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はてなキーワード: 主権とは

2015-05-21

ポツダム宣言 仮名遣い修正

はてブポツダム宣言現代語訳が話題になっていた。だが、外務省による文語訳が、現代訳者により「この文章理解できる日本人が何人いるか?」と揶揄されていたり、ブコメでも「いい加減なカタカナ混じりの変な訳」などとDISられていたりして気になった。そこで、文語訳の仮名遣い、送り仮名、句読法、一部の漢字現代風に改めてみた。文法はそのままだが、普通に読んで理解できる文章になったと思う。

http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html

ポツダム宣言

1945年7月26日

米、英、支、三国宣言

1945年7月26日ポツダム」において)

1、我ら合衆国大統領中華民国政府主席および「グレート・ブリテン」国総理大臣は、我らの数億の国民代表し、協議の上、日本国に対し、今次の戦争を終結するの機会を与うることに意見一致せり。

2、合衆国、英帝国および中華民国の、巨大なる陸海空軍は、西方より自国陸軍および空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し、最後的打撃を加うるの態勢を整えたり。右軍事力は、日本国が抵抗を終止するに至るまで、同国に対し、戦争遂行するの一切の連合国の決意により支持せられ、かつ鼓舞せられ居るものなり。

3、決起せる世界自由なる人民の力に対する、「ドイツ」国の無益かつ無意義なる抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を、極めて明白に示すものなり。現在日本国に対し集結しつつある力は、抵抗する「ナチス」に対し適用せられたる場合において、全「ドイツ国人民の土地産業および生活様式を、必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し、計り知れざるほど、さらに強大なるものなり。我らの決意に支持せらるる、我らの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味すべく、また同様、必然的に、日本国本土の完全なる破壊意味すべし。

4、無分別なる打算により、日本帝国を滅亡の淵に陥れたる、わがままなる軍国主義的助言者により、日本国が引き続き統御せらるべきか、または理性の経路を日本国が踏むべきかを、日本国が決意すべき時期は到来せり。

5、我らの条件は左のごとし

我らは、右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。我らは遅延を認むるを得ず。

6、我らは、無責任なる軍国主義世界より駆逐せらるるに至るまでは、平和安全および正義の新秩序が、生じ得ざることを主張するものなるをもって、日本国国民欺瞞し、これをして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は、永久に除去せられざるべからず。

7、右のごとき新秩序が建設せられ、かつ日本国戦争遂行力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国指定すべき日本国領域内の諸地点は、我らの、ここに指示する、基本的目的の達成を確保するため、占領せらるべし。

8、「カイロ」宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国主権は、本州北海道九州および四国、ならびに我らの決定する諸小島局限せらるべし。

9、日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。

10、我らは日本人民族として奴隷とせんとし、または国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざるも、我らの捕虜虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰、加えらるべし。日本国政府は、日本国国民の間における、民主主義的傾向の復活強化に対する、一切の障害を除去すべし。言論宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は、確立せらるべし。

11日本国は、その経済を支持し、かつ公正なる実物賠償の取り立てを可能ならしむるがごとき産業を、維持することを許さるべし。ただし、日本国をして戦争のため、再軍備をなすことを、得しむるがごとき産業は、この限りにあらず。右目的のため、原料の入手(その支配とは、これを区別す)を許可さるべし。日本国は、将来、世界貿易関係への参加を許さるべし。

12、前記、諸目的が達成せられ、かつ日本国国民自由に表明せる意志に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府樹立せらるるにおいては、連合国占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし。

13、我らは、日本国政府直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意に付き、適当かつ十分なる保証提供せんことを、同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす。

2015-04-13

国民政府自由

マハトマ・ガンジーのように非暴力不服従を持ってすれば、自立した人間ないし民族はその自由を達することができる。しかし、それでは優遇を引き出すことはできない。反政府、すなわち左翼的活動化が暴力的になるのにはここに原因があり、彼らは権力から何か自分の欲する金銭ないし待遇を引き出したいのであるから、彼らは暴力に訴えざるを得ない。例えば、もし反原発を行いたいと思うならば、原発のないところに移住し、木製の風車を建て、あるいは自動車を発電に用い、更に節制でもってその生活を達すことはできる。そして、活動家はみなそこに移住すればよい。しかし、左翼的活動家の目指すところはそうではない。むしろ言葉暴力でもって政府攻撃し彼が意に沿わそうとするものである。また、もし在日朝鮮人において不当に彼らが搾取されているというのであれば、非暴力不服従でもってその身の自由を達することができる。しかし、実際には、日本人の3倍もの生活保護を輩出しており、すでに多大なる行政サービス恩恵を受けている。彼らにしてみれば過去日帝の悪行のため、朝鮮人優遇されるのは当たり前ということであろう。どちらも政府を彼が意に沿わそうとするものであり、言葉暴力でもって政府を徹底的に攻撃するものである政府なら侮辱しても構わないというのはおかしい。政府国民のものであるならば、政府への侮辱国民への侮辱に他ならない。

今日に至って、政府民衆のものであるならば、政府にも自由があらねばならない。元々強権を持っている組織であるから本来自由を持つはずであるしかし、現状、この政府の不活性さはどうであろう。幾つかでも抜本的な改革ができたのであろうか。国民主権憲法を土台にして、国民代表者もっと自由に振るうことが可能であって欲しい。国民主権を犯さな範囲において、政府もっと自由活発に活動できるのではないか。愚かな代表を選んだならばその責任国民が贖わなければならない。その上で、政府活動をより活発にするあるいは、われわれの政府自由について考える時期に来ているのではないか。そんなに議員民衆の声を聞く必要があるのか。国のため正しいと思ったことを行うための議員ではなかったか国民は一旦選んだならば、委任した以上これに口を挟まずその政治活動全てを任せ、自由闊達に事が進むようにしなければならないのではないだろうか。あるいはそういう信念をもった議員を輩出することについて考えるべきなのかもしれない。

2015-01-31

あなたは助けますか? 助けませんか?

――「総理が余計なことに首を突っ込むから

――「この問題から距離を置くという選択がなぜできないのか」

というような言論を聞くたびに、この人たちは問題勘違いしているのか、あるいは偽善者なんだと思う。

そもそも論として、日本と何ら関係のないA国とB国がいがみ合っている中、日本がA国支援を表明したからB国から敵視され渦中に自ら進んで行ったわけじゃないからね。ヤクザ跋扈し、世紀末状態になった所を支援するって言ったら、ヤクザから「何しとるんじゃ」って因縁付けられただけだから

イジメによる自殺とか、なんで周りは助けてやらなかったのかとか言う人いるじゃん。あれと同じだよ。積極的に関われば自分もただでは済まないけれど、じゃあその人を見て見ぬふりをするのかと。結局、日本立場と言うのはそういう傍観者であって、助けるか助けないかを決めなければならないわけ。総理は助けることを決断したけれど、もちろん異論があってもいい。なにせ国民死ぬかも知れないのだから、臆病もまた1つの結論。けど、殊護憲派と呼ばれる人たちには是非総理決断賛同してほしい。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。(中略)われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国無視してはならないのであって、政治道徳法則は、普遍的ものであり、この法則に従ふことは、自国主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 - 日本国憲法前文(抜粋)

から総理批判したいならば「我々は中東の人々などどうでもいいから死にたくない」と主張すれば理解が得られたかもしれない。だけど、総理が目立ちたいがために、あるいは好戦的なために、という理由を付けて批判するのは、自分たち安全であればいいという心理に糊塗した欺瞞しかないと思うわけよ。

から問おう。あなたテロリストに敵とされても中東の人々を助けますか? 助けませんか?

