はてなキーワード: インドアとは
同人誌(二次創作)ってそれぞれの原作やキャラに対する解釈見れるし愛が伝わるしそれぞれ商業ではお目にかかれない独自の世界観を構築してたりして本当に好き。
読めなくなった。
なぜなら体力がない。
普段普通の漫画は全部電子書籍で読んでるから、わざわざ紙の本を開いて手で持ち続けて読むなんてことをしない。
同人誌はそれがあるから、読むことへのハードルが年々上がっていってる気がする。
さっき数年前に買った200p近くある超大作のめちゃくちゃ好きな同人誌を読み返していた。
話がガチで最高で、久々に読んで感動してたんだけど、疲労感がやばい。
同人誌ってテンション上がりまくるから体力削られるんだな。今気付いた。
インドアオタクらしく普段運動もしないし通勤も0時間なのでマジでやばい。体力がない。筋力がない。
同人誌読むとかいう至高の時間すら体力がないとかいうくそみたいな理由で引退しなきゃならない日がいつか来るのだろうか?
でも現時点で体力がなさすぎてこのあと読む気満々で引っ張り出した同人誌を放置したまま寝転がって増田に書き込んでいる。
スマホは楽なんだよなぁ。指先ぽちぽちするだけだから体力いらない。
同人誌より増田が好きなのか?と聞かれればNOだけど楽なのはスマホ・・・。
今すぐ筋トレしたいけど起き上がる体力がない。
そろそろ就職しなければ飢え死にしてしまうので将来のことを考える今日この頃です。
できればはたらきたくないのですが、木こりか溶接工ならなってもいいかなと最近思います。理由は、物理学専攻の人がドクターコースを中退して漁師になったという記事を雑誌で見て、なんか満足してるようだったからです。
勉強は並にできます。英語とか喋れます。Pythonで30行程度のプログラミングができます。
手先は器用な方です。ピアノが弾けます。絵が描けます。子供の頃から大切に育てられたので、その他一通りインドアです。
しかし体が弱いのです。視力がべらぼうに悪いです。背の順で並べば前から2番目くらいの体格です。そのうえ鬱病の診断を受けたことがあり、よわよわです。
イメージですが、木こりも溶接工も究極の封建制で頭脳よりは肉体を礼賛し、効率よりは伝統を重視し、健康よりは煙草を愛するという感じではないでしょうか。
これが私を求めるとは思えず、また私も耐えられるとは思えないのです。
ちなみに私は大学では水産学科卒ですが弱物理学のようなよくわからない数値計算をしており、船に乗ったことはありません。
木こりと話したことは一度もありませんが、多分会えば私のことを宇宙人というあだ名で呼ぶでしょう。
少々叱られるのはもちろん分かっています。たぶん耐えられます。ただ、ヘルメットなしで直に親方に頭を叩かれたら死ぬかもしれません。
枝が降ってきて足に突き刺さってしまったら死ぬかもしれません。指と鋼管がくっ付いて死ぬかもしれません。アーク放電を見て失明するかもしれません。
そう考えると、働いて死ぬよりは働かないで死んだ方がいいなと思うのです。
昔から何も手入れしなくても指や爪が綺麗な僕。確かにインドアだったけど、10代20代の頃はハンドグリップを毎日2時間やってたけど全然指が太くならなかった
指怪我すると治りも遅いし運動しても握力がつきにくい感じ。治ったらまたほっそいきれいな指になる。たまにささくれできる、痛い
中学校の休み時間にあまり話さない女子にいきなり手を掴まれて、なにこの指そのへんの女子より綺麗すぎでしょとかいわれていきなり女子に囲まれて自分の指が綺麗ということに気がついた
女子も普通このくらい綺麗なんじゃないって思って、クラスの女子と比べてみたけど僕が一番きれいだった
その後中高とからかわれてマニキュア塗られたりしたけど、一度も女子と付き合うことがなかった。そりゃ手のきれいな男じゃ女守れないって思われるもの
家の都合で高卒でプレスとか金型作ったり道路工事やったけど、どこ言っても指の話がついて回る。なんとか工夫してごまかしてたけどもともと力ある人との差が仕事のスピードに出る
はんだごてつけたり力のいらない細かい作業は早クできたので異動したけど、仕事を取られるだろうと思ったおばさんたちが難癖つけて力のいる作業に移動、結局できなくてやめる。この繰り返し
