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2018-09-09

anond:20180909111013

美大生が全国の小中学校を回ってサプライズで黒板アート描く活動してるっていうのはたまに聞くけど

卒業式前日にリアル桜並木の絵を描くとかで

いかにもなアニ豚の根暗オタクがやってるイメージ特にないな


外部に依頼せずに自分たちで描く場合クラスのいわゆるカースト上位の女子数人が

ワイワイキャッキャしながら黒板の前に集まって○組サイコーとか描いたりして

たとえ絵が上手くても漫研美術部にはまったくお声がかからない印象がある

内輪ノリなのはそうだけど活発なタイプ女子が内輪で盛り上がってオタクが隅でフゴフゴ言ってるみたいなことの方が多くないか

2018-08-28

中三から引きこもってからもう8年になる

毎日のように遊び呆けていた小学生時代も終わり、中学生になった。

最初不安だったが1年の頃はそこそこ楽しかった。 新しい友達も増えた、部活楽しい小学生の時ほどではないが遊びにも行けていた。

2年生になり学習塾へ通い始めた、テスト順位が下がってきていたからだ。

思えば、この時から歯車が狂い始めていたのかも知れない。

学習塾に入ったことによって、元々少なくなっていた自分時間さらに狭まり、無いも同然になっていた。

4時に起床し、5時から朝練、8時から授業が始まり16時に終わる。そこから18時まで部活をして帰宅

だが19時から学習塾があるので、すぐに家を出て、家に帰れるのは21時過ぎ。ここに来てやっと自分時間が取れる。

かと思いきや、また明日朝練があるのでもう寝なくてはいけない。

ただでさえ1日に8時間睡眠を取りたい自分にとってはかなりキツいスケジュールだった。

そして運命中学3年、もう何もかもが苦痛だった。

まり続ける睡眠不足、疲労、ストレス、解消する術も無かった。

夏休みに入り、これで少しは休めるかと思ったがそうもいかなかった。

依然として部活はあったし、学習塾受験が控えているということもあり張り詰めていた。

そんな夏休みも終わり、始業式の日がやってきた。

その日は頭痛持ちだったこともあり、朝から酷く頭痛がして布団から出られずにいた。

「頭がすごく痛い」

そう母に言うと、自分の予想していたものとは違う言葉が返ってきた。

「それじゃあ休む?」

少し困惑した。てっきり「頭痛薬でも飲んでさっさと行ってこい」くらいは言われると思っていたからだ。

しばらく考えた後、こう答えた。

「休む」

甘えた。 間違いなく歯車が外れた瞬間だった。 引きこもり誕生だ。

それからはタガが外れたように休んだ。

最初今日も頭が痛いと仮病を使っていたが、1週間もすればなんの理由もなくただ家で寝ていた。

結局そのまま学校には一度も登校せず、卒業式にも行かなかった。

今思えばさっさと部活をやめていればこんなことにはならなかったと簡単に言えるが、この事に気づくのに2,3年は掛かった。

当時の俺はそんなことにも気付かないくらい切羽詰まっていて、ストレスで正常な判断が出来なくなっていた。

部活をやめれば内申点に傷が付くと思い込みストレスが溜まるのは自分が弱いからだと思い込んでいた。 実際そうだけれど。

部活をやめていれば、誰か周りの大人が言ってくれれば、家庭がもう少し裕福だったら、色々考えてみてももう遅い。

他人様に迷惑をかける前に早いとこ死なないとな

2018-08-08

暑い中で部活動やるだけで体力減るんだから大会の開幕式なんて必要ないと思う

終業式や始業式もわざわざ全校生徒集めてやらなくていい

運動会は止めるのが難しいなら開会式閉会式ぐらい簡略化してほしい

これを機に無駄ものを省いて子供負担を軽くしていくべきだと思う

震災の年は、入学式卒業式を短くするために来賓紹介がなくなった

効率的で良かったのに数年後また復活していたのが残念だった

来賓紹介なんてほぼ大人面子のためにやってるだけなんだから無くなっても良いのになぁ

2018-08-03

医者になれなかった(元)女子ぼやき

はじめに

大学(※1)の医学部入試問題について、どうしてもぼやきたくなった。

あくまでも個人意見ではあるが、随分と乱暴意見だとも自覚しているので、その所予めご了承ください。

あと、これは個人の雑感なので、読み易さは期待しないで下さい(※2)。

最後に、二重括弧で脚注付くって言うからせっせとつけたけど何故か脚注付かないので、手打ち脚注を付けました。もしもミスを見付けても、この間抜けについてはどうか(鼻で)笑って許して下さい。

※1:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない

※2:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい

増田について

ごく普通田舎(※3)生まれ田舎育ち。

基本的には親戚含め概ね一般家庭であるが、父親とイトコと義大叔父とがそれぞれ医者という、何故か不思議な縁がある。(※4)

タイトルの通り、本人の性別は女で、そして医者では無い。既に女子と名乗る年齢は過ぎたので、(元)女子コメント一言

※3:七大都市圏外に生息。県庁所在地ではあるが、当県には新幹線が通っておらず、未だに女子は親元にいて当然、みたいな思考がまかり通る程度の田舎

※4:何故か世代ごとに一人医者がいる。所謂、偶然の産物

ニュース(※5)についての感想第一声)

「まぁ当然じゃない?何で叩かれてるの?」

※5:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない(二回目)

増田医者になれなかった理由

入試を受ける許可が降りなかった』ので『医学部受験が出来ず』に『医者になれなかった』『元女子である

因みに偏差値は何とか足りてた。まぁ何とか、レベルだったのでもしかしたら国試に受からずに医者になれなかった未来もあるかもしれないが、そこは今は割愛する。

入試を受ける許可が降りなかった話

ただの自慢だが、高校二年の頃までは、随分と増田の成績は良かった(※6)。

高校一年までは、まだどうなるか分から模試の結果にも志望校にも何も口を出さなかった親が、二年最初模試の結果を渡した時、初めて話し合いの場、というものを設けられた。

結論から言うと、増田はその話し合いを経て『医学部を受けない』事を確定した、という話である。(※7)

事の次第はこうだ。

その模試の結果が返って来たその週末、『模試の事で話したい事があります』と親子三者面談が行われることとなった。

滅多に家に居ない父親がわざわざ昼から家に帰って来ての三者面談であったので、非常に緊張もしたし、内心『エライコッチャ』と思った。

先の通り、まだその頃(※8)は別段叱られる様な成績を取っていたと思っていないので、何故呼び出しを受けたのか分からない、という混乱もあった。

「こないだの模試の事なんだけど」と、母親が口火を切った。

「この志望校は、どういうつもりで書いたの?」

その時まで、得点偏差値といった所について怒られるものとばかり思っていたから、返答が「へぁっ?」という間抜け極まった返事になった。この面談が何の為に行われているのか、全く理解が追いつかなかったのもある。

娘の間抜けな返答にに、両親は特に叱るでもなく、母は言葉を重ねた。

増田あなた医者になりたいの?」

母の指先が示していたのは、志望校の欄に書かれた、地元医学部の欄であった。

「いや、そういう訳では…」

それまでのほほんと『まぁ今の偏差値ならこの辺りの学部書いとけばいいだろ』と志望校を書いていた増田は、母親言葉で『自分が本当に医者になりたいのか』という事を初めて、真面目に、考える事になった(※9)。

我が家勤務医であったので『実家病院を継ぐ為に、何が何でも医者にならなければならない』という家庭の事情も無ければ、『パパみたいにおいしゃさんになるのー!』みたいな可愛らしい夢も無く、『医者になりたいのか』という問いに悶々と悩んだが、すぐに答えが降って湧いて出る訳も無い。

