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2019-09-08

anond:20190908120508

文明を持たないニューギニア先住民自給自足で生きて子孫を残していっている。

日本ではおよそ1反(=10アール)の田んぼがあれば人一人が一年間食っていける米が収穫できるといわれている。

税金を使って国民教育を受けさせるのは働いて社会に貢献してもらうため。

搾取されたくないなら自給自足で頑張ってくれ。(そういうカルト団体もいっぱいあるよね)

2019-01-09

旧日本軍って

超大雑把ですまんけど、

要するにミッドウェーからマリアナまでの丸々2年間、

延々と中部太平洋の島々の取り合いをしてたわけでしょ?

まりソロモンサイパンニューギニア辺りに釘付けにされたまま

一歩も動けず負けたと。

だせえwww


そりゃあ戦後アメリカ

×大東亜戦争

太平洋戦争

と訂正したのも理解できるし、

戦前山本五十六米内光政が渋ったのも道理だが、

でも奴らは結局東條英機に押し切られたヘタレだし、

東條は一夕会の御先達の意向に従って粛々と開戦させて

そのまま粛々と絞首台送りになったのはいいが、

死後ちゃっかり靖国に祀られていると。


雑に調べただけでもこんだけバカバカしいのに

それでも大日本帝国のノリが好きな人がいるんだから

人の世は様々ですな。

2018-11-03

韓国の88歳の大学教授ハングルで書いた文章です。日本語訳します。

韓国の88歳の大学教授ハングルで書いた文章です。日本語訳します。

http://yeoksa.blog.fc2.com/page-0.html

"私は88才です。 もう事実を話したいと思います。" [チェ・キホ伽耶大学客員教授]

朝鮮末期の私は1923年の生まれです。もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います

それは相当な覚悟必要です。生命危険覚悟していますしかし、これは私の使命であると信じています

私はソウルに住んでいました。 そして、時々、平壌東京に行きました。

その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。劇場に行けば映画の前に、戦争ニュースがありました。

例えばニューギニア日本が勝った映像が流れ、拍手万歳暴風雨でした。

私は映画が好きで、東京にも行きましたが、日本人は冷静でした。

しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。 それが普通の姿でした。

なので「親日派」という言葉使用できません。その「使用できない言葉」を使って、先祖まで批判しています

「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。

韓国日本歴史教育比較すると、日本10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。

朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています

韓日合邦によって「教育」医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。

近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。

その実績を「日本帝国主義の侵略政策産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます

より一層「日帝民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります

民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。 近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。

韓国人は「日帝虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。 歴史真実を知っているためです。

朝鮮末期は「地獄」でした。 それは大韓帝国時代になっても同じでした。

1904年日本朝鮮惨状を救うために、財政支援決断します。

例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。

その差額は日本負担していました。 1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています

現在88才の老人の絶叫です。 どう思われますか?

2018-10-24

オーストラリアってあん位置にあったっけ?

もっと海の真ん中にあって近くにある島はニュージーランドだけで

そのニュージーランドも南東じゃなくて北東になかった?

こんなにパプワニューギニア近かったっけ・・・なんでだろう・・・

2018-10-07

準拠法を海外にすればあらゆる問題解決しない?

先日Osushiが炎上してたよね。

他人お金送るサービスってなんとか法のせいで難しいんだって

でもさ、だったら準拠法とか言うの変えたら良いんじゃないの。

このサービスはパプワニューギニア法律に従いますので〜とか言ってさ。

知らんけど。

2018-05-31

anond:20180531165434

落陽の賦(1954年処女作1961年に「落陽」と改題)

地唄1956年本来長編『断弦』の一部)

処女連祷 三笠書房 1957 のち集英社文庫

まつしろけのけ 文藝春秋社 1957

断弦 大日本雄弁会講談社 1957 のち文春文庫

花のいのち 小説林芙美子 中央公論社 1958

ずいひつ 新制社 1958

美っつい庵主さん 新潮社 1958 のち文庫

げいしゃわるつ・いたりあの 中央公論社 1959

江口の里 中央公論社 1959 のち文庫

紀ノ川 中央公論社 1959 のち文庫角川文庫新潮文庫

こぶとりじいさん 伊東万燿絵 講談社 1959 (講談社絵本)

私は忘れない 中央公論社 1960 のち新潮文庫

祈祷 講談社 1960

新女大学 中央公論社 1960

有吉佐和子筑摩書房 1961 (新鋭文学叢書)

三婆 新潮社 1961 のち文庫、「地唄三婆講談社文芸文庫

ほむら 講談社 1961

弟子 中央公論社 1961

更紗夫人 集英社 1962 のち文庫

閉店時間 講談社 1962

雛の日記 文藝春秋新社 1962

脚光 講談社 1962

香華 中央公論社 1962 のち新潮文庫

若草の歌 集英社 1963

連舞 集英社 1963 のち文庫

左衛門四代記 文藝春秋新社 1963 のち新潮文庫

有田講談社 1963 のち角川文庫

仮縫 集英社 1963 のち文庫

つるの恩返し 講談社 1964 (講談社マザー絵本)

非色 中央公論社 1964 のち角川文庫

ぷえるとりこ日記 文藝春秋新社 1964 のち角川文庫岩波文庫

女館 講談社 1965

一の糸 新潮社 1965 のち文庫

日高川 文藝春秋新社 1966

ライオンめがね 熊田千佳慕講談社 1966 (講談社絵本)

乱舞 集英社 1967 のち文庫

華岡青洲の妻 新潮社 1967 のち文庫

地唄 新潮文庫 1967

不信のとき 新潮社 1968 のち文庫

海暗 文藝春秋 1968 のち新潮文庫

新潮日本文学 有吉佐和子新潮社 1968

かみながひめ 秋野不矩ポプラ社 1969 (むかしむかし絵本)

女二人のニューギニア 朝日新聞社 1969 のち文庫

出雲の阿国 中央公論社 1969-72 のち文庫

ふるあめりかに袖はぬらさじ 中央公論社 1970 のち文庫

芝桜 新潮社 1970 のち文庫

夕陽ヵ丘三号館 新潮社 1971 のち文春文庫

針女 新潮社 1971 のち文庫

恍惚の人 新潮社 1972 のち文庫

日本文学 阿川弘之庄野潤三有吉佐和子 中央公論社 1973

孟姜女考 新潮社 1973

木瓜の花 新潮社 1973 のち文庫

真砂屋お峰 中央公論社 1974 のち文庫

母子変容 講談社 1974 のち文庫

複合汚染 新潮社 1975 のち文庫

鬼怒川 新潮社 1975 のち文庫

筑摩現代文学大系 芝木好子有吉佐和子筑摩書房 1976

青い壷 文藝春秋 1977 のち文庫

複合汚染その後 潮出版社 1977

和宮様御留 講談社 1978 のち文庫

悪女について 新潮社 1978 のち文庫

有吉佐和子中国レポート 新潮社 1979 のち文庫

日本の島々、昔と今 集英社 1981 のち文庫中公文庫岩波文庫

開幕ベルは華やかに 新潮社 1982 のち文庫

すごい・・

anond:20180531004731

同意

ニューギニア部族ちんこ丸出しで生活してるのに

こっちだと即逮捕

この国の息苦しさは変えていかねばならない

2017-07-30

https://anond.hatelabo.jp/20170730001835

食べ物の値段気にしない先進国なんてそもそも無いが……

拾ったり捕まえたりするからノーコストに近いタイやらニューギニアのが裕福な国かね?

2017-04-26

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/katarenakaltutatoukyoudaikuusyuunosinjitu.html

戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカ日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。

 C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。

 「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。

 隅田川にかかる橋の欄干や、総武線ガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。

  東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。

 「戦争を忘れさせよ」 慰霊碑許可せぬGHQ

 D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。

 E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。

 地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。

 終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。

 D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書コピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。

 「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。

 70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。

 A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。

 C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷陸軍省参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑浜離宮上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。

 東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行三菱商事日本興業銀行横浜正金銀行東京銀行第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町霞ヶ関でも、内閣府国会議事堂警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界アメリカの盟友関係を裏付けている。

 軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。

 E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。

 B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。

 米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構

 A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。

 F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。

 A 終戦末期になると特高警察マークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。

 天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。

 B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。

 D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞正力松太郎朝日新聞緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。

 イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。

 E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。

 C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。

 都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。

 E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。

 B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。

 A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。

 F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。

 90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。

 A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省経産省防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。

 米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。

 財閥やメディアも米軍占領下で地位守る

 C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。

 F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一重光葵吉田茂近衛文麿などを「自由主義者穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。

 グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。

 のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。

 これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。

 A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。

 F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルン鮎川義介浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカ自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。

 A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。

 C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。

 もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカ共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。

 B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。

 F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。

 徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。

 A アメリカプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。

 C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。

 A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。

 しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。

 この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。

 分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義インチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。

 A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地自衛隊施設へ変わった。横田基地在日米軍司令部であり、すべての在日米軍自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。

 とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイグアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋東アジアを管轄する兵站補給基地だ。

 東京都港区六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。

 そのほかにも府中、由木、大和田硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。

 地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。

 B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県埼玉県神奈川県新潟県山梨県長野県静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。

 羽田空港成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。

 A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。

 B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。

 F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。

 司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる

2016-10-21

機動隊の土人発言は土人に失礼だ

水木しげるニューギニアの現地人の事を親しみを込めて「土人」と言っていたのは有名な話。土と共に生きる人、大地の民という意味合いで親しみを込めて使用した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/水木しげる

から沖縄デモ隊に向かって土人と言ったのは良くない。土人に失礼だ。

「触るなクソ、どこ掴んどるんじゃ、このボケ」までは良いが「土人」はいけない。大地の民、土人がかわいそうだ。

「触るなクソ、どこ掴んどるんじゃ、このボケアカが」くらいならよいか

まんまだなw

2015-12-17

ギニア人はそろそろ世界ギニア会議を行い国名統一してはどうだろうか

ギニア

赤道ギニア

ニューギニア

ガイアナ

ギニアビサウ

・(仏領ギアナ)

ギニアを冠した名前だけで5カ国ある現状を何とかせねばなるまい。

2015-09-19

私はなぜ安保法案消極的賛成で、何を心配しているのか?

