2020-07-12

旅行に行くか、行かないか

表題言葉を見て、いったいどう受け取るだろうか。

私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。

コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。

「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?

連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?

あるいは、「この非常事態自分さえよければ、他人迷惑をかけてもいいと思っている非常識増田」という印象を受けるだろうか。

「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!

そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身発症したらとても苦しむかもしれないのに!」

「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」

「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」

感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」

バカから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?

だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。

私の話をしたい。

はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。

リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎問題となり、自粛要請緊急事態宣言が発令され、

Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤公共交通機関使用する。

休業要請対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。

マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。

1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、

会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。

おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。

つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。

それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。

出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。

オフィス20名弱がいる。デスククリアボードで仕切りがされている。会議web会議出張は要相談だが、基本ない。

休み時間をずらしてとる。11から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。

休憩中の私語もしない。飲み会原則禁止だ。

帰りは買い物をして帰るが、必要ものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。

それが平日。

休日シンプルだ。家にいる。

平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービス使用映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。

外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。

さて、

わたしは、感染リスクを軽んじているだろうか。

実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?

手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。

リモートワークはできないので、完全在宅ワークや、

から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?

駅にいるのが、

大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。

さなカバンだけを持っている私なら、「マスク感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。

平日、通勤している私は思う、

「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」

家の中にいれば安全というのは、道理だろう。

外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。

もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。

マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。

私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。

それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。

私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。

それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。

私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。

でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。

出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。

毎日毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。

私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ

誰にも会わなければ感染しない。感染させない。

わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。

私がもし、旅行者になることを選んだとき

私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。

逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?

旅行に行くか、行かないか

いったいなぜ、旅行者は非難されるのか。

受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。

からだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。

今の状況からして、都会に比べて、地方ならよほど切実だろう。

それも大量に動くなら、密度は上がりやすく、リスク高まる

最後に、

わたし趣味は「旅」である

休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。

それでも、わたし趣味は「旅」である

ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。

この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、

時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。

「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。

そして通勤して、だ。

「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。

「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。

旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。

うらやましさも通り越して、恨めしい。

「今じゃなくて、コロナ肺炎収束してから行けばいい」というのはいつだ?

増田子供じゃないんだから駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。

私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。

でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。

私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬからそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。

疲弊していくことをだれも救ってはくれない。

別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。

自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。

もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、

100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。

旅行に行くか、行かないか

私は今も悩んでいる。

私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。

人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、

だけどもう我慢限界で、精神が摩耗しているか増田に書き付けた。

同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、

この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。

インドアから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。

私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。

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