はてなキーワード: 艦上戦闘機とは
風立ちぬを二回目見てきました。
自分はこの作品が大好きで、宮崎駿先生の最高傑作だと思います。
最初、風立ちぬを「ものづくりの物語」だと思って見ました。ですから、菜穂子との恋愛模様については、いわゆる一般人向けの撒き餌だと思っていたんです。
その後、岡田斗司夫先生のニコニコ動画におけるレビューをみて、恋愛模様と人物しか見ていないことにショックをうけたんですね。
しかしその考察は凄く説得力があって、なるほど人物面もここまで描写されているのなら、撒き餌と切り捨てるのはいけないのかもと思い直しました。
でも、自分はああいう文系インテリの頭でっかちというか、よく歯が浮いて飛び出さないなという感じの引用ゴッテゴテな論理展開が大嫌いで、それにただただ迎合するのも耐えられません。
そこで、自分なりの、「ものづくりの物語」としての風立ちぬについて、菜穂子と二郎の恋愛を飲み下してやろうと、二回目に挑戦してきたわけです。
二郎にとって、菜穂子と飛行機は同じなのだ。というのが結論です。
これは、二郎にとっては菜穂子も飛行機も同じだという意味ではありません。二郎はそこまで狂ってはいないと思います。
宮崎先生が、二郎と飛行機、二郎と菜穂子の関係を、意図的にシンクロさせて描いているんです。
これは文系御用達の引用的メタファーとかではなく、素直に風立ちぬを鑑賞すれば感じ取ることができる類のものです。
まず、主人公:二郎の人格について自分の感じたところを説明します。
彼は、飛行機に対して理想の高い人です。同僚の本庄などはドイツで学び「ユンカースかぶれ」の八試特殊偵察機を作っていましたが、あくまで自分の中の理想の飛行機を追い求めます。
恋愛に対してもそうです。彼のアプローチはかなり独特で、「一番カッコイイところを見せてさっそうと去る」の一手のみ。ぐいぐい迫るなどという格好わるいことはしたくないんですね。作中を観察してみると、女性を見るとさっと居住まいを正して微笑みかけて回っているので、女性に興味が薄いわけではないのですが。
次に、それぞれがどういう結果を招くかというと・・・。
飛行機については頑張りぬいて理想のものを形にします。九試単座戦闘機ですね。しかし、その末路といえば、敗戦で、一機も帰ってこなかったのです。
恋愛についてもそうです。菜穂子と誰もが羨む恋愛結婚で結ばれますが、彼女はすぐに結核で亡くなってしまいます。
両方とも、予めわかっていた結末です。戦争に勝てっこないことはわかっていたし、一緒に幸せになれないこともわかっていました。
それでも、きれいな嘘で塗り固めて、どうにか形にだけはした。そこまでしか出来ないのが、エンジニアとしての、男性としての二郎だったんです。
ものづくりの物語を本気でやろうとすると、「わかるかな?わかんないだろうな」という問題が沢山出てきます。
飛行機を作ることのひきこもごもなど、ピンと来ない人がたくさんいます。そこで宮崎先生が誰でもわかる恋愛のひきこもごもで例え直したのが、菜穂子の存在だったのです。
彼は幼少期、空に憧れていました。でも、近眼のため、パイロットになれないことは既にわかっています。そこで、設計者として飛行機に携わるのなら、自分にもできると思い立ちます。
自分の考えに当てはめるとここは、母親へのあこがれが、他人の女性に向くということにあてはまるのでは・・・と考えます。
差し出したシベリアは突き返されます。二郎のええかっこしいのアプローチは女児にすら受け入れられません。
本庄はドイツで学び、ユンカースかぶれの八試特殊偵察機を作り上げます。二郎は自分の理想を追い求め、九試単座戦闘機を作り上げます。
本庄は見合い結婚します。二郎は数年離れ離れだった菜穂子と再会し恋愛結婚します。
海軍や陸軍との打ち合わせの時、話を聞かずに「全力を尽くします」といいます。
本当は最初菜穂子よりお絹が好きだったにも関わらず、それを隠します。
九試単座戦闘機は完成し、試験飛行で美しい姿をお披露目します。
菜穂子は「一番きれいな時」だけ二郎にみせて、彼のもとを去り、帰らぬ人となります。死を看取ることはできませんでした。
九試単座戦闘機は戦場へ飛び立ち、一機も帰ってきませんでした。エンジニアである二郎は、本土で待っていることしかできませんでした。
最後のありがとうは、菜穂子にも、九試単座戦闘機にも向けられていると思います。
引っ込み思案な性格の二郎が、理想の恋愛結婚という夢を見られた。
飛行機を作ることは、兵器を作ることだという呪いを、不治の病(厳密には違うが)に冒された女性との恋愛を、このようにシンクロさせているわけですね。
togetterなんぞにリンクを送る気など毛頭ないのですが、あまりにおかしな言説なので叩いておく。
「艦これ」を契機に学ぶ、日本海軍とSEGAの類似性とは? - Togetter
艦これが流行って『なんで日本海軍負けたの?』って聞かれる事が増えたのだけど、『着眼点は非常に鋭く、良い戦術を多数生み出すも微妙に足りてない上層部と時代先取りしすぎておっつかない開発コストで先細った』に対する『あぁつまりSEGAってこと?』で壊れた腹筋を返せ。
大日本帝国海軍の上層部が生み出した「良い戦術」ってなんだろう?