安保法案をめぐるここ一連の流れは、今まで日本という国と国民が先送りしてきた諸々の問題が噴出してきた感がある。それは安全保障だけでなく、日本行政機構構造問題や、ともすると太平洋戦争に至る過程・戦中の流れ・戦後の総括についての話題も含まれるようだ。

先に、これを書いている私個人の意見を述べておくと、憲法違反疑念問題を除けば、安保法案消極的賛成だ。「後ろ向き」賛成ともいう。

  1. 憲法違反の件はヤバイ。あれは下手をすると「政府は何やってもOK」という意味になるから
  2. でも憲法との整合性がとれているなら、安全保障の面では、安保法案で示される流れについては理解しないでもない。
  3. 安全保障の面で理解しないでもない」とはいものの、その舵取りを現在三権行政立法司法)に任せたら、枕を高くして寝ることは一生無理ではないか――という不信感がある。

たぶん、この3点は、程度の差があれども(で、程度の差によって意見が分かれるところだろうけど)、普通日本国民の誰もが感じていることではないだろうか。

憲法違反問題

安保法案憲法違反疑念がある問題は、安保法案主題としている安全保障とは別のところで、大問題だといえる。

乱暴に言えば、「オレオレ憲法解釈」で物事を進めてしまうことは、「オレオレコーラン解釈』」で物事を進めているISISと似たようなものだ(「オレオレじゃない『コーラン解釈』」=イスラム法)。ISIS非難できなくなってしまう。

本来は、安保法案を進めたいのなら、憲法改正すべきなのだ。だが憲法改正に関しては、また別の、根の深い問題がある(後述)。

安全保障問題

憲法違反の件を無視するなら、安保法案で示している内容には、傾聴に値するものがある。

それは「俺は殴るつもりはなかったし、むしろなだめようとしたんだけど、興奮した相手が殴りかかってきて……」というケースにどう対応するか、という問題だ。

基本的に、戦争なんて損ばかりだ。人道的にも、財政的にも、経済的にも問題ありすぎる。戦争せずに済むなら、その方がよいのは当然だ。

太平洋戦争を経て日本が学んだことは、第一に「自分から殴りかからない」ということであり、第二に「とりあえず、まずは話し合いをこころみる」ということだ。この2つをまとめると「揉め事には『大人の対応』で臨め! ガキじゃあるまいし、すぐに殴ろうとしなさんな」となる。

(まあアメリカも、「ABCD包囲網での締め上げ」とか「蒋介石カイロ宣言で『無条件降伏』を要求させちゃった」とか、火に油を注いだところが結構あるのだが)

はいえ、揉め事自分だけでなく相手もいるから生じるもので、相手が最初から殴る気で仕掛けてきたら……と考えると、少なくとも護身はできないとマズイ。

この辺のバランスが、(当時の国際政治の状況やら何やら事情があったとはいえども)自衛隊誕生の一端にある、といえる。

問題は、東アジアの各国が経済成長にともない軍事力も増していることと、経済成長により他国との摩擦が表出してきたことと、世界的な不況の影響で各国国民の不満がたまっていることと、その不満が経済成長による他国との摩擦で高まってきたナショナリズムの気運に流れ込んでいることと、そんなナショナリズムの高まりを各国政府制御しきれるか否か、である。今の東アジアは、第一次世界大戦前夜のヨーロッパ並みにキナ臭い

個人的には、政府戦略として反日を主導している今の中国韓国よりも、何らかの要因で政府の力が弱まって下から突き上げを抑えきれなくなった場合中国韓国の方が怖い。戦前日本にもそんな感じ(=下から突き上げ)があっただけに。

しか他国軍事力が増加しているため、自衛隊との相対的な差が縮まることで、相手から「くみしやすい(殴っても問題ない)」と思われてしまう可能性もある。

日本場合四方が海で、防衛すべき範囲が広い。海上自衛隊海上保安庁はともかく、今よりも備えを厚くする必要はあるだろう。現実問題として、離島地域では中国漁船違法操業問題があるし、竹島尖閣諸島のような離島地域での領土問題も抱えている。

備えを厚くする場合方向性として「自前で全てそろえる」と「仲間を呼ぶ」の2つが考えられる。安保法案後者の「仲間を呼ぶ」の流れを汲んでいる。

実際のところ、日本経済状況的に「海上保安庁自衛隊を拡充して、日本全土を自前の軍隊で守る」というのは厳しい。先に書いたように、四方が海であるために、防衛すべき範囲が広い(というか広すぎる)。また、例えば対中国で考えると、装備や錬度でカバーするのが難しいぐらいに「数」の差がある。

ここで従来のようにアメリカと組むとして、アメリカ軍が度々行われてきた軍縮で縮小していることに留意する必要がある。この影響は、少なからアメリカ軍軍事力を頼りに軍縮していた同盟国に影響を与えている。日本例外ではない。

あと安保法案の話で「自衛隊アメリカの都合で起きた戦争に駆り出されたら――」的な批判がなされるが、同様の批判アメリカ国内にもあるだろう。すなわち「他国の都合の戦争に、自国アメリカ)の若者を送り出すって、どうなのよ?」ということだ。アメリカ軍を引っ張り出したいなら、アメリカ国内が納得する「(アメリカにとっての)大義やメリット」が必要だ。選挙のこともあるだろうし。

安保法案は、いわば「規模を縮小したので一度にカバーできる範囲が狭くなったアメリカ軍の協力をとりつけやすくする(アメリカから見た優先度を上げさせる)」ためのものだ。こうしておくことで、「ワイの後ろには○○の代紋があるんやで」効果で相手を怯ませることも狙えるだろう。

繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのもの必要だ。

三権行政立法司法)不信の日本国民

(再三ならが、憲法違反の件を無視するとして)安全保障の点で、安保法案が示す内容は、良し悪しは別として、ある意味現実路線と言える。

いえるのだが、しかし、実際に日本国民として安保法案に直面して感じるのは、「これ、悪用されずに適切に運用されるのだろうか?」という心配である

私はとりたてて再軍備主義者ではないが、日本再軍備化すると仮定した場合重要になる点を1つだけ知っている。

一言で表すなら、それは「空手の有段者になれ!」ということだ。空手の有段者は強いが、強いからといってむやみに周囲に殴るかかることはない。むしろ普通の人よりも強い自制が求められる。

仮に日本再軍備化するとして、再軍備化したからといってすぐにやたらと殴りまわったら、それはガキの態度だ。大人ではない。軍隊を持つ平和路線の他の国家と同様に「(鍛えてますけど、むやみに殴りかかりませんよ。だって)大人ですから……」という方向が望ましい。

民主主義国家において、このような態度をとるには、第一に軍隊自体暴走を防ぐためのシビリアン・コントロール必要であり、第二に軍隊を統帥する政府暴走を防ぐための「国民による政府監視と、選挙による適切なコントロール」が必要であり、第三に「国民自身の自制」が必要となる。

日本再軍備化を進めるなら、国民はまず自省して、過激な排外主義排除しなくてはならない。排外主義他国他民族とのいらぬ摩擦を生み出し、火種となってしまう。これは大人の態度ではない。排外主義排除されるべきだろう。軽挙妄動は許されない。高い倫理観を持つべきだ。

また国民は、日常的に政府の動きを監視し、選挙直前の動きや宣伝に紛らわされることなく、観察した記録にもとづいて投票を行い、政府暴走の要因となりうる人物を当選させないように努めなくてはならない。

残念ながら、今の日本では、まず選挙による政府コントロールが効いていない。例えば安倍政権安保法案の一件は、2014年選挙の時点で囁かれていた話だ。だが、結果はどうだろうか? 選挙の時、我々は直近の出来事にとらわれて投票していなかっただろうか?

