はてなキーワード: かえるとは
特定小型原付ってのは、最近街をビュンビュン走り回って問題になってる電動キックボードのアレね。あれの自転車っぽい形のタイプ。もの好きで買ってみたのよ。
そんで乗るからには交通ルールは守ろう!ってね。ルール通り幹線道路の車道をメインに走って、少し遠くのイオンモールまで行ってみたわけ。
そしたら覚悟はしてたけど、案の定クルマが至近距離でビュンビュン追い抜いてく。 こっちはルール上でもマシンの仕様上でも常に最大速度は20キロだから、当然車の流れなんて乗れないのでもう怖いのなんの。
そんじゃ仕方ないつって、これまたルールで定められている歩道走行モード(常に時速六キロを維持して自動運転するモード)に切り替えて、歩道をメインに行こうとしたわけ。
そしたら時速六キロってのが予想以上に遅いのなんの。ジジイかよ。 いやジジイに失礼なぐらいノロすぎる。
あまりにノロいから、試しに同じ場所から場所まで、時速六km走行と、自分で車体押して歩いたタイム、比較してみたの。そしたら車体を押したほうが断然速いというね…こんなん笑うわ。
そもそも時速6kmって二輪車だと遅すぎて逆にコケるわ。こんな実態に則してないモードいる?
そんなわけで、俺の遵法意識は砕け散りました。
──ごめん、車道には行けません。いま、歩道にいます。車道走行のモードで。
もちろん事故防止のため、問題になっているバカLUUPみたいに車道と歩道を蛇行するような危険運転はせず、自転車通行可の標識のある歩道のみを、10~15km程度で走行。
歩行者や自転車が近くに来たらしっかりブレーキをかけて、ゆっくり追い越したりすれ違う。もちろん左側の歩道を車道寄り走行ね。少なくとも俺と同じ歩道を走ってるママチャリどもより、よっぽど安全運転。あ、ちゃんと努力義務のヘルメットもかぶってるよ!
でも取り締まりがいたら、そいつらより真っ先に俺が目つけられて違反取られるんだろうな。ランプとかナンバープレートとかついてるし。
でももういいです。少なくとも車道を20キロで走って死ぬよりマシ。警察に見つかって一発目の反則金とられたり、俺の安全運転でも歩道上で事故起こす確率より、車道走って轢かれる確率の方が明らかに高い。
責めるなら自転車相手にすら側方間隔も徐行もろくにとらないドライバーか、日本の道路整備状況を責めてくれ。ドライバーのほうが厳密には俺より交通違反しまくってんだし。
ちなみに普通走行モードで歩道を行くスタイルだと、当たり前だけどむちゃくちゃ快適に移動できました!もし合法でこの快適な移動を無免許でも出来るなら、かなり革命だなってレベルで快適。(まあ俺電動アシスト自転車とか乗ったことないんだけど)
でも絶対、免許持ってる=教習所で安全運転とその意識を叩き込まれた経験のあるやつ…じゃないとバカLUUPみたいなヤツでさらに溢れかえるだろうな。
予想外に反応やブクマあって驚いた!露悪的なこと書いたからやっぱ叩かれ気味だけど、正直大抵のママチャリの走り方ってこんな感じじゃね?ママチャリ乗り始めたこどもの頃から歩道走ってたし、家族も友達も、住んでる街の人みんな自転車で歩道普通に走ってるし誰も何も言わんぞ。
試しにサイクリング動画ググってみたけど、やっぱ自転車が多い住宅地はみんな歩道走ってるし…ちなみに俺は大阪の可もなく不可もないベッドタウン在住。
そんなわけでついた意見にざっくり返信してみる。
…ってかねー!まず最初に電動キックボード前提で書いてるコメント!!タイトルくらい読め!!俺が買ったのはミニベロくらいの大きさの自転車型!キックボード型よりはタイヤもでかくて段差もそこまで気にならんよ(もちろん減速もちゃんとする)。それでも六キロ走行はやっぱり安定しなくて危なっかしい。
俺も「成人の早歩きが6キロ」と買う前に聞いてたから期待して買ったのよ。でもマジで遅い。
気になってググったこの動画でも、「歩道モード六キロはフラフラして無理!」という結論。この動画のメーターと俺の車体のメーター、どっちも壊れてるってワケもないだろうし
https://www.youtube.com/watch?v=PimaIGgp-uw
>随分頑張って歩いたんすね
これは俺の書き方が悪かった!途中の道にあった電柱から電柱までの時間を六キロ走行と車体押しで比べてみたのよ。
>たぶん、もっと街中の道を走るもので、イオンモールへ行く幹線道路で乗るものではない気がする
これもよく聞くんだけど、街中っつーのは繫華街のこと?だとしたらむしろ繫華街のほうがLUUPみたいなシェアサイクル以外、自転車走ってなくね?それか街中=狭い道路しかない住宅街、ってことならそういう場所は歩道も極狭だからちゃんと車道を20キロで走るよ。ただその範囲なら普通自転車でいいかな…
「幹線道路の車道で乗るもん」じゃないってのはたしかに今回でよっくわかった。
>諦めて電動アシスト買え
まぁ明確な移動手段ってより「変わったモノ好き」で買っただけだから…それに最近電アシのママチャリもよく見かけるけど、やっぱり車道より歩道走ってるほうが断然見かけるぞ。電アシユーザーと言えばたいてい子供や買い物荷物乗せる主婦だし、なおさら車道怖くて歩道行くよね。
つかちゃんとルール通り車道走ってる自転車って速度出るロードバイクくらいじゃね?でもそんなロードバイクもネットじゃだいたい嫌われてるっていう。
あと、車道の走り方のアドバイスは次乗ってみるとき試してみますね!(でもおそらくパッパパッパクラクション鳴らされまくってメンタル死ぬよ!)
