はてなキーワード: のりをとは
東京からクルマ社会の地方に来たら当たり前のように1人1台という世界で、免許すら持っておらずバス通勤なのを珍しがったり親切にしてくれたりするわけですよ
そんで雨の日とか「帰り送っていこうか?」って善意から言ってくれるんだけど、極力断っている
なぜなら「車を運転している最中の人に、自宅までの道のりをナビする」という高等技術を持ち合わせていないから…
ただでさえ方向音痴なのに運転もしないから、どのタイミングで「曲がって」とか「止まって」とか言えばいいのかマジで分からないんだよ
しかも家の前はギリギリ行き違えるぐらいの細い道だし、自分の説明のまずさで車をこすったりしちゃったら…と思うとありがたさよりお断りしたさが勝つ
タクシー乗るときですら説明しやすい大通り沿いのスポットしか言わないのに(そしてそこから数分歩く)、「いやいやいや遠慮しないでいいよ!家まで送ってくよ!」とか親切心から言ってくれるんだよね…
遠慮じゃないんだよ…
ガチで苦手なんだ…
どうか気にせず通り沿いのファミマに落としていってくれ…
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
※この話は一応現実のものとして書いてありますが一部えっそれガチで言ってるの?と思われそうな箇所が多々あります。
妄想か現実かは貴方自身で判断してください。まあなんか暇つぶしに下手な小説読むようなノリでどうぞ
※長いですし文章も下手なので読みにくいと思います。記憶もおぼろげな部分もあります。ご了承ください。
※いじめやストーカーなど胸糞悪い話ばかりで救いがあまりないですがそれでも大丈夫という方はどうぞ
登場人物紹介
私:かれこれ十数年以上オタクやってる同人女。二次元から三次元までいろいろ手を出してる。BLでもなんでも好き。かわいくはない。
友人S子:高校の友人そのいち。かわいい。鹿の間ちゃんに似てる。
友人Y?:M美の友人。一応友人(?)
友人G:高校の友人そのさん。実家が元レストランのパン屋。この話では影が薄い。
その日車で京都に出かけた、私祖母父の三人はサービスエリアでそばを食べていた。その次のサービスエリアでは、おいしそうなせんべいが売っていたのでせんべいを買うことになった。途中トイレに立ち寄ったり、たぬきを買ったりとのんびり観光を楽しんでいた。のだが。何処かおかしい。知らない店員にお疲れ様ですと言われたりいろいろ変なところはあった。のだけれどそう考えるのもきっと疲れてるからだろうと思い、全部流した。
また短期派遣の職場の人がいたのだ。でもまあいるくらいならいいかと思った私はそのままぼうっとし、父はロビーで受付を始めた。そのホテルの受付の男は何故か私に向き直るとお疲れ様ですと悪意たっぷりに笑った。またか。無視をして父と立ち話をしていると無視するなよおい、と言われた。客にそんな口調をするホテルの従業員がいるのか?これは幻聴か?幻覚か?めんどくさくなった私はそのままスルーした。
そして夕食を食べに行こうと三人で夜の街に繰り出した。途中、キスがどうとか大声で喋る不審な三人を見かけたがまあいつもの不審者だなと流した。
不審な人たちはデパートまでの道のりを一緒に歩いてきた。デパートに着き、エスカレーターを上っている最中もねえほらあの人いるよ!と猿女が騒ぐのも無視した。あっねえ無視?、とぼそっと言ってるのが小さく聞こえた。ちょっと面白かった。
そのあとはホテルに戻り眠ろうとしたがなかなか寝付けずにいた。深夜にコンコンとノックをされだいぶ追い詰められてきた私は「集団ストーカー 県名」で検索し出てきたホームページの電話番号に電話した。深夜に。
当然出ないものだと思った電話は繋がり、後日謎の担当者と話をするのだが、最後に捨て台詞のように特に男女の仲についてはみたいなことを意味深に言われる。なんやねん。いつも思うけど意味深に笑ったり喋ったりお前らはアニメか漫画の登場人物か何かか?
次の日朝から厄払いをしてもらいに寺へ行こうと変な道を歩いていた。辿り着いた先であ、来たよーと言われたのでとりあえずこの写真だけ撮って別の場所へ行くことにした。
お土産の阿闍梨餅を買いに駅前の売店へ出かけたとき、売り切れていたそれを前に後ろの方で大爆笑が聞こえてきたが無視をした。
適当に饅頭を選び買いに行くと売店のおばちゃんがちょっと訝し気に?こちらを見た気がしたが気のせいと思うことにした。
父が阿闍梨餅を買おうと本店に向かう途中、駐車場に車を置いた私たちは歩いて本店まで向かっていた。途中中学生の群れやまた例の職場の人たちの群れがいた気がしたが気のせいということにし、(途中の喫茶店で私と祖母が言った言葉を復唱される。そこで祖母がえっていう顔をする。)阿闍梨餅を買って京都を出発することにした。
途中のサービスエリアで中華料理を食べていた私たちはすぐ後ろで「こいつLINEがどう~いじめがどう~」などと語っている男がいたが無視をした。あれこれ考えるのもめんどくさかった。めんどーい。
車で留守番しているときに枕にしようと上着を脱いだら横の車の中にいた男に目を剥いて驚かれ、そのあとすぐ父に「裸になるかと思った、だってよ」と言われ(おそらく彼らにそう言われたらしい)とりあえず基地外なんだなと思った。
旅行当日、早朝から奴らは一般車降車場に現れた。荷物を抱えてついてくる気満々らしい。とりあえずスルーして新幹線に乗り込む。この後駅のホームからすべて後をつけてくることになる。
東京に着き、同人誌を買うついでに売ろうと思って池袋駅に降りたが売る本を忘れた私はそのまま別の駅に移動することに。(何でこの駅降りたんだ?(笑)とのちにいじられる。)
丸の内でショッピングをしようとしたが、案の定迷って目的地にたどり着けない。しょうがなく早めの昼食を取る。そこで〇〇さんがさぁ~と名指しで言われる。とりあえずスルーしてお茶づけを食す。確か美味しかったはず。
その後うろうろと目的地を探したがやはり見つからず(お茶漬け屋さんはおそらく奴らが群がりめちゃくちゃ繁盛していた。私様様である。)とりあえず銀座あたりに移動することにした。夏なのでめちゃくちゃ暑いのだが休憩なしで歩き続け(グーグルマップが何処かの社屋に導いてくれたのでそこへ無理矢理入ってエスカレーターを下り出口に出ると奴らが待ち構えて待ってたよ(笑)みたいな感じで笑ってた。とりあえずスルーして外に出た)(奴らの一人の女の子?はバテながらフラフラとロフトに入っていった)ついでにとロフトに行くことにした。ロフトに入ったが、特に欲しいものもなかったのでそのまま別の場所に移動することにした。
