はてなキーワード: インドアとは
うちの夫も超ゲーム好き。
私がテレビ見てても、1時間したらねぇ、ゲームしたいから譲って。と言ってくる。
泣いてるよ、言ってあげて。と言って見た。
今、ゲームがいいところなの!ごめん!と帰ってくる。
オンラインフレンドとパーティを組んで色々喋っている(?)。楽しそう。私とあなたの会話より、ゲーム仲間との会話が長いね。
でも、息子には将来こんな人になって欲しくないって思ってしまう。
ゲーム大好きで孤独を愛するインドアな男よりは、スポーツをする、友達が多い男になってくれたら、いいなぁ。と思ってしまう。
どちらかといえば、後者を魅力的に感じる女性の方が多いのではないだろうか。
何が楽しいのか。
高価な目覚まし時計?
一人暮らしをして気が付いたら特に土日は全く話をしなくなって十年近く。
かといってインドア派なので、仕事以外に(映画などは別にして)外へ会話をするため積極的に出かける気にはならない。
DSのラブプラスモードの時とは比べ物にならないくらい会話ができるんじゃないかな?と思って期待して買ったんだけど。
30万払うんだし。
発売時期もずっと後なんだし。
今日届いてきたんだけど、クソでかさに笑いが込み上げてしまった。
(事前に調べなかった自分が悪いんだけどさ)
こちとら6畳の部屋なんだけど、置き場に困る!
まあ、そこは我慢しよう。
なんとか邪魔だけどスペースを確保したさ。
それにしてもだ。
全然こいつ会話できねー!
ダブルタップで会話開始だからやってみたけど、何が「ふむふむ」「うん」「やったー!」だよ。
基本相槌しかうたねぇじゃねえか。
会話レパートリーのヒントすらない。
Siriでも悩んでいたら会話例を教えてくれるぞ。
明日実家から親が所用で1日だけ来るんだけど、コレ何?って聞かれたら説明出来ねーぞ。
メルカリ送りしたいなとも思ったが、最初に登録したGoogleアカウントの除去方法がないから、今のところそれはできない。
どうしよう。
まずはまた箱へ片付けるか。
放射線科医PKA氏がこんなツイートをしているのを見かけて、おもわず逆上した。
https://twitter.com/PKAnzug/status/966542288368287745
「リア充」の訳語に「normie(普通の人)」を充ててるのが興味深い。日本では「中道から上を見て言う言葉」なのが、英語では「下から中道を見て言う言葉」になってて、この言葉を使うオタク(ナード)の社会的立ち位置が日本と英語圏で違うことが伺える。
中道の使い方がなんだかへんてこだけどまあ「普通の人」くらいの意味だとそこは深くとわずにおいて。
リア充はネットにしか居場所が見つからないようなオタクが、「普通の人」のやることをバカにしたり嫉妬したりするときに使う単語だろ?
リア充って、普通に休日は友達と外へ遊びに行ったり、学食にたむろってたり、普通に彼女がいて街を歩いてたり、そういう人を指す言葉だったと思うんだが。
まごうことなく、下、っていうかこの言葉をネットで使ってた人間として言うと「底辺」から、「普通」を見て言う言葉だったはず。
Wikipediaの説明を引き合いにだすのもなんだけど。少なくとも発生段階のころについては、PKA氏よりもまともなことを描いているように見える。大学生活板はちょっとしか見たことないけど(まだ犬学じゃなかった頃か?)、まあそういう板だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%85%85
概念自体は2005年頃に2ちゃんねるの大学生活板で成立しリアル充実組と呼ばれていたが、2006年初頭に今のリア充の形として使われ始めた。その後2007年夏頃からブログやtwitterでも流行した。未来検索ブラジルの主催するユーザ(2ちゃんねらー)投票企画「ネット流行語大賞」では2007年に21位となった。2011年には女子中高生ケータイ流行語大賞の金賞に選ばれるまでに成長し、ギャル語として確固たる地位を獲得するに至った。
当初は、インターネット上のコミュニティに入り浸る者が、現実生活が充実していないことを自虐的に表現するための対語的造語だった。当時は友達が1人でもいればリア充とされた。その後、このニュアンスは、従来のネット文化に(触れずにいた事から)染まっていない、携帯電話を介したネットの利用者たちが流入するにつれ、彼らの恋愛や仕事の充実ぶりに対する妬みへと変化していった。
もっとも俺も無知ではあった。10年代には女子中高生に広まって、ネットに広まってない利用者によって意味を変質させられているのだそうだ。それは知らんかった。
なるほどPKA氏が念頭においてるのはこっちなのかも…… って、やっぱりオタク関係ないところで変質してんじゃねえか!
