はてなキーワード: 物言いとは
弱者はある程度は助けられるべきだ、とは大抵の人間は思っているだろう。
しかし、それが現実的に合意可能なのは、弱者に「加害性がない」場合に限る。
人的、精神的リソースを供給するにはマジョリティが自発的に行う必要がある。
政府が推奨しようが、言論で擁護しようが、自由な社会においては効果は薄い。
流れを変えるために多くの予算をつけようにも、その配分を決定するのも民主主義なのだから同じことだ。
大変厳しい物言いではあるが、新卒就活で内定がなかった、紹介してもらって非常勤職員として働いた、それが「コピーを取ったり簡単な打ち込みをしたり、来客にお茶を出したりするような仕事だった」という時点で、ずっと問題を先送りにしていたように思える。その結果が「転職も考えたが、スキルがなかった」わけで、コピーやお茶出しを続けていたらそりゃそうなる。どうすればよかったかというと非常勤職員の最初の数年の時点で簿記でもなんでも資格を取得して、第二新卒であらためて就職すべきだった。スキルがなくても常に転職活動のアンテナを貼るべきだった。もちろん、転職市場の状況が良くなかったから、それまでの仕事内容が次に活かせるようなものじゃないから、といったどうにもならない点があったことは同情する。だからこそ早めに危機感を持ってあがくべきだった。「私は公務員だったのに」というタイトルがその危機感や正しい立場を理解してなかったことの証左だなと思う。さて、過ぎたことはしょうがないので今の中小企業の契約社員の営業事務という状況からさらにどう動くか。契約終了となる前にじっくり考えてみて欲しい。チャンスは自分で探さないといけない。
https://camp-fire.jp/projects/view/401574#menu
上記のクラウドファンディングの支援者です。
プロジェクトについて、プラットフォーム上でオーナーへ事実確認をするようCAMPFIREから指示がありましたが、コメント欄はオーナーが承認しないと公開されないようなので、ここに投稿内容を残しておきます。
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今日になって「Q:マスター写真を使用するのですか? A:今まさに各団体と話し合いの最中です。」との報告があり大変驚いています。
プロジェクトページには「広告には韓国のBTS専属マスター(非公式専属写真家)であるREALV様の撮影した写真を使用します。」と記載があり、また、主催者様のツイッターアカウントでも4月7日に【ビッグイシューへのお祝い広告は、マスター写真使用とクラウドファンディング利用を含めて公式FCへ企画進行の許可の申請をし、進行していいとご返答をいただいています。また、ビッグイシュー様、クラウドファンディング様にもそれを確認いただいた上で進行しているものです。】ときっぱりと明言されているのを確認しております。
(https://twitter.com/134340aki7/status/1379575811456438274?s=20)
(https://twitter.com/134340aki7/status/1379590212527943681?s=20)
ですから、私はこの企画は、BTSならびに所属事務所・日本ファンクラブが、日本のARMYの声に応え、ビッグイシュー日本法人を支援するために、韓国のようなお祝い広告の掲出が難しいこの日本でマスター写真使用の許諾をしたという、歴史的な偉業をいくつも成し遂げてきた彼らならではの素晴らしい出来事であると大変感銘を受け、また記念としてマスター様の写真が掲載されたビッグイシュー6月号を手元に置きたいという気持ちから、ささやかながら支援をさせていただきました。
世界規模のファンダムを持つBTS、K-POP界でも最大手となった所属事務所の決断は、今後世界中のアイドルとそのファンも追随するでしょう。
日本の雑誌のほとんどは記事広告で収入を得ていますから、この企画が実現した暁には、諸外国のように沢山の雑誌でアイドルファンのクラウドファンディングでの資金調達による広告掲載が実現するかもしれません。K-POPから生まれたマスター文化もより一層賑わっていくでしょう。
雑誌・駅や公共スペースでの広告掲出のみならず、広告代理店ありきの日本のマスメディアの大きな転換点となり得る、まさに革新的な企画といえます。
企画者の皆様は勿論、ビッグイシュー日本法人様・CAMPFIRE様にもご英断とその志に感謝したい気持ちです。
ご存じのとおり、万が一にも権利者に許諾のない掲載となれば、ビッグイシュー日本法人様・印刷会社様もパブリシティ権の侵害に問われる可能性がありますし、企画審査のうえでクラウドファンディングを開催・達成時は手数料で利益を得るCAMPFIRE様も企業として社会的な責任を問われるはずです。
そのようなトラブルが無いように、またクラウドファンディングへの信頼を高める企業使命として、CAMPFIRE様では下記のように利用規約を明記されておりますし、プロジェクト開始にも審査を設けているものと理解しています。
つまり、この企画が審査通過のうえ開催されているということは、企画者様が関係各所への調整に尽力いただき、ビッグイシュー日本法人様・CAMPFIRE様へも提示可能な明確な許諾が既に得られているものと判断しておりました。
プロジェクトの記載内容は事実相違や誤認があるということでしょうか。
他の支援者の方がCAMPFIRE様へお問い合わせした際は、プラットフォーム上で直接プロジェクトオーナー様へ確認を行うよう回答があったとのことですので、どうか、プロジェクトオーナー様として明瞭な経緯説明をお願いいたします。
(1)プロジェクトやリターンの内容が、法令等を遵守していない又はそのおそれがある場合。
(5)プロジェクトやリターンの内容が、肖像権、プライバシー権、人格権、等々、あらゆる他人の権利を害し、又はそのおそれのある場合
1項本サービスに掲載が開始されたプロジェクトは、CAMPFIREの承諾なく掲載を取り下げること、および、募集期間や目標金額、リターンの内容や金額を変更することはできません。ただし、やむを得ない理由でプロジェクトの継続ができないとプロジェクトオーナーが判断し、プロジェクトオーナーが速やかにCAMPFIREまでその旨を通知した上、CAMPFIREが承諾した場合に限り、プロジェクトの掲載を終了することができます。なお、この場合、プロジェクトオーナーは、CAMPFIREが定める一定のキャンセル手数料(内容は細則にて定めます。)が発生することについてあらかじめ了承するものとします。
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最新の活動報告を確認させていただきましたが、BTSのFC側は当初から「著作権の問題のない素材を使用するように」と回答されているということですよね。
これはつまり、その時点でマスター様の写真など彼らの肖像権に触れる画像の使用は禁止されているのに、何故REALV様の写真を使用することを決定しクラウドファンディングを開催されたのでしょうか。
また、公式FCの回答後にREALV様の写真使用を決定されたということであれば、再三主催者様が主張されていた「マスター様の写真使用を含めて確認いただいている」という内容とも異なります。
