はてなキーワード: 阿良々木暦とは
2004年の東京ゲームショウで『双恋 -フタコイ-』のスペシャルステージが開催された。
堀江を含むキャスト達がステージに上る姿に興奮したファンの歓声をなるべく正確に書き起こそうとした結果がこれである。
歓声と奇声が飛び交った!メインステージで『双恋』イベント開催
最初はそれぞれの愛称を叫んでいたファンたちも、「ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」や「ひろみさーん! ひろみひろみひろみ! アーッ!! ああーっ!!」と本能の趣くままに声を上げ始める。
全体的に冷静な文体で書かれた記事の中に突然紛れ込む奇声の再現が非常に異質だったことがネット上でウケてコピペネタとして定着し、現在も彼女に声援を送る時の一種の定番ネタとして愛されている。堀江由衣本人も認知済みである。
なお、この事は堀江と声優ユニット「やまとなでしこ」を組む田村ゆかりの知るところとなり、『自分にも似たようなものはないのか?』と求めたところ、ファンの有志達によって『ゆ、ゆーっ、ユアアーッ!!』というコールが作られた。
シャフト作品では度々ネタにされ、2005年のぱにぽにだっしゅ!13話の文字ネタで早速登場。その後もさよなら絶望先生やかってに改蔵のラジオでネタにされていた模様。物語シリーズの劇場版傷物語Ⅱにて、堀江由衣演じる羽川翼が、履いていたパンツを主人公阿良々木暦に渡すと、そのパンツから「ホアーッ」っという文字が…。
2022年放送のアニメ版『最近雇ったメイドが怪しい』において、堀江由衣は五条院つかさ役を演じているが、第3話劇中のある場面において「ホアアーッ?!」と悲鳴(奇声?)を上げる場面があったことからネタにされた。
全然関係ないが「ホアーッ!」は『namco×CAPCOM』作中チートクラスの忍者 翔の掛け声としても有名。
「これぞ、武神流……」
昨日の朝っぱら、オーナーから「今日は15分早く来るように」とLINEがきた。でも、勤務表によれば、私の出勤時間の18時までシフトリーダーが入っていることになっていたので、15分カブってしまう。素直にオーナーの言うことを聞いたらシフトリーダーの稼ぎが減っちゃうけど大丈夫なのか? と疑問に思いつつも15分前に出勤。
わかんないならシフトリーダー本人に聞いてみればいいやぁ、と思い、直接「私15分早く入ったらシフトリーダーの勤務時間短くなっちゃうけど大丈夫ですか?」って聞いた。そしたらシフトリーダーは、
「あぁ、表では私6時まで入ってることになってるけど、あれは暗黙の了解だから。本当は5時までで希望出してるんだけど、オーナーは私が45分までいてくれるだろうと思い込んでるだけだから大丈夫よー。私は増田さんが来てくれたから予定通り45分で帰るわ」
なるほどわからん。勝手に18時まで延長されてるんなら、「17時まででお願いします」ってオーナーにLINEすればいいじゃん。少なくとも私はそうしてるし、だからといってオーナーが怒って私の出勤日減らしてくるとかはないのだが……?