いつまで経っても(※10)返答をしない増田に、母は再度口を開いた。

「じゃあ先に、私達の意見を、聞きなさい」

うろうろとテーブルの片隅に置かれていたコップの辺りで彷徨っていた視線をふっと上げると、母の強い視線に当てられた。残念ながらスローモーションにならなかったが、それでも随分と怖い顔をしていると思った。

「定年まで勤める覚悟が無いならば、医学部受験は認めません」

それまでずっと黙っていた父親は、やっぱり黙っていたけど、母の言葉追従する様にうんうん、と首を縦に振っていた。

※6:大見得を切った。自慢して歩ける程良くは無かったが、教師や親から叱られる程悪くも無かった

※7:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい(二回目)

※8:何の反動か知らないが、この話し合いの後一切勉強をしなくなったので、その後当然成績は真っ逆さまに落ちた。高校二年の頃まで、と書いたのはそのせいであ

※9:人生舐め過ぎである

10:とはいえ、今考えても三分も経っていない。カップラーメンは待てても娘の返答は待てないらしい

医者になるには、という話

両親の主張は、主に二点であった。

借金と返済の問題

医学部、それも国立医学部に入る、という事は、日本国民から借金をする(≒投資を受ける)と同義である

これは防大についても同じ事が言えるが、極論、医学部学生というのは『将来的には国益になる』と信じられているから、通常よりも多く『投資を受けている身分である

原資は何か?当然、国民血税である。その投資を受けた以上は、医者になったならば、労働を通して国民へ返さねばならない。

医学部に入って6年、専門を決め、安定した独り立ちをするまで更に数年。

10年近く投資を受けるのだから、同一年数は働かないと、その投資に見合った返済が出来たとは言えない。

最低でも46歳、そこまで働く気がないなら、税金泥棒になるのだと自覚しろ、と締め括られた(※11)。

資質問題

『どこでも眠れる』『すぐに眠れる』『すぐに起きれる』『寝溜めが出来る』の何にもかすっていない増田には向いていない。増田はどれも欠落しているか資質が無い。とばっさり切られた

何を想定しているか?無論、当直時、あるいは緊急時即戦力として対応出来るか否か、という事である

尚、緊急時には『有事』も含むからな、国立大卒なんだから当然、とも言われて、己の命の使い方も本気で考える羽目になった。

11:据わった目で『国益』という単語が出た時に、九州女性の腹の括り具合怖ェ、って思いました(感想文)。尚、両親は特定の党も支持していなければ、右の話も左の話もした事が無かったので、余計ビビりった

試みた細やかなる反論と、切り捨てられた回答

・私よりも成績の悪い医者が生まれるかもしれない(※12

→最低限の国資を通った以上、四十歳半ばで辞める優秀な医者よりも、定年まで働く普通医者の方が国益に勝る

看護師女性が大半だけど回ってる

→総数比を考えろ。数が少ないという事は、医師一人に対しての負担看護師比率分だけ上がると自覚しろ

別に定時で帰れる様な小さな病院に勤めれば良くない?例えばアルバイト医師(※13)とかさぁ

→甘 え ん な 阿 呆 (※14)

12自分がドベの成績で国試に受かるかもしれない、という思考を持たない愚かな小娘の僅かばかりの抵抗

※13:その当時、我が家の父は副業で日勤のアルバイト医師もしていたのでそういう発想に至ったのだが、若い頃はアルバイト医師として当直ばっかりしていた為、余計家に帰って来れなかったそうである。そりゃ人が居ない時間を埋める為のアルバイトであるんだから当然である

※14:地雷を踏んだ

終始大半を黙っている父親と、それを取り巻く家族の話

さて、以上の話は全て母親が話をした。

父親はずーっと『そうだぞ』とか『お母さんの言う通りだ』とか、合いの手しか入れなかった。

口下手、というのもあるが、彼は『父親ではない』というのが大きな理由である

一行で起こったこ矛盾であるが、彼は『生物学上における父親であるが『家族構築関係上における父親』でない、という人なのである

私が幼い頃、まだ医局という所は随分と力があり、若手医師の勤務先は医局の鶴の一存で決まる様なレベルであった。ペーペー医師である父は一週間の大半は家にいなかったし、弟は帰ってきた父親父親だと理解出来ず、抱かれた瞬間火の点いた様に泣いた、という古典的エピソードである程、家に帰ってこなかった。

ペーペーを脱しても主流医師でない(※15)父は、時には単身赴任も交えながら、随分と家から遠いあちらこちらの病院転々としていた。

結局、父親我が家根城に出来る様になる頃(※16)には子供達は反抗期を迎え、ちっとも父親として接していなかった父親は、子供とどんな話をして良いのか分からない、という状態に陥っていた、そんな時期がこの事件の頃合いである。

所謂、『仕事人間家族と関わって来なかったお父さんが定年を迎え、家族との接し方が分からない』という状態になっていた為、結果娘に何と言えば良いのか分からなかった、というやつである

彼がそうなった原因の一つに『田舎医者が少ない』という点がある。

圧倒的に『全体数が足りて無い』が故に、『一人当たりの当直数が多く』なり、またそういう人数が少ない病院ばかり転々としていた(※17)のも相まって、父親はいだって住まい病院です』みたいな生活を送っていた(※18)。

たまに家に帰って来て『今日はお父さんが帰ってきたから、家族四人で外食に行こう!』となっても、たった二時間もしない食事最後に彼のポケベル(※19)がけたたましく鳴り、家族団らんが解散になった事は数えきれない程あった(※20)。

当然、盆暮れ正月関係無く、少なくとも我が家帰省冠婚葬祭も含め父親を交えて一泊二日以上の旅行に行った事が無い(※21)。

そういう訳で、我が家は常に『母子家庭』と同等であった。何せ基本的家族行事に、父親はいだって居ないのである入学式卒業式も発表会も、父親がいた記憶が無い。

幸いにして母親専業主婦ではあったが、代わりに田舎ならではの『旦那(=増田父親実家の面倒』を見るという仕事はあり、最近流行り(?)のワンオペを当時より当然の如く強いられてきた。

別段その事については特に思う事は無かったそう(※22)だが、そういう母を間近に見ていながら『私の仕事の穴を他の人が埋めてくれれば良くない~?』みたいなニュアンス発言を娘が行った(※23)のは、流石に看過出来なかったらしい。

という事で、此処からは若干説経と、あと当初の想定通り偏差値について幾ばくかの説経が入ったので、ここで一端幕を降ろす。

※15:と父親本人が言っていた。本当の所は知らない

※16:医局の力が弱くなってきた事と、勤務先について本人の希望を汲んで貰える程度には中流層に入った頃合い

17:「していた」のか「させられていた」のかは、今はもう分からない

※18:一度だけ父がインフルエンザに罹った時に、『入院していい?』と聞いたら、師長さんに『(いつも病院生活してるんだから、)病気先生の面倒まで見たくありません』と断られ、そのまま家にいた母親に迎えの要請電話が来た(実話)

※19:少なくとも、私が小学校を上がる頃まではポケベルが主流であった

20とある店に行くと、なぜか謀った様に毎回毎回鳴るので、仕舞いには弟と『今日ポケベルが鳴るか鳴らないか』という賭け事(掛け金:翌日のオヤツ)をやっていた(※現金の絡む賭博行為違法です)

※21:いわんや海外旅行をや

※22:父と結婚するにあたり、ワンオペ育児を行う事になると重々言い含められ、了承の上の結婚だった、と後に語る

23自分の穴埋めをしてくれる人(=他の医師)を全力でバックアップする人間(=その医師家族)に対して軽視し過ぎであり、礼を失した態度である、というお怒り

後日談

その後、別日ではあったが、もう一度話をされた。

その時に言われたのは、

増田が本当に医者になりたくて且つ子供も欲しいなら、孫(=増田の子供(※24))が一人で留守番が出来る年齢になるまでは私がフォローする。私の体力が追いつかなくなったらシッター代も出す。だからそれも踏まえた上で、自分が『医者』になりたいのか、『母親』になりたいのか考えろ