主催者様は「FC側が当初と異なる見解をしてきた」と書かれていますが、活動報告の内容だけを見てもFC側の対応は一貫しており、主催者様が「著作権に問題の無い画像を」という指示を無視してプロジェクトを開始されたものと読めます。
あたかもBTSのFC側の不手際により写真の使用が不可になったかのような印象操作をする物言いは彼らの活動を支える日本FCやその会員であるARMY達に失礼ですし、更なる困難を招きます。
既にこれほど大きな金額の動くプロジェクトとなっている以上、事実に基づいた誠実な情報発信をお願いします。
また、既に複数指摘が入っているかと存じますが、リターンの内容の変更はCAMPFIRE様の規約で不可とされていますし、発表当初のプロジェクト内容と異なるのであれば返金を希望される支援者もいるかもしれませんので、その点の対応についても考慮ください。
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プロジェクトが中止され、システムより自動返金処理が行われる旨の案内がありましたので、こちらの記録も終了となります。
なお、私は上記のクラウドファンディングプラットフォーム上のコメント欄から主催者様へお問い合わせをしたのみです。
それ以外にCAMPFIRE・BighitJapn・BTS日本ファンクラブ・ビッグイシュー日本法人・その他いずれの団体や関係窓口へもお問い合わせや電凸と呼ばれるような行為はしていません。
さっきニュースを見た。
徳島のアイドルライブ中放火の男が「京アニ事件まねした」と供述らしい。
コメントの内容的に怒り心頭という人もたくさんいるだろう。オレもそうだ。
でもその容疑者に対して勝手なラベリングをしてる意見も見てしまった。
曰く…
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こういうやつは
・彼女いない暦=年齢
・プライドだけは一人前
というのが特徴です。
=========================
とか。
いやさ、事件については許せないよ。
起こした事件についてもそうだし、あれだけ凄惨だった京アニ事件を揶揄するような物言いも許せないよ。
でもさ、勝手なラベリングして、周囲まで巻き込むのは違うと思うんだよ。
同じくらいの年齢の人も、無職の人も、世の中にはたくさんいるわけだよ。
でも自棄にならないで生きてるわけじゃん。誰かを傷つけるのは違う!って思ってるわけじゃん。
そういう人の中には感情のコントロールが苦手なこととか、彼女がいないこととか、「プライドだけ高い」って言われたことを気にしてる人とかいると思うんだよ。
本人はなんにも悪いことしてないのに、もしかしたら別の要因によって逃れる手段がなく現状にいたってしまったかもしれないのに、たまたま報道された容疑者と似た面があるからってネタにされたり、批判されたりしてるわけじゃん。それってあまりにもひどいと思うわけよ。
お前らだって
「強姦罪で捕まった男は性的な衝動を抑えきれない人だった。男は基本的に性的衝動を抑えられない。つまり全員がレイプ魔予備軍」
「浮気してたあの女は胸元を開けて男を誘った。胸元の開いた服を着る女は常に男を誘おうとしている。売春婦と読んでいい」
みたいな勝手なことを言われるとそうじゃねぇよ!!って思うだろ?
勝手な物言いで、勝手に共通項を作られて、勝手に悪役の要素を作られて。そういうのってやっぱり傷つくし、くりかえしたら過剰に臆病になったり、攻撃的になったりしちゃうと思うんだよ。
最近話題の「弱者男性」って呼ばれる人の中には、こういう他人の無責任なレッテル貼りで、どんどんスミに追いやられた人もいっぱいいるんだろうなぁ…
って思ったら、なんだかこの報道を見るのがすごくつらくなったんだ…。
障害者のことを想定していないお前の「通常」だの「常識」だのという安易な物言いを皮肉ってるだけで、お前の現実主義者気取りの「理想はー現実はー」なんて差別的な価値観を内包した言説に納得することはないですよ
差別的な扱いを受けて移動の自由を担保されない人がいるのが現実です
それが企業で言う法令遵守やCSRであり、国家なら人権を守るための義務だからですね
単純に言って意味不明です、謎の足し算を出してきて気でも狂ったんですか?
まぁリソースが無限ではないという、いち利用者には関係のない謎の話をしてるんでしょうが
リニア新設などという国家的実験をしようとしてるのだから鉄道事業全体に身銭がないなんて話はありえない話なので、そもそもバリアフリー化に十分なリソースを割いてない(割く気がない)というだけの話でしょう、1を40にすれば済むだけの話です
40にするのはどうするんだ!とか言うのでしょうけど、何度も言うけど知ったことではありません
利用者はその方法が適切でなければ(運賃2倍)批判するだけで、適切であれば受け入れるだけです
じゃあ何で言ったの?w
馬鹿なの?w
へえ、それで
なんですね
あなたは当事者意識どころか現実に意識がないんじゃないですかねw
お前がそれっぽいことをいくら言ったところで、障害者差別の意識を消せないヘイターで、障害者を尊重しようとする人も気に食わないだけの迷惑野郎でしかないんだよ
ツイッターには、男が女に説教したがるのには生物学的基盤があるからかもしれないと主張しただけで発狂して否定にかかるフェミニストがいるらしい。生物的基盤があるからこれは仕方がないとか許容されるべきとかは一切言っていないにも関わらず。
フェミニストはいつも、議論に社会的に構築された有害な男らしさを持ち出す。結婚したいと思うのも、競争して自分の地位を得たいと思うのも、有害な男らしさを社会から押し付けられたせいであり、降りれば楽になる。降りずに不幸になるのは馬鹿だからで、自己責任。降りるべきだと。いつだって悪いのは男なのだと。
一方でフェミニストは、女が出産とキャリアアップを両立できないのは制度が悪い!改善せよ!と叫ぶ。これは矛盾した態度ではないのか。
出産もキャリアアップも、べつに誰も誰にも強要していない。個人が社会的に押し付けられた偏見から来る欲望であって、それを無反省に受け入れているのは女であっても同じだろう。出産もキャリアアップもやめようと思えばやめられるし、なくても幸せになれるのだから、片方だけにせよ両立したいにせよ、やろうと思ってしまうのは自己責任であり、欲望を捨てられないお前が悪いと言うべきじゃないのか。降りて幸せになるべきじゃないのか。
フェミニズムは自分が仏教徒やストア主義者であることを自覚すべきだ。人間の全ての活動はどこかから押し付けられた人工的な欲望であると考える限り、人工的ならば解体されるべきだという考えに必然的に陥る。役割規範に限らず欲望に拘束されるのが不幸を導くのならば全て捨てるべきであり、何もせずとも精神的に充足した状態である解脱やアクラシアやアタラクシアを目指すぺきだと言うべきだ。反出生主義にも賛同すべきだ。子供を持ちたいなどと欲望を持つから不幸になるのだ。何もこの世でなせなかった自分の代品として人間ペットを作り出し、搾取はダメだけど自分の子供はより低い立場である保育士に預け自分はホワイトカラー労働でさらなるキャリアアップを目指し、多様性は大事だけど自分の子供は塾に入れて私立の上流階級の上品な空間で育て、生産性差別はダメだけど自分の子供は社会で貢献できる素晴らしい人材になってほしいと考えるような、そんな思考は今すぐ捨てるべきだ。やめるべきだ。さっさと全ての欲望から自由になれ。捨てられるんだろ?降りられるんだろ?降りないのは有害な男らしさにとらわれてるからなんだろ?嫌だとは言わせないぞ。
