はてなキーワード: 聴くとは
my bloody valentineの「loveless」は昔よく聴いたし、今もたまに思い出して聴くことがある
音楽的な部分は置いておいて、アルバム全体の陰性のギターノイズと陽性の美しいメロディが拮抗するバランス、そしてアルバムタイトルが何を意味するかを考える
自分にとってその意味は「愛なき世界とその美しさ」ということになる
社会は発展という大目的を半ば失い、停滞の中に安寧を求め、その表面上の規律に逆らう人間を排除しようとする
そんなディストピアに近づいている今の社会にとって、「愛なき世界」の音はリアルに響き続けてしまう
みんな祠壊して祟られてみたいんだねぇ。
祟られてみたいって人、案外多いんじゃないかな。そういう現象があるって、わくわく空想膨らませて楽しむくらいだから、人が体験してるの見るより自分で体験してみたいんじゃないかな。
で、なんでみんながそういう空想に夢中になるかって考えたんだけど、祠壊して祟られるのって、楽なんじゃないかなって。
仕事とか親とか諸々の、頑張ればなんとかなるって思われがちな生きてる人とのトラブルよりも、神様とかよくわかんないものとのトラブルの方が、どうしようもなさすぎて気が楽なんじゃないかなって。
実際祟られて変な感じになっちゃったら、周りの人も仕事とか家族とかの問題をなんとかしろってあんまり言わないだろうし。まあその場合精神病院行きとかかもしれないけど、でもそっちの方が生きてる人との問題を解決するよりマシな気がするなぁ、そうなってみたいなぁって、無意識に思ってる人、結構いるんじゃないかな。
もしも祟られてもこうすればすっきり解決しますよ、とか、そもそも祠壊しても誰も祟られませんよ、ていうことになったら、そういう人たちにとっては困るんだろうなぁ。祟りあって欲しい訳だから。
いつか実際祠壊した人の体験談(モキュメンタリーじゃなくて本当に本物の)を読むなり聴くなりしてみたいなぁって思うけど、本当に祟られちゃったら文字書けなくなる・話せなくなる可能性もあるからそんなに真剣な望みじゃないよ。
でももし祠壊して祟られて、何があったか書き残せる人がこれ読んでる人の中にいたら(フェイクじゃなくてしっかり実在するリアルな人)どっかで書いてみたらどうかな。YouTubeで語るのでもいい。そしたらきっとみんなの人気者になれるから私のところにも届くはず。その時は出来れば顔出し実名でお願いしたいけど流石に無理かな……。
いやほんと、そんなに真剣な望みじゃないよ。もしかしたらそういう人がいないかなぁって、ふんわり思ってるだけ。
でも考えてみたら、神様のいる祠を壊して祟りが起きることを空想して楽しむ、っていうことそのものが、もう神様への無礼で不敬で縁起悪くない?
実際には何も壊していなくても「あいつは祠を壊すことを娯楽とする奴だな」って神様に見抜かれて、それで祟られちゃうってことも、あるんじゃない?
そんなお話、誰か作らない?
似た症状の人が集まっているので、調子乗ってもう少し書く。
左右の耳に入る音の差で距離や角度を算出するんだけど、それが難しい。聴き取りにくくて、メモリーを割いてしまう。
「買った」「カッター」「かかった」の聴き分けなど。やや音痴傾向かも(調査継続中)
音楽はプレイヤーがいるぶん、AI導入を賛成する人間も多いから(人によっては)最悪な状態にまで行くのだと思う。
つまりリスナーだけ残って、プレイヤーもクリエイターも絶滅する
AIが作曲した曲を演奏するのとそれを聴くのだけしか残らないか
音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。
ここが問題なんだよ
新しい風潮は誰が作るんだ?
仮に新しいものが生まれたとして、その個の認知はAI消費に勝てるのか?
逆に言えば、ごの互換品が本家を食う勢いで認知され、著作権?何それおいしの?とばかりに広まれば、集まって「No more 生成AI」ってやるよ、賭けてもい
音と違って絵は分かり易い
石恵くらいのところならAIで出力して認知度を利用してやれとやれる
「音楽ではそういうのが居ても肯定的に受け入れられている」という実績あるんか?