たんに、話者が底辺にいるオタクから、中位層などの非オタク層に移り変わっただけだ。オタクの階層分析の違いになんて使えたものじゃない。
あきれますよ。あんだけ、放射線デマについて強く批判し、なにかというとメディアのどこかにアラをみつけては形相変えて「マスコミ叩き」にいそしむ放射線科医は、マスコミ以下のエビデンスで歴史をでっちあげていた、って。
この放射線科医のツイートはですね、要するに日本のオタクをよいように語ってるようにみえるけど、実際はそうじゃないわけですよ。むしろ、北原みのりなんかの100倍、オタクのことをバカにしているといってよい。なにしろ10年くらい前までは主流だった(と思う)オタクを、存在ごとなかったことにしている。トロツキーが消されてる写真もびっくりだ。
エロゲにどっぷりはまって本田透を読みふけり、週刊少年漫画の楽しみな連載は早売りをろだに上げてもらって読む、個人ニュースサイト巡りしながら非モテ文化を語る、というより実在女性への怨みを吐く、まあそこまでステレオタイプにどっぷりな人は意外と少ないかもしれないけど、そういうオタクがいたわけですよ。当時は。俺は当時恋愛障害者2級でした。あなたは何級でしたか。
それはぶっちゃけロクなもんじゃなかったですよ。でも、当時のオタク文化というか、ネットのオタク文化はそういうものだった。
今はそうじゃない。オタクといってもいろいろだけど、今どきの一般人のインドア側端くらいの意味しか持たなくなりつつある。あんまり悪いイメージもなくなりつつある。でも、昔のオタクの名残は、あるにはある。その典型例がリア充、なる言い回しなのかもしれないわけだ。
だからこう邪推したい。「オタク」、それは今のカジュアルなオタクじゃなくてどろどろとしたオタクのことだけども、それを粛清しないと、何か都合悪いことでもあるんですかね? このトンデモ放射線科医。
二度と人にエビデンスなど求めずに、隅っこでデマと偏見だけ食ってかろうじて生きていってほしい。
でもこのツイート、今の段階で4200越えのイイネと2600越えのRTがされている。この人たちには、修正された歴史が本当のもの、なんだろうね。
よかったですね、「非リア」の営みを「リア充」どもの手で簒奪出来て。
クソが。
長文です。
20代後半で結婚、2年ちょいで自然妊娠。生活は順調で、夫も優しい。恵まれた環境にある自覚はあるのだが、最近になって今後子供以外に何のために生きればいいのかわからなくなった。
私の趣味はあるアイドルの追っかけで、その繋がりでできた友人がたくさんいる。というか友人のほとんどがそれ繋がり。
しかし最近は妊娠したことを理由に遊ぶのを断るようになった。理由を伝えるとどの子もおめでとうと言ってくれたし、アイドルの最新情報が出れば今までと変わらずにラインをくれ、仲間外れにされるようなことも一切なかった。
しかし、少し前に今年のツアー発表があった。友人たちとのライングループも盛り上がり、〇〇までなら行けるね、せっかくならついでに旅行しよう、全通したい、などのコメントが飛び交った。
その時に痛感したのが、ああ私はもう「これ」ができないんだな、ということだ。泊りがけの身軽な遠出、趣味のための散財、志を同じくする友人との交流…
気持ちが落ち込み、何日かしてからたまたま実家の母に会う機会があったので、素直な気持ちを相談したところ、「今はつわりのせいもあってネガティブな事ばかり大きく感じる時。体調が安定してこれば考え方も自然に変わる。それに追っかけを卒業するいい機会じゃない?」と言われた。
その時は「そういうものかな、自然にそう考えられるようになるのかな」となんとなくほっとして、そのまま家に帰ったのを覚えている。
そして最近、つわりが終わった。少しだけ冷静になって、気付いたことがある。
もう私にはゴールがない。
心のどこかで子供が生まれるのがゴールだと思っていたが、そんなもんゴールでもなんでもないということに気付いたのだ。子供が生まれたらむしろ今よりも自由な時間もお金もなくなる。友人の中に「落ち着いたら連絡してね」と言ってくれた子がいたが、それって、いつ?