頑張ってやったけど、35までなんの仕事も手がつかなくてニートになった
今じゃしょうがなく転売屋とかハードオフやジモティーで壊れた電化製品安く買ってきて直して売ったり。ニートでもお金がほしいからね
最近ツイッターでセフレが出来た。隣の市の18歳の鳥居みゆきぽいの。通話して顔見せたら会いたいって言われて。ラブホ行ったとき35年セックスしたこと無い風俗もないって言ったら布団叩いて大笑いしててちょっと傷ついた。童貞じゃなくて魔法使いって言ったのがツボに入ったみたい
彼女がめんどい言いながら結構リードしてくれた。キスも指の入れ方もフェラも。挿入しても腰ふるのが下手で頑張ってやったけどなかなかうまく出来ないので彼女に押し倒されて騎乗位でフィニッシュした
一回終わったあと、僕の右手を掴んでハムハムされて左手でアソコをいじるように誘導された。チンコはきもちよくないけど、指入れはそのへんの男より上手いと
ずっと変な体勢で口とあそこをいじって手がふやけそうになった。彼女めっちゃあえいだあと潮吹いてイッた。すごく気持ちよかったと言われて頭ギューっとされて撫でられたけど、彼女の潮吹いたとこで寝るのかと思ってたな
しばらくして、そういえば初めて指のこと褒められたと気がついて、彼女の胸の中でありがとうって言って泣いてた。彼女は何もいわないで頭をなでててくれた
ポケモンブラックホワイトが海外で荒れた時に、汎用性の高い色が人種差別問題に結びつくのはスゲェ面倒だなぁと思った。
そもそも白くも黒くも黄色くもない、白人はピンク寄りの肌色、黒人は茶色、黄色人種は黄色寄りの肌色でいいじゃん、何だよ白黒黄色って。
そもそも白人と黄色人種の肌色より、インド人の茶色とめっちゃ黒寄り黒人の焦げ茶色の方が明度の差は大きいし、ここ一纏めに黒人と言うのもどうかと思うと思って調べたら、アラブ人、ヘルシア人、インドアーリア人は白人に分類されるらしく、ついでに今は黒人白人黄色人種はもう時代遅れの分類法らしく、わーそうなんだーと驚いたはずみに色々どうでも良くなった。
そういやあの辺皆顔が濃いもんな。
悩んでる。
IT系正社員独身増田(30)、ついに会社から家賃補助が出なくなる。あといろいろあって現状の住居を退去する必要がある。
勤務先までマトモな通勤時間、マトモな築年数で引っ越し先を検討すると、1Kでも家賃相場は10万円くらいになる。すごくたかいつらい。ものの試しに2500万円くらいの住宅ローンを組むと、住宅ローン月額10万円くらいで同じような通勤時間、同じような築年数なのになんと間取りだけ2DKになった。3倍くらい広い。
彼女もいないし今後も見通しは暗いし、ちょうど30歳のいま住宅ローンを組めば65歳で完済なのでパーフェクトプランではないかと錯誤しているのだけど世間の独身がだいたいみんな賃貸なのはなんでだろう。趣味(ゲーム)はインドアだし寝室と趣味部屋に分けられるしいいじゃん。料理もするからキッチンも大きいのが嬉しい。
目下最大のネガティブ要素である「今マンションすげー高いじゃん」ってツッコミと、将来結婚するかもしれんじゃんって話はさておいて、そのほかになんかすげーでっかい落とし穴があったりするのか識者たる増田諸兄にぜひ教えてほしい。独身住宅ローン増田が実際にいるなら体験談なんかも聞きたい。
ちなみに聞かれそうなので。貯金は保険とか株とかいろんな形をしていて1000万円くらい。現金300万円くらい。給料は手取りだいたい25万くらいでボーナスも年100万くらい出る。住宅ローンは固定金利前提で、管理費+固定資産税+都市計画税+修繕積立金なんかも込みで合わせて住宅ローン10万ってことで。
地方から数年前に転勤で東京に来たとき、会社から斡旋された豊洲徒歩5分と大井町徒歩5分が両方10万だったから同じ水準だとそれくらいだと思ったんだよね。1K10万は確かに言いすぎだった
>終の棲家にするのには厳しいだろうけど、それまでの間に出口を取れるならいいんじゃないの
左翼リベラル派としては「冷戦時代は良かった」と思ってるかも知れない
しかし本当にそうだろうか?