聞けば〇〇と分かる音楽を、その認知度を利用するためにAIで出力され、著作権関係アリマセーンみたいな奴
JASRACに甘え過ぎなんだよ
今、音楽を本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIごときには脅かされない実力がある。
失笑w
誰もそんなとこは問題にしてねぇんだよ
それを掻っ攫う事への反発だよ
MOD界隈とかのその循環()とやらに関係ない所が蠢動してるが
とりあえずNomore生成AIとかいう活動してる俳優や声優たちにもお前たちのクリエイティブは下等だと言ってきてくれ
・絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため
ここは誤解で、絵師/絵描きこそがプレイヤーなのだと思う。大多数の絵師は本格的な自己コンテンツを有さず、多くの二次創作と、散発的なオリキャラを公開しているに留まる。
全体からすれば一部の著名絵師(特にゲーム会社等から依頼を受ける/属してる人)や一次漫画家が、作曲家のようなクリエイターに相当する。
筆者の属するコミュニティの偏りを感じる。私の周囲にはめっちゃいるよ、聞くだけの人。せいぜいカラオケで歌う程度で、カラオケでも歌わないけど聞くのは好きって人が最多数派に見える。
深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動に辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。
コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。
(現行法上合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)
彼らの職業は、対脚本家と演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。
そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論の余地はないのでは。
自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。
最近、日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。
それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。
もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。
このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。
さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部で法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手に議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。
だから、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。
生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。
他の分野でも生成AIの進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。
実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較的自然に受け入れられている。
音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。
生成AIの学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。
しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。
西洋芸術は、音楽や絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。
信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユースの思想として残っている。
対して、日本には、そのような一神教の概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。
更に、音楽理論そのものが、西洋をルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。
一方で、日本の絵師界隈は、ガラパゴス状態で進化しているため、「自分がゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品は自己表現」という認知になりやすいのではないか。
今、音楽を本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIごときには脅かされない実力がある。
そうでないクリエイターは、純粋に趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。
一方、イラストを本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIごときに簡単に脅かされてしまう。
リアルに生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。
参入障壁の低さと、00年代からの需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間をプロとさせてしまったのかもしれない。
さながら、チューリップ・バブルだ。
以下、それぞれ、補足。
音楽界隈では、古くからクリエイター、プレイヤー、リスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。
例えば、クラシックのプレイヤーが過去の偉大なクリエイターの作品を演奏し続けたり、ジャズやヒップホップにおいて、サンプリングやリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存の作品や表現を再利用する文化が根付いているからである。
「表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。
これは、DTMの世界も同じで、音源やサンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源や手法を追加しただけという感覚が強い。
技術的な進化が日常的に行われており、特定の著名なプレイヤーの演奏をサンプリングして音源化することも一般的である。
これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。
また、音楽界隈において、多くの場合、クリエイターはプレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。
音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか?
クリエイター、プレイヤー、リスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。
AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。
私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作の可能性として受け入れている。
音楽分野では、クリエイター、プレイヤー、リスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。
一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。
クリエイターとリスナーの立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在が希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。
その結果、生成AIは「自分の領域を侵害する存在」として映ることが多い。
絵師界隈において、絵師は、自分の作品について、「自分がゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人の作品に手を加えたり、既存の表現を再利用することに対しては、現行法上問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。
絵画や音楽を問わず、西洋における芸術の歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。
パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術の研鑽を重ねた。