このディスコミュニケーションぶりは一体。と思ったけど、今月私は風邪で2日も休んでしまい収入が8000円以上減ったので、早出させてもらえるんならありがたく早出させてもらう! たかが15分のプラスだが、そのお金で『進撃の巨人』の最終巻が買えると思えば頑張れる。
先週末は若干来客数が少なめだったんだが、昨日はまた客足が戻ってしまった。ごとう日だったからかな。いうて世の中そんなに25日以外がペイデイな人多いのかな? と不思議は不思議。
また皆様混雑を避けようとしてぱらぱら来店なさるので、私ども店員は一息つく暇もない。けれども珍しくAさんが休憩に入ってる間は数人しか来店しなかったので、Aさんは一度も席を立たずに休めたとのこと。私も一人で店番しても忙しくなかったのでよかった。
いつだったか、Aさんに西尾維新の物語シリーズを熱く推されて、私は『化物語』の上下だけは読んだことがあるけど、ビシバシ繰り広げられる登場人物同士の罵り合いと難解言葉遊びの頻発に振り回されて、内容がイマイチ頭に入って来ないので、以降西尾維新は読んでないと答えた。それでも物語シリーズはいいですよ! とAさんは言い続けたのだが、物語シリーズは育児疲労で弱った頭で読むのはきっついわと思って、まずはリハビリのつもりで『掟上今日子の備忘録』を読んだら、思いの外読みやすかったし面白かった。
と話すと、
「僕は掟上今日子は読んでないっすね……」
というハイパー気のない返事をAさんはするので、この人一生掟上今日子読まなさそうと思い、私は「なんか主人公がどうにもこうにも陰キャ非モテでしかないのに、『備忘録』のラストは諸々すっ飛ばしてリア充エンドだったので驚いた。面白かったから続編も後で読もうと思う」と言った。するとAさんは、
「実は物語シリーズもそういう所あるんですよ! 主人公はずっと思いを寄せていた相手がいるというのに、突然ポッと出の女に告白されたらそいつと付き合い始めてですね(以下長いので略)」
と言った。そうだったのか、そんな奴だったのか、阿良々木暦くんは!
物語シリーズを読み、そしてアニメも見終わったので感じたことを書いていく。
最初に物語シリーズ自体は好きであり、主要キャラは阿良々木暦を除いてほとんど好きである。
さて、いつか読もう、見ようと思っていたのをようやく終えた。
そして一番最初から最後まで感じたのは阿良々木暦という存在に嫌悪しているという事だった。
なぜにそこまで嫌いになってしまったのかを下記に述べる。
ヒロインたちに対して、必要以上の関与をする所がとにかく鬱陶しかった。
そうしなければストーリーは進まないというのは分かるが、おせっかいも過剰だと目障りになるという典型的なキャラだった。
撫子が神になった際に貝木泥舟に「お前に出来ることはない」と言われても下がらない所は非常に嫌悪した。
(※追加でピシャリと言われ、ようやく引いたが)
正義の味方のようなおせっかいをしている割に、ここ一番というところで日和ってしまい曖昧なやりとりにするのが卑怯と感じた。
最後まで貫くのかと思えば、一気に日和って避けようとする所はそこまでおせっかいしてきてそれか…と思う場面は多々あった。
大人になりきれず、子供のままでもないというファジーな状況であれば、これもまた仕方ないのかとは思うが。
男はスケベ。それは間違いないんだ。しかし阿良々木暦のセリフは正直引く。描写がなければ、そこまで阿良々木暦を嫌悪する事もなかったと思える事。
いきなり羽川のパンチラやら羽川に対してのセクハラ視点は、受け入れられなかった。
この辺は、もともとそういうのがあまり好きではないという事もあって、阿良々木暦じゃなかったとしても引いていた。
物語シリーズの大半は阿良々木暦の語りから始まるわけだが、セリフにおいても語りにおいても痛々しい考えが出てくる度に嫌悪してしまった。
良くも悪くも阿良々木暦は子供まっさかりであり、大人には程遠い存在を表現していたと感じた。
でも、駄目です。受け入れられない。人間強度ってなんだよ。
