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はてなキーワード: 主権とは

2016-07-06

自民党改憲案まだ読んでないけど選挙行くし自民以外のどっかに入れる

http://anond.hatelabo.jp/20160705213710

たぶん共産党あたりかな。「共産党に入れるとかアホか」?アホかもしれないけど自民に入れるよりマシだと思う。

イギリス離脱みたいにまかり間違って政権取っても、それはそれでいんじゃない?

だって自民に入れてもダメじゃん。何も変わらないじゃん。

保育園やす気もなけりゃブラック企業淘汰する気も五輪裏金問題どうにかする気もないじゃん。

憲法の書き換え案も無茶苦茶国民主権だの基本的人権だの鼻紙以下にする気だって評判だし。ナチじゃんマジで。「やる夫はフューラーになるようです」超面白かったけど再来は御免よ。

逆に自民に入れる人は何期待してるの?現状維持のつもりなの?

もうこの国は衰退決定なんだよ。なのに何にも対策しない自民に入れてて、維持されるものって何?

何も維持されないよ。

だって明らか維持する気ないじゃん、自民

衰退に向かうスピードさえ維持されないよ。むしろ加速するよ。少子高齢化なのに労働環境変わらないとか、もう基本的なとこでダメなんだもん。そのうち残業代だって合法的に0円に持ってくんでしょ?

格差だって維持はされない。開きは大きくなる。

やってらんないしょ。支持者はマジで何で自民に入れんの?

2016-07-05

改憲1点で反対ならそれには国民投票必要からピンポイント却下できるよね

国民愚民であるからして、(国民投票などという)主権行使させる機会を与えるべきではない。

2016-06-24

イギリスEU離脱についてのある反応についての

twitterから名前は伏せます


英国EU離脱現実になるからには、トランプ大統領もありえないわけではないというね。20世紀を経ても、民心は賢く洗練されたわけではなかったわけだ。反動の世紀キタ!って感じ。


この人に限ったわけではないけれど、「賢い民衆」とはなんなんだろうね。

経済的に踏みにじられて深く絶望し、まるで自分たちがいないものとして扱われ、そんななかでせめて「移民ブロック」や「自分たちの国の主権」という幻想にすがりつくしかないような人々がどうしたら「賢い」振る舞いができるだろうか?

「愚かな」選択をしたらそりゃあ経済がどん底になるかもしれないが、彼等は既にどん底にいるんだ。

「賢い」選択をして富裕層ますます富ませてやる義理がどこにあるんだろう? そいつらが豊かになったとしても自分たちはどんどん苦しくなっていくだけなのに?


EU離脱を支持した70%(投票率)中の52パーセントの人々は、なにも全員がレイシストなわけでもない。

自分たち選択薔薇色の未来のもたらしてくれていると心底信じているわけでもない。

イギリスEU離脱は高度に成熟した新自由主義経済がひきおこした絶望の発作だ。

イギリスアメリカで最良とされている資本主義思想は、自国破滅に追いやるほど民主主義との食合せが最悪だ。


どうして彼等は「賢く」「洗練」されていないんだ?

それは「賢く」「洗練」された教育を受けるだけのカネがなかったからだ。

「賢く」「洗練」されていない場所で生きるしかいからだ。

グローバルエリート気取りがこうした人々を視野狭窄教養もなければ判断力もないレイシスト貧乏白人と蔑みつづけるかぎり、この種の絶望はこれから世界を分断しつづける。

2016-06-19

memo

2016/06/18日経より

2016参院選 各党の公約

民進党

2016-05-18

はてブ植民地デマを飛ばすな

朝鮮植民地ではなかった説について」というページ

  http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html

ホッテントリに入った。

  http://b.hatena.ne.jp/entry/www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html

 

そのあと、はてブでは、これについて批判する意見が多い。「朝鮮植民地だったぞ」というふうに。

しかしこれらの意見は、デマだ。(デマというのは言いすぎかもしれないが、間違った偏った意見であるとは言える。以下で説明する。)

 

記事では

私たちが話を聞いた総督府の元官僚の多くは、自らが悪いことをしたとは考えておらず、むしろ朝鮮のためを思って一生懸命に尽くしたと考えていた。

という話があった。はてブの多くの意見は、この話を批判しているが、これはおかしい。実際、彼ら元官僚は「朝鮮のためを思って一生懸命に尽くした」というつもりだったはずだ。

 

そのことは、朝鮮の歴史を見ればわかる。それまでの封建的社会弾圧されていた一般市民が、日本の支配下に入ることによって、近代化された。そのことで、朝鮮人は非常に幸福になったからだ。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

もちろん、日本朝鮮からいくら収奪した。しかしそれは、収奪だけという方針ではなく、共存共栄の要素を含む収奪だった。その意味で、欧米諸国アフリカにおいてなしたこととはまったく異なる。

特に重要なのは欧米植民地化されなかったのはアジアアフリカ日本だけだったということだ。それゆえ日本戦前において先進国となれた。他の国は植民地化されたまま先進国になれなかった。

  http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/45942286.html

 

日本朝鮮になした植民地化に最もよく似ているのは、米国の対日占領政策だ。ここでは、従来の封建的社会を打破して、民主的社会建設し、日本を真の意味近代化した。その恩恵を今の日本も受けている。もし日本米国占領されなかったら、日本はいまだに軍事政権が続いていたかもしれないのだ。スペインフランコ政権や、韓国朴政権みたいな、軍事政権が続いていたかもしれないのだ。