・ただし、その場合増田就職は(地元)県一択になるだろうから、そこを前提に考えろ

田舎から出ていきたいと思うなら、専業主夫になってくれる男性結婚か、或いは子供を持たない夫婦二人暮らし選択する事になるが、家事労働を金で買うかのどれかだが、そういう考えに賛同してくれる相手は数が少ないと心得よ

医者になる幸せと、(増田)の人生幸せ(※25)と、よく考えてから志望校は決めなさい

そういう話をされ、『そこまでして医者になりたいか?』と考えた結果、以降増田志望校から医学部名前を書かなくなった。

24:結果として、母親の想定年齢を超えても増田は一人身だし当然の様に孫も産んで無い為、このくだりを書きながら無駄な気苦労をさせてすまない…、という気持ちで一杯である

※25:生活力の無さを見抜かれた上での発言であり、別に子供を産むことを推奨はしていない。30歳を超えたある日、電話口で母に『孫いなくてごめん』と謝ったら『子供なんて、居たら居た形の幸せがあるし、居なきゃ居ない形の幸せがあるんだから比較も出来ないし、(母)に謝る事ではない』と叱られた。本当にすみません

第一声について

此処まで書いてこんな事を言っても信じて貰えないだろうが、別段増田は『女性医者になるな』と主張したい訳ではない。

ただ、医者になりたいのであれば『自分が誰に投資をされたのか』という事を忘れないで欲しいし、その投資に対して最低限ペイをする気が最初から無いならば、その道は他に譲ってくれないだろうか。(或いは、現場医師ではなく、研究職といったルート選択するとか、兎角ペイを出来る道筋を立てて欲しい)

そして、医者の総数が少ない以上、途中で辞めてしまう優秀な医師よりも定年まで働いてくれる平々凡々な医師の方が有難い、と思う程に、医師の少ない地域があるのだ、という事実に少しで良いから目を向けて欲しい。

産休・育休をしても尚女性医師が長く働ける職場を、と言うならば、お互い様精神で、男性医師だって同じ様に休ませて欲しい。女性医師休みは認めろと声高に叫ぶならば、同じ様に男性医師にも同じ期間だけ育休を取得する権利を声高に叫んでくれ。

女性妊娠出産するから優遇されて当然でしょ!』ではなく、女性であろうが男性であろうが同じ様に当直を行い同じ様に休みを取り同じ様に昇給して同じ様に家族との時間を持てる様にと主張して欲しいだけである

が、現状、当然比較論ではあるが妊娠出産を機に投資に見合ったペイもせぬまま医者を辞める女性は多く、その穴埋めを男性医師が当然の如く行っている以上、男性下駄を履かせたり、女性を少なく取ったりしたって『当然だよなぁ』と思うのである

少なくとも、医者になりたいし母親にもなりたいの!と思うならば、実家フォローパートナーフォロー(※26)/民間(例:シッター)のフォローなど、両立出来るだけの道筋を立てられるかどうかを、一度考えてみて欲しい。

※26:我が家場合は『奥さんに丸投げ=パートナーフォロー』なので、真面目に女医を成立させるならで自分の代わりに家庭を全て回してくれる人を探す案をおすすめしたいし、現状それで男性医師の家庭は回っているのだから女性医師が真似ても上手く回る例なのでは?と本気で思っている

当該の迫害されている女性医者(或いは医学部志願女性)では無くて、けれど『女性差別だ!』と怒れる方へ

まずは一人一人が己の健康を顧みて、医師負担を減らす事で、医師仕事量の総数が減り、結果男女共に産休・育休を取りやすくする事を目指しませんか?

具体的には

・無茶なアルコール飲酒をしない(急性アル中患者を減らす)

・無茶な運転をしない(交通事故患者を減らす)

・日々歩く、と言った最低限の健康管理を行う(成人病リスクを下げる)

・(今のシーズンだと)熱中症予防をきちんと行う(急患の数も減らし、重篤熱中症患者を出さない)

予防接種を受ける(風疹騒ぎ、よもやお忘れではあるまいな…?)(※27)

健康診断を受ける(数年に一度脳ドッグオプションを付けたり、市町村区フォローしてくれるガン検診を受けたり、早期発見早期治療を目指す)

みたいな。

少なくとも、そういうフォローの仕方もあると思うので、ご一考頂ければ幸いです(※28)。

※27:予防接種については、医学的に受ける事も出来ない人(例:妊婦風疹ワクチン)もいるのだから、少なくとも飛沫感染・蚊を媒体にした血液感染系の予防接種医学的に問題が無いなら受けて欲しい。接触型感染である子宮頸がん、みたいな類のワクチン医師家族相談の上自己判断で良いと思うけど、少なくとも不可抗力他人うつしてしま可能性があるならば、皆で予防する、というのは基本的な事ではないか

28:これ、医者に限らず例えばサービス業に対しても同じだと思うのですが。と申し添えておく。お金も払わずサービスだけを求めるのを止めて、サービスに見合った対価を払うか、或いは対価を払いたくないのであればサービス求めないとか。まずは等価交換が基本でしょう?

おわりに

この間、実家に帰ったら父親にぼそりと『(増田)を医学部にやれば良かった』とか言われた。

オメェ、あの時散々反対したじゃねーかよ。と殴ろうかと思ったけどやめた。

属性医者』をようやく辞める事が出来た彼は、ようやく『属性父親』の練習を始めたばかりであり、目下家族との対話練習中なのであり、まだまだ足りない日本語(※29)をフォローし、行間を読む日々は続きそうである

※29:我が父は日本語も下手だし自力で読解出来ない文字を書く為、転々

2018-07-26

就活できる気がしないので死にます

就活うまく行く気がしない。というか、うまくいかない。

死にたい。というか、死んでやる。死ぬさよなら。それくらい辛くて仕方がない。

元々不器用生き方しかできなくて、今までもっとつらいことも沢山あった。

でも、こんなにダメなんだからもう一生ダメなんでしょう。また乗り越えてもきっと同じことを繰り返すだけだ。疲れた

最終選考まで行ったのに不合格だった。

食事会まで行ったのに。ご飯食べながら話すのが苦手で、声は通らないし、うまく話せなくてもどかしかった。もっと話せればよかった。

(落とされた理由はそこじゃないと思うけど)

すごい良い人達だった。

会社の人も、同じ受験者も。

この人達と働けたら幸せだなと思った。一生懸命頑張ろう、って。

けどもう一生会えないし、話すこともない。

作文下手くそだったかな、面接ではうまく言葉が出なかったな、そんな後悔ばかり。

素敵な会社だと思ったし、やっと自分内定が貰えると思ったのに。

友達は全員内定貰ってる。

私だけだ、内定がないのは。みんなが気遣う空気が余計つらい。そのまま酸素がなくなって死んじゃえば良いのに。私なんて。

せめて、大学卒業はしたい。ここまでお金かけて育ててくれた両親に申し訳なさすぎる。どうせ死ぬならキリよく死ぬ

卒論書いて卒業式出たタイミングあたりがベスト。でも待ちきれなかったら年内。

タイトル通りじゃなくてごめんな。でも、あと1年後にはもういないので。必ずいないので。

その時気が変わるとかもない。気が変わらないように書き込んでおく。

あとやる時はちゃん迷惑かけないように自分でやるし、残された人達が不便になるようなことはしない。

この一年荷物とかも片付ける。穏便に死ぬ。なのでその点は安心してください

死にたいと思っても何回も踏みとどまってきた。でももう踏みとどまる理由はない。

だって生きててもどうせつらいもん。

面接ありがとうございました。

おかげで踏ん切りがつきました。良かったです。

2018-07-25

高校モンジャラと呼ばれていた女性モテモテになってた話

タイトル通り。

から十数年前、俺がまだ高校生だった時。ちょうど秋葉原とかがテレビにでてきてオタクブームにわかに騒がれていた時期。

3年間同じクラスにいた、言葉オブラートに包んで言えばふくよかで、少し暗めの女の子がいた。

彼女ヤンキーからモンジャラ」と隠れて呼ばれていた。まぁ、これでだいたい想像つくだろう。

 

