はてなキーワード: 1971年とは
老人は生産しないので、就業人口一人当たりで支える老人が増えれば増えるほど、平均的には貧しくなる。
同様に、子供は生産しないので、就業人口一人当たりで支える子供が増えれば増えるほど、平均的には貧しくなる。
……という話を聞いた。
もっともな部分もあると思ったので、過去のデータを見てみようと思い、試しに「総人口に占める生産年齢人口の割合」を時系列で計算してみた。
暦年 | 1920 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2010 | 2020 |
生産年齢率 | 48.6 | 48.5 | 48.3 | 49.4 | 54.3 | 60.3 | 60.3 | 61.6 | 62.1 | 59.1 | 55.0 |
順位 | 81 | 86 | 93 | 71 | 61 | 37 | 36 | 13 | 8 | 42 | 59 |
10年おきの数値を書いたけど、おおむね単調に上がって単調に下がっているので、細かい年の数値は要らんと思う。
以下、補足。
1948年 41人
1949年 76人
1951年 40人
1952年 34人
1953年 26人
1955年 19人
1956年 22人
1957年 25人
1958年 21人
1959年 14人
1960年 36人
1961年 18人
1962年 14人
1963年 16人
1965年 7人
1967年 13人
1969年 13人
1971年 7人
1972年 7人
1973年 5人
1974年 2人
1975年 2人
1976年 2人
1977年 2人
1978年 4人
1979年 4人
1980年 7人
1981年 3人
1982年 1人
1983年 1人
1984年 3人
1985年 2人
1986年 0人
1987年 7人
1989年 5人
1990年 7人
1991年 4人
1992年 5人
1993年 7人
1994年 3人
1995年 3人
1996年 3人
1997年 4人
1998年 7人
1999年 4人
2000年 6人
2001年 3人
2002年 3人
2003年 2人
2004年 14人
2006年 21人
2009年 15人
2013年 8人
2014年 7人
2015年 2人
2016年 7人
2017年 2人
2018年 2人
2019年 5人
2021年 4人
2022年 0人
2024年 1人
所感
変更履歴:皆が体感より遅いと言うので、一般化を普及率50%にしました。都会は-3年、田舎は+3年くらいでちょうどいいかも(2024/01/20 8:41)
1979年 29歳 スペースインベーダーブーム
1986年 36歳 写るんですが登場
2018年 68歳 TikTok(ショート動画)が流行り始める
2019年 69歳 60代のスマートフォン率がガラケーを超える
2010年代 60代 本、新聞、CD、DVDが凋落、電子化・スマホ化する
2024年 74歳 ?
変化が濃すぎる
年はザックリ、わかりやすさ重視
全部調べて書いてます
普及率の伸びというのは体感より遅いんですよ、先進的な人は5〜10年早めるくらいで丁度いいかも
→ 皆が体感より遅いと言うので、一般化を50%にしました(2024/01/20 8:41)
※隆盛:身近になってきた当たり
※最盛期:ピーク
※一般化:大体普及率50%(ピークがそこまで行かない場合はピークの5合目当たり)
※FAXは非常にゆっくり浸透した、時代遅れになってから一番売れているのが面白い
※固定電話の普及は1950年代なのでこ50年生まれが物心つく頃は既にあったと思われる。また電話普及率は良い統計が無い
※炊飯器についても良い普及率のデータはなく、推測する論文がある始末
※新幹線と飛行機を入れたかったが、時代差より個人差が大きそうなので割愛
ススキノの頭部切断事件が、家族ぐるみの猟奇事件の様相を呈してきたので、さらに野次馬的に解釈して味わうための怪文書です。
共犯の父親が初期ジェネシスのコピーバンドをやっていたのはすでに報道されている。