日本米国占領されて(主権を失って植民地化されて)、それまでの旧弊制度を打破してもらったことで、かえって幸福になった。これと同じようなことが朝鮮においても生じた、と考えていい。

そのことは、植民地化されずに独立している北朝鮮が、どれほど不幸であるかを知れば、わかるだろう。日本占領下の朝鮮の方が、はるか幸福社会だったのだ。もう一度、次のページの写真を見てほしい。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

 

1936年ごろのソウルいかに発展していたことか。これは日本占領の前の土人状態朝鮮とは、大きく異なっていた。

  

参考文書

  http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11331270061.html

  

 

ついでに一言

アフリカの人々は、欧米収奪されて、社会部族を滅茶苦茶に分断されたことに、今でも恨みをもっている。アフリカが今でもひどい混迷にあるのは、欧米植民地政策のせいだ。一方、日本占領下にあったアジア諸国は、欧米植民地状態だったことから脱して、独立して、発展した。

仮に、日本アフリカ植民地化していたら、アフリカ諸国は、今ごろは今のアジアのように発展していただろう。しかし、現実には、そうはならなかった。アフリカ諸国独立したのは、1960年代になってからだった。

  http://bit.ly/1OhZmF5

しかもその独立は、民主化よりも、独裁者誕生をもたらしたことが多かった。それが今日アフリカの混迷につながる。

 

歴史を見れば、以上のように複雑な事情がわかる。「日本植民地化しなければ幸福だった」というのは、ただの歴史音痴無知であるにすぎない。歴史現実というものは、はるかに複雑な事情にあるのだ。単純に割り切ることはできないのだ。

 

2016-05-08

朝鮮植民地だったか? 

朝鮮植民地ではなかった説について」というページ

  http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html

ホッテントリに入った。

ここでは

私たちが話を聞いた総督府の元官僚の多くは、自らが悪いことをしたとは考えておらず、むしろ朝鮮のためを思って一生懸命に尽くしたと考えていた。

という話が批判されているが、これはおかしい。実際、彼らは「朝鮮のためを思って一生懸命に尽くした」というつもりだったはずだ。

 

そのことは、朝鮮の歴史を見ればわかる。それまでの封建的社会弾圧されていた一般市民が、日本の支配下に入ることによって、近代化された。そのことで、朝鮮人は非常に幸福になったからだ。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

もちろん、日本朝鮮からいくら収奪した。しかしそれは、収奪だけという方針ではなく、共存共栄の要素を含む収奪だった。その意味で、欧米諸国アフリカにおいてなしたこととはまったく異なる。

特に重要なのは欧米植民地化されなかったのはアジアアフリカ日本だけだったということだ。それゆえ日本戦前において先進国となれた。他の国は植民地化されたまま先進国になれなかった。

  http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/45942286.html

 

日本朝鮮になした植民地化に最もよく似ているのは、米国の対日占領政策だ。ここでは、従来の封建的社会を打破して、民主的社会建設し、日本を真の意味近代化した。その恩恵を今の日本も受けている。もし日本米国占領されなかったら、日本はいまだに軍事政権が続いていたかもしれないのだ。スペインフランコ政権や、韓国朴政権みたいな、軍事政権が続いていたかもしれないのだ。

日本米国占領されて(主権を失って植民地化されて)、それまでの旧弊制度を打破してもらったことで、かえって幸福になった。これと同じようなことが朝鮮においても生じた、と考えていい。

そのことは、植民地化されずに独立している北朝鮮が、どれほど不幸であるかを知れば、わかるだろう。日本占領下の朝鮮の方が、はるか幸福社会だったのだ。もう一度、次のページの写真を見てほしい。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

 

1936年ごろのソウルいかに発展していたことか。これは日本占領の前の土人状態朝鮮とは、大きく異なっていた。

  

参考文書

  http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11331270061.html

  

 

ついでに一言

アフリカの人々は、欧米収奪されて、社会部族を滅茶苦茶に分断されたことに、今でも恨みをもっている。アフリカが今でもひどい混迷にあるのは、欧米植民地政策のせいだ。一方、日本占領下にあったアジア諸国は、欧米植民地状態だったことから脱して、独立して、発展した。

仮に、日本アフリカ植民地化していたら、アフリカ諸国は、今ごろは今のアジアのように発展していただろう。しかし、現実には、そうはならなかった。アフリカ諸国独立したのは、1960年代になってからだった。

  http://bit.ly/1OhZmF5

しかもその独立は、民主化よりも、独裁者誕生をもたらしたことが多かった。それが今日アフリカの混迷につながる。

 

歴史を見れば、以上のように複雑な事情がわかる。「日本植民地化しなければ幸福だった」というのは、ただの歴史音痴無知であるにすぎない。歴史現実というものは、はるかに複雑な事情にあるのだ。単純に割り切ることはできないのだ。

 

2016-03-30

地方美人は酷い目に遭ってる印象

やっぱ男性主権からか皆仕事を追われたり、酷いストーキングに遭ったりしてるなぁ。

フェイスブック見ても地元美人結婚してるの1人だけだし。

2016-03-08

フェミニズムの簡単な俯瞰

最近フェミニズムまわりがメンドクサソーな展開になるのは外野から全体像が非常に分かりづらいことなんじゃないか?ということを考えてて、

たとえば絵を描くときって全体のあたりから始めて徐々に細部に向かっていくのが普通で、いきなり細部から書き始めると全体がゆがんだものになりがち。

同じようにフェミニズムについても、いきなりアクの強い人の本を読んだり狂ったツイートを見たりを繰り返してるとフェミニズム全体へのイメージがゆがんだものなっちゃうんじゃないか?

