はてなキーワード: 自己中心的とは
自己中心的で話題はいつも自分のことでないと不機嫌になり、お金使いが荒く、異性にもだらしがない癖に変に純粋でよく男に泣かされていた。
私が高卒で独立して働きだしてからは変にお節介を焼きたがって周りの人間関係を引っ掻き回したり、急に現れてはお金をせびってくることも多々あった。
それでも女手一つで高校卒業まで私を育ててくれたのは事実だし、感謝することはあれど恨むようなことはなかったはずなのに。
あの日は仕事がトラブル続きでイライラしていた所に、不注意で自損事故を起こしてしまい、挙げ句に帰宅したら隣室の住人が引越の際に出たであろうゴミを私の部屋のドアを塞ぐように放置し、大家に連絡しても「警察に連絡してください」の一点張りで電話を切られて途方に暮れていた時だった。
限界まで来ていたストレスが爆発しないよう、水が満タンに入ったバケツを頭の上に載せているみたいに慎重に歩く私の背中を押したのは、母からの電話だった。
大家からの折り返しだと思って確認せずに通話を押した私の鼓膜を、急にザラついた猫なで声が叩いた。
甘えたようなワントーン高い声で電話が始まる時は大抵何か頼みごとがある時で、ここ最近は決まってお金に関する話題だった。
私はイライラを隠すことなく「今忙しいから」と言って電話を切ろうとしたが、母はその度にわざとらしく私の昔話や一人で子供を育てる苦労を語り出して同情を引こうとした。
普段ならきっと途中で「しかたないな」と思えただろうに、その日は私をより一層苛立たせた。
「私が死んじゃったら困るでしょ~」
冗談っぽく言う母の甘える声に対して、この時の私の声はひどく冷たいものだったと思う。
「そっかぁ、もういらないかぁ」
母の声はさっきと全く変わらないようで、急に明るさを失っていて、まるで電話先の私にではなくもっと遠い誰かに向けられたような話し方だった。
私はここで怯んだらまた元通りだと思い、グッと堪えて何も言わずにいた。
しばらくお互いの息づかいだけが聞こえる無言の時間が続いていたが、ガラガラという窓を開ける音がして、私は慌ててiPhoneの画面に向かって「何してるの、止めてよ!」と叫んでいた。
「助けて」
母のか細い呟きが聞こえたと思うと、続けて数秒後に ごしゃり という音が聞こえてきた。
冗談だと思った、きっと母が携帯を窓から投げ捨てたのだと信じこんだ、でも念のために救急車を呼ばなきゃって、後で「イタズラで呼ばないでください」って親子で怒られればいいやって、そのまま二人で久しぶりに飲みに行って沢山愚痴を聞いてもらおうって、色んな考えが頭の中をグルグル廻っているのに、私に出来たのは一歩も動かずにひたすらマイクから聞こえる音を聞き続けることだけだった。
「ウッワ、ヤバくね」「気持ち悪」「初めて見た」「大丈夫ですか」「確実に死んでるっしょ」「見ちゃダメ」「最悪じゃん」「救急車呼んで」「スゲーな」「写真撮るなよ」
沢山の声が聞こえてくる、そのうちサイレンの音がして私はそのまま気を失っていた。
目覚めた私は青白いカーテンに囲まれていて、ここが病院だと気がついた。
目を覚ました私に気がついた看護士が医者を呼び、医者が私に体調を尋ねると、次に警察が現れ「本当に母が死んだ」という事実を伝えた。
もっと沢山のことを話したはずなのだけれど、まるで記憶が抜け落ちたように何も思い出すことができない。
最後に職場の上司が顔を出し、「しばらくゆっくり休むと良い」と言われたことだけは覚えている。
私はそのまま長い眠りにつき、その職場には結局2度と出社することはなかった。
それどころか、従姉妹の子供が遊んでいた携帯電話型のおもちゃを耳に当てただけで、あの ごしゃり という音が急に聞こえて、そのまま過呼吸になってしまったこともあった。
困った。
あとでレポートらしくまとめたいと思うが、期待しないでいただきたい。
まず、基本的に自殺者(あまりこの文字を見ないようにするため、以下「彼ら」と呼ぶ)は自己中心的である(もしくはそのように変化した)。それが生来の性格なのか、その行為に至る原因において追い詰められた等精神的ストレスによるものかは不明である。
精神的ストレスが原因であれば、それは自らの身を守ろうとしている自己防衛反応に近いと予想される。
生来の性格であれば、自己中心的な性格を生まれながらにして持つ人間はそうでない人間に比べて自殺率が高いのか、という研究にもつながる可能性がある。
次に、彼らの周りの人間についてである。彼らが自己中心的な性質を周囲に強く示した場合、周りの人間は次のいずれかの行動をとる。1つは「全くなにもしない」である。もう1つは「何かする」である。
「何かする」に該当する例としては、「家族が不安に感じて病院に連れていく」「恋人が話し合いの機会を設ける」「友人が遊びに連れていく」等である。ネット上の場合だと「良い薬をおすすめする」「サービスの紹介(営業)をする」等も考えられる。
「全くなにもしない」に該当する例としては、「家族だが何をしてやれば良いかわからないので放っておいた」「恋人だが面倒くさいのでしばらく避けた」「友人だがそんなことはしょっちゅうあったので無視した」等である。
もちろん、彼らは周囲の「全くなにもしない」人間のおかげでその行為を躊躇いなく実行できる。
最後に、彼らの末期についてである。世間では彼らに対して、「死にたいと言っている間は死なない」と思うものも少なくない。これは半分正解で半分間違いである。
急に呟いた程度であれば、自殺する可能性は低い。「死にたいと言っている間は死なない」に該当しやすい。
ただし、「死にたい」という発言が常態化している場合は確率が計れない状態のため、強いていえば確率は五分五分である。「死にたいと言っているが死ぬかもしれないし死なないかもしれない」ということになる。
そして最も確実(かつ最も観測不可能性が高い)なのが、「死にたい」と言わない状態の彼らである。彼らはたとえ「死にたい」と現世なりネットなりに漏らしたところでどうにもならないことを分かっている。加えて、「あなたのことを救いたい」「助けになるから何でも言ってよ」といった言葉を発した人が結局のところ何もしてくれないのを経験上理解している。
そのような声をかけた人にとっては「何かした」に該当するのだが、彼らにとっては「全くなにもしてくれなかった」に該当する。声だけのおせっかいは彼らにとっては無意味である。
ちなみに、彼らにとっては「親が悲しむ」「恋人が可哀想」「友人らが泣く」といった話は無意味である。これらを極めて嫌に感じる場合はそのようなことはしないからである。もしくは、これらを看過してでもそれを成さねばならない事情があるからである。他にも「未来のことを話されてももはやどうでもいい」「自分のために泣いてくれるなら本望だ」等も存在する。
そうして、彼らは静かに道具を揃え、交通ルートを調べ、周囲の人間の時間的行動パターンを調べ、計画を立て、その日を決める。
そしてその日になると彼らは計画通りにことを行う。道具を用いて、地形を利用して、周囲の人間に気付かれないように。
以上。
一番の後悔だ。このことがなければ今回の記事を書くこともなかった。
あなたの会社でも、採用候補者に対して身元調査を実施することがあるかもしれない。私の会社ではそうだった。
私が勤めていた会社というのは、普通の会社よりも多くのことを調べることができた。
例えば、戸籍だ。採用者の本籍がどこで、家族はこういう名前の人で~といった情報について、グーグル感覚で調べられる部署がある。
病歴もわかる。社内のシステムには、この人がこの病院にかかって、こんな病気で、医療費はこれだけで、自立支援を受けているから医療費は1割負担で~といった情報が入っている。