大体、昨今の生産性がなくてもいい!みたいな議論にも無理がある。社会の中で何の役割も果たせなかったら無力感で強い苦痛を感じるに決まっている。生産性とは社会の中で役割を果たすことに他ならないのだから。そんな人たちに居場所を与えない社会が悪いと言うかもしれない。だが、そんな居場所でやるべきことが何もできないからこそ弱者なのだと言うこと、誰かがその負担を引き受ける必要があるということを忘れている。生産性がなくても肯定されるべきというのは、あなたがバリバリ働く横でとなりのおっさんがもたもたもたもた、機械は苦手、ミスも多発で全体にダメージ、それでもその男を会社に必要な存在として同じ給料で受け入れることを意味する。精神的に受け入れるなんて絵空事で、カネがなければ生きていけない以上カネを払わないなら受け入れないのと同じことだからだ。同じ給料なのは、競争志向は有害な男らしさである以上それを促進する効果を持つ社会制度は撤廃されるべきだからだ。能力に応じた地位配分であるメリトクラシ―は撤廃すべきだ。そもそも能力なんて、生まれと育ちに大部分決定されたものである以上、個人にその果実を与えるのはおかしいのだ。もしこれを拒否するなら、フェミニストはこれを利用して、自分たちはフェミニズムという学問を修めた以上それにふさわしい支配階級としての地位を求めるに決まっている。他の人に競争させたくないのは、自分達こそが高い地位を独占してカネを手にし支配力と欲望を思うままに発揮しホストを侍らせ酒池肉林をやりたいからではないのか。そうでないなら、全ての人は全ての欲望を捨てろと言うべきで、男は有害だとばかり言わず女にもカレシ作るな、競争志向やめろ、そんなものはいらないはずだと主張しゆるやかな社会の滅亡を目指すべきではないのか。女の欲望はこれまで優先されてこなかったのだから優先して叶えられるべきだなんて差別論理で女が全肯定されるとでも思っているのか。女批判は全部ミソジニ―でマンスプレイニングだと言えば聞く必要がなくなるのか。男批判も女批判も平等にツイッターで叫ばないのはなぜか。生産性がなくてもいいなら、出産と労働への欲望だけ特別の地位を与える必要はあるのか。わきまえていないのは社会に対してでなく、自分の叶いもしない無際限の欲望に対してではないのか。
フェミニズムは生産性を拒否した果てに、相互承認の相互ケア社会を夢見ているのかもしれない。そんなものは無理に決まっている。誰が、何日も風呂に入っていないホームレスの人間を受け入れ、肯定し、ひいては抱き締めるようなことができるのか。フェミニストはそれを積極的にやれているのか?誰も何の役割も求められない社会で、承認を得る手段として家族も労働も拒否するなら、相互ケアしか道がない。なら、キモくてカネのないおっさんおばさんクソガキ不良反社不潔人間障害者重病人外国人、ケアする能力を持たない不幸な孤独者を誰がケアするのか?女にだけ求められていると誤読される恐れがあるから、フェミニストも、男も、LGBTも、社会の全ての構成員が全ての構成員をケアする義務を持つ社会と化す、と強調する。解決策としてケア役割を職業にしようとするならば、結局自分はフェミニズムという上流学問を修めた以上上流階級がふさわしくそんな下品で誰もやりたくない仕事はフェミニストはやらなくていいはずだという傲慢ではないのか。社会から疎外された弱者がその役目を負うことになることに目を向けるべきだ。相互ケアなんてできるわけないのだ。誰もがケアされる側になりたいに決まっていて、他人のケアなんてまっぴらごめん、誰かに押し付けたいに決まっているからだ。念のため言うがカレシカノジョパートナーを作って承認を得るなんて可能性があるはずはない。好みの顔面や肉体による他者選別なんて、誰も配慮する必要のない社会的に構築された欲望でしかないからだ。欲望する存在としての人間は全て否定されるのだ。
以上見たように、「社会的に構築された欲望」理論からは、全ての人間は全ての役割規範と欲望を放棄し、全ての承認の根源を失い、静かに死んでいき社会を滅亡させるのが善だという結論以外はあり得ない。東京スカイツリーの展望台から、一人一人丁寧に飛び降りるのだ。環境問題も少子化問題も解決され、最高の未来が約束されている。死は救済だ。
(2021/4/5 15:00 追々記)
各所でいただいたコメントの返信手段に困り途方に暮れたので、Twitterアカウントを作成しました。コメントはすべて目を通しています。励みになります。
直近の開発予定や、アクセス状況とアフィリエイト収入などの数値についてつぶやく予定なので、よければフォローいただけると。
ただしベースが筆不精なためまったく更新しない可能性も大いにあります。何卒ご了承のほど。
(2021/4/5 2:00 追記)
ブコメも含め、反響があって嬉しい。拙文を読んでいただき、サービスも使っていただいてありがとうございます。コメントはすべて目を通し、より実用的なサービスにしていきます。
取り急ぎ気になったコメントへの返信を。
ーーー 以下もとの本文
当方独身アラフォー、去年の秋口までは貿易関連の零細企業に勤める、しがないサラリーマンのおっさんだった。
当時世間的にもなかなか話題になったが、コロナウィルス蔓延の影響の一環で海運用コンテナ価格が暴騰した。そのアオリを受けた私の会社でも流れる仕事の量が激減し、私個人も暇を言い渡される運びとなった。話の本筋から逸れるので詳しくは触れないが、最終的に雀の涙程度の退職金と引き換えに、40を目前に控えて職を失うことになった。
これまで趣味らしい趣味も持たず給料の大半を貯金に回して生きてきた。そのため一生を生き抜くにはとても足りないが、向こう数年間は食べていくのに困らない程度の貯金が手元にあった。それにあわせて、無限とも言えるような暇な時間を得たのだった。
何をするにも自粛自粛で気が滅入る日々だったが、しばらく心身を休めたことで若干の活力が湧き、貿易実務に関連する資格の勉強なんかを始めてみた。
しかしこれがどうにもピンとこない。退職した企業に勤めていたのも、もともと新卒時代の就職活動の失敗に端を発することであったし、仕事内容に魅力を感じていたわけでもなかった。
そんなときにふと、前々から「こんなサービスがあったら絶対使うのに」と温めていたアイデアがあったことを思い出し、WEBサービス開発というものに手を出してみようと思い立った。
が、しかしそのために必要な知識はまったくと言っていいほど持ち合わせていなかった。数年前にちょっとしたホームページを作ろうと、 HTML/CSS/Javascript/PHP やらの、本当にさわりを学んだ程度だ。
HTMLとCSSについてはなんとかかんとか「書いたものを画面に出せる」程度まではいけたが、JavascriptとPHPについては当時その存在意義も含め、トンと理解できなかった記憶がある。