確かに、現在のような中国韓国への悪しざまなヘイトや排外主義は、少なくとも戦後、1980年代までは目立たなかった
が、その手の言説が庶民大衆にまで熱烈に支持されてるかというと少し微妙
在特会や主権回復はすでに「右派のプロ市民化」して現状以上に幅広く人が増える気配は感じられない
(本物の庶民大衆てのは、活字のヘイト本なんか読まず、昨日の野球の試合や今日の夕食、人気タレントの出てるドラマ、学校や職場の愚痴、身近な男女の誰それがくっついた別れたといった話をしてる奴のことだ)
排外主義政党の日本のこころ(旧・次世代の党)はちっとも議席が伸びず消滅した
自民党支持派の中でもコアな連中は極端な復古主義・排外主義だろうが、大多数は経済政策を支持してるだけで、深く考えてない
ひょっとして21世紀に入って以降の右傾化って、単に論壇インテリ業界の枠内で右派が目立つようになっただけじゃね? という気がしている
***
冷戦時代の1980年代まで(つまり昭和の時代)、世の庶民には、男尊女卑、セクハラ、体罰、運動部は水飲んじゃいけない、年功序列、社員は会社に滅私奉公、嫁は姑に逆らっちゃいけない等々の、家父長的体育会系的価値観が蔓延して、みんなそれを当たり前だと思ってた
が、現在ではそれらを露骨に前面に出せばひんしゅくを買う、論壇インテリ業界内の話でなく、なんの変哲もない庶民の多数が、そういうのを嫌う価値観になった
これって、伝統的保守的価値観の否定なんだから「左傾化」じゃねえのw
無論、これらは小難しい社会主義や共産主義イデオロギーと何の関係もない
しかしそもそも、右翼左翼という概念は、フランス大革命のあと議会で伝統保守派(王政と教会の価値観を踏襲)が右側、改革派が左側に座ったことに由来する
つまり右派つうのは「昔ながらの価値観」を大事にする人たちのことだ
「『昔ながらの価値観』なんてキツいからヤダ」という思想こそが左翼なのだとすれば、8時間労働制やら週休二日やら近代以降の世の中はもうずっと左翼化してる
***
ある意味では、一部のリベラル派インテリ(言い換えればインドア派のオタク)だけでなく、世の庶民の多数が、男尊女卑、セクハラ、体罰、運動部は水飲んじゃいけない、年功序列、社員は会社に滅私奉公、嫁は姑に逆らっちゃいけない等々の、家父長的体育会系的価値観を平然と嫌がるようになった現在の方が、昭和期より世の中が良くなったという気がする
***
仕事の関係で鬱病になってからいわゆる引きこもりオタクを数年間やっていたが、二年程前に好きなキャラのぬいぐるみを手に入れた。
Twitterで同じキャラのぬいぐるみを愛でてる同士がぬいぐるみにピッタリの帽子を被せてあげたり、着ぐるみのようなものを着せているのを見掛けて自分も欲しくなった。
話を聞いたらそのかぶりものはガチャポンの景品だというので、ガチャポン台がたくさんある近くの電気屋に時折足を運ぶようになった。
最初は自分の部屋で着せ替えをするだけでも楽しかったけれど、被せた麦わら帽子を見ている内に
「こんな部屋の中じゃなく、外で遊んでいるぬいぐるみの写真が撮りたい」
と思うようになった。
ぬいぐるみは買ってあげた麦わら帽子をかぶって陽の下でニコニコしていて、とても楽しそうな写真が撮れた。
それからしばらくして、数年どころか十年くらい振りに海に出掛けた。引きこもる前からインドア派だった為、あまり行こうとも思わなかった場所だった。けれどぬいぐるみの写真が撮りたくて行った。
地元では知り合いに会う可能性がある為、少し遠出をして写真を撮ってみたくなった。