さて、採用内定を出す段階になると、採用候補者に対して上記の調査を実施する。担当部署に行って、個人情報の照会履歴ノートに自分の名前を記入し、システムを使わせてもらい、調べを進める。
会社にとって敵対的な人物が親類縁者にいる人や、過去にうつ病などの精神疾患になったことが判明すると不合格にする。具体的には、面接の評価を5段階中の2に変更すると必ず不合格になる。
犯罪歴に関しては、該当者がいた経験がないので何ともいえない。名簿に記載があった時点で、罪状に関わらずアウトなのだろうと思う。
こんなことはおかしいと思っていた。なぜ、公平で中立で平等であるはずの採用試験でこんなことをしないといけないのか。ずっと考えていた。
誰がこんな調査を行わせているのか? これが一番の問題だった。
誰が仕向けているかわからないのだ。毎年この時期が来ると、総務部長から指示が来て、特定の役職(全員係長~課長クラス)にある者が分担して任務にあたる。
放っておけばこんな習慣はなくなると思ったが、そんなことはなかった。毎年、内定者のリストを完成させて総務部長まで持っていくと、調査を行うように指示が来る。「これは誰の指示ですか」と聞いても、「定年までにはわかる」と言葉を濁される。
結局、定年までわかることはなかった。私が彼ほどに昇進できていればわかったのかもしれない。でも、私はそこまで出世できなかった。肉薄するところまでは行ったのだが。
今でも、この慣習は続いているのだろうか。誰かが止めたのだろうか。
私にはできなかった。
もし、これが総務部長が発した指示であれば、戦ってなんとかなったかもしれない。でも、トップの指示だったら?戦ってなんとかなっただろうか?なったとしても、会社にはいられないだろう。
私は矛盾している。あの時代に、私は悪習を絶つことができなかったのに、定年になって、何年も経って、あの時の自分は間違っていたと後悔している。でも、今の私がデロリアンに乗って過去に飛ぶことができたとしても、行動を起こすことはできないだろう。私にそんな度胸はない。
私はなによりも哀れだ。私は自由ではない。私には、自分の意志を実行する力が全くない。
なぜ、私は弱い? 私が何度も何度も道を譲ってきたからだ。それで、私は周囲の玩具になってしまった。私が周りに力を与えたのであって、周りが私を弱くしたのではない。
私は自由ではない。なぜなら、私が私自身と気が合わないからだ。私が自身を恥ずかしいと思って顔を赤くしているからだ。
最後に。
人事担当部局の役職者として約十年間、平社員だった時代を含めれば約二十年間、人事の仕事に携わって得た知見を共有したい。
今回の内容は、社員や職場の抱える問題への対処や、人事異動の内容まで含めて決定する層に向けて書かせていただく。参考になれば幸いだ。
一般的な問題社員への対応は、ネットに豊富な事例があるのでここでは述べない。ネット上に事例が載っていない案件(※私は見つけることができなかった)について述べる。
ここでいう問題社員(有能型)とは、以下の特徴を持った社員をいう。あなたの会社にも多分いると思われる。
軽度のもの…「自分はすごい」という自慢や、後輩社員へのマウンティング
中程度のもの…気に入らないと不機嫌になって悪態をつく。あるいは指示された仕事をしなくなる
重度のもの…パワハラやセクハラ。人前で後輩を怒鳴りつけたり、女子社員の身体的特徴を馬鹿にする
・上司にはへりくだる。弱い者には厳しい態度
昔は、こういうタイプの社員は放置されていた。こういう人いるよね、で済まされていた。
むしろ、上司が命じた仕事は十分なレベルでこなすので、ハラスメントを行う者であっても処罰されなかった。いなくなっては困る存在なので、マウンティングやハラスメントは表立って認容されていた。
昨今は社員のメンタルヘルスの観点から、こういったタイプの問題社員にも対処する必要がある。そこで、私の経験上、有効だった対策や、必要な視点を述べていく。
問題社員(有能型)は、他人をコントロールする権力を欲しがっている。他人に言うことを聞かせたいのだ。他人に舐められることを極度に恐れている。
行動傾向として最たるものは、『積極的に仕事を取っていく』というものだ。他人のものまで含めて仕事を取ることで地位を高めようとする。そして、自らの能力が高まり、裁量を与えられるようになり、ますます権威を増していく。
対策はすでに述べたとおりだ。たとえ、彼や彼女が有能で、多くの仕事を処理できたとしても、全員に対して同じ量の仕事を割り振る。
問題社員(以下Mとする)が他人の仕事を奪おうとしていたらブロックする。具体的には、仕事を取られようとしている人(以下Nとする)のところへ行き、「それでいいのか?」と合意を確認する。Nが拒否する、または何も言わなければ、拒否とみなしてMに対する指導を行う。
では、Nが「Mさんに仕事をあげます」といった発言をした場合はどうするか。この可能性もあり得る。自分の仕事が減るし、Mには逆らいにくいからだ。
この場合も、他人の仕事を取ってはならないとはっきり告げる。そのうえで、Mだけでなく、Nに対しても指導をする。
ポイントとしては、何度も繰り返し行うことだ。何度も行うことで、上司の指示を守っていないことをわからせる。これは何度行ってもハラスメントにはならない。その仕事の割り振りが組織内の決裁を経ている限りは、業務上の指示にほかならないからだ。
繰り返し行っていれば、向こうが根を上げることが多い。上司の見ていないところで仕事を渡している可能性があれば、ほかの社員に教えてもらう。
Mは、他者に舐められることを恐れている。態度が頑なになることが多い。普通の態度ではダメだ。毅然とした態度で接する必要がある。
反論時の想定問答としては、以下のやり取りを例にする。
M「私が暇になったらどうするのか。このままではやることがなくなる」
→「遊んでいなければ何をしても構いません。具体的には、業務マニュアルの作成や、後輩の相談に乗ってあげてください」
M「私はNを心配している。Nが潰れたらどうするつもりか」
→「これはNさんが実力をつけるために必要な機会です。私が必要に応じてサポートします。Nさんの負担が重いようであれば早急に対策を取ります。Mさんが今動く必要はありません」
M「業務を放棄するのは問題だと思うが、なぜ積極的に動くのがダメなのか」
→「他の社員が成長する機会を奪っているからです。あなたは成長しますが、チームが成長しない。だから必要以上に仕事をしないでください」
ただし、この方法には難点がある。あなたが優秀である必要があるのだ。
問題社員(有能型)のような存在がいなくても成り立つ職場であればよいが、昨今はそうでない職場環境が増えている。労働経済白書によると、1人当たりの仕事量は全国的に増加傾向にあるようだ。
Mの仕事を取っても、他の部下にすべて回せるとは限らない。回せなかった分はあなたが取るしかない。1人当たりの業務量が多くなった部下はあなたがサポートする必要がある。
これにより、業務効率の著しい低下が起こったり、メンタルを病んだ者を出した場合、この対策は失敗だったことになる。かつての、Mに業務が偏っていた状態に戻さざるを得ない。この点は重々気を付ける必要がある。
なにより大変なのは、あなたがMと対決せねばならないことだ。Mのような社員の特徴として、①口が回る、②攻撃性が高い、③恨みを覚えている、といったものがある。
以上を踏まえたうえで、あなたはMに言うことを聞かせないといけない。