あとツイッターなんかでフェミニストを名乗ってるわりに結構フェミニズムについて分かってない人も居るよね?

ということを思ったんで、フェミニズムについてちょびちょび自分なりに調べて俯瞰できるようまとめてみようとしてたんだが

http://anond.hatelabo.jp/20160307231710

急に増田が来たので取り急ぎ便乗公開してみる。

フェミニズムとは

フェミニズムとは女性を様々な抑圧から解放することを目的とした*思想運動*を指す。

女性解放を実現するための考え方や手法問題意識は人によってさまざまであり、衝突し合うものも多いがそれらをまとめて「フェミニズム」と呼ぶ。

18世紀の終わりから始まったフェミニズム最初公的権利の取得のための運動だったが、私的領域も含めより深いレベルでの男女平等を目指すようになった。家父長制を不平等の根源とした考え方が様々な領域適用され、現在性差別以外の問題をも巻き込んだものになっている。

フェミニズムの流れは三つの時期に分けられる。

第一波(ファーストウェーブ

参政権財産権労働権、婚姻など公的権利の獲得という形であらわれた。

第二波(セカンド・ウェーブ

ファーストウェーブ公的権利だけだったのに対し広い範囲における領域平等を追及していった。

特に家父長制という男性主権価値観問題性が広く認識され、様々な領域社会制度規範への批判へと繋がっていった。

また公的領域だけでなく私的領域も扱うようになり、家庭内における性に関する問題などそれまで見えにくかったところまで踏み込んでいった。

第三波(サード・ウェーブ

カンド・ウェーブに加え、人種地域宗教階級階層、性指向など多種多様問題領域を扱うようになった。

カンド・ウェーブを置き換えたわけでなく、扱う範囲や深さを広げたかんじ?

家父長制(Patriarchy)

社会領域政治経済文化、家庭など)における主要な力を男性が持つ社会システム価値観

フェミニズムではジェンダー押し付けものとして扱われる。

最初男性優位主義などの用語が使われていたが、女性を抑圧する側に居るのは男性だけでないし、この構造により抑圧される男性も居ることから Patriarchyが使われるようになった。

フェミニズム流派

あくま思想系統であり、フェミニスト所属するというものではない。あるフェミニストとある派の考え方の多くが同じである場合、その派のフェミニストと呼ばれることがあるだけにすぎない。

発生当時とは社会状況も違っており、現在では初期の考えと大きく違う部分もあると思われる。

ラディカル フェミニズム

カンド・ウェーブ以降の主流となる、家父長制を性差別の根源とみなし社会から家父長制を排除することで差別根本的な改善を目指すフェミニズム

根源を改革するからRadical feminism(根本的なフェミニズム)。

なので関係する問題領域社会全般のはずな気がするが、現代では主に伝統的なジェンダー・ロールや女性性的対象化、家庭内暴力生殖関連、性犯罪を扱ってるのを見かける。

これらの領域に対し政治的プロセスによる改善でなく、規範への疑問を社会に訴えかけることによる改善模索する事が多い。

リベラルフェミニズム

社会が不必要女性能力を低く見積もった制度になってると考え、女性自由な選択や行動のため能力をふるうことのできる平等を重視とするフェミニズム

ファーストウェーブの流れを汲んでる?っぽく、慣習や法による機会の不平等を打破するため、政治的プロセスを介して状況の改善権利獲得を目指す。

法や権利など主に公的形式を扱い、家庭内権威関係など私的な面はあまり扱わない。

機会が平等であれば後は個人の能力次第であるという考えが、他のフェミニズムと衝突することも多い。

マルクス主義フェミニズム

資本主義という制度社会階級対立が、女性の抑圧にも一役買ってると考えるフェミニズムの一派で、主に女性労働問題を焦点とする。

昔は資本主義制度廃止を唱えていたみたいだが、今はどうなんだろ。

家事家族の世話など、家庭内労働への評価の低さを問題視する。

報酬を得るための労働を「生産労働」、家庭内労働など自分たちのためにやる労働を「再生労働」と呼び、再生労働責任を共有し、女性生産労働にかかわることで再生労働価値が適切に判断されるようになると考える。

社会主義フェミニズムソーシャリストフェミニズム

まれ境遇などによって特権を得たり抑圧されたりと人生が変わってしまうことを問題視する。日本米国リベラルというとソーシャルリベラリズムのことを言うと思うが、それに近い考え方。

労働に関するマルクス主義フェミニズムの考え方に、ラディカルフミニズムのジェンダー、家父長制の考え方を組み合わせたもの。ラディカルフミニズムのように家父長制だけでなく経済的性差も重視する。