そうして更に気付いたのが、趣味を奪われた後の私には何も残っていないという事だった。
映画、読書、手芸などのインドアな趣味もなく、テレビで盛り上がっているオリンピックの観戦にもこれっぽっちも興味が湧かない。旅行は好きだが、これだってアイドルの追っかけと一緒で身軽に動くような事はもうできない。
趣味の話ばかりしてきたが、それ以外の事だって全部が子供中心になるのだろう。私はそれに耐えられる自信が無い。母の言う「考え方が変わる」が私にはまだ訪れない。むしろこんな考えしか浮かばない私が妊娠したなんておかしい、よくない、妊娠したい人はたくさんいるはずなのにどうしてこんな私にと日に日に暗い気持ちが募っている。
Yahoo知恵袋などで似たような不安を抱えている人の投稿を見ると、「初めはそうだったけど胎動を感じる頃には愛おしくなってきました」とか「今となってはこの子のためなら何でも我慢できる気がする」とかのキラキラした回答ばかり。
これを書いている今も胎動を感じているけど、やっぱり私にはそういった考えが浮かんでこない。
このまま自由だった頃を美化してゴールのない人生を過ごすのかと思うと、いっそ早く死んでしまいたいとさえ考えてしまう。
何を目的にすればいいのかわからない。ゴールが何なのか決めてほしい。何のために生きているのか教えてほしい。中学生のような悩みをこんな年になってから持つなんて自分が恥ずかしくて、優しい夫や友人には絶対に話せない。
お互いに気を使うから、いきなり長時間は避けよう。(幼馴染とかなら家でも良いかもね)
・とりあえずカフェ
・ウィンドウショッピング(またはショッピングモールをうろつく)
【2回目のデート】
相手の服装や靴を見て、動きやすいかどうかしっかり判断しような。トイレタイムを定期的に取るのも良いね。
彼女がアウトドア派のとき→スポッチャとか身体を動かせる場所に行く
【3回目のデート】
お互いに趣味が合えば最高だと思う。
デートで墓に行きたいってどういうことだよ……他に何かあるだろう。
補足:女の人が見る場合は、「彼」に置き換えて。
まあ,そんな私も,就活が辛い学生のひとりだったんですけどね……
2019卒生の就活が本格的に始まる前に,ちょっと2018卒生の「就活辛い」を振り返ってみようというエントリです.
本当にその色ばかり使ってるのね.ノベルティはもちろん,ネクタイも,ちょっとしたサインも.すごい徹底ぶりです.
それだけ,愛行心が求められるということでしょう.
3月時点では銀行名をフルでスラスラ言えない人もいて(特に赤い銀行),正直楽勝かなと思ってました.
1.ある銀行の時,エントランスで「東大・京大グループは右へ,早稲田・慶應・上智グループは左へ」というアナウンスを受ける先制パンチをくらったこと.ああ,学歴社会だなあと,ぼんやり.
2.男ばっかり.男5の女1のときがあった.性差別ってあるんだなあ.
3.自己紹介でのみなさんの趣味が,登山とかバイクとかスキーとかゴリゴリの体育会系だったこと.インドア派の私にはそれだけで「自分はここにいていいのか?」という気持ちになりました.
二次以降は,最終面接までひたすら面接を繰り返すだけです.1対1で,圧迫もないし,話をちゃんと聞いてくれてる感じがして好印象でした.私はナメくさってロクに対策しなかったんで最終手前で落とされましたけど.面接自体は特につらい思いはなかったです.ですが,頻繁に呼ばれるので,他の会社が受けられなくてスケジュール調整に心を病む人が続出するらしいですね.
模擬授業は塾講師の経験を活かして落ち着いてできると思います.
学校の歴史を褒めたたえ,学校愛をひたすら述べなくちゃならない.
周りは非常勤の現職教員ばっかり.新卒は全然いない.ひたすら辛い.
たまに新卒だけのグループに突っ込まれたけれど,それはそれで辛い.話を聞くと,取りあえず必修で教職をとったぼんやりさんばっかりで,真剣に日本の未来を変えようと血眼で勉強してきた勢と会ったことがない.これは私の運が悪かっただけかもしれないが,こういう人たちと同僚になるんだと思うと気が滅入った.
主に人の問題で辛かったですね.
あと,教育実習,お前だよお前
お前のせいでいくつ採用試験を受けられなかったと思ってるんだ.国で対策してほしいです,本当に.
現場は経験者重視で専門的に勉強してきた知識は必要とされていない感じがした.
ヌルゲ過ぎる.
上を目指せばそんなことないんだろうけど,とりあえずホワイト企業に勤めたいくらいの要求でよければ選択肢がたくさんある.
敷居が低い.ちょっとプログラミング経験があるだけで歓迎されました.一方で,文系OK,短大専門OKなところはかえって高学歴がいかせなくてモヤっとするので,そのうち転職しようかなという思いはぼんやり浮かんだ.
誰もが知ってる会社でさえ,「飲み会!同調圧力!圧倒的感謝!」みたいなノリで語られて引いた.