この時期のジェネシスの楽曲やステージは、悪趣味なアングラ演劇の要素や奇妙な伝承物語の要素が盛り込まれている。
代表作は1971年のアルバム「Nursery Cryme」だ。
装飾的な白い服を着た女性が無表情でクロッケーの木槌を掲げるジャケットで、その足元には切断された男の首が転がる。
アルバム名のナーサリークライムは童謡(ナーサリーライム)と叫び(クライ)と犯罪(クライム)をかけた造語。子供部屋犯罪とも訳せる。
1曲目のMusical Boxの歌詞カードには、次のような短いストーリーが添えられている。
8歳の少年ヘンリーがクロッケーを遊んでいるとき、9歳の少女シンシアは優しい笑顔でクロッケーの木槌を優雅に振り上げてヘンリーの首を跳ね飛ばした。
2週間後、シンシアがヘンリーの子供部屋で彼が大切にしていたオルゴールを見つけた。
オルゴールを開けると「オールド・キング・コール」の曲とともに小さなヘンリーの精霊が現れた。
(「オールド・キング・コール」はマザーグースのひとつで、音楽好きで陽気なおじいさんであるコール王の歌)
ヘンリーの精霊は、心は子供のまま、みるみる年を取り老人になっていった。
彼は一生分の欲求を抱えた性欲モンスターであり、シンシアにこの欲を満たしてくれと迫る。
騒ぎに駆け付けた乳母がオルゴールを投げつけてヘンリーの霊を退治した。
ライブで老人の仮面をかぶって、タッチミー、タッチミー、ナウ、ナウとしつこく迫るさまを叫ぶように歌うのが曲のクライマックス。
ススキノの事件がこの物語に沿っているとは言わないが、仮面を自作してコピーバンドをやるくらいの人なら、このストーリーを知らないわけはないし、
犯罪に手をかけるとき脳裏に浮かんだであろうことも想像に難くない。
ついでに言うと、ルナの名前もよくある日本名ではあるが、この手の趣味の人がルナティックが狂気を表すことを知らないはずはないので、ぎりぎり悪趣味にならない範囲でそういう嗜好の名前をつけたのだろうと想像する。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ
県警は拷問を告発した山崎刑事を偽証罪で逮捕し、検察は精神鑑定で「妄想性痴呆症」の結果が出たことにより山崎刑事を不起訴処分にして、警察は山崎刑事を懲戒免職処分にした
なお、山崎刑事の自宅は1961年3月14日昼、不審火で焼失。二俣事件関連の書類も全て燃えた。小6の次女と小3の次男は「長靴の男が入るのを目撃した直後に火が出た」と証言したが、警察は次男を補導して犯人扱いし尋問した。火をつけたことが立証されなかったため次男の身柄は解放されたが、この不審火については未解決となった。山崎兵八は運転免許があるので、警察を辞めてもトラック運転手で生計を立てるつもりだったが、精神障害と診断されたために免許を剥奪された。
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア
犯行動機の構成と成員カテゴリー化実践 : いわゆる「足利事件」における精神鑑定をめぐって 大貫挙学 東洋大学非常勤講師 松木洋人 慶應義塾大学大学院
松木 洋人
大貫 挙学
マクナマラの10万人、マクナマラの愚行、マクナマラの白痴、マクナマラのミスフィッツとも呼ばれるプロジェクト10万人[1][2]は、1960年代にアメリカ合衆国国防省(DoD)が、それまで軍の精神基準や医療基準に満たない兵士を採用するプログラムとして物議を醸した。プロジェクト100,000は、アメリカ政府のベトナム戦争への関与に伴うエスカレートする人員要求に応えるため、1966年10月にロバート・マクナマラ国防長官によって開始されたプログラムである。マクナマラの愚行:ベトナム戦争における低IQ部隊の使用』の著者であるハミルトン・グレゴリーによると、このプロジェクトの参加者は、ベトナムに従軍した他のアメリカ人の3倍の割合で死亡し[1]、従軍後は、非退役軍人に比べて収入が低く、離婚率も高くなった。このプロジェクトは1971年12月に終了し[3]、特にイラク戦争の人手不足の際には論争の的になっている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Project_100,000