ってか電アシ買えのコメントで思ったけど、俺ママチャリを厳格にルールに従って乗ってみてもほぼ同じ事考えてただろな。「特定小型~」とか関係ない話だなコレ。
(ごめん中身は読んでない。またいつものメンバーが争ってるんだろうし)
人間の本能的な営みだしなんていうか根本的に人類にとってはポジティブ?なものと言えると思う。
死、恐怖、病、怪我、血飛沫…こうしたものは生物にとってネガティブなことのはず。
ホラー自体が怖くて嫌だしホラーというネガティブなものを好きな人がいることも正直怖い。
ホラー好きを公言する人は多いけど本来はムチで叩かれて喜ぶような隠すべき変態特殊性癖なんじゃないだろうか。
そりゃ一番ショッキングな場面やグロテスクな表現は見せないようにしてると思うけど映画館でもテレビでも普通にホラー映画の予告があるし(目を閉じて終わるのを待つ)ポスターもどこでも目に入る。
ビクッとするし嫌な気分になる。
街中にあふれかえる黒、オレンジ、紫の毒々しい色とガイコツやお化けやお墓のイラスト。
可愛らしくデフォルメされても死や恐怖のネガティブなイメージは付きまとうしリアル寄りのディスプレイが目に入ってビビったりする。
TwitterもといXでも流血メイクやら頭に刺さった釘やら血糊のついた包丁やらのコスプレ写真が流れてくるのがきつい。
ハロウィンは定着してほしくなかった……。
理解はできないけど消えろと言ってるわけじゃないです。
いや本音を言うと消えてほしいということになるんだろうけど、やっぱり表現の自由って大事だと思うし人の好きなものを尊重しないなら自分の好きなものも尊重してもらえないよねって打算的な意味もある。
お互いちょっとずつ許してもらってるって思えたらいいよね。
祝!今年のハロウィン終了!🥳🎉
漆掻きと云ったって都会の人は御存知ないかも知れませんが、山の中へ這入って行って漆の樹からうるしの汁をしぼるんです。いいえ、なかなか、百姓の片手間ではありません。ちゃんとそれを専門にする者があったんで、近頃はめったに見かけませんけれども、外国の安い漆が輸入されるようになったそうですから、いまどきあんなことをしても手間ばかりかかって引き合わないんでしょうな。兎に角以前には私わたしの村なんかへもよく漆かきが奈良あたりからやって来たもんです。漆鉋うるしかんなと云って、鎌のようなもので先の曲った奴を持って、腰に三四合ぐらい這入る竹の筒を提げて、漆を見つけると、その鉋で皮へ傷をつける。それがあんまり深く傷をつけ過ぎてもいけないし、浅過ぎてもいけないし、呼吸物なんで、その傷口から松脂まつやにのようにどろりと滲しみ出て来る汁を箆へらですくって竹の筒へ入れる。そんな時にうっかり下手なことをやって汁が顔へはねかかったりすると、それこそ赤く脹れ上りますから、馴れた者でないと出来ない仕事なんでして、漆にカブレないように紺の手甲を着けて、すっかり紺装束で出掛ける。まあそんなことをする人間なんで、私の村にもその商売の者が一人住んでいましてね。此の男は遠くへ出稼ぎをするのでなく、村の近所の山へ這入ってはうるしを採ってくらしていましたが、或る夏の日に、その漆かきが一と仕事してから山の中でひるねをしていますと、夕立ちが来たもんですからふっと眼をさましました。そしてそのときに、ハテな、己はひょっとすると寝ていた間に狐に憑つかれやしなかったかなと、そう思ったと云うんです。それが別にどうと云う理由があるんではないんですけれど、淋しい所をひとりで歩いているときなんぞに憑かれることがよくあるんで、ただ何んとなくそういう感じがしたんでしょうな。で、まあ、家へ帰ってもそれが気になって仕方がない、どうも狐がついたようだから明神さまへお参りをして来てくれろとお袋ふくろに頼んだりして、友だちなんかにもそんなことを云っていましたが、そのうちにとうとう床について、飯も食わないようになったんです。それで先生布団をかぶって半病人のようにうつらうつらしながら、日が暮れると云うと、ああ、今夜あたりは狐が迎いに来やしないかな、今にきっと来やしないかなと、心待ちに待たれるような、妙にそれが楽しみのような気持ちでいると、案の定夜になってから友達のような男が三人ばかり表へやって来て、「さあ、行いこら」「さあ、行こら」と誘うんだそうです。尤も友達と云ったって見おぼえのある男ではないんで、みんなせいが三尺か四尺ぐらいの小男で、法被はっぴを着て、木や竹の杖をついていて、何か非常に面白そうに「行いこら行こら」と云うんですが、それを聞くと行きたくって行きたくってたまらなくなるんだそうです。けれどもアレは狐だから行くんではないぞ、あんな者に誘われてはならないぞと思ってじっと我慢していると、友だち共は仕方がなしに帰ってしまう。するとその後ろ姿に尻尾しっぽのようなものがチラチラ見えるようなんで、ああやっぱり行かないでいい事をしたと、そのときはそう思いながら、又あくる日のゆうがたになると、今夜も誘いに来やしないかなと心待ちに待つようになる。そうするうちに果たしてやって来て「行こら行こら」と誘うんですが、それがもう、さも面白そうなんで、ついうかうかと行きたくなるんだそうですな。しかしその晩も一生懸命に我慢してしまったところが、三日目の晩の九時頃に、家の前に庭があって、庭の下が六尺ばかりの崖がけになっていて、崖から向うは一面に麻の畑でした。それが夏のことですから麻が高く伸びていて、ちょうどその庭と畑とが同じ平面に見える。で、その畑の方へ例の小男が三人連れ立ってやって来て、「さあ行こら」「さあ行こら」と云うんだそうです。よくよく見るとその男たちの着ている法被に何か圓い紋がついていたそうですけれども、どんな紋だったか、そこんところはハッキリ覚えていないんだそうで、いつもの通りめいめいが杖をついていて、しきりにそう云って誘うもんですから、とうとうその晩は我慢しきれなくなってしまった。それでそうっと家を抜け出ようとしたときに生憎親父が小便に起きたんで、こいつはいけないと思って、「行きたいんだけれど、親父に見付かると面倒だから己は止すよ」と云うと、「なあに己たちが一緒なら大丈夫だ、こうすれば親父に見つかりはしないから、まあ附いて来い」と云って、その三人の友達が手をつなぎ合って、輪をこしらえて、その輪の中へ丑次郎―――という名だったんですが、その漆掻きの男を入れた。そして、「さあこうすれば親父が見ても見えやしないから心配するな、附いて来い/\」と云って連れて行くんで、ちょうど便所から出て来た親父とすれちがいになったそうですけれども、成る程親父には此方の姿が見えないようなあんばいだった。それからその晩は麻の畑の中で遊んで、いろいろ御馳走をしてくれたりしただけで、明け方には無事に家へ帰してくれたそうですが、四日目の夕方は日が暮れないうちから楽しみで楽しみで、早く誘いに来てくれないかなと思っていると、やはり昨夜ゆうべと同じ刻限にやって来て「行こら、行こら」と云うんです。で、又附いて行きますと、今夜はいい所へ行こうと云って、家のじき近所にガータロのいる淵があるんですが、その淵の方へ出かけたと云います。え、ガータロですか。ガータロと云うのはあれは河童かっぱのことなんです。ぜんたい私共の村は高野山の南三里ばかりの山奥にあって、私の字あざは一方が山で一方が谷になったゆるやかな傾斜面のところどころに家がチラホラ建っている。丑次郎の家というのも山と山の間にある淋しい一軒家なんでして、前に三四枚の段々畑があって、その先が今云ったガータロのいる淵なんです。別に名前のあるような淵ではないんで、村の者はトチ淵ぶちトチ淵と云っていましたが、さあ、どう云う字を書きますかな。何しろ大滝だとか赤滝だとか云って、非常に滝の多いところでしてね、その滝壺の下流が今云った谷の底を流れていて、淵になっているのはほんのわずかなところなんですが、そこにはいつも水が真っ青に澱よどんでいて、まん中に平べったい一枚岩が出ていました。ガータロはその一枚岩の上にときどき姿を現わすことがありましたから、たしかにその淵に棲んでいたには違いないんで、見た人は大勢あるんです。