサービスでも「ちゃんとゆっくりお互い中身を知ってからつきあう」ことはできるよ。
ただし、就活とか不動産買うのとおんなじように、最初は広く浅く考えて、面接したり内見しないと結局なにがいいのか絞り込めないっしょ。
会ったら即交際・情交・結婚という話じゃないんだし、「一番大事な条件を1つに絞って、それをクリアした人」とか、「趣味が同じ人」とかと、とりあえず会ってみたらいいんじゃないかな。
個人的には「文化圏・価値観が合う人」というのが一番大事だと思うけど。
減点方式で相手を評価してたら、あっという間に35を超え40を超えるよ…マジで。
「とにかく人と会え!以上!」です。
只今三十路。この年齢にして未だ恋人を作れたことはない。もちろん興味は大いにあったが、そういう機会がなかったから結局ずるずると三十路という大台を超えてしまった。
現在、周りで付き合ったり結婚したりしてる人は、大学の頃から付き合っていたか職場で出会った人ばかりだ。
では大学から付き合ってないし、職場に出会いもない私はどうすればいいのか。
そう、私みたいなインドアな趣味しかない引きこもりはまず異性と出会う機会がない。
友人伝手という手もあるが、その友人たちも私の類友であるから、もちろん異性の知り合いなんていない。
付き合ったり、結婚したりしている友人伝手というのもあるが、都合良くそんな話は出てこない。(あいつはリスキーだから紹介はちょっととかなんて思われてはないはず。。)
婚活パーティやマッチングアプリにも手を出したが、どうにも上手いこといかない。
ここに手を出せば流石にすぐにできると思ったのだが甘くはなかった。
私は見た目や社会的なものは人並みであるとは思うので、出るとこ出れば恋人ができるとは思っていたのだが、自分と同じレベルの見た目と社会的なものを求めることはこの世界では高望みになのか?(あれ、もしかしてこれ叩かれちゃうとこ?)
というか、見た目的なとこと簡単なメッセージのやり取りでしかお互いわからないので、どうしても消去法で予防線を張っていくしかなくなり、こいつないな、で全部消える。
結果詰みである。
視野狭窄に陥っているのはわかっている。
趣味の社会人サークルに入ろうかと思ったがそんな出会い目的で入るのも失礼だし、そもそも急に入って生きたやつがサークル内で付き合いだしたら出会い目的バレバレじゃん。そんなん私だったらすごく不快だよ。
良くこういう話題で社会人サークルを進めてくる増田もいるが、私にはそういう割り切りは無理なんで申し訳ないです。
バーで出会うとかも、本当に何言っているかわからないのでごめんなさい。
先に注文ばっかりつけてしまって本当に申し訳ないのですが、というかこんな私でも出会えるところってあるんでしょうか?
出会い系アプリみたいにいきなり付き合うとかじゃなくて、ちゃんとゆっくりお互い中身を知り合ってからちゃんと付き合えるような場所です。
書いておきながら、なんかやっぱりない気がしてきたよ!
しんどい。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)
めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんのゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリの友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。
めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り。
私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。
私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲームや漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。
その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。
別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。
だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタルを物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳ないから…云々」という消極的な理由ではなく「ゲームの相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃんと対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。
でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは
「絶交無効」…陽
となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリは必要」であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。
19:00頃~
日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールのメジャーな建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林(群馬)→歌舞伎町(新宿)→極地研(立川)→シンガポール→フリーマントル(オーストラリア)が無難か。
キマリ&ゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。
無理ーってなってる日向を、自分のわがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身の性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティを肯定したからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。
シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、
同時に過去(日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活が存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。
19:35頃 ビジネスクラスのチケットを持ってムッフーなってるキマリ
前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラックや物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子)
アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子の関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。
本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい。
ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題が示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。
だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリ、ゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。
ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置でしかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介のとき「小淵沢…報瀬です…」という言い方からも彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向のフォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。
8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ
氷海域へ到達!波濤を進む砕氷船「しらせ」での艦内生活【南極観測隊シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947
船内のシーンでは声の反響がシチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい。
「特に荒波に揉まれる砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ
キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公のキャラデザ(キービジュアル)に個性的な伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラ、あんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイルな戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。
Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリの中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。
大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務を淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。
これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線に流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。
南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響とシンクロしてて、控えめに言って最高。
あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真(撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実の観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技やインドア競技で盛り上がるらしい)。
「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しかも自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しかも成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマそのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分は過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。
だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの
ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。
11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔
南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極の仕様を再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。
「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションをアニメで表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカーで大音量にして聴いてほしい。
朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極だから彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。
「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10話から本格的に基地での活動や生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語で彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。
ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからキマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話やカーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から「友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言。
大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌「ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。
現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題である(ex,宇多田ヒカル”Automatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSがポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品の意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。
元々あまりきつくない方だったが、歳なのか最初の2~3日はだるくて少し無理すると具合を崩すようになった。
だから、もう切り替えてその3日間は自分に楽させることにした。
仕事はどうしてもすぐやらなきゃいけないもの以外は「いつもの半分くらいのペースでいいや」という事にしてリラックスしながら作業。周期は把握してるのでその前後に倍頑張る。
大体キツい時にフルパワーでやろうとしてもかえってミスが増えるので、全体で見るとこっちの方が仕事が進む。
家でも、その3日間は家事も全部放り投げてだらだらする。一人暮らしなのでしわ寄せは全部自分に来るけどそこは未来の自分に期待。
食事もおかゆとかでササッと済ます。私は甘いものや油っこいものもキツくなるので。おかゆと味噌汁、美味いし最強。
寝たくなったら寝る。ただ、お腹の調子が悪くて眠れない日も多いのでそんな時は気になってた本を読んだりする。
普段心がけてる運動もしない。元来インドア派の自分を甘やかす。
前は「月に3日もキツい日があるなんて損してる気がする」と思ってたけど、徹底的に自分を甘やかす、と思えばかえって楽しみになってきた。家事やんなくていいし、さっさと寝られるし、気になってた本とか読めるし。だらだらアニメ見たり。
そろそろ飽きたし環境を変えたかったので10年勤めた会社を辞めて語学留学に来た
勤めていた会社はセクハラとモラハラがそれなりにあったけれど、残業や休日出勤に関してはほとんどなく、週末は充実した日々を過ごしていた
サッカーしたりサッカー見たりイベント行ったりライヴ行ったりたまに旅行行ったり
だが今は本読むことしかできない
やろうと思えば確かに全部この国でもできるんだけど物価が高すぎて結局はなにもできてない
郷に入っては郷に従え、こっちはビーチ大国だからとビーチには幾度か行ったけど趣味じゃなかった 1時間と待ってられないし泳ぐならプールでしっかり泳ぎたい
バーベキューもご飯は座ってきっちり食べたい
ブッシュウォークは短くても2時間、目的もなく歩く事が割りと苦痛
旅行だけならきっと最適なんだろうとは思うけどね