↓
他の兵士の3倍の割合で死亡し、帰還した兵士は、同レベルの知能かつ兵役経験のない層と比較して低収入かつ離婚率も高かった(戦争経験が心理的な悪影響を及ぼしている可能性あり)
https://s.resemom.jp/article/2022/05/02/66870.html
また、男性では、1943~1947年の間に生まれた人を除き、大卒以上の学歴の人ほど子供をもっている傾向にあった。一方、女性では1956~1970年の間に生まれた大卒の人は、それ以外の人と比べて子供をもっている人の割合が少なく、合計出生率も低かった。しかし、1971年以降に生まれた場合は、大卒とそれ以外の人とでの差異は見られなかった。
調査より、日本では深刻な少子化が言われているが、その原因は子供をもたない人の割合の増加と、子供を複数もつ人の割合が減っていることの双方があることが明らかになった。また、男性は高収入・高学歴であるほど、子供をもっている人の割合や子供が複数いる人の割合が大きいこともわかった。一方で、女性の学歴と子供の関係に関しては、これまでは高学歴の女性ほど子供をもたない割合が高いとされていたが、近年ではそのギャップは縮小傾向にあることがわかった。この傾向がさらに若い世代でも続くのか、また諸外国でも見られている逆転現象(高学歴女性の方が子供をもつ割合が高くなる)となるのかについては、さらなる研究が必要である。
昔は児童手当って今みたいに充実してなかったんよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%89%8B%E5%BD%93
「諸外国における児童手当制度の成立・発展の中、日本の社会保障制度を構築するにあたって年金や健康保険と同様に児童手当制度を創設すべきであるという主張は昭和30年代からなされていた。政府は1961年6月に中央児童福祉審議会の特別部会として児童手当部会を発足させ、部会は他国の制度や日本の家庭の実態から児童手当制度の創設を検討し、1964年には中間報告を発表した。この中では「社会保険の制度として」「第1子から」「義務教育終了時までまたは18歳まで」「児童の最低生活費を維持するもの」としての児童手当制度が提言されていた。その後、厚生大臣の懇談会「児童手当懇談会」の報告(1968年)、厚生大臣の審議会「児童手当審議会」の中間答申(1970年)を経て、1971年に児童手当法が成立し、翌年1月1日(沖縄県は日本復帰した同年5月15日)から制度が開始されることになった。成立当初は3人以上の児童がいる場合に、3人目以降が5歳未満の場合に1人月額3,000円を支給する制度であった。」
マクドナルドのハンバーガーが170円に値上げされてから2週間。
ハンバーガーの価格推移のネット記事を読んでいてふと思ったのだけど、よく考えたら今(2022年)の物価で昔の価格を判断したらダメだよね。
例えば、マクドナルドがオープンした1971年の大卒初任給は46,400円だ。当時の80円という価格の重みは、2022年の我々が80円に抱く感覚とは異なるものだったはずだ。
そこで、昔のハンバーガーの価格について、2022年だとどのくらいの価格になるか、計算してみた。
計算に使用した消費者物価指数は独立行政法人 労働政策研究・研修機構が公開しているExcel形式の統計表から引っ張ってきた。ファイルのプロパティから見た最終更新日時は2023-01-20 13:48だ。
ハンバーガーの価格はこのサイトの記事のデータを元に、他の2~3のネット記事の情報を元に構成した。どのネット記事を見ても価格推移の情報がバラバラで、何を信じればよいのか分からない……。
元の統計表は2020年が100となる形式だったので、2022年が100となるように補正した上で、「ハンバーガーの価格 ÷ 消費者物価指数」で換算してみた。この計算方法で合っているだろうか?