結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。
芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋の芸術、特に歴史的な音楽や絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。
元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。
この背景が、西洋でフェアユースの概念が広く受け入れられている一因のように思う。
才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。
任天堂とパルワールドの訴訟問題における、日本と欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。
この点、日本の絵師界隈にとって、才能は「自分の努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。
その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AIが個人の努力や創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。
このまま日本の絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIはアンタッチャブルとなり、なんらの議論も進歩も遂げなくなるだろう。
最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義の論理に飲み込まれる可能性が高いと感じる。
外国の大企業が規約や契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術やデータを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来。
絵師界隈の過激な活動により、日本企業にとって生成AI技術そのものはアンタッチャブルとなったので、日本企業は呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。
もちろん、これは資本主義の一環であり、技術の進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。
私自身はそのような未来を諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。
技術は常に進化し、その中でクリエイティブな表現の方法もまた変わっていくものだ。
しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?
AIは決してクリエイターの創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。
これからのクリエイティブな世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。
「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。
望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単な技術ではない。
命令文の模索や、好みのモデルの階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識が必要だ。
現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIでイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。
「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業が最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。
企業が最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般の消費者、それ以上でも以下でもないのでは。
消費者がイラスト生成AIの恩恵にあずかれるようになっただけ。
「絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。
「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。
敬称なので、自分で自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。
ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20240830213900
ヨッピーが育児ハックネタで増田とバチバチやってるの見てたら、ヨッピーが大人の対応してる感出してるけど、全く噛み合ってないのが痛々しいので、気分転換に書いてくよ。
・うちは4人いるけど、育児のテクニックが効くやつと効かないやつがマジでバラバラ。どの話もとりあえず話半分聞くのが良い。
・1番目の時、ワイフは育児ノイローゼになり、僕が専業主夫を半年やった。当時大変だったけど、今思えば1番目が1番育てやすかった。4番目ともなると、こちらも百戦錬磨のはずが、本人の資質もあり滅茶苦茶手がかかり思い通りにいかない。4番目が最初だったら……と思うと恐怖しかない。子どもは小学校入るまでは本当に個人差が激しいので、4番目みたいな子が最初になってしまったお父さんお母さんには、本当にお疲れさまです、としか言いようがない。
・うちの4番目、体力がある、というか、しつこい、というか、忍耐力がある、というか、ちゃんと抱っこしたりかまったりしないと、とにかくブチギレる。機嫌が良い時は良いのだが、一度悪くなると治まらない。基本は多少泣いてもスルーする、なのだが、世界が終わるかのように泣きじゃくり服を引っ張ったりして、家事全般が全然できなくなる。抱っこで少し落ち着いてきたら、椅子に座って膝に乗せる状況なら多少大人しくしてるので、疲れ果てたワイフor僕は、人間椅子と化す。
そんな時の育児ハックは、座りながら寝れそう椅子/ソファをテレビの前に設置し、テレビで動画を流す!、だ。
家事を自分でやりたいタイミングでやるのはもう諦め、少しでも休息を取り、寝静まったり落ち着いた瞬間にやりきることに徹するのだ。
地上波のテレビはCMが長く挟まるので、CMのタイミングでキレられることになる。
普通にYouTubeを流してもCMは流れるが、スキップがテレビより早くできるのでまだマシ。
個人的にオススメは、YouTube kidsのアカウントを作って、YouTubeアプリで再生すること。
YouTube kidsアカウントだとCMは入らない。YouTube kidsのアプリで再生すると、次の動画の再生が自動で行われないため、10分に一度操作する必要が出てくる。
だが、YouTubeアプリでYouTube kidsアカウントで入り、動画再生すると、何も操作しなくても流れ続けるので、そのまま寝落ちすることができる。
ちなみにうちの子どもらにヒット率が高かったのは、boobaだ。
https://youtube.com/@booba?si=u4TJhgeuwMK3Yx55
アンパンマンにハマる子、電車にハマる子、動物にハマる子、色々いたが、今のところboobaの食いつきが一番良かった。
最初はマジで何が良いか、本当に分からなかったが、あまりにどの子も食いつくので、何度も何度も何度も観ることになり、結果慣れてしまった。
うちの子らの一番のお気に入りは、aviciiのLEVELSという曲に合わせてboobaがダンスする動画で、コレ流すと本当に機嫌が良くなる。
コレを聴きながら人間椅子となり、眠る日々を何度も過ごしてる。
https://youtu.be/kWxlSzoQSRM?si=r7IRibA83jGghHFZ
子どもは気に入ったやつを何度も流すことを要求する、それも歌や音楽があるとヘビロテを要求しがちなので、それがアンパンマンマーチのような童謡ばかり聴いてると、だんだん謎の新興宗教に精神汚染されてるようなオカシナ感覚になってくる。
アンパンマンマーチ無限ループで、オカシクなりそうだった時は、アンパンマンの動画にmy first storyのi'm a mess の曲を当てたMADに救われた。
https://youtu.be/vT_Y4R_ZNyw?si=5K7WRq1KMFexFRi-
お風呂で機嫌が悪くなると、まためんどくさいので、機嫌が悪くなりそうな時はBluetooth防水スピーカーをお風呂において、LEVELSとI'm a messを流す。
音楽を聴くだけで、boobaやアンパンマンを観たような感覚で、機嫌が良くなるのは助かる。
・ご飯をちゃんと食べてくれない子は、お腹が空きがちなので、普段の生活の機嫌もだいたい悪い。なので、ちゃんと食べさせたいわけだが、4番目は特に食べないことが多く苦労してる。今思えば、1番目はとにかく食べる子だったので楽だった。