そんなこんなで自分の作りたいものについて調べるうち、どうやらクローラーやらWebスクレイピングやらについて学ぶ必要があり、それにはPythonという言語についてある程度詳しくある必要があるらしかった。
サラリーマン時代、エクセルで本当に簡易なマクロを書いていたが、当時からPythonはマクロの上位互換というイメージを抱いており、いつかは勉強してみたいと思っていたので、これは幸いだった。
入門書を数冊購入し、Udemyというオンラインスクールで入門講座を受講した。かなり漠然とではあるものの、なんとか最低限の知識を身につけることはできたようだった。たぶん。
サービスの開発を志してからここまで一ヶ月ほどだっただろうか。平日休日を問わず毎日PCには触れるようにし、風呂場やトイレで「Qiita Python tips」とかググって出てきた記事に目を通していた。
(余談だがこのころに受講した https://www.udemy.com/course/python-beginner/ というコースは、PCに環境を整えるところから始まり、制御構文やファイル操作など、自分が欲する知識について体系的に学ぶことができ、コストパフォーマンスが非常に良かった。特に回し者ではない)
(さらに余談だが、最初にネット上の記事を適当にあさって環境構築してしまったため、いまだにPyenvだのAnacondaだのPipだの、Pythonが動く仕組みについて全然理解できないまま今に至っている)
閑話休題。
さてクローラーとはWEBサービスを提供するうえで主役ではなく、そのために必要なデータを集めるツールにすぎない。主役にあたるアプリケーション開発については(ここまで読んでいただいたうえで大変申し訳ないが)私にはシステムエンジニアとしてフリーランスでバリバリに働いている姪っ子がおり、強力なサポートを受けることができた。
姪っ子いわく「いまは基本的にJavascriptがわかっていればサービス提供できる。さらに言うとJavascriptでクローラーやWebスクレイピングを行うことも可能」らしく、結果的にPythonの学習に時間をかけたことは不要であったらしかった。
それどころかPythonとJavascriptのメソッドの名前が微妙に違っていることなどで詰まることが度々あり(特に配列へのappendとpush)、害悪と言っても過言ではなかったように思う。
その後は結局姪っ子に促されるがままにGoogleが提供するFirebaseというサービスと、Node.jsという言語について同じく入門書とUdemyの講座で学習し、なんとか自分が望む機能を持ったサービスを動かすことができた。姪っ子のサポートを受け始めてから4ヶ月ほど経過していた。
その名を パケ裏.com (https://pakeura.com) という、アダルトビデオのパッケージ裏面を延々と眺めていられる、人類の夢がパンパンに詰まった代物である。スマートフォンでの閲覧を想定して作った。
「結局エロかよ」と思った諸君、ブラウザバックは早計だ。人類の技術の進歩を支えてきたのはいつだって戦争とエロなのだ。まずは開発の動機について語らせてほしい。
自分に物心らしきものがつき、色を知りはじめたころから常々思っていたのだが、AVのパッケージというのはオモテ面と比べ、ウラ面のほうが遥かにエロいと思わないだろうか?
なんらかのオトナの事情があるのかもしれないが、オモテ面には美少女が斜に構えて微笑んでいる写真や、クソデカフォントで商品タイトルがババーンと大部分を占めているものが大半である。
それに比べてウラ面には、そのAVのなかでも特にエロいシーンの切り抜きが多々あったり、性欲を煽ってやまない官能的な文句がこれでもかと並んでいる。パケ裏にはエロさという概念が所狭しと集っているのである。そんなパケ裏を延々と眺めることができたら…これは私にとって長年の悲願であった。
物理店舗でAVを購入することのない私にとって、FANZAでいちいち商品ごとにパッケージ画像をクリックし、裏面を覗いていくのはなかなかに面倒な作業である。
その点 パケ裏.com を使えば、条件にマッチしたジャンルのパケ裏を無限にしゃぶりつくすことができる。作りたいサービスの要件が私の中でかなり明確だったこともあり、思った以上に短い期間で理想的なサービスを形にすることができた。
少し大仰な物言いではあるものの、こうして自分にとっての積年の夢を叶えることができた。
趣味というか、金銭の発生しない範囲でプログラミングに触れることはとても楽しく、少しずつサービスが形になっていくなかで自分の成長も日々感じることができた。システムエンジニアとして生きていくことは今後もないとは思うが、コロナ禍のおかげで人生でもなかなか得難い、貴重な時間を過ごすことができたように思う。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。
最後にくどいようだが、この パケ裏.com(https://pakeura.com)、主観だがかなり実用的なサービスとなっていると思う。ぜひ使っていただき、感想をいただけるとありがたい。
また事前に断っておくと、FANZAの商品ページへのリンクはアフィリエイトになっている。このサービスを通じてパケ裏の偉大さに気づく人が増え、さらに私の懐にちょっとした小遣いが入ってくれば、望外の喜びである。
物語シリーズを読み、そしてアニメも見終わったので感じたことを書いていく。
最初に物語シリーズ自体は好きであり、主要キャラは阿良々木暦を除いてほとんど好きである。
さて、いつか読もう、見ようと思っていたのをようやく終えた。
そして一番最初から最後まで感じたのは阿良々木暦という存在に嫌悪しているという事だった。
なぜにそこまで嫌いになってしまったのかを下記に述べる。
ヒロインたちに対して、必要以上の関与をする所がとにかく鬱陶しかった。
そうしなければストーリーは進まないというのは分かるが、おせっかいも過剰だと目障りになるという典型的なキャラだった。
撫子が神になった際に貝木泥舟に「お前に出来ることはない」と言われても下がらない所は非常に嫌悪した。
(※追加でピシャリと言われ、ようやく引いたが)
正義の味方のようなおせっかいをしている割に、ここ一番というところで日和ってしまい曖昧なやりとりにするのが卑怯と感じた。
最後まで貫くのかと思えば、一気に日和って避けようとする所はそこまでおせっかいしてきてそれか…と思う場面は多々あった。
大人になりきれず、子供のままでもないというファジーな状況であれば、これもまた仕方ないのかとは思うが。
男はスケベ。それは間違いないんだ。しかし阿良々木暦のセリフは正直引く。描写がなければ、そこまで阿良々木暦を嫌悪する事もなかったと思える事。
いきなり羽川のパンチラやら羽川に対してのセクハラ視点は、受け入れられなかった。
この辺は、もともとそういうのがあまり好きではないという事もあって、阿良々木暦じゃなかったとしても引いていた。
物語シリーズの大半は阿良々木暦の語りから始まるわけだが、セリフにおいても語りにおいても痛々しい考えが出てくる度に嫌悪してしまった。
良くも悪くも阿良々木暦は子供まっさかりであり、大人には程遠い存在を表現していたと感じた。
でも、駄目です。受け入れられない。人間強度ってなんだよ。