次に、日本では政府暴走の歯止めとなる公的機関存在しない。例えば憲法裁判所がないため、憲法違反疑念がある法律であっても、一度可決・公布されてしまえば、何か具体的な事件が起きて誰かが提訴しない限り、違憲性の審査は行われない。

最後に、行政立法司法三権のどの分野でも構造問題が指摘されているにもかかわらず、何の変化もないため、三権に対する不信がある。

例えば、仮に日本憲法裁判所があったとして、安保法案違憲判断を下すことができるだろうか? 日本裁判官の大半は実質的最高裁判所裁判官に任用されている。最高裁判所裁判官内閣によって任命されている。そして最高裁長官の任命過程においては、内閣意向が少なからず反映されている。このような流れの中に憲法裁判所があるのならば、暗黙のうちに内閣意向に影響された判決がでても不思議ではない(ことに、内閣意向を受けた最高裁判所裁判官胸三寸出世更迭も決まってしまう一般の裁判官の身ともなれば……そして、内閣意向によって出世の頂点(最高裁裁判官)に立てるか否かが決まる最高裁判官の候補や、下手すると引き摺り下ろされかねない最高裁判官ともなれば……)。

行政立法に関しては、外部から見て、どうにも組織に自浄作用があるように思えない。例えば何か問題が起きた場合、大抵はトップ更迭で済んでしまう。何が問題であったか分析し、具体的で効果のある改善案提示し、改善を行い、その結果を問題分析改善案を含めて広く公開する……というPDCAサイクル的なものが、組織外部の国民の目にはみえない。

そもそも我々日本人は、失敗を恐れすぎる。もとより人間は失敗する動物だ。何も考えずに突っ走って失敗するべくして失敗するのは、さすがにどうかと思うが……しかしある程度成功確率を高めたなら、その時点でチャレンジしてみて、失敗したならしたで反省会を行い、次に生かすべきなのだ

だが実際には、なぜか最初から失敗を許さな雰囲気が強いし、失敗するとすぐに責任問題を言い出す(本来は、反省会で色々と分析した上での「責任問題」のはずだが……)。人格攻撃になることもしばしばある。そして早すぎる責任問題に決着がつくことで、本来開かれるべき反省会はなされず、有耶無耶に終わってしまう。

悪いことに、日本社会は失敗に厳しすぎる。一度更迭されたら、ずっとそのままだ。このような環境では、皆失敗を恐れるし、失敗したら隠そうとする。なぜなら、失敗したら、そして失敗したことが発覚すれば、この先一生どん底だからだ。

行政立法構造問題は、この日本社会の「失敗への厳しさ」が悪い方向に作用しているために生じている気がしてならない。誰だって自分の身はかわいいものだ。少なくとも私はそうだ。あんだって、そうだろ?

ともかく、日本国民には少なから三権への不信があるうえに、政府をうまくコントロールすることもできていない。この状態では、どのような法律であっても、適切に運用されるか否かの疑念が生じる。

特に安保法案をめぐる安倍政権自民党の動きはマズかった。政権による強引な進め方や、一部議員による乱暴な発言は、国民にとって「国民政府議会コントロールできていない」という印象を与え、不信を高める結果となった。またオレオレ憲法解釈を持ち出してきたことで、安保法案のものについて「将来、オレオレ安保法案解釈』を持ち出して、滅茶苦茶なことをやらかす政権がでるのではないか?」という疑念を与えてしまった。

安保法案戦争法案」と揶揄される背景には、その内容の難解さだけでなく、「誤った運用がなされるだけでなく、将来、拡大解釈して無茶なことをやらかすようにならないか? そして誰にも止められないのではないか?」という三権への不信が見え隠れしている。

蛇足だが、安保法案を通すには、本来憲法改正必要だ。だが日本国民には憲法改正へのアレルギーがある。なぜか? 「あいつら絶対に余分な変更(=改悪)も入れてくるから」という政府議会への不信があるからだ。自民党憲法改正案は酷かったし、派遣法の改正もアレだった。こんな実例が山ほどあるのだから、不信が高まって憲法改正アレルギーになるのも無理はない。

「我々はキ○ガイなのか、違うのか?」という問題

日本国憲法に関しては、そもそも押し付け憲法論がある。個人的には、押し付けだろうとなんだろうと、ネズミを捕るのが良い猫だと思うのだが……。

仮に押し付け憲法だったとして、ではなぜ世界でも稀な憲法九条存在するのか、という点を考えてみることは重要だ。世界的には、平和路線国家でも(規模の大小はあれども)軍隊を持っているものだ。

要するに、大日本帝国は、当時のアメリカに「キ○ガイ」だと思われたのだ。あいつらに刃物を持たせたらあかん、何やらかすか分かったもんじゃねえ――ということだ。

例えば、現在生きている日本人たる我々がニュースで目にする自爆テロ理解しがたいように、当時のアメリカ人特攻という行為を行う日本人理解しがたかったのではないか? また国体維持のためだけに南方戦線で損耗率7~8割という無茶(現代戦では損耗率3割で全滅判定)をやらかしメンタリティーも理解できなかったのではないか?

理解できないことが、恐怖をあおる。戦略的には、特攻南方戦線での戦いも、大日本帝国政府にとっては裏目に出てしまった。日本軍隊を持つ資格はない、とんだキ○ガイだと認定されてしまったのだ。

しかしこれは、裏を返せば「まともな国になったなら、まあ、軍隊を持ってもええんじゃね?」ということにもなる。まともな大人は刃物を振り回しません、ということだ。

さて、「安保法案戦争法案」と揶揄される背景をもう少し考えてみると、興味深いことに気づく。それは、日本国は未だに「キ○ガイ」ではないか、という疑念だ。これは中国韓国の主張(実際に彼らの言っていることから類推すると、そういうことになる)のことではなくて日本国民から日本国政府ならび議会への疑念のことだ。

というのも、「安保法案戦争法案」という構図には、どこか「また『特攻』や『ニューギニア戦線での地獄』が繰り返されるのでは」という不安があるからだ。

これは、太平洋戦争について国民国家をひっくるめた反省会(失敗の原因の分析、具体的な改善案提示改善案適用)が行われなかった弊害だろう。

そもそも太平洋戦争は大失敗だった(戦争に懲りたということは、つまり、失敗だったということだ)。大失敗だったからこそ、三権国民を巻き込んでの大反省会必要不可欠で――もしかしたらどこかで行われていたのかもしれないが、残念ながら私は寡聞にして知らない。

国民国家自らによる反省会(総括)が行われて、落とし前がついていたなら、ここまで疑念は膨れ上がらなかったはずだ。でも反省会無し・対策も無しなら、「またやっちゃうかも」という心配は残ったままとなる。

戦後反省会が行われず、そのまま70年が経過した。その間、残念ながら三権への国民の不信が高まった。そしてここ20年ほどの政府議会の混乱や暴走ともとれかねない動きは、国民に「政府議会=我々がコントロールできない代物」という印象を強く与えてしまった(仮にも民主主義国家だというのに……)。

再度繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのもの必要だ。

必要だが、しかしまた「キ○ガイ」のごとく暴走してしまわないか? やむをえない自衛のための戦争ならともかく、暴走して要らぬ戦争を起こしてしまわないだろうか? 三権への根深い不信と、国民政府議会コントロールできていないのではないかという疑念ゆえに、日本国民は、日本という国が「キ○ガイ」のままではないかという恐怖を感じているのだ。

まとめ

私は憲法違反疑念より安保法案否定的であり、安全保障の面では安保法案Permalink | 記事への反応(1) | 18:20

2014-11-14

物々交換儀礼お金基本的お話

人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。

で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリー話題さらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。

「暮れの元気のご挨拶」と「スーパーでの買い物」

人類学宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK問題というのがある。

日本人って、デート神社縁日金魚すくい彼女浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?

まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。

例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。

いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠学説全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。

トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。

Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。

というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、

彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。

単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。

また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアン伝統的な贈与経済だと言われている。

ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。

簡単に例えよう。

日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元お歳暮無視する気かよ」と返しているのと同じだ。

普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。

古代物々交換の話

というかだ、人類学チョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。

フランス文化人類学であるマルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。

文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。

で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的儀礼的だったり政治的だったりする。

そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。

で、この物々交換お金起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミス国富論(The Wealth of Nations)だ。

ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。

じゃあ、お金ってどこから来たの?