2015-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20150126105435

そんなことを「主権侵害」とは言わない。



下記のとおり暴力を以て屈服させようとするならば、それは主権侵害にあたる。

他国の支配に服さな統治権力のこと。国家構成要素のひとつで、最高・独立絶対権力

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E6%A8%A9


日本英国人が日本人による犯罪対象になって死んだとき英国が「国家の三要素の一つが侵害された」と言うと思う?言わないよ。


個人の犯罪国家匹敵するような集団が起こすテロ混同してはいけない。

前者は個々人間同士の問題だが、後者国家家族文化圏を巻き込むもっと大きなものだ。

ちなみにアメリカメディアでは、政治的犯行声明文の有り無しを以てテロ犯罪かどうかの線引きを起こっているとのこと。

日本では、なんでもかんでもテロと呼ぶので、混同しがち。

犯罪テロでは、対応も分けるべきなので、

実質、テロと個人の犯罪混同するのは、思考停止にすぎず、状況の悪化を招くだけ。

2015-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20150126104130

現に「殺さない代わりに金よこせ(俺らの都合のために税金を動かせ)」と要求されている。

そんなことを「主権侵害」とは言わない。

日常から許すという思考理解できない。

許す、許さないの話は誰もしていない。

海外自国民犯罪対象になって死ぬ」ことを「国家の三要素の一つが侵害された」とは言わない、ということを指摘している。

日本英国人が日本人による犯罪対象になって死んだとき英国が「国家の三要素の一つが侵害された」と言うと思う?言わないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150126033107

主権侵害されてないし、

されている。

現に「殺さない代わりに金よこせ(俺らの都合のために税金を動かせ)」と要求されている。

海外自国民犯罪対象になって死ぬなんてどの国にとっても日常だが。

日常から許すという思考理解できない。

http://anond.hatelabo.jp/20150126024044

主権侵害されてないし、海外自国民犯罪対象になって死ぬなんてどの国にとっても日常だが。

http://anond.hatelabo.jp/20150126020123

いや、国家の3要素たる。領域人民主権のうち、

人民主権が一テロ組織ときに踏みにじらてるんだぞ?

この事件最初から自己責任」の問題ではない。

2014-11-07

それを「被害者萌え」と言います

貧困売春をする女性に対する支援現場では、支援者当事者のことを被害者化しようとする傾向を表して

被害者萌え」と言ったりします。

自分支援対象被害者であればあるほど、支援者にとっては「萌える」んですね。

しか萌えてはいけない、そうなってはならないと、自戒をこめて常に気を付けながら当事者と接している現場は実際にあります

当事者主義とか、当事者主権といった考え方です。

もちろん性犯罪被害者被害者であることには変わりはなく、どこをどう捉えても被害者であることには変わりありません。

(ましてや自己責任だなんていうことはあり得ません)

しかしながら、被害者が「理想被害者像」におさまってくれないことに理解し難い気持ちを抱くと、周囲の彼ら彼女らが表明するとき

それは「被害者萌え」という彼ら彼女らの欲望の問題であり、被害者問題ではありません。

私の問題であるより、あなたの欲望の問題である、と。

こういうことになります

http://anond.hatelabo.jp/20141106162530

2014-09-20

[]キリスト紀元

参考人(鷹司信輔君) 私は神社本庁の鷹司として参りましたので、神社神道のものの考えといたしましてこの点を申上げたいと思います

 この問題につきましては、是非日本の伝統を保有して行きたいと考えております。併し私共は決してキリスト紀元排斥するものではございません。キリスト紀元の便利なところもございますので、現在のように元号式の年代表示法と、キリスト紀元法とを適宜に併用して行くのがよいと考えております日本元号は千三百何年の長い伝伝統を持つておりますのでありまして、それは国民象徴と仰ぐ陛下の御名によりまして常に公布せられました。これは決して天皇主権などというような権力関係のものとは思われません。朝廷から兵馬の権も政治権力も全く消え失せた時代にありましても、日本人元号だけは朝廷公布せられましたところに従つております。官公文書はもとより私人の往復文書、日記等何にでも元号を用いておりました。神社人も仏教徒も又キリスト教徒もこれを用いて怪しまなかつたのでございます国民のあらゆる党派、教派の人々が如何なる対立関係に立つた場合でも、多くは元号だけは同一のものを用いておりました。このあたりに国民統合象徴というような意義も感ぜられるのでございます英国におきましては、公文書エドワード七世第何年とかジヨージ六世三年とかいうように、君主の在位年限を以て年代を表示する方法が用いられておるようでございます法学書や歴史文献におきましても、そのような年代表示法がキリスト紀元と併用されて用いられておる例が決して少くありません。その一般的な普及程度においては、大小の差こそあれ、これは日本の現行の一世一元の制本質的には同様のものであろうと思われるのであります英国では外交的文書や條約文書等は勿論キリスト紀元一本で君主年号を用いないのでありますが、日本におきましても同様でよいと思います外交文書には現在でも公式キリスト紀元が用いられておりますキリスト紀元採用せねばならんからといつて必ずしも日本式元号を廃止せねばならんとは考えられないのでございます

 我々神道人といたしましては、キリスト紀元による年代表示の方法外交文書で用いられようと、学校教科書や年表で用いられようと決してこれに反対するものではありません。我々の間におきましても年表的な場所では大いに利用しておるのでございますが、あらゆる場合キリスト紀元一本に統一されて強制されるということは到底承服しがたいのでございますキリスト紀元一本になるという法案は、必ずしも政教分離憲法に反するものではないという理論は、理論としては成立ち得ると思います政教分離米国におきましてもキリスト紀元を用いております。又キリスト教に対してはむしろ反抗的でさえあつたナチスドイツでもキリスト紀元を用いておりましたし、又反宗教無神論者指導下にあるソ連邦においてさえもキリスト紀元を用いられておるのであります元号とか紀元というものは、少くとも近代国家においては政治的主権というような問題には直接的な関係を持つものではないと申せます。併しながら我が日本国民感情を考えますと、決してドイツソ連と同様には行かないと思うのでありますドイツソ連では、過去におきまして長いキリスト教文化伝統がありましたので、国民キリスト紀元を用いても、それがキリスト教という一宗教特殊関係を持つておるということを全く感じない程までになつておるのでございます。非キリスト教的な宗教教派が別段に存在しないからでありましよう。ところが我が日本におきましては、国民圧倒的多数神道仏教に属しておりますキリスト教徒全日本人口のうちの僅々百分の一に過ぎんのでございます。ここで今後は一切キリスト紀元を用いる。少くとも公式文書ではキリスト紀元以外のものを用いてはならんということになると、神道人や仏教徒は何んだか、国家特にキリスト教を支持しておるように感ずるでありましよう。これは法理論的に申すのではございません。感情問題と申すべきでございましようが、政教分離憲法の円滑なる連用という点から考えますと、このような感情問題も極めて愼重を要することと存じます

 今日では国家公式文書に用いられるのと同様の元号が、神道人、仏教徒キリスト教徒のいずれによりましても用いられておりますが、国家キリスト紀元一本で行くことになりますと、神道仏教では自然国家と別の年代表示法を持つことになりましよう。神社の祝祠などにキリスト紀元を用いたり、仏教寺院の墓碑銘にキリスト紀元を用いることは、我々宗教人として想像し得ないことでございます。現にこの問題新聞紙上に報道せられますと、全国の神社人や氏子、崇敬者から随分と熱心な反対意見を申し送つて参つております過去東京新聞社の世論調査でも、現在のままの元号を存置するがいいという意見が、キリスト紀元一本の意見よりも二倍以上も多いということを報道しております。これはキリスト教文化伝統が浅く、神道仏教徒の多い日本世論としては当然のことであろうと存じます元号キリスト紀元の便利、不便利の問題や法理上の問題議論は多いここと存じますが、私は全国の神社神道人を代表する宗教人立場といたしまして、神道人も仏教徒キリスト教徒も、如何なる敵宗派に属する人も極めて自然に受入れることのできる元号を存続させて頂きたいと切に希望するものでございます日本人のあらゆる政派、教宗派の人々がひとしく国民統合象徴として仰いで来た皇室と縁りの深い元号が将来も尚用いられて行くことを我々は希望するものであります。右のような考えを持つております