リベラルフェミニズムとの違いがよく分からないが、調べてると、マルクス主義フェミニズムと一緒に扱ってるサイトが多かった。

ブラックフェミニズム

性差別だけでなく、階級対立性自認人種主義などさまざまな問題は密接な関係であり不可分であると考える一派。

このような考え方をインターセクショナリティという。

カルチュラルフェミニズム

社会女性特性過小評価されてると考え、男女の違いを肯定的評価していこうとするフェミニズム

ラディカルフミニズムから派生したが、対立する見解が多い。

その他

元増田の「フェミニズムとは」の節を読んでちょっと気になったのでメモ

「この人はリベフェミからこの人の言ってることはリベフェミの主張のはずだ」のような考え方をしたのかなと思うのだが、あるフェミニスト発言特定の派の思想内にぴったり収まってるということは少ないので、そういう認識の仕方は危険かなと思った。

はてブ見てて思うのは、どうも偏ったフェミニストばかりを見かけてしまって変なイメージ付いちゃうよなー、ということ。フェミニストはその活動の仕方によって目立つタイプの人とそうでない人とが出てきてしまうし、多くの人にとっては目立つタイプの人が「フェミニスト典型例」となってしまう。

なのでまず「フェミニズムには多様な思想があるし、それらは常に変化している」ということだけ注意しておけば、いらぬいざこざを減らすことができる、、、かもしれない。

2016-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20151229131412

民主主義は、「全ての民に主権が存する」と考えるので、なるべく多くの人の権利を損なわないようにするのが基本。

多数決で決めるのはどうしても折り合わない場合方便で、

それが形骸化してるように見えるから多数決民主主義」というマヌケ勘違いが生まれるのかもしれない。

ブコメトラバ多数だが、多数決で決めたことを絶対正義とするのは民主主義ではなく全体主義

2015-12-14

南斗五車星ラオウとの直接対決回避するべきだった。

注1)北斗の拳ネタバレ有り

注2)再掲

南斗五車星は、全員が全員、なぜかラオウタイマンを張って散っていった。

でもね、と思うわけです。

おまえらのやることはそうじゃねえだろ、と。

ただし、五車星と言っても横の繋がりは薄く、各人自由裁量であったので、組織的な行動には向いていなかった。

そもそも戦意のない者もいた。

五車星が動き出したときにはラオウの遅滞行動が必要で、それに殉じた。

五車星がユリア親衛隊的な性質を強く持つ集団なので、戦略的行動に不向きだった。

まあ、それはわかるんだけどさ。

その上で。

せめて、リハクくらいはもっと根本的な対策を練ってもよかったんではないか。

いや、別に独裁主権保有者を誘き寄せてドカンて戦法も嫌いじゃないけど。

①外部勢力と結ぶ

基本的な話です。

拳王軍が強大だと言っても在野に対抗勢力が全くないわけではありませんでした。

それらをうまく誘導して、拳王軍に向かわせる。

拳王同盟を結成し多正面を強いれば、拳王運用に掛かるストレスは増加します。

収奪地を奪い取る

物語舞台は概ね荒野です。所々に点在する集落からの上がりが軍を養っているとすれば、これらを押さえていけば、自然拳王軍は困窮していきます

食えない軍の末路なんて哀れなものです。瓦解して、いくつかの群盗に化けるでしょう。

ただし、拳王軍の特色として、各地の守備隊の頭には強力な駒を配置している事が多いので、気を付けます

勝てるヤツは潰して、難しければ逃げればよいのです。

補給路を潰す

糧秣の運搬というものはとても難しいものです。

まして荒野の運搬であれば、導線にも自ずと限界が出てきます

ここを襲います

収奪地を押さえることが出来なくても、そこから出る資源拳王軍本営に届けなければ結局は同じ事です。

自然拳王軍は本拠地に戻る事になるでしょう。

④反撃に対して

はいえ、理想通りに事が進む訳ではありません。

お互いに運動戦特化の軍事力であるので、向こうに同じ事をされるとこっちも似たような状況に陥ります

また、補給が困難になり、収奪可能地から余分な収奪を行えば、民意も離れていき、ゲリラ戦の展開は難しくなっていくでしょう。

更に、ラオウという無敵のカードが向こうにはあるのも大きいです。

流浪の将であるユリア率いる五車星は拳王軍の接近を関知し次第逃走を図ればよいのですが、本拠地もつ勢力は、おそらく順繰りに潰されてしまう可能性があります

それはそれ、他人同士の流血は望むところなのですが、規模の小ささから、五車星のみでは収奪地の運営は困難が予想されます

基本的には同盟勢力に運営を任せ、友軍として補給を受ける形になると思いますが、これが困難になるでしょう。

しかし、逆に好機でもあると言えますラオウは唯一無二であるから、同時に二つ以上の場所には存在できません。

ラオウ不在のエリアでは支配域を大幅に広めることでこれに対抗します。

⑤ここまで書いておいてナンだけど

組織運営はとかく面倒なものです。

ラオウが面倒になって拳王軍を解散、ラオウ個人に戻ってケンシロウのように風来坊然として迫ってきたらどうしましょう。

その場合、逃げればよいのです。

情報網もない時代、個人の情報収集能力には限界があります

組織力のないラオウなんてただバカ強いだけの男です。

こちらも地下に潜伏して逃げ回れば遭遇する危険性は低いでしょう。

ラオウ死ぬ