1番目は、タレやソースを漬けると美味い、と学習したらしく、とにかくタレを別の皿に用意し、自分でつけて食べるスタイルにすると何でも食べた。
2番目以降は完全に真逆で、何かがついてると、美味しい不味いの前に、気に入らない、食べる気がしない、ので食べない。
外食すると、東海地方のソフルフード、スガキヤのラーメンは、なんやかんや絶対に食べてくれるので、非常に助かる。
3番目と4番目は、焼いた食パンが好きで、3番目は白いところだけ食べ、4番目は耳だけを食べる。
どの子にも言えることだが、めっちゃ好き!テンションが上がる!!以外は、思いのほか食べるのがめんどくさいと食べないことが多い。
なので、硬い状態はできるだけ避け、手でつかんで食べれるような状況にしとくと、手でもスプーンフォークでも結構食べてくれる。
麺類を比較的食べてくれるのは、子どもらとしては食べやすいからかも。
きゅうりの蛇腹切りのように、斜めに刃を半分入れる、を両面からやる感じ。
そうすると、焼いた後、食パンを手でちぎるのが簡単になり、スナック菓子のようにつまみながら食べることができる。
テンションあがる!で食べてくれるので、キャラものの食器、アンパンマンのスプーンや茶碗などは効果があるが、席に着くまでは持っていけても、食べ始めるとやる気が無くなることも多いので難しい。
テンションが高くないと、子どもの横について、1時間近く食べさせないと食べてくれない。
食べさせる疲れと、上に書いたような手間をかける疲れを天秤にかけて、レシピを選ぶ。
麺類、唐揚げ、おにぎり、あたりは外しにくいメニューなので助かる。一般的にはココにカレーも入るのだが、うちの子らの場合、カレーよりもハヤシライスの方がよく食べるので、ハヤシライス率の方が高い。
ポケモンやアンパンマンのラーメンうどんはあるが、絵のついたかまぼこを食べ終わった瞬間食べなくなったりする。
どん兵衛の小さいサイズは、柚子の風味がついていて、普通のどん兵衛よりも正直美味い。
・子どもをあやす時、室内で抱っこするだけじゃ泣き止まない時は、外に連れ出して移動する。
歩いたり、ベビーカーに乗せたり、自転車に乗せたり、車に乗せたり……
外に出る疲れとめんどくささ、と、永遠に続くと思われるギャン泣きとを天秤にかけて、仕方なく外に出る。
哺乳類全般が持ってる習性で「輸送反応」というものがあり、子どもをあやすテクニックのほとんどがコレに由来してるものが多い。
https://www.sukusuku.com/contents/qa/60442#
哺乳類は赤ちゃんの時なにもできないので、危険が迫った時親が赤ちゃんを上手く運べるように、運ばれると感じた赤ちゃんは大人しくなる、というもの。
ひとつ注意点は、運ばれていると感じている間は、習性により大人しくしてるが、それが無くなったと感じれば元に戻るということ。
なので、移動で大人しくなった後、眠ったり、本人が落ち着いたりした後でないと、移動を止めた瞬間、またギャン泣きすることになる。
ちなみに、専業主夫やってた1番目の時は、夜中全然泣き止まないと、抱っこ紐で背中に乗せ、近くの公園を自転車でずっと走っていた。
4番目になって、気付いたテクニックとして、ただ抱っこするよりも、抱っこしたままトランポリンで軽く揺れると、滅茶苦茶大人しくなる、ということ。
足で良い感じで揺れを作っても、同じようには大人しくならない。
移動と違って、4番目だけのN=1の事例なので、家にトランポリンがある家庭は効果があるか試してほしい。
………他にも無限に出てきそうだけど、ひとまず今日はここまで。
ハックと呼ばれるもの全然に言えることだと思うけれど、泥臭いストーリーが無いと、リアリティが無くて、たまたま上手くいって良かったですね、で終わる気がしたので、そこに至るまでの小話も添えてます。
男にはいつもどっしりと構えていてもらいたい。なぜなら男だから。
女と喧嘩をしても、きちんと目を見て「俺のどこが悪かった?」「俺は君のここを変えてほしいと思った」と互いに意見を交換すべきである。
そして最後は「今後は俺はここを気をつけて直す」「悪かった」と堂々と謝り、改善を目指すべきである。
決してこちらを上目遣いに見て媚びるように「ごめんね…?」などと言ってはならない。なよなよするな。女なんかに下手に出るな。
疲れたときも、女に膝枕など求めてはならない。ただ女を抱きしめ「今日は疲れたから早く寝るね」とだけ言えば良い。男に隙があってはならない。
パイを興奮しただらしない顔で揉んではならない。女体にも下手に出るな。
巨乳お姉さんに耳舐めしてもらうASMRを聴くのをやめろ。男ならお姉さんを力でねじ伏せろ。授乳手コキで甘やかされようなど以ての外だ。男だろ。征服欲はないのか。女を自分のものにするつもりでセックスしろ。
今の時代、女も自立せねばならぬ。女も男と同様に働くのは当然である。しかし男は女より立派な存在であってほしい。
私のことをいつもエスコートしてくれて、強靭な肉体と精神を持っていて、仕事も私以上にバリバリやってるような男と出会いたいなー。
しっかりミソジニーが内面化された結果こんな女になった。早く死にたいわ。この本全員読めよー。
■『女ぎらい』 上野千鶴子
「増田さんはよくあの人の自慢話聞いていられるよね。」
はて?と、思った。
あの人と言うのは、休憩時間によくお喋りをしている職場のパートさんのことである。話す内容といえば昔働いていた職場は儲かっていたとか、息子さんに旅行に連れて行ってもらったとか。私はお菓子を食べながら、そのような話を「へぇ〜、いいですね!」と聞いている。
冒頭、私にそう言ってきたのはあの人と同世代の女性だ。あの人との付き合いは私よりも長く、あの人の話にも聞き飽きているらしい。(確かにあの人は何度も同じ話をするのは事実で、私も既に5回程聞いたことがある話はある。)
聞き飽きる、のと、自慢話に嫌気がさす、というのは違うよな?と思った。え?そもそもあの人が話していることって自慢話なの?自慢話ってつまり何?
まず、自慢話には「ネガティブな自慢話」と「ポジティブな自慢話」があるように思える。内容がではなく、感じ方がネガティブかポジティブか。
「ネガティブな自慢話」からまず思い浮かんだのはスネ夫。「スネ夫が自慢話をする時のBGM」があるくらいだ。スネ夫の自慢話といえば、…グアムに行ったとかスポーツカーに乗せてもらったとか?それを今の私が聞いたらどう思うだろう?おそらく、「へー!すごいな!いいねぇ!」だ。のび太のようにドラえもんに愚痴ることもない。でも、私がスネ夫やのび太と同世代だったら?あの人と同世代の女性のように、近い年齢だと自分と相手を比べてガッカリしたり羨ましい気持ちになることが「ネガティブな自慢話」になるんだろうか。
次に「ポジティブな自慢話」。スネ夫のようにこれといった例はないが、なんとなく思い浮かべるシチュエーションとしては、あなたの自慢を教えてくださいと聞かれる、といったもの。聞かれた人はきっとそれぞれの自慢話をするだろう。有名人に会ったことがあります、財産がこれだけあります、とか。もっとささやかな自慢もあるだろう。それに対して、聞いた人は「ハ?自慢話してんじゃねーよ」とは思わないはず。だって自分で聞きたくて聞いてるんだもん。チャンネル登録しているYouTuberが海外旅行に行ったブイログを見て、自慢かよクソと思う人は少ないだろう。だって見たくて見てるんだもん。
いろいろごちゃごちゃ考えたが、自慢話とは聴く側の人間の立ち位置や、状況によって変わるものだと思った。同じ人から同じ話を聞いても、聴く側が変わればそれは自慢話すんなクソにも、へー!いいじゃん!にもなり得るのかな。
うわー自慢話されたー最悪ー!と人生で思ったこともあったかもしれないが、大体はへー!いいじゃん!と思う私にとって自慢話っていろいろ考えたけど…あんまりピンとこないなと思った。それと同時に、じゃあ私が過去に話したことも人によっては自慢話すんなクソだったのかな…と思うとなんだか憂鬱になってしまったのだった。
自慢話、奥が深いぜ。
ノルウェイの森がキモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代に映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたことしか覚えていない)。
そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反のキモい小説が禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。
それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶が曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。
恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアルに留年するレベルで卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。
昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月に大学を早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。