西暦 | 消費者物価指数 (2020年==100) | 消費者物価指数 (2020年==1.0) | 消費者物価指数 (2022年==1.0) | ハンバーガー価格 | 2022年の物価で換算 |
---|---|---|---|---|---|
1971 | 32.9 | 0.329 | 0.321603128 | 80 | 248.7537994 |
1972 | 34.5 | 0.345 | 0.337243402 | 80 | 237.2173913 |
1973 | 38.6 | 0.386 | 0.377321603 | 100 | 265.0259067 |
1974 | 47.5 | 0.475 | 0.464320626 | 150 | 323.0526316 |
1975 | 53.1 | 0.531 | 0.519061584 | 150 | 288.9830508 |
1976 | 58.1 | 0.581 | 0.567937439 | 150 | 264.1135972 |
1977 | 62.8 | 0.628 | 0.613880743 | 150 | 244.3471338 |
1978 | 65.5 | 0.655 | 0.640273705 | 150 | 234.2748092 |
1979 | 67.9 | 0.679 | 0.663734115 | 170 | 256.1266568 |
1980 | 73.2 | 0.732 | 0.715542522 | 180 | 251.557377 |
1981 | 76.7 | 0.767 | 0.749755621 | 180 | 240.0782269 |
1982 | 78.9 | 0.789 | 0.771260997 | 180 | 233.3840304 |
1983 | 80.3 | 0.803 | 0.784946237 | 200 | 254.7945205 |
1984 | 82.2 | 0.822 | 0.803519062 | 200 | 248.9051095 |
1985 | 83.8 | 0.838 | 0.819159335 | 210 | 256.3603819 |
1986 | 84.3 | 0.843 | 0.824046921 | 210 | 254.8398577 |
1987 | 84.4 | 0.844 | 0.825024438 | 210 | 254.5379147 |
1988 | 85 | 0.85 | 0.830889541 | 210 | 252.7411765 |
1989 | 86.9 | 0.869 | 0.849462366 | 210 | 247.2151899 |
1990 | 89.6 | 0.896 | 0.875855327 | 210 | 239.765625 |
1991 | 92.6 | 0.926 | 0.905180841 | 210 | 231.9978402 |
1992 | 94.1 | 0.941 | 0.919843597 | 210 | 228.2996812 |
1993 | 95.4 | 0.954 | 0.93255132 | 210 | 225.1886792 |
1994 | 96 | 0.96 | 0.938416422 | 210 | 223.78125 |
1995 | 95.9 | 0.959 | 0.937438905 | 136 | 145.076121 |
1996 | 96 | 0.96 | 0.938416422 | 136 | 144.925 |
1997 | 97.7 | 0.977 | 0.955034213 | 136 | 142.4032753 |
1998 | 98.3 | 0.983 | 0.960899316 | 136 | 141.5340793 |
1999 | 98 | 0.98 | 0.957966764 | 136 | 141.9673469 |
2000 | 97.3 | 0.973 | 0.951124145 | 68 | 71.49434738 |
2001 | 96.7 | 0.967 | 0.945259042 | 68 | 71.93795243 |
2002 | 95.8 | 0.958 | 0.936461388 | 62 | 66.20668058 |
2003 | 95.5 | 0.955 | 0.933528837 | 84 | 89.98115183 |
2004 | 95.5 | 0.955 | 0.933528837 | 84 | 89.98115183 |
2005 | 95.2 | 0.952 | 0.930596285 | 100 | 107.4579832 |
2006 | 95.5 | 0.955 | 0.933528837 | 100 | 107.1204188 |
2007 | 95.5 | 0.955 | 0.933528837 | 100 | 107.1204188 |
2008 | 96.8 | 0.968 | 0.946236559 | 100 | 105.6818182 |
2009 | 95.5 | 0.955 | 0.933528837 | 100 | 107.1204188 |
2010 | 94.8 | 0.948 | 0.926686217 | 100 | 107.9113924 |
2011 | 94.5 | 0.945 | 0.923753666 | 100 | 108.2539683 |
2012 | 94.5 | 0.945 | 0.923753666 | 100 | 108.2539683 |
2013 | 94.9 | 0.949 | 0.927663734 | 120 | 129.3572181 |
2014 | 97.5 | 0.975 | 0.953079179 | 100 | 104.9230769 |
2015 | 98.2 | 0.982 | 0.959921799 | 100 | 104.1751527 |
2016 | 98.1 | 0.981 | 0.958944282 | 100 | 104.2813456 |
2017 | 98.6 | 0.986 | 0.963831867 | 100 | 103.7525355 |
2018 | 99.5 | 0.995 | 0.972629521 | 100 | 102.8140704 |
2019 | 100 | 1 | 0.977517107 | 110 | 112.53 |
2020 | 100 | 1 | 0.977517107 | 110 | 112.53 |
2021 | 99.8 | 0.998 | 0.975562072 | 110 | 112.755511 |
2022 | 102.3 | 1.023 | 1 | 110 | 110 |
2022 | 102.3 | 1.023 | 1 | 130 | 130 |
2022 | 102.3 | 1.023 | 1 | 150 | 150 |
2023 | 102.3 | 1.023 | 1 | 170 | 170 |
バブル崩壊前後の時期まで、ハンバーガーの価格は、2022年でいう250円前後の価格設定だったようだ。マクドナルドと似たような時期に創業したモスバーガーやロッテリアでは、現在ハンバーガーを240円で販売している。マクドナルドのハンバーガーも、元々は似たような価格設定だったように思う。
1995年に136円に値下げしたが、この価格は2022年でいう141~145円ぐらいの価格だ。
興味深いことに、当時の136円は「意外と安いな、払ってもよいかな」という感覚だったのだが、2022年の141~145円は時々「うーん、今回はちょっと止めておこうかな」と思わせる重みがある。いちおう給料の額面は増えているのだが。消費者物価指数には消費税は含まれているけど社会保険料あたりは含まれていないので、社会保険料絡みで可処分所得が減っていることなどが影響しているのかもしれない。
エリート主義はポピュリズムよりもはるかに大きな民主主義制度への脅威である。
カナダから見ると、民主主義を重視する人は、フリーダムコンボイよりもダボス会議の方を心配する必要がある。
ダボス会議は、億万長者、大富豪、ハイテク企業経営者、政治家、有名人、官僚など、世界のグローバルエリート3千人が毎年集まる会議で、スイスアルプスの超高級でアクセスが困難なスキーリゾートで開催される。
1971年にドイツの経済学者クラウス・シュワブによって創設され、当初はビジネス会議として開催されていたが、シュワブの執拗な宣伝により、毎年開催される世界的なおしゃべり大会に成長し、愉快であると同時に憂慮すべきものとなっている。
滑稽なのは、世界のエリートがプライベートジェットや特権階級の繭から現れ、消費量を減らして二酸化炭素排出量を減らすことで地球を救う方法を説いていることだ。
しかし、一般人の暮らしぶりを全く理解しないエリートが、世界の問題の多くを自分たちが作り出したのだからそれを解決する方法も知っていると思い込むと、必然的に奇妙な政府政策につながる、恐ろしいアイディアの世界的インキュベーターなのだ。
例えば、パンデミックは、風力や太陽光発電で近代工業国を動かす「グレート・リセット」の理想的な瞬間だったという、彼らのばかげた考え方がある。