あと内定者研修と称して安くインターンさせられてる会社があって,ひたすら辛そうだった.
余談だけど,エントランスで私の好きな球団が負けた日本シリーズの試合映像を永遠垂れ流してる会社があったのでそのまま帰ってやろうかと思った(たぶん就活でいちばん辛かったのはこれだとおもう)
あくまで新卒の話で,スキルアップ目指した転職は違うのかも.その辺は未だわからない.
修士,博士を活かせそう,かつサバティカルさせてもらえる制度があるのは好印象でした.それだけ求められることが多くて辛くなる未来が見えたからごめんなさいしました.もっと社会人としての自信を付けたら転職してみるのもいいかもしれない.
会社によると思うけど,肉食系バリバリ社会人と触れ合える経験は良かった.
辛いとすれば,みんな語学力が凄すぎて自信喪失したことですかね.
言語も,英語は当然で,みんな2,3以上は使いこなせる.頑張ればついてけるけど,そこまで頑張りたくないなと思ってしまった.そこ頑張るくらいなら違うこと勉強したいわ.
フランクな人が多くて,ユルさに耐えられなかった.
業界の人に働き方について聞くと,激務っぽい話ばかりなのが辛かった.
しかもみんなそれを楽しそうに語るので,洗脳されてるか感覚が麻痺してるのだろうと思った.
とりあえずこんな感じですかね.
総括すると,明るい未来が全く想像つかなくて辛かったという話でした.
人格否定されたみたいで辛いと友人からは聞きましたね.私の場合はそれは無かったですけど…というのも,自分の良さを分からない会社に入っても正当な評価を受けられず苦労すると思うので,こちらから願い下げだと.
知らない町で繰り返される電車移動が辛いとかも聞きます.これは,ジョルダンとグーグルマップでいくらか軽減されると思います.
思い出したころに追記するかもしれません.
最近精神的にあんまり余裕が無いのもあってしんどいので、どこでもいいし、誰も読まなくてもいいから、とりあえず吐き出したいと思って書く。
それなのになぜか10数年来、友達であり続けて、今やなんというか腐れ縁である。
1つは、私の口下手で大人しめな性格のせいだと思う。はっきり言って人に流されやすいし、あまり人に強く出れない。それがあって、もう嫌い!と言えないまま今に至る。
2つ目は、彼女の性格だと思う。有無を言わさないような言い方をしてくる時が度々あるし、勇気を振り絞ってそれはちょっと…と拒否しても、結局最初の案に近い代替案を立てて、これならいいでしょ?という具合に、拒否したこちらの意図を全く読み取ってくれないのである。その上行動力もあるので、会おうと言ったら絶対会うし、会おうと言いつつ延ばし延ばしでフェードアウト…という事はほぼ無いし、私に会おうという誘いを何回も断れるような精神力は無いのである。
なんというか、彼女は人の意図を読み取れないタイプの人間である。
彼女の友達に私を紹介するとき、彼女は悪気など何もなかっただろうが、私が腐女子である事を勝手にカミングアウトした。うわ…と思った。多分彼女としては、そんな隠すような趣味では無いのだろうと判断しての事だとは思うし、私も隠しているとは言わなかったが、世間的に大声で喋れるような趣味ではないことは周知の事実である。
無理すぎる。
そんなこともあったので、なんとか穏便に縁を切りたいと願いつつもまた月日は流れ、アニメが好きだという男性を紹介された。話し合いそうだから話して見て!とLINEを教えてもらった。
それからその男性とは仲良くなり、今お付き合いをさせて頂いている。
この間を取り持ってくれた、というのもなんとなく拒否しづらい一因である。
そんな彼女は今、私の彼氏の親友と付き合っている。一応、表面的には親友の恋人は恋人の親友という感じである。
そういう間柄だと、ダブルデードでやれディズニーだ、新宿だ、原宿だとそういうお誘いをされる。
私達カップルは、どちらかというとインドア派で、二人だけで過ごすのが一番好きだし、それ以外のデートは望まない。
それに、相手のカップルは正直なところ、めちゃくちゃにイタイ。LINEやらTwitterのアイコンを恋人の写真にするタイプである。
そういう趣味も否定はしないが、私達とはまったくもって馬が合わないのである。
正直なところ、最近私が一番難儀しているのは彼女の惚気である。
私は惚気やら恋バナやらが苦手な類の人間なので、会話している途中に突然惚気をブッ込まれるとイライラする。
聞いてないし。言ってだからなんなんだ。という気持ちになってしまう。
なので自衛には努めているのだが、なにしろ彼女は鈍感女である。相槌で興味なさそうにしていても、構わず惚気る。気づかない。