挨拶やら近況報告やらを経て、話題はA先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生は退職理由について「学内の過剰な『コンプラ・ポリコレ』意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。
私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラ・ポリコレ重視派」というか、フェミニズムに共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから、尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。
私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生の言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。
A先生は、最近の学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。
そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHKの地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写、暴力、自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。
「大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキングな経験を咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」
といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学の講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。
また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代の私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。
「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」
と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。
「ポリコレ」つまり「ポリティカル・コレクトネス」とは本来「政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮の対象となるのはあくまで現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクションの評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品は非難の対象となっている。
だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味で危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生の言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為も差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラやポリコレを意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションだけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。
1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生の発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。
最後に、フィクションが受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。
私は昔から小説や漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物がクラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定のグループに所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み、自己肯定感が下がっていった気がする。
それでも、私の基本的なスタンスは「傷つくのは受け手の事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的なフィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクションと同義ではないのか。
以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。
ひがしやしき、オタクに刺さる。
おれがはてな匿名ダイアリーに「や、教養主義的なのって別に筋は通ってなくないスカ?」とかグチグチ書き連ねてるところ、彼の音楽では「うわさの本物のアレはまあいうほどでもないな 私だけのそれにまあとっくに出会ってたから ルーブルのあれもでっかいスピーカーのlowもいうほどではないな」と歌われる。
ある種の人間が抱えてるであろう気持ちを、中々言葉にならないけれど言いたくてたまらないようなものを、短くかっこよく言ってのける。好きなんだよそういうのが。蓋をしがちな心の大事な部分がくすぐられちゃうよ。
劇的でない生活への嫌悪。フィクションの永遠性や物語性への憧憬。思春期とともに卒業しろとでも言われそうな心。
人とズレてることに強く苦しむ訳でもなく、これがオレだぜ!と強がって掲げる訳でもない。「まとも」でない自覚はありつつ、変わることを切望する訳でもない。諦念混じりの自嘲的な語り口で内省的な心情を綴る。でも時々熱いものもある。
そこにオタクワードを散りばめて、共感性というかオタク的内輪感を高める。
生活感のある言葉で描かれる感傷。ワンルーム・セックス・タバコ的な「エモ」って、自分の中の社会性の顔色を伺って小馬鹿にする姿勢を取りつつも、そういう退廃的なものにはちょっと良さを感じてしまう。そこでオタクにとって遥かに身近なモチーフを持ち出された上、内向きのめんどくさい目線から放たれたらもうね。「こういうのちょっと恥ずかしいかな」とか思う余裕なんて吹き飛んでしまう。
自負にせよ羨望にせよ専門家信仰や選民意識のようなものが高まって、最近じゃインターネットで「オタクですらない何か」とでも自虐したり揶揄されるような内省的な生き物にとても刺さる。「オタク」という言葉の芯に内向きな精神性を感じている人間に。
熱心にコンテンツを摂取してるかどうかはあまり重要な問題じゃない気がする。
最初に聴いた時は、ひでえ歌声だと思った。低く濁ったオタクボイス。
Twitterの近隣フォロー圏内で局所的に流行っているのか数年ほど前から名前を聞いていて、試しにと聴き始めた気がする。
アマチュアというかインディーズというか、そういう人の曲を聴くのってなんかオシャレっぽいなと思ってしばらく聴いてた。
ラップって言うけど、コテコテの感じではない。時々韻踏んでるなって所はある。あとたまに来る畳み掛けるようなフロウも気持ち良い。
声については慣れた。志村正彦と違って特に魅力だとは感じないけど。低い声、オクターブ上の高い声、その両方が使い分けられてる。高い方が入ってると比較的聴きやすい。でもポツリと呟くようなフレーズに使われがちな低いオタク声の方がエンパシーは高まる気がする。
よっぽど繰り返し聴いてるんでもなければ、おれあんまり音楽聴いてて歌詞が耳に入ることないんだけど。やっぱラップってそこが大事なんかな。
ちょっと前にキタニタツヤが取り上げてたらしいけど、おれはキタニタツヤをよく知らんのであんまりピンと来ない。
もういない人に言ってもしょうがないんですけどね
人生ちゃんは続くらしい
今夜、すべてのyoutubeliveで
辺りが好きですね。
相対性理論(Soutaiseiriron)は、日本のバンドやねん。2006年に結成されて、独特な音楽スタイルと歌詞で人気を集めてるんやで。メンバーは、ボーカルのやくしまるえつこさんを中心に、ギター、ベース、ドラムの4人組やねん。
彼らの音楽は、ポップ、ロック、エレクトロニカなど、いろんなジャンルをミックスしてて、ちょっと不思議な感じがするんやけど、それがまた魅力的やねん。歌詞も独特で、日常の出来事や感情を詩的に表現してるんや。
例えば、「シフォン主義」っていうアルバムは、軽やかでふわっとした感じの曲が多くて、聴いてるとなんか心が軽くなるんや。やくしまるさんの声も、透明感があって、聴いてると癒されるんやで。
相対性理論の音楽は、ちょっと変わってるけど、聴けば聴くほどハマる魅力があるんや。ぜひ一度聴いてみてな!