これは、いわゆる「グリーン」エネルギーに執着するあまり、エネルギー安全保障の重要性を忘れてしまったために、世界中の国々が今必死に化石燃料エネルギーを獲得しようと躍起になっている現在の現実とは対照的である。
一般市民の生活について何も理解せず、傲慢にも何がベストかを知っていると考えるエリートたちの年次総会を非難すべきであり、このエリートの関係者に対する疑いの目を向けて良いだろう。
近年のポピュリスト的、あるいは破壊的な政治運動のほぼ全てに共通するのは、こうしたグローバリズムに対する疑念である。 まともな人間は、こうした「グローバリスト」が自分たちの利益にしか関心がないとわかっている。
https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き
カフェレーサーというのは1960年代にイギリスで流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである。
カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル、通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。
このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。
すると、カウルのハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。
そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。
珍奇とは他と違うという事だから、所属を表す象徴の作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族的である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である。
これはバックミラーを鬼のように付けたモッズのベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前の祭りの山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用的であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。
一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用の問題が絡んでいる。
カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。
だから更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である。
あんな高い所にカウルとヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである。
車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。
これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明のエントリがあったはずだが忘れてしまった。
もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。
次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代~60年代のバイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。
これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。
次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイスと進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。
現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素な製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである。
1968年に富士重工がラビットスクーターをディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年にディスコンになるとスクーターはベスパ以外製造されない時期が続いた。
ホンダはここにバイクと無縁な主婦の市場があると見抜き、1976年にラッタッタでお馴染みのソフトバイク、ロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化と低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンでリリースする。
この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れます、バイクとは違うものですってイメージにならない。
そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。
http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html
歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデルは小川ローザだ。
それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所はスーパーや自転車屋であってバイク屋ではない。内装はナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。
ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。
1986年に原付もヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。
こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族やヤンキーしかいない。なのでまた所属の象徴化である。それで90年代にはヤンキーや暴走族を象徴するアイテムになった。
だからロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ。
更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称は60年代を借用して実体のオリジナルは70年代にある、という錯綜した現象なんである。
ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットをgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。
70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイスは暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。
このタイプのデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。
暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字の名前と分かれている。
これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナの名前を使う。
一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフや漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値の問題である。
街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分でエンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。
こういう風に族車デザインは当初はスピードの象徴であったものが文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体が価値を持つという現象である。
特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。
カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーとロケットカウルを組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である。
こんな珍奇な族車だが、実は日本のキッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。
試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?