そんな彼女が3年生のときクラスの真面目で趣味ランニング体幹トレーニングという柔道部キャプテンと付き合いだした。

誰もが驚いたが、彼女モンジャラと呼ばれていた原因の髪の毛をばっさりと切りショートになって、普通の真面目な女性(お硬い)ぐらいにまでなって卒業式を迎えた。

そこから自分地元の県を出たのだが、20歳成人式+同窓会に行くと、もうモンジャラと呼ばれていた彼女はそこにいなくて髪を茶色に染めた量産型大学生女子になって彼女がいた。

その時点でびっくりしたんだけど、その時はまだ元柔道部キャプテンと付き合っていたらしく、相変わらずだなという感じで終わった。

そのまま県を離れたところで就職して、地元にはお盆正月ぐらいしか帰らない人間となったんだが、24歳の時に元柔道部キャプテンと、元モンジャラ結婚するということで、結婚式に出席して、「は~、高校1年の頃の面影が全くねぇなぁ」と思いながら祝福をしたのを思い出す。

 

事件はその結婚から2年後に発生する。

柔道部キャプテンから離婚した」とメールが届いた。

原因は、元モンジャラが元柔道部キャプテン以外にも2人の男性交際をしていたことが発覚したからだ。

一人は、元モンジャラ職場上司、もう一人は元モンジャラ大学の頃の友人だという。

もうびっくりしたのね。元柔道部と一緒に酒を飲むと「俺には彼女しかいねぇのに」とワンワン泣いてた。

自分も、高校1年の時の彼女をみているから、まさか彼女浮気?、まぁ、成人式とき彼女を見ればそこそこ可愛いからからなくはないが…と思いながら聞いていた。

 

ここから予測になるけど、多分、自信がついたんだと思う。彼氏ができて。

柔道部キャプテンは細マッチョなんかじゃなくてゴリゴリマッチョで、中性的イケメンなわけじゃなくてまさに「漢」って顔のゴリマッチョだ。

中学校からの付き合いだけど、まぁムードメーカーで一人でいる人に積極的に声をかけてグループに入れてくるそういうナイスガイから女性からも好かれていたとは思う。

そんな男と付き合いだしたから、だんだん自信がついてきて、しかも何やっても褒めてくれるような男が相手からドンドン変わっていったのかな。

そして、大学生デビューもついた自信のおかげでしっかりできて、社会人になってもイケイケだったのだろう。

柔道部キャプテン彼女を愛したがあまりに、浮気の原因を作るとは…皮肉ものである

2018-07-20

最高裁裁判長メモ

山口厚裁判長

卒業式などの君が代斉唱時に起立しなかったことを理由退職後の再雇用拒否されたのは不当として、東京都高校の元教員ら26人が都に損害賠償を求めた訴訟上告審判決で、最高裁第1小法廷山口厚裁判長)は19日、都に賠償を命じた一、二審判決を取り消し、請求棄却した。元教員側の逆転敗訴が確定した。



林景一裁判長

NHKから20年間受信料請求されなかった場合時効で支払い義務消滅するかどうかが争われた訴訟上告審判決で、最高裁第3小法廷(林景一裁判長)は17日、「消滅しない」との初判断を示した。

2018-07-19

当たり前だと思っていたことができない

幼い頃、両親が自分たち姉妹を育ててくれたこ

周りの大人たちが子供を育てていたこ

20代になり地元の友人たちから順に結婚して出産したこと

30代になり2人目、3人目を産み育てる友人もいること

会社の後輩が結婚して産休育休を取っていること

自分もいつか歳をとって当たり前にできると思ったことは30を過ぎてもできていない

うちは籍は入れていないが一つ屋根の下を同世帯と見るならば世帯年収は1200〜1300万ほどある

それでも結婚式を挙げて子どもを産んで育ててというお金が足りないのでは無いか不安に思う

それは相手も同じでもし入籍しても式を挙げないでおこうねとか

子どもは厳しいよね…この仕事自分時間全く無いしね

かと言って辞めたりパートにすると一気に辛くなるよねという話をよくする

また保育園に入れられなかったらどうなる?親は新幹線で数時間距離にいて頼れないし…などなど

周りもきっとそういう不安はあるにはあるんだろうけど普通に子育てしてるように見える

どうやったら思いきれるのか?割り切れるのか?