自分の醜い顔が嫌いなので今まで旅先では風景を撮ることくらいしか旅の思い出を残すことはなかったのだが、大好きなぬいぐるみと一緒だと積極的に思い出を残したくなった。なんたって被写体が最高に可愛い。写真を見る度に自分の顔を見て憂鬱にならずとも済む。楽しそうに旅を満喫しているぬいぐるみの姿に心の底から癒される。
旅先で写真を撮りまくって、自分にとっても良い思い出になった。
そうして、もっと色々な場所を旅してぬいぐるみの写真を撮りたい、と思うようになった。
ずっと家に篭っていた自分を外の世界に連れ出してくれて、色々な場所を巡る楽しさを教えてくれた自分のぬいぐるみには感謝しかない。
本当にありがとう、ぬい。
今年はじめに、車で30分弱のところに「いきなりステーキ」が開店したという話を聞いた。
新しいものがほとんど入ってこないこんな田舎にどうして、と思ったが、
この話に心を踊らせて、休日に車を飛ばし、開店してまもない店で食べたリブロースステーキの味を今も明瞭に覚えている。
私は東京で学生時代を過ごし、地元に帰って仕事をしている社会人2年目の男だ。
大学3年のころ、借りていたアパートの近くにできた「いきなりステーキ」に週一度は通っていた。
比較的時間のある文系の大学生だったので、よくランチタイムに匂いがついてもいいような半部屋着を着て、ワイルドステーキを喰らっていた。
が、色々あって田舎にUターン就職をすることになり、いきなりステーキから足が遠のいてしまった。
インドアな趣味で、出張などない仕事をしていたので、働き始めて1年近く「いきなりステーキ」に行かない日々を過ごした。
そんななか喰ったステーキは、最高の味だった。
それから、毎週のように通いはじめた。
毎週同じ時間に同じメニューを頼む人として、店員に顔を覚えられ、私と同じような動機で店に毎週通う肉食女子と友達になった。
家族を連れて行ったとき、普段は寡黙な親父がハイテンションになったのもいい思い出だ。
「いきなりステーキ」に行くことは、週に一度の楽しみだったのだ。
西日本豪雨だ。
店舗があった場所が水没しやすい場所だったため、大雨で氾濫した川の水に店舗は浸かってしまった。
一帯の店舗は同様に水に浸かり、一時的な閉店を余儀なくされた。
そして、1ヶ月と少し経った今でも、多くの店はいまだに閉店したままであり、
地元住民の間では、今回水没した多くの店は今後再オープンしないのではないかと噂されている。
それは、仕方のないことなのかもしれない。
今後人口は増えないと言われているまちだし、この地域に大雨や地震という災害は確実に起こり大きな被害を受けると言われている。
企業側からすればこの機に撤退することは、賢明な判断なのかもしれない。
だが、そうなったら、とても悲しい。
他人を悪く言うことでストレスを発散させようとするのはもうやめないか。
LGBTも女性差別も社会にとっては大事な課題点だが、少なくとも底辺を生きる多数派の人間にとっては関係ない問題だ。
その問題にかかわることで、または解決することでお前の人生が好転するのか?
収入が増えるのか?
病や悩みが消えるのか?
お前は本当は自覚しているはずだ。仕事から帰ってゆっくりできる貴重な時間を自分以外の問題に費やす愚かさを。スキルアップのため、夢の実現のために本当は勉強しなければならない、準備しなければならないと認識しているはずだ。お前以外の問題にではなく、お前が対峙している目の前の問題に集中しなければならない。
直接会ったこともない誰かが失言して炎上したとしても、それはお前に関係あるのか?その人をたたくことで気持ちよくなっていないか?くだらない屁理屈で自分の行為を正当化していないか?