あなたが『仕事量を偏らせない』という対策を行おうと決めた時点で、もはやどうしようもないほどに職場がMに依存していた場合も諦めるしかない。
この状況でMと対決するのは望ましくない。現実的に難しいことを無理に実行することで職場が不仲になる可能性があるし、もしMが病気その他の事情で職場に来れなくなった場合に崩壊するおそれがある。
私は、このタイプの問題社員に対しては、「北九州市の新成人理論」を採用している。
かつて、北九州市で新成人(の一部)がやりたい放題に暴れた結果、警察のお縄になる事件が毎年のように起こった。
彼ら彼女らは、何十万円もするド派手な衣装に身を包んで、何百万円もするド派手な車で来場し、会場の内外で大騒ぎし、酒を飲み、演題の前に立った市長に対して暴言を吐き、帰り道には警察の検問を強硬突破する。
そんな光景が全国ニュースで流れる度、テレビのコメンテーターが呆れ顔で意見を述べる。インターネットでも同じような反応で、この時ばかりはマスコミの意見とネットの意見が合致する。
しかし、「あいつらはバカなことをしているから規制すべき」という考えは誤っている。
バカでもいい。彼らは悪くない。成人式で飲んで騒いで暴れる馬鹿者は、むしろ地域社会を支えていく存在だからだ。
彼らのようなタイプの新成人は、今後もその地域に残る可能性が高い。未来の納税層にあたる。大げさにいえば、地域にとっての希望だ。
成人式の前には高級なレンタル品を一式借りる。濃紺や真白の羽織袴や、紅色の着物にふわふわのファーを首に巻いて会場入りする。
誰よりも目立ってやろうと思っているし、「成人式は特別な儀式である」と考えている。その意味では、主催者である市町村と同じだ。
彼らは成人式を大切に思っている。だから暴れる。暴れることが、成人式への彼らなりの真面目な参加行動にほかならない。
反対に、主催者のアナウンスに従って、席にじっと座っている新成人こそ、生まれ故郷から身も心も離れてしまっている場合がある。
彼らが暴れないのは……暴れないにしても、大騒ぎをしないのはなぜだろうか?彼らが故郷を捨てているからだ。
生まれた場所にうんざりして、東京などの都会に出て行った者は、「早く終わんないかな」と思いながら成人式に参加している。
地元を離れる日程は決まっている。大抵は次の日に、高速バスか新幹線で都会の住処に帰るのだろう。この青年達はまだましな方で、地元に愛が残っていない者はそもそも成人式に参加しない。都会で行われる地方出身者のための成人式に参加するか、またはアルバイトに勤しんでいる。
暴れる新成人はこれとは逆だ。彼らはこれからも地元で生きていく。だから、自らの存在を派手にアピールする必要がある。成人式におとなしく参加する層よりも、彼ら彼女らの方が地域を愛しているといえる。
彼らは、暴れる新成人と一緒だ。彼らにとって会社は大事な存在なのだ。存在意義を証明するための場所として。
会社にとって必要な人材になりたい。同僚や上司の行動が間違っているのを正したい。会社をよい方向に導きたい――彼らは、こういう想いでMをやっているのでは?と私は考えている。
逆に、Mを非難する立場の社員の方が、仕事にやる気がなかったり、能力面でも倫理面でも評価が低かったり、責任感のない行動、自己本位な行動を取ったりして会社を苦しめる。弊社における平均的な傾向はそうだった。
例えば、「あいつの行動はパワハラだから処罰してください」と言って、人事に通報してきた社員がいた。この場合のM(あいつ)は、通報した社員の先輩だった。(追記:後輩の誤りです)
その通報した社員は、特段の難点があるわけではないが、平均よりは下位の評価だった。
処罰する根拠として、30件以上のMのパワハラ行動が記された記録が付されていた。事実確認を行った結果、概ね事実だったので文書戒告の処分を行った。
不服として、そのMは反論を続けていたが、処分内容が示された書面を受け取ると何も言わなくなった。
これも私の後悔のひとつだ。というのも、その後の社内貢献のレベルとして、Mの方が段違いに優れた実績を出したからだ。彼が役職者に上がってからは、パワハラ行動は減っていき、実質的に残業ゼロの職場を作り出した。メンタルを病んだ社員もいない。
一方の通報した社員は、数年後に最悪の形で定年退職した。有給休暇がかなりの日数残っている状態で仕事が溜まっていたのだが、なんと、定年退職日までの全ての有給休暇を申請して会社から消えてしまった。(追記:ある日突然、全ての有給休暇の申請をして職場からいなくなったという意味です)
残された者は苦しい思いをした。彼がいた職場の1人当たり残業時間は、前月比100%(追記:100%増の誤りです)になった。彼の取った行動について処分が必要であるとの意見も出たが、労働関係の法令上は問題はなく、労働組合としても彼の行動に異論はないとのことだったので、処分は行われなかった。
ここまで読んでいただけたなら嬉しい。書いた甲斐があったと思う。
若干ぼかしているとはいえ、社外秘なことをここまで書き連ねようと思ったのには理由がある。
自死を考えている。
今日とか明日ではないけれど、年内にはこの世からいなくなりたい。
社会人として働いて約40年、多くの罪や後悔を残してきた。上には書いていないけれども、人として行ってはならないことにも手を染めてしまった。
数年前に定年退職してからは、嘱託職員として民間企業で働いて、公民館のカラオケ教室に通って、インターネットで同じ趣味をもった仲間とコミュニティを作って……
平穏な生活を続けるうちに、社会人生活で自分が犯してきたことに反吐が出るようになった。
最初の頃は思い出したくないという程度だったが、日中に何度も頭をよぎるようになった。
近頃は夢に出てくる。
大抵は、当時の思い出が醜く改変されていた。夢の中で、当時の関係者が私にグロテスクに復讐をする。
どうすればいいか真剣に考えた結果、死を選ぶという結論に達した。
私にとっての遺書を書きたいと思った。
はてなブログや、はてな匿名ダイアリーに投稿してみたかった。
それが叶って嬉しい。
読みにくい部分があったと思うので謝らせてもらう。
ありがとうございました。
8/31
コメントいただいた皆様に「言及する」により返信しております。
自分は、自分で言うのもなんだけどちょっと性格が変だけど、優しくて、一途で、コミュ障で、誠実な人間で、いじられキャラだと思う。
初めて恋愛工学を使ったのは、友達に紹介された女の子と付き合う為に使った。モテますアピールをしつつ、相手をドキドキさせるために小技を使った程度。
その後は素の自分を出して、所謂非モテコミットをして、フラれた。
それで本気を出して、ネトナンってやつをしたわけだ。正直恋愛工学ってのを信用してなかったから、誠実に、付き合う人間を探して頑張ろうとした。
その日行く場所や話題を考えて準備を整えて臨む。相手の言う言葉には、自分なりの言葉で一生懸命考えて、相手の為になるような言葉を重ねる。
全部ダメだった。下に見られて、ホテルに誘ってもないのに男として見れないと言われた。
そこで徐々に、徐々に恋愛工学で言われたとおりに、「イジり」だの「共感」だののメモが増えていった。
弄った後はフォローする。イジりが深く、フォローが上手いほど良い。
LINEの文字数も少なくなった。過去の恋愛経歴も偽装した。AだのCだのSだのでフェーズを分けるようになった。
相手も絞らなかった。女子にしなかった下ネタも入れるようにして、過去の性経験もあけすけに聞いたし、自分は嘘を言いまくった。
間が空いたら暗記したナンパ師の会話をぶっこんだ。
自分より見た目や雰囲気が「相手から見て」「格下」の相手は兎に角褒めると反応が良かった。逆に「格上」だとほめない方が上手く行った。
