はてなキーワード: P90とは
・少なくとも、スマホの主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈の余地あり
・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。
・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。
■本作は五重構造になっている
②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジで映画作る主人公
あとは無数の映画のオマージュ、それから作者の過去作や実体験も重なってくる。
身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチは現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやすく表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。
■①
最初は主観視点でスマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画の王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?
18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます。
P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。
■②
P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホで隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初の作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用。
★"母親の死を冒とく"”あんな映像流して母親に申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"
続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画の文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列が編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムでスマホで撮った映像と、後撮りした映像がシームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。
P39、作中で言及されている通り本来は眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像をソフトで編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生の技術力を考えるとBかC。
P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブ。ファイトクラブは、本作のどこまでが現実で空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一の批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにもメタ構造のネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。
★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。
P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身が過去に編集と似たようなやりとりしてたことを過去のインタビューで語っていた。
★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機が主人公の口から言語化されている。
★P82で、作品のテーマである"ファンタジーをひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。
P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写に編集のウソが混ざっていることが明示される。
★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画をバカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼が死ぬシーンの説明。
P87で絵梨が意味深に沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公の提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86も過去回想シーンのため、編集。
P90~P93もそう。意図的に沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女の沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやすい表現で、電子掲載の特性が生かされていて良い。
★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分が面白いと思って作った作品が馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。
前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。
P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親に作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的にネタにしてアピールすることで、ネタにマジレスを防ぐと同時に、この作品のテーマの一つである虚構と現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。
★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"
ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。
P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。
P108。最初の出会いが病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気の存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。
P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画的表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。
P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。
★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"
ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。
P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。
■③
P151にて場面転換。
P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。
P164、ここから主人公のモノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらないからカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像が流れるのかな?
P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。
■④