ええ、ええ、私も一遍見たことがありますよ。なんでも夏の日ざかりに山の上を通っていると、下の方にその淵が見えて、岩の上に変な奴がすわっているんで、「ああ、ガータロが出ているな」と思ったことがありました。さあ、そうですな、遠くから見たんだからよくは分りませんでしたけれど、人間よりは小さかったようで、まあ猿ぐらいでしょうかな。姿も猿に似かよっていて、ただ斯う、頭の上に妙な白いものが喰っ着いているんで、鳥打帽子を被っているように見えましたよ。ええ、ええ、よく人間に害をする奴なんで、私の知っている人でも、ガータロに見込まれて水の中へ引きずり込まれそうになったり、ほんとうに引きずり込まれて死んでしまったのもあるんです。これは餘談になりますが、その谷川の別なところに丸木橋がかかっていましてね。或る私の友人が夕方その橋をわたろうとすると、うっかり足を蹈み外して、水の中へ片足をついたのが、岸の方の浅瀬だったんですけれど、その片足を抜こうとしても水が粘ねばり着くようになって、どうしても抜けない。しきりに抜こうともがいているうちに、次第にずるずると深みへ引っ張られそうになるんで、ハテな、ガータロに見込まれると水が粘ると云う話だが、こりゃあガータロの仕業しわざだなと気が付いたんです。ところでガータロと云う奴は鉄気かなけを嫌うもんですから、そう云う時には、何んでも構わない、鉄気のものを水の中へ投げさえすれば助かるんで、ふっとそのことを思い出して、幸い腰にさしていた鎌を川の中へ投げた。そうしたら難なくすっと足が抜けたんで、真っ青になって帰って来て、実はたった今此れ此れだったと私共に話したことがありました。もうよっぽどの歳ですけれども、未だに達者な人でして、至って正直な、うそを云うような人間ではありませんから、事実そんな目に遇ったに違いないんですな。しかし此の男はそう云う訳で命を取りとめましたけれども、もう一人今のトチ淵へ篏はまって死んだ者がありました。十四五になる可愛いい女の児でしたがね。なんでも同じ村の餘所よその家へ子守りに雇われていて、めったとひとりで遊びに出るようなことはなかったのに、その日に限って、赤ん坊の寝ている間に出て行って、二三人の友達と一緒にその淵の所で鮎を釣っていたと云うんです。それが、おかしいのは、淵によどんでいる水が、ほんの一間ばかりの間岩の下をくぐって、すぐその先の方へ行くと滝のようになって流れ落ちているんですが、その女の児は淵と早瀬との境目にある岩の上にしゃがんで、瀬の方で釣ればいいものを、淵の方を向いて釣っていた。すると、友達の女の児もみんな同じ所で釣っていたのに、どう云うものか外の者には一向釣れないで、その女の児の鈎はりにばかり魚がかかる。外の女の児たちは詰まらないもんですから、此処は止そうよ、何処か別の所へ行こうよと云うんですけれども、その女の児だけは面白いように釣れるんで、夢中になっていつ迄も釣っている。そのうちにだんだん日が暮れて来ましたが、もうおそいから帰ろうと云っても聴き入れないんで、外の者はその児を置き去りにして帰ってしまった。さあそうすると、晩になっても姿が見えないもんですから、主人の家では心配をして、親元の方を尋ねさせると、其方そっちへも来ていないと云うんで、大騒ぎになって、いろいろ心あたりを調べると、実は晝間これこれだったと云う。外の児たちは云えば叱られると思ったんで、聞かれる迄黙っていたんですな。で、早速みんながその淵のところへ行って見ると、ちゃんと下駄が脱いであるんで、いよいよガータロに見込まれたんだと云うことになって、それから泳ぎの達者な者が体へ綱をつけましてね、ガータロが出たら合図をするから、そうしたら綱を引っ張って貰うように頼んで置いて、淵の底へもぐって行って、屍骸を引き上げたことがありましたよ。兎に角その女の児が鈎を垂れると、ほら釣れた、ほら釣れたと云うようにいくらでも釣れるんで、外の鈎にはちっとも寄って来なかったと云うんですから、そこが不思議なんですよ。あ、そう、そう、そう云えば、その前の日に、その女の児の親たちの家の屋根の上からその淵の方へ虹がかかっているのを、たしかに見た者があると云います。虹がそんなに近いところにある筈のものではないのに、ちょうどその家の上から出ているんで、何かあの家に変ったことでもあるんではないかと思っていたら、その明くる日にそう云うことがあったんだそうです。でまあ、そのガータロのいる淵の方へその漆かきは連れて行かれた訳なんですが、なぜだか知れないが死のうと云うことを考えて、今夜は一つあの淵へ身を投げてやろうと思いながら附いて行くと、大勢の人が提灯をつけて淵の方へぞろぞろやって来るんだそうです。それで暫く物蔭に隠れて窺がっていると、村長さんだの、伯父さんだの、伯母さんだの、親類の誰彼なんぞの顔が見えるんで、中にはもう死んでしまった人なんぞが交っているもんですから、おかしいなあ、あの伯父さんは死んだ筈なのにまだ生きていたのかなあと、そんなことを考えながら待っていましたけれど、提灯の数が追い追いたくさんになって来て淵のまわりをウロウロしている。この様子じゃあとても駄目だと思ったんで、「どうも死ぬのに都合が悪いから、今夜はもう帰る」というと、「そんならもっと面白い所へ連れて行ってやるから、まあ一緒に来い」と云って、棕櫚山の方へ引っ張って行った。その辺はいったいに棕櫚が多いんでして、大概の山には、高いのになると三間ぐらい、普通二間ぐらいの棕櫚と、一丈ぐらいの薄のような草が生い茂っているんですが、その茂みの中を分けて行ったら、山の中途に大きな岩が突き出ていて、友達の連中はその岩の上へするすると身軽に登った。だが見たところ丑次郎には登れそうもないので、「己はそんな高い所へ上あがれないから止める」というと、「なあに己たちが手伝ってやるから大丈夫だよ、上って見ろ/\」と云って、三人の小男が上から引っ張ったり下から腰を押し上げたりした。お蔭でどうやら上れることは上れたけれども、上る拍子に脛を擦り剥いたんで、今度はそれが痛くってたまらない。「痛い痛い」と云うと、「よし、よし、つばきを附ければすぐに直る」と云って、つばきを附けてくれたらじきに痛みが止まった。すると又咽喉が渇かわいて来たんで、「水が飲みたい」と云うと、「じゃ、まあ、ここで休もう」と云って、道ばたに休んで、何処から持って来たのだか直ぐに水を飲ましてくれたが、なんだかその水が小便臭かったそうです。で、その山を越えると、私の家の方へ下りて来ることになるんで、ああ、そうだったな、此処はもう鈴木さんの家の近所だなと、はっとそのときに気が付いたらしくって、「もう己は帰る」と云い出したところが、「まあいいからもう少し遊ぼう」と云って、しきりに引っ張って行くんだそうです。それでも無理に帰ると云って、とうとう振り切って来たそうですが、その晩も、その前の晩も、家に戻ったのは夜中の三時ごろだったそうで、いつも夜の明ける迄には必ず帰してくれたと云います。さて五日目の晩に待っていると、又「行こら行こら」と云いながらやって来て、今夜は伊勢へ連れて行ってやると云う話で、伊勢の松坂へ出かけて、何んとか云う料理屋の二階へ上ると、たいそう結構な朱塗りの高脚たかあしのお膳が出て、立派なお座敷で御馳走をたべた。それから街道を歩いて行ったら、此処はカノマツバラだと云うんで、見ると成る程松原がある。けれども、その時に斯う、ぼんやりと分ったのは、私の村から有田郡ありたぐんの方へ抜ける山路にヤカンダニと云う谷があって、めったに人の通らない淋しい所なんですが、そこをその漆掻きは前に一遍あるいたことがある。で、そう云う時にもいくらかその記憶が残っていたものと見えて、カノマツバラだと云うけれども、どうも此処はヤカンダニのようだから、「ヤカンダニじゃあないか」と云うと、「なんだ、お前はヤカンダニを知っていたのか。ではもっと外の所へ行こう」と云って、又方々を歩き廻って、「さあ、どうだ、此処がカノマツバラだ」と云われて見ると、今度は覚えのない土地で、松がずうっと生えていて、たしかに松原の景色になっている。