自分は自己評価が低い。人の価値はコミュ力とかではなく、思慮深さや真っすぐな気持ちだと思う。
でも相手の反応から「格上」か「格下」かどうか決定し、その後の態度は決めると上手く行く。
「自分に都合の良い」結果にする為に、相手の価値観へ洗脳まがいの事をしたり、今まで自分がされて嫌だった事をしまくった。
半ば別れた腹いせに、心がドキドキじゃなくて、ズキズキしながら誘導した。
相手を人ではない、何かモノのように感じた。ただの数字、エビデンスだと思うように頑張った。
自分が軽薄な詐欺師のように感じ増える自己嫌悪とは裏腹に、女の子は良く笑い、楽しそうにしていた。今までとは全然違う反応だ。
口から思ってもない共感をし、人として素晴らしいと思っても褒めずに貶した。
今まで俺がしていたことは自分本位だった。自分が素晴らしいものと思ったものを素晴らしいと言い、素敵なものを素敵という。
そんなのは2chやはてなでしとくべきことで、相手を思うなら嘘を言うべきだったのだ。
恋愛工学は男の化粧だとおもう。暑苦しく、苦しい。
女をホテルに誘導すると、口ではブツクサ言いながらついてくる。
その日は熱中症で倒れそうだったので自分から解散したが、確かな手ごたえを感じていた。
男同士や仕事でも、積極的になって友達が増えた。遊びによく誘われるようになった。
今まで以上に、俺といると楽しそうに友達は笑うようになった。仕事も上手く行くようになった。
だが自分で自分を偽って、軽薄で薄っぺらい人間になったと感じていた。自分の目的の為に平気で人を欺く、糞な人間だなと思った。
でもそういう思いに反し、そんな俺の方が人を笑わせ、楽しませて、存在価値がある。
性格はまともで、意地悪で、軽薄で、コミュ力があって、不誠実で、兎に角人をイジる人になっていった。
軽薄になったと思う。つまらない、信念の無い人間になったと思う。
薄ければ薄くなるほど、人の願望や心の深い所が見えてくる。強いと思っていた女性は非モテの前の姿で、
実際は自分は責任を取らずに益だけ取ろうとする弱くて自分の無いクズばっかりだった。
性格が変だけど、優しくて、一途で、コミュ障で、女性には優しく、誠実な人間が最後には勝つ。少年漫画で見てきた勇者は、霧になって消えた。
少年漫画に出てくるような、強くて自分を持って真っすぐ前を向いて戦う女なんていなかった。
そんな勇者の邪魔をするような軽薄でクズなナンパクズの方が、友達が沢山出来て、人を喜ばす人間になる。
今の方が楽しく、生きてる感じがする。
真っすぐで誠実な生き方は、自分本位で自己中心的で、優しくなくて弱い。歪んでいて嘘ばっかりついている人間は、他人の事を考えられて優しく強い人。
ウヨは国民の健康や生命をあくまでも将棋の駒程度にしか考えていなく、それよりも国家や集団の維持の方が重要と考えている。個人は集団のためにあるという考えはここでも揺るがない。
それでいて、自分だけは絶対に感染しないという根拠のない自己中心的な自信がめちゃくちゃ強いからマスクなんて意地でもしないし自分が無症状感染者だったとしても発症してないなら自分的には何の問題もなくて、他人にうつしてもうつされた他人がどうなろうと知ったこっちゃない。
そして、他人にも平気でマスクなしで至近距離で大声で話しかけるし、店舗や病院などの行列でいわゆる社会的距離を守らない。職場などでは対面での面会や会議、食事を強要するし、それに応じない者を
臆病者
協調性がない
自分だけ助かればいいと思っている
卑怯者
だと非難する。
その結果、医療関係者が死ぬ程の思いをしても、精神論で乗り切ればいいと他人事だし、彼らが切実に要望しているのは適切な業務に必要な待遇と物資なのにやつらはブルーインパルスをとばせばいいと思っている。
さらに、いざ誰かが感染ともなれば、下手すれば、マスクをしないウヨどもこそが移した当の原因の可能性が高いことすら棚に上げて、そいつは気合いが足りなかったからだとか不用意にほっつき歩いているからだとか自己責任だからなどといって、感染者が助けを求めることも恐ろしくなるほどの勢いで叩きまくる。
はだしのゲンを読んでみると、こいつらとホントによく似た連中があちこちに出てくるので全く驚いた。日本の社会は80年近く前とほとんど何も変わっていないのだ。
上の式が幸せを極端に単純化した方程式だ。幸せは現実と期待の差である。現実 > 期待の時に正の幸せを感じるし、現実 < 期待の時には幸せは負になり不幸を感じ憂鬱になる。
最近バズってる『普通の人でいいのに』とか、少し古いところだと『東京女子図鑑』『東京タラレバ娘』とかの主人公はね、みんな同じ問題を抱えている。自分が何を欲しいか理解していないため、期待値が高くなりすぎて不幸になっている。
Generation Yとも言われるミレニアル世代と同じ問題を抱えてるんだよね。
(参考:https://waitbutwhy.com/2013/09/why-generation-y-yuppies-are-unhappy.html)
小学校低学年までの頃は割と幸せな人が多かったんじゃないか。大人になってくるにつれてどんどん他人と自分を比べていって勝手に不幸になる人は多い。中学生や高校生の時点で既にそういうメンタリティは仕上がってくる。ミレニアルやそれ以降の世代の人達は、人生の良い部分だけばかりが投稿されたSNSを見て、他人の人生を羨ましく思う。自分の人生は良い部分だけでなく悪い部分も全て見えているが他人の人生の悪い部分が見えづらくなってきているため、自分ばかり損をしている気分になる。選択バイアスと観察者バイアスが相互に作用しあって壮大な勘違いをしでかす。その結果人生に対する期待値が膨れ上がってしまう。実際には自分が羨ましいと思っている他人も、実は自分のことを羨ましく思っていたりするものだ。結果、不幸の総量が増えやすい仕組みになっている。
『普通の人でいいのに』『東京女子図鑑』『東京タラレバ娘』で描かれている女も要は同じだ。東京という大量の多様な人がいる場所では当然キラキラした人も多い。そのような人ばかりが目に入ってしまう。またマスメディアに影響された価値観を通して世の中を見ているので、人生の期待値が無意識なうちに爆上がりしてしまっている。田舎にいる時はマスメディアの情報はあくまで別世界の情報として切り分けられるが、東京に来たらそうではない。そこにSNS等の影響も加われば効果はバツグンだ。
人間誰しも自分は特別だと思い込んでいる。世間様が用意した価値観に乗っかって自分はその定規の中で真ん中よりは上だろうと思い込む。現実離れした期待値を内面化してしまう。結果、他人を見下し、自分の周りに用意されたものの価値を見誤る。自分はもっと価値のある人間だという思い込みによって、自分の中での現状の価値を下げていく。自己肯定感が低いくせに自己愛が強い人は世間からの承認を求める。それが無いと自分の価値を確認できない。そのような自己中心的な人物に勝手に価値を下げられた方は酷く傷付く。しかし価値を下げた本人はそれを当然の報いだと思い込んでいるため、罪悪感すらない。自分が不幸なだけでなく、周りの人を不幸に巻き込んでいく。遂に自分の中での価値観が形成され、過去切り捨てた者達の価値に気付いた頃には既に時遅し。自分の愚かさに気付き更に不幸になっていく。
