機会平等と結果平等を混同する人が多い。差別がダメなのは機会が奪われることだ。例えば男女平等問題について考えてみよう。女性は昔は大学に行けなかった。就職できなかった。昇進できなかった。女性であるというだけで能力があるにも関わらず機会を不当に奪われてきたことは是正しなければならない。例えば学校の入学資格の性別は不問にする。採用や昇進に性別を考慮しない。こういうことは必要だったし良いことだ。
そこで何を勘違いしたか過激フェミニスト達が現れた。彼らは単なる機会平等では飽き足らず、女性が抑圧されていたことを根拠に結果平等を社会に要求する。トップ大学に女性が少ないのはおかしい。トップマネジメントに女性が少ないのはおかしい。差別だ。抑圧の歴史だ。なんたらかんたら。
彼らの頭の中でアファーマティブ・アクションは正義だ。つまり女性であるということを考慮し入学や昇進で有利になるという肯定的差別は抑圧の歴史を考えると良いらしい。アファーマティブ・アクションというのは結果平等の考え方だ。クオタがあろうがなかろうが差別は差別だ。彼らは差別の是正に差別で応戦しようとしている。
トップ大学やトップマネジメントが男ばかりなのを見て女性が少ないと文句を言う。これはもはや意味が分からない。女でも優秀な人はいるだろう。でも優秀な層だけ見ると男の方が多いのはこれは人類全体に見られる傾向だ。もちろん何を優秀とするかによって変わるだろうが、ここで仮にIQと仮定しよう。IQには性別差があることが知られている。平均を見ると男女差は無いが、男の方が標準偏差、つまりバラツキが大きいのだ。大多数の男女に知能差は見られないが、最上位層と最下位層を見ると男が多数派となってしまうのだ。犯罪者にも男が多いことは無視するのに、上位の人間に男が多いことだけは問題視し、男性特権の現れであると喚く。
過激フェミニスト達の主張は男性特権の存在を絶対的なものであるという仮定に基づいている。実際には彼らの視野の狭さを自己紹介しているに過ぎないのだが、トップ層のみを指して男性特権を主張する。男性特権を否定する者たちは自動的にセクシストであると決めつける。頭がおかしい。
過激フェミニストの目的は女性の解放ではなく女性特権の実現だ。人間を男と女の2つに便利に分断し、自分が女性であるということを利用し得をしようという自己中心的極まりない連中だ。
こういう自己中心的極まりない頭のおかしい連中がアメリカのリベラル層には無視できないレベルで存在する。特に大学や西海岸系の企業には大量に存在する。アメリカバンザイの意識高い系日本人は彼らの犬に成り下がり無批判にこの考えを受け入れる。日本もそのうち壊れていくだろう。
平等の議論は機会平等に留めるべきだ。結果平等を言い出したら断固拒否し続けなければならない。アメリカのようになりたくなければ。
くじ引き結婚あてがえ論者のKKOに言ってくださいよ
確かにあいつら過激クソフェミニストどもと変わらんな