言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。

が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。

信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的義務政治的権威とは切り離される。

この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。

古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。

それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。

これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)

ここで、巡り巡って、原始的な村人の相互扶助形態に戻る。

まり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、

「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。

その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。

お金の話と、評価価値経済

譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。

実例の積み重ねと、演繹から論述は、方向性が違うからだ。

文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。

あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、

そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。

極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてな流通させても良いわけだ。

ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモン

ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。

これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位しか無い。

「今回は私が解説したので、3シナモン相殺ですね」とかできるわけだ。

それが「5シナモンくれたら、Microsoft戦略について語るよ」とか

10シナモンで家を建てます」とか他人が入ってくると、

これはもう、評価価値経済になる。

そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金本質になる。

シナモンという評価価値無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。

この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。

ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨金本位制でなくなった時点からお金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。

まとめ

沈黙交易代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。

ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。

しかし、クラ交易ポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的権威を背景にした贈与文化であるとされている。

それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。

まり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。

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なお蛇足ながら、集団内の物々交換煩雑から媒介物としてタバコが用いられた近代の記録なら、あるよ。

(The Economic Organisation of a P.O.W. Campでググると良いよ。超面白いよ)

2014-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20140308211824

逆にチンピラじゃない国家がどこにあるのか教えて欲しい。

パプワニューギニアとか?

2014-01-13

久々に胸糞悪いツイートを見てしまった。自分検索したせいだけど。

別にご祖父を尊敬されるのは自由ですが(私も私の祖父のことは好きだし)、それが先の戦争を肯定する理由にしていいとは思わないわ。

自分の祖父の軍歴を追っていって、この人華僑殺したのかなと思ったけど、直接聞けない。怖い。

橋落とされてバイク部隊がどんがらと川に落ちていった話や敵と銃撃戦になった時に横にいた人が撃たれて死んだ話は聞いたけど。

ニューギニア戦線動画を見て、米軍のふくよかさとは対象的なガリガリの日本軍とか、ダメダメな感じが見てられなかったし。

病院船装ってとっ捕まった人の回顧録を読んでも、「ほぼ全員脚気に罹っていたが、脚気病気の内に入らなかった。敵とはいえちゃんと診察してくれて嬉しかった(うろ覚え)」ってあって、ほんとにもう負けるしか無いし、負けた戦は肯定してはいかんのだなあと思っている。

2013-09-10

togetterなんぞにリンクを送る気など毛頭ないのですが、あまりおかしな言説なので叩いておく。

艦これ」を契機に学ぶ日本海軍SEGA類似性とは? - Togetter

http://togetter.com/li/561893

艦これ流行って『なんで日本海軍負けたの?』って聞かれる事が増えたのだけど、『着眼点は非常に鋭く、良い戦術を多数生み出すも微妙に足りてない上層部時代先取りしすぎておっつかない開発コストで先細った』に対する『あぁつまりSEGAってこと?』で壊れた腹筋を返せ。

大日本帝国海軍上層部が生み出した「良い戦術」ってなんだろう?

急降下爆撃は帝国海軍発祥じゃないし、航空戦で強かったのもゼロ戦の機体性能とパイロットの腕、爆撃・雷撃を命中させるのもパイロットの腕と魚雷の性能だったし。

運用中の陸上攻撃機の航続距離が異様に長いのを利用してイギリス東洋艦隊を航空兵力で壊滅させたり、フィリピンを爆撃して航空機根こそぎぶっ壊して戦争序盤を優位に進めた、くらいしか戦術的に良かった点なんてないと思うんだが。

時代先取りしすぎておっつかない開発コスト」との指摘も、曖昧すぎて何を指しているのかわからない。

帝国海軍の中で時代を先取りしすぎた技術って何かあったか

三式弾なんてコスト以前にパフォーマンスダメダメだったし、彗星水冷エンジンなんて稼働中から整備士に嫌われてたらしいじゃん。

艦上戦闘機次世代機もなかなか性能面ゼロ戦上回れなかったし、レーダー類や通信技術ミッドウェイ海戦の時点でアメリカに遅れを取ってたわけで。

航空母艦の飛行甲板だって色々試してたわりには全然時代先取りしてなかったし。

時代を先取りしすぎってのは「変なものばっかり作って」という揶揄のつもりなのかな。気球爆弾とかは確かにあったけど、そういうの明確な敗因として挙げるのはキツい気がするが。

そもそも「微妙に足りてない上層部」と「開発コスト」が足りてれば勝てた、というのが大きな間違いで、あのまま勝つには、後釜のいない空母機動部隊を終戦まで無事に運用できる戦術戦略と、ゼロ戦ジェットエンジン積んだ戦闘機と互角に格闘できる戦法を組織的に確立し、大和の対空砲手が爆撃機を「トンボとりでもするかのように」撃墜しまくり、彗星程度の機体性能の爆撃機VT信管の炸裂すら避けつつ敵空母に急降下爆撃を命中させまくる、くらいの奇跡が重ならないと無理だったわけで。

その他海軍の敗因

・どう考えてもそのタイミングじゃねぇだろって所で無駄に巨費を投じる

・多方面に手を伸ばし過ぎて維持できなくなる

・外どころか日本国内にも敵(主に陸軍)を抱える

・一回盛大にコケて(ミッドウェー)最後までそれが取り戻せない

どう考えてもそのタイミングじゃねぇだろって所で無駄に巨費を投じる

これもどこで無駄に巨費が投じられたのか具体的に書いてないからわからない。戦中の大和型3番艦信濃改装か、戦前大和型建造くらいしかないと思うが、他に無駄に巨費を投じたプロジェクトってあったか

方面に手を伸ばし過ぎて維持できなくなる

軍艦運用する石油がないか南方作戦が必要なんだし、ニューギニア珊瑚海方面も大量の資源供給であるオーストラリアアメリカ本土の遮断目的なんだから、どっちもやらないと戦争終わらないし。

南方ニューギニア珊瑚海も手出しせずにアメリカ海軍とだけ正面で戦ってれば良かったなんてのは、艦隊決戦で勝ったほうが戦争勝利、みたいな取り決めでもあると思ってるんだろうか。

インド方面のことであれば、あれは陸軍の作戦だから海軍はあまり関係ないしね。イギリス東洋艦隊を追っ払う意味インド洋までまで機動部隊が出撃したことはあるけど、それは一時のことだし「維持できなくなる」原因にはなってない。

外どころか日本国内にも敵(主に陸軍)を抱える

陸軍海軍の仲の悪さは確かに有名だけど、別にこれで重要な作戦に何度も失敗してるわけじゃないしなぁ。

確かに問題点の1つだったとは思うが、明確な敗因として挙げるのは無理があると思う。

一回盛大にコケて(ミッドウェー)最後までそれが取り戻せない

「一回盛大にコケたら最後まで取り戻せない、つまり一度もコケられない薄氷を踏むような戦況」は敗因ではなく、敗因はその戦況の原因であるところ「兵器生産する資源の少なさと工業力の低さ」「レーダー類や戦力の高い航空機を開発する技術力の低さ」なんじゃないの。

確かにメガドライブあたりの家庭用ゲーム機ハード戦争で緒戦は好調だったセガが、次世代機セガサターンでは他社の兵站の前に屈してドリームキャスト投入を余儀なくされ、そこでも決定的な負けを喫して撤退、その後は平和憲法を守るように戦争には参加していないというのは「大日本帝国海軍セガ的」なのかもしれないが、その理由が『着眼点は非常に鋭く、良い戦術を多数生み出すも微妙に足りてない上層部時代先取りしすぎておっつかない開発コストで先細った』で共通する、というのは間違った認識なんじゃないの。

上層部がうまくやれば日本は勝てた」みたいな説がツイッターで流布していたんですが、それはデマです。

セガネタ面白く見えるからって広めるのやめてください。

2013-04-09

クイック・ジャパン10号より

宇川直宏(以下:宇川):全部繋がったって確信はすごいですね。でもそういえば小学校ときに行って、そのイメージがずっと引きずっている場所が、一箇所だけありますね。それは『ドラーの兄ちゃん』ていう人がいて、その人ね、頭おかしくて、まじで精神病院入ってたみたい。同じ小学校の先輩だったんんだけど、いっつも「ドラー!」って言って怒ってる。

山塚アイ(以下:アイ):ははは(笑)

宇川:でバット持って、追いかけてくるんですよ。まじで怖い。ある意味クラスト完璧に。

アイ:ウォリアーズみたいやん。

宇川:で、ドラーの兄ちゃんに連れられて、ドラーの兄ちゃん家に行ったことがあって、「ドラー!」って怒られながら(笑)。いやまじでこっちが何を言っても90%は「ドラー!」としか言ってくれないんですよ(笑)。「あのー、僕のどかわいたんですけど」、「ドラー!」「あのー、僕も、そろそろ帰りたいんですけど」「ドラー!」って全然会話が成立しない(笑)。なんかもー、ニューギニアかどっかの奥地の未開人と話してるみたい(笑)。住んでいる所完璧長屋で、こんな長い10mくらいのコケとかが、屋根にふさ~とかって生えてて。

アイ:10mのコケって凄いね

宇川10mのコケ凄いでしょ。屋根全部、10mのコケなんですよ。凄くないっすか、それ。あ、スミマセン10mもない。

アイ:10m近く(笑)

宇川:1mくらい。(中略)それからその1mのコケが、屋根から下に全部垂れてる。もー、すんごくて、髪の毛生えてる感じ。ラスタの。家の屋根が緑のラスタですよ。もー、ピーター・トッシュの顔面みたいな家なんですよ。