第007回国会 文部委員会 第8号

昭和二十五年三月二日(木曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0804/00703020804008c.html

2014-07-03

7月1日付け朝日新聞の社説がいつにもまして薄ら寒い

社説政治言葉 首相の「慈悲深い圧政

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11218219.html?_requesturl=articles%2FDA3S11218219.htmlamp%3Biref%3Dcomkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11218219

だそうだ。赤旗コラムもかくやはと思われる一方的な決めつけと一部の政治団体の主張を代弁するご熱心さにはあきれるばかり。

から朝日社説は程度が低かったが、ここまででは無かったはずだ。

なんで、こんな独りよがりポエム社説として掲載するのだろう?天声人語ならいざ知らず。いや、コラムだってこんなん書いたらあきれるけど。

この社説子が読者に感じてほしいことは、

「俺はウージェーヌ・イヨネスコの『禿(はげ)の女歌手』を知っている文化的人間

安倍内閣暴挙不条理劇になぞらえる発想力。センスいいでしょ?」

「『カーテンコールの、喝采の代わりに。』どう?詩的でしょ?センス良いでしょ?」

こんなとこか?

センス無いよ。はっきり言って。

言葉遊びに耽っているのは、むしろ社説子ではないか。

集団的自衛権に関する憲法解釈変更について、ついでだから私見を述べておく。

とは言っても、今回の解釈変更についての賛成・反対のことではない。

デモクラシー担い手たる健全なる社会人なら誰もが知っている「ルール」(社内規則法律等、もろもろの)についてだ。

憲法法律であり、法律ルールであり、ルールは守らなくてはならず、ということはルールは守れるものでなくてはならない。

現状を追認すればいいというものではないが、現状に即した適切な条文に随時メンテナンスしなくては、ルールルールとして機能しなくなる。

守れる訳のないルール頑迷に変更しないまま金科玉条のように奉っておくと、そのルールはやがて形骸化し、却って何の歯止めにもならなくなるものだ。

守れる訳のないルールの一字一句にこだわるのは、ルール精神尊重していない言葉遊びと同じことだ。

そしてその言葉遊びは、ルール自体ゆっくりと間接的に蝕んでいく。

あなた身の回りにもあるのではないか?

たとえば創業者が決めたけれども時代社会や新しい法律整合性がとれなくなって、もはや誰も見向きしていない社内規則とか。

憲法9条は、法律の条文にすぎない。それによって守るべき価値は何か?日本国平和安全だろう。

しかし、かつてルールの一字一句を神聖視して、日本国平和安全などどうでもいいという人たちがいた。

彼らは「神聖なる憲法9条奉仕する自分」にうっとりするばかりの、自分をえらく見せたいだけの偽善者たちだった。

それが社会党共産党朝日新聞だ。

言葉遊びを非難するならば、彼らこそが非難されるべきだろう。

彼らは、国際情勢に合わせて憲法精神尊重しつつ条文をすこしずつ変えるという民主国家必要プロセスをあれやこれやの感情的屁理屈をもてあそんで邪魔してきたのだ。

そしてその結果として、今回の無理筋解釈変更が必要になってしまったのだ。

まり朝日新聞は「言葉遊び」によって憲法形骸化させた張本人の側でもある。自分たち言葉遊びの報いを別の言葉遊びで受け取ることになっただけのことだ。

いや、その報いを受けるのは国民全体なのだから憲法精神を真の意味尊重してきた人々には迷惑な話だ。

主権である私たちは声をあげ続ける。(中略)おかしい、認められないと」

こんなの今時は学生だって恥ずかしくってビラにも書かないような少女趣味アジテーションだ。

これで横暴な権力に立ち向かう革命の闘士気取りならば、いい気なもんだぜ。としか言えない。

社説に書くとはあまりにみっともない。

薄ら寒い自己陶酔はご自宅に配達される朝日新聞チラシの裏でやったらどうか。

朝日新聞は700万部(主催者側発表)発行されているそうだから、この社説のおかげでざっと数万冊のノートを作れるパルプとそれに印刷するインクを無駄にしたことになる。地球温暖化観点から問題だ。

2014-06-27

左翼天皇を!

最近よく聞くのが、

左翼天皇に頼るだなんて!」

というもの

前の天皇誕生日に、天皇陛下自身が「憲法を遵守する立場」を明確にしたことで、左派右派(というか改憲ノリノリの安倍政権)を批判するための格好の材料を得た。

天皇を奉ずる右派が、天皇自身に諌められたわけで、左派がこの機に乗じないはずがない。

ところが、これを見て左翼でも右翼でもない(と自らを規定する)ひとは、違和感を抱かないではない。

左翼は……天皇とか嫌いでしょう? その天皇言葉に拠って右派批判するなんて。批判できるなら何でも利用するのか?

こういう次第である

しかしそうなんだろうか? これが長らく疑問だったので、頭が悪いなりに考えたこと(独自研究です)を書き記す。

a)ここでは左翼右翼を、彼らが拠って立つ「価値」に基づいて区別する。

まず、そもそも左だの右だのというのはフランス革命産業革命にともなう近代化から生じたものだと理解している。

そこから、早計に、左翼近代個人主義者で、右翼はそうではない、という理解が生じうるが、これはよくない。

(こういう理解から出発するかぎり、「左翼個人主義」は社会国家の危機に対抗する言説を持ちえないから

個人主義というのは近代必然的産物なのであって、左や右によって決まる「態度」ではない。

高度に産業が発達して、旧来の共同体が失われた世の中で、誰が個人主義者以外でありえるのか!

なので、左翼右翼を分けるのは、この個人主義に対して、何を対抗「価値」として奉ずるか、という点である

右であれば、これは過去伝統志向する。国家天皇王様、なんでもよく、ましてその伝統捏造されたものであっても、構わない。

とにかく、個を超えた強い価値が置かれる。

左は、では何か。フランス革命憲法を作った。人間市民権利についての法。

まりこれだろう。人権であり、憲法である。これは別に伝統に由来しない。これを守ろう守ろうと連呼するから保守的な態度に見えかねないが。

人権というのは、頑張って獲得されるべきもので、つねに守りつづけないといけないものである

したがって規範であるから、超越的だと言えなくもないが、これは個を超える価値ではない。

言い方が難しいが、個に根差し価値

じゃあ個人主義じゃないか? いやいや、人権を守るためには、社会的ケア必要ですからね。

しろ個人主義人間を孤立化させていくからこそ、憲法にもとづく保障必要になる。

もちろん以上の区別は、前提的なもので、これを逸脱するものはたくさんある。

特に共産主義左翼代表格みたいになっているが、あれは特殊理念を抱えているから、しばしば歴史邪魔者である

基本的にはこの、超越的な価値/内在的な価値という区別にたよる。

b)人権憲法という理念に即して考えるとき天皇制批判されるべきか?(歴史篇)

歴史的左翼天皇制批判してきたと思う。

最大の要因は、戦時中軍部天皇が結びついたという戦争犯罪の問題であって、

この記憶は多くの左翼にとって、天皇制軍国主義象徴に変えてしまったきらいがある。

また、第二次世界大戦以前には、天皇主権国家だった、ということも忘れてはいけない。

憲法は欽定のものと考えられていて、人権天皇大権のもとで制限されていた。

人権依拠する左翼にとって、これらの時代天皇制は、批判されなければいけなかった。

はいえ、戦前であっても、美濃部達吉天皇機関説のように、天皇国家機関と見做して、国民主権保障するような理念が通用していたかぎりでは、それほど批判すべきでもなかった。