お前は気づいているか?
お前がせっせとネット記事を見て憤慨してコメントを量産している間に、他人は恋人や家族と楽しい時間をすごしているかもしれないぞ。お前が叩いた人間だって、今まさその瞬間はリアルで充実した時間を過ごしているだろう。何年もたてばみんな叩いたことなんて忘れる。現実はそんなもんだ。みんな本当はそこまで真剣にコメントしていないなんてわかるだろう?なのに自分の貴重な30分をかけて書いたコメントがほかの人間が書いたコメントに押し流されていく光景を見てなにも思わないか?だれもスターつけてくれなかったことなんて山程あるだろう?
無駄なことだということを理解しているのだろう。反対しても賛成してもよそから批判されるだけで何の得もないからだんまりをきめこんでいるのだろう。まさに「沈黙は金」だ。そして「雄弁は銀」だ。たとえ正論であっても「うるさい」という事実が煙たがれる理由になる。日本にいるならばこの事実は覆らない。内部告発者が守られないのもこの心理が上層部に働いているからだ。そして法の整備は追い付かない、これが現実だ。
もちろんお前が当事者ならば声を上げることは無駄ではない。だがそうでないならば関心を向けないほうがメリットがでかいぞ。怒るのはエネルギーを使う。インキャでインドア派ならばお前のエネルギー量は他人より少ない。その少ないエネルギーを自分以外のために使うなら、お前は自分のために使う余力なんてないだろう。だから勉強も集中できない、集中できないのはあの問題のせいだと思い込み、怒りは倍加する。でも怒るエネルギーは自分に向けられることはない。他人に向けて鎮火するのがオチだ。そしてまた誰かの失言、不祥事、また批判。それで何年分の時間を浪費してきた?何人が自分の上を通過していった?いくつものサイトのPVに貢献してきた?そしてお前はいつまでそのままなのか。
ニート、引きこもり、無職、フリーター。お前の苦悩はよくわかる。自分が辛い状況なのに他人が輝いてるように見えて苦しいのはわかる。自分はもう詰んだと自虐したくなるのもあきらめているのもわかる。
運ちゃんが重い荷物を運ぶ。客のクレームに頭下げてあやまる店長。失敗したら医療ミスで訴えられるかもしれない手術をおこなう医師。エリア内売り上げ一位という上からの数値目標を達成するために客先に足を運ぶ営業マン。それと同じ時間だけパソコンの前に座ってネット記事を読んでは気軽にコメント。書いてすっきりしては惰眠をむさぼっているお前。みんな同じ時間を過ごしているが、お前だけは何のスキルもない。お前が追い付こうとしても追い付けないはるか前を彼らは歩いている。
もうそろそろよくないか。ストレス発散でも、お前の時間をクソみたいにどうでもいい他人のために使う余裕はお前にはない。だからその時間を自分のために使おう。本当に簡単なことからはじめてみないか。深呼吸、ストレッチ、本や新聞の音読、本当に簡単だ。そうして自分の時間を自分のために使うことを心掛けてほしい。社会問題に目を向けるのはお前が社会で一人前になってからで全然遅くない。5年後、10年後のお前が社会で批判されるような上の立場にたっていることを願うよ。
あと、なんでロリだけ性欲を文化的に制約されてると断言できるんですか?