しかしそう云う間にもときどき正気に復かえるらしく、己は狐に欺されているんだと云う考えがふいと起ることがあって、三人の小男の様子なども、人間の姿をしているように思えながら、どうかした拍子に尻尾が見える。はっきり見えるんではなしに、チラチラと斯う、見えたり見えなかったりするような工合なんですな。要するにまあその時分からそろそろ意識が回復して来たんで、ヤカンダニを通ってからも暫く何処か無茶苦茶に引っ張り廻されていたようですが、そのうちに、村にイカキ山と云って、笊いかきのような恰好をした山があるんで、そこを通った時は、此処はイカキ山だなと云うことが分ったと云います。しかしその山は松だの欅けやきだのいろいろな雑木ぞうきが生えている密林なんでして、その林のなかをぐる/\歩いているうちに、木に引っかかって、フンドシが解けた。で、「まあ、待ってくれ、フンドシが解けたから」と云うと、「そんなものは構わないから放って置け、ぐずぐずしていると夜が明けるから急がなくっちゃいけない」と云って引っ張って行くんで、「もう己は帰る」と云うと、「帰らないでもいいよ。それより何所か寝る所があったら、みんなで一緒に寝ようじゃないか」と云うんだそうです。するともう夜がしらみかかって来たもんですから、その漆かきも今更家うちへ帰りにくくなってしまって、私の家いえの近所にある阿弥陀堂の方へ行った。と云うのは、その阿弥陀堂なら四人で寝るのにちょうど都合がいい場所なので、そこへみんなを連れて行って寝ようという考えが、ちゃんとそのときに頭にあったらしいんですな。それで阿弥陀堂へ行くのには、私の家と隣りの家との間を通らなければならないんですが、隣りの家の庭に古い大きな柿の木があって、それが往来の方へ枝を出していた、その木の下を通った時分に、「ああ、此処は鈴木の家の側だから、もうすぐ其処が阿弥陀堂だ」と思ったそうです。その阿弥陀堂は草葺きのお堂なんでして、うしろの方に四尺に一間ぐらいな裏堂が附いていて、その中に村のお祭りや盆踊りなんぞに使う提灯だの行燈だの莚だのが置いてあったんですが、その莚のことを覚えていて、あの裏堂で寝ようというつもりだった。ところがそこへ這入るのには屋根からでないと這入れない。今も云う通りいろいろな物が入れてあったもんですから、子供なんぞがいたずらをしないように、扉を中から締めてしまって、屋根裏から出入りするようにしてあったんで、そのこともちゃんと覚えていて、屋根裏へ上った。尤もその時に矢張り小男の連中が上から引っ張ったり下から押し上げたりしてくれたそうで、上って見ると、そこに二尺ぐらいの幅の厚い欅の板が渡してある。これはお堂の中の品物を出し入れする時の足場に作ってあったんで、その板に腰かけて莚の上へ飛び降りる料簡だったんですが、小男共は、「此処がいい、/\」と云って、草葺きですから、庇ひさしの裏の方から上ると、竹を編んだ屋根の土台が見える、その竹の棒に掴まって屋根の草の中へ体を突っ込んで、「此方へ来い、/\」と云うんだそうです。成る程その連中はみんなせいが低いんだから巧く草の中へもぐり込めますけれども、丑次郎には這入れる訳がないんで、「己は体が大きいから駄目だ、そんな所へ這入ったら足が出てしまう」と云うと、「まあ試しに這入って見ろ」と云うんで、這入って寝てみたら案の定足が出てしまった。「ほれ御覧、こんなに足が出たじゃないか」と云ったら、「では仕方がないから中へ這入ろう」と云うことになって、さっきの屋根裏からでなく、別な所へ穴をあけて、その穴から、一人ずつ莚の上へ飛び降りて、裏堂の中の狭い場所へ四人が並んで寝た。それから少しとろとろとしたと思うと、お堂のうしろの板が三寸四方ぐらい切り取ってある、それは以前に、泥坊が内部にしまってあるものを覗のぞこうとしてそんな穴を拵えたことがあるんで、もうすっかり夜が明けたらしく、そこから朝日がさし込んでいる。と、やがて表が騒々しくなったんで、その穴へ眼をつけて見ると、村の子供たちがお堂の前で遊んでいるので、ガヤガヤ/\云っていてとても眠れない。「どうもあの子供たちがうるさいな」と云うと、「よし、よし、己が彼奴等あいつらを追っ拂って来てやる」と云って、一人の小男が外へ出て行った様子でしたが、どんなことをしたのか知れませんけれども、兎に角その男が行ったら子供たちはいなくなってしまった。それでようよう落着いて寝ようとすると、生憎とまた小便が出たくなったんで、「一寸小便をして来る」と云ったら、「いや、出てはいけない、出てはいけない」と云って、一生懸命に止める。「出ると掴つかまるから出てはいけない。小便がしたければ此の中でしろ。さあ、己達も此処でするぞ」と云って、三人とも寝ながら小便をしてみせるんですが、丑次郎にはどうしてもそこでする気になれない。もう出たくってたまらなくなって来たんで、とうとう又その屋根の穴からお堂の外へ降りたところが、遠くに私が立っていて自分の方を見ているので、「あ、鈴木さんに見られたな」と、その時はっきりとそう感じた。そして私が近寄って行く間に、三人の小男どもは慌あわてて逃げ出してしまったのだそうです。
さあ、そうでしたね、掴まえたのは朝の九時頃でしたかね。何しろ丑次郎がいないと云うので、村では捜索隊を作って山狩りを始めていたんです。それが明神様のお告げでは丑寅うしとらの方の山手にいると云う訳なので、一間置きぐらいに人が立って、八方から山を囲んで登って行こうとしていました。私もその捜索隊に加わっていたのですが、みんな鎌だの鉈なただのを持っているのに、私は素手すでだったもんですからすこし気味が悪くなって、もう山へ登りかかっていたんですけれども、ちょっと家へ行って来ると云って、それを取りに戻って来た時に丑次郎がお堂の縁に立っているのを見たんです。なんでも斯う、縄の帯をしめて、両手をうしろへ廻して、前の晩に雨が降ったんで裾の方がびっしょり濡れた着物を着て立っていましたがね。「丑じゃないか」と云って、此方こっちも恐恐こわごわ声をかけながら近寄って行くと、急いでお堂の中へ逃げ込もうとするので、掴まえようとしたところが、えらい力で抵抗してなかなか云うことを聴きませんでしたよ。そのうちに大勢駈け付けて来て、やっとのことで押さえつけて家へ引っ張って行ったんですが、家の閾しきいを跨ぐまでは可なり元気に歩きましたね。それからそっと寝かしつけておいて、行者を呼んで御祈祷して貰ったら、一週間ぐらいですっかり正気に復かえりました。尤もっともその前から少しずつ意識が戻って来て、己はこんな目に遇ったとか、何処そこへ連れて行かれたとか、欺されていた間のことをぽつぽつしゃべり出しましたがね。ええ、そうなんです、今申し上げた話と云うのは、その時私がその本人から聞いたんですよ。後で念のためにお堂のところへ行ってみましたが、成る程屋根に大穴が開いているし、中には小便が垂れ流してあって、臭いと云ったらありませんでした。当人も、「そうそう、己はあの棕櫚山を上る時に怪我をした筈だが」と云って、脚を出して見ると、たしかに皮が擦り剥けている。フンドシの解けたのなんぞも、よっぽどたってからイカキ山へ芝刈りに行った女が、木の枝に引っかかっているのを見つけて、ひどく恐がって逃げて来たことがありました。その外何処でこういうことがあったと云う所を調べてみると、大体その地点に證拠が残っていたんですから、それを考えても出鱈目じゃあないんですな。縄の帯をしていたのも、歩いているうちに帯が解けたんで、無意識ながら縄を拾って締めたんでしょうな。そののちその男は一年ぐらい多少ぼんやりしていましたが、今でも酔っ拂った時なんかに、「狐つきの話をしろ」と云うと、笑いながら話し出すんです。
ヘルシアの350mlペットボトルを、いえで水道水のむときの水筒がわりに使ってみた
量少ない方が何度もいれかえることになるから動く機会もふえるし水も腐ったりしにくくなるかなと思って
結果、いまいちだった
たしかにうごく 機会はふえるけど、大した運動量じゃないし面倒くささのほうがでかい
なによりも先細りのペットボトルのせいで、水があふれてこぼれやすいのがすんげーストレス
ペットボトルに水入れようとしたらじゃーっていれるじゃん?