どこかで見た考え込む前に若いうちに結婚出産しておけはその通りだなぁと思う

実家貧乏劣等感を抱きながら生きてきてしまたか

お金が無い足りないという状態が耐えられないのかもしれない

七五三成人式着物大学卒業式の袴も自分には無かったからな

2018-07-15

豪雨災害について、書きなぐり

2011年3月に、大阪大学で行われた卒業式において、

当時、学長であった哲学者鷲田清一教授は、一通りの -文字数として数えると

240文字ほどの祝辞をを述べた後、

「途方もない災害が起こってしまいました」

との言葉で、卒業式スピーチをはじめました。

原発問題の有無や、テレビ流れる「亡くなった方」の数字の桁こそ違えど、

豪雨災害としては、「未曽有の」災害であった点、そして

これから対策根本的に見直さなければいけないという点、

そしてなにより、

近しい人を亡くされた痛切さが伝わってくるという点で、

今回の2018年7月豪雨、ぼくは、3.11と同質のものを感じています

また、途方もない災害が起こってしまいました。

今回の豪雨、ぼくは降水量としては3番目に多かった神戸に住んでおり

かにいままでにない雨の降りかたでした。

加えて、徒歩にして500mほどの場所土砂崩れが発生していましたが、

それでも、「災害に巻きこまれつつある」という意識希薄でした。

「雨が降っている」というのは日常範囲現象だもんなあ。

NHK広島の人が、こんなことを書いています

広島でも「当事者として行動する」ことは難しかったようです。

被害地域が広域であったこと、下手に現地取材を行えば自身被害者になってしまマスコミリスクに加え、

しかすると「雨の災害」だと、心のどこかでラベリングをしていた(し続けている)人も多くいたんじゃないかなあ。

現在は、豪雨災害ニュース一色、現地から報道ばかり、といった感じですけれど

実際の雨が降っているとき映像は、ほとんどが京都嵐山だったり

神戸大学の裏山のものばかりだった印象です。

それらのニュースをみて感じたことがあったので、書いておきます


取り返しつつあるように、豪雨災害一色となったニュースの中で

「ご家族を亡くされた方」に密着しているものが、目立ちます

家族を亡くしたお父さんの後ろには、画面を通じて確認できただけで

お父さんの後を追うように、20人ぐらいの「マスコミの人」がいました。

よく「心ないマスコミが!」という意見は目にするけれど、ぼくは今回

少し別のことを、その映像から感じました。

「このお父さんは、ひとりでこの時間を過ごすことにならなくてよかったんじゃないか?」

家族を亡くされた苦しみ。

自宅が浸水し、心の支えを失ったなか、  

いったいなにを支えに生活を取り戻していくんでしょう。

想像するだけで胸が引き裂かれそうになるよ。

そんな苦しみと喪失感のなか、あのテレビに写ったお父さんが

「だれにも見向きもされず、ひとり」だったら、どうだったのだろう。

もちろん、痛みから回復過程において、

「ひとりで悼む」という時間は、きっと、必要になるでしょう。

そのような時間が、最初必要なひともいるでしょう。

から一部の人たちから「クソマスコミが!」と呼ばれるのでしょう。

けれど、人間みんなが「苦しみをひとりで耐え忍ぶ」ことをできるように

デザインされているとは思えないのです。

ぼくだったら、どうだろう。

家族を失くし、立ち向かわなければいけない現実は山積み…

そんなときに、それがたとえ気遣いからでの「ひとり」であったとしても

その孤独に耐えきれないのではないか

そんなふうに感じます。きっと気が狂ってしまうよ。

カメラをかつぎ、マイクを握ったマスコミのみなさんではあるけれど、

自分ではない他者」に囲まれながら、

これもまた回復過程において必要な「言葉にする」ことを

きっと、しぼりだすように、されているお父さん。

きっとあの映像を、ぼくらが痛みへの共感を持ちながら

受け止めることができるか、それを試されているんじゃないかなあと思うよ。

ああ、痛い体験ですね。強くなろう。

3.11、多くの人がそうできたように、また今回も。

そう、3.11です。ぼくはニュースで水につかった西日本の街を見るたびに、三陸を思い出します。

みんな、元気かい? ぼくでもそうなんだから、みんなはきっと

ぼく以上に思い出すよなあ。

しんどかったら、テレビ、消していいからな。

逃げているように思わないで。

あれだけの傷をうけてまだ7年です、

「みんなが生活してくれている」それは奇蹟だし、

その事実が、関西を救うよ。もう救われてる。

みんなが絶望していないんだよ。それは、みなさんが、

暮らしている、その事実がおっきいと思うよ。

すっごいワガママを言うと、

笑って生活してくれていたら、もっと勇気づけられる!

「ただ、いてくれること」そのことがどれだけぼくらを救うか。です。

いつもありがとう(^_^)

みなさんがそういてくれるんだもの

きっと、ぼくらにできないはずはない。

なにもできない自分を責めてしまうみんなへ。

大丈夫役割がくるよ。

倉敷市市役所職員友達がいるんだけれど、

もう、寝る暇もなく働いてるって。

いま、できることがある人が、必死にやってくれてるから

そんな皆さんに敬意を持って過ごせたらいいよなあ。

そして、それが原因で心を痛めるかもしれないけれど、

「関心」が向けられていること、

さっきのお父さんの話のように、間違いなく支えになるから

FIGHT BACK!

それぞれの立場で、穏やかに、闘おうな。

みんなの状況が少しでも良くなっていきますように。

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

2018-07-04

無趣味

したいことも欲しいものもない。会いたい人もいない。

捻くれた人、暗い人のように思われるかもしれないけれど、そのような特徴すらない。と思う。

営業職でそれなりに評価されているので(必要がある場合の)対人能力は恐らく普通学生時代は少ないながら友達もいた。

でも休日、家から出られない。したいことがなにもなくて家でスマホをいじり映画を観て過ごす。その映画Netflixが私にすすめるさして興味もないもので、観てすぐストーリーほとんどを忘れる。友人たちと疎遠になっていくのが怖いのに、結婚式の誘いすら断ってしまう。趣味をつくる努力をしてみたけれど熱中できない。

昔々買った服をずっと着ている。食欲もない。お酒も飲まないしたばこも吸わないしギャンブルもしない。恋愛体質でもない。安いアパートに住んで、貯金ばかり増えてなんのために生きているのか分からない、と時々思うけれど、なにか嫌なことがあるわけでも、なにか具体的に変えたいものがあるわけでもない。満足して(しまって)いる。

旅行もしない。人と一緒だとなおさら億劫修学旅行は仮病で休んだ。卒業式の後のパーティー成人式も行かなかった。後悔もしていない。

イベントごとは苦手、人混みも苦手で、でも知らない人と話すのは好き。でも数度会って話すとそれでもうよくなる。友人未満で自然消滅

行けば楽しいかもしれないと思って行った旅行は思っていた通りの楽しさ具合で、早く帰りたいと思った。仕事で行った海外も知り合ったたくさんの人たちも人生観を変えてはくれず、とにかく時間けが過ぎて、なにを得ているのか、なにを得そこねなにを失っているのか、よくわからずに漠然不安不安?退屈?さみしい?と、いつか思うことになる予感で不安

労せずに得られるインプットだけで生きている自分の浅さがいやなのかと考えた。アウトプットするものがなにもない。話したいこと、言いたいことが特にない。語るべき自分がない。

でもじゃあたとえば休日フットサルをするとして、そこでできた仲間が、その時間が、私にとって私のなにになるんだろう。ぜんぜんおもしろいと思わない。なにもそんなにはおもしろくない。

子供用のスピログラフセットを買った。

何度目かの、趣味づくりトライ

ももうすでに、自分幾何学模様を描きたいわけではないことに気づきつつある。

一体なにが好きなんだろう。小学生の頃は父親何気なく口にしただけの「将来の夢」を語って、中学の頃は誰のことも好きになれずつらかった。高校記憶ほとんどない。大学は楽しかったけれど、ずっと一緒にいなくても会えば笑いあって過ごせる「友達」ができて、その関係の気軽さと、学生という身分の気軽さと、それが心地よかったのだと思う。ずっと一緒にいなくてもいい友達とはずっと会わなくてもよくなってしまった。もう学生はいられない。

でも会えば笑いあえる。ときどき誘ってくれるし、友達だと思う。仕事に不満があるわけじゃない。不満さえない。なにもない。

2018-07-01

乙女ゲーム恋愛の役に立つ※自意識及びアイデンティティと折り合いがつく場合に限る

昨日彼氏と別れた。

幸いにも円満に分かれることが出来たのでダメージ

この元彼氏が私の初めての彼氏だったのだが、改めて彼とのやり取りを振り返ると乙女ゲームってリアルでの恋愛の役に立つんだなと感じた。

特に乙女ゲームというものジャンルにもよるけど基本的には出会い交際に焦点が当てられたものが多い。

私は最近乙女ゲームはあまりプレイしていないが、パラメーターをあげて卒業式告白をしてもらうもの新選組隊士恋愛するもの不思議の国に迷い込んでしまものなど、そのあたりの時代の有名どころはだいたいプレイ、ないしは二次創作などを楽しんでいた。

乙女ゲームだけではないが、会話や行動において選択肢を選ぶことで好感度などが変動するというゲームはなんだかんだで実際の人付き合いにも応用できる。

勿論、実際には選択肢存在せず自由相手に話しかけることが出来るためゲームより自由度が高く難易度は上がる。

友人との会話は多岐にわたるが恋愛においてはある程度の

2018-06-24

色々きついモンペ相手に、愚痴吐きと相談

教職なんだけど、ランドイップスってグループの歌が問題になって

クラスの生徒達のスマホを詳しい先生と一緒にチェックする事にした

そしたら何人かスマホに入ってる生徒がいたので、指導の後、

私達の立会の元で曲のデータを消去させ、スマホも一時没収した


そこまでは良いんだけど先週から指導した生徒の親の一人(生徒Tの母)が怒鳴り込んできた

T母と私、副担任データを実際に消した若い先生と一緒に話し合ったんだけど、

話し合いが平行線で埒が明きません

A母は

・正直ランドイップスはどこが良いかからないが娘が好きなグループとは知ってる、

データを消したのはやり過ぎだし謝罪しろ

・(他の曲も消されたらしく)借りたCDデータもある為、再度借りる費用を弁償しろ

・せめてスマホは返却しろ、代えのスマホ買うにもお金がかかるし手続きも面倒だ

・いちいち誰が何を聞いてるかに学校が口出すな!