べつに成人男性でも、未成熟な男児でも、相手構わずところ構わず「セクロスしたい~!!」と叫べば、危険な異常者扱いされるんじゃないですかw
べつにロリだけでなく、男女年齢限らず、性欲を文化的に制約されてると思いますよ。それがまともな文明社会ではないのですか
貴殿は、みんな全裸で、電気もないコンビニもない、自分の筋力だけで獲物を狩らないといけない、でも代わりにヤりたい時は即ヤれる世界がお望みなんですか
文明が未発達な社会になるほど、筋力のある強者のみが異性をゲットできる、インドア派のオタ人種はクズ扱いですよ
付き合っている人がいる。一つ年下で、社内恋愛中。
何かあったらお互いにすぐに話すようにしているので、喧嘩らしい喧嘩は発生しない。
振り返ると、真逆なタイプの人間同士でよく関係が続いたもんだと思う。
こっちは菜食より、あっちは肉食より。
自分は肉をよく食べるようになったし、向こうも嫌いな野菜が減ってきた。
すぐ根暗に全力疾走しようとする自分を全力で止めてくれたり、逆にポジティブ街道ひた走る相手を止めたり。
屋内スポーツやちょっと遠くの大型ショッピングモールに行ったり、モンハンが世を賑わせてる頃に部屋にこもって過去作のモンハンを一からやったり。
とにかくそんな感じで、少しずつお互いを尊重?というか自分にない部分を尊敬して、取り入れて楽しい毎日を過ごしている。
楽しい。本当に楽しい。なのに、どうしてこんなに不安になっているんだろう。
自分たちの関係は、それぞれの上司や近しい人達は知っている。応援もしてくれている。冷やかしたりする人が居ない、良い職場だ。
最初に年齢について触れたけど、自分たちはいわゆる『結婚適齢期』らしい。
相手方の上司と話をした時に「(お互いに)ご両親には会ったの?」と言われたのだ。
こういう話は、上司だけに限った話じゃない。共通の友人からは「いつ結婚すんの?」と言われ、別な友人夫婦からは「早く結婚すりゃいいのに」と言われる。
自分の周りの数少ない友人達はほとんど結婚しておらず、おかげさまで結婚式に呼ばれたことなぞついぞ無い。
一方で、相手は交友関係が広いためか少し前に結婚式ラッシュにあい、『ご祝儀貧乏』にまでなったようだ。友達が多いって大変なんだな…と当時は思ったものだった。
そう、結婚なんて自分とは縁遠いものだったのだ。これまでは。相手がどうかはさておき。
話は変わるが、自分は割と先を見て今を生きるタイプだ。相手は、今を見て今を生きるタイプだ。
どうしてここまで違うんだろうと笑うくらい、人生観すら違う。
そんな人生観すら違う男女が、近々同棲しようという話にまで発展してきている。
いつかは一緒に暮らしたいという話をしなかったわけではない。ただ、自分は何ヶ月も前の段階から話の内容をつめていきたいタイプだった。
こういうタイプの人って、自分の欲しいものを選ぶ時に凄く時間かけて似てるようで違うものをいっぱい並べて吟味したりしない?自分はする。
相手はと言うと、その時に考えたら良いというタイプだった。欲しいものもその時直感でコレ、と思ったものを買うタイプ。
だから、同棲についてもやっと相手にとってのホットな話題になったのだ。自分の住んでる部屋の更新期限がもうじきだから。
今月から、色々な物件を内見して回る予定で。いい部屋見つかると良いね~なんて話したりもしている。
それすらも楽しいし、とても幸せなことなのに。なのにずっと、ずーっと不安が消えない。
多分これは『同棲前ブルー』と呼ばれるものなのだと思う。今はなんでも『なんとかブルー』って言葉があるんだなぁ。サッカーは観ていないけど。
ただでさえ自分はネガティブなのだ。悪い方に考えないでどうするというのか。
重てぇー!こいつ重てぇー!って感じではあるが、そう思ってしまってるので仕方がない。
今更不安になる事なんて何もないはず。日頃の会話で、先の話をする時もあった。相手は完璧に今しか見てない訳じゃない。事あるごとに不安を抱く自分と同じ目線で考えて、持論を展開してくれる。逆もまた然りだ。