とぼけていると言うよりも、言葉にしないと物事を考えられないくらいの鈍感さが目立った。
回答がわかったところで自分が納得いかないと他人を気にせずに我道を行く姿は好きになれない。
結局の所、阿良々木暦は主人公であり、物語をややこしくしていっただけの男だった。
青春がどうたらというよりかは、そこまで踏み込まなければややこしくならなかっただろうという内容だったので
最後に物語シリーズを読み、見終えて一番良かったのは【貝木泥舟】だった。
金に素直であり、ひねくれているが真理は付いている。
感情的にはほぼほぼならず、自業自得をもある程度受け入れている。
もがきすぎず、関与はほどほどにし考え方も合理的でわかりやすい。
時々間が抜けているところも実に人らしい人だと感じる。
少なくとも言っていることは阿良々木暦と違い、はっきりと物言いが出来ているキャラと感じた。
( 2018年秋アニメ2話までほぼ全部観たから感想書く その1 からの続き)
暮らしの知恵を得たDIO様の日常。良い最終回だった。4コマ漫画原作らしいテンポ感を感じる作品。
吸血鬼ちゃんの吸血鬼性は「亜人ちゃんは語りたい」の小鳥遊ひかり < これ ≦「傷物語」の阿良々木暦 ≦ DIO様 (<「傷物語」のキスショット)くらい吸血鬼。吸血鬼ちゃんがインタビュイー、普通の女の子がインタビュワーとなって「吸血鬼ってこんなんやで」を掘り下げていくお話になっている。これを見てDIO様のお気持ちを学ぼう。
制作は「結城友奈は勇者である」のスタジオ五組。かつキャラデザが酒井孝裕なので、平和な日常を観ているとなぜか泣けてくる。そんな日常を彩る劇伴は「スロウスタート」でお馴染み藤澤慶昌。もしかしたら私は同氏のファンなのかもしれない。最近のイチオシは「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の劇中歌アルバム「ラ レヴュー ド マチネ」より「誇りと驕り」(作詞:中村彼方/作曲・編曲:藤澤慶昌)、「ラ レヴュー ド ソワレ」より「RE:CREATE」(作詞:中村彼方/作曲・編曲:三好啓太/オーケストラアレンジ:藤澤慶昌)、「スタァライト」(作詞:中村彼方/作曲・編曲:加藤達也・藤澤慶昌)。
5期。スタッフは続投。イタリアのマフィアのお話。1話早々おっ始めている。現代の日本を舞台にした世界とは違う力学が働く世界観が面白い。「悪いことをしたら警察に捕まる」→「悪いことをするときは必ず警察に賄賂を渡さなければならない」みたいな。
毎期ごとに絵の雰囲気を変えていくスタイルゆえ、4期と雰囲気が異なっている(4部に登場したキャラクターを見るとわかりやすい)。今期は特に動かしづらそうなキャラデザなので、アクションでゴリゴリ動かすようなシナリオではなく会話劇のような作品なのかな。ただ、JOJOの特徴として「トメ絵」でアクションシーンを決める演出が多いので、1話でもそういった趣向のアクションシーンになってる。そういう意味では非常にアクション映えを意識したバトルアニメ。特に2話のvsブチャラティ戦は情報量が多すぎて頭がパンクしそう。
今期も神風動画は絡みなし。残念!でもEDのチョイスがやっぱり良い。
ガッチャマンになった女の子の成長を描く日常アニメ。キャッチーなOPが印象的な作品。原案:タカヒロ(「結城友奈は勇者である」原案)、キャラデザ:なもり(「ゆるゆり」原作)。めっちゃカレー食べたい。
なもりさんのキャラがめっちゃかわいい。特に制服のデザインが秀逸。ゆるゆりと比べやや等身が高くなっているのはアクション映えを意識したのかな。日常パートかわいく、アクションパートはかっこよく。
日常パートがとにかく平和なはずなのに、なぜか背筋がざわざわする感じがタカヒロっぽい。主人公の動機づけとかもゆゆゆっぽい。そういう視聴者のカンを察してか、2話ではスパイスの作用、副作用についてちゃんと説明がなされている。「安心して、これは満開システムじゃないよ」というメッセージかな?