アイ:ギャハハ(笑)。んで、「ブラーなんや

宇川:そうそう。そんで、「ドラー」。

アイ:(笑)あ、「ドラー」か。「ドラー」(笑)

宇川:それで、そのラスタ長屋の中に入ったら、魚屋の店内みたいなんですよ。もー、辺り全体。全部石で出来てて、室内が、そこで寝てんですよ、みんなスヤスヤ(笑)。中で布団とか、ドバーとかって干してて凄い湿度が高くて不快度90%ぐらいだから絶対乾燥しない。

(中略)

宇川:あのスポットは凄かったわぁ。一瞬だけ徳島に住んでたことがあって、お父さんの出張で。で、そんときなんですけど。ドラーの兄ちゃん。あそこ凄かったー。よく考えたら。ほんと、たまに思い出すんだけど、あのピーター・トッシュの顔面みたいな長屋(笑)。とんでもない悲惨生活してたんだなぁ。今考えたら。バケツで酢飯作ってるのかと思ったら、単なるご飯(笑)ブラジルハードコアで、『ミンファミー』ってあったでしょ。紫一色だけのインクで印刷してて、石の上のまな板みたいな、でっかい長いテーブルがあって、三人、浮浪者みたいなのが手づかみでご飯食べてるジャケ。

http://f.hatena.ne.jp/moistly/20130409152837

http://www.youtube.com/watch?v=hftQWa2v6VM

アイさん、見てますよ。絶対。内容もモロ凄いんだけど。どっかの収容所みたいなとこで、手づかみで飯食わされている写真

アイ:(笑)それ、メンバーじゃないでしょ。

宇川:絶対メンバーじゃない。それがメンバーだったら凄いんだけど。

アイ:手づかみで食うっていうのはいいね。ド・テヅカミ!

宇川:それとドラーの兄ちゃん家、まったく同じ。完璧一緒。

2012-10-26

Pocket Planes 都市解説日本語

アフリカ

Al Fashir
エル・ファシールは、周辺地域でつくられた穀物や果物を供給する農業市場です。
Algiers
アルジェは、海から迫り上がるように建てられた白く輝く建築群のために、別名「白のアルジェ」と呼ばれています。
Bamako
バマコという名前はバンバラ語で「ワニの河」を意味する言葉に由来しています。
Beira
ベイラは、ジンバブエ、マラウィ、ザンビアなど南アフリカ諸国が輸出入を行う、古くからの主要な交易地です。
Benghazi
ベンガジの地は、2011年のリビア内戦で転換点となりました。
Cairo
カイロは、スフィンクス像やギザのピラミッドに近いことから、古代エジプトとも関係が深い都市です。
Cape Town
ケープ・タウンは、東アフリカインド、極東への供給基地として、オランダ東インド会社によって開発された都市です。
Casablanca
カサブランカ港は世界でもっとも大きな人工港の一つで、モロッコの経済、ビジネスの中心とされています。
Dakar
ダカールは、かの有名なダカールラリーの終着点でした。
Djibouti
異国情緒あふれる建築群が立ちならぶジブチは、「紅海におけるフランスの香港」と呼ばれてきました。
Durban
ダーバン市の有名な海浜地帯は、ゴールデンマイル、あるいは日常的に「マイル」という名前で呼ばれています。
Harare
ハラレ(1982年以前はサリスベリー)は、ジンバブエ最大の都市であり、首都でもあります。
In Salah
サラという名前は「よい泉」という意味の言葉に由来していますが、イン・サラの水はむしろ悪質で塩辛いことで知られています。
Johannesburg
ヨハネスブルグは世界の輝かしい首都であると主張していますが、その栄冠を主張する都市は他にもあります。
Juba
(Wiki のリンク先がムンバイになっています)
Kaduna
カドゥナのシンボルは、現地ハウサ語でカダと呼ばれるワニです。
Kampala
ブガンダのカバカ(王)、ムテサ・イは、やがてカンパラと呼ばれるようになるこの地域をお気に入りの狩り場としていました。
Kananga
カナンガとは「平和と愛の場所」という意味です。植民地時代以前は、領土問題を解決する条約の制定会議のために首長たちがここに集まったためです。
Khartoum
(Wiki のリンク先が長崎になっています)
Kinshasa
キンシャサは、コンゴ川リビングストン滝上流において航行可能な、初めての港として建設されました。
Kisangani
サンガニは、コンゴ密林地帯最大の都市です。
Lagos
ラゴスは、小川に隔てられた、ラゴス潟湖の南西口を縁取る島々に生まれた大都市です。
Lilongwe
リロングウェにはたくさんのヨーロッパ人と南アフリカ人が住んでおり、多くの国際支援機関がここを本拠地にしています。
Livingstone
リビングストンは、巨大で美しいビクトリア滝の水源地です。またの名をモシ・オア・ツニャ、「雷鳴轟く煙」という意味です。
Lobito
ロビトは、アフリカで最も良質な天然港を利用するために、ポルトガルマリア二世の命令で1843年に建設されました。
Mahajanga
マハジャンガは、美しい浜辺、ココナッツの木が並ぶ遊歩道を備え、そして雨のふらない晴れ間が8ヶ月続く、人気の観光地です。
Mogadishu
モガディシュは、インド洋沿岸のベナディール地方にあり、数世紀にわたって重要な港として機能してきました。
Mombasa
モンバサは、近代において香辛料、黄金、象牙貿易の重要な中心地でした。
Monrovia
1822年に建設されたモンロビアの名前は、リベリア植民地化の突出した支援者であった合衆国大統領ジェームズ・モンローにちなんで名付けられました。
Nairobi
ナイロビ国立公園にはライオンキリン、クロサイなどたくさんの動物がおり、また400種以上の鳥たちの繁殖地にもなっています。
Port Elizabeth
ポート・エリザベスにある聖ジョージ公園のクリケット競技場は、オーストラリアイングランド以外の地で練習試合が開かれた最初の会場です。
Port Sudan
ポート・スーダンは、紅海からナイル川までを繋ぐ鉄道の終着駅として、1909年イギリスによって建設されました。
Timbuktu
ティンブクトゥはサハラ砂漠の南の端にあります。砂丘に囲まれ、道路は砂で覆われています。
Tripoli
トリポリは、そのターコイズブルーの海と白亜の建物で、情緒を込めて地中海の人魚と呼ばれています。
Windhoek
ナミビア大学、ナミビアで唯一の劇場、中央省庁本庁舎、また主要なメディア金融機関はすべてウィンドフックにあります。
Zanzibar
ザンジバルの主要産業は香辛料、ラフィア椰子と観光業です。特に島嶼部では、クローブナツメグシナモン、胡椒を産出しています。