んでちょっとずつ水位あがってくの見て水だすのとめると思うんだけど
先細りタイプのペットボトルだと、途中までは遅いのに先細りになってからの水位の上がり方が早すぎて吹き出やすいんだよね
もうこれで何度ふきこぼして水が散っちゃったかわかんない
じゃあそうならないように水出す量をおさえれば、となるけど、
それはそれでたった300ml程度のペットボトルに水入れるのにすげー無駄な時間かかるんだよね
つーわけで、昨日コンビニの無料クーポンでもらったお茶のペットボトルを使うことにした
いやヘルシアの前もそういうの使ってたんだけどね
ヘルシアのペットボトルは、満タンにして何度も再利用する用途には向かない
俺のケツをなめる
・著作権法は第一条でこういっとるやんけ「思想や感情を表現したものが著作物」 AI創作がそれをクリアしているかがまず一つ目
・著作権法はこうもいっとる「思想感情が含まれてる著作物をつくるにあたってだれかの著作物を丸ッとパクるのはあかん」 (複製権、二次的著作物の許可強制)
入念なプロンプト選定によって「思想感情表現性」を得るにいたった創作物が、結果的に、有名なだれかの著作とまったくおなじことをしてたら?
そらAIつかって選定したものを「これ俺がつくった」つって出したやつに責任が生じるのはあたりまえなんよ
ピカソの絵っぽいもの、ならピカソ死後70年たってるからええよ
アンパンマンっぽい、あるいはコナン・鬼滅・呪術・ポケモンっぽいもの、これは創作者生きてるし大山鳴動するやろなあ
・実在人物のアイコラ これは著作権ちゃうけど実在アイコラとおなじ肖像権侵害あるいは名誉棄損やろなあ
・ドエロマンコ絵暴力絵のだしっぱなし これはピクシブにしろXにしろ規約違反で即垢BAN 繰り返せば単なる中華表現やくざ、まあ自分だけでもってる分には素材集めご苦労さん
これらは判例によりほぼ確なんよ
それが結果を見る目がない・予測できない中学生が初めてPC買ってもらって浮かれて「AI通せばなにを公表しようが無罪」とおもいこむのをとめてやるのが大人の役目
===
追記:「っぽい」に引っかかるやつが増加してるようなので追記するけど、
「弱小絵師Aっぽい」なら公式などないので「弱小絵師A本人の作っぽい」とよみかえることになる。
https://twitter.com/gamerokuda/status/1670940661481357313
ここでいわれている「本質的特徴」ってやつだ
まあこないだの階段の絵みてわかるように、AI絵師wは目の数と指の数だけはようやく気を付けられるようになったレベルだからどんなに上手っぽくても違和感は残るけど
作り話なんで、あまり本気にせずに聞いてくれ。
元々自分もそのスレの住人だったが、長寿スレになって内輪ネタが多くなってきたり、匿名掲示板なのに住人が個性を出し始めたりと閉じコン特有の現象が起きてて不快感があった。
とはいえなんだかんだスレにいたのだが、ある時俺の書き込みを住人の半コテが自分の功績のように言い出した事でついに限界を迎えた。増田も自分のエントリを「これ、俺が書いたんすよw」ってXで言われたらキレるだろう。
そのことを指摘するもそいつは色々とスレに貢献してる(ほとんど他人の褌だったんじゃないかな)ので住人総出でそいつの擁護に回り、最終的になぜか俺が叩かれる流れになった。悪いのはそいつだけかと思ってたが、結局スレの住人も全員バカなのが分かってしまってスレが嫌いになったし壊してやろうとすら思うようになった。反転アンチの誕生である。
まずは外部からのヘイトを集めるため住人のフリをして他のスレに内輪ネタを書き込む、という所から始めた。ゲーム関係はもちろん、可愛い二次元の女の子が出てくる系のスレ、単純に勢いのあるスレなんかも対象にした。長寿スレだけあって一度は見た事がある人が多いのでそこのネタであることは皆知っていて、自浄作用もない腐った連中という悪評を得ることに成功した。
当然、スレ外で内輪ネタを使ってはいけないという暗黙知はあったので他所に持ち出したことはスレ内で論争になる。そこで適当な半コテになりすまして対立するように煽りスレの雰囲気をギスギスにした。幸い語尾や顔文字といった手段でコテハンをやっていたため他人のフリをするのは容易だった。良くも悪くも奴の書き込みはいつも見ていたしな。
こうして内職に励んでいたところついにスレ内に荒らしが出現するようになった。知っての通り荒らしはスルー、が一番の対抗策なのでスレ住民としてひたすら反応した。構ってもらえて嬉しいのか、はたまた正義棒を手にしたと思っているのか荒らしはヒートアップ、いつの間にか数も増え徐々にスレは荒廃していった。
荒らしの恐ろしいところは一度目的を与えた後の執拗さである。スレが立つたびに待ってましたとばかりにコピペや罵声で溢れかえるようになり、元の住人は先のギスギスもあって愛想を尽かし離れていき、スレが立つ頻度がだんだんと減り、最終的には誰もいなくなった。
こうして数年続いた長寿スレとそれに乗っかるクソ共は一掃され、ゲーム総合スレでも例のあの人の如く口にするのを恐れる存在となった。事実忘れた頃にそのスレがポツンとたったが、秒で荒らしのターゲットにされて滅びてた。荒らしの執着性怖い。
俺は今でも件のゲームは続けていて、別のコミュニティで楽しくやっているが、あの頃開催していたイベントが復刻してたのでふと懐かしくなって書き込んでみた。
きてるのがAV女優だからってのもあるけどAVネタばっかでつまんなかったし、
男二人の下ネタについての造詣が浅すぎて聞いてて白けた
AV女優の候補4つの中で、大事にされたい 相手にとって唯一無二になりたいっていってるのがあってそれは真に迫るかんじだったけど、
そのあと、乱交っていう性癖について語るときに、何も考えられずものにされるのがいいみたいな明らかに矛盾してることいってて、
前者のほうが絶対まじなかんじあったしほかのネタ話すときもその漢字でてたから乱交が答えだって一発でわかるだろこんなの
そもそもバキ童さんっていうわりにエロネタに関するアンテナがなさすぎて、周り頼りすぎじゃねえ?と思ってしまう
いくつか動画みたけど本人にあるのはネームバリューだけで名前に見合うエロ知識とか下ネタとかそういうスキル持ってないんじゃないかと思うようになってきた
いちいち無駄に誇張するのも白けるし、まわりがきをつかって笑ってやってるのもうるさい
DV夫みたい、ってなんか過去ふりかえる動画みたいなので言ってたけど、感情的に怒鳴ったりしてみせるのが、ふりでも結構やばくて、これプライベートでされたら冗談抜きでDVだわって思った