(もう少し詳しく教えてください)
もちろんやで!相対性理論についてもう少し詳しく説明するわな。
やくしまるえつこ(ボーカル):バンドの顔であり、独特な声と歌詞で知られてるんや。彼女はソロでも活動してて、アートやデザインの分野でも才能を発揮してるんやで。
永井聖一(ギター):バンドのサウンドを支えるギタリストで、独特なギタープレイが特徴やねん。
真部脩一(ベース):リズムセクションを担当してて、バンドの音楽に深みを与えてるんや。
西浦謙助(ドラム):バンドのビートを刻むドラマーで、リズム感が抜群やねん。
相対性理論の音楽は、ジャンルの枠にとらわれへんのが特徴やねん。ポップ、ロック、エレクトロニカ、ジャズなど、いろんな要素を取り入れてて、聴くたびに新しい発見があるんや。例えば、「シフォン主義」や「ハイファイ新書」っていうアルバムは、どちらも違った雰囲気を持ってて、バンドの多様性が感じられるんや。
やくしまるえつこさんの歌詞は、日常の出来事や感情を詩的に表現してるんや。例えば、「LOVEずっきゅん」っていう曲は、恋愛のドキドキ感をユーモラスに描いてて、聴いてると楽しくなるんや。他にも、「ミス・パラレルワールド」っていう曲は、ちょっと不思議な世界観を持ってて、聴く人を引き込む力があるんやで。
相対性理論のライブは、視覚的にも楽しめるんや。やくしまるさんの独特な衣装やステージ演出が、音楽と相まって、観客を魅了するんや。ライブでしか味わえへん一体感があって、ファンにとってはたまらん体験やねん。
相対性理論の音楽は、聴けば聴くほど新しい発見があって、何度でも楽しめるんや。ぜひ、いろんな曲を聴いてみてな!
(では最後に、相対性理論と現代の音楽シーンへの影響を教えてください)
相対性理論は、現代の日本の音楽シーンに大きな影響を与えてるんやで。彼らの独特な音楽スタイルとアプローチは、多くのアーティストやバンドにインスピレーションを与えてるんや。
相対性理論は、ジャンルの枠にとらわれない音楽を作り出してるんや。ポップ、ロック、エレクトロニカ、ジャズなど、さまざまな要素をミックスして、新しいサウンドを生み出してるんや。これが、他のアーティストにも影響を与えて、ジャンルを超えた音楽の可能性を広げてるんやで。
やくしまるえつこさんの詩的でユニークな歌詞は、多くのリスナーに共感を呼んでるんや。日常の出来事や感情を独特な視点で描くことで、他のアーティストにも新しい表現の方法を示してるんや。特に、若い世代のアーティストにとって、やくしまるさんの歌詞は大きなインスピレーション源になってるんやで。
相対性理論は、インディーズシーンからスタートして、メジャーな成功を収めたバンドやねん。これが、他のインディーズアーティストにとっても希望となってるんや。自分たちの音楽を信じて続ければ、成功できるというメッセージを伝えてるんやで。
相対性理論は、他のアーティストとのコラボレーションも積極的に行ってるんや。これが、音楽シーン全体に新しい風を吹き込んでるんや。例えば、やくしまるえつこさんはソロ活動でも多くのアーティストと共演してて、その影響力は計り知れないんやで。
相対性理論の音楽は、聴く人に新しい視点や感覚を提供して、現代の音楽シーンに多大な影響を与えてるんや。これからも、彼らの音楽がどのように進化していくのか楽しみやねん。
他にも気になることがあったら、何でも聞いてや~。
2年程度、俗に言う地下アイドルというものを追っかけているオタクです。
日本全国ライブがあれば仕事の都合のつく限り追っかけつづけ、週1はライブに行くような生活を2年続けてきた。2ヶ月に1回は新幹線や飛行機でどこかに遠征するような生活である。
が、今アイドルオタクを辞めたい。担降りしたい。未練タラタラでまだ無理だったけど。
自分のために整理もしてみたかったので、ズラズラと書いてみる。
中高大の友人たちが続々と結婚してきた。私が現場でイエッタイガーガチ恋口上してる間に他の友人たちは着々と人生のレールに乗っている。
自分の親からも「アイドルオタクをするのは良いけど、そろそろ自分のその後の人生を考えろ。アイドルはお前の人生の責任をとってくれないぞ」と言われる始末。確かに現場に何度も通おうとどんなに生誕祭で金を使おうと推しメンは結婚してくれない(特に私の場合は同性なので日本の民法が変わらない限り無理)。
(地下アイドルに詳しい人がいればすぐ事務所がわかってしまうぐらい特徴があるのでかなりぼやかします。正直その事務所がわかる人しかわからないと思います)
○2024年に入ったころからあるイベントが開催されるようになった。当時は一部のグループだけだったが全てのグループが対象になった。定期的にそのイベントが開催されるのだが、オタクはそのイベントが嫌でも、メンバーを人質に取られているものなので、行かなければいけないという義務感に襲われてしまうし、行かないと罪悪感に苛まれる。
また、楽しいライブを見たいのにステージ上で悔しくて泣いている子ばかりである。現実の色々なものを忘れるためにライブに来てあるのに、ステージ上の笑顔を見たかったのに、どうして悲しい顔を見ないといけないんだろう。自分まで疲弊してきた。
私のように義務感でチケットを取った人で箱埋まればそれでいいんだろうね。招待で動員できる金あるオタクがいるグループを優遇したいんだろうね。短期的な金儲けできれば良いんだろうな。事務所のグループ全体的に好きだったのに主現場以外行きにくくなった。主現場に申し訳なくて。
あと頑張ってもそんなに恩恵がない。
(この時点でなんとなく事務所がわかった人いると思うが名前は出さないで欲しい。そこだけはお願いします)
事務所内でのグループ格差が酷い。確かにお金を持ってきてくれるグループを優遇するのはわかるが、そのグループを冷遇する?みたいな謎の干され方しているグループがある。サブスクが一向に出ないとか、新衣装が1年半以上出ないとか新曲が出ないとか。トップのグループは新衣装の頻度が2〜3ヶ月に1回ぐらいなのに。ライブ頻度も高いのにずっと同じ衣装着続ければどんなに大事に扱ってもボロボロになってしまうし。
あと、既存のグループを大事に育てて欲しいと思っているのだが、新グループをバンバンデビューさせている。数打てば当たる作戦なのだと思う。が、今いる多数のグループを中途半端なまま放置しているのに、新しいグループを育てる余力あるんですか??今の既存グループはみんな魅力的なのに、それ活かそうとしないのは自分たちなのではないんですか??