アジア

Aden
アデンは、1937年までイギリスインドの一部として統治され、アデン居留地として知られていました。
Ahmedabad
アフマダバードは、20世紀前半におけるインド独立運動の最前線でした。
Anadyr
アナディリは、ロシア東端の街であると同時に、ロシア極東地方にとって重要な港と空港になっています。
Baghdad
チグリス川沿岸に位置するバグダードの街は8世紀に成立し、アッバース朝の首都となりました。
Bangalore
バンガロールは庭園都市とも呼ばれ、かつては隠居生活天国と呼ばれていました。
Bangkok
バンコクでは、夜の繁華街に加えて文化的建造物やアトラクション異国情緒を醸し出しています。
Beijing
北京首都国際空港は、世界で二番めに多い利用者でごった返す空港です。
Butwal
ブトワールは、西ネバールカトマンズ都心を繋ぐ主要な玄関口です。
Cebu
セブでもっとも有名なランドマークマゼラン十字架です。1521年に、フェルディナンド・マゼランが鋳造したと言われています。
Chengdu
成都には、世界的に有名なジャイアントパンダ生育研究所が設立されています。
Delhi
ニューデリーの設立記念碑は、英国王ジョージ5世とマリー妃によって1911年12月15日キングスウェイキャンプに定礎されました。
Dhaka
ダッカの街では毎日40万台の自転車リキシャが走り回っており、世界一のリキシャの首都として知られています。
Guangzhou
1514年、欧州人として初めて広州にたどり着いたポルトガル人は、遠隔貿易の独占権を確立しました。
Hanoi
ベトナムの首都ハノイは、2010年、公式に建設から1000年を迎えました。
Harbin
ハルピン国際雪祭りは、世界四大雪祭りの一つです。
Hong Kong
香港は、1997年に中国が統治権を取り戻すまで、大英帝国植民地となっていました。
Hyderabad
ハイデラバードは、トリウッドとして有名なテレグの映画産業の中心地です。
Istanbul
今はイスタンブールです。コンスタンチノープルではありません。
Jakarta
ジャカルタは、別名ビッグドリアンといいます。ビッグアップルと呼ばれるニューヨーク市インドネシア版と目されているためです。
Jerusalem
イェルサレムは、三つのアブラハムの宗教、ユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地です。
Kabul
カブールは3500年の歴史を持っています。交易路に位置するその立地の戦略性のために、多くの帝国がカブールの谷を巡って戦ってきました。
Kandahar
カンダハール地方は、高級フルーツ、特にザクロブドウの産地です。
Karachi
カラチは、南アジアと広域イスラム世界における高等教育の中心地です。
Kolkata
かつては英語綴りの Calcutta が正式名称でしたが、ベンガル語の発音にあわせるため2001年に Kolkata に変更されました。
Kuching
クチンはブルネイ首長国の一部でしたが、1841年に、英国人冒険家ジェイムズブルックの個人王国として割譲されました。
Kuwait City
1936年の油田発見によって、衛生、教育サービスなどクウェート市の生活水準は劇的に向上しました。
Lhasa
ラサは、ポタラ宮、ヨハン寺院やノルブリンカ宮殿など、チベット仏教の強い文化的特徴をもつ土地です。
Magadan
マガダン経済の主な収入源は、金鉱業と漁業です。
Manila
マニラは、1平方キロメートルあたり43,079人が住む、世界一人口密集率が高い都市です。
Mumbai
かつてボンベイとして知られたムンバイは、インドで1番、また世界では4番めに人口が多い都市です。
Muscat
マスカットは、アラビア海オマーン湾岸、戦略地であるホルムズ海峡の近くに位置しています。
Nagasaki
1945年8月9日、長崎はアメリカによる2度目の原爆攻撃の標的になりました。
Nanping
南平を取り囲む高い城壁は、古代に敵襲に備える防壁としてつくられ、砲撃を防ぐために使われました。
Norilsk
リリスク、タルナクのニッケル鉱床は、世界最大のニッケル、銅、パラジウム鉱床です。
Novosibirsk
ノボシビルスクは、モスクワサンクトペテルブルグに続いてロシアで3番めに人口が多く、アジアンロシアでは最大の都市です。
Osaka
大阪では、大阪湾湾岸にある人工島につくられた関西国際空港が営業しています。
Padang
(Wiki 記載の英文が他の街のものになっているような…。)パダンは、平均年間降水量が4,300ミリで、インドネシアでもっとも湿度の高い都市の一つです。
Palu
パルの主婦業は、木材彫刻、木材加工、編み物、さらにカゴづくりや敷物づくりを含みます。
Pevek
20世紀を通してソ連に錫、ウラニウムを供給したペヴェクの労働者は、強制労働制度による囚人たちでした。
Port Moresby
1975年9月、パプワニューギニアはポート・モレスビーを首都として独立しました。
Rangoon
ラングーンの下町は、緑に包まれた通りと、デカダン調の建築物で知られています。
Riyadh
サウジアラビアの首都として、リヤド南アジアイエメンスーダンなどの出身の住民も住む多様性のある都市です。
Sapporo
札幌は、サッポロビールと、有名なホワイトチョコビスケット、白い恋人の地元です。
Sendai
2011年3月、マグニチュード9.0の地震とそれに続く大規模な津波が仙台を襲い、深刻な災害を引き起こしました。
Seoul
ソウルは、世界でもっともインターネット接続率が高い都市です。全人口の半分以上がブロードバンド接続を活用しています。
Shanghai
上海は、人口において中国、世界でもっとも大きな都市です。
Shenyang
瀋陽は、中国東北地方における主に日本、ロシア、朝鮮との交通、商業の中心地です。
Singapore
シンガポールは、シンガポール島、またの名をプラウ・ウジョン島として有名な本島を含む63の島々で構成されています。
Taipei
台北101は、101階建ての超高層ビルで、完成時には世界で一番高い建物でした。今は2番めです。
Tehran
イランはその歴史上、何度も遷都をおこなってきました。テヘランイラン国家の首都として32番めになります。
Tiksi
ティクシの冬はとても寒く、11月から2月まで、気温はずっと氷点下です。
Tokyo
東京は日本の首都で、世界最大の都市です。ゴジラなどの巨大怪獣に定期的に破壊されます。
Ulan Bator
ウランバートルは、1639年に遊牧民仏教修行の中心地として建設されました。1778年に、現在の位置に恒久的に落ち着きました。
Urumqi
中国西域最大の都市ウルムチは、世界一海から遠い都市の記録を保持しています。
Vladivostok
ウラジオストクロシア太平洋艦隊の母港であり、太平洋におけるロシア最大の港です。
Xi'an
秦始皇帝陵と兵馬俑は、西安郊外にあります。
Xining
西寧は、夏の涼しさから中国避暑地の首都とも呼ばれてきました。
Yakutsk
ヤクーツクは、1880年から1890年代に金やそのほかの鉱物の大規模な埋蔵が発見されて以降、都市として発展しました。
Yinchuan
銀川は、周辺草原地帯の遊牧民が飼う家畜の群れから生産される動物製品を取り扱っています。

2011-08-15

誰も死なせないために、ネガコメ論争について考えることをやめない。

ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終止符を打ちたい

http://anond.hatelabo.jp/20110813021554を書いたものです


たくさんのコメントブックマークありがとうございます

もうちょっと書きたいことがあるので書きます


コメントトラックバックの様子を見ていた。

ぼくらはけっこう慎重なもんで、

「○○についてどう思う?」という問いかけを目にすると

「ああい場合もあるし、こういう場合もあるんじゃないか

という考え方に持っていこうとする。


じっさいそれは素晴らしいことだとおもう。

なにか大きな疑問があって、それに対して必ず正解があると考えることのほうが危険なのかもしれない。

もっと優しく、賢く、謙虚になろうと思ったら、自分勝手に結論をゴリ押ししないで

あまねく人と可能な限りとことん話し合うほうがいいのかもしれない。

そういうのをなんて言う?構造主義的?

現在属している共同体文化価値観に従って決定することを避けられないから、

ぼくたちはとんでもない誤りを犯している可能性が常にある。

慎重に慎重を重ねても、結論を出すのに「慎重になりすぎる」ということはないのかもしれない。


しかし、ぼくはもう待てない。

そうこうしてるあいだに誰かが死んでいるかもしれないから。


間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。

というコメントを頂いた。

ぼくは長期的な幸せを望む。

間違った部分とは何か、という疑問についてはもっと考える余地があるかもしれないが、

ぼくたちはおそらくみんながみんな、

なるべく誤魔化しや、

その場しのぎでない、

恒久的、

永続的な幸せを望んでいると思う。


しかしたら、前回の増田で例に挙げた、世界の多様性を示す例(ニューギニアアフリカの話)は

「間違った部分」なのかもしれない。根絶すべき人間の悪性なのかもしれない。


よく考えてみてほしい。


ナチスユダヤ人大量虐殺は「世界の多様性」と言ってしまっていいのだろうか?

9.11の同時多発テロは他人が介入すべきでない文化なのだろうか?


こういう例は枚挙にいとまがない。

うーん。そういうことにYESと言える人はあまりいないような気がする。

基本的人権というシールが、いつからか(先進国の人が考える)全ての人にへばりつくようになった。

このシール大事にする人は、生きていい人と死んでいい人という区別があるのは認められないと言って、

テロジェノサイドを非難するような気がする。


慎重に慎重を重ねてものを言うなら、

「人を殺してはいけない」という価値観ですら狭い考え方でしかいかもしれないし、

それにもし、第二次世界大戦連合国側が負けていたなら、

「人を殺してもいいじゃん」という価値観が(先進国で)普通になっていたかもしれない。

そうじゃなくなったのは、人間の理性が悪を打ち破ったからではなくて、たまたまだという気がする。


奇しくも今日終戦記念日であるらしい。

ぼくは戦争のことなんてなにも知らないけど(体験してないのに知っていると言ってしまうのはウソである気がしてる)

戦争はいけない」という価値観を受容して(強制されて)生きている。

そんなぼくが「戦争してもいい」という価値観を持つ人のことを理解できるわけがない。

理解できると言ってしまうのはウソな気がする。


からぼくはいまの環境価値観に則って問題を考えてみよう。

戦争のことを知らないぼくが、戦争はいいとか悪いとか言っても説得力がないが、

少なくともぼくらは、大量虐殺はいけないと言ってもいい。テロはいけないと言ってもいい。

そう考えることしかできないと思う。


さて、間違った部分とはなにか?

ネガティブな発言を減らしていくということは、

間違った部分を正していく行為なのかもしれない。

それが長期的な幸せを作っていくのかもしれない。


ぼくが言いたいのは、

ネガティブな発言をしてはいけない」という社会的合意が先鋭化されて、

ネガティブな発言をやめられない人は生きていてはいけない」という主張に変わり、

実際に人が死んでいるかもしれないということだ。


もう一度言うが、ぼくは長期的な幸せを望む。

ネガティブな発言をみんながやめられるということが

少なくともぼくらの共同体では正しいことならば、そうする方が望ましい。

ハッタリの幸せはいらない。

しかし、短期的にはその考え方のせいで人が死んでいるかもしれないということならば

話は別だ。


ぼくらは結局わかりにくいやり方で人を殺しているとおもう。

いちばん救われるべきだった弱いあの人を、ぼくらみんなが団結して殺した。

死因は自殺で、直接手を下したのはその人自身だったとしてもだ。


それはちょっと考え方が突飛すぎるだろうか?