しか大日本帝国憲法基本的天皇主権なので、天皇機関説法学世界における「通説」の域を出ず、軍部の台頭ですぐ覆されてしまった。

c)人権憲法という理念に即して考えるとき天皇制批判されるべきか?(現状篇)

はいえ、いまは日本国憲法国民主権は通説ではなく確定的事実である改憲するひとは時々ひどいことを言うが)。

そして天皇は、憲法において「国民象徴」という正当な地位保障されている。

だとしたら、なぜ天皇批判しなければいけないのか? 憲法を愛するかぎり、天皇を愛することは可能である

逆に、右翼からすれば、現行憲法下での天皇は疎ましい存在でありうる。

右翼は水平的な民主主義嫌悪するから、それに反する超越的な価値として天皇を求めるのに、

その天皇国民象徴如きであっては困るわけだ。

さいわい、右翼からすれば愛着対象皇族の個々人というよりその容れ物だから非国民天皇別に天皇国民じゃないけど)という非難だって胸を苦しませずにできる。

不幸なのは天皇一家であって、左翼右翼自分たちのことを条件付きでしか愛してくれない。

左は、現行憲法の枠内にいるかぎりで、右は、現行憲法の枠から抜け出るかぎりで。

c)結論。

こういう次第だから日本国憲法の枠内にある天皇陛下左翼が愛し、支援するということには、何の問題もない、と考える次第です。

2014-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20140412230015

民主主義では民意最上位だ」というのは間違いです。

民主」の意味は「主権者が国民」ということであって、民意は決定者ではありません。

少なくとも日本制度が大幅に取り入れている「代議制民主主義」の思想では、民意を信用しないという発想が原点にある思想で、

それを元に法制度が組み立てられています

例えば日本制度では、民意が望むなら裁判結果はそれに従うべきですか? という話です。

2014-03-29

日本の残虐行為記憶に新しい」、南シナ海権益守り抜く=習主席 | Reuters

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJEA2R02320140328

主席は「南シナ海問題で、われわれ自身はトラブルを起こさないが、他国が問題を起こしても恐れることはない」と強調。「われわれの主権領土保全の面で、こうした権益を力強く守り抜いていく」と述べた。

どう見ても、ヒトラーオーストリア併合前に唱えていた「我々が問題なのではない。これを問題視する他国こそが異常なのだ」という言葉と同じです。しかし、日本左翼様は、中国ナチスと同一視すると、即座にネトウヨ認定して言論弾圧をしてきます日本左翼は、他人をレッテル貼りして強制収容所に送ったナチス手法がお好みのようです。

2014-03-20

クリミア独立について国際法観点から書いてみる

 つい先日クリミア独立宣言を行い、さらロシア併合を決定しました。

 ここはてなでも一連の流れを受けて様々な議論が巻き起こっていますが、本稿ではクリミアウクライナから独立した件に絞って、国際法観点から分析していきたいと思います併合の是非については触れません。あくまでも、分離独立した件についてのみです。なお、筆者はこの分野に明るくないので、間違いがあれば遠慮なく指摘してください。

 「旧ソ連時代以来ウクライナ共和国内の自治共和国として存在していたクリミア2014年3月11日に行った独立宣言の是非について」

新たな国家の成立とは

 新たな国家が成立するためには、(i)領土(ii)住民(iii)実効的な政府(iv)外交能力の四つが必要であるとされています(この内(iv)は(iii)の一部として考えられることがよくあります)。とは言え、これらは絶対的ものではなく、第二次大戦後の非植民地化の過程において、実効政府要件に関しては「自決権」の名の下で緩和されることがよくありました。「自決権」とは何かというのはまた難しい話なのですが、国際人権規約共通第一条は、すべての人民がその政治的地位を自由に決定し並びにその経済的社会的及び文化的発展を自由に追求する権利定義しています。これに関連して、1960年に「植民地独立付与宣言」が国連総会で採択されましたが、その中で、植民地は、植民地住民の意志によって独立することが可能であるとしており、植民地住民の自決権を否定する"国家"は、たとえ上記の四要件を充足していても、"国家"として認められないこともありうるのです。この文脈において自決権は、政治的独立・自治達成のための根拠としてとらえられているので「外的自決権」とも称されます

分離独立

 外的があるなら内的もありそうな話なのですが、実際にあります。「内的自決権」とは、植民地住民ではなく、独立国家内部の人民自決権です。ここで注意しておきたいのは、分離独立は、元の国家存在しているという点において分裂と異なり、植民地支配からの脱却のための自決権行使ともまた違うということです。

さて、国連総会1970年に採択した友好関係原則宣言の中の一部を、少々長いですが、見てみましょう。注目すべき箇所は3/4あたりからのくだりです。

人民の同情及び自決原則

国際連合憲章にうたわれた人民の同権及び自決原則によって、すべての人民は、外部からの介入なしに、その政治的地位を自由に決定し、その経済的社会的及び文化的発展を追求する権利を有する。いずれの国も憲章の規定に従ってこの権利尊重する義務を負う。

いずれの国も、共同の行動及び個別の行動を通じて、憲章の規定に従って、人民の同権及び自決原則の実現を促進し、また、

(a)国家間の友好関係及び協力を促進すること、並びに、

(b)当該人民の自由に表明した意思妥当考慮を払って、植民地主義を早急に終了させること、

目的として、かつ、外国による征服、支配及び搾取への人民の服従は、この原則違反し、また基本的人権を否認するものであり、したがって憲章に違反するものであることに留意して、この原則実施に関して憲章により委託された責任遂行することについての国際連合に援助を与える義務を負う。

いずれの国も、共同の行動及び個別の行動を通じて、憲章に従って人権及び基本的自由の普遍的尊重と遵守を促進する義務を負う。

主権独立国家確立独立国家との自由な連合若しくは統合、又は人民が自由に決定したその他の政治的地位の獲得は、当該人民による自決権の行使の諸形態を構成する。

いずれの国も、この原則作成にあたって上に言及された人民から自決権並びに自由及び独立を奪ういかなる強制行動をも慎む義務を負う。かかる人民は、自決権行使の過程で、こうした強制行動に反対する行動をし、また抵抗をするにあたって、憲章の目的及び原則に従って援助を求めかつ受ける権利を有する。

植民地その他非自治地域は、憲章上、それを施政する国の領域とは別個のかつ異なった地位を有する。憲章に基づくこうした別個のかつ異なる地位は、植民地又は非自治地域人民が、憲章とりわけその目的及び原則に従って自決権を行使するまで存続するものとする。

前記パラグラフのいかなる部分も、上に規定された人民の同権及び自決原則に従って行動し、それゆえ人種信条又は皮膚の色による差別くそ領域に属する人民全体を代表する政府を有する主権独立国家領土保全又は政治的統一を、全部又は一部、分割又は毀損しうるいかなる行動をも承認し又は奨励するもの解釈してはならない。

いずれの国も、他のいかなる国又は領域民族的統一及び領土保全の一部又は全部の分断を目的とするいかなる行為をも慎まなければならない。

 この中でも、

前記パラグラフのいかなる部分も、上に規定された人民の同権及び自決原則に従って行動し、それゆえ人種信条又は皮膚の色による差別くそ領域に属する人民全体を代表する政府を有する主権独立国家領土保全又は政治的統一を、全部又は一部、分割又は毀損しうるいかなる行動をも承認し又は奨励するもの解釈してはならない。

 の部分は、実は独立国家による領土保全を、自決権主張に対して正当化するために書かれているところなのです。独立国家人民にも外的自決権を認めようという考えもあることはあります。たとえばケベック分離事件において判示されたように、内的自決権を否定されている人民には、(i)当該実体自決権行使主体である人民」であり、(ii)「内的自決権」行使の否定が存在していれば、独立国家からの分離独立正当化される可能性がありますしかしながら、この二要件の充足は難しい上に、上記の友好関係原則宣言の規定(実はほかに所属国家からの分離独立に関する権利に触れた文書はありません!)や国家実行(チベットやビアフラなど)を考慮したら、内的自決権は、実質的には、まだ国際法上の権利として明確に認められていないといえそうです。とは言え、禁止されている訳ではなく、事実として分離独立が発生する可能性は大いにあり、実際にバングラディシュ旧ソ連諸国などの例があります