藤澤翔馬はあくまでも従犯にすぎず、暇空の莫大な資金に目がくらみ言いなりになって動画制作をしていただけ。
動画の内容自体は暇空が企画立案したもので、そこに藤澤翔馬の意志は介在していない。
藤澤翔馬だけでも許してあげてほしい。
暇空と出会ってしまったせいであんなことになってしまったが、かつての藤澤は好青年だった。
昔、はるかぜ.というグラドルがはるかぜちゃんという愛称を持つ女優の春名風花に「名前をパクられた」「泳ぐ以外で水着を着るとか考えられない」「おっぱいが大きいだけの人」と誹謗中傷されたことがあった。
当時20万人フォロワーのいるインフルエンサーでファンネルをしょっちゅう飛ばす春名に立ち向かえる者はほとんどいなかった。
そんな中で、当時の藤澤はフォロワー100人いるかどうか程度の弱小アカウントだったが、果敢に春名に立ち向かい、はるかぜ.を守っていた。
本来の藤澤とは、暇空のような女嫌い・女憎悪の人間ではなく、大勢に中傷され傷ついているグラドルのためにたった一人で戦うような心優しい青年だった。
春名がブチギレまくり次々とファンネルを送り付けても藤澤は一人ずつ論破し、最終的に春名は発狂して藤澤をブロックして戦いのツイートを削除した。
暇空さえいなければ藤澤はあんなふうにはならなかった。
藤澤に限らず、億の資産を持つ暇空に口説かれれば、大抵の懐の寂しい会社員は落とされてしまう。
藤澤の意志が特別弱かったとか、心根が悪かったというわけではない。
圧倒的な資産差という点で二人の間には権力勾配がある。抗えなかった藤澤は本当に一方的な加害者なのか、被害者の側面も強く持っているのではないか。
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
秋も深い10月の第1週に、日本は予選突破をかけて南米の強豪アルゼンチンと対戦する。
予選リーグラウンドは今週が最終週だが、これまでにほとんどのプール突破の2チームが決定しているような状況で、まだ2位が確定していないプールCでも、勝ち点計算としては順位の変動がありうるが、実力差を勘案すればほとんど逆転はないという状況になっている。
そんな中、今日行われる日本 vs アルゼンチンは勝敗の帰趨が予測しづらい一戦で、最終週の試合としてはもっとも注目度と緊張感の高い試合と言える。
アルゼンチンといえば、国際リーグ、スーパーラグビーに代表のクローンチームを送り込む手法で強化を図ったチームの草分け的存在であり、参戦チームのハグアレスは参加当初こそ南半球最強リーグで苦戦していたが、2020シーズンにはファイナルに進出するほどに成長。
自分が見るアルゼンチンはボールを持った時の選択肢がサモアより豊富だ。
ランもあるしエリアを取るキックもあるしアタッキングキックもある。
日本としては、ボールを持たれたら裏へのキックのリスク承知で早いディフェンスでアタックを潰して切り返すより攻めに転じる機会が無いように思う。
前進から始められるので原則として有利な自ボールのキックオフ時でも一筋縄では行かなそうだ。
キックオフからボールの保持をやりとりして、相手陣まで入っての自ボールセットプレーまで落ち着けられたらしめたものだけど、そこにたどり着くまでに手前に蹴っても奥に蹴ってもアルゼンチンはコンテストキックやカウンターのランを仕掛けてきそうだ。
「この攻め方がハマれば相手を封じられる」というような戦略が立てづらく、常にリスクをとってチャンスを掴みに行かないといけない。
日本代表は今大会、キックを主体とした戦術で試合を組み立てている。
日本が蹴るキックはオールドファンに批判が多いが、現代ラグビーではディフェンスが整備されていて、突破のきっかけを見出せないままボールをもってフェイズを重ねすぎても、相手からのプレッシャーを受けてボールを失うリスクが高くなる。
とはいえ、アルゼンチンとしては日本のキックからのカウンターを狙っていることだろう。
日本代表はPL稲垣が侍の生死をかける抜刀にこの一戦を例えたが、まさに緊張感を表したような発言だと思う。
ところで全くの余談だが、アルゼンチンのHCを務めるマイケル・チェイカ氏がファッションビジネスで大成功を収めたビジネスマンであることは国際ラグビーファンの間では有名な話で、このことについて、チェイカ氏は「お金のことを考えずに意欲だけで仕事ができるのが自分の強みだ」とコメントしている。
なんとなく余裕を感じないでもない発言だが、南米の強豪の代表監督ともなれば、成果が振るわなかった時の批判は想像を絶するものであろうことを思うと、お金の心配どころではないもっとヤバめの心配が別にあるのかもしれない。
とはいえ生活資金で追い詰められる心配をすることなく、名誉と使命感と情熱だけで勝敗が全てを決する世界に臨めるのは、職業人として羨ましい限りである。
選手たちもまた、激しい衝突を恐れることなく、その腕の中に使命をしっかりと握りしめて戦う。
国歌斉唱では姫野は涙を流し、アルゼンチンの選手は周囲の気温が上がるような闘志を発している。
情熱的な空気の中、アルゼンチンのキックオフで試合は始まった。
アルゼンチンは自ボールのキックオフから松田の返しのキックを蹴らせて、日本陣内のラインアウト獲得でリスタート。
この冒頭にとった非常に有利な展開で、日本は一度攻めをストップさせたものの、モールを組まれて崩された後に、抜けだしたサンティアゴ・チョコバレスに2分で先制トライを許してしまった。
日本のキックオフでのリスタート、蹴らせたキックでラインアウトを獲得したのはアルゼンチンと同じ展開だったが、ここでのラインアウトを日本FWは確保できず、アルゼンチンのボールとなってしまった。
攻撃のチャンスはそう簡単にこないので最大限に活かしたいが、ラインアウトは日本代表がW杯に入っても修正が間に合わなかったポイントで、貴重な機会が安定していないのが痛い。
この展開で日本は22m付近まで侵入を許した位置でスクラムになったが、こちらは素晴らしいスクラムとなり、組み勝った日本がPKで陣地を挽回した。
スクラムは結果によってラインアウトにつながる可能性がある重要なセットプレーなので、優位性が見えるのは大きい。
再び攻め込んでくるアルゼンチンに対し、日本は粘り強くディフェンスをする。
何度かお互いに小さな反則を獲得しながら、日本が齊藤のスペシャルプレー、背面に向いてのハイパントから敵陣深く侵入し、トライ目前まで迫るがノックオンでトライならず。
引き続き、ボールを回して攻める。
14分にアルゼンチンボールのスクラムから日本が切り返し、リーチがラインブレイク、このボールを繋いだロックのファカタバがまさかのチップキックとキャッチからの快走をみせトライ!
