2021-03-27

バカフェミスパイラル

 共産党池内さおり議員電車に乗る際に男性意図的にぶつかられたとツイートした件が話題になっている。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ikeuchi_saori/status/1375318333776535553

 この件については補助知識としてここ数年ネット上で話題になっている「ぶつかりおじさん」というものを知っておく必要があるだろう。女性が歩いていると意図的にぶつかりに来るおじさんがいる、という男である自分なんかからするとにわかには信じがたいものだが、証言複数あるだけでなくその姿が動画に収められたこともある。

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%B6%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%8A%E3%81%98%E3%81%95%E3%82%93&source=hp&ei=DwVfYN6GBpL8wQPwuqnoDA&iflsig=AINFCbYAAAAAYF8THzptVbM_p9-dgI5nKXvowBae9-Qx&oq=%E3%81%B6%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%8A%E3%81%98%E3%81%95%E3%82%93&gs_lcp=Cgdnd3Mtd2l6EAMyAggAMgIIADICCAAyAggAMgIIADoKCAAQsQMQgwEQBDoICAAQsQMQgwE6BggAEAQQAzoHCAAQsQMQBDoICAAQsQMQsQM6BAgAEAQ6DggAELEDEIMBELEDEIMBOgYIABAEEB5QzgtY2BpghR9oAHAAeACAAV-IAcEJkgECMTWYAQCgAQGqAQdnd3Mtd2l6&sclient=gws-wiz&ved=0ahUKEwieysaXntDvAhUSfnAKHXBdCs0Q4dUDCAk&uact=5

 1人から証言を聞いただけではにわかに信じがたい話なので、より詳しいことについては雑にググって出てきたページを雑にいくつか見てほしい。

https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/31/butsukariotoko_a_23447463/

動画のある記事こちら。

 ぶつかりおじさんの被害の規模や実態については今のところまだよくわかっていない。煽り運転社会問題として大きくクローズアップされたのは記憶に新しいが、あれはドライブレコーダー映像が残されていたというのが大きい。人間ドラレコは付いていないためぶつかりおじさんの犯行の様子を動画に収めるのは難しい。上に貼った記事動画ではぶつかりおじさんは20代くらいに見える風貌だが、スーツ姿の40代くらいの人が多いという声もある。

 動機についても女性への悪意が根底にあるケースが多いのか、それとも反撃されなさそうな弱そうな人を狙うがために被害女性に集中するのかもよくわからない。なので、池内議員が「女性差別」と訴えていたり社会政治の責任言及している点についてはかなり迂闊な物言いをしているなという感想を抱いている。

 とりあえず現状間違いがないと言えそうなのは、ぶつかりおじさんは都市伝説でなく実在するということと、ぶつかりおじさんは1人だけの異常者ではなく何人もいるということだ。おそらく痴漢の一形態と捉えるべきものなのだろうと個人的には考えている(つまり治療対象ということ)。

 このような実態を踏まえた上で池内議員ツイートに戻ると、池内議員被害の訴えには不自然な点は特にないということが言える。ぶつかりおじさん被害の報告として典型的範囲に綺麗に収まっている。彼女共産党政治家であることや、その後連なる意見については他の被害報告との違いとなるが、事実としてこういうことがあったのだという点に関してはなんら不自然なところはない。

 問題はこのツイートに対して「お前が降りる人を待たずに乗ったせいでぶつかったんだろ」という反応が多く寄せられていることだ。しかし、この自分からぶつかったという解釈は不自然だ。

 まず第一池内議員ツイートを読むと「降りようとする人も2人」という記述があり、降車する人の様子を余所見せずに見ていたことが伺える。仮に彼女が降りる人を待たずに電車に乗り込んでしまったのだとしても、この状態でぶつかってしまうというのは非常に不自然だ。降車客が2人なのであれば同時に乗ろうとしてしまったとしても余所見していなければまずぶつかることはない。スペースが不足してひっかかるような形になってしまうということは十分に考えられるが、強い衝撃を受けるようなぶつかり方をするというのは考えられない。もしも降りる側が余所見していたとしても池内議員側が余所見していなければぶつかることはないだろう。ぶつかるためにはどちらかの足元が相当にふらついているような状況を想定する必要がある。

 そして第二に男は無言で立ち去っている。無言で立ち去ったという直接的な描写はないが、なにか一言あったとするなら書かないわけがないので無言で立ち去ったものと推察される。しかし、何の悪意もなくぶつかってしまった場合普通人は「すみません」とか「大丈夫ですか」とか言うものである相手から一方的にぶつかられてムカついていたからそういうことを言わなかったという解釈もありえるが、それはそれで舌打ちも悪態も何もないのはやや不自然さが残る。

 まとめると、「池内議員はぶつかりおじさんの被害にあった」と考えるのは自然なのに対し、「池内議員は自らの乗車マナーの悪さゆえに他人とぶつかった」と考えるのは不自然だ。後者絶対100%ありえないというわけではないが、他に自然解釈があるのに不自然解釈を選び取るのは不合理だろう。

 ではなぜ多くの人が不自然な方の解釈に飛びついてしまっているのか。

 これは「フェミニストというのは針小棒大に、あるいは被害妄想で女性差別だなんだと喚き散らす馬鹿の集まりだ」という偏見まみれの脳内ストーリーに不自然な方の解釈合致しているからだろう。

 この現象の恐ろしいところは何があってもどんどん偏見が強化されていくという点にある。

 この手の人はフェミニストが何か言っているぞと話題になるたびに不自然であろうがおかまいなしにフェミ馬鹿なことを喚いているという解釈を選び取る。そのため、頭の中ではあのときもこのときもいつもフェミ馬鹿なことばかり言っているという認識になるのだ。

 フェミ馬鹿だという偏見があるがゆえにフェミの言うことを悪意をもって解釈する。それによってフェミ馬鹿だという偏見さらに強化される。この無敵のスパイラル構造の中で、この手の人は自らの頭をどんどん悪くしていくのである

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