考え過ぎだろうか?自意識過剰だろうか?

そうであるならばそれが一番いい。

ぼくひとりが間違っているのなら、それでいい。

殺されている人はいないのだから


自己責任が重視される社会

がんばらなければいけない社会

他人を傷つけるくらいなら自分を責める人がいて

自分が傷つくくらいなら他人を責める人もいる。

かなりの人が閉塞感を覚えているのだけど、その社会を選んだ(選ばされた)のはぼくらである

民主主義によって、多数決でこの社会が選ばれた。少数派を殺そうという選択だ。


最近はもう少数派と呼べるほど無視できる数ではなくなっている。

弱い人が、

虐げられた人が、

ネガティブな発言をやめられない人がどんどんどんどん増えている。

その問題を優しくて、賢くて、謙虚な人たちがどうすればいいかとうんうん考え込んでいる。

はてな民」たちはそういう人たちだと思っている。ありがたい。


しかし、あーでもないこーでもないと選択を先延ばしにしている間にも

世界は止まることがない。

つねに何かが選択されて、何かが切り捨てられていく。

切り捨てられていく中に弱い人達が含まれている。

もう待てない。

ぼくは、こんなふうに話し合っていくことが、

いつか世の中全体を変えるだろうと思っていた。

弱者を救済するための装置として、ベーシック・インカムに期待していた。

もう待てない。


長期的な幸せもいいが、まずは人を殺さないでほしい。

がんばって死ぬくらいなら、がんばらないで生きてほしい。

地面をはいつくばって生きるしかない人にとどめを刺さないでほしい。

ぼくらは死ぬために生まれたとでもいうのか?


蛇足かもしれないけど、

資本主義社会というのは、言ってみれば個人の自由を最大限尊重する社会だ。(その代わり平等ではない)

逆に人の自由を最大限奪ってしまものは「死」だ。

なにしろ死体になってしまうと、自分ではなにもできなくなるからね。

まあ、だから個人の自由を認める気があるなら、

資本主義を持続させようとするなら、一番避けるべきは誰かを殺すことじゃないかと思う。


それで、ぼくは「ネガティブな発言をやめろ」という言い方は誰かを殺すかもしれないと思うし、

解決するためには慎重に考えて、こうやって話し合っていくことが長期的な幸せにつながるのかもしれないけど、

考えれば考えるほどその間に人が死んでいってるかもしれないと思っているのだ。


まず「殺さない」ということだけでも、先になんとか決定できないだろうか。

ぼくは非道い人間である

ネガティブ発言を許せない誰かが狂ってでも、殺すことはやめようと言っているのだから

その人はもしかしたら有能で、社会をより良くしてくれる救世主かもしれないが、

それでも誰かが死ぬことよりはマシだと思っているのだ。

理由は単純で、ネガティブ発言を許せない人よりも、

ネガティブ発言をやめられない人のほうがすぐ死んでしまいそうな「気がする」から

(どちらの側であっても心に余裕がないのかもしれないけど)。

ぼくは常に一番「死」に近そうな人の味方でありたい。

強い人は強い人で楽しんでくれたらいい。


ていうか、ぼくが殺されたくないからこんなこと書くんやけどね。

クズ人間であっても、最低限生きていることくらいは許してほしい。

すいません。言い方を変えます

ぼくを殺さないでください。


上から目線で「あーしろこーしろ」と言いたくない。

ほんとは殺さないことが人のあるべき姿かどうかなんて、ぼくにもよくわからない。

このままのペースで世界の人が増え続ければ、間違いなくエネルギーや食糧が枯渇するから

あんまり人は増えないほうがいいという説を読んだことがある。

死んでいく人が増えることはいいことなのかもしれない?

でもぼくは死にたくない。これ以上誰かが死ぬのも見たくない。


一番死に近い人にとって、生きながらえるための最後命綱が、

ネガティブ発言」に込められているかもしれないと思ったのだ。それを奪わないでほしい。

もっと前向きな解決法があったらいいなーと思うけど、

「こんなふうにしてみようよ☆(ゝω・)v」

と言われて、

自然に従えるほどぼくは素直じゃない。リア充怖い。

ぼくに必要なのは、一緒に泣いてくれる誰かだ。

後ろ向きなままでは前向きな方法は毒にさえなる。

まずは、死にそうな人を心穏やかにすることが先じゃないのかな。それも死ぬ前に。


ダメだ…支離滅裂ですいません。

これはちょっとさすがに自分でも意味がわからない。書けば書くほど冗長なだけになる。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/20110811/1313037111

ぼくのブログですが、よかったら補足程度に読んでください。

2011-08-13

ほぼ全レス返し「ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終

まず、人は特性として自分の好きなものに向かっていく。

好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する

…いやごめん、それは憶測かもしれん。


でも高確率で人は好きなもの自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。

わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、

苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。

自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。


ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。

幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分幸せになりたくて必死だというのが現状だ。

だって幸せになりたい。


金がほしいし、

恋人がほしいし、

仕事したくないし、

気ぃ遣うの疲れたし、

時間がほしいし、

休みたいし、

あのボケナス脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、

あー遠いなー 幸せって。


からまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。

ストレスばっかりたまっていく。


もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、

要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。

建設的でないからそんなことを言うのはやめろ、

(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。


ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分幸せだと周りも幸せになるということを知っている。

その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。


更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。

糾弾されるのはネクラネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。

しか悲惨なことにその説はだいたいあってる。

ベテランネクラになると自分ネガティブな気持ちに落としこむことです快感になったりする。

人はだいたいどんな環境でもある程度慣れてしまうのだ)。


それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。

なんていうか、ネガティブになるしかないって状況だ。

仕事場や学校たまるストレス愚痴として発散するのと似ている。


みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。

世の中の理不尽ネガティブさを無視することができないのだ。

「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。

ネガティブ発言禁止令が施行されたらきっと狂うだろう。


あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?


まったくストレスなく人生を送れる人なんていない。

友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?


そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。

ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。

できればwin-winの関係がいい。


もうちょい考えを深めてみよう。

論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。


  • ネクラな人たちはなんでネガティブな発言がやめられないのかということ。
  • そうでない人たちはなんでネガティブな発言を許せないのかということ。



ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。

しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。

ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。

世界は人が思っている以上に多様なのである


実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、


ちょっと笑える話を聞いたり、

お酒を飲んだり、

気の置けない友だちと話したり、

引越ししたり、

仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。


環境改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、

世界だんだん美しくなっていくように見える。


しかし、それは世界が変わったのではない。

自分しか変わってない

世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、

もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。


ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。


世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって

「そんなことないよー、意外とこんな楽しいとあるよー」

と教えてあげることである

これがやはり根本的な解決となる。


できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。

言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。


しかしもう一つの疑問が残っている。


なんで、人はネガティブな発言を忌み嫌ってしまうのか?

人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、

たぶんね。


しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくはない。

人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?

そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。

人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。


ニューギニアの島では弔いの儀式として食人文化があった気がする。

今はない?

かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?

まあなんでもいいけど、食人の習慣があったのは確実である


それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである

アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、

またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。

前者の場合は夫の子であり、後者場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。

この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。


日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、

ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。


「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」


ある事象価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合

特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見しかないのかも。


あれ?ちょっとまてよ…。

ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?


んで、

今その理由を書いたよねえ。世界はいろんな価値観を持った人がいて、

それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。

「みんなちがってみんないい」論法


でもちょっとまって。

ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。

そして、そうでない人はネガティブな発言を嫌悪している。


バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」


そうなのだ。

ネガティブな発言というのはポジティブ感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである

ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。


これはなんともバカバカしい話だ。

自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから


ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、

その前提が成り立つことを許してもらえるなら、

自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」

ってことになる。

そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。

ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。


このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。

しか嫌悪する感情は否定されないことになる。

わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!

○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!


というわけで




これでみんなハッピー?かな?

間違ってるかなあこれ?