…でも、明確なその『結婚』という言葉だけは口にしない。まぁ、お互い様ではあるが。
「いつ結婚するの?」には「先がどうなるかはわかりませんから」、「早く結婚すりゃいいのに」にも「先々の事はまだ、ね」とお互いに言っていた。
確約された未来はない。どっちかが盛大に事故って死ぬかもしれない。寝たきりになるかもしれない。二度と顔も見たくないレベルにまで発展する何かがあるかもしれない。
たくさんの『かもしれない』を胸の内に抱えている限り、はるか先のことを決めてしまうのは良くない。と自分は思う。相手はどうか知らない。
…単純に、今考えてないだけで、したいと思ったらするのかもしれないが。可能性は捨てきれない。ありえるから困る。
とち狂って「結婚を前提に一緒に住んでくれ」と言い出しそうな程度には追い詰められている。
こちらの仕事の都合で、相手がロマンティックに告白する予定だったデートをおじゃんにした罪があり、その他にも様々なフラグを壊してきた自分が下手になにかしたらまた可哀想なことになるかもしれない。
考えてないことはないだろうけど、何も考えていないだろう相手に焦らされ続けて、終わりのないそれをずっと持て余している。
ひと思いにやってくれ。頼むから。
自分がやらかす前に。
その友人とは大学時代に出会って、社会人になった今でも2人で月1程度飯を食べる仲だ。
友人は自称「自然派」で、健康に色々気を使っている。私は自然派の定義をよく知らないが、彼女の話を聞く限りでは
・ラップは使わない
・電子レンジは使わない
・どっかの国産(忘れたたぶんアメリカ)の小麦粉やサラダ油は危い。(遺伝子組み換え)
とか色々気を使っている人のことなのかと思っている。
私は彼女の前でペットボトルの水も飲むし、お菓子もバリバリ食べるが、彼女は何も言ってこない。
お互い考えに違いはあれど、干渉したりはしない。だから今まで付き合いが続いていた。
それなのに。それなのに。
この前彼女と温泉旅行に行くことになった。彼女と泊まりがけで出かけるのは初めてだった。
飯も上手くて、宿もそこそこ綺麗で、インドア派の私もなんとなくいいなと思える旅行だった。
彼女のアソコがツルツルだったのだ。それはもう1本たりとも存在していなかった。
ついついソコに目がいってしまったのに気づいたのか、彼女は少し恥ずかしそうに言った。
衝撃だった。だって彼女は自然派だ。電子レンジだって使わない。それなのに体にレーザーを当てていたことに、勝手ながら驚きを通り越して怒りに似たものを感じてしまった。
自然派の彼女よりも私のが自然派だったことが少し恥ずかしかった。
色々聞いていくと、彼女は社会人になってからレーザー脱毛をしたらしい。大学で出会ったときはすでに彼女は自然派だったので、やはりすごくモヤった。
いや、全然いいのだ。自然派の人がレーザー脱毛をして何が悪いというのか。自然派でも忙しくて水筒を用意できなかったら、ペットボトルの水を飲んでもいいじゃないか。たまにはマーガリンをたっぷり使ったサクサクのクッキーを食べてもいいじゃないか。そうだ何も間違ってない。
何度もそう自分に言い聞かせているのに、もう2ヶ月間このモヤモヤが取れないんだ。
彼女の自然派な行動を見るたびに、「でもレーザー当てたじゃん」と心の中でつっこんでしまう。
自分の性格の悪さを実感するのも疲れてきたし、なんだか彼女と会うのが億劫になってしまった。
追記
ブクマたくさん付いてて恥ずかしいです。
私としては結構真剣な悩みとして書いたつもりだったけど、ブコメが楽しそうでどうでもよくなったような気もするかもしれない。
私の両足には第二内くるぶしがある。
「あーアレね」と共感できる方、
全く意味が分からない方、
両極端に分かれると思う。
第二内くるぶしというのは私が勝手にそう呼んでいた名前であり、正式名称は「外脛骨」というそうだ。
足の側面内側、土踏まずのアーチの上辺り、通常の内くるぶしのナナメ爪先寄り下側あたりにグリグリとした骨の出っ張りがあるのだ。