乱暴な形でいい、私達は冷静に

歌謡曲とは言えそのグループの歌には内容に問題がある、生徒には聞かせられない

上記の旨は生徒指導の一貫として集会でもちゃん指導済、その時点で消さない事がおかし

指導の一貫なので基本的金銭的なやり取りは出来ない

スマホは防犯の為に持たせていたが、そもそも学校校則として「携帯持ち込み禁止とある

校則に従うのであればスマホの返却は在学中は難しいかもしれない…

そうなれば卒業式の翌日に返却する予定だ

と言ったのですが、話し合いは不調に終わり、その後も電話等で対応する事もあり

ストレス不眠症が再発してしまいました…

そして今週末も土曜日なのに話し合いの為、学校に行かなくてはならず、

予定も狂って子供にも謝ったりしてクタクタです

私は一体どうすれば良かったんでしょうか?

学校方針に従わず、見て見ぬふりをすれば良かったのか…

2018-06-19

はてなって

卒業式で一回も泣いたことがない人多そう。俺もやけど。

2018-06-14

anond:20180613231212

儀式儀礼は状況を受容するための伝統技法だよ

冠婚葬祭など大きな状況変化には、相応の大きな儀式が行われるのはそれ

歓送迎会入学式卒業式なんかもそういった儀式一種

茶番感を覚えて嫌がる奴がいるのは当然だ、意味はないからね

ただこれ、組織への異分子の混入の予防という意味では、割と効率が良いんだよ

これに従えない奴は、日ごろの上下関係や横の繋がりにもドライで、ともすれば反抗的になりがちだから

から、従わない奴がいるのは、儀式としては成功なんだよ

そいつ排除すれば組織が安定するって分かるから

2018-06-12

anond:20180612122604

俺が通った田舎公立小学校入学式卒業式国歌斉唱しなかった。国旗も端っこに下がってただけだった。

ところが自分卒業式君が代を歌うことになって、そこで初めて練習したんだ。歌詞意味解説する時間もあったりして。子供ながらに何だか大変なことが起きているみたいだ、と感じた。

で、卒業式当日、いつもはそこにない日の丸体育館ステージのど真ん中にデーンと掲揚されててビックリした。

いつもより心なしか厳粛に式が始まって、いよいよ君が代斉唱。ところがここで体育館の後ろの方からハンターイ!とか叫んでるオッサンやらババアが湧いて出てきて、これまたどこから湧いてきたのか警察官がそれを静止していた。

騒ぎは一瞬の出来事だったので、そのまま式は時間通りに終わったんだけど、なんだか大変な卒業式だったと記憶している。

ま、そういう地域もあったんだぜ。

2018-06-11

親に愛されたかった

虐待を受けて育ったわけではないが、親が私に対して愛情があるか懐疑的だった。

子供の頃から親に嫌われまいと振る舞っていたような気がする。心配させまいと我慢した。

それがいつしか、親に相談はできないに変わっていた。勇気を出して相談したことを無碍にされたからだと思う。

服の趣味バカにされた。自分お小遣いで買った服を見て、私の母は激怒しそのままその服を服屋に返した。

今ならこれが毒親だと分かる。

父は自営業をしていた。稼ぎはよくなく、毎日不景気から」と言っていた。

その割には毎晩よそで酒を飲みに行っていた。家庭から逃げ、お酒依存していた。

父との思い出は少ない。父親らしいことをしてもらった覚えもない。

キャッチボールや、就職相談や、成人式卒業式に何かをもらったこともない。

たまに電話したときに「さみしいなぁ」とボヤくような父だった。

私はそれがたまらなく嫌だった。

社会人になって数年が経ち、私はいつも虚無感に悩まされていた。

何をしても虚しく、心が動くことがなかった。恋人がいたときもあったが、どうしても愛し続けることができなかった。

そもそも私は自分も含め、愛することができないのではないだろうか。

結局、私は親に対して絶望し、縁を切ることになったのだが。

たまにふと、親に愛されたかったと思っては涙が出る。

もう限界なのかもしれない。

2018-06-09

ルピー炎上について

TBSラジオ荻上チキSession-22」の、6/7放送分のアーカイブを聞いて、同じTBSラジオの「アルコ&ピースD.C.GARAGE」が炎上していることを知る。

ルピーラジオANN時代から、「不要な奴をあえて主人公にする」「半端なやつにこそ価値がある」っていうような企画をやってきた。今回は(勝手に)「不要」と見なした相手全然半端ではない、マーベル黒人ヒスパニック歴史を背負ったヒーローだった。そこを配慮せずに企画を発信してしまった「アルコ&ピースD.C.GARAGE」は、見識の浅さを批判されてしかるべきだろうと思う。全体的に、私もSession-22の荻上さんに同意だ。

という前提の上で、アルピーの一ラジオリスナーとして、アルピーラジオ文脈的ものを知ってほしいという気持ちもある。上にも書いたが、アルピーラジオは、ANN時代(=2012から2016までやってたアルコ&ピースオールナイトニッポン時代からずっと不要な奴を主人公祭り上げるという企画をやってきた。

ANNの「平甲子園」とかそうだった。平甲子園は、「我こそは不要」というリスナーを募って、野球チームを作ろうという企画

友達がいないから、教室地図帳の日本地図県境をずっとなぞっている。日本はすぐになぞり終わったか世界地図に移行した。

PTA副会長だけど、ぜんぜん意見が取り入れられない。私がいなくても行事会議も滞りなく進む。絶対私は必要ない。

卒業式サプライズで、クラスメイト担任先生が好きな歌を届けるという企画をしていたが、自分だけ知らされていなくて、一人だけ歌詞カードを持たずに俯いていた。

など、何か聞いてて涙が出てきそうなエピソードが集まり、数ある不要エピソードから選りすぐられたリスナーが、野球チームを結成。最終的に、このチームは甲子園を飛び越えてメジャーリーグレッドソックスと対戦し、「不要なやつなんていない」ということを証明する。

ルピーラジオには「何者でもない不要な奴」を敢えて中心に据える企画を打ち、アルピーの二人の演技力トークで「何者でもない」やつを「何者か」にしてしまう。という流れがある。

ルピーラジオは、学校でいうと、スクールカースト上位にはいられない、成績もよくない、オタクマニアというほど何かを極めたわけでもない、中途半端で居場所のない人を主人公にする。みたいなことをずっとやってきた。

から、今回も、「キャプテン」ではなくて、「キャプテンには内緒だぞ」というファルコンに価値が見出されたのだ。

ルピーラジオを聞いていると、端々に、学校の成績は悪くていじめられっ子だった平子っち、ガチ川崎ヤンキーには逆らえない酒井ちゃん、みたいな、「何者にもなれなかったアルピー二人の学生時代エピソードが出てくる。アルピーラジオには、パーソナリティ二人の、「男社会の中で男らしさを達成できなかった自分」みたいなものが流れていて、半端者たちがこのラジオに集う。佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』の主人公――大学を休学してコンビニアルバイトをする行き場を失くした青年――も、その一人だった。

このような背景があるからこそ、酒井ちゃんも「キャプテンには内緒だぞ」なファルコンを好きになったんだろう。

Twitterのアルピーファンが指摘しているように、DCGではここ最近、ずっとファルコンの話をしていた。酒井ちゃんは同じTBS放送しているうしろシティラジオゲスト出演した時すらファルコンの話を持ち出した。この回で、酒井ちゃんは、キャプテンアメリカ好きの金子さん(うしろシティ)に「キャプテンよりもファルコンがいいんだって!」と主張し続けている。酒井ちゃんがファルコンを好きなのは確かだ。

しかし、アルピーラジオにおいては、「不要さ」こそが「主人公」の証となる。この文脈炎上に繋がった。

かに、アルピーのファルコン理解めっちゃ「浅い」。マーベルを深く掘るでもなく、歴史的な文脈を踏まえて映画を見るような「見識」もない。

マーベルとかよく分かんないけど、この映画マジおもしれえ!