こういう作品に女の主人公が多いのは女の方が人間に興味がある人が多いからだ。男はどちらかというとモノに興味がある人が多い。看護師に女が多く技術者に男が多いのはこの影響だ。人間、他人に興味のある女ほどこの地獄にハマりやすい。SNSが無い時代からSNSのようなことをしてきた人々だ。あの人の旦那さんはどこどこに努めていてこれこれこういう役職だ。あの子の彼氏はイケメンだ。なんとかさんの子供は勉強がすごくできるのに比べてうちの子と来たら。自分のことは棚に上げて、自分が持っているものでマウントを取り合う光景は昔から存在する。更に日本人はコミュ障が多く他人と向き合うことが苦手だ。他人に向き合わないのに頭の中に創り上げられたインフレした価値観で周りを勝手に判断するので、地獄は更にすごいものになっている。自分は自分、他人は他人という切り分けができる賢い人にならないといつまで経っても不幸だ。
機会平等と結果平等を混同する人が多い。差別がダメなのは機会が奪われることだ。例えば男女平等問題について考えてみよう。女性は昔は大学に行けなかった。就職できなかった。昇進できなかった。女性であるというだけで能力があるにも関わらず機会を不当に奪われてきたことは是正しなければならない。例えば学校の入学資格の性別は不問にする。採用や昇進に性別を考慮しない。こういうことは必要だったし良いことだ。
そこで何を勘違いしたか過激フェミニスト達が現れた。彼らは単なる機会平等では飽き足らず、女性が抑圧されていたことを根拠に結果平等を社会に要求する。トップ大学に女性が少ないのはおかしい。トップマネジメントに女性が少ないのはおかしい。差別だ。抑圧の歴史だ。なんたらかんたら。
彼らの頭の中でアファーマティブ・アクションは正義だ。つまり女性であるということを考慮し入学や昇進で有利になるという肯定的差別は抑圧の歴史を考えると良いらしい。アファーマティブ・アクションというのは結果平等の考え方だ。クオタがあろうがなかろうが差別は差別だ。彼らは差別の是正に差別で応戦しようとしている。
トップ大学やトップマネジメントが男ばかりなのを見て女性が少ないと文句を言う。これはもはや意味が分からない。女でも優秀な人はいるだろう。でも優秀な層だけ見ると男の方が多いのはこれは人類全体に見られる傾向だ。もちろん何を優秀とするかによって変わるだろうが、ここで仮にIQと仮定しよう。IQには性別差があることが知られている。平均を見ると男女差は無いが、男の方が標準偏差、つまりバラツキが大きいのだ。大多数の男女に知能差は見られないが、最上位層と最下位層を見ると男が多数派となってしまうのだ。犯罪者にも男が多いことは無視するのに、上位の人間に男が多いことだけは問題視し、男性特権の現れであると喚く。
過激フェミニスト達の主張は男性特権の存在を絶対的なものであるという仮定に基づいている。実際には彼らの視野の狭さを自己紹介しているに過ぎないのだが、トップ層のみを指して男性特権を主張する。男性特権を否定する者たちは自動的にセクシストであると決めつける。頭がおかしい。
過激フェミニストの目的は女性の解放ではなく女性特権の実現だ。人間を男と女の2つに便利に分断し、自分が女性であるということを利用し得をしようという自己中心的極まりない連中だ。
こういう自己中心的極まりない頭のおかしい連中がアメリカのリベラル層には無視できないレベルで存在する。特に大学や西海岸系の企業には大量に存在する。アメリカバンザイの意識高い系日本人は彼らの犬に成り下がり無批判にこの考えを受け入れる。日本もそのうち壊れていくだろう。
平等の議論は機会平等に留めるべきだ。結果平等を言い出したら断固拒否し続けなければならない。アメリカのようになりたくなければ。
氷河期世代ってやつなの?知らんけど
なんか、異様に幼い人が多い気がする
幼いっていうのは、自己中心的で思慮が浅いってことで
「糖尿病患者は殺せ」とか「老人は殺せ」とか言っちゃうってこと
生活に余裕がないまま生きてると、そうなるんだろうか
ある程度落ち着いた年齢だから、偉そうに持論を垂れちゃうんだろうか
なんにせよ、おかしな人が多い
ネットだと特に、「インターネットとともに育った」とか自称する、幼い頃から掲示板とネトゲぐらいしかしてこなかった人が
毎日毎日気が狂ったように、いいねを求めて、アニメだとか社会問題とか恋愛論だとかネットワークビジネスだとかについて語ってたりして
なんだか可哀想になってくるけど
「いや違うって言ってるだろ」
「でも〇〇なんでしょ」
「だーかーらー、××なんだってば!」
「いや、本当はこう思ってるはずだ」
「もういい」
「あー、やっぱり図星だったんだ」
こういうやりとりを何度も見た
中高年に多い
自らの
固定観念のみで
世界を解す
とか
そこには
・こうあって欲しい
大変おぞましい。
例)
そこには
思春期に多く見られる前頭前野の働きの鈍さからくる自己中心的な思考を感じる。
ヒトの子どもにも同様に、「ママが言ってたからほんとだもん」という行動が観察されるが
これは、幼さ故の知識の不足と偏りも手伝っているのだろう。
思い込みの激しさには
必ずしも彼らが
まだ
名前のついていない
新しい
思われる
要因は複合的で
・学習障害(学べない)
などが
あるのではないか
彼らは脳の発達に
偏りがありそうだ
周りの人が迷惑することで
本人が困らないため医者に行かず
診断が作られないのだろう
人と違っているということは、他の人にはない脳の特異性を持つに違いないのだ
「誰と誰が付き合ってる」みたいなゴシップで盛り上がるのは低学歴の文化だと思ってたけど、高学歴でも結構な割合で飲み会の話題の中心になってたりする。他人に必要以上に首を突っ込むのは低学歴のイメージだった。
そういうの関係ない高潔な人たちはそもそもコミュニティを作ろうとしないから観測されにくい
(自主的にコミュニティを作ったうえ、継続している=元田が嫌悪しているコミュニティの人間関係のごちゃごちゃを運営することに関心があることになる)
競馬や麻雀に金を賭けて盛り上がるのは低学歴の文化だと思ってたけど、高学歴でも熱中してる人が結構いた。競馬場っていかにも底辺そうな小汚いおっさんのイメージじゃん。
人を馬鹿にして笑いを取るのは低学歴の文化だと思ってたけど、高学歴でもちょっと浮いてる人をネタにしている人が結構いた。イジメに近いことなんて高学歴の世界では無縁だと思ってた。
この二文の時点で元田は自分の興味のない分野に対して偏見を持っているにも関わらず、それを偏見と気づかず正しいことだと思っているんだろうなと想像できる
確かに集団で誰かの悪口を言っているわけではないかもしれないが、それはたまたま集団じゃなかったからであって、そういうコミュニティを見つけたら嬉々としてその中で一緒になって「低俗な人たち」を見下すんだろうなあと。違ったら謝ります
高学歴は政治や経済について考えを持ってると思ってたけど、総理大臣の名前すら怪しい人もいた。専門に関してはかなり優秀な人なんだけど。
これは確実に幻想というか、知らないことは知らなくて当然だと思う。
少なくとも京大入試に置いて政治経済が必修でない限りはそういう人がいるのは当然。
というか法学部ですら入学後に法律学ぶのに、大学生が持ってる政治論なんて「自分の考え」でもなんでもないネトウヨや新聞の受け売り程度で、大した意味を持たないでしょ。
ただ、個人的なこれまでの経験上、いわゆる高学歴な人っていうのは、新しいことを覚えるときのインプットが早いから、
後からでも興味を持ったときに政治や経済について覚えるスピードはとても早いと思う。
高学歴はTPOをわきまえて他人の迷惑にならない行動を心掛けてると思ってたけど、自己中心的な人も目立つ。自転車をそこに停めたら邪魔だろって場所に平気で停めたり、本屋とかで普通の音量で会話したり。
自転車撤去されたこと無い京大生ってどれくらいいるんだろう…?