日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツ、フェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこちが大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本のキッチュ大好き国民なんじゃないかな?
更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku
出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本の暴走族ファッションを中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディースの特攻服風着物が特に人気のようだ。
そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
1月は「1ドル=115円」だったものが、ロシアによるウクライナ侵攻が起きた翌月の3月初めから円安が急激に進み始め、
4月に入ると黒田ラインと呼ばれる「 1ドル=125.86円 」を一気に突破したのだ。
もちろんこれでは終わらず、先月には「1ドル=139円」を超え、23年ぶりの歴史的円安になった。
今は「1ドル=130円」と落ち着きを取り戻したものの、まだ超円安時代は続く見通しのようだ…。
今回の特徴はもちろん「ドル高」ではあるものの、一番見逃しているのは、「日本円安」の方である。
理由はドル以外でも、例えばユーロやポンド、または豪ドル、やNZドル、シンガポールドル、中国元、さらに韓国ウォンとグラフで比べても、日本円はかなり目立って安くなっている。
「ドルと日本円、どっちが目立つの?」と質問されたら、「やはり日本円の方が目立つ」と答えるほどである。
世界中でインフレの嵐が起きている中、多くの国々の中央銀行の殆どは、インフレを止めるために「政策金利の引き上げ」に走っているにも関わらず、
日本の中央銀行だけが、それに逆らって大規模金融緩和や指値オペを繰り返していたからである。
そして本題に入るが、今年7月に記録した「1ドル=139円」は本当に歴史的円安なのだろうか。
多くの人達は「過去に1ドル=360円の時代があったから、今回のはまだ全然円高過ぎる」と思うであろう。
しかしなぜ多くのマスコミは「歴史的円安だ」と騒ぐのかは、実は根拠がある。それは「円の購買力」、または「実質実効為替レート」にある。
円の購買力とは、「世界から見た、実際の日本円の価値」という意味であり、
例えばアメリカの消費者物価指数、日本の消費者物価指数を使用して計算し直し、今回の「1ドル=130円」は○○年前の「1ドル=●●●円」と同じ価値であることが確認できるのだ。
つまり実際、2002年の「1ドル=130円」と今の「1ドル=130円」は同じ価値ではないからだ…。
実質実効為替レートは、世界各国の通貨や物価のデータを一つにまとめ、その日本円を使って数値化、グラフ化した為替レートのことであり、
現在(2022年6月時点)の日本円の価値は、1971年9月の数値( 当時:「1ドル=335円」 「1ユーロ=330円」 )とほぼ同じ価値であることが分かり、
ちなみに実質実効為替レートの数値が最も高かった時期は「1995年4月19日( 当時:「1ドル=79.8円」 )」であり、
当時は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きた直後であり、かなり混乱した時期でもあったものの、逆に海外旅行や留学などが最も楽であり、
それにより多くのJPOPミュージシャン達や芸能人達が海外ロケを沢山行っていたのも納得できる。
しかしなぜ、日本円はそこまで価値が下がったのだろうか。その理由は1997年から今まで、日本経済は長期的な「デフレ」に陥ったのが原因である。
日本の物価が25年間ずっと「1」のままなのに対し、世界各国の物価が25年間で「平均2・3倍以上」になれば、当然日本は円安に傾きます。
そんなことを知らず、ずっと通常の為替レートを眺めるだけ気が付かないままだと、いずれ危険になるであろう。
さて…全体的に説明をしたところで、殆どの読者達が理解できれば幸いである。
オタクの人は、自分を偽っているようで心外かもしれませんが、婚活を成功させたいなら書いてはいけません。
さまざまな婚活コンテンツに上がっているプロフィールを見ると、最近は自分のオタク属性をアピールする人が多くなりました。結婚相談所の仲人にも、「オタクを出して」と指導するところがあります。その結果、マッチング率が高まるかというと、そんなにうまくはいきません。
むしろ、オタク属性をアピールすることで、ご縁がなくなっているケースのほうが多いように思えます。なぜなのでしょうか?