LINEでも惚気る。聞いてないし。聞きたくないし。返信を2、3日しないでおいて、その話題興味ないよーアピールをしても無駄である。惚気る。
ハッキリ伝えられない私も私だが、冒頭に書いた様に私なりに、どこかに吐き出して少しでも楽になりたいという思いでこれを書いた。
人との縁は大切にしたいものだが、自分が無理だと思うものとは、積極的に早めの決別を私はお勧めする。
早く親友やめたい。
補足
めんどくさいね。と言ってくれた方も、ありがとうございます。
とりあえず熱中できることを増やしたいなと思います。
根暗で陰険かと言われれば、まぁ多分その部類だと思います。ここにだらだら書くしか吐き出せないような奴ですし。
まだここの使い方もよくわからないような始めたばかりの人間の愚痴に付き合ってくれて、ありがとうございました。
使い方がよくわからないので、とりあえずここに書かせてもらいました。
「休みの日何してるんですか?」
仲良くない人間にそう聞かれてもまさか正直に答えはしない。ただ、割りと打ち解けた友人には正直に「一日中PCでゲームとかしてるかなあ」と言った。
そしたら「かわいそうなやつだなーw」「お前ホントに何が楽しくて生きてるんだよw休みの日くらいどっかいって遊ばんの?」と。
ただ、笑いとして盛り上がるから言ってても多分「家で一日中PCはかわいそう」ってのは本気で思ってるんだと思う。
一人でいるのがかわいそうだと。
でも、一人でずっと好きなことやってるの、楽しいんだよ!とか、PCはこういうのが楽しい!ゲームはめっちゃ面白い!ってのをちゃんと伝えたいの。
世間的にはそうじゃないだろうから盛り上げるために自虐的に言ってるけど、俺は一人でPCしてても幸せに生きてるんだよ。
こんなこと、真面目に説明したって場が盛り下がるってわかってるから言わなかった。
でも今一人でPCの前に座って、思いが溢れてきた。
「彼氏のどこが好きなの?」と聞かれて、「見た目が好みだから」と答えると、ほとんどの人から呆れたような反応が返ってくる。
その一方で、「優しいところ」とか、「趣味が合うところ」とか、何なら「安定した職業についているところ」(今どきそんな職業ってあるのかは置いておく)とか、そんな答えをすれば、「わかる~!私たちももう大人だもんね~!」みたいな反応が返ってきてその場は平和に収まる。
私はこれが本当に気にくわない。なぜ人を見た目で判断してはいけないのか。
一般的に良く使われる論法は、「見た目は努力で変えられないから」というものだと思う。
じゃあ、性格や趣味や安定した職業に就くための能力は、全て努力で獲得できるものなのだろうか。
些細なことで腹が立つ自分に何度も嫌気がさし、もっと穏やかに生きようと何度思ったことかしれない。
しかし結局は、電車の中で嘘泣きする子供や秒速1メートル以下で歩く老人やベルトの上に腹の肉が乗っても平気な顔をして生きているおっさんに対して無意識のうちに苛立つ毎日を20年以上繰り返している。
その一方で、そんなことに1ミリも苛立たない(私から見れば)菩薩のような人も確かに存在していて、しかもそれは別に努力の賜物ではないらしい。
趣味や学習能力も、ある程度の生まれつきの性分と幼い頃の環境によって、大まかに決定されることが多いと思う。
読書や美術館巡りを趣味としているインドア人間に対して、いきなり登山やプロレス観戦を勧めても受け入れにくいだろう。
小学生の頃から塾に通って何時間も勉強してもMARCHに入れない人もいるし、高校三年の冬休みから勉強を始めて東大に合格する人もいる。
結局、全て生まれつきの能力・個性に大きく左右される要素であることに変わりはない。
それなのに何故、見た目に関して言及することだけが幼稚なことだとされたり、タブー視されたりするのか。
美しい風景や芸術品を見れば自然と感動するのと同様に、綺麗な人を見れば無意識に良い気持ちになる。
そのような無意識の感情を制御しようとするのは、ある種の理性の片鱗なのかもしれない。
でも、私は美意識を失ってしまうのはとても悲しいことだと思う。
だから、見た目が良いことも性格が良いことや学習能力が高いことと同様に堂々と評価されるべきだし、(せめて身だしなみ程度に)見た目を整える努力も義務教育並みに重要視されてもいいと思う。
結論として、決して人は見た目が全てだと言いたいわけではなくて、見た目だって個人の持つ能力・個性の一つなのだから、変に特別視しなくてもいいんじゃないか、と主張しつつ、今年もできるだけ多く美しいものを見ることができるように祈っている。