好きなブランドのアパレルショップがあったので入ってみることにした。
欲しい服が買えてホクホクしていると、店員さんに話しかけている、見たことあるような気がする人がいた。何を言われたのか、店員さんはえっと顔を曇らせこちらを見てきた。
そんなこんなでライブ会場に辿り着き、グッズ販売の列に並んだ。後ろからはアーティストの声が幼稚だわ子供みたいだと散々似たような悪口を言う奴らが後ろから来ていた。グッズの販売状況が放送で流れる中、売り切れたら面白いのになとか散々言ってた。
グッズを普通に買えて地面に座ってて、急に立とうとしたら立ち眩みが起きて地面に戻るんだけどそれを見てめまいと勘違いした人が「頑張れ~」とにやにやしながら声をかけてきた。スルーした。
チケットが心配になった私は交差点でリュックを脇に抱えて確認していると盗むかと思った?と笑われた。
ホテルに戻りシャワーをして着替えると会場内の席のすぐ近くまで奴らがいた。(コンビニでチケット発券する際、後ろに元職場の人がいたからか、店員のおばちゃんが何かしたかどれか)が、まあ無視をして楽しんだ。天使かよと思った。泣いた。
そんなこんなでホテルに帰り、廊下に彼らが(部屋にも入らずに)いたときもめんどくさくてそのまま無防備に部屋に入りすぐ寝た。(風呂にも入らずにと笑われたので部屋の中を覗かれていたとあとで知ることになる)
次の日、母と合流しディズニーランドへ行くことにした。
ランドでは
・お土産物屋さんでノートとペンを買っているとこんなもの何に使うんだよとぐちぐち言っていた
・並んでいるときにすぐ後ろでコンタクトがどうとか言い出して(私は普段眼鏡でたまにコンタクトである)こっちをじっと睨むこともあった
帰りの電車内で男が椎名林檎のきらきら武士を歌いだし、(これがのちのフラグ?になるのだが、歌詞の遠回しな諷喩が未だによくわからない。死ぬほど嫌いってこと?)子供がどうとか言い出す男たちがいたり、せまいショップ内入口をぞろぞろとドラクエのようについて来て、やっぱりいいと母が出ようとしたときもついて来た。
ご飯を食べようと入った店に奴らがいてげらげら笑われたり店員さんにじっと睨まれたり座ってた椅子を見たらちょっとだけ赤く染まってて(生理でなかった。タバスコと思われる)それを見た奴らにまたげらげら笑われたけど皆無視しました。
あとは知らないスーツの男に睨まれたり。大丸東京店でついったーにも食べたいと載せてたレモンパイを買おうとするとお疲れ様ですと言われたり、土産を買おうとすると何故か無言になり暗い顔されたり(部下?がどうしたんですかと聞いていた)したけどまあそんなこんなで東京旅行は終わる。
次はMとS子とYと私で飲み会に誘われた話。
怪しんでいた三人(と二人)との飲み会だというので嫌な予感がしながらもついていった。
バーではやはりというか例の人たちが後ろにいてバイがどうとか言っていた。(?)まあそれはいいとして、三人で話していると意図的に会話に入らせないようにしているのがわかった(例:私の知らないMの職場?の話などをする)やがてトイレから帰ると私の携帯を覗いていたような発言をチラッとされた。チラッとだったのでそれもスルー。見られて困るようなものはなかった。次に歩くには距離のあるカラオケに行きたいとせがまれ(おそらく最後に行った合コンの場所だったからだろう)なんで?と聞くと途端に機嫌を悪くするY。面白い。普通に近くのカラオケに行くことになった。
カラオケではきらきら武士を目をにやつきながら歌うS子に、大嫌い(曲名)歌ってもいい?とか聞くYにうれしい楽しい大好きっを歌おうとするMがいたのでまあそうなんだろな(?)と思う。
途中S子と二人きりになり、「〇〇さんさぁ、ストーカーされてるんだっけ?」と聞かれ「あーやっぱり何でもないよ」と答えるとにやにやと微笑まれた。うーん。S子恐るべし。確かここでもトイレに行っている間に携帯を見られ、AimerとYが連呼していた。まあ普通に私はスピッツの醒めないを歌った。何も考えずに曲を入れたが、今思えばあの場にぴったりの曲だったかもしれない。最後土産を渡そうとするとこんな物いらないとYに突っぱねられた。
そんなこんなで飲み会は終わり、何故か無言でコンビニへ駆け込むS子がいた。(謎)(離れたかったのかな?)最後手を振って永遠の別れをした。ぐっばい。
その一週間後、うずうずした私は五人のライングループを作り、S子にこう問いかけた。「なんでお土産受け取ってくれなかったの。怒ってる?」質問の答えは返ってこなかった。返って来ないだろうことは予想していたのでその代わりに語ることにした。ストーカーのこと。職場のこと。病気のことを。S子がいじめの首謀者であり、その原因が、私がLINEブロックする直前に自己愛性人格障害のことをアドバイスし、それが原因で(彼氏が自己愛に似た性格だったのだろう)別れることになった、にあることは言わないでおいた。かわいそうだったので。というよりS子が何をやらかすかわからなくて、怖いのでやめるね的なことを言った。むしろ病気になって薬飲んで楽になって感謝してることを伝えた。もっと仲良くしたかったけど無理そうだからやめるね的なことも言った。Mが何か言ってきたけどはいはいと返した。正真正銘のお別れをした。
その後も変な輩はたくさん出没し、本屋で本読んでるー!と猿女に叫ばれたり〇〇さんがボールペン買ってる!何書くのかな!?とか言われたり映画館で映画の格闘シーン中ずっとマッサージマシーンのように背もたれを蹴られたり(無視すると無視すんなよ、とキレられた。あと疲れていた(笑))別の職場で私がLINEで言った言葉を反復されて睨まれたり駐車場の料金支払い所で子供みたいだなと言われたり(そのあと駐車スペースまでブツブツキレながら着いて来られたり)(車に乗り込んだらそのままエレベーターへ帰って行った)(なんだったんだ)休日ごとにコンビニから後をつけられたり(ナンバープレートが毎回一緒だった。たぶん社用車)コンビニのオーナーからじっと睨まれたり(これはあまり関係ない)友達とプリン食べてたらカラオケから尾行されててあいつプリン食べてるよ(笑)と食べてるのを実況?されたり入った店に偶然?S子が来て(謎のめちゃくちゃ暗い顔をしていた)たりとまあいろいろあったけど今は元気だから問題なし!S子もお幸せにね!