音楽の使い方が好き。特に音楽のないシーン。日常、非日常と強い緩急のあるシナリオにうまくマッチしてる。1話なら 日常(音楽なし)→不穏(音楽なし)→戦闘(高BPMのバリバリEDM)みたいな。
ゆゆゆはもともと日常半分非日常半分のアニメだけれど、甘さと辛さのバランスがやや辛さ寄りに仕上がっている。対して本作は(今の時点では)日常パートに尺を多くとって甘さ寄りに仕上がっているので、丁度ゆゆゆとゆるゆりの間くらいを目指しているのかな。一握りのスパイス。
スパイx女子高生といえば「プリンセス・プリンシパル」も同じコンセプトを持つ作品だけれど、プリプリは「組織の犬としてがんばったりする話」という諜報員っぽい話なのに対し、本作は「正義の味方として、悪の組織をやっつけるためならエンヤコーラ」という勧善懲悪モノに近い。敵のデザインを見ても、プリプリの敵は憎めないヤツがとても多かったが、本作の敵はなんだか昔見たことのあるようなパリッとした「THE WARUMONO」というデザインになっている。ロボのデザインとか昔なつかし系を意識してるのかな。合体技とかビックリドッキリメカは未登場だけど、科学忍法で戦う姿はまさにガッチャマン。1話でも忍法・ヘカートⅡとか忍法・ミサイルとか使うし。2話以降の科学忍法が楽しみ。
ガッチャマンといえば、あの作品は割と主人公たちに厳しい世界だったので本作もまたあれくらい厳しい世界なのかもしれない。昔のヒーロー作品は「悲しみを乗り越え、悪と戦う主人公」というモチーフの作品が多い印象なので、そういう流れをくむ作品だったりして。おのれタカヒロ。
TRPGリプレイ。「DARK SOULS」並に強烈なハイ・ファンタジー系冒険アニメ。元ネタはやる夫スレに投稿されていたもの。良い最終回だった。きびしいせかい。
物語は中世~近世を舞台に、人々の暮らしとともにあるギルドの冒険者の日常を描く…のだが。シナリオは「灰と幻想のグリムガル」をハードにした感じ。本作の監督、音楽、制作スタジオが作ってるアニメ「少女終末旅行」よりずっとハード。殺戮アニメ「オーバーロード」よりもキツイ。「灰と幻想のグリムガル」が描くのは「見てみて、世界ってこんなに美しいんだよ」という世界だけれど、本作にそういう趣向は無く(キャラは世界を語るためのロール、という部分は似ているが)、人とゴブリンの間にある確執、業、罪深さ、わかり会えない存在、といった深い谷を丁寧に描いている。
基本は毎話ゴブリンスレイヤーとゴブリンの戦いを描くのだが、「主人公たちが油断して敵に追い詰められる(敵の見せ場)」→「逆境パワーで敵を蹴散らす(主人公の見せ場)」という定番ではなく「ナメてかかった冒険者たちがゴブリンに惨殺される(敵の見せ場)」→「ゴブリンスレイヤーがゴブリンを惨殺する(主人公の見せ場)」という構成になっている。単純に見せ場を作るだけのギミックではなく、ゴブリンとゴブリンスレイヤーの対比構造を強調しているのが印象的だった(特に2話)。その残虐性、執念、狡猾さ。結果とんでもなくダークなヒーローになっている。
そんな戦闘演出について、ゴブリンの殺し方、殺され方がグロい。「灰と幻想のグリムガル」で最初にゴブリンをぶっ殺すシーンも大概エグかったけれど、こっちはもっとエグい。丁寧な流血表現の作画、末廣健一郎の音楽、古谷友二の音響効果等も相まってドキドキが止まらない。本作のシリーズ構成・倉田英之が関わった「メイドインアビス」では、例のシーンについて放送の審査を通すのが大変だったみたいな話を聞いていたのだけれど、本作はどうやって審査を通したのだろう(直接表現が無いから問題なかったのかな)。
あと「少女終末旅行」1話冒頭の白昼夢みたいな演出が好きだったので、あれをまた観ることが出来て嬉しい。