とぼけていると言うよりも、言葉にしないと物事を考えられないくらいの鈍感さが目立った。
回答がわかったところで自分が納得いかないと他人を気にせずに我道を行く姿は好きになれない。
結局の所、阿良々木暦は主人公であり、物語をややこしくしていっただけの男だった。
青春がどうたらというよりかは、そこまで踏み込まなければややこしくならなかっただろうという内容だったので
最後に物語シリーズを読み、見終えて一番良かったのは【貝木泥舟】だった。
金に素直であり、ひねくれているが真理は付いている。
感情的にはほぼほぼならず、自業自得をもある程度受け入れている。
もがきすぎず、関与はほどほどにし考え方も合理的でわかりやすい。
時々間が抜けているところも実に人らしい人だと感じる。
少なくとも言っていることは阿良々木暦と違い、はっきりと物言いが出来ているキャラと感じた。
共産党の池内さおり議員が電車に乗る際に男性に意図的にぶつかられたとツイートした件が話題になっている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ikeuchi_saori/status/1375318333776535553
この件については補助知識としてここ数年ネット上で話題になっている「ぶつかりおじさん」というものを知っておく必要があるだろう。女性が歩いていると意図的にぶつかりに来るおじさんがいる、という男である自分なんかからするとにわかには信じがたいものだが、証言が複数あるだけでなくその姿が動画に収められたこともある。
1人からの証言を聞いただけではにわかに信じがたい話なので、より詳しいことについては雑にググって出てきたページを雑にいくつか見てほしい。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/31/butsukariotoko_a_23447463/
ぶつかりおじさんの被害の規模や実態については今のところまだよくわかっていない。煽り運転が社会問題として大きくクローズアップされたのは記憶に新しいが、あれはドライブレコーダーに映像が残されていたというのが大きい。人間にドラレコは付いていないためぶつかりおじさんの犯行の様子を動画に収めるのは難しい。上に貼った記事の動画ではぶつかりおじさんは20代くらいに見える風貌だが、スーツ姿の40代くらいの人が多いという声もある。
動機についても女性への悪意が根底にあるケースが多いのか、それとも反撃されなさそうな弱そうな人を狙うがために被害が女性に集中するのかもよくわからない。なので、池内議員が「女性差別」と訴えていたり社会や政治の責任に言及している点についてはかなり迂闊な物言いをしているなという感想を抱いている。
とりあえず現状間違いがないと言えそうなのは、ぶつかりおじさんは都市伝説でなく実在するということと、ぶつかりおじさんは1人だけの異常者ではなく何人もいるということだ。おそらく痴漢の一形態と捉えるべきものなのだろうと個人的には考えている(つまり治療対象ということ)。
このような実態を踏まえた上で池内議員のツイートに戻ると、池内議員の被害の訴えには不自然な点は特にないということが言える。ぶつかりおじさん被害の報告として典型的な範囲に綺麗に収まっている。彼女が共産党の政治家であることや、その後連なる意見については他の被害報告との違いとなるが、事実としてこういうことがあったのだという点に関してはなんら不自然なところはない。
問題はこのツイートに対して「お前が降りる人を待たずに乗ったせいでぶつかったんだろ」という反応が多く寄せられていることだ。しかし、この自分からぶつかったという解釈は不自然だ。
まず第一に池内議員のツイートを読むと「降りようとする人も2人」という記述があり、降車する人の様子を余所見せずに見ていたことが伺える。仮に彼女が降りる人を待たずに電車に乗り込んでしまったのだとしても、この状態でぶつかってしまうというのは非常に不自然だ。降車客が2人なのであれば同時に乗ろうとしてしまったとしても余所見していなければまずぶつかることはない。スペースが不足してひっかかるような形になってしまうということは十分に考えられるが、強い衝撃を受けるようなぶつかり方をするというのは考えられない。もしも降りる側が余所見していたとしても池内議員側が余所見していなければぶつかることはないだろう。ぶつかるためにはどちらかの足元が相当にふらついているような状況を想定する必要がある。
そして第二に男は無言で立ち去っている。無言で立ち去ったという直接的な描写はないが、なにか一言あったとするなら書かないわけがないので無言で立ち去ったものと推察される。しかし、何の悪意もなくぶつかってしまった場合、普通人は「すみません」とか「大丈夫ですか」とか言うものである。相手から一方的にぶつかられてムカついていたからそういうことを言わなかったという解釈もありえるが、それはそれで舌打ちも悪態も何もないのはやや不自然さが残る。
まとめると、「池内議員はぶつかりおじさんの被害にあった」と考えるのは自然なのに対し、「池内議員は自らの乗車マナーの悪さゆえに他人とぶつかった」と考えるのは不自然だ。後者も絶対に100%ありえないというわけではないが、他に自然な解釈があるのに不自然な解釈を選び取るのは不合理だろう。
ではなぜ多くの人が不自然な方の解釈に飛びついてしまっているのか。
これは「フェミニストというのは針小棒大に、あるいは被害妄想で女性差別だなんだと喚き散らす馬鹿の集まりだ」という偏見まみれの脳内ストーリーに不自然な方の解釈が合致しているからだろう。
この現象の恐ろしいところは何があってもどんどん偏見が強化されていくという点にある。
この手の人はフェミニストが何か言っているぞと話題になるたびに不自然であろうがおかまいなしにフェミが馬鹿なことを喚いているという解釈を選び取る。そのため、頭の中ではあのときもこのときもいつもフェミは馬鹿なことばかり言っているという認識になるのだ。
フェミは馬鹿だという偏見があるがゆえにフェミの言うことを悪意をもって解釈する。それによってフェミは馬鹿だという偏見がさらに強化される。この無敵のスパイラル構造の中で、この手の人は自らの頭をどんどん悪くしていくのである。
https://anond.hatelabo.jp/20210318185716
最初に言っておくと、“擁護”という言葉、muchonovさんこそが批判されているというフェイズにおいてその様に用いられる“擁護”という言葉は、ただの批判回避でしかありません。『「xx批判」に対する批判』を「xx擁護」という事にしておくと、あくまで批判されてるのはxxだけという事に出来て、「xx批判」こそが批判されてる事実を誤魔化せる、そういう小手先のテクニックです。これはその意図の有無に関わらず、です。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
いやいや、意味わかんないですよ、これ。
だって「発端」のブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699940658477561058/comment/muchonov)は