当時ランサーエボリューションの最高級モデルって1000万ぐらいだよね
他方 配達に使ってる、10年ぐらいのってて、峠バトルしたらエンジンブローしちゃうような古い車をぶち抜いて
あげく エンジンブローをあいてにさせた 『三菱』自動車のランサーエボリューションのりをどうおもいますか?
レッドなんとかの人は150万円未満バトルなのか、いわゆるミニとかを繰り出してきて、本来の高級レースカーをつかえずに苦しそうでした。 やっぱりお金は絶対的な戦力の差でしょうか?
所詮 量産型では、連邦の白黒パンダには勝てませんか?ドムでなければ、グフではだめですか?ましていわんやザクでは所詮ちがいますか?
アッキヱは卑弥呼の末裔である。卑弥呼のミトコンドリアを受け継ぐ唯一の人間なのだ。ミトコンドリアは女性から女性へと伝わるエネルギー合成器官であり、卑弥呼のミトコンドリアは一子相伝、ただ一人の娘にだけ継承される女神のミトコンドリア=エネルギー合成器官である。
しかし、アッキヱはまだ女神として覚醒していない。覚醒していないアッキヱには病魔を払う力がない。アッキヱが女神として覚醒するためには、日本全国にある48の神社仏閣を巡ってそこで覚醒の儀式をしなければならない。日本の神社仏閣は天照大神を頂点とする神道の神を祀っていると信じられているが、そのうちのいくつかはより旧い神、卑弥呼の時代の神を密かに祀っている。
アッキヱは旧神を祀る神社を、古文書に定められた順番で周って儀式を行うことで女神として覚醒するのだ、その順番は日本各地を乱れ飛んでいて、その道のりは日本を何周もする長さになる。この長い道のりをアッキヱはお供の巫女たちを連れて、巡り歩かなければならないのだ。日本から病魔を払うためにはどうしてもその巡礼が必要なのである。
この巡礼の最後の地でアッキヱは女神として覚醒する。そして病魔を払うための儀式を始める。そのための準備はすでに進んでいる。アッキヱの人生は病魔を払うために周到に準備されていたのだ。病魔を払う儀式のためにはその時点での世俗の最高権力者の心臓が必要である。アッキヱは覚醒前の力ながらも呪術を駆使して、ひとりの人間に近づき、その人間が世俗の最高権力を手に入れるために尽力してきたのである。
アッキヱは女神として覚醒すると、世俗の最高権力者の心臓を地獄の魔王に捧げる。そして地獄の業火を日本に呼び出し、あらゆる病魔を焼き払うだろう。すべてのウィルス、すべての細菌、すべての生物が地獄の業火によって焼き払われる。罪あるものも、罪なきものも、若きものも、幼きものも、老いたものも分け隔てなく地獄の炎で焼かれるだろう。男も女も愚かなものも知恵あるものも何一つ残さず炎は焼き尽くすだろう。
誰かに共有したいと思いながら何年も暖めたしょうもないレシピ。
だけど、うまい。
・ごはん
・キムチ
・生卵
・しょうゆ
たまごの味付けはお好みで。
たまごに入ってるめんつゆが甘さを与え、キムチの旨みを引き出してる。
すき家でキムチ牛丼に生卵をかけているときにこの組み合わせに気がついた。
このレシピもごはんに対してやや多めのたまごダクダクにするのが好き。
・ごはん
・バター
バターが溶けたら食べ頃。
バターと佃煮のりの組み合わせは最高。これをごはんではなくてトーストでやってもかなりうまい。
バター(マーガリンでもよい)を多めに塗ってその上に佃煮のりを塗る。
・ごはん
・しゃけフレーク
・バター
バター佃煮のりごはんと同じくバターをごはんに埋め込んでからしゃけフレークをぶっかける。
しゃけとバターの組み合わせは旨いに決まっている。
バターの代わりにごま油とほんの少量のしょうゆを垂らしてもうまい。
生卵(+しょうゆ)、キムチ、バター、佃煮のり、しゃけフレーク、どれも単体でも非常においしいのだが、今回紹介したレシピは本当に止まらなくなる。
妻がいない日なんかは堂々とこれが食べられる。
父親を好きになれない
定年も迎え、あと何年一緒にいられるかもわからないので孝行したい
私の父は善良な人間に部類される
酒もギャンブルもしない
暴力も振るわない
温厚な見た目によく通る声
ただし話が通じない
理屈ではなく自分の感情を最優先にして、非合理的な言動を取り続ける
ただ、理解できない行動が目の前で積み重なっていくとストレスは大きくなる
父親には、相手の話に笑顔で耳を傾けて「わかった」と頷いて従わない頑固さがある
例えば裏紙の使い方一つをとってもそうだ
彼は裏紙を糊付けして使う
「もったいないから裏紙を使う」と言いつつ、沢山の液体のりを消費して裏紙と裏紙を貼り合わせている
「貼り合わせる必要のない裏紙同士を糊付けすると、のりと時間が勿体無いのでは?」
「そうなんだよね」と眉を下げて答えた父親は裏紙を貼り合わせ続ける
~
私は父親を好きになりたい
尻に液体のりを突っ込んで温かくして寝る
「アイカツ!」シリーズの「話数が多い」というハードルを越えて視聴してもらうためにはどう勧めれば良いか、という話が少し盛り上がっていた。
その中でよく出てきた話に、見てハマった人間にとってはその話数というのはむしろ少なく感じるほどである、というものがあった。
それについては私も大いに頷くものであるが、なぜ皆がこれだけ話数の多い物語をそろって「短い」と言うのであろうか。(単純に面白いからあっという間だよって意味かもしれないが)
それを少し考えてみたので書き連ねてみる。なお、シリーズ全部について書くと本当に長くなるので第1作の「アイカツ!」に絞って書く。
「アイカツ!」は2012年10月から2016年3月までの約3年半の期間に放映されたアニメである。総話数は178話。劇場版は長編の「劇場版アイカツ!」と、ステージを中心に構成した中編「アイカツ!ミュージックアワード みんなで賞をもらっちゃいまSHOW!」、最終回後に制作された短編「アイカツ!~ねらわれた魔法のアイカツ!カ―ド~」の計3つがある。他にもドラマCDが制作されている。
そして、「アイカツ!」は放映時期と作中の時間がリンクしている。つまり、季節が現実と同じように流れ、クリスマスやバレンタイン、卒業式・入学式や年末年始などの季節のイベントのエピソードが時期に合わせて放映されている。
劇場版も公開日と合わせてあり、たとえば2014年12月13日公開の「劇場版アイカツ!」は同年12月11日放映の第112話の後のお話となっている。