もう多すぎるのでパッと思いついたのを書いていく。
・ライブグッズの詳細が出るのが3日前はデフォルト、下手したら1日前。全体的に広報が遅い。
接客業に求められる最低限のレベルに達していない。オタクを神様のように扱えとは言わないが、お互い不快にならない最低限ができてない。たまにヒステリックな怒り方するスタッフがいる。大きいため息付くスタッフもいるし、オタクがいる前でその場にいないオタクの悪口を言う。
やばいスタッフはごく一部ではある。やばいスタッフの顔を覚えてあまり関わらないようにしている。
スタッフの教育が行き届いてないんだろうな。だからこそグループを増やすべきではないと思う。急に店舗を増やしたせいで、社員教育が追い付かずに人気低迷して閉店した飲食店のようになりそう。
・スタッフによって案内がバラバラ。スタッフに確認して良いと言われたからやったら、違うスタッフにめちゃくちゃ怒鳴られた
・最前エリアチケットを実際の数より多く当選連絡してしまう(複数回)。
ちゃんと履行できてないのは運営のせいでしょ。なんでメンバーが謝らせるのかわからない。
・不備の連絡しても連絡なし。
友人はクラファンのリターン商品で名前が違うのが届いた。それも連絡しても返信なし。元々、通販もリターン品も忘れた時に送られて来るぐらい遅い。これもメンバーに謝らせていた。
・ライブ当日に重要な変更事項を「変更ありました」とも言わず画像だけ添付してツイート。結局ツイ消ししてなかったことになっていた。
私が疲れてしまったのはこんな感じだろうか。そもそもツアー全通してたのもおかしな話なんだろうな。6日連続ライブとか行って、どこからそんな体力出てたんだろうな。元々仕事も忙しくて残業80時間ぐらいしてるのに。脳内麻薬ドパドパ出てただけなんだろうな。
急に目が覚めてしまってから主現場の音楽を聴くとなぜか動悸がするようになっている。動悸するけどチケット持ってるからって行ったら、全然楽しくなくてあんなにペンライト持って暴れてた私はなんだったんだろうって。
でも、やっぱり楽しかった思い出はあるので完全に断ち切れない。原因は推しメン自身にないから本当に降りるのが申し訳ない。
離れてから生活全てが虚無で、忙しくて単調な日々がより色すらなくなってきている。無気力になってる。
音楽だって生まれてからアイドルソングしか聴いてないから、今時の子が何を聴いてるのかもわからなくて、とりあえずCreepy Nutsと King Gnu聴いてる。
自分を出すより、まずは他人とかプロが何をやってるのか真似るのは重要だな
とりあえず、パワーコードだけは弾けるし、基本的なコード進行はできるし、作曲なんてほほいのほいですよ、と思っていたが、
~日でできる作曲、みたいなのさえ挫折した、というか、本の中の課題で曲にはできるが、なんか納得いかない
じゃあ、同じようなコード進行をしている曲はあるか?ある、その曲は面白いか、面白い、熱くなる、この差は何なのか
色々な理由があるが、例えば転調がある
マイナースケールから、サビでメジャースケールになると、雨空や曇り空に晴れやかな光が差すような感覚があることがある
もちろん、マイナー=暗い、メジャー=明るい、とはかぎらない、メジャーで暗い曲も書ける
あと、パワーコード弾きつつも、ちょこちょこコードトーンを基本に足してやるのも効果的だと思った
世代が分かるが、例えば、天空戦記シュラトのopがあったとして、あれをパワーコードだけで弾くのは簡単だ
でも、よく聴いてみると、ちょこちょこ高音で足してる音がある、これも意外と必要だと思った
なんにしても、知ってる曲、知らない曲でも初回からコード当てはめを試してみたり、どうしたも無理ならベーストラックだけ抽出して、オクターブを上げて聴く
そこから大体のコードを把握し、適当にパワーコードで弾いてみて、そこから上記のちょこちょこした細かいものを聴き取っていく
作曲するために買ったDAWだったが、完全にコピーするために使ってる
でも、前々から分かっていたことだけど、耳コピって作業は音を聴き取る作業と同時に、作曲をする作業だと思う
というか、原曲を作曲した作曲家の作曲の過程を追体験するのである
耳コピをしながら、こういうときはこうするとこうなるのか、という知見を積み重ねていく
しかし、作曲はまあとして、自分に致命的に駄目そうなのは歌詞の方だな
ウソは書けないとしたら、なんか憂鬱なものとか、ルサンチマンとか、そんなものになりそうである
サンボマスターみたいなのを書いてもいいけど、自分からするとやっぱりウソだと思うんだよね
ウソをつくならデカいウソをつけ、本当になるから、というから、逆ブレして、大嘘を書くのもありなんだろうけど
なんにしても歌詞は書けない、恥ずかしいのもあるし、なにか自分の外側に訴えたいものがない、正直、なくなってしまった、若い頃の方があったんだと思う
今は音楽理論こねくり回したり、ネットで自分よりできる人の演奏とかタブ譜を眺めては真似たり、とても他人の前で披露できるレベルじゃないし、
退屈ややる気の出ない感じ、辛いですね。休職中に退屈を感じるのは普通のことですが、少しでも気分がラクになる方法を考えてみましょう。以下はいくつかの提案です:
小さなタスクを設定する:大きなプロジェクトや活動は避けて、小さな達成可能な目標を設定することから始めましょう。例えば、短い本を読む、パズルを解く、短い散歩に出るなど、簡単で完了できる活動が良いでしょう。
クリエイティブな活動を試す:絵を描く、日記を書く、手芸など、何か新しいことを始めてみてはどうでしょうか。クリエイティブな活動は気分を変えるのに役立つことがあります。
瞑想やリラクゼーション:瞑想や深呼吸の練習は、心を落ち着かせるのに役立ちます。YouTubeなどでガイド付きの瞑想動画を見つけることもできます。
映画やアニメを見る:好きな映画やアニメを見返すのも良いかもしれません。新しいシリーズに挑戦するのも新鮮な気持ちになるかもしれませんね。
音楽を聴く:好きな音楽を聴くことで、気分が少しでも晴れるかもしれません。リラックスできる音楽や、元気が出る音楽を選んでみてください。
体を動かす:体力に自信がなくても大丈夫です。簡単なストレッチや軽い体操から始めてみてください。体を動かすことで、心も少しは軽くなるかもしれません。
これらの活動が少しでも退屈を和らげ、やる気が出るきっかけになれば良いですね。無理をせず、自分のペースで少しずつ試してみてください。
私の好きな大好きなゲームのオリジナルサウンドトラックが配信されました!