北斗の拳の初回で、同じく風来坊バカ強いケンシロウも水の入手に難儀していました。

ラオウ監視し、行く先の井戸を潰し、集落を焼き払うことで殺せるかもしれません。

しかし、まあでもユリアは君臨したい人じゃないし、勝利条件もないよね。

2015-11-18

FBトップ画像フランス国旗にして応援する気にはなれない件

フェイスブックフランス国旗の色にしてる人たちがいる。

悪いけど賛同できない。

ちょっと話が逸れるが、聞いて欲しい。

キーチ!!」とその続編「キーチVS」っていう漫画

キーチ!!」とその続編「キーチVS」っていう漫画がある。

ネタバレしてしまうと、「キーチ!!」は一人の直情型のコミュ障少年電通によってカリスマにされるまでの話。

少女買春に腹を立てて、少女を買った権力者たちをぶん殴りまくってヒーローになる。

キーチVS」は、在日米軍ひき逃げ大人の事情でうやむやになったことに腹を立て、権力者たちを拉致る話。

在日アメリカ軍司令官経団連会長、前総理大臣拉致監禁やらかし、一転、テロリストとなる。

電通によってカリスマにさせられた彼は、電通によって悪の化身にされる。

富士樹海に逃げ込んだ一味は、アメリカ軍空爆される。

日本国主権無視して、アメリカ富士樹海焼け野原を作り、地上部隊を投入して主犯の主人公銃殺される。

「あやまちは繰り返しません」という平和記念碑が爆撃地に建てられる。

おしまい

というあらすじ。

さすがに、いくらテロリストがいたとしても、日本にいる犯罪者日本警察差し置いて、米軍が始末するっていうのはどうかな?

それも、空爆とかね。

って思った。

でも、今行われてる空爆って、そういうもんじゃなかろうか。

空爆はどういう理屈正当化されるのか?

アメリカフランスシリアに対して宣戦布告しているわけではない。

イスラム国宣戦布告、といっても国として認知してるわけではない。

領土主権国民も認めていない。

あくまシリアの(テロリストがいると思われる)一部地域に対する空爆

考えてもみろよ。

自分の隣に悪い人がいたとする。

それを警察が捕まえにくる。わかる。

軍が捕まえに来る。…わからないでもない。

他国の軍が地上部隊でやってくる。…わからない。

他国の軍が民間人もろとも空から爆撃。…わからない。…わからない。

なりふり構わない行動に出ている相手に対して、なりふり構わない行動で返していいものだろうか。

世の中を変えたかったら、選挙政権をとって、外交努力をして、それでもダメだったらきちんと宣戦布告をして、という正規手続きをしていない敵だからといって、空から爆撃とかそんな非合法手段をとっていいものだろうか。

法治主義VSテロリズム人道主義VSテロリズムであるためには

フランスイスラム国であるべきでも、キリスト教国対イスラム過激派であるべきでもない。

法治国家テロリストであるためには、法に従った行動を取るべきだと思う。

正当な手続きすらとらずに自分たちを爆撃する異国の軍隊は、住民にとってはテロリストしかない。

難民に紛れ込んだのではないか、だから難民を受け付けてはいけない。ということを言う人がいる。

フランスでは非常事態宣言をひかずにもモスクを閉鎖したり出来るように憲法改正したいという。

フランス人100人の命は、何万人もの難民の命より重いのか?

勝手フランスよりアメリカだ。

そもそもは、反米政権は打倒されるべきとして、アサド政権打倒のためにはもISの勢力が増すことはやむなしという姿勢のせいなのは言うまでもない。

アサドイランは仲良し。つまりアメリカの敵。

アサドイランが目の敵にするISは敵の敵だからお目こぼし、という最初理屈から大間違い。

さて、長くなったけど、そんなこんなで、私は加害者を憎み、被害者に同情する。

でも、フランスとかイスラム国とか宗教とか、特定グルーピングで、彼らを支援したり、避難したりはできない。

イスラム教徒でひとまとめにしたり、フランスでひとまとめにするのは、おかしい。

平常運転で、例え殺されようとも、一日一日を秩序のなかで生活すべきだ。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-08-29

みんなで守る

戦争法案って反対してる人がいっぱいいるけど、

安保改正法案憲法違反ってことは、そもそもの

自衛隊自体憲法違反ってことになるわけで、

戦争法案廃止することはつまり自衛隊の廃止になる。

でもって、他の国が日本に攻めてきて、戦争法案反対派

お得意の平和外交がどうしても通用しなくて、

相手がガンガン攻めてくるときは、

自分たち自分の国を守らなきゃいけなくなるんだけど、

そこまで考えて反対しているのかな。

民主主義って要は自分自分の国を守ること。

ギリシア時代では奴隷っていう主権のない人たちを使って、

軍事を代行させていたわけなんだろうけど。いざ戦うってなったら

みんな戦ってたからなぁ。

あいま出てる安保改正法案自体も具体性に欠けてて問題あると思うけど。

2015-07-26

6月23日の、報道ステーションの「日米地位協定」の報道で感じたこと

報道内容についてはこちらを参照してください。

http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=659/episodeID=868159/

>http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=659/episodeID=868159/#23118200>