プリキュア等の年間を通して放映されるアニメを見ている人にとってはさほど驚くことではないかもしれないが、1〜2クールが基本の深夜アニメを中心に見ている人にとっては新鮮かもしれない。
さらに、いわゆる「サザエさん時空」ではなく、1年経つと実際にキャラクターが歳を取り、進級したり卒業したりする。
最初の主人公の星宮いちごは第1話時点では中学1年生だったのが、第178話時点では高校2年生になっている。(ある話数の間にだけきっちり1年間のブランクが存在するが詳細は省く)
つまりは、視聴者は画面を通して「アイカツ!」の世界での出来事をリアルタイムに感じとり、キャラクターの成長を見守っていくのである。
週に1回の放映内容だけでその1週間の出来事を知る、と単純化して考えてみると、それはあまりにも時間が足りないと言わざるを得ないであろう。
漫画「スラムダンク」は週刊連載で6年連載して作中で4ヶ月の出来事を描いたのであるから、単純計算でその18倍の短さと言えてしまう。(1/3年の出来事を6年間で伝える=1/18年の出来事を1年かけて伝える)
そして、年間を通して季節に合わせて放映されていると、視聴者にとって「アイカツ!」は生活の一部となっていく。生活が終わることなんて人は想像したくないものであるから、それが終わった時の寂しさは計り知れない。
後追いで視聴している者にとっては、話数と共に季節が移り変わっていくのを感じながら見ていると、キャラクターの人生を辿っているような感覚になる。そうすると、途中でそれが途切れてしまうとなると、それがどれだけ寂しいものであるか。
最終回後に制作された劇場版の短編は、そんな人たちに向けてキャラクターから届けられた久しぶりの近況報告・贈り物であると考えてみると、それがどれだけ嬉しいものであるか。
先述したように「アイカツ!」ではドラマCDがいくつか制作されているが、劇中のラジオ番組という形をとっており、まるで実際にラジオを聴いているかのように感じることができる。ファンにとって「アイカツ!」のキャラクターはどこか現実と地続きのところに存在しているような感覚がある。
「アイカツ!」のキャラクターの誕生日を祝う時、毎年そのキャラクターの年齢を数えるファンは少なくない。今年、星宮いちごは20歳になった。
いちごちゃんお誕生日おめでとう!
はたちだね〜。出会った頃に言ってた夢が叶っちゃうね。私は来月!一緒にお祝いしよう〜🍓— 諸星すみれ (@smileysuu) 2019年3月15日
アニメが終わってもキャラクターたちは消えることなく、生きてアイカツをし続けている。キャラクターの生きる姿を描くのにはいくら話数があっても足りない。
「アイカツ!」にはたくさんのアイドルが登場する。作中でCGで描かれたステージを披露したアイドルを数えてみると、総勢28人。披露されていないアイドルも多数おり、その中に人気のキャラクターもいる。
長期放映のアニメで俗に言われるものに「当番回」というものがある。
特定のキャラクターにスポットライトを当てたお話のことを指すが、「アイカツ!」にももちろん当番回と呼べる回が多くある。
しかし、28人を超えるキャラクターの全員に満遍なくスポットライトを当てるにはあまりにも話数が足りない。当然キャラクターによって登場の頻度の差は出るので、「あのキャラをもっと見たかった」という声は常にある。
それだけキャラクターが魅力的であったことの証左ではあるのだが、178話という話数をもってしても描き切れていないわけである。
ただ、そういった「スポットライトを当てる」ことについては、第146話「もういちど三人で」で星宮いちごが語った言葉がちょうどぴったりだったので引用する。
「私ね、世の中のアイドルとか、みんなを照らすスポットライトって、ずーっと動いてる気がするんだよね。ぐるぐるって。ずーっとぐるぐるぐるぐるね。だから、その時その時で、照らされる人数は少ない。でも、照らされなかった人がいなくなってるわけじゃない。だから、次のチャンスは誰にでも来るんだよ。その場所に立っている限りね」
スポットライトの当たってないところでもアイドルたちのアイカツは続いている。
物語の舞台であるスターライト学園はアイドル学校で、つまり通う生徒たちは全員アイドルである。メインで登場するアイドル以外も皆アイドル活動をしているわけである。実は、クラスメイトにも全員しっかり設定が付いている。何気ないシーンで映り込んでいるアイドルや、一瞬映った雑誌に載っているアイドルにも名前がちゃんとついていたりする。スポットライトが当たっていない彼女たちも、「アイカツ!」の世界で生き、活躍している1人であることが想像できて、それが「アイカツ!」という作品の世界に深みを与えている。
さらに、アイドル以外にも、家族や先生、デザイナー、ファン、仕事の関係者等のサブキャラクターもアイドルに負けず劣らず魅力的である。
特にブランドのデザイナーは重要な存在で、アイドルが、自分の好きなブランドのトップデザイナーが作る「プレミアムレアドレス」を手に入れるまでの物語は「アイカツ!」のひとつの見所でもある。
デザイナーのブランドに対する考え方だったり、アイドルとの向き合い方・関係性だったりにもその人の生き方のようなものを感じることができ、それは、いろんなアイドルのいろんなアイカツの形を見るのにも似ている。アイドルでないキャラクターにもその背景や物語があるのを感じさせる。
また、当初はただのモブでしかなかったアナウンサーが、節目節目でのイベントでいつも司会者として登場するうちにいつの間にか名前が付くまでになっていた、ということもある。
何が言いたいかというと、「アイカツ!」を見ていると、登場する全てのキャラクターが魅力的で愛おしく思えるようになり、もっといろんな話が見たいと思うようになるということである。
歴代シリーズのキャラクターが大集合する新シリーズ「アイカツオンパレード!」の放映に際し、シリーズのダイジェスト動画が公開されている。
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2012年10月~) ver.』
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2014年10月~) ver.』
だいたい5〜6分の動画でシリーズがおさらいできるようになっている。