イェーイ!
ションテン上がりまくりよね!
なんというボリューム!
フル収録バージョンは待ちに待ってました!って感じよ。
ションテン上がりまくりだわ。
これCD256枚組という大ボリュームで圧倒的な物量よね。
それだけでも驚愕だわ。
夏前のゲーム自体のアップデートで海辺のビーチでスイカ割りしているときの曲が増えてその曲中に際してスイカがスイカ割りが美事成功したときのパーンと割れたときの気持ちいい爽快感もしくは強い夏感ありありのお気に入りの曲で
それも収録されていたので
でもこれ全曲いっぺんには聴けないので、
約30分!
あと
ボス戦の曲もいいし、
ゲームが発売されて半年ぐらい経つのでちょっと気持ちは落ち着いたけれど
つーか周回プレイのハードモードが敵固すぎて打開できない周回ニューゲームだと歯が立たないんだけど、
強くてニューゲームっていうのも選べて
それで始めると
ヒットポイントが最強!
攻撃力も最強!
全てにおいて最強に強まった状態で再開できるのよ!
楽しいでしょ!
そんでもって
1周目では越えられなかったパラメーターも2周目以降はその上限を超えてパワーアップし続けられるので、
正に最強の極み!
嬉しいことに
1周目でゲットしたコスチュームは2周目でもゲットできて色違いの可愛いコスチュームになって2回まで同じコスチュームがゲットできたりして
それも楽しいのよ。
で、
そのゲームの難しさだけど、
主人公強すぎて!
私はこのゲームの全てを理解したわ!って調子に乗った勢いでゲームに、
そう私は装備とかが弱くてもテクニックでも鍛錬したんだから強いのよ!って
気が大きくなって、
ぜんぜん敵が固すぎて
歯が立たないのよ。
フィールドを彷徨っている雑魚敵にすら1体倒すだけでもこんな苦労するもの?って
あまりの固さに
超絶固いお煎餅を食べるのを止めて
序盤というかハードモードで始めたそのゲームは序盤の5分で根を上げてしまいそうな感じ。
そのことをサントラを聴いて思い出して、
またハードで固い敵を打破して進めていこうかしら!って思った3本の矢先なのよ。
私はまた新しいゲームをゲットしてしまわざるを得ない状況に駆られていたので、
そうよ!
何か交換しなくちゃ!って
うーん、
忙しくなるわね!
あんまり紹介動画を見まくると動画ネタバレがマイルドな感じで喰らってしまって見るのためらっていたんだけど
前回クリアしたゼルダの伝説のブレスオブザワイルドで登場してきた人たちも登場するのを動画で見て、
また彼らに会いたいな!って思ったの
涙!
また前回遊んでいたゼルダのキャラクターの仲間に会えると思うと
でさ、
「大阪で生まれた女やさかい」って堺市出身の女性の歌をリクエストしようとして河島英五さんの曲の酒と泪と男と女をリクエストして違うくね?ってなるときない?
パフィーの蟹食べに行きたい曲をリクエストしてなんか間違えて「アジアの純真」をリクエストしちゃうのと全く一緒の現象!
何の話しだっけ?
そうそう、
スプラトゥーン3どころの話しでは無くなってきたけれど
さすがにバイトは一所懸命1200ポイントまでは1日できないけれど、
もうゼルダの新作の紹介動画はみたらなんかネタバレになるので、
買ってしまった以上、
もう攻略サイトも今度は絶対に見ないで絶対にクリアするんだもん!って
今から凄い勢いで思っているのよ!
言葉の意味はよく分からないと思うけれどとにかく凄い自信なの!
うふふ。
私もその美味しさにニッコリよ。
なんかこっちの方のサンドイッチが最近急に美味しいかも!鴨鹿。
そう思いだした季節セプテンバーよ。
9月の終わりにもたくさん美味しいモノがあるのよ。
やっぱり冷たいものの消費が落ちてきそうな機能もそうホッツ白湯ウォーラーの登板だったので、
これからは冷え冷たいモノが
活躍終わる終盤を迎える9月の終わりの差し掛かったところでもあるわ。
水分補給はしっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!