あとでレポートらしくまとめたいと思うが、期待しないでいただきたい。
まず、基本的に自殺者(あまりこの文字を見ないようにするため、以下「彼ら」と呼ぶ)は自己中心的である(もしくはそのように変化した)。それが生来の性格なのか、その行為に至る原因において追い詰められた等精神的ストレスによるものかは不明である。
精神的ストレスが原因であれば、それは自らの身を守ろうとしている自己防衛反応に近いと予想される。
生来の性格であれば、自己中心的な性格を生まれながらにして持つ人間はそうでない人間に比べて自殺率が高いのか、という研究にもつながる可能性がある。
次に、彼らの周りの人間についてである。彼らが自己中心的な性質を周囲に強く示した場合、周りの人間は次のいずれかの行動をとる。1つは「全くなにもしない」である。もう1つは「何かする」である。
「何かする」に該当する例としては、「家族が不安に感じて病院に連れていく」「恋人が話し合いの機会を設ける」「友人が遊びに連れていく」等である。ネット上の場合だと「良い薬をおすすめする」「サービスの紹介(営業)をする」等も考えられる。
「全くなにもしない」に該当する例としては、「家族だが何をしてやれば良いかわからないので放っておいた」「恋人だが面倒くさいのでしばらく避けた」「友人だがそんなことはしょっちゅうあったので無視した」等である。
もちろん、彼らは周囲の「全くなにもしない」人間のおかげでその行為を躊躇いなく実行できる。
最後に、彼らの末期についてである。世間では彼らに対して、「死にたいと言っている間は死なない」と思うものも少なくない。これは半分正解で半分間違いである。
急に呟いた程度であれば、自殺する可能性は低い。「死にたいと言っている間は死なない」に該当しやすい。
ただし、「死にたい」という発言が常態化している場合は確率が計れない状態のため、強いていえば確率は五分五分である。「死にたいと言っているが死ぬかもしれないし死なないかもしれない」ということになる。
そして最も確実(かつ最も観測不可能性が高い)なのが、「死にたい」と言わない状態の彼らである。彼らはたとえ「死にたい」と現世なりネットなりに漏らしたところでどうにもならないことを分かっている。加えて、「あなたのことを救いたい」「助けになるから何でも言ってよ」といった言葉を発した人が結局のところ何もしてくれないのを経験上理解している。
そのような声をかけた人にとっては「何かした」に該当するのだが、彼らにとっては「全くなにもしてくれなかった」に該当する。声だけのおせっかいは彼らにとっては無意味である。
ちなみに、彼らにとっては「親が悲しむ」「恋人が可哀想」「友人らが泣く」といった話は無意味である。これらを極めて嫌に感じる場合はそのようなことはしないからである。もしくは、これらを看過してでもそれを成さねばならない事情があるからである。他にも「未来のことを話されてももはやどうでもいい」「自分のために泣いてくれるなら本望だ」等も存在する。
そうして、彼らは静かに道具を揃え、交通ルートを調べ、周囲の人間の時間的行動パターンを調べ、計画を立て、その日を決める。
そしてその日になると彼らは計画通りにことを行う。道具を用いて、地形を利用して、周囲の人間に気付かれないように。
以上。
死のうんち
しにたくないよ たすけて・・・ ぴょん
ここに飲んだらだいたい数時間で絵死ぬ薬が2億人分ある。国内だけでな。さぁ、がんばって配るぞー 拒否権?あぁ、あるから任意だよ。たぶんね。
みじかい。。
観察できるほど何人も自殺者ばっか見ることある?精神科医かカウンセラー? って気になって最後まで見たのに一言も触れられてなくてわろた こんなんただのチラ裏妄想と変わらんやん...