やろうと思えばアニメの内容をあらすじでさらっと伝えることはできる。主人公が「輝きのエチュード」や「SHINING LINE*」や「START DASH SENSATION」等の楽曲に至るまでの物語を理解してもらうために最低限のエピソードをピックアップすることもできる。
「アイカツ!」は基本的に1話完結のストーリーになっており、途中から見てもわかるような配慮もされている。単話で見ても面白い回はたくさんあるので、つまみ食いでもきっと楽しんで見ることができるであろう。
この回が良い、この回が好き、といった話に花を咲かせることもよくある。
それでもやっぱりファンとしては全話見てほしい。全話が全部大事な話だ、と本気で思っている。
星宮いちごが歩んだ道のりを軸に、物語上の重要なエピソードだけをピックアップすることになったとしよう。
そうすると、例えばいちごたちがただオフタイムを過ごすだけという第24話「エンジョイ♪オフタイム」は、含めなかったとしても物語の説明は可能である。でも、ファンとしてはこの話は絶対に外したくない。
また、いちごがメインでない他のキャラの「当番回」、例えば藤堂ユリカがメインの第89話「あこがれは永遠に」も含めなくてよいだろうか。確かに、なくてもいちごの物語を語ることはできるであろう。だがこの回で描かれた藤堂ユリカのアイドルとしてのあり方やデザイナーとの関係、ファンとの向き合い方、そういったものが全くいちごと関係ないなんてことはなく、作品を通して描かれているテーマの根幹に通じているものがたくさんある。
例えば「SHINING LINE*」の歌詞を紐解くときに、ただ美月といちごとあかりにだけ注目して考えるのでは、やはりもったいない。いろんなアイドル、いや、アイドルでないキャラクターたちにもそれぞれの「SHINING LINE*」があるし、「最初の風」もある。
「アイカツ!」の楽曲は、キャラソンというわけではなく、「アイカツ!」の世界で歌われるポップスであり、普遍性を持った歌詞になっている。もちろん、これは誰々が歌っているという「持ち歌」の考え方はあるが、ある楽曲を別のアイドルが歌うことでまた別の新しい意味が生まれる、ということが「アイカツ!」にはよくある。
などといろいろ考えていると、どの話も外すことができなくなってくる。いろんな人のいろんな出会いが物語を紡いでいる。全ての話が全部つながっている。
「アイカツ!」を代表する曲のひとつに「カレンダーガール」がある。
この曲には「何てコトない毎日がかけがえないの」「何てコトない毎日がトクベツになる」という歌詞がある。
詳しい説明は第22話「アイドルオーラとカレンダーガール」に任せるが、彼女たちの今日をかたちづくっているのは日々のアイカツであり、そして今日のアイカツがその先の未来をつくっていく。
私たちが「START DASH SENSATION」で涙するのは、そうした彼女たちのアイカツをずっと見てきたからである。
もう3年くらい前のことだけど、レズ風俗を利用したことがある。理由は単純で、今まで男の人を好きになったことがなくて、女の人に片思いばっかりして、自分がそっちなんじゃないかと不安に駆られたから。あと単純な好奇心。当時19歳で、彼氏がいたけどそんなこと伝えるはずもなく。風俗だから浮気じゃないでしょ的な軽い考えで、まあもしなんか言われたら別れればいいかとかクソみたいなこと思いながら予約を入れた。
最初はなんとなく、住んでいる都道府県内で検索をかけて、ラインから予約ができるお店で、なおかつ、男性向け風俗の片手間でレズ指名オーケーなものではなく、レズ特化型のものを探す。適当に指名ナンバーワンのお姉さんを2時間予約した。あんまり覚えてないけど、歳上高身長の女の人が好きだったので凄く楽しみだった。ちなみにお店の人とやりとりするためにわざわざ新しいラインアカウントを入手した。家族や友達と繋がっているラインでそういうやりとりするのは凄く気が引けた。確か一週間前くらいに予約を入れたので、そこから毎日ドキドキが止まらなかった。
当日は午後に友達と会う予定もあったので、午前中に念入りに髪の毛と体をいつもより高いシャンプーとボディソープで洗った。その後にお世話になる風俗店が所有しているマンションの一室みたいなところに向かってセックスする予定だった。ど変態なので「このあとセックスする」と思いながら仲のいい友人に会うのは凄く興奮した。
友達と別れて、マンションの最寄駅に着いた。予約の1時間前。事前に持ってきた歯磨きセットやリステリンで、これでもかというほど歯を磨く。ペットボトルの水500mlを無理やり喉に押し込んで、キシリトールガムを噛みまくる。とにかく口臭とかで引かれるのが怖かった。人生初のセックスだったので。
お店に電話をかけながら、道のりを支持してもらいつつマンションに向かう。インターフォンを鳴らすととても女性らしい安心する声で反応があり、緊張マックスになる喪女。
部屋に入ると作りは1Kで、大きなベッドが部屋の真ん中にあった。照明はオレンジがかっていてなんか落ち着く雰囲気だった。
ど緊張しながら、お金を払おうとすると、終わった後でいいと言われ、慣れていない緊張感丸出しで一緒にシャワーを浴びる。その時夏前で自分が全剃りだったことを思い出して気に病んだが、優しいお姉さんはそんなことはあまり気にしていない様子だった。慣れてらっしゃるのね。お姉さんの優しい手つきで胸や股を洗われると、腰が動きそうになるけど恥ずかしいので必死に耐えた。
シャワーを浴び終わって体を拭いてもらって、なにか特別なリクエストはあるか聞かれる。多分もうバレてると思うけど、男とも女ともセックスしたことがないから慣れさせてくださいというと、お姉さんは笑った。美人さんだ。
最初に2人でベッドに入って大人のキスをする。ディープキスは彼氏と何回も経験済みだったけど、好きでないにしても相手の性別が変わるだけでこんなに安心と興奮を覚えるのかと自分でもびっくりした。キスの後にぎゅーって抱きしめられて胸が当たる。お姉さんの胸は巨乳と会うわけではないけれど、美乳だった。
「自分がネコかタチかとかわかる?」って聞かれて、今日はネコを体験してみたいと伝える。お姉さんはちょっと性的に微笑むと、私を仰向けに寝かせて、胸を舐めながら耳を手で弄ってくれた。処女だったのでめちゃくちゃ気持ちいいというわけではないけれど、なんだかもぞもぞするけれど謎の安心感があった。