アルゼンチンとしてはすぐさまキックオフからやり返したいが、せっかくの有利なシチュエーションでノックオン。
また、エリアをとりにきたキックもミスになり、日本に攻撃を継続させてしまう。
前半20分というのはここでどちらが取るかで、中盤までの試合の流れが大きく動く時間帯だ。
22分、日本はディフェンスでピーター”ラピース”ラブスカフニの頭が当たってしまい、イエローカードとなる。
日本に攻められ続けて乗り切れなかったので、まずスコアを狙うのは良い判断のように思えたが、これをボフェリが外してしまう。
アルゼンチンは歯車がずれたような感じで、リズムを掴み切れなくなってきた。
相手が調子を出せない間に畳み掛けたい日本だが、攻撃の中で蹴ったキックがクレメルのチャージにあい、ボールを取り返したアルゼンチンに一気にゴールラインを越えられた。
アルゼンチンはボフェリのキックが当たっていないので、コンバージョンで突き放し切れない。
日本が1人少ないのは絶好の得点チャンスなのに、5点しか取れないというのはアルゼンチンとしては納得できない結果だが、ラピースが帰ってくる直前にやっとボフェリのPGがきまり、苦労しながら1トライ差以上に突き放す8点差とした
それでも均衡は簡単に崩れない。
日本はライリー、フィフィタと繋いだボールを齊藤が受け、これこそが彼のアビリティといえるフォローランで前半も残り少ない37分にトライ!
日本 14-15 アルゼンチン とし、決定的な優位を見せられないアルゼンチンに日本が食らいつく形で前半が終了した
前半のスタッツ は
日本はこの一戦でもキックを使っているもの今までの3戦と比較するとやや少なく、ランで前進できている。
逆に数字が似通っているアルゼンチンはボールを持っての攻めがディフェンスに捕まったり、ミスで停滞している印象を受け、結果日本の攻撃時間が長くなっている。
ハイボ、ラインアウトで機会が取れない日本と、単調な攻撃やミスで決定機を掴めないアルゼンチン。
どちらがより上手に修正して後半を自分達の形にできるのだろうか。
ほとんど点差がない中でなんとか後半最初の得点で相手にプレッシャーをかけたい。
長い攻防でお互いスコアできない時間帯が続くが、アルゼンチンは試合冒頭で優位性を見せたものの、使っていなかったモールで日本を押し込み、45分にトライ。
自分達の強みに立ち戻ろうとするようなプレーで、単なる7点以上に大きな影響を感じさせるものだった。
離されたくない日本は49分にアルゼンチンのキックミスで深く侵入しての松田のショットで追い縋り、日本 17-22 アルゼンチン。
国際映像2度目の登場となるラグビー芸人しんやのガッツポーズがフランスからシーソーゲームの熱気を伝える。
後半に入ってからも、アルゼンチンはボールを持ってのランでなかなか前進できない。
日本のディフェンスがいいのか、アルゼンチンがまだ自分達の強みを発見しきれてないのか、どうも両方のように見える。
アルゼンチンが未だ調子を掴み切れない中、56分にはレメキが意表をつくドロップゴールを決め、日本 20-22 アルゼンチン。勝敗の帰趨がまだ全く見えてこない。
しかし、ここでアルゼンチンのキックオフは、キャッチ時に正面の日光が目に入った姫野がノックオン。
22mセンター、絶好の位置で獲得したスクラムから、59分にアルゼンチンがチャンスを生かしてトライ。
60分は非常に重要な時間帯だ、ここでどちらが加点できるかで試合が終わるか、終盤までもつれるか決まる。
少しでも点差を詰めたい状況で日本がペナルティキックを獲得する。
3点でもあとワントライで逆転までの点差内にとらえるが、トライを狙いに行く日本。
このリスクをとった選択があたり、65分にタップキックからの攻撃で交代出場のナイカブラがゴール右隅に飛び込んでトライ!
松田が脅威の正確性で難しい角度のコンバージョンキックも決めて、日本 27-29アルゼンチン。
残り時間は15分、こんな時間になってまでまだ勝敗が朧げにも見えてこないのは全く驚きだ。
ここでアルゼンチンがキックオフから今まで結果としてつながっていなかったランでの崩しがついに成功し、トライ。
70分をすぎても終盤まで続くペース争い、80分がすぎてもボールがつながっている間はプレーが続くラグビーにあって、9点差は未だ逆転の可能性がある点数だ。
しかし残り時間が刻々とすぎていく中で、点差の意味が徐々に変わっていく。
しかし勝利を確実にしたいアルゼンチンが75分についにPGを獲得、1トライ1ゴール1PGでも追いつけない12点差をつけることに成功した。
78分、2分で2トライというほとんど不可能にも見える可能性をまだ捨てず、相手陣深く侵入する日本。
ここでトライできるかどうかは勝利への最後のチャンスと言っていいが、無情にもアルゼンチンがこのボールを取り返す。
張り詰めた80分の末、勝利は青と白のジャージの選手たちが掴んだ。
試合後、SNSのタイムラインには「やはりアルゼンチンは強かった、差があった」という感想が踊った。
確かにアルゼンチンの圧力は強く、点差も1トライ以上離されたが、では内容までアルゼンチンが圧倒していたかというと、実態は全然違う。
日本代表の戦いぶりは素晴らしく、アルゼンチンは終盤までペースを掴めていなかった。
最後の瞬間まで日本が勝利の可能性を追い、アルゼンチンが突き放すために死力を尽くすという、見る側にまで強度を要求するようなゲームだった。
試合の細かい点をふりかえると、アルゼンチンは試合冒頭ではモールの優位性を見せた割に、前半をランの単調な攻めに固執してペースを掴み損ねていたものの、後半になってから思い出したようにモール、パントを織り交ぜた攻めを見せてきて、そこから日本は失点した。
不調時にあって見事な修正力が効いた形になったように思う。
日本としてはラインアウトが悪かったのは、試合を支配できなかった大きな要因だと思う。
数字上では8/9で1本しか失っていないが、プレッシャーにさらされクリーンに攻めにつなげられた機会は少なかった。
この点はW杯前に完成度の粗が指摘されていた面でもあり、予選の最終盤でそれが結果として跳ね返ってきてしまった。
同じく心配されていたスクラムが完璧に近い形で修正に成功していただけに悔まれるポイントだった。
8年前、日本代表は世界最強のチームの一つである南アフリカを破って、日本中、ラグビーファン以外にまで広がるインパクトを届けた。
4年前には自国開催のW杯で欧州の強豪を次々と破って史上初となる予選リーグ突破を成し遂げた。
一時のピークなのではないか、自国開催が実力以上のパフォーマンスを出させたのではないか。
今大会は強化への道のりも平坦ではなく、遠いフランスへの遠征で地の利もない。
3敗、4敗があったとしても不思議ではないとさえ感じていた。
しかし、初出場の勇敢なチリを降し、前評判の高かったサモアをプランが見えるような試合で封じ込めた。
負けた対イングランド、アルゼンチン戦でも、流れに入っていけず一蹴されたような試合ではなく、むしろ少し違っていれば勝てるかもしれないというような見事な内容だった。
礎を作ったエディー・ジョーンズと今回で勇退するジェイミー・ジョセフは、日本を真に強いチームに押し上げた。
そして、日本代表の選手たちは強豪国の選手というのにふさわしい戦いぶりを見せてくれた。
すばらしい1ヶ月、そして10年以上にも及ぶ戦いだった。
これで日本代表の2023年W杯は終わり、大会を去ることになる。
日本中を巻き込むようなインパクトの再来がならずとなったのは残念だ。
でも、今大会で日本が見せてくれたたしかな軌跡は、4年後にも確実につながっていくことになるだろうと思う。
4年前、南アフリカに敗れて流は泣き、今日、アルゼンチンに敗れて松田が泣いた。
また4年後涙が流れるかもしれない、でもその涙が、次の日本代表の戦士の喜びの涙となると、僕は信じている。
「さらに、MMT支持者の主張にもかかわらず、巨額の紙幣を印刷するとインフレが起こる。」
はっきり理由がいえないのにどうしてこういいきれるんだろう?