「好意の多寡」云々と強弁してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちが権利者の意向には簡単にゴロニャンするという構図は変わらない。自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
ですよね。
それに対してこちらが、それは“事実上の『私は「表現の自由」について全く理解していません』宣言”だよねと指摘して、そこにmuchonovさんから返ってきたブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699974732078626146/comment/muchonov)が
そうかなあ? 自分は著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える一方で、元増田は「グロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもあり」だと言ってるんですけど。
この時点で、もうだいぶ「????」なんですが、これについてこちらが『“著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える”様なmuchonovさんが“コンテンツホルダーの意向には簡単にゴロニャン”とか言っちゃうの、さすがに意味不明すぎでは。』と指摘して、それに対する応答が上の増田なわけですよね?(こちらへの応答だけのつもりではないにせよ)
日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
とか仰ってますけど、笑ったの、他ならぬmuchonovさん自身ですよね。その“笑われても構わない”って、それ「笑う側のmuchonovさん」からしたらつまりは「“表現の自由戦士”たちは、おとなしく我々に笑われてろ」の意味なわけですよね?うん、やばいですね☆
って、muchonovさんの中では、「著作権」と「表現の自由」が、かめはめ波の撃ち合いか何かみたいになっていて、「著作権」の方が勝ってる…という様なイメージなのでしょうか?
もう何度も述べてきている事ですが
「表現の自由」で最も重要なのは『価値観の自由競争(市場)』。『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つ(もちろん重要だが)。『表現の自由度』はその結果。
です。
これは、『絶対に「正しい」とされる、そんな「思想」は存在しない。だからこそ、「思想」の媒体たる「表現」は常に「自由競争」の下にあらねばならない。』事こそが、「表現の自由」の根幹である、という話です。
また、「市場」の中で自身の「効用」を最大化する事は、個々の主体が持つ権利であるべきだから、という考えに基づくものでもあります。
ですから、もしこれを否定しようとするならば、『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明しなければなりません。完全に狂気であり、全知全能の神の召喚でも試みた方が早いレベルだと思います。
つまるところ、その根幹が「自由市場」である以上、各々の「私的所有(財産)」を認める事は「表現の自由」に織り込み済みだと考えるべきです。「表現の自由」vs「著作権」、どちらの方が“優越する”か(アクセルとブレーキ、どちらの方が強いか)みたいな話とは違います。
ですから、“日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして”も、「私的所有」を認める事に“ギャップ”はありませんし、もちろん笑われる理由も存在しません。
これはmuchonovさんに限った話ではないと思いますが、恐らく『「権利がある」というのは、「その“権利”を行使した時に不評を買わない権利がある」の意味ではない』という事を理解されていないか、もしくは失念されています。
他の言い方をすれば、『「ルール」に従うか/逆らうか』と『「ルール」を肯定するか/否定するか』は、それぞれ別の事柄だという話でもあります。
(一応言っておくと、個人的には例の“お願い”について、曖昧であり「忖度学級会」を誘発するものだとして、2018年6月時点で批判的にコメントしています。)
また、「私的所有」を認めるという事は、その是非(その「大きさ」の妥当性や、そもそもの有無等)を問わないという意味ではありません。それは「表現の自由」とは別個の問題として論じる事ですし、今回の流れで言えば、もう少し著作権に関する是非は、議論の俎上に載ってもよいだろうと考えます(個人的には著作権はもっと「小さく」していくべきだと考えていますし、むしろ逆に「大きく」なる傾向のある現状については危惧しています)。
実際、話題になった「馬名のパブリシティ権」の話は、その辺りが問われた件だとも言えるかもしれません。もちろん逆に、「せやかて、やっぱ馬名については馬主が優先的ステークホルダーであるべきやろ」と主張するのも、それはそれで一つの考えでしょう。
どうであるかと、どうあるべきかは、やはりそれも別の事柄なのですから。
muchonovさんは二者の関係を「権利者と利用者の力関係」と述べており、もちろん嘘ではないのですが、それ以前にまず「供給主体と需要主体」の関係である事を忘れてはなりません。
コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。
供給側としては、コンテンツに対する需要がなくなってしまう事こそが最も恐れる事態の一つであり、つまり(馬主のご機嫌よりもよほど)需要側のご機嫌こそを気にしなければならないわけです。趣味で製作しているアートか何かではないのですから。
恐らくは、だからこそ曖昧な“お願い”なのであり、また2018年6月20日なのでしょう(せめてアニメ放映中には冷や水を浴びせたくない、夏コミが控えてる、ゲームはしばらくリリースできそうにない…というタイミング)。
そしてもし、muchonovさんが記した様な「逆転現象」が起こるのだとしたら、それこそが「惚れた弱み」であり、正に元増田が述べていた状態そのものなのです。
「お客様は神様」と「殿様商売」との間で揺れ動く、その実に「自由市場」的な動きの中で「表現」の在り方も変動するというのは、むしろとても「表現の自由」的である、とすら言えるでしょう(元増田に、そこまでの考えがあったとは思わないし、個人的にはやはり「忖度学級会」には否定的だが)。
にもかかわらず、それを“バカみたいじゃん。”と切って捨てるmuchonovさんの発言のほうが、よっぽど“バカみたい”なのではないでしょうか。
HanPanna 価値観の自由競争というのはrag_enさんの造語なので、法学だと思わないように(もし学説があれば教えて下さい)"思想の自由市場"について知りたいならコチラのブログのが良いです。https://arecolle.hatenablog.com/entry/2021/03/06/124923
“法学”ってどこから出てきたん?というか、『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つでしかないよ(大切だけどね)って話、してありますよね?ちゃんと読んでます?