でも愛撫が本格的に耳になると、ゾクゾクするような気持ち良さで、自分でオナニーするときに耳なんていじらないから、気持ちよくてどうにかなりそうだった。「ん」って感じの喘ぎ声が自然と出たのにお姉さんは「気を遣って感じたフリはしなくても大丈夫よ」って笑っていたので本当に気持ちいいと伝える。そうするとしばらく耳を攻めてくれて、その間も性器のあたりを手で撫でられる。舐めても大丈夫かと聞かれて、嫌じゃなければお願いしても良いですか?とめちゃめちゃ下からになる喪女。
初めて舐められる感覚は、クリトリスがじわじわとした気持ち良さで、ずっとしていて欲しいような、物足りないような感じ。指を挿れてほしいけど、処女だから痛そうだと理性が止める。オナニーすることある?って股の間から聞かれてめちゃくちゃ恥ずかしかったけど、良くすることと、でも中になにも入れたことがないと伝えると、お姉さんはゆっくり穴の中に舌を入れてきた。そこから怖くなってこれ以上は無理だと思ってそのあとはずっとキスしたり裸で抱き合ったり、好きな女の子の話とかをして時間は終了した。服を着て、お金を払ってマンションを出る。
帰りの電車に乗ってる時もさっきの官能的な空間を忘れることができなくて、家に帰ったらパンツがえらいこと濡れてた。多分もう男の人とは付き合えない。彼氏とはすぐ別れ話をしてしまった。
Fateという作品が非常に気になっていたので、ここ数年Fate関係をずっと漁って、Fate/Staynight → Fate/ZERO → Fate/UBW → Fate/HF → Fate/Extra(アニメ) → Fate/プリズマイリヤ1,2,3 → Fate/Apocrypha → Fate/Extra(ゲーム) → Fate/Extra CCC → Fate/Extellaという順番で消化し続けてきた。途中Type-Moonの世界観が共有されているとのことなので、空の境界のOVAを6作見てみたりもしてみた。そしてその結果として、言いようのない気持ち悪さを覚えたのでここに書き散らす。ぶっちゃけると奈須きのこ、てめえは駄目だ。人間ってもんがぜんっぜん書けてねえ!!
Fateのヒロインって奴は、というよりType-Moonの主要ヒロインは以下にまとめることができる。
・遠坂凛
・玉藻の前
・クロエ
・美遊
まあだいたい出てくるヒロイン枠はこんなもんなんだが、ぶっちゃけエロゲと同じでわりと単純で簡単に類型化できてしまう(どうして簡単にかつ単純に類型化できるのかは実は一言で表現できるのだが、それは次のチャプターで話す)要するに以下のタイプしかいないのだ。
・食い意地が張ってるので、基本は食事で胃袋を掴む
・使命感を捨てて恋に生きるよう説得するため、とにかく女の子扱いする
・不器用な生き方そのものを肯定し、過去の傷を舐めて肯定してやる
・チャラい、不真面目
※要するにギルガメシュ
・チャンスを見て、心のSGを暴いたり、心の中身を覗き込んで一旦丸裸にした上で従順にさせる
・たまに大真面目に褒めると照れるので、褒めのジャブを入れつつ、好意をストレートに打ち込むと何故か落ちる
・間桐シンジ
・真面目な朴念仁で、目的のために愚直に突き進む優男タイプに弱い
・ド直球に大してド直球に返す、沈黙に沈黙を返して誘い受けする、これを繰り返していると勝手に相手が落ちている
・倫理にもとる行為をしても基本的には立ち位置を信頼モードにして「何があっても一緒だよ」「過去どんなことがあっても俺は気にしないよ」と言い続ける
・意外と寂しがり屋だったり、わりと物事を達観してる節があるので、そういうときに包容力を見せるだけで落ちる
・こいつら自身が裏表があるタイプなので、裏表が通用すると思ったら間違い
・下手に策を弄するよりも天然を地で行くタイプに弱い。本人たちもそこがわかってるから冗談交じりで愛情をストレートに表現してくる。
・とにかくこいつらは寂しがりで承認欲求が強いので、友達とか絆とか特別というキーワードに弱い
・特に精神的な繋がりを重要視するだけで、それを与えるだけで生きる目的にすらなっちゃう
・精神的な闇の部分も含めて「お前が特別」を与えてやるだけで落ちる
・必ず不器用な一面を見せる
アホかってくらいみんなこれに該当する。そのせいで(2)Fate男主人公全般に見られる妙な脱個性&表面的素朴化が起こってる。
Fateというか、Type-Moon系の主人公格はほぼ以下の五人に集約できる。すなわち黒桐幹也、衛宮士郎、ジーク、岸波白野、藤丸立香の五人である。これは女ヒロインがType-A~Dの四種類に集約でき、かつ変形種まで存在することから考えると驚くほどに単調で少ない。とはいえ一応五人はいるのだから、五人を一人ずつ分析していってもいいのだが。ぶっちゃけるとこの五人、精神分析するまでもない。細かい差異はあれど以下の一行に簡単に集約できてしまう。
マジでこれは異論は認めない。ぶっちゃけTypeMoon系の主人公(男)ってやつはどいつもこいつも女に対しておんなじアピールしかしてない。驚くくらいこれがまったく変わってなくて驚きを通り越して笑えてくる。マクロス・フロンティアでMay'nが歌うノーザンクロスに「君を掻きむしって濁らせた、なのに可憐に笑うとこ、好きだったよ」という歌詞があるが、まんまこれである。すなわち「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」「僕を傷つける君でも、俺はお前を好きだZe!放ってなんかおけないZe!」のどっちかを繰り返して女の子を包み込んでいるだけなのである。その証拠に各々のメインヒロインをFate/StaynightシリーズとFate/Extraシリーズを用いてざっくりどうやって各主人公が落としてきたかを振り返ってみよう。
「士郎は卑怯です、私の過去を知って、何度も私の中に入ってきた(性的に)」
→「惚れちまってんだから仕方ないだろ、俺はお前をこのまま放っておけないZe!」→「俺はお前を救いたい」→陥落
「(アーチャーが私を裏切った…!?そんな…っ)士郎、今日は疲れたでしょう、もう休みなさい」
→「お前の方が辛いはずじゃねーか、俺はお前をこのまま放っておけないいZe!」→陥落
「先輩、私綺麗じゃないんです、もうずっと前から汚れた女なんです」
→ 「そんなお前をこのまま放っておけないZe!俺は女としてのお前を求めたいんだZe!」→陥落
「奏者よ、本当の私は悪名によって星に刻まれた為政者なのだ。為政者としての余は完全に間違いばっかりなのだ」