2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎


ここまで読んでくれてありがとうございました。


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追記







現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います

正直、賛同してくれる意見も多くて助かりますが、

どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです

考え方としてまだ稚拙で詰めの甘い部分もあるかと思いますが、

慎重に言葉を紡いでいきたいと思います




お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの


ぼくはたぶんネガティブなんだと思いますポジティブそうに見える書き方になっていますが、

ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです

せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。




何か発言しよう、と思うとネガティブなことしか思いつけない病


そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。

殺したくないんです




増田みたいな奴は正直生きてる価値無いし死ねばいいと思うよクソが。安全地帯にいる奴は気楽でいいですね。


ごめんなさい。生きててすいません。

生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています

ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。

よかったらぼくのブログを読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/




新人の頃、意識的なマイナス思考仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方


建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。

未来という不確定性を検証するための思考はプラスマイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。

ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考封殺したくない。

ぼくは人の発するマイナス思考にすごく救われています




あとでよむ


お願いします。




そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。


ネガティブなことを言いたい人って実はあんまりいないのかも。

誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。




これに関して自分は結論がまだない


ぼくもたくさんの意見をいただいて、

これで終わりにすべきではないと思いました。




ネガティブであれポジティブであれその発言を自分感情だけで否定するよりまず相手の気持ちを考えれば少しは寄り添えるだろう


そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います

問題は、双方にその余裕があるのかということです

個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います

もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。




結論は俺も同じ考え。


ありがとう

現状が少しでもラクになればいいんです

死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。

ぼくはどうせなら後者のほうがいい。





わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)


ぼくはそれを咎めません。咎められません。

あなたはもっとあなたらしく生きてほしいのです




とりあえず、うっかり口にしたネガティブ発言に対してネガ感情をぶつけてくるポジティビストは怖いなあと思う


怖いです。ほんとに怖いです

でも彼らを嫌いになれないのです

ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、

その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて

ゲスなことを考えてしまます。なんでこんなことに…。




【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。


どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて

まずは一緒に泣きたいんです孤独はとてもつらい。




バーローww


ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。

でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。




ここでコメントしてる人達同士は仲良くなれなさそう


クズ人間を集めて、ユートピアを作りたい。

クズでもYESと言いたい。




注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい


カウンターできません。

ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです

ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では

バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。

ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、

それもぼくにはわからないのです




ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから


ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。

 「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。




暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率キャラってやつなのかしら


そうだと思います

ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、

それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います




ネガティブな発言をしている人間ネガティブ志向解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。


これはたしかにそうだと思いますネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディ昇華する人はいると思います

(その喩えが適切かどうかはわかりません)。




読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。


人間失格にある

(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。あなたでしょう?)


という言葉が印象に残っています

自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。

ぼくはそれをどうにかしたい。




何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。


甘えたいです。ごめんなさい。

ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。

自分ウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。




皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。


例えば、学校デブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、

ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。

乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。

メンタルの弱い人に救済を。




嫌いな曲集めて聴く行為はたまにする。訓練と寛容のために。普段聴かないジャンルにもかじっておくぐらいの気持ちで


あなたは素晴らしい人だと思いますあなたのような人が救いになるんじゃないかと思います




出家するべき


徒然草を読んでから、山に草庵を建てて暮らしたいと考えて

今も思っています




ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね


誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまます

その気持ちがわからないけど、否定したくないです




間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。


長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。

それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。

何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。




前にポジティブシンキングだかの企業倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。


解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。

ぼくは今よりもう少し寛容な社会を望みます

そしてぼくはポジティブではないと思います。たぶん。




何を言っても気に入らなければネガチブだの暗い明るいに結びつけたがる人のそばにはいたくないなあとは思った。


そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。

しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、

ぼくはこのケンカをやめさせたい。




言ってもいいんじゃないかと思う。だってにんげんだもn…(ry


ぼくもそう思います

もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、

根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。

から、やっぱり「それでいい」ということにしたい。




ぼくはもっともっと慎重になりたい。

間違ったことをしたくない。だから

賛同する意見も非難する意見も助かります


ありがとうございます

2008-12-29

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081229/p3

いや、たいていの「外人」は日本を特別視なんかしてないだろう。特別視できるほど彼らは日本を知らない。

これには同意なんだが

しかしがっかりすることはない。日本人だって外国のことをよく知っているわけではない。相身互いである。

これはどうかな?と思う。

日本人外国のことなんてよく知らない、という証拠に、これを書いた人はこのように言うのだが

講義の初回には、毎回紙を一枚配って、世界地図を描かせ、主要都市をいくつかプロットしてもらった。するとなかなか素晴らしい地図がいろいろ出て、本人の承諾を得ていないので画像はお見せできないが、インドネシアがないのはデフォルトオーストラリアはあってもパプア・ニューギニアニュージーランドは忘れられる傾向にあり、インド亜大陸アラビア半島がなんか妙な形に融合しているのはまだよいほうで、豪快にアフリカ大陸がすっぽり忘れられている地図などもあった。

世界地図を描かせる」→「うまく描けない」→「ほら、外国の事なんてあまり知っていないのさ」

は、話がちと違わないか?地図なんてほとんどの人がまともに描いた経験などない。そこで「外国のことを知っているかどうか」を試すのは、なんというか試験レベルがちと高すぎやしないか。日本人が「世界地図をうまく描けない」――それも、「オーストラリアはあるがパプアニューギニアニュージーランドがない」というようなレベルで(まあアフリカ大陸すっぽぬけはどうかとは思うが)「描けない」ことを取り立てて「外国の事を知らない」というのはいささかレベルが高すぎやしないか。その日本人の「無知ぶり」と、

天皇がいることはうっすら知っていながら、同時にアソウは大統領だと思っている人はざらにいる。

外人」は日本がどこにあるかも知らない。中国とごっちゃになってるのはいいほうで、島国だということをかろうじて知っているがフィリピンあたりと位置がごっちゃになっていて、なんだかトロピカルな国だというイメージをもっていたりする場合もある(沖縄かなにかとフィリピンが混ざったに違いない)。そのくらい、日本は知られていない。博士号もっているようないわゆる教養階級の人でも時にそうなのである。

この外人の「無知ぶり」は、悪いが、レベルが一段階違うだろう。

ロサンゼルスニューヨークの場所を入れ違って覚えている学生も多少はおり、だから本来シカゴがあるあたりにニューヨークがあると信じていた学生がいても、もうその頃には驚くだけの気力もこちらには残っていない。繰り返すが、これが日本大学生(少なくともある四年制大学一年生)の地理認識なのであった。

なんていうけど、外人は上でいうようにそもそも「日本がどこにあるか」が分かっていないのだ。京都東京がどこかなんて指すことができるレベルじゃない。「外国の国内の地名と場所を間違って覚えている」というレベルとは一段階違う。ニューヨークロサンゼルスの位置を入れ違って覚えている学生が寧ろ「多少いる」というレベルなのは、逆に外人日本の知識と比較すれば寧ろ知りすぎている方だろう。日本大学生がある国の国内の地名と場所を覚えているのに、「博士号もっているようないわゆる強要階級の人でも時に日本はどこにあるか分からないほど無知」では差がありすぎる。

日本人世界認識がそうであってみれば、外国人日本について曖昧模糊としたイメージしかもってなくても、さほど驚くことではないと思う。イメージを形成するに必要な情報が圧倒的に足りないのだ――お互いに。

悲しい事に、「お互いに」じゃないのだと思う。確かに外国人日本の事を日本が思う以上に知らない。が、日本人は意外と諸外国のことを知っている。(外国人日本を知るよりはずっと)

「近頃の高校生イランイラクの位置すら知らないやつが多い!ゆとり!」みたいな論調が流れた時期があったが、そんなレベルじゃないんだよ。外人は。あいつら本当に知らない。特にアメリカ人

日本SUGEEとか言ってる場合か?と思う。寧ろ日本って一応先進国のはずなのにその割に全然知られていないし、どの国もたいして興味を抱いてくれていない。今も昔も、日本片思い真っ盛りだ。この記事を書いた人によると一番日本を知ってくれているらしいアメリカさんでさえ最近じゃ中国に首ったけ、日本過去愛人みたいな扱いだ。

日本人ヨーロッパの国を割りとしってるが、あちらさんは中国韓国日本の見分けが良く分かってない。

寧ろなんでそんなに皆興味持ってくれないの?もうちょっと構ってくれてもいいんじゃないの?ってくらいに俺は思うんだが。

日本とか本当皆興味持ってない。全然どうでもいいんだよ。天皇ローマ法王よりと同じか上くらいだからみんな海外日本すげえって思ってるんだよ!とか以前に、天皇ってなんだっけ?中国のダイトーリョー?くらいなもんだよ。彼ら。全然すげえとか思ってない。悲しいことに、「すごくない」と思ってるわけでもなくて、ただ単純に日本なんて誰も興味抱いてないんだよ。俺らが思ってる以上に。「日本をどう思いますか!」と嬉々として外人インタビューするインタビュアーも多いが、あの空回りぶりが恥ずかしくさえある。そんなに注目してねえから。誰も。海外にちょっと日本が褒められると嬉々として「海外に認められる日本の文化!」ってニコニコして紹介してるけど、実際海外いってみりゃ別にそこまで注目してるわけじゃなくて単なるリップサービスだったり、一部でのちょっとした流行に過ぎなかったりする。

謙遜とか卑屈とかじゃなくて事実日本なんて誰も見てねーよ。欧米は特に。SUGEEとかいってる場合じゃない。

2007-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20071023010030

ニューギニアの人々は、知性や理解力では欧米人にひけをとらないという話が「銃・病原菌・鉄」の冒頭に出てくる。

医療は発達していないから、アホな人(毒草を覚えられないとか)は早死にしやすい→アホの遺伝子は続きにくい

という淘汰がしっかり行われている模様、みたいな内容。

厚いけど面白い本ですよ。

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