2020-09-14

こびりついた音

私の母はいわゆる毒親だった。

自己中心的話題はいつも自分のことでないと不機嫌になり、お金使いが荒く、異性にもだらしがない癖に変に純粋でよく男に泣かされていた。

私が高卒独立して働きだしてからは変にお節介を焼きたがって周りの人間関係を引っ掻き回したり、急に現れてはお金をせびってくることも多々あった。

それでも女手一つで高校卒業まで私を育ててくれたのは事実だし、感謝することはあれど恨むようなことはなかったはずなのに。

あの日仕事トラブル続きでイライラしていた所に、不注意で自損事故を起こしてしまい、挙げ句帰宅したら隣室の住人が引越の際に出たであろうゴミを私の部屋のドアを塞ぐように放置し、大家に連絡しても「警察に連絡してください」の一点張り電話を切られて途方に暮れていた時だった。

限界まで来ていたストレスが爆発しないよう、水が満タンに入ったバケツを頭の上に載せているみたいに慎重に歩く私の背中を押したのは、母から電話だった。

大家からの折り返しだと思って確認せずに通話を押した私の鼓膜を、急にザラついた猫なで声が叩いた。

増田ちゃん、元気~?」

甘えたようなワントーン高い声で電話が始まる時は大抵何か頼みごとがある時で、ここ最近は決まってお金に関する話題だった。

私はイライラを隠すことなく「今忙しいから」と言って電話を切ろうとしたが、母はその度にわざとらしく私の昔話や一人で子供を育てる苦労を語り出して同情を引こうとした。

普段ならきっと途中で「しかたないな」と思えただろうに、その日は私をより一層苛立たせた。

「私が死んじゃったら困るでしょ~」

冗談っぽく言う母の甘える声に対して、この時の私の声はひどく冷たいものだったと思う。

「もう必要いから、死んだらいいじゃん」

どうしてこんな言葉が出てしまったのか、今でも分からない。

「そっかぁ、もういらないかぁ」

母の声はさっきと全く変わらないようで、急に明るさを失っていて、まるで電話先の私にではなくもっと遠い誰かに向けられたような話し方だった。

私はここで怯んだらまた元通りだと思い、グッと堪えて何も言わずにいた。

しばらくお互いの息づかいけが聞こえる無言の時間が続いていたが、ガラガラという窓を開ける音がして、私は慌ててiPhoneの画面に向かって「何してるの、止めてよ!」と叫んでいた。

「助けて」

母のか細い呟きが聞こえたと思うと、続けて数秒後に ごしゃり という音が聞こえてきた。

冗談だと思った、きっと母が携帯を窓から投げ捨てたのだと信じこんだ、でも念のために救急車を呼ばなきゃって、後で「イタズラで呼ばないでください」って親子で怒られればいいやって、そのまま二人で久しぶりに飲みに行って沢山愚痴を聞いてもらおうって、色んな考えが頭の中をグルグル廻っているのに、私に出来たのは一歩も動かずにひたすらマイクから聞こえる音を聞き続けることだけだった。

「オイ!誰か飛び降りたぞ!」遠くの方で男性の声がする。

「ウッワ、ヤバくね」「気持ち悪」「初めて見た」「大丈夫ですか」「確実に死んでるっしょ」「見ちゃダメ」「最悪じゃん」「救急車呼んで」「スゲーな」「写真撮るなよ」

沢山の声が聞こえてくる、そのうちサイレンの音がして私はそのまま気を失っていた。

目覚めた私は青白いカーテンに囲まれていて、ここが病院だと気がついた。

目を覚ました私に気がついた看護士医者を呼び、医者が私に体調を尋ねると、次に警察が現れ「本当に母が死んだ」という事実を伝えた。

もっと沢山のことを話したはずなのだけれど、まるで記憶が抜け落ちたように何も思い出すことができない。

最後職場上司が顔を出し、「しばらくゆっくり休むと良い」と言われたことだけは覚えている。

私はそのまま長い眠りにつき、その職場には結局2度と出社することはなかった。

あれから5年が経っても、私は未だに携帯電話を持てずにいる。

それどころか、従姉妹の子供が遊んでいた携帯電話型のおもちゃを耳に当てただけで、あの ごしゃり という音が急に聞こえて、そのまま過呼吸になってしまたこともあった。

困った。

  • 死んでなお毒親に支配され続けてるんだね。かわいそうに そんなただの八つ当たりであなたを苦しめる自分勝手な人に人生乗っ取らせちゃいけないよ 忘れられないだろうけど、思い出す...

  • 死んでなお毒親に支配され続けてるんだね。かわいそうに そんなただの八つ当たりであなたを苦しめる自分勝手な人に人生乗っ取らせちゃいけないよ 忘れられないだろうけど、思い出す...

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