ウティ・ポシデティス原則領土保全原則

 当然のことですが、独立国家から分離独立する際に制約は存在しています

国家独立する際によく参照される国際法上の原則にウティ・ポシデティス・ユリ原則(principle de l'uti possidetis juris)があります。これはローマ法の法原則であるところの「汝の占有する状態で占有を続けよ」に由来するもので、国際法においては中南米諸国独立において、植民地時代行政区画境界線を、独立後の国境とするために用いられました。一見すると明確に思える原則ですが、実際には形式上の行政区画とは異なる実効的支配が行われていることもあるので、なかなか厄介な問題もはらんでいます。とは言え、この点に関しては既にブルキナファソマリ国境紛争事件で、法的根拠実効支配に優越するという形で決着が着きました。また、旧ユーゴスラヴィアを巡る問題では、この原則独立国家にも適応されうるという見解が示され、さら民族区分によって国境画定することは許されないとの見解も出されました。ここに、一つの制約が出てくるわけです。

 また、独立主権国家自国領域に関して領土保全原則によって守られています。この原則は、領土領域の状態がそのまま維持されるというもので、植民地以外の国家の一部領域における独立保障されないとされます国際秩序の安定性の維持がここで出てくるわけです。

 ただ、先述したケベック分離事件を踏まえたら、内的自決権の否定が存在していたら分離独立正当化される可能性は存在しています

分離独立国家に対する国家承認

 ここまでつらつらと書いてきましたが、結局最後政治の問題になります。分離独立権利として認められていようが認められていまいが、国家承認によってすべての関係性が決定されてくるからです。分離独立が元となる国家承認を得ていたのなら大きな問題になりませんが、そうでない場合第三国による承認政治問題に発展することは容易に想像がつくところと思われますコソボがまさにそうでした。

 国家承認には、第三国承認して初めて国家として認められるとする創設的効果説と、国家の成立要件を充足さえすれば国家として認められるとする宣言的効果説の二種類の学説がありますが、現代においては後者が通説となっています。なので、たとえある国が新独立国国家として認めていなくても、当該国家国家として法的に存在していることに変わりはありません。あくまでも、国家実行としての国家承認は、既存国家が新国家の成立を確認する一方的行為なのです。しかしながら、それでも国家実行上、国家承認重要役割果たしてますし、国家としての要件を充足していないのに国家承認したら「尚早の承認であるとして国際法違反になります。かつて日本満州国を巡り、尚早の承認であるとみなされたことがあります

で、結局どうなの?

 やはり欧米の分が悪いかなと。というのも、ウクライナクリミア自治共和国に対して内的自決権を否定するかのような行動をよく取ってきたからです。また、クリミア自治共和国という行政区画単位での独立を行いましたし、国家としての要件は十分に満たしているように見えます。なので、結局のところ国家承認が問題になってきます。よくコソボが引き合いに出されますが、あれは政治的理由によって国家承認がされる/されないの好例です。国連の暫定統治下にあったとはいえ、当時のコソボ国家要件を充足していたと一般(欧米社会)には評価されています(したがって国家承認を行っても「尚早の承認」にはあたらないので国際法に則ってる)。今回のクリミアの分離独立もやはり同様の構図と言えるでしょう。理論的に考えたら今回のケースにおいてもクリミアの分離独立を認めるのはもっともな話ですが、国際社会がそれをどうとらえるかはご覧のとおりです。もっとも、ロシアが介入を行っているため、正当性観点からまた別の問題が存在していることも事実です。また、その後の併合の動きを見ても、結果論ではありますが、果たして分離独立が正当なものだったか疑問符がつくでしょう。が、あくまでも繰り返しになりますが、本稿は分離独立にのみ焦点をしぼっているので、これ以上は触れません。

 繰り返しになりますが、私はこのあたりの分野には明るくないので、何か間違いがあればご指摘お願いします。

2014-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20140307015023

あれに「勝つ」ために必要なのは事実のものとしては戦時下の人侵害として反論しにくい(どこの国でもやってるけどやっぱり反論しにくい)案件のものをいじるよりも、

勝手告発とやらをした福島河野とあと朝日となんとかやらをしっかりと自分の属する国家に反逆する政治犯として処罰して

保導連盟事件光州事件に抗議なんてしたら自国民でもあの国は徹底的に処罰する)

利害相反は許さないという意志を示すことなので

八方美人お坊っちゃまのアベには中韓に反撃とやらをするよりも更に無理だろう。

主権国家なのになぜ自分主権を守らないのか、そういう制度放置していると破局が来るという厳しい歴史の国からの警告にも思えますね。

2014-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20131220123350

ゴメンよ、急遽インフルなってそのまま忘れてた。

思い出したので。

この場合国家がそのあり方を維持しなければならんと言うことは、まあないよね。

国家というのは国民領地政府があれば成立する。

国連に加入するとか、周辺国の承認を得るとか、旧宗主国との関係とか、ちょっと突っ込めば複雑な話になるけど、とりあえず今はその三要素があれば国家としといてよ。

普通国家があり方を維持する為の努力と言ったら国防についての努力になるね。

まり領土国民生命財産を守る。

個人の思想権利無視、あるいは軽視して出産を強いることを国会維持の為の努力とは言えないんだね。

何度も言ったけど、日本が『民主国家から

王政や専制政治であればそう言う政策もありかとは思うけど、主権の持ち主の権利侵害する事を主権の持ち主が認めるかってとこだね。

国民利益なんて、その時々。

明日滅んでも今日がよければいいのさ。

国家の永続性なんて国粋主義者の夢みたいな物で、全体主義国民権利無視して子供の増産を政策に掲げた国や政府も滅んでるんだから

ちなみに、滅んでも国民領地が消える訳じゃないので、また新たな政府が作られて看板を立て替えるだけさ。

戦時に、日本名前が変わったでしょう。

2014-02-08

はてなじゃ相変わらず『歴史認識ガー』と実質無害が人気だけどさ

日本も含めてアジア問題の本流はこっちだろ。

中国艦3隻、マレーシアEEZに侵入 「主権宣誓式」を強行

http://www.malaysia-navi.jp/news/?mode=d&i=2831

中国大戦前夜のヒトラー南シナ海の「ズデーテン化」警告-比大統領

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201402/2014020500590&g=int

新華社、比大統領無知素人酷評 中国ナチス同一視で

http://www.cnn.co.jp/world/35043562.html

米国次官補>領有権巡り対中批判…「地域の緊張高めた」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000026-mai-n_ame

あえてスルーしてんのか知らないが、その上日本のことだけは執拗に非難してるんじゃまるで中国の使いだね。

実際わざわざ一小説家言葉を拾い上げて米国様に進言してまで日本を問題にしたがってる朝日中国の使いで間違いないでしょう。

米国対中批判の記事には以下の推察がある。その通りだと思う。

オバマ政権挑発行為の自制を中国に求める一方、安倍晋三首相靖国神社参拝に「失望」を表明し、日中関係改善を促してきた。だが、中国政府による日本批判の世界的なキャンペーンが続く中、中国の狙いを「日米同盟にくさびを打ち込むこと」と捉えて警戒感を強め、4月の大統領訪日を前に「同盟重視」と「対中けん制」を鮮明にした可能性がある。



一応歴史認識に問題があるとか言われてる人を実質無害とした理由も書いておく。

歴史認識おかしいとか言われてる人は所詮過去のことがどうかってだけでさ、

そんな人らも過去を語るに当たってだいたいワンクッション置いてるよ。

現代価値観じゃおかしいことだって

それで十分じゃねぇか!