2004年米軍ヘリ墜落事故、この事故日本主権に大きな疑問を投げかけた。墜落から1時間事故現場大学周辺は米軍により強制封鎖された。報道だけでなく日本当局まで閉めだされた。当時現場にいた浜川消防長は不合理とコメント。今回報道ステーションイタリア取材米軍による事故があったが対応はまったく違った。沖縄の墜落事故で障害になったのは日米地位協定の不平等日米地位協定には米軍の捜索や差し押さえには米軍同意必要規定されている。サンフランシスコ講和条約沖縄は本土から切り離されアメリカ軍政下に。1972年に本土に返還されるが基地は残ったまま。その結果沖縄日米地位協定の不平等に苦しみ続けている。米軍事故を起こしても公務中と判断されれば第一次裁判権は米側にある。民事裁判で訴えた場合米軍責任があっても日本政府賠償金の25%を負担しなくてはいけない。沖縄では先月からきょうまで1ヶ月弱で米兵11名が強盗致傷や飲酒運転などの疑いで逮捕。空を見上げても 不条理は渦巻いている。地位協定により米軍機は日本の航空法の適用外になっている。米軍自由に訓練できるのは沖縄だけでなく日本全国どこでも可能。この後紹介するドイツイタリアでは自由な飛行は許されていない。

この不平等条約改定するために何が必要なのだろうと考えながら報道ステーションを見ていたのですが、

>http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=659/episodeID=868159/#23118386>

イタリアではすべての米軍基地イタリア軍司令官管理下に置かれる。

日本も軍を持って日本軍管理下米軍基地を置けば良いんじゃないのかな?と感じました。

イタリアドイツにおいてこのような問題が発生していない及び解消していて、日本が何故解消できないのかを考えると、最も大きな違いは軍を持っていないことなのではないでしょうか。

米国との不平等関係改善するためにも米国から渡された平和憲法改正して、米国と対等な関係を築くために日本軍を保持して、日本国内米軍基地日本軍管理下に置くことで日米地位協定改定実施できないものでしょうか。

2015-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20150725104828

ここは国民視点問題を話す枝のつもりだったんだけど。

司法観点問題は別の枝で散々話したから、もういいやって感じだったんだけど。

日本国憲法の制定過程大日本帝国憲法の枠内では扱えない。主権を失うとはそういうこと。

http://anond.hatelabo.jp/20150725012257

たぶんこんどこそ最後になるが一つだけ、

他の違いはまあ、おたがい違う人間からそんなもんかという感じ。

2015-07-22

盛り上がっているようで何より

私は自分のことをジョン・スチュワート・ミルに連なる正統的な保守主義者だと思っているので、左翼と言われるのは心外だ。撤回してほしい。残念ながら正当な保守主義者現在日本ではリベラルというレッテルを貼られることが多いので、それなら甘受せざるを得ないかとは思う。

で、沖縄だが、おそらく君より沖縄歴史については詳しい。琉球王国とその前の時代から今までかなり勉強しているし、実際に沖縄戦争経験した人にも話を聞いたことがある。沖縄中国に取られたら、東京にある日本政府にとっては大惨事だし、香港チベットウイグルの状況を見る限り、沖縄の人にとっても悲惨事態であろう。ずっと基地負担に耐えてきてその後中国支配されるとか、どれだけ辛い思いをしなければならないのか。

ただ、沖縄独立が、第二次大戦敗戦匹敵するほどのことか、と言われると、同意できない。南京ホロコーストくらい違う。日本首都他国占領され、天皇生命外国軍事司令官によって左右させられる事態は、日本の歴史上になかった。日本国歴史のうちかなり長い期間独立国でもあった琉球が再独立するのとはわけが違う。

これは話がずれるし、理解してもらえるかわからないが、一応書く。

オイルラインどうこう、という話は、領土統治機構の話に比べると、二次的な重要しか持たない。たしかに、止まったら困るリスクはある。それは、紅海マラッカ海峡インド洋ホルムズ海峡南シナ海東シナ海と一緒だ。どれも日本主権は及ばない。

もしフィリピン現在日本領土だったら、君は、「フィリピン落ちたら、オイルラインどうなると思う?そう、フィリピンが落ちたら、生命である原油輸入ラインが止まるんだよ。」と言っただろう。参考までに付け加えるが、フィリピン日本領土ではないし、その結果原油輸入ラインが止まったことも(ここ70年は)ない。

http://anond.hatelabo.jp/20150722092836

2015-07-13

落ち着いて考えると安保法制に対する批判ってろくなのがない。(追記)

今般の安保法制のものが、合憲かどうかといった議論はひとまず脇におく。

それを正当化する論理は技巧的で、わかりやすいとは言えない。

すくなくとも今までの憲法解釈はなんだったんだ、という気持ちにさせるのは確かだ。

が、落ち着いて考えればそれに対する批判の程度の低さがあまりに目に余る。

これでは、本気で法制化を阻もうとなど誰もしてないのでは、野党論理的な反対などできないと割り切って政権攻撃プロレスをやってるだけなのではと勘ぐりたくもなる。

以下、いくつか例をあげる。

憲法学者の大多数が違憲と言っている」

数に訴える論証。もっと基本的詭弁テクニック。「これこれこういう理由違憲だ」という論理説得力があれば大多数かどうかなんて関係ない。

しか新聞紙面やその他報道で焦点があたるのはもっぱら数だ。読者もそれにしか注目していない。

こんなもの根拠にしたら国会議事堂議員たちの数に訴える論証に反対できないことになる。

安保法制を通すと徴兵制なっちゃますよ」

恐怖に訴える論証。もっと安全保障というものは恐怖から逃れるためにあるのだから安保法制自体が恐怖に訴えることによってなりたっているのではないか、という反論はありえる。

