車椅子の活動家と、弱者男性論を眺めていての結論。
弱者はある程度は助けられるべきだ、とは大抵の人間は思っているだろう。
しかし、それが現実的に合意可能なのは、弱者に「加害性がない」場合に限る。
いくら原則としての救済の必要性を打ち出しても無意味だ。
人的、精神的リソースを供給するにはマジョリティが自発的に行う必要がある。
強制労働させることは不可能だ。
政府が推奨しようが、言論で擁護しようが、自由な社会においては効果は薄い。
やりたくないことをやる人間はますます減っていくだろう。
流れを変えるために多くの予算をつけようにも、その配分を決定するのも民主主義なのだから同じことだ。
助けて欲しい人間は加害性を無くす努力が必要だ。
不可能な要求をしない、乱暴な物言いをしない、感謝の言葉を忘れない。
これからの時代の弱者に求められるのはこういった性質を身につけることだろう。
Permalink | 記事への反応(1) | 21:36
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暴動起こしたほうが伝わるのは歴史が証明してるんだが