結局TPOとかマナーって気づくか気づかないか、知ってるか知らないかの世界だからなあ。政治経済の話の繰り返しなとこもある
大学入ってすぐにテーブルマナー講習とか生協から案内されてなかったっけ?
田舎でヒエラルキーを決定づけるものが「家」とか「暴力」とか「外見」だったのが
高学歴の世界になると「学力」「権力」になるっていうだけであって、何も変わらないんじゃない?
0.まえがき
デレマスのアイドルは現在190名(デレマスオリジナルに限る)実装されており、
うちキュートが66人、クールが65人、パッションが62人である。
一方、日本人の血液型はA型37%、O型32%、B型22%、AB型9%とされている。
深田えいみがtwitterで50万票を集めたアンケートでも、誤差はあるがほぼこれに近い結果が出ていた。
https://twitter.com/FUKADA0318/status/1283207024738594817
この割合をそのままデレマスに当てはめるなら、A型70人、B型42人、O型61人、AB型17人に近い結果になるはずだが、実際にはどのような比率になっているだろうかと思って調べた結果、面白いことが分かったので書く。
1.全体的に
おそらく「ABは少なめにしつつ全体でバランスを取って…」的な意識が働いたのであろうが、それでもAB型とB型が多めで、A型が極端に実際の比率より少い結果になっている。
血液型占いを信じているかどうかは別にして、一般的に「A型は真面目で几帳面、O型はおおらか、B型はマイペースで自己中心的、AB型は二面性のある天才肌」的なイメージがある。
だからわざわざキャラクターに血液型が設定されているし(外国人には不思議らしい)、作り手も人によってはそのイメージを気にする。
(典型的なのは、遙・水月・茜のセンターヒロイン3名が全員A型の『君が望む永遠』)
そのためだろうか、デレマスでも属性によって上記の比率に著しい偏りが見られる。
2.キュート
O型は三村かな子、小日向美穂、あべななさんじゅうななさい、村松さくらなどイメージ通りの人が揃っており、
A型も櫻井桃華、涼宮星花、相原雪乃といったお嬢様勢を含め真面目そうな子が多い(工藤忍、乙倉悠貴、辻野あかりなど)一方で棟方愛海が含まれている。
B型はある意味パブリックイメージ通り(双葉杏、前川みくにゃん、宮本フレデリカ、輿水幸子、遊佐こずえなど)だが、
AB型は持田亜里沙てんてー、五十嵐響子、小早川紗枝、白菊ほたるなど『天才肌か?』と思うキャラは多い。
3.クール
明らかにO型が少なく、逆にAB型の過半数はクールである。おおざっぱなクールは似合わないということか。
一方で、AB型のクールはヘレンさんなどは似合っているし、鷹富士茄子、高垣楓、梅木音葉などは天才型といっても良いのだろうが、神谷奈緒や三船美優など天才型というイメージには遠いキャラも多い。
ちなみにB型のクールにはシンデレラガールが3人(凛、加蓮、周子)いる。
4.パッション
A型が少ない。几帳面なパッションは似合わないと言いたいのか(増田はPaP)。
O型は確かにおおらかそうな人が揃っている(高森藍子、十時愛梨、海老原菜帆、及川雫など)。
正直他人の家族なんてどうでもいいから、不幸な身の上話をされても、ああ自分の親が同じようになったら嫌だなあ、とすぐ自分と置き換える。そこに相手を気遣うような、思いやるような気持ちは浮かんでこない。
自分の家族が何よりも大切なのに、なんだがどうしようも無くなってしまった。
父親は、自分が絶対で正しいと思っている人で、自己中心的だった。朝食を食べるか食べないかは気分で、食べたく無い時は用意されていようが平気で食べない。はたまた朝に喫茶店通いが続くと思いきや、突然自分の分の朝食が用意されていないと拗ねることもある。朝食を食べるか食べないかは口に出さない。つまり、察して欲しいらしい。そういった自分自身の言動をおかしいと思わないらしく、母や私からの指摘も聞く耳持たず、結局最後にはへそを曲げるだけだった。
休日の朝から、私と姉と母のいるリビングでアニメを何時間一人だけで見ていようが、昼になり母の作った昼食を体に悪いからと食べずカップラーメンを作りはじめようが、夕食前のリビングの机にパソコンを広げ何時間も麻雀していようが、本人はこれと言って何もおかしいと思っていない。指摘しても、無駄だった。
母と父は仲が悪い。母は父に聞こえるように舌打ちをしたり、悪態を吐く。それでも、父の言ったことには従った。家の掃除も家事も洗濯も全てほぼ母が行なっている。父が入院した時も、毎日通うように病院に足を運んだ。いつ何時呼び出されても、すぐに父の元へ向かった。母はいつでも、自分より私たちや父のことを優先する人だった。
だが、憎みきれないのが自分の父親だった。一人暮らしをする私の帰りをいつも楽しみにしていてくれたり、私と二人で食事に行くと、それはそれは喜んでくれた。父の嬉しそうな楽しそうな様子を見ると、私も嬉しかった。その度あれほど鬱陶しい、母を気疲れさせる父が恨めしいと思うのに、そう思ったことを悔やむ。父ももう歳だから、きっとこの先性格が直ることもない、私が我慢すればいいんだ。母も可愛そうだけれど、その分私にできることがあれば率先してやろう。いつもそう考える。その通りに行動する。その繰り返しだった。
でも、さすがに耐えがたいことがあった。家族を家族と扱っていないような、自分ためだけに、私たちに向かって声を荒げた。聞いたこともないようなもう二度と聞きたくもないような声だった。暴力だとか、なにか法に触れることだとか、そんな大きなことではない。しかし、あの時だけは自分と父親を切り離して、なんの関係もない全くの他人になりたかった。
父は私に謝罪と感謝を伝えてきた。私はそれに、うん、とだけ答えた。こみ上げる言葉を塞き止めるのに必死で、それしか言えなかった。
それから、父を放り出したいなあと思った。掃除をするのに疲れて、部屋に散らばるものを全部まとめて捨ててしまった時のように。
私が我慢すればいいだけの我慢は、いつまで続くのだろう。我慢しなくたって、父と笑い合える、家族みんなで心から団欒を過ごせる日は来るのだろうか。
それとも、私が父を放り出してしまうのが先だろうか。
私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。
「コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人に迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。
「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?
連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?
あるいは、「この非常事態に自分さえよければ、他人に迷惑をかけてもいいと思っている非常識な増田」という印象を受けるだろうか。
「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!
そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身、発症したらとても苦しむかもしれないのに!」
「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」
「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」
「感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」
「バカだから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?
だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。
私はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。
リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎が問題となり、自粛要請、緊急事態宣言が発令され、
Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤で公共交通機関を使用する。
休業要請の対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。
マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。
1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、
会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。
おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。
つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。
それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。
出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。
オフィスは20名弱がいる。デスクはクリアボードで仕切りがされている。会議はweb会議、出張は要相談だが、基本ない。
昼休みは時間をずらしてとる。11時から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。
帰りは買い物をして帰るが、必要なものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。
それが平日。
平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービスを使用し映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。
外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。
実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?
手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。
家から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?