だが、まあホルムズ海峡機雷封鎖されたら困るしそういうとき自衛艦能力としては掃海できるのに法的にできないのは困るよねとかってのはわかるけど、安保法制を通したら徴兵制になるってのは論理のつながりが俺にはわからない。

安保法制を通したことによって徴兵制が導入されるとしたら、

  1. 同盟国が日本国民を守るために敵国から攻撃を受ける事件があり
  2. →わが国の部隊が応戦し
  3. →それが原因で海自能力を大きく越える上陸部隊が常に国土を脅かす状況が生み出され
  4. →なおかつそれが原因で職業軍人を中心とした陸自徴兵されたアマチュア中心の構成につくりかえざるをえないような軍事情勢の根本的変化が生じる

ということになるのだが、一体どんな成り行きでそんなことになるか想像がつかない。

まずは、かつてソ連の着上陸侵攻が差し迫った危機として語られていたころにも徴兵制などまじめに議論されていなかったことを思い出すべきだ。

こんな軍事情勢の根本的変化がわが国の国内法制ときが原因で起こせると本気で思っているのか?本気で信じている人がいるとしたら、日本ってそんなにえらいんだっけ?それこそ日本が中心に世界が回っていると思い込む誇大妄想というものだろうといいたいところだ。

しろ、そんな種類の軍事的情勢の変化は日本人を守ろうとした米軍自衛隊が見殺しにして、米国国民日本など知るかとなったときにこそ起きるんじゃないかと思われてしかたないところだ。

こうしたことを踏まえると、より不合理でより悪質な詭弁は「安保法制徴兵制→怖いヨー」論だと少なくとも個人的には思う。

(( 時代錯誤というか懐古趣味のじいさんが「近頃の若いモンは軍隊にいかないからしつけができとらん」とか言っていたのが今では懐かしいが、そんなものはまじめな議論とは呼べない。そう思うんだったら自分の孫を自衛隊に入れればいいだけの話だ ))

安保法制日本米国植民地化させる政策だ」

感情に訴える論証。大体、どういう状態だったら日本米国植民地でない、属国でないと言えるのだろう?

国際政治というもの相互関係や力の大小があってあるときは言い分がとおり、あるときは通らないこともあるのは当然ではないか。より大きな力があればより多くの言い分を通せるだろう。わけても特別におおきな力を持っているのが覇権国家や超大国と呼ばれる国なわけだ。そうした超大国さえ、政権がふらついていたりすると時としてわが方の要求を飲まされたりする。

我が方の言い分が通らない場合や相手の言い分を受け入れる場合、相手に協力する場合のことだけをことさらに取り上げてやれ属国植民地だだのと言い張っていては、国際関係など成り立たない。どうしてもそういう主張をしたいのなら、どういう点でどのように我が国主権がそこなわれ不当に不利な条件を強いられているか論証すべきだろう。その論証に納得がいくならば俺も安倍総理売国奴と罵ろうでは無いか。

確かに日本覇権国家でないし、核武装もしていない。そりゃまあそういうことをしたら胸をはって独立独歩と言えるのかもしれない。

でも、そうなりたいの?やっていいの?

こういう主張は、日本21世紀覇権国家たるべし、とか核武装なくして独立なしといった危険な主張と紙一重と知るべき。

どうせ「あそこの国はこうだ、こうしてる」といったことを言い出すのだろうが、日本日本なのだから、どこそこの国を真似しなければならんということになるならその国の属国植民地ということになるだろうに。

ソ連があった時代から論法だけど、カビ臭すぎる。愚民アジるにしてももっと洗練された技法勉強するべきではないか。

以下、追記。

軍事力中国の膨張を止めるのは不可能から安保法制に反対」

軍事力だけで中国の脅威を食い止めることができないということと、中国の脅威から日本国権益防衛するには軍事力が不可欠なことは矛盾しない。

要するに反論になっていない。

「前提が変わったからといって、これまで集団的自衛権否定してきた同じ論理から180度反対の結論が出るのは納得できない」

前提が変われば、結論も変わる場合があるのは当然というものだろう。

ソクラテス人間である

人間はすべて死ぬ

ソクラテス死ぬ

この論理ソクラテス人間である場合に限り有効なのであり、ソクラテスが犬のぬいぐるみのことだったり、不死の神だったなら異なる結論が導かれえるのは当然では無いか。

要するにこれも反論になっていない。

 「安保法制で想定する事態実在政治家名前をもちいてたとえ話にするのは軽すぎる」

たとえ話というのは、抽象的な議論を身近な物事との類推理解を深めるために用いる技術である

「軽い」のは当然であって、それを「軽すぎる」などと非難するのは、要するに理解が深まってはこまる。国民理解が進んだら自分たちの言い分のばかばかしさが明らかになると思っているのだろうか。

あるたとえ話が不適切だと難ずるのならば「軍部隊を個人になぞらえると、こういう場合類推がうまくない。誤解を導く虞がある。けしからん」とやればいいのであって「軽すぎる」などというのは首相のたとえが「わかりやすすぎる」と賞賛しているのに等しい。

なんといえばいいのだろうか。どれもこれもため息がでるとでも評する他ない。こんなレベル反論しか本当にできないのだろうか?