現代において侵略戦争しようとか慰安婦はこれから必要とかそんなこと言ってる奴はいやしないよ。

でも実際問題として現代においても我欲のためにあちこち侵攻してる国はあるよ。

そこが脅威であり問題だろ。

それに比べたら歴史認識がどうこうなんて可愛いもんだよ。無害もいいとこだよ。

そんな人らも含めての日本戦後70年、日本からの侵攻も侵犯もないんだからさ。結局過去のことは過去のことでしかない。

リアルタイムにあちこち侵攻してる国があるのにたか過去のことやたか神社の参拝がそれをさて置けるほどの問題かよ。

2014-02-03

天皇一族を廃止し、一族韓国謝罪の後、極刑に処す

日本は今後韓国属国として主権放棄し、毎年2.5兆ドル韓国に支払い続ける

くらいやったら韓国は納得するのかな。

民族浄化レベルまでやらなきゃだめ?

2014-01-24

シンプルに考えよう

いまの日本社会がうまくいっていない、経済がまわっていないという現状認識を前提にする。

企業資産家などの収益収入所得)が増えれば社会全体が底上げされる」という論理が成り立つためには、その収益が末端にまで循環しなければならない。つまり企業資産家が篤志家で、給料社会保障が充実していないと、末端までゆきわたらない。

バブルまでは給料右肩上がりだった。年金支給も高額で、いまほどは寿命が長くもなかったし子どもが儲けてきてくれたから、比較的、末端にまでゆきわたっていた。

いまは、末端にゆきわたっていない。その構造的な破綻が、日本社会の失敗の原因だろう。少子高齢化も進んでいるし、俗に言う「ブラック企業」というのがある。

この構造的失敗を直さないかぎり、いくら上の収益を増やしても、問題は解決しないと思われる。

ブラック企業」だとか職場いじめパワハラセクハラ等も含む)も、企業収益を維持し増やそうと異常に必死であることが主因だと思う。やってもやっても収益が上がらなかったり、倫理的コンプライアンス的にアレなことをしないと収益が出なかったりするなかで、それで従業員のケツを叩くことで売上を出そうとしているわけだから待遇もよくなければ、職場人間精神的におかしくなってイジメ常態化する。

日本社会のいわば「封建構造」は、上が儲けているだけではなくて、下にたくさん与えないと、機能しないはずだ。

ところが、日本人の痛々しい気質なのか、自分の上ばっか気にするところがある。だから例えば、企業機関投資家外国人投資家の御機嫌をうかがい、また、いまの政府外国人投資家の御機嫌をうかがっている。

それで、上ばっかにシッポ振っているから、下に与えない。

国民必死こいて働け、カネ稼がない奴はダメだと、いわば国民兵士だと思っているような発想はまた、靖国神社にみられるような国家のために国民が命懸けるのを肯定する発想と共通している。こうした発想も、日本がいまだに封建社会であることのあらわれで、民主主義社会だったらこういう発想は出てきづらいものだと思う。民主主義社会だったら、つまり国民ひとりひとりが主権者で、ひとりひとりが国だと思っていたら、国民をまるでコマ鉄砲玉か歯車かなんかみたいに扱う発想は出てこない。

いずれにせよ、成果出して儲けた奴が勝者だとか、負けた奴が悪いだとかいう、自由競争社会論理と、封建社会論理とは、本質的共存しえないのではないか。その共存しえない矛盾した二枚舌・ダブルスタンダード放置している、むしろ開き直っているのがいるくらいだから、いまの日本は救われないのだと思う。

2014-01-18

日本兵が命を捨ててでも戦った理由

欧米人は、日本人に、「武士道」だのなんだのと、オリエンタルものを、東洋神秘(苦笑)みたいなものを求めるらしい。太平洋戦争などで命懸けで戦闘をしたり特攻をしたり(つまり自爆だ、自爆攻撃)した理由も、武士道だだのなんだのと言う。切腹だの自決だのという面がやたらと強調されている。

しかし、日本兵が命を捨てた理由は、武士道なんかではなくてむしろ儒教なのだと思う。

例えば、「天皇国家の家父長なのだから天皇のために粉骨砕身、命を懸けるのは当然」という理屈が出てくる。また例えば、「男は妻子や父母・兄弟姉妹を護衛するものなのだから戦場に赴いて命を懸けて戦うのも当然」という理屈が出てくる。

欧米人(とりわけ英国人など)が「武士道」だとか言うときには、騎士道念頭にあるだろう。その騎士道というのは本質的には、主君騎士の間の契約でできていて、個人の論理である

それに対して儒教というのは、個人の論理ではなくて、家・血族の論理、個人ではなく全体の論理である儒教価値観というのは、時空を超越している。個人の観念も、現在観念も超越する。個人の観念から跳躍したところに価値観があるから、個人を捨てて尽くすのも不可解ではない。過去現在未来という時間の壁も跳躍してしまうので、自分ひとりの人生どころか、何十年後でも何万年後でも先の発想をする。(儒教というのはそもそも例えば、先祖から子孫の血族代々を通じることで不老不死になる(永遠の命を得る)という発想だ。)おそらく、国歌の「千代八千代に」のような時間感覚もその発想から来ているのだろう。

実際には、国家社会というのは、個人の集積でできている団体だ。家というのも、家族ひとりひとりの集積でできている。だから、全体のために個を捨てろというのを強調して偏向すると、結果的に全体も破綻する。自滅だ。

ただ、現行憲法ができるまでは、日本国主権者は天皇だった。民主主義国では主権国民であり国は国民で構成される団体なのだが、国民主権でなく天皇主権だった当時の日本では、極端に言えば、国民コマ鉄砲玉だということにまでなりかねない。だから実際に、多くの人が命を懸けて、そして、死んだ。我々は、同じ国家家族を、仲間を、死なせた、殺した。