そもそもオタク趣味というのは、「品のないもの」だと私は考えています。初対面の人に話すべきことではありません。堂々と自慢げに話す話題ではないのです。
クールジャパンなどと取り沙汰されて勘違いしてしまっているオタクがいますが、いまだオタク趣味(特にアニオタ)というのは、一般の人にとっては、変態的で、ロリコンで、病的な異常性を感じるもの、品のないものなのです。
アメリカのCNNの記者は、AKB48を念頭に秋元(あきもと)康(やすし)氏に「少女への性的搾取に関与しているのか」と追及したことがありますし、国連の一部組織では日本の漫画の性的表現を非難したりもしています。欧米などでは、日本のイラストや漫画の一部は「児童ポルノ」と考えられ、過激なものは所持するだけで逮捕されることさえあります。
オタク趣味をさらけ出すことは、自分が下品だと表明しているようなものです。これが、オタクの婚活がうまくいかない場合の原因の一つです。
写真=iStock.com/Sensay
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sensay
■婚活に失敗しがちなワケ
オタ女性は、オタク趣味を「品のない趣味」と認識しており、職場などではオタクを隠す傾向にあります。よく「擬態する」などと言いますが、この人は信用できる、オタク仲間だと認めた人に限り、オタクを出していくのです。
一方、オタ男性は「オタクの俺をありのままに認めてくれ!」と言わんばかりに承認欲求が強いため、誰かれかまわずオタクをさらけ出す傾向にあります。
すると、何が起きるかというと、いくらオタク男性がオタク属性をアピールしたところで、相手がオタク女性でも一般女性でも、ただただドン引きする、という結果になります。女性からしたら、初対面でコートをバッと開いて恥部を見せつけてくる変質者と同じです。女性は、変質者とのオタク話なんて望んでいません。
つまり、プロフィールは「どんな異性にもウケるように書く」のが正解です。そのためには、むしろ絶対にオタクだとバレないよう擬態する必要があります。普通の人を装うのです。あなたが婚活でアピールすべきなのは、オタク属性ではなく、あなたの人間性や性格、オタク以外のスペックであることを忘れないでください。
「この人ならお付き合いできそう」「この人なら一緒にいてもいい」「この人なら私をわかってくれそう」と、相手に「この人なら」と確信を持ってもらって、人間関係の基礎を築いていくことが先決です。人間関係の基礎ができれば、その後にオタクをカミングアウトしても、相手は認めてくれるでしょう。
昨今は芸能人の中にも、オタクであることを公言する人が増えています。それを見て、「オタクは世間に受け入れられている」と思うのは大いなる勘違いです。
芸能人たちは、すでに「万人から称賛される芸」を持っている人たちです。その人たちはオタク属性をさらけ出すことで、「芸の幅」を広げ、仕事を増やしています。
あんなにキレイな人(かっこいい人)がアニオタだったなんて! と「ギャップ萌え」効果もあり、ますます人気が高まります。
一方、ただの普通のおっさんがオタク属性をさらけ出しても、なんらギャップはありません。だから、誰も萌えません。芸もないから、芸の肥やしにもなりません。普通の人が、オタクであることをアピールしても、メリットは一切ないのです。
婚活の現場で、人間関係の基礎ができるまでは、オタクであることを封印しましょう。
----------
横井 睦智(よこい・むつとも)
1971年、岐阜県生まれ。オタク専門婚活戦略コンサルタント。幼少の頃からアニメや漫画に興味をもち、学生時代にはオタクといじめられ、社会人となる。友達の紹介から婚活パーティーやコンパに参加するもうまくいかず、数々の結婚相談所に相談に行くも、強引な営業に嫌気がさす。そこで、自ら女性との会話や接し方を研究。努力の甲斐あり、2000年に結婚。2012年、日本で初めてオタク・腐女子に特化した専門の結婚相談所ミューコネクトを立ち上げる。著書に『オタク婚活はじめます』(すばる舎)、『ガチオタが1年で結婚できたわけ』(デザインエッグ社)がある。