駅にいるのが、
大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。
小さなカバンだけを持っている私なら、「マスク(感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。
平日、通勤している私は思う、
「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」
外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。
もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。
マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。
私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。
それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。
私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。
それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。
私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。
でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。
出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。
毎日、毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。
私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行」「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ。
わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。
私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。
逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?
受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。
だからだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。
休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。
ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。
この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、
時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。
「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。
そして通勤して、だ。
「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。
「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。
旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースのインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。
うらやましさも通り越して、恨めしい。
「今じゃなくて、コロナ肺炎が収束してから行けばいい」というのはいつだ?
「増田は子供じゃないんだから、駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。
私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。
でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。
私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬ前からそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。
疲弊していくことをだれも救ってはくれない。
別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。
自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。
もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、
100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。
私は今も悩んでいる。
私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。
人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、
だけどもう我慢も限界で、精神が摩耗しているから増田に書き付けた。
同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、
この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。
インドアだから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。
私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。
昨今感想屋とか、おけパとか面白い単語が流行っているのだけど、その中でも「こっち側」の人間の意見を見つけられなかったので自分用のメモとして書いておく。
好きな推しCPが出来て、親しい仲間内で同時に作ったアカウントだった。
当初は親しい身内だけフォローして他には誰とも繋がらず、互いに推しの絵を描いたり各々の好きな話をしてキャッキャと遊んでいた。
今思うと、私はこれが好きだった。私の求める二次創作は、好きな絵を描いて、好きな妄想をして、親しい友人と分かち合って、原作を考察したり。それで充分だった。
なので同人誌とかを作る気も起きなかった。神の絵や同人誌を読むのはもちろん好きだったけど、仲良くしたいなんて微塵も思わなかったし。何しろ住む世界が違うので。
ただひたすらそうやって友人と楽しく過ごしていたら、フォロワーが増えていた。
他の友人も新しい友人を作って遊んだりしていたので、楽しそうだなあ、と思いながら絵を見た事がある人を探してフォローを返した。
相互フォローを増やして、楽しく会話した。もちろん以前からの友人とも同じように話した。
フォロー外からリプライも来るので、それなりに返事をした。漫画や絵をアップすれば感想が来るので、ありがたく返事した。
そんな中で、友人から「クソマシュが来た」という報告を受けた。
今思うとこれは「おけパ現象」だったんだけど、つまり私と親しくするな、お前が親しくしていい相手ではない みたいな内容だったらしい。
全然意味がわからなかったが、私は友人が傷つくのは嫌だし、ツイッターで会話するのをやめた。ディスコードで喋ればいいし。
程なくして、私はそのクソマシュを送った相手が最近相互フォローになって楽しく会話をしていた相手だという事に気づいた。
なんでああいうのって匂わせツイートみたいのしてしまうんでしょうね。
「あの人にはいいねするのに、私にはいいねがないのは実力不足なんだな・・・」
今まで自分の事だなんて微塵も思って居なかった謎のツイート群が、友人とツイッターで絡まなくなったら途端に消えたので察した。
ちなみにTLが高速で流れていいねができないなんて普通だし、親しい人間は脳直でリプライできるからすぐ返してしまうだけです。
私が何だかツイッターに違和感を感じ始めていた頃、別の友人が最近始まったソシャゲにハマっていた。
序盤だけでいいからやって!と言われ、推しの論を説かれ、普通に面白かったので面白かった、とツイートした。
友人が描いて!というからちょっと絵も描いた。友人はとってもとっても喜んでいたので私は嬉しくなった。
が、まあこれは予測できた事態なんだけど、「もう〇〇は描かないんですか?!」「ジャンル移動するなら垢消せ」みたいなリプやマシュマロが届いてしまう。おけパ現象も発生した。
意図がよくわからないけど、「〇〇のジャンルは落ち目だから早く覇権の〇〇に移動した方がいいですよ!」とかも来る。
私は自分のジャンルや推しを捨てる気は更々ないし、覇権だから好きになるなんて言う事は全くないので普通に気分が悪い。
ただ、私も不注意だったなあ、と思い、今後一切そのジャンルの話や絵は出さない事に決めた。友人とは鍵垢で喋ればいいし。
それでも推しCPの事は好きなので、絵を描いたりしていたものの、様々な要因から喋りづらいのは事実なので日常ツイートをした。
日常ツイートでタイムラインを流されるのを嫌う人が居るのはわかっている。なので1日2、3ツイート程度。
内容も「好きな服セールで買った」「このお菓子うまい」「髪切った」とか毒にも薬にもならないツイートだった。
ただ不可解な事に、そんなどうでもいいツイートにすら大量にいいねやリプライがついてしまうし、
あげくの果てには「私も同じ服を着たい」「あなたがこのお菓子を食べていたので私も食べた」「同時に髪を切りたい」などとのリプライが届いた。
最初はギャグだと思っていたのだけど、どうやら本気のようで、なんだか私は肝が冷えた。
ライフハックを真似る事は私もあるけれど、私のそれはただの日常行動で、インフルエンサーとして生きている訳でもないし、ただのオタクです。
きっとこれが嬉しい人もこの世には居るんだろうけど、私は単純に怖かった。