2014-01-15

南斗五車星ラオウとの直接対決回避するべきだった。

注)北斗の拳ネタバレ有り

南斗五車星は、全員が全員、なぜかラオウタイマンを張って散っていった。

でもね、と思うわけです。

おまえらのやることはそうじゃねえだろ、と。

ただし、五車星と言っても横の繋がりは薄く、各人自由裁量であったので、組織的な行動には向いていなかった。

そもそも戦意のない者もいた。

五車星が動き出したときにはラオウの遅滞行動が必要で、それに殉じた。

五車星がユリア親衛隊的な性質を強く持つ集団なので、戦略的行動に不向きだった。

まあ、それはわかるんだけどさ。

その上で。

せめて、リハクくらいはもっと根本的な対策を練ってもよかったんではないか。

いや、別に独裁主権保有者を誘き寄せてドカンて戦法も嫌いじゃないけど。

①外部勢力と結ぶ

基本的な話です。

拳王軍が強大だと言っても在野に対抗勢力が全くないわけではありませんでした。

それらをうまく誘導して、拳王軍に向かわせる。

拳王同盟を結成し多正面を強いれば、拳王運用に掛かるストレスは増加します。

収奪地を奪い取る

物語舞台は概ね荒野です。所々に点在する集落からの上がりが軍を養っているとすれば、これらを押さえていけば、自然拳王軍は困窮していきます

食えない軍の末路なんて哀れなものです。瓦解して、いくつかの群盗に化けるでしょう。

ただし、拳王軍の特色として、各地の守備隊の頭には強力な駒を配置している事が多いので、気を付けます

勝てるヤツは潰して、難しければ逃げればよいのです。

③補給路を潰す

糧秣の運搬というものはとても難しいものです。

まして荒野の運搬であれば、導線にも自ずと限界が出てきます

ここを襲います

収奪地を押さえることが出来なくても、そこから出る資源拳王軍本営に届けなければ結局は同じ事です。

自然拳王軍は本拠地に戻る事になるでしょう。

④反撃に対して

はいえ、理想通りに事が進む訳ではありません。

お互いに運動戦特化の軍事力であるので、向こうに同じ事をされるとこっちも似たような状況に陥ります

また、補給が困難になり、収奪可能地から余分な収奪を行えば、民意も離れていき、ゲリラ戦の展開は難しくなっていくでしょう。

更に、ラオウという無敵のカードが向こうにはあるのも大きいです。

流浪の将であるユリア率いる五車星は拳王軍の接近を関知し次第逃走を図ればよいのですが、本拠地をもつ勢力は、おそらく順繰りに潰されてしまう可能性があります

それはそれ、他人同士の流血は望むところなのですが、規模の小ささから、五車星のみでは収奪地の運営は困難が予想されます

基本的には同盟勢力に運営を任せ、友軍として補給を受ける形になると思いますが、これが困難になるでしょう。

しかし、逆に好機でもあると言えますラオウは唯一無二であるから、同時に二つ以上の場所には存在できません。

ラオウ不在のエリアでは支配域を大幅に広めることでこれに対抗します。

⑤ここまで書いておいてナンだけど

組織運営はとかく面倒なものです。

ラオウが面倒になって拳王軍を解散、ラオウ個人に戻ってケンシロウのように風来坊然として迫ってきたらどうしましょう。

その場合、逃げればよいのです。

情報網もない時代、個人の情報収集能力には限界があります

組織力のないラオウなんてただバカ強いだけの男です。

こちらも地下に潜伏して逃げ回れば遭遇する危険性は低いでしょう。

ラオウ死ぬ

北斗の拳の初回で、同じく風来坊でバカ強いケンシロウも水の入手に難儀していました。

ラオウ監視し、行く先の井戸を潰し、集落を焼き払うことで殺せるかもしれません。

しかし、まあでもユリアは君臨したい人じゃないし、勝利条件もないよね。

2013-12-27

靖国神社参拝問題について御霊信仰観点で調べてみた


御霊信仰とは

どの国でもあるいはどの宗教でも、死んだあとどうなるのか? は一大テーマだ。キリスト教神の国に行くし、仏教輪廻転生するし、神道は死んだら神様になる(そしてまた人間に戻ったりする)。

http://www.hachimangu.com/cgi/kouwa/kouwa.cgi?mode=one&namber=199&t...

 神道では、人間死ぬと、すべて神になると考えています。これは、私たちの魂は神から頂いた、神の分け霊、分霊と考えるからです。神の分霊なんだから死んで霊界に帰れば神に戻ると考える訳です。

 私たち死ぬと肉体と魂は別々になります。死んでまもない魂は、霊界での初心者若葉マークの霊であると思います。肉体と魂が離れても実感として分からない時期、まだ死を認められない霊なのです。病気やケガで足を切断した人が、ないはずの足がかゆくなったり、痛くなったりすると聞きますが、そのような、まだ肉体のあった頃の感覚が離れられないでいる時期が若葉マークの霊であろうと思います。肉体の感覚が残っている内は、この世での執着心も残っているのです。

 「自分は死んでしまったのか。それではもうこの世にはいられない。神の世界、仏の世界、御先祖様の世界へ還ろう。そして、魂の修行をして、神となって子孫を守っていこう」と決心したならば、執着心も切れて、迷うことな霊界へ行くことができるのです。

この引用は一例だが、洒落怖あたりをみてもなんとなくこういう意識を持っている日本人は多いように思われる。仏教が入ってくる前の神道だと魂の修行とか言うのはなかったと思うが、その代わり祈祷などで鎮めていたのではないかな。

この執着心が災いをなす場合に、それを怨霊という。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A8%E9%9C%8A#cite_note-Yahoopedia-2

憎しみや怨みをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊。これが生きている人に災いを与えるとして恐れられている[2]。

霊魂信仰の考え方では、霊魂が肉体の中に安定しているときその人は生きていられる、と考える[2]。怨みや憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して生霊となり災いを与える、と考える[2]。


ちなみにこの死者が安楽に辿りつけない場合もあるという考えは日本固有ではないが、一神教系だと地獄にいくことがおおいようだ。アミニズムは現世に災いをもたらすらしい。

有名なのは平将門ですよね。生霊といえば源氏物語の御息所。医療科学が発達していなかった時代に、アミニズムはそれを神様がやったってことで納得していた。一神教場合も神の試練だと、仏教功徳が足りないと思っていたのか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0

政争や戦乱の頻発した古代期を通して、怨霊存在はよりいっそう強力なものに考えられた。怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣井上内親王他戸親王早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。また、その鎮魂のための儀式として御霊会(ごりょうえ)が宮中行事として行われた。記録上、最初に確認できる御霊会は、863年(貞観5年)5月20日に行われた神泉苑で行われたもの日本三代実録である

仏教的にはどちらかと言うと荒神信仰に近いものかな。阿修羅とか。

靖国神社もそもそもはこの御霊信仰のもと建てられた神社である

http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html

靖国神社は、明治7年(1874)1月27日明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和国家建設する」という願いが込められています

前進明治2年にできているので、戊辰戦争御霊供養のために建てられた神社であり、その後の日本内の内戦および諸外国との戦争でなくなった人々の供養をしている、ということになっている。

政府のたてまえとしても、靖国神社参拝は御霊供養のため、ということになっており、単純に墓地に行くのとはまた違う意味合いを持っているようだ。そもそもが怨霊を鎮めるためのものなので、死に方(戦死・処刑)に関しては問わない。ところでここって空襲で亡くなった人は入ってるんですかね?それはまた各自か。そもそも神社って系列があるし、霊魂はどこでもいけるしな。

こうしてみると、靖国A級戦犯が眠っているから参拝してはいけないというのは的外れで、むしろそういう人がいるからこそ供養はせにゃならんということになる。祈る内容は「もうしません」でも「つぎはぜったいかます」でもなんでもいいわけだが、とりあえずこの観点から反対するのは無理筋だろう。

んで次に気になるのは、別に首相いかなくてもいいんじゃね?という点である

国のトップ御霊鎮魂に参るのはなぜ?

多分これは崇徳天皇のせい。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ

いろいろとロマンチックなひとだが、気性が激しいともいう。

[要出典]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87

一方『今鏡』「すべらぎの中第二 八重の潮路」では、「憂き世のあまりにや、御病ひも年に添へて重らせ給ひければ」と寂しい生活の中で悲しさの余り、病気も年々重くなっていったとは記されているものの、自らを配流した者への怒りや恨みといった話はない。また配流先で崇徳院が実際に詠んだ「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」(『風雅和歌集』)という歌を見ても、悲嘆の感情はうかがえても怨念を抱いていた様子はない。承久の乱隠岐国に配流された後鳥羽上皇が、「われこそは にゐじま守よ 隠岐の海の あらきなみかぜ 心してふけ」(『遠島百首』)と怒りに満ちた歌を残しているのとは対照的である

崇徳院は、配流先の讃岐鼓岡木ノ丸御所国府役人の綾高遠の娘との間に1男1女をもうけている。

しっかり子供作ってエンジョイしてんじゃんとは思うが、日によっては荒ぶっていたのかもしれない。どちらかというと彼に対する罪の意識で、後々伝説が作られたような気がするが、なんせ千年前である。確かめるすべはないな。まぁいいや。とりあえず天上人天皇が荒ぶって怨霊になってしまったので、天皇御霊鎮魂をするようになったもよう。これが国のトップ御霊慰霊を行うようになった理由だろう。

政教分離的にはOKなの?