なんか理解されてないようですけど、その箇所への反論は「ちゃんとできるようにしてある」んですよ。つまり『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明してみせればいいだけなんです。はい、頑張ってください。
まぁ、HanPannaさんが同じ話題でやらかすの、これで3回目ですし、間違った事でも言い続ければ押し通せるみたいなの、完全にオカルトなんで勘弁してください(HanPannaさんに許可を頂ければ、過去のやりとりも晒しますよ)。
あとリンク先、よりにもよってU.G.R.R.の人かよ…ギャグで言ってるのか?ってのが正直な感想ですけど、ぶっちゃけ謎の(マジで謎の)出禁を食らってるので(とはいえ、さすがに閲覧不可は無視するが)言及は避けておきます。やさしみ。
Silica ところでこの"価値観の自由競争"の中では寛容のパラドックスはどうなるんだろう、この人の言う"SJ"的な価値観がその競争に勝利したらどうなるの?
すごいいっぱい怒るね
怖いなあ
私は大うつを含む気分障害を10年以上患っているから、この病気を抱えた状態で行動を起こすためのスタート地点に立つのが大変なことは、私の分かる範囲で分かるよ
そもそもうつ病の人はセルフネグレクト状態になってることが大半で自分の見た目(清潔さ)に頓着しないので美容院に行こうと思うのは不自然すぎる
この文章の中に登場する「大半」も読めているよ
元ツイートの発信者が、希死念慮を抱えながらも自発的に美容院に行こうとしているのはおかしい、これは「死にたい」か「美容院に行った」のどちらかが嘘だと言いたいのだろ
でもその推理はざっくりしているよと私は思う
あなたも
と言っていたように、この人もそうして頑張って一連の行動を成した結果、精神的に幾ばくか楽になったからツイートした可能性もある
そして私が腹立った「うつ病患者の大半は〇〇である」という物言い
私自身よくされてきたから、その辺はあなたのいうように脊髄反射でカットなってしまったのだろうなと思う
言いたいことは以上
頑張って体を起こして身支度するわ
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。
https://anond.hatelabo.jp/20210318185716
もし元増田が「コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。そうした権利関係のない第三者からああしろこうしろと『お願い』されるのとは状況が全く異なる。それを『態度が異なる』と笑うならどうぞご自由に」と(他の擁護派の方々と同じような)模範解答を言ってれば、多少の揶揄やあてこすりをされる余地はあっても、主張の筋道自体には文句のつけようがなかったと思う。でも実際は、元増田は「二次利用はなんでもありだが、ウマ娘公式はオタクに好意を持たれているから、オタクのほうも彼らの『お願い』を聞いてやってる。でもフェミニストや表現規制派はオタクに好意を持っていないし持たれてもいないから、オタクにも彼らの『お願い』を聞く義理はない」という、何重にも地雷を孕んだ主張をゴリ押ししている。これにウマ娘ファンのみなさんは「そうだそうだ」と乗っちゃっていいのか?という話。
一部の表現の自由戦士を除いて
「好感度や信頼度の話もないとは言わないけど、著作権者だからでしょ」
ってツッコミ入れてるじゃん。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
かなり多くの人はガチャピンくんと同じこと言ってたよね?
元増田に賛成してる人でも著作権の話完全に無視してる人少ないよね?
フェミを揶揄するコメントでも「何の権利も持ってないフェミが著作権者と同じでないと満足できないってのはおかしいよね」ってニュアンスだよね?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210317235416
違うっていうなら、それぞれの立場のコメントの数を数えて否定してみなよ。著作権の話完全に無視して信頼や好意の多寡だけの話をしてる人どれだけいる?
なんで一部のバカの方を取り上げてそっちがメインみたいに言ってんの?
ちゃんと「多数派の人はわかってるようだが」って注釈入れなよ。
著作権者のことを
「自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手」と表現してみたり
自覚してやってるならいいけど言われてはじめて気づきました、ならかなり病んでるよガチャピンくん。
あとね。
元増田の文章ってさ、フェミのいちゃもんに対しての反論なわけだよね。
「フェミの話を聞く必要がない理由」としてフェミは好意も持たれてないし信頼も持たれてないっていう指摘自体は一定のクリティカル要素ではあるよね。
それがメインの理由だという元増田は間違ってるが、この点はフェミとしては無視してよい話ではなくね?
「わかりました。オタクが著作権者のいうことなら聞くと言ってるんだし、今後はオタク無視して著作権者に直接働きかけて権利行使させます」
都合の悪い2点「大勢の人はガチャピンが指摘するまでもなく突っ込んでる」「フェミの信頼性のなさについて指摘している」
を豪快に無視して、
都合の良い点「著作権を無視して語ってる」という点だけを大げさに取り上げて。
ガチャピンくんはミステリにおける信用できない語り手でも目指してんの?
と、ネガティブな印象を持ったが
それはコンテンツホルダーの権利との関係でそうするのが当然だと思うからで、間違っても「あいつらのお願いに従うかどうかはこちらの腹ひとつだが(何だったらエロく描いたりグロく描いたり○したり馬刺しにして食うこともできるんだが)、あいつらには好感を持っているし、我々の評価を落とすような事件も起こしてないから、今はその〈お願い〉を聞いてやってるんだ。テメーらはそうじゃないだろ!」なんてことを第三者に向かって言わない。
これについては「ガチャピンくんだけでなく大勢の人からツッコまれているように」同意してるからね。
ガチャピンくんさあ…色々省略して語るのは構わないんだけど、省略するなら省略したって書こうぜ。
1000万以下でも買えると思うけど
街が寂れて活気がなく治安も悪いとか、
あと、群馬とかかな
電車乗るたびにヤンキーが出口のドア付近の地べたに座ってるとか耐えられれば
それから、差別的な物言いになってしまうけど、やまゆり園みたいな障害者施設とかも田舎なんだよね
というか、そういう都心だと近隣住民の反対があって成立しないものが田舎にあるんだよね
原発とか
ブコメやレスで元増田を擁護してる人達の多くが、派閥的な「敵/味方」の判定をして味方側だとみなしたからか、元増田が言ってることの過激さに気づいてないように見える。元増田の主張は、おそらくウマ娘ファンの多くの認識とも、同人活動・二次創作を擁護する人々の一般的見解とも違ってると思う。もう一度元のエントリをよく読んで、みなさん本当にこの増田の言い分に乗っていいのか、改めて考えてみたほうがいいんじゃないかしらん。
元増田の主張の核となるのは:
①ウマ娘公式は好感度と信頼度が高いから、オタクもふわっとした公式のお願いに従っている
②彼らは人気者ゆえに特権的な「お願い」権がある