なんとなく怖くなってきた私は信頼できる相手だけいる鍵垢にこもり、最終的にインターネットも見ないで過ごした。
私は多趣味な方で、絵を描くのも一つの趣味だと思っている。お金を稼ごうとか、命をかけようとか全然思っていない。
インターネットを見なくても、絵を描かなくても、お菓子を作ったり、DIYをしたり、筋トレをしたり。コロナの中でも楽しく生活をしていた。
親しい人間とはLINEとか、別の媒体で会話をしていたし孤独も無かった。そもそも孤独を厭う方でもないし。
そういう訳で数日後久しぶりにツイッターに顔を出した所、怒涛の勢いで自分の事を心配するリプライがフォローフォロー外問わず届いた。
「死んだかと思った」「あなたが居ない間毎日毎日寂しくて辛かった」「あなたがツイートしてくれないと生きる意味がない」みたいなあまりにも重たい文章が並び、私はちょっと青ざめた。
これが家族とか恋人なら仕方ない部分もある。しかし顔も本名も知らない私にどうしてそこまでの感情を持つのか、理解できなかった。
もうツイートはやめて、鍵垢で過ごそう、絵も鍵垢にアップして最初みたいに、仲間内だけでキャッキャしよう・・・。
そう思って鍵垢で過ごしていたものの、なんと鍵垢を捜索され「どうしても心配だったので鍵垢を見つけて、生きている事がわかって救われた」などとDMを貰った。
ああ、もうだめだ・・・と思った。私がインターネット上で生きている事がもはや義務だった。そんな義務のためにツイッターを始めた訳では無かった。
きっと皆私よりツイッター自体を重たく所持している。そんな中で私がツイッターを軽んじすぎているのかもしれない。それなら尚更よくない。
私が数日間居なくなっただけで大騒ぎしている人々が、私が垢消しした時どんな反応をするか想像できたけど、結局私からしたら顔も名前も知らない人でしかない。
自己中心的と言われればそれまでだけど、私は自分のためにアカウントを消した。
きっと半年もすれば皆新しい神を得て私の事は忘れてくれると思う。
実はこれ、はじめての事ではなくてもう何度も繰り返している。
どうしてこうなるのか自分ではわからないし、人にも相談し続けて来たけれど、皆首をひねるばかりで同じ立場の人間が居なかった。
実際最近の諸々の件を見ても、こっち側の悩みを持つ人は探せなかったし、まあ、言えないよね・・・という部分もある。
ただ少数派でも居るには居るんじゃないかと思うし、あと、もうツイッターのアカウントを作るのはやめよう・・・という誓いを込めて記した。
多分大多数のひとは私の気持ちがわからないし、羨ましい!身勝手だ、享受すべき、なんて考えると思う。
でも私がアカウントを消してしまったのは事実なので、もしアカウントを消して欲しくない神が居る人は、こういうケースも考えて欲しいな、という話。
最後のDMの件だけ説明不足だったので追記するけど、DMは開放してない。
この話は、一部界隈で有名なコレの話です。
感想屋さんはむちむちメイド♂とイセザキカーセッ●●の夢を見る―「【ソシャゲの正式名称】」感想|感想屋さん @kansouya_san #note https://note.com/kansouya_san/n/n657eb81abf88… 1章の感想を書きました。2章以降は個人的にと言われているので公開での感想はここまで。続きはアプリでどうぞ!http://【ソシャゲ公式のURL】
(引用元:https://twitter.com/kansouya_san/status/1279759335300554753?s=20)
見出しごとにスクロールしまくったら、この感想文で言いたいことはわかってもらえるかと。
私自身、感想屋さんの感想の話をしたいと思っていましたが、適切な土壌が見つからなかった。それだけです。
あと、ここから先に使われる「感想」という言葉の意味を整理しておきます。
かん そう -さう [0] 【感想】
( 名 ) スル
あることについて、感じたり思ったりしたこと。所感。感懐。 「読後の-を語る」 「 -文」 「高遠幽深なる関係を-する/欺かざるの記 独歩」
(引用元:「感想(かんそうぶん)」の意味や使い方 Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%84%9F%E6%83%B3 )
商業作品や同人作品に感想を書きます。これは「お金をもらったから褒めます!」というのではなくて、ご依頼いただいた作品を自分なりに楽しんだりおもしろがったりした上で、ポジティブな言葉を出力しますということです。
(引用元:感想屋さんのご利用について【2020/7/3版】 https://note.com/kansouya_san/n/n3e3b1ade8c7b )
> ご依頼いただいた作品を自分なりに楽しんだりおもしろがったりした上で、ポジティブな言葉を出力します <
です。
私は、この文脈での「自分なり」は「自分のできる範囲で最善を尽くす」と読みました。
そして「ポジティブ」もお金をいただいている以上、前向きな意味で使われていると思いました。
実際のところは、文章が過去形になっているところからお察しください。
まずはざっくりと私が思った良いところと悪いところを挙げたいと思います。
・ゲームに対する熱量が文章量と比例しているので一見すると、読み応えがあるように見える
・文章が評論という形式ではなく、一個人のポジティブな感想になるため、どこかで見たことあるような仕上がりになっており、読みやすい
・公式動画が絶妙に本文の中に組み込まれているので、気になった時に視聴しやすい
・タイトルの「感想屋さんはむちむちメイド♂とイセザキカーセッ●●の夢を見る―「【ソシャゲの正式名称】」感想」ってCEROのないゲームでやっていいんですかね?
・文章内で使われいる言葉のチョイスの節々に個人の主張が激しすぎるせいで「これは本当にお金をもらって書いているものなのだろうか」とせっかく丁寧に構成されているページから離脱して、他の感想屋さんの感想を何度も見に行ってしまい、結局、構成が生かされていない
こから下は見出しごとに区切って、私の感想を述べていきます。上でも断ってますが、私が思ったことを率直に書くので、ぐだぐだ長くなっています。めんどくさい人は、上のざっくりした感想を見て下さい。
タイトルをキャッチーにすることはwebライティングでよく使われる手法です。
読んでもらうためには大事な手法ですが同時に【タイトルは本文を煮詰めて煮詰めてさらに凝縮したもの】になるので、非常に重要。
これらを踏まえた上でも、ゲームの正式名称と併せて提示していいわけないキーワードが混じっていることが理解できない。
これ、検索して出てきた時にどうするんですか?
感想屋さん自身、同人活動をされているとのことですが、このタイトルが検索に出てくることを、全く考慮されているようには見えないです。
活動をいつからされているのかわかりませんが、(実際の有無はともかく)年齢制限のあることを示唆するキーワードを交えているにもかかわらず、検索避けをされていないことに危機感を感じました。問題のキーワードを伏せ字にしても、タイトル名を検索されたら終わりじゃないですか。
ポジティブな感想を謳って、お金をいただいて記事を書かれている、つまりwebライティングをお仕事とした以上、このタイトルではゲーム自体の印象をネガティブにさせてしまうかもしれない懸念を抱くべきだったのでは?
それとも、私がこのアカウントの内臓が誰かを知らないだけで本当は「お金を払ってでも、この人の感想を読みたい!」に値した有名な作家さんなのかな?
謎が深まっていくーーー。
初手から、かばう気のないゲームのネガティブ感想を食らって、そんなことを考えました。
とりあえず、あなたのポジティブは、私のポジティブではないことはわかった。
※この感想屋さんが言われている「感想」との解釈違いは、今後もあるのですが、以降は「感想の解釈違いです」と省略して書きます。
オフライン版について触れてくださったのは普通に嬉しかったです。
サービスの終了するゲームですが、引き続きゲームのプレイができることは大きいですからね。(まだ詳細は不明な段階ですが)
ところで、PVをには触れていますが、公式HPに掲載されているキャッチコピーは触れてなかったですね。あれが良いのに。
というかゲームの紹介って最初は、公式のイントロダクションを引用したりして、世界観の話をきっちりしたりすると思うんですが。
そういった意味では、自分の推しの話とゲームの話が入り乱れていて、読みにくいと感じるほどの構成はダメだと思います。
あなたの推しの話よりも、ゲームの話をきちんとしてくれ。依頼者の方があなたの推しを聞くためにお金を払っているのであれば、構わないです。しかし公開されている以上、読み手の視点が加わります。
一読み手から言わせてもらうと、あなたの興奮の時系列はどうでもいい。
できた推しについて書くなとは言わないです。でも、最初はゲームの説明をきちんと行った上で、惹かれていった経緯を書いた方がずっと読みやすいと感じました。
という風に書けばいいんでしょうけど、ゲームに対して謙虚さと敬意がない構成に、普通にイラッとしました。
キャラクターに関する描写は内容ががひどすぎて、リアルで吐き気を催したため私からの感想は、身体表現からお察し下さい。
いやいやいやいや×1000
他のゲームの話を動画付きでするのは普通に失礼じゃないですか?1
利用しているサービスの仕様上、動画を貼るとサムネイルがバーンと出てくるわけですが、全然違う・そして見覚えのないキャラクターが出てきてびっくりしました。
突然あなたのジャンル経歴って今、関係ありますか?ないですよね?
ちょっと長いどころか、めちゃくちゃ長い。
依頼を受けた背景を書くのは自由だと思うけれど、徐々に混じってくる感想屋さん個人の意見についてはすっ飛ばしました。
すっ飛ばせたので、この本文の中で一番良い構成だっと思います。
ここまで来ると、もはや何を言われても心が動かない。
「また自分の萌え語りかぁ…」と思って、ページを消そうとしたところで「今ならガチャがたくせん回せるよ!」というダイヤの話が出てきました。
それ、最後に書くべきことなのかな…。わからない…。わからないよ…。
冒頭で、感想屋さんが定義している「感想」について2つの言葉が重要だという話をしました。
これ、私が読解して「こうかな」と思った意味とは、実際のところかなり違いました。
「自分なり」は「自分本位」つまり自己中心的な感想で、サービスの提供よりも自分を優先するという宣言。
「ポジティブ」も客観的に見た場合ではなく、あくまでも己の目線からみたものになります。