→ 「そんなお前の姿が俺には眩しいZe!」
「私は傾国の姫君、私は人とは一緒にいられない、一緒にいてもどうせ不幸にしてしまう、」
→ 「そんなお前が俺との何気ない日常を選んでくれたことが俺はうれしいZe!俺はお前を信じていたZe!そんなお前を俺は好きだZe!」
「私は破壊の王、命を奪いたくは…ない、私は、その意味をまだ知らない。だが私には、破壊しかないのだ。他には…何もない。だから…」
→ 「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」
ぶっちゃけFate/Extra、Extellaなんてのはストーリーはメチャクチャ単純で、主人公の事を好きな味方(サーヴァント)を連れて聖杯戦争を進んでいく内に主人公の事を好きな敵が現れて、その敵から主人公が逃げたり逆にその敵を救おうとして失敗してを繰り返しながら、ラスボスとの戦いで主人公を好きな味方と敵の全員が力を合わせ、最後にラスボスを大団円で倒した後に、切ない別れが待っている、以上。もうぶっちゃけこれだけである。FGOもほとんどこれを繰り返してるだけ。(※この系譜に当てはまらないのはせいぜいがFate/ZeroとFate/Apocryphaくらいのもんで、しかもこの2つは両方ともメインライターは那須きのこじゃなくて虚淵と東出)那須きのこの描く女性像、特にヒロイン像ってヤツがいかに偏ってるか、いい加減気づいた方が良い。こいつにとってヒロイン女ってのは精神的脆さという名前恋愛スイッチが存在していて、そこを押しさえすれば女はみんな落ちると思ってる。でもってそのためには男は全員器が謎に広くて天然朴念仁でありながらストレートに女性を褒めることも出来て自分のピンチにも泰然自若としている肝っ玉のある男じゃなきゃいけないわけだ。
このヒロイン像に対比する形で生まれた男性像が顕著といえるのが<空の教会>の黒桐幹也くんである。
筆者は空の教会の「殺人考察(前)」編で両儀式から殺されかけて逃げながらも彼女を何度も振り返って見つめ合う黒桐幹也になんだかシュールなものを感じてしまって半笑いになってしまったのだが、とにもかくにも那須きのこのヒロインを救う主人公(ヒーロー像)ってのはこのときからまったくといっていいほど変わっていないことが伺える。この異常なヒロインをそれでも愛するヒーロー(男性)というのはFateにも結構登場していて、藤丸立香や岸波白野だけじゃなく、メディアさんの恋人ポジションである葛木先生なんかはモロにそのポジションだったりする。特に岸波白野くんの包容力演出の異常さに関してはメルトリリスやパッションリップのエピソードでも充分に語られているから分かるだろう。基本的に那須きのこ氏の作品に登場するメインヒロインたちは絆や深い関係を作るために何らかの精神的ウィークポイントが存在しなければならず、そこを無意識に突くことができ、かつ人格的にも不安定な彼女たち(意図的に男性の手の中に転がりやすい存在として貶められている彼女たちの人格)を包み込んであげるためには、ヒーローたる男性は極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好しでなければならないというわけだ。
これって西尾維新とかの物語シリーズにもよくあるんだが、とにかく女性という存在を何かと欠陥のある存在にしたがっている。「欠陥のある存在にしたがる」というのは要するに、手触りがあって男の手の中に何となく収まってくれそうな存在に押し込めたがる傾向がある、という意味だ。早い話が心に隙間のある人間に仕立て上げることで、弱点スイッチを作っていることだと言っていい。そしてそこを上手に押してくれる男性をヒーローと仕立てあげる構図を作り上げている。これは病的なまでにすべてのヒロインに共通して言えることである。例えばFate/Extellaに登場するアルテラは1万4千年前の世界を滅ぼした遊星の尖兵たる巨神そのもので、その気になればサーヴァントたちのみならず神級の英霊をも下すこともできる超弩級の危険人物なのだが、どういうわけか主人公に惚れていて何故か必要もないのに彼にプログラム世界であるにも関わらず料理を振る舞ってみたり、甲斐甲斐しく抱きしめてみたりする意味の分からないエピソードが大量に存在する。そしてどういうわけか主人公の昔の英霊パートナーに嫉妬したり、主人公と会話をしたがるも話すことが見つからなくてじっと見つめてしまったり、逆に見つめ返されて恥ずかしがったりしてしまうのである。
この一言に尽きる。だから女性ヒロインにわかりやすいテンプレを付けすぎて、しかも毎回それを使いまわしすぎる。そして男性ヒーローに対して、女性を救う存在とさせすぎる。一言で言えば、女を舐めすぎだ。この辺は主人公(男)がしょっちゅうヒロイン(女)をからかったり弄ったりすることからもよく分かる。その弄り方のほとんどがどうにもこうにもヲタ臭いのだ。
別に人間なのだから、弱点を押されれば弱いのは分かる。精神的な脆さや寂しさが女の魅力になることも分かる。
でもそれに頼りっきりかっつー話である。いい加減恋愛スイッチのあるヒロインをヒーローが助ける構図をやめてみたらどうなのか、と。例えば歴代の有名ヒロイン・綾波レイに恋愛スイッチがあったか?ガンダムのララァに恋愛スイッチがあるのか?ヒーローはいつだってヒロインに愛されていなければならないのか?そうだとしても、それは常に恋愛という形である必要があるのか?ときにはヒーローこそが、心理的に成長する物語を描いたっていいんじゃないか?Fate作品のヒーロー(男性)が画一的で単調なのは、決してヒロイン(女性)を魅力的に描く上でそれが必然だからなのではない。単純にヒロイン(女性)をきちんと描けていないから、その対存在であるヒーロー(男性)が対応する形で単調な存在になってしまうのである。
ポケモンのレッドや.hackのカイトのような、没個性的な男性を主軸に置くことを続けていくことは否定しない。しかしあえて言おう。真の意味での没入感や共感を視聴者が得るためには、登場人物には哲学や主張が存在しなければならない。中庸をいく存在であってはならないのだ。極端に何かを主張する存在でなければならない。それでいてなお、視聴者の好意を射止める存在でなければならない。そしてそれに共感するか否かは、すべて視聴者に委ねるべきなのだ。