ダテコーアベンジャーズ。てさぐれ!みたいな3DCGショートアニメ。続投スタッフとしては監督・脚本のダテコーの他に主題歌、劇伴の井上純一/Hajime。制作はirodoriからリンクトブレインに(ゲーム用グラフィック開発等の会社で、アニメ制作実績はほとんどなし)。キャラクターのアニメーションはirodori版よりも硬め。やっぱりたつき監督は凄い。
毎話シナリオパートとアドリブパートがあり、シナリオパートは本編の配信に先駆けて公式ラジオで(ほぼ全部)放送された。なのに改めて絵がつくと面白く感じるので、散々言われていた「これラジオでいいじゃん」説を真正面から検証していくスタイル好き。ちなみに1、2話はアドリブパートが1分程度。BDにロングバージョンが収録されるとのことや、「もともと本作が放送されるのは去年の年末頃だった」のが延期に延期を重ねた事情を顧みるに、ダテコーはやはり罪深い作品を作る人なのだなぁ、としみじみ。
それぞれのキャラクターは中の人のパーソナリティが反映されていたりする。そのあたりはダテコーとの関係性が為せるやり方。そもそもこのキャスティングは誰もが思いつきこそすれ、実現できるのは日本でダテコー一人だけな気がする。これだけ人気声優を集めた上で同時にアフレコをするのは困難だろうと思っていたけれど、アドリブパートは必ず全員揃っているわけではない模様。
そのアドリブパートについて、カメラのアングルは固定(てさぐれ!ではカメラワークに相当拘っていることがわかる)。引きのほうがテンポ感が出しやすい(発言がかぶってもカメラ切り替えしなくていいし)ので、結果てさぐれ3期最終回のてさぐれグランプリみたいなワチャワチャ感がある。内容は相変わらずシモネタを自重しないスタイル。
略称はだかいち。芸能人の日常アニメ。ガチのBL。抱かれたい男1位と2位の自給自足アニメ。同性愛を描くアニメといえば今年は「citrus」を観たけど、こっちは登場人物が成人ゆえ、もう完全にエロに振り切っている(citrusもエロいけど)。
…と、思ったら監督の龍輪直征はcitrusのチーフ演出だった。同氏が監督を務めるアニメ「ニセコイ」「幸腹グラフィティ」はエロいのかな。
仕事とプライベートで力関係が逆転するってド定番だけど面白い。常に厳し目のツッコミを入れ続けているのに、プライベートではそのまま押し切られるくだりが好き。2話ではプライベートでの力関係が逆転する展開になってたり、心の振れ幅というか人間臭さの強い恋愛モノになっている。背景美術の感じとか、全体的にTVドラマっぽいかも。
そして二人の裸が良い。高人の(リアルに)骨ばった肩や腕、首筋に対し、准太の筋肉質な体躯。特に2話シャワーシーンで見える腹部の、外腹斜筋がキレイ。ちなみに、ちょくちょく准太の背中に生えている羽は犬のしっぽみたいな機能。
あと各話ともガッツリSEXシーンを描いている(流石に秘部は隠してるけど)。これでも原作よりソフトな表現になってるのかしら。
AmazonPrimeVideo独占
「うしおととら」に続く名作のアニメ化。制作は同作と同じスタジオVOLN。原作は既刊43巻で、アニメは3クールの予定。一般的に単行本1冊あたりアニメ2~3話程度のボリュームになることが多いので、本作の圧縮率は3倍くらい?シナリオ再構成には原作者が参加している。
OPEDがめっちゃかっこいい。制作したのは「へー、このアニメのPVも作ってるんだ」でおなじみの10Gauge。
多様な劇伴がすごく好き。何でもできるんじゃねえのこの人(劇伴は林ゆうき。今期「ダグ&キリル」「風が強く吹いている」「HUGっと!プリキュア」もこの人が担当している)。
97年~連載作品だけに、キャラデザのリブートをするかどうか気になったのだけれど、90~00年代のアニメを思わせる吉松孝博のキャラデザはやはり最高。同氏が活躍した本年(よりもい、オバロ、そして本作)に想いを馳せるうち、今が2018年であることを忘れそう。