P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作→現実へメタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼は実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼は映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。
★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。
映画のタイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス、定番のネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。
★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?"
恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。
★P191、最期の作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"
作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり、映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し。最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。
P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品が予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。
すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体を作品にしてやろうというところなのではないか。脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。
「父親に会いたい」だと思ってる人がいるけど、違うぞ。
「ジンに会いたいって思ってたんじゃなくってジンを見つける事が目的だったんだって…」(HUNTER×HUNTER 33巻 p90)
カイトはいきなり殴って不見識を責めたが、教育しているべき父親がいない事情を知って謝罪した。
ゴンはこのとき初めて父親のジンが生きていることに気づき、カイトはジンの凄さを説明した。
「ジンさんに認めてもらうための最終試験が『彼を探し当てること』なのさ これがどんなハントよりも難しい」
この時点では、幼いゴンはカイトの凄さについては分かっていなかった。キツネグマを一蹴した程度の能力しかみていない。だからジンの凄さもわからなかったはず。おそらくゴンはカイトの口調から彼の抱くジンへの憧憬を感じとり、それに共感したんだと思う。
ゴンの動機は「恩人が憧れる凄い親戚の人に認めてもらいたかったから」だと推察する。
トイアンナさんが困惑するのは当然だ。これは、確かに分かりにくい動機だ。ありがちな、自分のルーツへの好奇心ではないし、家族の温もりを求めていたわけでもない。言うなれば「力への意志」みたいな感じか。
「ああ、やるよ、クマ。最近のクマはネットぐらい嗜むって。あんたら若いのに、そんなことも知らないのか」
僕はその言葉を聞き、先輩と二人で青くなった。
話は二週間前にさかのぼる。僕は先輩と仕事帰りに安い居酒屋で飲んでいた。先輩は仕事面では頼りになるが、飲むといい加減なことしか言わない人だ。赤い顔をした先輩は、僕にスマホの画面をよこす。そこにはあるブログの画面が表示されていた。
「これ見てみろよ、クマだぞ、クマ。クマのくせにブログアドバイザーって、笑っちゃうよな。人間様がクマに教わってブログ運営なんで、二宮金次郎もビックリだな!」
「二宮尊徳は薪を担いでいた人ですよ。クマと関係あるのは、金太郎のほうでしょう。まったくもう、そろそろ帰りますよ」
「いいなー、クマ。巣にこもって一日中ネットやるってさ、最高の生活だよな。ーーああ、なんだか腹が立ってきたぞ」
「クマ、クマって、これは擬人化というか、ただのイラストじゃないですか。実際にクマがブログやっているわけがないでしょう」
「よし、決めた! 今度の土日は暇だよな。俺もお前も彼女いないし。山に行ってクマ退治しよう! ちょうどいい塩梅に、親戚にマタギがいてさ、人が足りないって話を聞いたんだよ。よし、頼もう! クマのくせにネットやるなんて許せないぞ!」
話は今に戻る。先輩の親戚だというマタギの先生は、変わった形をした銃ーーP90という、特殊部隊等で使われる短機関銃らしいーーを僕と先輩に寄越した。
「気ぃ付けなや。最近のクマは強えぇぞ。いいもん食ってるからな」
先生はどっしりとあぐらを組みながら、呵々と笑った。先生の歯はほどんど抜けている。
先生の話によると、最近のクマは市街地に住んでいるらしい。山岳まで開発の手が及んだ影響が大きいが、エアコンの発達により、冬でも冬眠せずに生活できるようになったことが移住の決め手になったそうだ。クマといえども生き物だ。食べなくては生きていけない。街での生活にはお金がかかるが、クマが人間に混ざって働くわけにはいかない。
クマが目を付けたのは、インターネットの世界だ。インターネットではお互いの顔は見えない。手間も時間もかかるし、頭を振り絞る必要があるが、インターネットを使えばクマが必要な生活費ぐらいなら稼ぐことができる。
「……ええっとですね、せんせい? 説明の途中で申し訳ないけれど」
ターゲットの家に向かう車の中で先輩が震えながら、先生に尋ねる。人のことは言えないが、銃の持ち方がサマになっていない。
「どうした。わからないことがあれば、何でも答えるぞ。もっとも、聞いたところで死ぬ奴はすぐ死ぬけどな!」
ひぃと、先輩は小さく悲鳴をあげながら、それでも質問を続ける。
「聞いた話をまとめると、特段人間様に迷惑をかけているわけじゃないですよね。退治なんか止めて、そっとしておいたほうがいいんじゃないでしょうか……」
「馬鹿野郎、野生を忘れた獣は獣じゃねえよ。クマはクマ。人間は人間。獣が人様と同じ暮らしをしちゃいけねえ。野生を思い出させるために、俺らマタギは市街地に押し入って、クマをとっちめるのさ。ーーおい、着いたぞ」
そこは一見普通のマンションであった。ーーとてもクマが住んでいるようには見えない。車を鍵が付いたまま玄関に止めると、先生を先頭に階段を駆け上がり、目的地に向かう。クマが住む部屋の隣の部屋のドアをピッキングで開け、侵入し、ベランダに出る。そしてターゲットが住んでいる部屋のベランダに忍び込み、様子を伺う。中の様子はカーテンが締め切られており、よくわからない。
「おい、構えろ」と先生が呟いた後、先生の合図に従って僕らは窓に向かって銃を乱射した。銃の取り扱い方の訓練は軽く受けていたが、本番とは違う。僕と先輩は悲鳴に近い大声を上げながら、必死に銃を撃つ。
撃ち始めてからしばらく経った後、「もういいぞ」と先生が言った。中の様子は変わらない。とりあえず中に入るぞと、先生がベランダから家の中に足を踏み出した途端に、衝撃波が頬を裂いた。横を見ると先生がいない。空を見上げると吹っ飛ばされる先生の姿が見える。僕は幼児向けのアニメ番組で正義の味方のパンチ一発でやっつけられる悪役の姿を思い出した。
そのクマは巨体だった。全身が茶色の毛に覆われおり、ところどころ弾がめり込んでいるが、攻撃が効いている様子はない。獣の筋肉を震わせながら、眼光鋭くこちらを射抜く。
「ああ、お前達が銃を乱射したせいで、家の中がめちゃくちゃになってしまったじゃないクマ! あれもこれも! 朝食のフルグラも! ブログのネタのため買った本も! ああ、パソコンまで! これから会社に行かなくちゃならないのに、どうしてくれるクマ!!!」
「あああ、寄るな寄るな、寄るなーーー!!」
先輩が銃を放つ。クマは動かない。先輩の放った銃弾は全て筋肉で受け止められる。クマは先輩の姿を冷ややかに眺めている。
「なにしてるクマ。ブログアドバイザーである僕には、銃なんて効かないクマよ」
「ブログアドバイザー? な、なんだよ、あのブログのクマじゃないか。な、仲良くしようぜ、な。お互い長生きしたいだろ? 健康のために、運動と瞑想と野菜350グラムを毎日欠かさずって、えええ!?」
先輩の言葉を待たずに、クマのラッシュが先輩の全身を撃ち抜く。目にも止まらぬ拳で先輩をボロ切れにした後に、先輩の頭をつかんでは振り回し、空へと放り投げる。さきほどの先生の飛翔より、距離は出ているようだ。
「その睡運瞑菜とか抜かす奴に、僕のブログがどれだけケチ付けられているか、知らないのクマかな。ところで、お前」
クマの巨大な黒目がこちらを見る。腰を抜かした僕は、立ち上がることすらできない。
僕は目を閉じ、合掌した。僕の無謀な冒険は、ここで幕を閉じる。二度と幕が上がることはないだろう。ああ、野生の力はおそろしい、おそろしい。