急降下爆撃は帝国海軍発祥じゃないし、航空戦で強かったのもゼロ戦の機体性能とパイロットの腕、爆撃・雷撃を命中させるのもパイロットの腕と魚雷の性能だったし。
運用中の陸上攻撃機の航続距離が異様に長いのを利用してイギリスの東洋艦隊を航空兵力で壊滅させたり、フィリピンを爆撃して航空機根こそぎぶっ壊して戦争序盤を優位に進めた、くらいしか戦術的に良かった点なんてないと思うんだが。
「時代先取りしすぎておっつかない開発コスト」との指摘も、曖昧すぎて何を指しているのかわからない。
三式弾なんてコスト以前にパフォーマンスがダメダメだったし、彗星の水冷エンジンなんて稼働中から整備士に嫌われてたらしいじゃん。
艦上戦闘機の次世代機もなかなか性能面でゼロ戦上回れなかったし、レーダー類や通信技術もミッドウェイ海戦の時点でアメリカに遅れを取ってたわけで。
航空母艦の飛行甲板だって色々試してたわりには全然時代先取りしてなかったし。
時代を先取りしすぎってのは「変なものばっかり作って」という揶揄のつもりなのかな。気球爆弾とかは確かにあったけど、そういうの明確な敗因として挙げるのはキツい気がするが。
そもそも「微妙に足りてない上層部」と「開発コスト」が足りてれば勝てた、というのが大きな間違いで、あのまま勝つには、後釜のいない空母機動部隊を終戦まで無事に運用できる戦術・戦略と、ゼロ戦がジェットエンジン積んだ戦闘機と互角に格闘できる戦法を組織的に確立し、大和の対空砲手が爆撃機を「トンボとりでもするかのように」撃墜しまくり、彗星程度の機体性能の爆撃機がVT信管の炸裂すら避けつつ敵空母に急降下爆撃を命中させまくる、くらいの奇跡が重ならないと無理だったわけで。
その他海軍の敗因
・どう考えてもそのタイミングじゃねぇだろって所で無駄に巨費を投じる
・多方面に手を伸ばし過ぎて維持できなくなる
これもどこで無駄に巨費が投じられたのか具体的に書いてないからわからない。戦中の大和型3番艦信濃の改装か、戦前の大和型建造くらいしかないと思うが、他に無駄に巨費を投じたプロジェクトってあったか?
軍艦を運用する石油がないから南方作戦が必要なんだし、ニューギニア・珊瑚海方面も大量の資源の供給元であるオーストラリアとアメリカ本土の遮断が目的なんだから、どっちもやらないと戦争終わらないし。
南方もニューギニア~珊瑚海も手出しせずにアメリカ海軍とだけ正面で戦ってれば良かったなんてのは、艦隊決戦で勝ったほうが戦争勝利、みたいな取り決めでもあると思ってるんだろうか。
インド方面のことであれば、あれは陸軍の作戦だから、海軍はあまり関係ないしね。イギリスの東洋艦隊を追っ払う意味でインド洋までまで機動部隊が出撃したことはあるけど、それは一時のことだし「維持できなくなる」原因にはなってない。
陸軍と海軍の仲の悪さは確かに有名だけど、別にこれで重要な作戦に何度も失敗してるわけじゃないしなぁ。
確かに問題点の1つだったとは思うが、明確な敗因として挙げるのは無理があると思う。
「一回盛大にコケたら最後まで取り戻せない、つまり一度もコケられない薄氷を踏むような戦況」は敗因ではなく、敗因はその戦況の原因であるところ「兵器を生産する資源の少なさと工業力の低さ」「レーダー類や戦力の高い航空機を開発する技術力の低さ」なんじゃないの。
確かにメガドライブあたりの家庭用ゲーム機ハード戦争で緒戦は好調だったセガが、次世代機のセガサターンでは他社の兵站の前に屈してドリームキャスト投入を余儀なくされ、そこでも決定的な負けを喫して撤退、その後は平和憲法を守るように戦争には参加していないというのは「大日本帝国海軍はセガ的」なのかもしれないが、その理由が『着眼点は非常に鋭く、良い戦術を多数生み出すも微妙に足りてない上層部と時代先取りしすぎておっつかない開発コストで先細った』で共通する、というのは間違った認識なんじゃないの。