本作は人間より大きい人形を戦わせるという作品なのだけれど、操作されている人形のアクションシーンが非常に良い。人形ゆえ複雑な四肢を複雑に動かすアクションは3DCGと作画をうまく使い分けている。アルルカンとか「へーそうやって出し入れするんだ」ってなるやつ。
メインキャスト3人が強すぎる。林原めぐみ&小山力也て。1話の「アルルカン!」で鳥肌が立った。そして主役の上田千尋は大規模なオーディションで選ばれた(公式では2500人って言ってた)そうなので、いかに力を入れているかが分る。
「gdgd妖精‘s」でおなじみ菅原そうたによるショートアニメ。本作も風刺ネタが多めのギャグ。ちゃんといつものアレもある。今回の被害者は三森すずこ、井口裕香、花澤香菜。
制作がいつもと違うので、作風も変わっている。全体的にカクカク。かつ目がチカチカする。
本編(10分頃)には回し役としてふかわりょうが参加しているのだが、やっぱりプロの芸人さんはすごい。このシリーズの作品は「散々ネタを出し尽くしたため、いよいよ出がらししか出てこなくなるやつ」がすごい好きなんだけど、ふかわりょうがいるとあらゆるボケを拾って笑いに変える力を感じるし、かつスムーズな流れを作ってくれるので短い時間でも十分面白い。やっぱりプロはすごい。
ヒーローに憧れる男の子が主人公の、SF刑事ドラマ。ノリはかなり柔らかめ。特に主人公がバカ。
キャラデザがかなりゴツい。アメコミのヒーローを意識したのかな。またセットやノリがアメリカのTVドラマっぽい。舞台もニューヨークっぽいし。
「TIGER & BUNNY」シリーズに続くバディもの。いろんな事件と並行して刑事たちの群像劇を描く。タイバニと比べると「踊る大捜査線」みたいな土臭いシナリオになっている。SFチックな展開は「メン・イン・ブラック」に近い。3DCGで描かれるメカアクションは流石サンライズといった感じ。プロデューサー曰く「多くの刑事モノ作品のオマージュを取り入れたシナリオになっている」とのことなので、刑事モノが好きな人は楽しみが多い。
音楽は林ゆうき。どちらかといえば刑事モノのTVドラマでお馴染みの人で、個人的にフジテレビ系のTVドラマ「BOSS」が好き。本作もそういったブラバンの劇伴がマッチしている。
人々の暮らしを象徴するシーンとして街の遠景+行き交う車+タイムラプス風演出を使っているけど、どうやってるんだろ。めっちゃすごい。
制作は鷹の爪でおなじみDLE。本屋さんの日常を描くFLASHアニメ。「本屋さんってみんなが思っている以上に大変な仕事なんだよ」という強いメッセージを感じる。モデルになっているのは都心にある「とらのあな」みたいな書店。作者の実体験が元ネタとのこと。
会話劇というより、半分くらい主人公(CV.斉藤壮馬)の一人漫談。主人公のモノローグを中心に展開されていくのだが、表情筋が全く動かないキャラデザとは裏腹のハイテンションな演技が光る。非常にテンポがよく、感情がほとばしっている。特に1話の「ファッ!?!?!!?」が好き。2話以降は「イカれたメンバーを紹介するぜ!」という副題どおりの展開なので楽しみが多い作品。
ショートアニメ。1期の続き。内容はいつもどおり。知らない人向けにざっくり説明するなら「シリアスな王道ロボットアニメ」。1期もそうだけれど、OPEDの「曲」は非常に真面目な作りになっている。
忍野メメが認めたのは忍野扇の存在であり、それは阿良々木暦の中にある自己否定の気持ちの存在。
忍野メメが忍野扇を認めたのは、間接的に阿良々木暦の中にある自分で自分を許せない弱さを認めたということ。
そしてそれと向き合い甘ちゃんであり続ける暦の生き方を認めたということ。
今まで忍野メメは何度も阿良々木暦の生き方に疑問を投げかけ続けた。
だが今回忍野メメは遂に折れた。
阿良々木暦が真に阿良々木暦と向き合いその上で生き方を貫く姿を見て遂に折れたのだ。
おうぎダークは、阿良々木暦が阿良々木暦の生き方と向き合う物語に見せかけて実際は、阿良々木暦が忍野メメに認められるまでの物語だったのである。
忍野メメだったのだ!