黒人歴史とかよく分かんないけど、ファルコン、マジおいしいキャラじゃん!

みたいなノリしかない。だから、今回の炎上はなるべくしてなったと思う。でも、そういう軽くて半端なノリこそが、リスナーの居場所でもあった。アルピーラジオ学校の端っこでノリで話してたことが日本中、世界中に発信されてしまったみたいなところがあり、アルピーリスナーも「そういうつもりじゃない」と言いたいだろう。

だけど、パロディするなら、原作文脈に乗るのは当然であって、怒っている人たちに「そういうつもりじゃない」と言ったって、自分からその文脈に乗りに行ったのだから言い訳しようがない。アルピーにはアルピー文脈があるように……いや、それ以上に、遙かに長く、ファルコンにはファルコンが切り開いてきた文脈歴史がある。だから炎上させてしまった側から、「そういうつもりじゃねえんだよ」と言うようなものではない。指摘は真摯に受け取るべきだろう。

私は、「半端なやつ」と思って企画ネタにしようとしていた相手が大ヒーローだった、というこの滑稽さにこそ、アルピーDCGらしさを感じる。

ラジオ時代を作ってきたアルピー。アルピーらしさを持ってきっちり片を付けて、SWやり切ってほしいなと思う。

厄介なおたく自己満

推しさんのラババンが増えた。

1月くらいから。

前にも緑が増えたけど気づいたらなくなってて

まぁちぎれたかなくしたかでしょって思ってんだけど

ラババンが2つになってから約4ヶ月

ついに初代の黒いやつがいなくなった

これはいよいよ新参の白色さんを買わねばならなくなったようで

別に買わなくてもいいし

なんでもおそろいにすんな気持ち悪いって思われる普通感覚の人もいるだろうけど

当方おたくなもんで推しと揃えられるなら揃えたいんだよばかーーーーー

じゃあなんで1月に買わなかったんだ

2つともお揃いにしなかったんだ

それは本題の筋になるので

これからその話と

いよいよ白色を買わねばならなくなったわたしによる、わたしのための、独り言しま

注意書きしとくと

以下全てどんちくしょうに頭がかたいおたく個人の考えですので、この推しさんや、推しさんのいるバンドや、そのファンの方方とはいっさーーーーい関係ないので、「なんだこいつうざいわ〜」とかなっても、その矛先を向けるのはわたしだけにしてください。

まず、なんで買ってないかという話

1月に新たなラババンを視認

バラード中に推しの手首をガン見し

NBC作戦」を把握後日特定

さ、買っちゃお〜となるところで

デザインをよくよく見ると

え、これ、ガチのヤツやん(語彙力)

なんかこう、今までのライブハウス作戦よりこう、ガチよりのガチなやつやん(語彙力)

え、これ、そんな、推しとおそろーーーいキャピみたいなノリで買っていいやつ?

いや、だめじゃね?

といわけで、黒と(いつの間にかいなくなっていた)緑とは違ってファッショナブルではないと感じられた、結構重めの感じに圧倒されたわたしは買いませんでした。買えませんでした。

こう、ノリでぴゃーーーっとつけていいもんでもないなぁと思ってしまったので。

否、きっと黒も緑もそうだったんだろうけど、そのファッショナブルから、考えることを避けてきたんだなわたしは。

しかし、やっぱいうてもただのお揃いにしたいおたくなので事情が変わると変わりますわ。

黒いやつどこいったん?推しさん?

ちぎれたのか、なくしたのか、つける気がなくなったのか、知らんですけど、おたくにとって大切なのは「白色だけになってしまった」という事実

買わなきゃ。

でも上記のように何も考えずにお揃いという目的のみでつけてしまう事に引っかかりを覚えてしまった。

そもそも推しさんはどっかで

普通の人よりも少しばかり知名度はある自分が、このラババンをすることで、知ってる人が増えればいいなって考えてる

的なことを言ってなかっただろうか。

これはちょっと幻かもしれんけど。

知ってるって、単純に知ってるだけでいいのか。

少しは考えてみることも必要ではないのか。

というわけで、白色ラババンさんのことについて考え、ここに書き出すことで、わたしが白色を買って、お揃い〜〜と浮かれぽんちにラババンをつけていくことを許されたいと思った次第。

視認した限りでは

3.11から被災地自立支援ってことなのかな。

かーーーるくわたし3.11を振り返ると

中2の3月付属高校卒業式わたしは家にいて、生まれて初めて起震車以外で経験した揺れに泣きながら机の下に入ってたのはなんとなく覚えてる

反射的に入れるようになる防災教育すごいなやっぱ

んまぁ揺れた揺れたといっても東京の西の方だし、本棚とか食器棚は詰まりすぎてて落ちることも割れることもなく、水槽の水が溢れるくらいで、家族もすーぐ帰ってきたし、すんげえ揺れたわ以外はなーーーんにも変わらなかった

でも、ニュース見れば、大変なことなってるし、たくさんたくさんこわい思いして生きてる人亡くなってしまった人いるんだなぁと思い

はい、そして、現在だよ。7年たった。

え?それだけ?何もしてないの?って

してないよ。

大変なんだなぁ大変そうだなぁ

こわかったんだろうなぁ

そんなことを思ってただけの7年よ。

ボランティアもいってないし、この先行くか行かないかと言われれば9.5割行かないだろうし

寄付も〜してきなよって言われたら〜とかなんとなくお財布の中で半端にいる小銭はちゃりんとするくらいよ

これはただの言い訳しかならない

だって行ってる人がやってる人が1番正しいきっと

そこに暮らし続けてる人が1番偉いもん

でもさわたしわたしを生きるのに割りと必死というかそんな気を回せないよね

から身をもって分かってないことに自分の手と時間を使えないんだよね

娯楽の時間を削ればいいじゃんてまぁそうなんだけど

削れる人が削ればいいじゃんって思ってしまうからわたしは。

行きたい人がやりたい人が、行けばやればいいじゃん?って思ってしまうよ。

あとはさ、これはほんとにただのひねくれた考えなんだけど、

自分学習のために”とか“人生経験のために”とかそういうので手を出すのは違くない??って思っちゃうから

お前の学習人生経験のために被災地被災地になったわけではない人もまた然り。って思っちゃうから

ただただ、出来ることがあるならやりたいっていう思いの人だけがやってくれと思うんだよ。

ま、そんなん言ってないで手を貸せという話かもなんですけど。

こういう、考えと姿勢と何もしてこなかった過去があるからきっと白色を買うの躊躇ったんだな。

そんで、自立支援という話に戻ると、

わたしも、年齢的に来年には社会人になるので、そういった部分に直接的にも間接的にも関われる機会というのは今よりも格段に多くなるんでしょう

それに、昨今ニュースを見ていて、被災地に限らず、自立したいけどできないみたいな現場をみて、どうにかしてどうにかすることはできないの?という風に考えることもできるようになったのでわたしが、

ちゃんと考えてみようかなと思います

と、なるとやっぱ行政に関わるのがはやそうなんだけど、わたし就職先なんっっも関係なくて笑えてきた

まー「住」には関わるお仕事だしどっかで関われるのかな

とりあえずはやっぱり自立支援の微々たる足しにしかならないけど、ちゃりんとすることくらいしか今はできないのかもね

ちょっと今月はドリンク代がすでに支払えるのか分からないので、道のりは遠いっすね。

ま、こんなか。思ったより長くなったけど

これは読んでもらうとか発信するとかではなく、わたしわたしを許すための記録だからおっけーおっけー

よーーーーしじゃあ

給料はいったら

買ってきまーーーーーーーす!!!!!!