そうだとすれば未だに採決をしないでおいている与党の忍耐強さに(あるいは優柔不断に)驚かざるを得ない。

2015-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20150703095333

増田です。なるほど。では正確を期すなら

易姓革命において、「放伐」となったケースにおいては、現主権正当性担保するには、前主権最後の人が、暴虐の限りを尽くし、酒池肉林におぼれた天から見放された大逆者でないといけない」

とすればいいかね?

http://anond.hatelabo.jp/20150703091705

中国史における易姓革命の大半は名目上では禅譲なので

易姓革命において、現主権正当性担保するには、前主権最後の人が、暴虐の限りを尽くし、酒池肉林におぼれた天から見放された大逆者でないといけない

は偽だよ。

思いつきだけど、中国韓国日本の歴史認識の相違、その背景にある

中国日本朝鮮日本関係において、中には明らかな捏造も混じった「歴史認識の相違」が見られることについて。

 ふと思ったのだけれど、これは、孟子の「易姓革命」の発明以来、延々繰り返されてきた「歴史書役割」ではないかと思ったり。中国韓国は表面のイデオロギーこそ変化したものの、内実の心性としてはいまだに儒教を引きずっており、それがために戦前日本の暴虐性を半ば自分たちでも一部がフィクションというところまで誇張していると頭で分かっていつつも、それを主張してやまないのでは。そして日本は早めに儒教から脱しているので、一体何を言っているのかピンと来ないだけではないか。

 つまり易姓革命において、現主権正当性担保するには、前主権最後の人が、暴虐の限りを尽くし、酒池肉林におぼれた天から見放された大逆者でないといけないということで、現代中国韓国においては、それがたまたま日本国だったと。

 ・商(殷)の最後紂王 → 妲己(だっき)におぼれ酒池肉林に遊び商を滅ぼした王

 ・西周最後の幽王 → 褒似(ほうじ)におぼれ彼女を笑わせたいために狼煙をあげまくり本当に攻められたときに誰も集まらなかったため国を滅ぼされた王

 ・隋の最後煬帝 → 酒色にふける暴君

 ・秦の始皇帝 → 暴君

 ・日本雄略天皇武烈天皇) → 妊婦の腹を割いて赤子を取り出したり、とにかく無茶をする大悪天皇

 以上はその次の王朝歴史書編纂時に、悪鬼羅刹のごとく描かれている例だが、実際の治世は割とちゃんとしていたことも多く、それらは無視される。前の王朝の治世家としての正当性を描いてしまうと現王朝の都合が悪いということで。(韓国大統領が替わるたびにまだこれをやってる。)

 古代より延々と繰り返すこの「易姓革命」の概念がいまだに通用しているということではないだろうか。

 では日本との歴史認識の相違論争がいつ終わるのか。中国の現主権者中国共産党人民解放軍)が退場し、次の主権者から主権者が悪鬼羅刹のごとく言われ始めたときかな。

2015-06-22

6月21日京都デモに思うこと。

昨日、とある映画を見に街中へと出掛けた際デモに遭遇した。

恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。

ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。

彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対安倍辞めろ、その他諸々、駅前毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。

変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである

その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市伝統無形文化遺産として指定するかもしれない。

それはそうとして。

実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。

そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。

僕個人としても立憲主義プロセス無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。

しかし。

しかし、である

果たしてこの現代版踊り念仏政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。

理由は簡単だ。

迷惑」と「聞き飽きた」。

京都市民の足はバス(と自転車)である

ただでさえ混雑していた四条行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸川端、果ては堀川辺りまで波及する。

この事を「迷惑」と感じる京都人は実際多い。

『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人負担掛けてまでやらんといて』と。

その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。

これが良いことであるとは僕には到底思えない。

重要なのは政権批判のものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。

左派には民主主義国民主権叫びながら国民主権があることを忘れて政権のものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。

『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。

この違いこそ日本リベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。

だがこれはやり方次第で解決できる問題であるとも言える。

より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。

ご存じの通り京都共産党が強固な地盤を持っている。

彼らは先述のようによく政権批判演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。

またこの手の奴か、と。

普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。

これが大人しい田舎なら話は別だ。

ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。

しかしここは京都である。1200年の都である

そんなピュア人間殆ど存在しない。

その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。

こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。

重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。

と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方サムライマチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。

それこそが日本の都としての使命であり矜持であってほしい。

しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである

報道によるとこのデモ若者主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。

彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。


あぁそうそう、コラボセットは真姫ちゃんでした。やったぜ。

2015-06-19

平和に関する歴史修正主義

ぐぐってみたら朝鮮戦争では日本特別掃海隊かいうのが行ってるし、ベトナムにも中東にも派兵して金も出しているわけで「参戦している」という言葉を使っても間違っていないわけでしょ?にもかかわらず「戦後与党は、国家主権である交戦権敗戦で奪われた国になったことを逆手に、明確にアメリカの尻馬に乗りつつも前線には派兵せずに済んだ」という状況じゃない。そもそもこれを「平和であった」といっていいの?「勝利の側にいた」というだけじゃないの?

そんでもって、仮にこれが平和だとして、上記も与党政策だし、リベラル系が好きな中国との関係回復田中角栄によるものだし、与党以外が戦後平和に貢献した瞬間なんか一度もなくない?なんで団塊世代自称リベラル自分たち九条大事にしてきたおかげで平和が保たれたみたいな認識になってんの?

一部の戦中派保守の出来が良かっただけじゃないの?

2015-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20150611171043

どこも少子化で、結局移民の子孫に国の主権を奪われつつあるじゃねぇか。

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