なぜかどうしても理解できないというのなら、こうかんがえてみたらわかりやすいだろう。
国内に出回っているはずの印刷した紙幣や国債の一部は、国の借金にはならない。いつのまにか消えてしまう。
たとえばそれは津波災害で家ごと流された箪笥貯金(金庫でもどこでもいい)でもあろう。
あるいはお金持ちが「どうだ、あかるくなつたろう」などといいながら紙幣に火をつけてもやしている。
あるいは脱税のため地面にうめられたまま忘れ去られてしまう。(たまにゴミ捨て場から拾得物として発見される)
金を持っているのに人に頼れなくなった孤独死老人の遺産も国にどんどん帰って来る。(独身増田たちもちゃんと人や国に頼れって口酸っぱくいってるのにな)
amazonの儲けとして海外に輸出され日本国内で出回らなくなった札束と考えてもいい。
便所におとしてクソにまみれた紙幣、海に流された財布、火事で燃えた金庫…。だれももうその金を使わない。
あるいは、配られても使用されないで期限が切れる子育てクーポンやワクチン券なども姿をかえた臨時紙幣だ。
これらはすべて「税収」としてカウントされているわけでもないのに日本政府の債務や支出を実質的に消しつづけている。
だれも「帳消し」にしないだけ。
(余談だが万が一、帳消しになどして「うちの省庁では今年わりあてられた予算を消化できませんでした」となったら翌年から予算がつかなくなるんだからね。
お小遣いはみせかけだけでも全部使っておくことが大事なんだ。そうそう、文科省も総務省も予算どりが下手なんだよね)
ご存じのとおり日銀砲とは紙幣に準ずる国債を仮想的に大量に印刷する行為なのだ。
日本は円高を監視しつづけ、すこしでも円高がすすもうものなら日銀砲を即時うちつづける粘着行為をしてすら、
国内では実際に「デフレ」、あるいは「インフレの過度な抑制」がずっとつづいていた。
この度のインフレは日銀砲をやめてからおこっている。産業空洞化による円安が原因だ。
なので日銀は今度は放出した紙幣を回収する方向で介入した。これが逆日銀砲とよばれるほど長続きするかはわからない。
これからどうしたらいいか。MMTかそうじゃないかなんて定義する必要はない。
安くなった円などいくらでもくばって、生き延びさせて、女性や環境にやさしい国をつくらねばならない。
「国内企業からみれば無駄な」科学技術も発展させなければいけない。
そうして国際競争力をつけなければ、「冷却水放出国のぶどう」「冷却水放出国のほたて」などのように悪口をいわれて安値でもつっかえされてしまう。
日本はこの20年ほどで首相暗殺(未遂もふくめれば2回)や原子炉関係などイメージが悪化している。
(まあ小渕首相の過労死でそんなにおちなかったのが逆に不思議だけど。)
「性を食い物にするアニメ・漫画が流行っているのに実際の犯罪は隠ぺいしすぎていて安全コストが実は非常に高かったのがバレた」
「マイナカードやスマホが全員はつかいこなせず、デジタル納税・デジタル投票・デジタルワクチン証明できない」という社会インフラの古さもかなり痛い。
まあインボイスも地方振興券なみに簡単につかえる申請アプリを先につくっておけばなんとかなったかもしれないのに
ズルズル「やっぱやめようかな~」などととなえる弱腰クソ政府だからね。
輸出企業だのインバウンド目当ての接客業が景気を盛り返しかけているみたいだからそっちの方向でとりあえず稼ぐのもいいかもね。
いつかキューバのように60年前の車を大事に修理してつかう国になってしまう。
キューバは幸せな社会主義国家ではあろうが、先進国とはもはやいえない。
あるいは、ロシアだ。1億人の国民、豊富な地下資源。でも産業は農業石油の一次産業以外は空洞化したままだ。
貿易港が冬にとざされるから一次産業の産品でさえ輸出できない。
ロシアとウクライナの姿は、人口だけでいえば日本と韓国によくにているよ。
将来ああならないように気を付けなければいけないよ。
薬を飲み過ぎると死ぬらしい。ならほどほどに飲みすぎれば良い具合に体調を崩して塾サボれるのでは?【朗報】ワイ、天才
と思って小学生の時にバファリンを2シートくらい飲んだ。確かに具合は悪くなったけれど熱が出たり気絶したりする訳でもなく塾は休めず、ただただバファリンが無駄になった上気持ち悪くなっただけだった。
えずきながら薬を流し込んだ時の喉がつっかえるような感覚が、その後中学か高校くらいまで続いた。当初は取り返しのつかない事をしてしまったのではないか……って不安になった。スマホを手にした頃にネットでググって、おれはヒステリー球を患ってしまったかもしれない……って思った。未知の症状を未知のままにしておくよりは、ヒステリー球だという事にしておいて自分なりに腹落ちした方が楽だった。
両親に話すのも何だし、一人で病院に駆け込むには懐が不安だった。そもそも病院行って直ちにどうなるってもんでも無いらしい。本当にヒステリー球とやらなのかも分からない。
明確な区切りもなく、気付いた時にはその感覚はなくなってた。もしかしたら慣れただけかもしれない。今もネットのセルフチェックに従えばありとあらゆる心因性の疾病や生活習慣病を患っている事になりそう。しかしあれは何だったんだろうな本当に。