③人気者ゆえ多少スジの通ってない横着なお願いも聞いてもらえる
という理屈。
その「お願い」を聞くかどうかはあくまでオタク側の裁量や判断だけど、〈ウマ娘公式は〉面白いし、評判を落とす事件もなくて好感度が高いから、公式の「多少スジの通ってない、聞かなくてもいいお願い」をオタクも聞いてやっているんだ、ということ。フェミや表現規制派の「お願い」は聞かないが、ウマ娘公式の「お願い」は聞いてやる。それは〈ウマ娘公式が〉ファンに好意を持たれているからにすぎない。もしその好意が失われれば、ファンがウマ娘公式の「お願い」に付き合う義理はない、ということ。
つまり元増田は「オタクがウマ娘公式のお願いなら聞ける」理由は、権利者と利用者の権利関係を考慮しているからではなくて、権利者と対等(または優越的)な立場にある二次利用者や鑑賞者側が、あくまで「権利者への好意」にもとづいて、本当はどれだけやっても構わないことをあえて手控えているかのように語ってるわけ。具体的には:
「お願いはお願いでしかない」
「この状況下、別にウマ娘を同人誌でエロく描こうがグロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもありでしょ?」
とまで言ってる。勇ましい。でもこの主張って、ウマ娘やその他の同人コンテンツのファンにとって本当に味方といえるんすかねえ。だって公式が何かポカやってファンからの「好意」が失われたら、ファンのほうも公式の「お願い」なんか無視してあらゆる毀損表現を尽くしたっていいって言ってるんだよ。一次権利者にお願いされようが何されようが二次利用は原則的に「なんでもあり」で、いまウマ娘がそうなってないのは〈たまたま〉ウマ娘公式が面白くて人気があってファンに好感を持たれてるから、ファンに対して特権的な「お願い」権を持ってるんだ、人気あるゆえの特別扱いなんだ、と言っている。ヤベーじゃん。
一方で、ブコメへの追記反論の部分を見てみると、突然「土地を人に駐車場として貸す」「契約書」という例え話が出てきたりもする。つまり元増田も、心の中ではこれが権利者と利用者の関係、何かについて権利を持つ側と利用する側の関係であることは薄々理解してるんだけど、このエントリで「フェミや表現規制派は俺たちに好意的じゃないから、俺たちもお前らの『お願い』は聞いてやらん」というストーリーに沿って話を進めるために、その核心には徹底して触れないようにしてたということ。最後にポロリしちゃったけど。
でも、この「権利を持つ側と利用する側との力関係」こそが「オタクがウマ娘公式のお願いを聞ける理由」だってことは、多くのウマ娘擁護派にとっても自明の話でしょ?
たとえば id:aa_R_waiwai さんがブコメで張ったURL http://doujinsokuhou45.com/archives/8925157.html では、元増田のエントリに対して、擁護派の多くが
「二次創作の可否は著作権法上の問題だからウマ娘だからは関係ない」
と書いてるし、元増田へのブコメでも、増田を擁護する立場から(実は擁護になってないんだけど)、
「いうこと聞かないと飯の種が奪われるか奪われないかの違い」
「権利者からの要請なんだから従うか訴えられるリスクを背負うかの2択で普通は前者を選ぶってだけの話」
「そらそうやろその気になればコンテンツ自体取り下げれる立場なんやし…」
といった内容が多数ある。御説ごもっともで、自分もこのことが「お願いを聞く理由」の根本にあると思う。でも元増田は、ウマ娘コミュニティの公式への反応の根底にはこの著作者と利用者の権利関係があることを認識しつつ、あくまで「そうではないことにしたい」のね。著作物の二次利用という行為につきものの権利関係の力学をわかっていながら、あたかもそれが存在しないかように、純粋に公式とオタクの好意的な関係性にもとづいて、オタクの側が「お願い」を聞いてあげているかのように書いてる。これって、明らかに増田の自己欺瞞でしょ。
(または、もしかしてもしかすると、元増田は二次創作という営為に伴って同人界がず〜っと抱えてきた権利関係をめぐる緊張感や危機意識について全く理解せず、「表現の自由は全てに優越する」と考えてる、マジモンの「表現の自由戦士」だという可能性もあるけど、それはそれで皆さんお困りでしょう。)
もし元増田が「コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。そうした権利関係のない第三者からああしろこうしろと『お願い』されるのとは状況が全く異なる。それを『態度が異なる』と笑うならどうぞご自由に」と(他の擁護派の方々と同じような)模範解答を言ってれば、多少の揶揄やあてこすりをされる余地はあっても、主張の筋道自体には文句のつけようがなかったと思う。でも実際は、元増田は「二次利用はなんでもありだが、ウマ娘公式はオタクに好意を持たれているから、オタクのほうも彼らの『お願い』を聞いてやってる。でもフェミニストや表現規制派はオタクに好意を持っていないし持たれてもいないから、オタクにも彼らの『お願い』を聞く義理はない」という、何重にも地雷を孕んだ主張をゴリ押ししている。これにウマ娘ファンのみなさんは「そうだそうだ」と乗っちゃっていいのか?という話。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
それはコンテンツホルダーの権利との関係でそうするのが当然だと思うからで、間違っても「あいつらのお願いに従うかどうかはこちらの腹ひとつだが(何だったらエロく描いたりグロく描いたり○したり馬刺しにして食うこともできるんだが)、あいつらには好感を持っているし、我々の評価を落とすような事件も起こしてないから、今はその〈お願い〉を聞いてやってるんだ。テメーらはそうじゃないだろ!」なんてことを第三者に向かって言わない。
ダンジョン飯 ワールドガイド 冒険者バイブルのことなんだけど、
チルチャックがハーフフットの種族名のことを語る漫画があるじゃないですか。
わかっている人はスキップしてね。
もともとチルチャックみたいなハーフフットとかハーフリングとか呼ばれる、
背が低くてすばしこくて手先が器用でという種族の元ネタはトールキンのホビットなんです。
だから本当はあういう種族の総称はホビットになるはずなのです。
ところがトールキン著作権利を管理しているトールキン財団みたいなところが割と権利関係にはうるさいところで、
昔、テーブルトークロールプレイングゲームの元祖であるD&Dがホビットという種族名を使ったところを、勝手に使うな!と物言いがついたのです。
そこから、色々と派生して、どうもホビットという種族名を使うのは駄目らしいということになってホビットという統一名称は使われない世界線となったのです。
雰囲気としてはディズニーとか任天堂の著作に対してのネタみたいな感じ。
付け加えると、エルフとかドワーフもトールキンの著作から生み出されたと言っても過言ではないのですが、
エルフやドワーフは元々の単語として存在していたものでトールキンの創作ではないので物言いをつけることが出来なかったので普通に使われて現在に至るわけです。
場合によってはホビットという名称がエルフやドワーフみたいにもっとメジャーになっていたこともあり得るのですが、