2018-05-30

不安で…セックスがやめられない

ふふふ・・・セックス・・・セックス・・・みんなセックスし続けろ。激しく。もっと激しく。

ペニスヴァギナを擦り合って、愛液と精液を混ぜあって、肉と肉がとろけ合うまで、交わり続けろ!

いずれは学校中の生徒も参加させてやる。善人面した教師たちもだ。

そうだ卒業式が良い。式が始まり、全員が講堂に集まった時、僕が電波を送ってやる。

学校中の女たちの穴という穴すべてに、精液を流し込んでやる。

校長教頭も、皆家畜のように善がらせて可愛い教え子たちの膣にペニスをぶち込むのさ!

学校の次は、この町全てを巻き込んでやる。ただすれ違っただけの見ず知らずな奴ら同士をいきなりセックスさせてやる。

たとえそれが、親子であろうと、兄弟であろうと、女同士だろうと、男同士だろうと、子供だろうと、老人だろうと、赤ん坊だろうと。

全員のこらず性器を結合させて、愛液と精液にまみれさせてやる。

・・・セックス・・セックス・・・セックス・・どいつもこいつもセックスさせてやる。

膣やペニスが擦り切れて、血まみれになっても、腰を振り続けさせてやる。

血と精液と愛液にまみれながら・・・

喉が渇けばそれを啜らせ、腹が減ったら互いの肉を噛みちぎらせる。そして永遠続けさせてやる。セックス・・・

くくく・・・セックスだ。 

 

セックス セックス セックス セックス セックスセックスセックスセックスセックスセックスセックスセックス

僕は・・・正常だよ

2018-05-28

anond:20180527212910

毎年やってるなら情報仕入れとけ。卒業式でよくわかんない台詞言ったりするみたいな、一種茶番劇だろう。

結果的にドッキリになってしまたかもしれんがやってる方は伝統劇のつもりだと思うので、いじめだとは思わない。ナマハゲみたいなもの

はい時代遅れバカらしい伝統だという意見には同意する。わざわざ増田に書く気力があるのなら最上級生になったとき廃止を提起してはどうか。

2018-05-20

「許されるかどうか」という基準で服や髪を考えるようになってから、欲しい服もしたい髪型もなくなってしまった。

ただ毎日、生きるために生きている。

目的がないので求めるものもなく、誰かの人生物語客観的に見ているような感じ。

いつから虚無ってきたのかな〜と考えたけど分からなくて、でも確かに言えることは、まだ私は自分の中で高校卒業式を終えることが出来ていないということだ。

あの「教室」という閉ざされた空間に取り残されている。

いつになったらあそこから卒業して、大学を出て、大人になれるのだろうか。

実際にはもう「大人」なのに。

当たり前のように子供卒業して、大人として真っ当に生きている大多数の人間が眩しい。

子供の頃思い描いていた大人には、なれなかったよ。

2018-05-12

可哀想だね

卒業式が終わり、アメリカ人がいなくなった寮の部屋

その日を境に日本人中国人が共有スペースに集まってくる

そこまでは全く問題ない

夜9時ごろ、中国人訛りの「死ねー!」が2回、部屋中に響き渡る

その横では笑い方の気持ち悪い日本人のウヒヒヒという笑い声(本当に気持ちが悪い)

この部屋内で過ごしている人に向かって叫んでいるのは明確である

そしてそれを言わせているのは日本人ということも分かる

どうしてそういうことが出来るのか、わたしには理解ができない

そして逆に、なぜアジア人しかいない時にしかそういうことをしないのだろうかと思う

最初の状況でできないのであれば、それを後からやっても小さい人間なのは明らかだと思う

2018-05-09

ただの絵の描けないひがみ。

中学生の頃、絵を描く仕事に就きたいと考えて、高校美術科のある高校へ通った。一時期は絵の予備校にも通っていたし、高校の授業外の絵の講習も3年間行って、課外でもみっちり描いてきて、今、美大に通っている。

高校の時、天才と呼べる友人に出会った。

高校一年出会った時、既に私よりずっとイラストも、デッサンも上手かった。

魅力がある絵とは、この事なのか、と思った。

私が見ても、なんとなく形がズレていたり、プロポーションおかしいことはあったが、そのズレや歪みすら、魅力的に見えた。

彼女は間違いなく、将来的に名の知れた絵描きになると思う。

彼女とは約2年半仲良くしていた。

精力的に絵を描いて、絵に関する努力努力と思わず、全力で楽しんで制作している姿を私は間近で見ていた。

しかしながら、私は仲良くする反面、なんとなく僻んでもいた。努力を苦と感じず、グイグイ絵にのめりこめるその才能が、欲しかった。

私は高校の同学年の中ではよく言って中の上レベルの実力しかなかった。

自分では、しっかり頑張っているつもりだったし、なんなら彼女と同じ練習メニューをこなしてもいた。それでも足りなかった。

周りはみんなコンクールで賞を取る中、私は3年間一度も、何の賞も得られなかった。

コンクール搬入手伝いと、作品選考手伝いをした後、私の作品落選と分かり、先生からかけられた「頑張ったね」の言葉が重かったし、悔しかった。

そんな中、彼女は一番高いレベルの賞を取っていた。

自分自分のペースで、と思いつつも、近くにいる天才の力を感じずにはいられず、焦ってばかりいた。

今も、焦っている。

私が大学で、迷って、悩んで描いている間も、多分彼女進化しているし、何かしらのアクションをしている。

私はというと、この一年、新しい環境に疲れ切ってしまって、制作に身が入らなかった。

夢に向かって邁進する彼女と、同じところをぐるぐるずっと回って迷っている私。

このままではダメだと何度も思って焦った。

彼女とは、三年の夏頃からまりさなくなった。なんとなく、合わなくなったのでお互い離れたという感じだった。

合わなくなった理由としては、多分受験だろうと思う。それだけとも言い切れないが。

彼女国内で一番難関の国立美大を目指していたので、春の一般受験まで気が抜けない状態だった。

対して私は比較的難関と言われる私大を秋の推薦で受けるつもりでいた。

この頃から、なんとなく、絵に対するモチベーションや、考え方が合わなくなったのだと思う。お互いに、それは違うんじゃないの?と、思うことが多くなった気がする。

私は推薦入試で、なんとか合格を勝ち取れた。クラスの他の推薦組も、殆ど合格していた。

そこから、なんとなくクラス雰囲気がぐだっとし始めた。

それを感じ始めた彼女は、余裕がないのもあって、一般入試を控えた人達と推薦入試批判し始めた。

噂で聞いただけなので、本当に批判を言っていたのかどうかは定かではないが、彼女の放つ雰囲気でなんとなくそう言いたいのは私にもわかった。

推薦で楽して受かる貴方達と私は違う、と言いたげな態度を取られた。

私の主観なので、なんとも言えないが。

私は、行きたい大学に行くチャンスが増える、という理由で受けた推薦入試批判される筋合いは無かったし、受かったあとの過ごし方をとやかく言われる筋合いも無かった。推薦には、推薦の大変さがあった。推薦も、一般も、自分の決めた道だ。

彼女とは卒業式前に顔を合わせてから今まで、一度も会っていないが、浪人したらしいと風の噂で聞いた。

彼女の絵は、私も好きなので、頑張って欲しいと影ながら思っている。

多分、これから先も、彼女より魅力的で上手い絵を描く人とは出会わないと思うし、心から尊敬している。頑張ってほしい。

出会ってからずっと、彼女背中を追いかけたり、彼女自分を比べて苦しんだりしたが、もう踏ん切りをつけたいと思って、気持ちを整理するという意味で、この文章を書いた。

これから私は、彼女の歩いた道をあとからいかけるのではなく、私の道を歩く。私にしか描けない作品を楽しく描いていく。そう決めた。

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