最近のラノベでも最近のアニメでも最近の漫画でもいいですが、この手の批判(?)をネット上ではよく目にします。
「最近のラノベはいじめられっ子の中高生が自己投影して楽しめるように初めから一切努力せず異世界とか行って無双するものしかない」みたいなのね。
1.フィクションに自己投影して楽しむのが悪いかのように言っている
全く悪くありません。フィクションの楽しみ方は人それぞれです。
全くいないとは言いませんし聞いたわけじゃないので完全に想像なんですが。理由は3に絡めて語ります。
3.フィクションに自己投影するのが「楽」で「弱い」楽しみ方だと思われている
これは1の「悪いとされる理由」にも関わるでしょう。
別に楽で弱くても全然悪くはないし、悪いと見做す態度こそ悪しきマッチョ主義だと思うのですが、そもそも「楽」というのに大きな誤りがあります。フィクションに自己投影して楽しむというのはなかなかできることではありません。
物語を描く上で「共感を得られるキャラクター作り」は極めて重要だと言われます。
たとえ現実離れしたキャラクターであっても、何かしら弱点を設定するとか、普通の人間にも通じる悩みを抱えているとか。
これは現実でもそうですが、人は他者を見るとき、相手が自分と重なる部分があると思うからこそ、「自分だったら」という感情が働き、相手の内面を想像しようとするのだと思います。
そういった意味では誰もが現実非現実を問わず他者に「自己投影」しているのでしょうが、一般に言われる「自己投影」は相手を自分の分身と捉えることだと思います。
しかし、そんなことがそう簡単にできるでしょうか。
「ラノベ主人公はオタク中高生が自己投影できるように無個性な『普通の高校生』に設定されている」とか、その逆に「自己投影して楽しめるように最初から最強で一度も負けない主人公しか受けない」とか言われます。
前者に関しては、「共感」しやすいように平凡な造形にしている面はあると思います。しかし、読者/視聴者が同一視できるほど彼らは無個性でしょうか。
後者のキリトや司波達也はもちろん、前者に分類されそうなキョンも折木奉太郎も阿良々木暦も高坂京介も、自分が見た限りはっきりと人間性を描写されています。
人間としてのディティールが細かくなればなるほど、当然に読者と「違う」部分は増えていくでしょう。彼らは自分なら言わないことを言い、しないことをします。明らかに彼らは自分じゃありません。
また、多くの作品では主人公はもちろんその仲間たち、敵に至ってもそれなりに共感できる部分を描かれています。作品世界で主人公だけが共感できる対象ではないのです。
こうした状態で自己投影ができるなら、それは(皮肉でなく)稀有な才能と言えると思います。
また、自己投影したとして安楽に無双やヒロインたちに愛される快楽が得られるかというと、これもそうとは思えません。
私は自己投影してプレイしたことのあるゲームがあります。艦これやデレマス(音ゲーじゃなく、最初の「モバマス」と呼ばれていた方)などで、あれらの作品ではPCの人間性がほとんど描かれていません。
プレイヤーが彼らを「自分の分身」として操り楽しむためだと思います。
キャラクターの中には提督やプロデューサー(=私)にとりわけ強い好意を向けてくる子がいます。その結果、私は幸せになれたかと言うと、そうでもないです。むしろ愛されることに変な罪悪感があるのです。
「俺なんかのことを愛さないでくれ」「俺はお前の仲間をよその事務所に売却したし、中破した状態で進撃してお前の仲間を轟沈させているんだ。そもそも鼻くそほじってアニメ見ながらプレイしてる」「俺に愛される資格なんかないんだ」
というような。
私がガチ勢で決してキャラクターを犠牲にしないプレイをしていたなら、女の子に愛されてもまだマシだったかも知れませんが。
(個人的に、自己投影して気楽に楽しめるゲームとはPCの人間性が描かれないのに加え、NPCがPCに対して一切人格面での好意を向けず、ゲーム中での成果についても過大に讃えたりしてこない作品だと思います)
つまり、自己投影というのは主人公のキャラを立てざるを得ない多くの小説や漫画、アニメといった作品では難しく、仮にできたとしても批判者が考えているような「楽して無双やハーレムの快楽を享受できる作品消費」ではないのです。
なんというか、「正しい楽しみ方なんてない」と言いましたけど、結局、大抵の人の楽しみ方ってそんなに多様なものではないと思うんですよね。個々の作品への好みはあるでしょうけど、オタク中高生が異世界でチーレムする作品を愛好する中高生も、筋肉もりもりマッチョマンな歴戦のオッサンが泥臭く戦う話を好む(自称も含む)オッサンも、多分同じような楽しみ方をしてますよ。前者が後者を楽しむことも、もちろんその逆も普通にあるだろうしね。
人間だから、好みが正反対の人間でも重なる部分があったり、すごく気の合う人間ともわかり合えない部分があったり、自己投影という鑑賞姿勢を批判する人はそういった認識が欠けてるんじゃないでしょうか。