この点を非常にうまくやったのは間違いなく虚淵氏である。Fate/Zeroの主人公たる切嗣は、主人公としては実に賛否両論だろう。この主人公に対して感情移入できたのかどうかは実際のところ評価の別れるところだし、正直行って那須きのこ氏が展開する没個性型の主人公とはまったくもって一線を画す、主義主張の塊のような漢だ。しかしどうだろう。不思議と切嗣を憎めない。また那須きのこ氏がヒロインとヒーローにばかり話の焦点を当てるのに対し、虚淵氏が上手いのはヒロインとヒーローが絡むメインテーマに対して、ヒロインとヒーローとは異なる視点におけるサブシナリオをきちんと描いてメインテーマに関連付けさせるところだ。衛宮切嗣に対して言峰綺礼をきちんと置くし、セイバーに対して、きちんとウェイバーとイスカンダルそしてギルガメッシュを置く。(※この違いはなんのかというと、要するに虚淵氏が単にラブコメも恋愛もあんまり書くつもりもないからなのだが)
したがって、那須きのこ氏がこの課題をクリアするためには、まず安易なラブコメや恋愛スイッチヒロインを描くことをやめるところから始めるべきだろう。もっと多種多様な人間の感情模様を描くべきだし、そしてもしそれがきちんと出来ていれば、主人公(男)があれほどまでに没個性的で妙なヲタのりをする奇妙な包容力のある人物になるわけはないのである。
大好きで応援していたあるプロジェクトがあり、そのプロジェクトに関わっていた推しと推しのキャラクターが大好きだったので、それが終わってからというものプロジェクトの最後の日に見た推しの姿がずっと忘れられず、ズルズルと彼のことを推し続けてるという感じだった。
そのプロジェクトの過去の映像やインタビューを見返して、もっと早く応援できてたらよかったのに、と思う日々を過ごしていた。
推しは感情に波がある。それは自他共に認めている事実で、実際顔に出やすいしそこがまた素直でかわいいな〜と思ってたときもあった。でも一度「ん?」と思ってしまうことがあって、それからずっと言いようのないもやもやが募っていった。
そんなある日、推しが出演するとある舞台があり、わたしはもやもやした気持ちを抱えたままその日を迎えた。
なんとか家を出たはいいものの、やっぱり気持ちはもやもやしたままだった。そんなときスマホからシャッフルで流れてきたのは推しが演じていたキャラクターのソロ曲で。あの日の記憶がまたフラッシュバックして、推しを見にいくことが怖くなった。
ついに耐えきれなくなって、とっさに乗り換えでもない駅で降りて、ホームのベンチに座り込んだ。異様に喉が渇いていた。自販機でお茶を買ってちびちび飲みながらチケットを取った日の自分はあんなに楽しみにしていたのになんでだろう、とまたぐるぐる考えていた。
推しの姿がどんどん更新されていくことが怖い、あの日から遠ざかっていくことが怖い、でも推しを見に行けなくなることはもっと怖い、とか自分でも考えてることがめちゃくちゃすぎてわけがわからなくなってしばらくぼんやりしていた。劇場へ向かう電車が何本も目の前を通り過ぎていった。
しばらくそうしていたが、カバンの中にあるチケットを握りしめて、ついに震える足で劇場に向かうことを決意した。
その日は太陽が空高く登っていてありえない暑さで、この胸の気持ち悪さは暑さゆえなのか情緒不安定からくるものなのかわからなかった。それを冷静に考える頭の余裕もなかった。今思えば多分どっちもだ。
最寄り駅に着き、たかだが5分もかからない駅から劇場への道のりを歩きながら、それでも頭の中はずっとぐるぐるしていた。
よっぽど帰ろうかと思ったけど、駅に着いたころにはいくらかマシになっていたし、何よりチケットを取ったときの自分は確実にこの日を楽しみにしてくれていたわけで、そんな自分の気持ちを裏切りたくなくて、ついに劇場に足を踏み入れた。
初めて入ったその箱は小さくて、座席を確認すれば双眼鏡がなくても表情がクリアに見える距離だった。
席に着いて始まるまでも気が気じゃなくて、文字が読める精神状態じゃなかったのに意味なくスマホに指を滑らせてツイッターの更新を繰り返していた。
もう心臓がはちきれそうだった。泣き出すかもしれない、吐きたくなるかもしれない、不安で押しつぶされそうになりながらぐっと舞台を見つめた。
でも、板の上に立つ推しの姿を見た瞬間、頭の中の霧がパッと晴れたように「あ、好きだ」としか思えなくなった。
推しが芝居をする姿を生で見るのは、約1ヶ月ぶりだった。
その間に、本当に色々なことを考えた。
推しのツイッターを見てはモヤモヤを募らせたり、よせばいいのに有る事無い事書かれている匿名掲示板を見て落ち込んだり、過去の映像やパンフレットを読んでやっぱりこの頃の推しが好きだ、あの日々を忘れたくない、と強く思ったり。
けれど、散々理屈をこねても結局答えは板の上にしかなくて、新しい彼を更新していくことによって過去の彼を忘れていってしまうのが怖かった自分は、怖いのに、それでもやっぱり目の前で更新されていく推しに対して好きだと思うのをやめられなかった。
推しが舞台上に生きるキャラクターとしてことばを紡ぐたびに好きだ…と思ったし、舞台に立ってるだけで、歩いてるだけで、セリフがなくたって、表情をこの目で確認できる距離で見れるだけでどうしようもなく嬉しくて、そんな推しがカテコでもずっと笑っててにこにこ楽しそうで、ああ〜よかったなあ〜なんてぼんやり帰りの電車で考えていたら、思いっきり乗り過ごしていた。
生きている生身の人間に対し不変を願うのは無理な話だとわかっていて、その上でズルズルとあの日の面影を彼の中に探して追いかけつづけている。
だからこの気持ちも一方通行で自分勝手で、推しには一生届かない感情だとわかっている。
この公演を見て気持ちが動かなかったらもうやめようときめていたのに、結局好きだった。いや本当に自分でもびっくりした。推しのことが好きすぎてびっくりした。
好きだと思う感情に理由なんてなかった。不安とか悲しさとか言いようのないもやもやとか全部吹き飛んでしまうくらい、好きっていう感情が強すぎた。
そして何より、シンプルに彼を好きだと思える現実に安心して、泣くような内容じゃなかったのに公演後だばだば泣いてしまった。
こんな情緒不安定になってるのに一生顔も名前も覚えてもらえない人のことを好きな人だと公言してるのなかなかヤバイとわかってるんだけど、それがオタクなので、多分推しが表に立つのをやめないかぎりずっと感情グラフジェットコースターの建設はやめられないんだな、と思った。