日本人では1〜2割ぐらいの人が生まれつき持っているらしい。
この第二内くるぶし、歩くとめちゃくちゃ痛い。
歩くだけではなく、1分以上しゃがみっぱなしになったり立ちっぱなしになったりしても痛い。
整形外科の先生によると、余分な骨に筋肉が引っ張られて痛みを起こすそうな。
外脛骨の中でも痛みを伴うものは「有痛性外脛骨」という名前で呼ばれるらしい。
思春期頃に発症、テーピングやサポーターなどで対処するケースが多いそうだが、私はこの痛みを病気(怪我?)と思わず数十年を生きてしまった。
治さないまま大人になってしまったので、完治するということはなく、「多少はマシ」というレベルにしながら一生付き合っていくという選択肢がベストだそうだ。
小学生の頃、遠足で長距離を歩いて帰ってきて、やはりこの第二内くるぶしが痛んだので
「足めっちゃ痛い」と母親に伝えたところ
「運動不足だね」と返ってきたので
『第二内くるぶしが痛むのは自分の運動不足のせい』と思い込んでしまったのだ。
実際インドア寄りな子供だったし。
体を動かすのは好きではなかったが、小学生ながら運動不足は良くないなと思ったので、一念発起して少年団のスポーツクラブに入り、中学では運動部に入部した。
それでも第二内くるぶしの痛みは消えなかった。
安静にしてテーピングしとくのが本来の療法なので当然である。
無理に動かすほど悪化するのだ。
しかし当時の私はとにかく自分の鍛え方が足りないのがいけないと思い込んでいて、筋トレを頑張ったりしていた。
社会人になっても第二内くるぶしの痛みは消えないままだった。
基本はデスクワークなので痛むのは通勤と買い物くらいになったが、時間が短くなった分痛みは濃縮されたように感じた。
自分では運動量が減って筋肉が衰えたからだと思っていた。
ある日友人と美術館の展示を見に行った。
美術館とか博物館とか、ああいう少し歩いて少し止まるような、スタート&ストップを繰り返す場所は特に第二内くるぶしへの負担が半端ない。
鑑賞を終え、カフェに入って一息ついた私は友人に
「美術館とかでゆっくり歩くのって第二内くるぶしめっちゃ痛くなるよね」と言った。
いわゆる『あるあるネタ』のつもりだった。
友人はスポーツ経験がなく私より一層インドア派だったので、同じ運動不足仲間ならこの痛みを分かってくれると思ったのだ。
「え、内側の2個目のくるぶし痛くなるでしょ?」
「いや2個目のくるぶしって何?」
「かかとにあるのが1個目じゃん、そのちょっと斜め下にさあ」
「ないよそんなん」
と噛み合わない会話をした後、
埒が明かないと思った私は
「触ったらわかるって!コレだよ!」と机の下でそっと友人に第二内くるぶしを触らせた。
「何これキモい」
第二内くるぶしを持たぬ者が、初めて第二内くるぶしを触った感想である。
その言葉にショックを受けた私は半ギレになりながら友人の足を触り返して、第二内くるぶしのないその足に重ねてショックを受けた。
そしてどちらが正常な足なのか多少の問答をしたあと、勝敗をグーグルに決めてもらうことにした私たちは
「内側 くるぶし 2個目 痛い」などのワードで検索して冒頭の事実を知ったのである。
それからというもの、歩く度に生じる痛みが一層辛くなった。
病院に通って、ダサくて高いオーダーメイドのサポーターや靴を作って、痛みそのものは軽減してないとおかしいはずなのに、前よりもしんどい。
世の中の運動不足の人間は全員同じ痛みに耐えていると信じていたのに、そんな事実はなかったことが耐え難い。
私以外にも第二内くるぶしが痛む人はいること、
第二内くるぶしどころじゃない辛い持病を抱えて生きている人はたくさんいること、
親はただ無知だっただけで嘘を教えたつもりではなかったこと、
全部理解しているつもりだが、
足が痛む度に「本当は感じなくてもいい痛みなんだよな」と悲しくなってしまう。
人目がないところだと歩きながら泣いてる時もある。