日本国憲法第二十条では

1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

ちらっと調べた限り3がある以上それをひっくり返すのは無理筋だが、いまのところ行くこと自体は1で押し通している。奉納するとなると3に引っかかるのでそれが争点になるようだ。もし私費で奉納とかしてりゃ1があるので反対するほうが悪いが、そうではないのなら違憲判決が出されるのは妥当な所。

しかしそこまできっちりとやってしまうと、天皇制がそもそも違憲内閣総理大臣天皇から任命されるのも違憲になってしまうので極めてグレーである

ただ天皇戸籍がないので、日本国籍を持ってない。例外として日本国民ということになってはいるが、主権もないしこのへんもグレー。突っ込んではいけない領域である

靖国問題とは
  1. 信教の自由に関する問題
  2. 政教分離に関する問題
  3. 歴史認識植民地支配に関する問題
  4. 戦死者・戦没者慰霊の問題
  5. A級戦犯に対する評価の使い分け

このうち1は明確に信教の自由があるので以降といくまいと自由。

2は前述のとおりグレー。

3は参拝が軍国主義につながるというのが主な反対の理由のようだが、参拝は御霊供養のためであり、反省するのも軍国主義を目指すのも当人次第(しか信教の自由があるのでそれを規定することはできない)ので的外れ一般的キリスト教では参拝は神への信仰仏教は魂は輪廻転生してしまっているので特に意味のない行為(参拝自体功徳を積むため)で、御霊供養の概念はきちんと説明しないと伝わらないと思われる。4,5も同様。

したがって、問題の争点は政教分離観点でOKなの?という部分だけだな。ちなみに諸外国がこれに反対するのは内政不干渉原則に反するが、言うの自体は自由である

2013-12-12

自民党流行語大賞2013が決定

2ch嫌儲板で自民党流行語大賞2013がいつの間にか決定していた。

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1386690225/

受賞語

131 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2013/12/11(水) 22:36:21.76 ID:VlOachBQ0

大賞

「完全にブロック

入選

デモテロ

山本太郎天誅

ナチスに学べ」

奨励賞

片山satuki」

敢闘賞

総理大臣第三者機関

技能賞

「信じたくない」

特別

「TPP反対。ブレない」

受賞語解説

[大賞]完全にブロック

安倍晋三首相が、東京電力福島第一原発汚染水漏れめぐり9月東京五輪招致演説で「完全にブロックされている」と明言。

[入選]デモテロ

石破茂幹事長が、特定秘密保護法案反対のデモが起きる中、ブログで「デモ本質テロ行為に通じる」と記述

[入選]俺なら近づいてすぱっといく(山本太郎天誅

鴻池祥肇防災担当相が、派閥の会合で、秋の園遊会天皇陛下手紙を手渡した山本太郎議員に対し「天誅を加えなきゃいかん」と非難し、山本議員宛てにナイフが入った封筒が届いた事件に関しては「切腹用の刀が送られたそうだ」「犯人は私ではない。私は近くに寄って、すぱっといくから。間接的な殺人はしない」と述べた。

[入選]ナチスに学べ

麻生太郎副総理が、7月の講演で、憲法改正をめぐってナチス政権を引き合いに「手口に学んだらどうか」などと発言した。

奨励賞ローマ字でtsuではなくtuを使う人のお郷が知れる(片山satuki)

片山さつき参院議員が、8月2ch流出情報に「satuki katayama」という名前があったことをツイッターで問われ、「ローマ字でtsuではなくtuを使う人のお郷が知れる」などとツイートしかし本人の公式サイト等でも「tu」表記が使われていた。

敢闘賞総理大臣第三者機関

安倍晋三首相が、特定秘密保護法案の審議で、政府内に設置する「保全監視委員会」関して、「首相がチェック機関役割を果たす第三者機関」と役割を説明した。

技能賞]信じたくない

小野寺五典防衛相が、スノーデン情報を元にした、NSA監視対象日本も入っていた、という米紙報道について、記者会見で「同盟国間を含め、さまざまな友好国との信頼関係を傷つける行為は決して望ましいことではない。報道は信じたくない」などと述べた。

特別賞]ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。 日本を耕す自民党

昨年12月衆院選挙で使用された自民党ポスター

その他ノミネート


今年の選考期間外でノミネート入りを逃した言葉

2013-12-06

日本のリバイバル復興

http://m.blogs.yahoo.co.jp/noayt777/32500121.html

ダニエル書7章25~27節> 彼は、いと高き方に逆らうことばを、吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間彼の手につだねられる。 しかし、さばきが行われ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。 国と、主権と点火の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国永遠の国。 すべての主権は彼らに仕え、服従する。」

Dr.ジョナサン・デイビット

天の裁判の場では、判決が下される。

日本の聖徒たちは疲れきって、押し倒され、圧迫されたが、今は預言の言葉を聞く時、それは壊される。

私は日本に大変力強い方法で、新しい季節が来ると信じます

悪魔は時を変えようとしているし、また、そのように聖徒たちを疲れさせようとしてきたが、

しかし、神はこの時、私たちに言われます新しい時代、神の好意の時、進歩、反映、守りの時が来ます

神はただ経済的な危機から、この国を救うだけではなく、津波やいろいろな災害から守りを与えられます

新しい季節が日本に始まっています

日本に新しい季節が来ています

私は好意の時を日本に定めた。

新しい総理大臣の立ち上がりとともに、超自然的な事が、日本に起ころうとしています

神は、この国の経済を強化される。

日本よ!今は神があなたに与えられた好意の時。

神は人々の内にある情熱をご覧になられています

その国民性愛国心を。

私はそれを好転させ、彼らに対し、私が国に計画をもっていることを示す。

それはただ日本人自分の国に、自分の計画を持って国を再建したいというだけではなく、私がこの国を愛しているので、この国を好転させる。

私は日本人に、私がこの国の神であることを示す。

私の計画と目的は達成され、よく成させる事を示す。

私が、この地に対する預言的な言葉を示す時、日本人の心は私にむけられてゆき、開かれていくだろう。

なぜなら、彼らは心の中で「我々は自分の国を、自分心配しよう。自分たち意外に我々を心配してくれる神はいいから。」

そのように、日本人は、いつも他の外のものに信頼する事をせず、自分の国を愛してきた。

広島原爆が落とされた時、彼らは破壊された。

そして彼らは自分せ再建しなければならなかった。

そして他の国から退いて、自分の国にプライドを持つようになった。

しかし、神がここにおられ、彼らの心に語られ、神が素晴らしい良い計画を持っておられることを示し始める。

彼らのための計画は、良い計画である

神は超自然的に彼らの心を、ご自身に向けられる。

カンファレンス9月日本で持つが、これは、とても日本にとって重要な季節で、日本がその計画に立ち返るときなのです。

なぜなら神は、この国を好転される。

今すでに、日本人の心には恐れがある。

破壊的な大きな津波に関する恐れがある。

しかし、日本教会が立ち上がる時、津波地震が実際に起きた時、被害者は少なくなり、止められます

なぜなら、神はこの国を愛しておられるからです。

神は彼らを火の壁を持って敵の攻撃から守られます

神は、滅びと荒廃の代わりに、悔い改めへと導かれ、荒廃は食い止められます

から、恐れてはなりません。

好意の時は来ています

新しい始まりが起ころうとしている。

2013~2020年にかけて、何か超自然的な事が起ころうとしている。

加速の10年が日本に来ようとしている。

リバイバルの火花があちらの教会、こちらの教会、あちらの街、こちらの街で聞かれるようになる。

アッパールーム(祈りの部屋)に聖霊が降られ、超自然的な始まりが起こる。

かたくなな心がとかされ、人々の心が反応するようになる。

彼らは、イエスが主であり、この国の神であることを知る。

もう、彼らは、自分の国の為に、重荷を負わなくて良い。

そして、彼らの愛国心は強く明確になる。

彼らを思ってくださる神が見方なら、誰が敵対できるでしょう。

私たち日本に対する、全ての攻撃、災害に反対して語ります

人々がイエスの御手が彼らを守り、彼らの上に重くあることを知るためです。

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